ただ単にアルが太る話2
「試作の栄養補給アイスであります」
「どうしたんスか!?」
ずんぐりしたレッサーパンダが20立方センチメートルほどの保冷ボックスを差し出すと、北極熊の少年は怪訝な顔をした。
「だいたいこういう時はエイルさん「〇×〇×ちゃんであります」とか紹介するじゃないっスか?」
「試験品なのでまだ名前がついていないのであります。後々募集する事になるでありましょう」
仕事帰りの廊下でエイルに捕まったアルはまだシャワーも浴びていない。それどころか武装したままの薄汚れた格好。極めつ
けに、一見すると和式棺桶か清掃用具ロッカーのような長方形の箱型物体…専用武装のヴァリスタを小脇に抱えている。
今日の任務では、タカアシガニとザリガニを足して割ったような甲殻類系危険生物を、途中で機能障害を起こしたヴァリスタ
を鈍器代わり(当然後で怒られる)にして圧し潰したり叩き割ったりしてきたので、浴びてしまった体液やら何やらで悪くなっ
た生エビのような異臭が全身から漂っており、正直、一刻も早く体を洗いたかった。
「そんな訳でテスターをお願いしたいのであります。「タゴサクさん」には何故か逃げられてしまったでありますから、後で追
い詰めるであります」
アンドウ本人が嫌がる下の名前であえて呼ぶあたり、だいぶご機嫌斜めらしいエイルが箱からアイスを取り出す。
「案外普通の見た目っスね…」
北極熊はチョコバーのようなそれをしげしげ見つめた。アイスは商品のように個別包装されており、透明な袋に何も記されて
いないものの、見た目はおかしくない。
「具体的には夏場の気温で消耗を強いられている肉体を調整して理想的な代謝を取り戻すと同時に効率的に吸収できる形態に調
整した各種栄養素を速やかに補給せしめ中枢神経に干渉して食欲を増進…」
「ストップスト~ップっス!難しい説明は判らないっスよ!」
長々と詳細な説明を始めようとするエイルを遮ったアルは、「で、一本食べてみればいいんス?」と確認する。が、レッサー
パンダは首を横に振った。
「効果は微々たるもので、変化が出るまでしばらくかかる代物なのであります。毎日一本就寝前に食して、三週間ほどしてから
変化を計測したいのであります。なお、現在テスターの要請に応じてくれた隊員はゼロなので、希望の灯がだいぶ心細くなりつ
つある遺憾な状況であります事を申し添えておくであります。我々開発チームの努力がこのままでは炎天下直射日光下のアイス
の如く儚く溶けて消えてしまうであります」
「前科色々あるっスから、みんな警戒してるんスね…」
とは言ったものの、表情に乏しいレッサーパンダが困り果てた様子で耳を倒して懇願して来ると、無下に断れないアルだった。
シャワーを頭から浴びて人心地。耳元へ直接響く心地良い水音が、密閉ブロックのシャワーブースに反響する。
体の汚れと、貴重なハイテク武装を雑に扱ったせいで貰った小言を熱いシャワーで流し去るアルは、白い被毛をワシワシと掻
くように洗う。
肥り肉の巨体ではあるが、鍛えぬいた筋肉で膨れ上がった体は逞しい。少し腕を上げただけで力こぶが脂肪と被毛を押し上げ
て盛り上がり、腰を捻れば筋肉の束が背中に陰影を作る。
見た目の上ではマシュマロのように白くて柔らかそうな体は、しかし人外を容易く屠る、生きた兵器と呼んでも過言ではない
スペックを有する。
(明日から非番っスね…。期間限定イベントやってるし、ゲームのノルマまとめて消化しとくっスか!)
遠方の友人達と楽しんでいるオンラインゲームの夏休みキャンペーンは、後発のアルには美味しい稼ぎ所。のんびりと、しか
し集中して楽しむのも悪くないなと計画を立てながら、泡立てたボディーソープを全身に塗りたくって隅々まで洗う。夏場は蒸
れ易い腹の段差の下や、デリケートゾーン、太腿の間などは特に念入りに。
そうしてサッパリ汚れも汗も洗い落として、冷房がきいた更衣室で着替え、しっかり体を乾かして自室に戻ったアルは、大型
冷蔵庫を開けて炭酸飲料のボトルを鷲掴み。豪快にゴッキュゴッキュと、成人男性が一日に摂取する平均量の半分近いカロリー
を摂取したところで、ふと思いだして手を止めた。
(そういえば…、アイスあったっスね)
エイルから預かったアイスは冷凍庫に移してある。試しに一本食べてみようと、取り出してビニールを外し…。
(固っ!甘っ!)
齧りついた瞬間に舌の根元が鈍痛を覚えるほどの、強烈な甘味。香りはチョコだがビターさがビタ一文無い。
(でもまぁ許容範囲っス)
しかし東護で味わった殺人的甘味に比べればまだ人道的なレベルと判断する北極熊。いいのか。
アヅキのアレを思わせる硬度のアイスをガリガリ齧りながら、モニターを点けてゲーム機を立ち上げ、ボイスチャット用にマ
イク付きヘッドホンを装着し、ソファーに腰を下ろしてコントローラーを握る。
やたら甘いアイスを咥えたままシャブシャブ味わいつつ呼びかけると、普段から一緒にプレイしているメンバーからすぐに返
答があった。
集合用にルームを立てて、最初に合流したのは二丁拳銃の狐。次いで腰に刀を差した青いロングヘアーの人間女性、最後に杖
を手にした丸々太った虎が入室し、軽く談笑したらイベントミッションへ出発。
歴戦のベテラン2名と中堅プレイヤー1名に引率され、ビギナーが死ぬか生きるか半々のなかなかハードな難易度でイベント
アイテムを稼ぐ。
本人そっくりにデザインされたアルの操作キャラクターは、プレイ開始から日が浅い事もあってあまり成長していないのだが、
それでも一対一でエネミーと渡り合える程度のステータスにはなっている。そもそもアル自身が並外れた反応速度なので、アク
ション面での不安はない。
それでも複数に囲まれて動けなくなったらどうしようもないのだが、やたら反応が良い狐の銃撃が、アルが対処できないエネ
ミーを攻撃して引き付け、太った虎が魔法を駆使して範囲内を纏めて攻撃したり、味方を回復したり増強したりとテクニカルに
立ち回る。
そして本当の脅威になるもの…低レベルなアルの操作キャラが被弾したら一発KOされかねないエネミーに関しては、日本刀
状の武器を携えた人間女性型のキャラクターが、先行して切り込んでターゲットを引き受け、被害が出る前に仕留めて行く。
選択難易度はスパルタでも、ケアはバッチリな状況で、アルは集中してゲームを楽しみ…。
『何か時々ガリガリって音がしてないか?誰か硬い物食ってる?』
タイガーTと名前が表記されているプレイヤーの声に、アルが「えふぇっふ…!」と苦笑いして反応。
「それオレっス。貰い物のアイス齧ってる音っスね」
『何味かな?』
嵐とネーム表示されている青い髪の人間女性が、音声ではなくテキストメッセージで発言。メッセージを手動入力しているは
ずなのに反応というか食いつきがやたら早い。
「見た目もチョコだしチョコフレーバーなんスけど、あんまりチョコ感しないって言うか、甘さの塊みたいっス」
『想像するの難しい味だね…』
「カロリー味っスかね?」
『もっと難しくなった感ある』
説明を聞いた狐の声にはだいぶ困惑の色が漂う。
『イベント交換限定品コンプまで、あとどれくらいだ?』
「えっと、一番高いのと、すぐ使いそうな改造素材は終わったっスけど…。って、コンプしなきゃいけないんスかこれ?」
肥った虎のキャラクターは、白衣やロングコートを思わせる衣装を揺らして肩を竦めた。
『必須じゃない。が、普段は狙って集めにくい素材もショップに並んでいるからな。今回頑張っておくと後々の採取周回が楽に
なるというか…。後々には素材探しに割かれる時間に余裕ができて、労力を別の事に充てられるようになるっていう、長い目で
見ると小さくないメリットがある。例えば…素材を集める時間を、レア装備探しとかに割り当てられるっていう感じかな』
「じーにあス!流石ティーチャー!」
『ただの経験論だよ。なにせ二年前に通った道だ。だがもっと褒めてくれていいぞ』
狐と人間女性のキャラを操る二人は古参のプレイヤーだが、太った虎の中身はデビュー二年目。アルへのアドバイスについて
は先発のふたりよりも身近な気付きがある。
休憩と雑談交じりに二周目、三周目とプレイを繰り返し、夢中になっている内に時間は過ぎて、あっという間に深夜0時。そ
して気付けばアイスをもう5本も食べていた。
今日はそろそろお開きにしようという事になり、それぞれが収穫物のチェックと整理をしに退室して行くと…。
(喉が乾くっスね…。霧中になり過ぎたっスか。収集癖とか、カスタム欲とか、そういうの刺激されてのめり込むっス…)
冷蔵庫に向かったアルは、飲みかけの炭酸飲料を取り出してラッパ飲みした。10リットルのボトルはゴボゴボと音を立てて
中身を減らし、内容物が一気に北極熊の胃に収まる。
(ちょっと小腹減ったっスね…)
目についたチーズ味のカロリーバーを掴み、ボリボリと4ブロック咀嚼してから、視線は冷凍室に向き…。
(アイスもう一本だけ…)
試作品のアイスは一日に一本ずつ摂取して変化を見る。…そんなエイルの言葉をアルはすっかり失念していた。
そして三日後。
体長2メートルほどの異形の生物が、ビル壁面をガツガツと音を立てて駆け上がる。
昆虫か甲殻類に見える、棘や剛毛が生えた葡萄色の外殻に覆われているそれは、アルパカやラクダのような首が長めのボディ
に、毛ガニのような脚部が六本生えた奇妙な見た目をしていた。頸から奥部にかけては草食系哺乳類ん見られるようなシルエッ
トではあるのだが、そこは頭部というよりも潜水艦の潜望鏡に近く、感覚器が搭載された角のような物。蓮根のように密集して
空いた無数の穴の奥で、丸い複眼がギラギラ光っている。口に当たる部分は前肢の間にあり、セミの口吻のような形状。急所は
胴体前部に内包されている。
部分毎には例えられるものの、全体をそのまま比喩する事はできない。自然界のどのような生物とも違うという事だけが、そ
の外観から直感できる。最初に確認されてから日が浅い上に、発見された個体がまだ二桁に及ばないため、どのような生物かは
判っていないが、人を喰らうという事と、その捕食手段だけは判明している。
それは、蜘蛛にも似ていたし蝉にも似ていた。
物陰に本体を隠して潜望鏡のように頸部で獲物を観察し、隙を突いて糸を吹きかけて捕獲。ミイラのようにパッケージングし、
窒息死させた上で口吻を突き刺し、乾物になるまで体液を啜る。
これらは何らかの意図を持ったテロでばらまかれているのではなく、どうも輸入後に脱走されたか生産拠点から逃げられたか
した物らしいと考えられている。何処でどのように造られたかは判らないが、インセクトフォームなどを生産する系統とはやや
異なる技術大系の産物ではないかとだけ推測されており、現段階では「アルパカモドキ」と仮称されていた。
そんな、既存のどんな生物にも似ていない異形の生物は、下方…ビルの下から向けられたレーザーサイトの赤い光点を背中に
複数つけられ、銃撃を受けた。
ガイィンと硬い衝突音が一発響くと、それを追って立て続けに四発同じ音が鳴る。対危険生物用のライフル弾が甲殻を削り、
欠けさせ、ひび割れさせて、異形は堪らず逃げ足を早める。
国内最強、最大規模を誇る調停者集団、ブルーティッシュの精鋭達によって、危険な異形は追い詰められていた。
特に怪しい気配や犯行予告が無くとも、首都は絶えずブルーティッシュの堅固な守りの下に在る。
百名を超える調停者で組織される実行部隊は、一騎当千の戦士揃い。バックアップなどを含めた五名編成一チームが、銃火器
で武装した軍人の中隊に匹敵する戦闘力を誇る。特に少人数精鋭揃い、能力者を多数含む戦闘集団は、入り組んだ都市部での小
規模制圧戦において無類の強さを発揮した。情報が少ない新種とはいえ、四名編成で派遣されたブルーティッシュの戦闘班に狩
れない危険生物はそうそう居ない。
「ええい!角度が悪いっ!」
ブルーティッシュ製の特殊なライフル、通称「グリフォンスナイプ」を正確に操り、一人で4~5人分の狙撃をこなしながら、
致命傷を負わせられなかったと悪態をつく髭面の狙撃手の横で、暗視ゴーグルを装着した若い男が「もう一体!」と警告した。
ビルの壁面に爪を食いこませてよじ登る異形の向かう先…屋上の縁へガンッと音を立てて着地したのは、同じくアルパカモド
キ。跳んできた側のビルの屋上はビアガーデンだったようだが、客の悲鳴は無い。速やかな避難が間に合っていた。
「驚いたり叫んだりしてないって事は…」
「間に合ったんでしょう」
髭面の男に続き、若い男がホッと安堵の息を漏らした直後、ビルの屋上側に着地したばかりのアリパカモドキが、頸部に見え
る部分を宙に吹き飛ばされた。
胴体部が後方から、丸いスプーンでアイスの表面を深く抉ったように、一直線に抉れていた。吹き飛ばされた部位も同じく弧
を描いた抉れ跡が見られる。
それは、超音速で激突した、投擲武器の仕業。
長く硬く鋭利な手槍はアルパカモドキを必殺の一投で仕留め、無人のビル屋上を駆け抜けて反対側の縁を掠めるようにホップ。
一瞬遅れて突風と衝撃波がバウッと音高く暴れ狂う。意志を持つように宙へ舞い上がった手槍は、慣性を無視するような挙動で
急カーブし、投擲者の元へと帰還する。
ガンッと激しい音を立てて、飛来した手槍を掴んだ白い巨躯は、上体を少し後ろに持って行かれたものの、さほどバランスを
崩さずに衝撃を吸収し、一歩も動かず姿勢を戻す。
濃紺と濃い灰色の迷彩ベストに、同色のズボン。ナイトブルーの半袖シャツに同色のグローブとブーツ。胸元に揺れるのは調
停者の認識票。
顔立ちは若いが、2メートルを超える巨体。夏の都市熱がたゆたう夜気の中、ビルの縁から獲物を一瞥し、絶命を確認したそ
の調停者は、国内では珍しい北極熊の獣人。初めて見るビルの関係者…ビアガーデンのウェイターは、その雄々しい威容と鋭い
横顔に気圧されながら息を飲んでいる。
「排除完了っス!でも念の為にお客さんは中に避難させたままでお願いしまっス!」
アルが振り返った先で、先ほどまで大慌てて客を逃がしていたビアガーデンのウェイター達やオーナーが、緊張から解放され
ると同時に脱力し、ため息をついた。
気味が悪い正体不明の怪物を相手に、巻き添えを出さないように槍一本で大立ち回りを演じた北極熊の戦いぶりは、傍目には
理解が難しかった。早過ぎて、激し過ぎて、そもそも人があんな動きをしてあんな馬力を発揮できるのかと、実際に見ていても
現実味が薄かった。
負傷者ゼロで護り切った一般人から視線を戻し、ビル壁面で動きを止めたアルパカモドキを見下ろすと、アルは手槍を大きく
振り被る。
「やるっスよ!ブリューナク!」
豪風。
投擲された手槍は、主の手元から離れるなり、その意志の後押しを受けて加速。対戦車ライフルを軽く上回る初速から乗算式
の加速を見せ、警戒して脚を止めていたアルパカモドキを真っ向から貫通、地上十八階の距離を一瞬で踏破し、地面に突き刺さ
る手前で急停止した。
レリックウェポン、ブリューナク。
数奇な運命を経て、幾度もアルの手に戻るソレは、かつて黄昏にあった頃とはスペックがだいぶ違う。
ブルーティッシュでも原因は突き止められなかったが、入手後に一度ロストしたブリューナクは、ダウドが取り戻した際には
未開放だった複数の機能が使用可能になっていた。技術部の者達にはセキュリティーが解除されたような状態と仮定されている
が、アルは説明できないながらも違う印象を持っている。
ブリューナクの中から何かが失われた。邪魔になっていたそれが無くなったので調子が良くなった。北極熊は感覚的にそう把
握していた。
「制圧完了、だな」
「はい」
地上のふたりはビルの屋上から手を振っているアルに手を挙げて応じ、通信担当に本部への連絡を入れさせ…。
「ヴァリスタどうしたんだ?」
「故障したっス」
「またー?」
「またっスよー…」
「何したんだよ今度は」
「何もしてないのに壊れたんス!」
「壊した奴ってだいたいそう言うよな」
本部へ戻るワゴン車の中、後部座席のアルはしきりにベルトの辺りを気にしていた。
「何処か怪我したか?」
「いや、ちょっとしっくりこないだけっス。シャツ巻き込んだっスかね?」
何となく落ち着かない、いつもと感触が違う、そう感じているアルの腰で、ベルトのフックは穴をキリキリと横長に広げていた。
(気のせいか?何かアル、でかくなったような…)
(汗で濡れて毛がボサボサしてるのかな?)
班員達もそう思ったが、気のせいだろうと流してしまった。
「エイルに押し付けられた。やる」
任務を終えてきたアルの自室にやってきたアンドウは、アイスが詰まったボックスをアルに押し付けた。どうやら逃げ切れな
かったらしい。
「貰うっス!」
短い尻尾をピコピコ振りながら喜んで受け取った北極熊は、
(残り少なくなってたから丁度良かったっス!)
残数2本まで減っていたアイスの事を、想う。
この三日、アルは貰ったアイスを一日平均6本ずつ食していた。そろそろ追加が欲しかった所である。
「ところで…、アイス預けといて何だけどな」
アンドウはタンクトップの薄布一枚に覆われたアルの胸や腹をジロジロ見つめた。
「お前、夏場になってアイスだの冷たいジュースだの摂り過ぎてないか?なに入ってんだっつーのその腹。六つ子?」
「目の錯覚っスよ。ベストコンディションっス」
疲れ目かな、と思っているアンドウは冗談交じりだが、実はアルの体型、たった三日で変化している。
試作アイスは開発チームが期待した通りの成果を遺憾なく発揮していた。だが、アルの摂取量が用法容量を守っていないため、
想定外の作用が生じている。
アイスの過剰摂取によって喉が渇き、食欲が増し、胃腸が活発になって何でも美味しく食べられる。しかも満腹感が薄れ、い
くらでも腹に入ってしまう。さらには体力やスタミナの回復に観点を置いた成分が過剰に作用しており、余剰カロリーが排出さ
れる事なく体に蓄積されていた。
ようするにこのアイス、一日一本なら体力増進疲労回復と狙った通りの効果だが、用量を超過した場合は深刻な副作用が生じ、
効率的にデブを作るアイスと化す。
さらに悪い事に、普通なら飽きる甘さにもアルの舌は適応してしまい、強烈な甘さが癖になってしまって…。
その三日後。
「あの~、エイルさん居るっスか?」
医療品やレーションの生産開発を行う研究室に、ひょこっと北極熊が顔を出す。
アイスが無くなりそうなので、追加が貰えないかと来てみたのだが…。
「ようアル。聞いてなかったか?エイルは「交渉事」で北陸まで足を伸ばしてんだ」
応じたのは古参ラボメンの一人。レッサーパンダは任務で一週間ほど首都を離れていると聞いてガッカリしたアルだったが、
気を取り直して訊ねてみる。
「エイルさんから、アイスの試作品の試供品の何か…テスト?みたいな話をっスね…」
「お!?テスターやってくれるのか!?助かる!」
「へ?」
深く考えず追加を貰いに来たアルだったが、どうやらラボ内で連絡に行き違いがあったようで、ラボメンはアルが募集してい
たテスター(新開発アイテムがまるで信用されていないので怪しまれて不人気)に立候補しに来てくれたのだと勘違いした。そ
うでなければ、過剰摂取に気付いてアイスを渡すことも無かったのだが…。
「ところでお前、ちょっと顔とかムクんでないか?」
「気のせいじゃないっスか?」
「ま、このアイスが上手く行ってれば健康になる。バッチリ試してくれ!」
効果についての簡単な説明と共にアイスを箱で渡されたアルは、上機嫌で部屋に引き上げる。道中のエレベーターで側面の鏡
に映る自分の姿にも特段疑問を覚えない北極熊だが、傍目にはだいぶシルエットが変化していた。
出撃しても働きに支障が無いのが問題だった。動けるしスタミナは有り余っているし疲れが来ない。体調がすこぶる良いので、
体重増加の負担や、肉が増えた事による動きの阻害が問題を起こせば自覚もするのだろうが、ミスが無いので問題視されない。
(今日は撮り溜めてたアニメ一気見するっス!)
ソファーが悲鳴を上げるのも構わずに増量した尻を乗せたアルは、アイスを齧りジュースを飲みポテトチップをバリバリ齧る。
口直しに塩気が欲しくなり、次いでジュースが欲しくなり、またアイスが欲しくなり…と無限ローテーション。しまいにはア
イスの口直しにとっかえひっかえクーリッシュを貪る、アイスからアイスの冷気属性コンボを決め始める。
アニメを視聴する傍らで、山と溜まってゆくゴミ。スピーカーの音声に負けず劣らず咀嚼音が途切れない。
二時間ほども食べ続けて飲み続け、胃の中が流動系のカロリーでタポタポになったアルは、満腹した腹をさすりながらウトウ
トし始め、意識がフッと遠のく。
血糖値スパイクである。
健康的とは言い難いどころか、健康という単語を修正液ベタ塗りで抹消するかのような食生活。あからさまな脂肪の塊になり
つつある北極熊は、平和な寝顔で朝までソファー寝して…。
さらに三日後。
(またアイス減って来たっスね…。エイルさん帰って来たら追加頼むっス)
ソファーに座り、バーガーからはみ出て指を汚したケチャップをチュバチュバ舐めながら、アルはリモコンでテレビチャンネ
ルを回していた。
たった九日。エイルから最初にアイスを受け取ってから九日で、北極熊の体は目に見えて変貌を遂げていた。
星条旗パンツがパツパツになり、今にも内側から破りそうな尻。
ミニ浮き輪を嵌めたかのように肉の段が付いた顎と首。
体積を五割以上増やした胸はタンクトップの生地が薄くなるほど左右に引き伸ばし、それに輪をかけて膨張した腹はもはや収
まらず、タンクトップの裾が胸肉の段差の下まで捲れ上がっている。
飲み食いした分だけ効率的に贅肉に変換されてしまうため、ここ数日はトイレの回数が明らかに減っているのだが、アルに自
覚がない。出て行く分が激減するほどの恐ろしい変換効率でエネルギーが蓄積された体は、もはや大福餅の乱れ合体。
バーガーとホットドッグとピザとチョコパフェを10リットルボトルのジュースで胃に流し込み、せり出した腹を満足げにさ
すったアルが腰を上げる。
「よっ……んっ、くっ…!ぶふ~、ぶふ~」
しんどそうに立ち上がり、のったのったと横揺れしながら冷蔵庫に向かう北極熊は、アイスを一本取り出してガリガリ齧り、
「ぐぇ~っぷ…。ん~!食後のデザート、やっぱコレっス!」と幸せそうに頬を押さえた。
アルは気付いていない。九日で体重が二倍強まで増えている事に。
そして開発側も気付いていない。それぞれ単独では問題なかったアイスの成分が、特定の炭酸飲料との食い合わせで結合し、
認知阻害作用を持つ謎のタンパク質に変化してしまう事に。
後ろから見れば白く波打つ肉の山と化した北極熊は、エイルの帰還後、地獄のダイエット特訓を受ける羽目になる。