この盆休みに君を待つ

「お。セミの抜け殻だーね」

 道すがら民家の植え込みを覗いた山猫が、紫陽花の根元付近…比較的太くなった幹にしがみ付いている茶色い抜け殻を見つけ

る。表情があまり変化しないので、見つけて何を思うのか傍目にはさっぱりわからない。

 背丈もそこそこ高く、かつては相撲、その後は柔道で鍛えられた体は、体操選手のように筋肉質で骨太。夏場の薄着姿になる

と、真ん中で割れる胸板のラインや、肩甲骨周りが膨れた背中、筋肉がついた四肢の太さがよく判る。

「よく気付くなそんなモン…」

 少し後ろを歩く月ノ輪熊が感心する。こちらは比べると山猫が小柄に見えてしまうほどの大男。ドラム缶のような体躯の肥り

肉で、腹も出ているが、脂肪太りではなく逞しい固太り。

「リキマルとサバちゃんと抜け殻探し競争してる成果だーね。なお、毎回サバちゃんが断トツでトップ。次回、リベンジ。期待

しとくんだーね」

「アイツちょくちょく変な事に才能が鬼溢れてるよな…」

 ムン、と力瘤を作ってやる気を見せる山猫。何で競争のテーマをソレにしているのだと疑問顔ではあるが、コイツラのやる事

だから何がテーマでもおかしくないか、と理由を問うのをやめる月ノ輪熊。

 山猫の名は七原真呼(ななはらまこ)。月ノ輪熊の名は実生慶一郎(あづきけいいちろう)。アヅキが一つ上の幼馴染であり、

現在は男同士の恋人同士。

 相撲の腕を買われて遠方に進学したアヅキは、稽古に明け暮れる毎日を送っていた。夏休みの大半も遠征だ練習試合だ合同稽

古だと、汗と土にまみれる生活を送り、充実してはいたが…。

 

「夏休みだって稽古に休みはねぇ。暑い時期こそガッチリ鍛え込むぜ!」

『精が出るもんだーね。ところで、お盆は何日ぐらい休み取れるんだろね?いつ頃帰って来れんだーね?』

「え?帰らねぇぞ?体なまらねぇように盆だって稽古だ。一日休めばそれだけ遅れ…」

『…………………………………………………………………………………………………………………………は?』

「いや帰るすぐ帰る今日帰る今から帰る盆は実家帰んなきゃいけねぇよなやっぱ!」

 

 と、電話で帰省予定を問われ、ナナハラの圧で急ぎ帰郷した次第である。

 この辺り、一度のめり込むと視野が極端に狭くなるアヅキにとっては日常茶飯事。常識的帰省イベントも割とうっちゃりがち

なので、時々山猫が電話越しに棘とか針とか釘めいた鋭い物をブチ込まなければならない。

 そんな訳で、別に嫌で帰って来る予定を立てなかった訳でもないし軽んじていた訳でもないのだと、アヅキは帰って来て顔を

合わせるなり長々と弁解してナナハラに謝った。機嫌が直ったのかどうかは変化に乏しい山猫の表情からは判らないが、少なく

とももう怒ってはいないようである。

 今日は朝から一緒。墓地まで行ってそれぞれの家の墓で花の水を替えるという、お盆の日課をこなした帰り道。ブラブラと町

内を歩きながら、塩から煙草まで商う雑貨屋でソーダ味のアイスバーを奢り、念の為に機嫌を取っておく。

「今日も蒸すな…」

「だーね」

 山間のこの町は標高が高いので下界よりだいぶマシだが、今年はお盆になっても一向に涼しくならない事に辟易するアヅキ。

涼しい立地で生まれ育ったので、気温が高いのは苦手。顔に出ないだけで、ナナハラも暑いのは嫌いである。

「…石灰淵にでも泳ぎに行くか?」

 陽炎に揺れる道の向こう、親戚回りやお盆の挨拶、墓参りへ向かう住民の姿が遠目にちらほら見えるだけで、近くには誰も居

ないのだが、アヅキは声を潜めてボソボソと訊ねた。

「いーね。用事も言いつかってねーし、午後暇だし、ひと泳ぎ行っとくかーね?」

 幼少期から慣れ親しんだ、水も透き通って綺麗な淵。水遊びデートに誘ったアヅキは、ナナハラの尻でピンと立った尾が震え

るのを見逃さなかった。思っている事が顔に出難いナナハラの、嬉しいのサインである。

「よし!飯食ったらすぐ行こうぜ!」

 ウキウキしながら表情を緩めたアヅキは、待ち合わせの時間と場所を決めて、一度ナナハラと別れ…。

 

「ウソだろ…」

 数十分後、月ノ輪熊は自室で呻いていた。

 縦に長い、かつては制服に着替える際に覗いていた姿見の前で、アヅキはフルチンのまま立ち尽くす。

 その手には、ビビッドなライムグリーンに側面を走る稲妻イエローがあしらわれた競泳パンツ。布面積少な目でちょっと攻め

たデザインのそれは、去年買った勝負水着。…だったのだが…。

「…いや、コイツはアレだ。一年ぶりだから布地が硬くなっちまってんだろ。それだけだ。慣らせばイケる」

 両手で顔の前に持ち上げた薄い生地のツルツルした水着を、ビヨンビヨンと軽く引っ張ったり伸ばしたり、それこそ水泳前の

準備運動のようにほぐして…、いざ。

「す~…、ふっ!」

 息を吐いてから素早く足を通すアヅキ。ただしパンツなので息を吐いて腹を引っ込めても効果は無い。

 太腿を通過する途中で抵抗が増したものの、一息にグイッと左右を引っ張り上げて…。

「おっしゃ!どうだ!見たか!」

 装着完了、猛る熊。ガッツポーズの気合いは相当な物だが、パンツが穿けただけである。

「しかし鬼キツいぜ…。買い直さねぇと」

 ピッチリした物を選んだのが裏目に出たなと、少し反省したアヅキは、とにもかくにも水遊びには行けるのでひとまず安堵し

た。そして…。

 

 石灰淵の風は涼しかった。林の木陰を抜ける風は、ほんのりと緑の香りと湿気を孕み、肌にサワサワと心地良い強さ。木の葉

が擦れる音や鳥達の声、環境音が精神的な暑さも和らげる。

 淵に注ぐ小さな滝の音が気持ち良く、滞らず流れ続ける水が冷たい。避暑の遊戯としては贅沢な水場二人じめである。

 白い砂が溜まった淵の、清涼な水に浮かんで泳ぎ、二人はひとしきり淵の水の冷たさを堪能して…。

「ケーちゃん、パンツの食い込みエグいね」

 岸辺に上がって休憩している最中、山猫は隣に座った月ノ輪熊の腰を見て呟いた。伸びて紐のように細くなった水着のサイド

は、角度によっては体毛と肉に埋もれて見えなくなる。

 指摘でドキリとしたアヅキは、「きつくなってんねー。育ち盛りだーね」と言われ、「もうちょい余裕あるぜ」と強がった。

が、実は濡れて肌に吸い付くと、きつい水着がなおさら存在感を強めて、太腿の内側などに締め付けられるような窮屈さを覚え

ている。

「ま、いいと思うけど。セクシーだーね」

 持参したボトルからグレープソーダを飲み、そのまま手渡して来るナナハラに、

「そ、そうか?」

 受け取りながらまんざらでもない様子で鼻の下を伸ばすアヅキ。

(お、そうだ。久しぶりなんだし、水着で水遊びってカップルらしい事やってんだ。ここは…)

 考える月ノ輪熊。日常的に可愛がってやれている訳でも、構ってやれている訳でもない。一緒に居られる間に少しでも喜ばせ

てやらなければと、あれこれ思いを巡らせる。

 帰省の事は忘れがちだが、寂しい思いをさせているだろうなという思いは(常々ではなく時々、これも忘れがちだが)ある。

なのでできる時にできる事をしなければと、アヅキは考えた。

 少し腰を浮かせて、ナナハラのすぐ近くに腰を下ろす。身を寄せた月ノ輪熊は、山猫の肩に太い右腕を回した。

「ケーちゃん」

「おう」

 囁くようなナナハラの声に頷き、アヅキは恋人の肩を抱き寄せた。そして頭に鼻を近付け、匂いを吸い込む。

「ケーちゃん…」

「ああ」

 名を呼ばれ、顎を引き、左腕を胸に伸ばし…。

「ケーちゃん熱い!ベタベタするのやめんだーね!」

 ナナハラが声を大きくして身を捩り、アヅキの抱擁から逃れる。

「え」

「溜まってんのかーね、まったく…」

 ブツブツ言いながら立ち上がったナナハラは、「また涼んどこーね」と水際へ歩いてゆき、ハグ拒否されたアヅキが呆然と見

送る。

 名を呼んでいたのは「熱いからやめろ」の意思表示。すっかりしょぼくれたアヅキは、ナナハラを追うようにノロノロと立ち

上がり…。

 バツン。

「あ」

 突然の解放感。解き放たれる快感。右腰で拘束具が一部はじけ、股間を晒して左太腿の付け根からぶら下がる残骸。

「うおあああああああっ!?」

 頭を抱えるアヅキ。どうでも良いが普通は股間を押さえる。

「どーしたケーちゃ…。あ~…」

 声で振り返ったナナハラは、全てを察した。キツくなった水着が、一年で増したアヅキの尻の圧…つまりケツアツに耐えられ

なかったのだと。

 

 結局、予定通りに行かなくて、アクシデントで早々に引き上げる事になったアヅキは、ため息をついて肩を落とす。

(替えの水着はねぇ。さらば、帰省中の水遊び…)

 学校で使う水着はあちらに置きっぱなし、まさか取りに帰る訳にも行かない。おまけに良かれと思ってイチャつけば、ナナハ

ラに熱いとウザがられる始末。

(鬼ヤベぇ…。まるでダメな帰省になっちまってる…!)

 娯楽の少ない田舎町、水遊びが一時間程度で切り上げられてしまった今、数少ない楽しみが一つ潰えてしまった。

 どうした物かと落ち込むアヅキだったが…。

「明日、買い物しに山降りっかね」

 三歩ほど先を歩み、草木の間を登山道側へ進んでゆくナナハラが突然口を開く。

「リキマルが言ってた、今年の夏の新作シェイク飲んで来よーぜー。で、ケーちゃんのケツでも破れねーパンツ買って、再トラ

イだーね」

「!」

 顔を上げたアヅキを肩越しに振り返るナナハラ。

「あと、溜まってるみてーだから、お泊り会しよーかね」

「は!?さっきのはそんなんじゃねーよ!鬼ちげーからな!」

 顔を熱くさせて反論したアヅキだったが…。

「じゃあ溜まってねーんだね?」

「いや溜まってっけど…」

 ボソボソとした月ノ輪熊の声に、草擦れの音が囃し立てるように重なった。











 この後ふたりでメチャクチャ汗をかいた。


「ちょっと濃いんだーね」

「お前もだろ!?」

「あとしょっぱいんだーね。…汗かき過ぎ」

「お前もだろっ!?」


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