FILE10
やっと修復が終わった左腕で、凍り付いた右腕に触れる。
痺れるような、締め付けられるような苦しさ以外に、感触は無い。これはようするに、重度の凍傷なのか…?
深い所からジンジン来るような、嫌な鈍痛から察するに、骨の髄まで凍結させられた訳じゃないと思うが…、おそらく筋肉
細胞まで凍らされているんだろう。動かす事は出来なかった。
熱を奪われて細胞自体が活動していないのか、再生能力も働かない…。
猫…04と、熊…07は、間合いを取った俺を見据え、慎重に間合いを詰めてきた。
油断でもしてくれればいいものを…、有利な状況にありながら、二人とも少しも警戒を緩めようとはしない…。
04の能力は、一瞬の接触だけで腕一本を凍らせる。もしもしっかりと掴まれたら、間違いなく即アウトだ。
07の能力は不明。けれど、単純な腕力だけで脅威だ。骨格強化した腕が一発でへし折られる。
どっちにしても、捕まえられたその瞬間に戦闘不能だな…。
「ここまでだ。大人しく投降しろ…」
「お前だって命は惜しいだろう?抵抗さえ止めるなら殺しはしないぞ」
猫と熊が口々に言う。
殺しはしないと熊は言ったが…、捕まれば研究材料か、実験動物か…、末路は見えてる。
何より、俺の身元が分かれば母の身にも危険が及ぶ。
喋るつもりは毛頭無いけれど、自白剤とか、嘘発見機とかいうものを使われれば、あるいはビャクヤの事までバレてしまう
かもしれない。
…そんなの、耐えられない…!
「投降はしない」
二頭のライカンスロープを見据え、俺ははっきりと言ってやった。
「敗れて倒れるとしても、最後まであがいてやる。例え死んでも、決して屈服はしない!」
戦い方は、ほんの少しだけビャクヤに教わった。
駆け引き、格闘技術…、そして心構えだ。
誇りと信念。どんな相手にも、いかなる状況にも、決して自分からは屈さない事。
『折れない誇りと、曲がらない信念。…これを忘れないでね?』
教えてくれたその中で、その事が最も大切な物だとビャクヤは言った。
俺のささやかな誇りにかけて、母を危険にはさらさない!
俺のちっぽけな信念で、ビャクヤの事は漏らさない!
猫の瞳がすぅっと細くなり、熊は低く呻き声を上げた。
「何故だ…?死ぬのが恐くないのか…?」
動揺したように熊が呟き、俺は口の端を吊り上げて精一杯の虚勢を張る。
「誇りを失って恩義を忘れるぐらいなら、命を失って土になった方がまだマシだ…!」
死にたいとは思っていない。生きるのを諦めたわけでもない。
でも、誇りを護った結果として、例え命を失っても構わない。俺は今、そんな覚悟を決めたんだ。
諦めるんじゃない。覚悟を決める。この違いは大きい。
…それに、心が決まって落ち着いたせいか、微かにだけど希望が見えた。
この熊と猫は確かに強い。奇襲でもかけない限り、一対一ですら勝てるかどうか怪しい相手だ。
…でも、二人とも心に迷いがある。闘争の場で、思索を巡らせる事と、迷う事とは違う。
『僕らの闘争において、迷いは死の親しい隣人だ』
ビャクヤの言葉を思い出し、俺は気を落ち着けて、二人の様子をつぶさに観察した。
向こうは、なるべくなら俺を生け捕りにしたいらしい。だから急所を避けたり、手心を加えたりと、攻撃にも加減が生まれ
ている。
ついでに言うなら、相麻への忠誠心で動いているのとは違う。どちらかといえば従わされているような感じだ。
メンタル面での優劣でいうなら、覚悟を決めた俺の方が上だ。
未完成だが、奥の手を使って優勢に立てば、退かせる事もできるかもしれない…。
「…警告だ。退くなら追わない。退かないなら、俺も全力を尽くして相手をする」
全身の毛を逆立てた俺に、二人は気圧されたように僅かに後退した。
右腕の修復はほとんど進んでいない。使えるのは左腕と両足、そして牙だ。
利き腕が使えないのは少々心許ないけれど、これから使う技は、そうそう避けられる事はない。
…問題は、俺自身が失敗しないか?という事だ…。
「退く事など…、無い!」
熊が吠え声を上げ、地面が振動する程に力強く、どしっと一歩踏み出した。
その斜め後ろに猫が進み出る。軽く開いた両手から、白い息のように、冷気が霜を伴って零れ出ている。
「なら、見せてやる…」
俺は前傾姿勢を取り、左手と両足の爪を地面に食い込ませ、進路を見定めた。
眼球のサッケード運動を高速化。同時に受容体のキャンセル速度を上げて、脳の処理速度を上昇させ、これからおこなう高
速戦闘に対応させる。
全ての筋力を瞬間的に最大強化し、全身をバネにしてたわめ、俺は跳躍した。
熊と猫が俺の姿の数メートル後ろを目で追う中、十分な強度を持つ木の幹に左手と両足で着地した俺は、彼らの視線を振り
切り、高速移動を開始する。
超加速状態に入った俺の認識の中では、二人の動きはスローモーションに見える。
空気の抵抗が無視できないほどに大きくなって、銀の被毛の毛先が細かく千切れて分解され、銀色の粒子になって宙に散る。
自身が巻き起こす衝撃波で、俺自身の被毛が吹き散らされているんだ。
「な、何だ!?追い切れ…ぐぅっ!?」
俺の残像を目で追っていた熊は、声を上げて肩口を押さえた。
左肩は骨が見えるほど深々と抉れている。呪いによって再生が阻害され、しばらくは使い物にはならないはずだ。
「…これはまさか…!?音速移動か!?」
驚愕の声を上げた猫が、背を蹴られて吹き飛んだ。
ご名答。いや、実際には亜音速移動といった所だ。
インパルス・ドライブ。
全身の筋力を強化、連続で高速移動を繰り返し、縦横無尽に跳ね回って連続攻撃をしかける技だ。
瞬間的に最高速度を引き出し、連続で跳躍する事で平均時速900キロに及ぶスピードを維持している。
ビャクヤから教えられた、俺の切り札とも言えるこの空間殺法…、実は未完成だったりする。
パワー不足で制動が上手く行かないから、跳躍先にしっかりした足場がないと方向転換できないのだ。よって、平地では無
理。今のところ、使えるのは木立の中に限られる。
加えて、力の消耗が大き過ぎるので、今の俺の持久力では僅か四、五秒程度でスタミナ切れになってしまう。
俺は高速移動で攻撃と離脱を繰り返しながら、二人を翻弄し、死なない程度に痛めつける。
だが、木立を跳ね回る銀の弾丸の中、猫は柔軟な動きで直撃を避け、熊はそのタフさで攻撃に耐える。
ギリギリまで攻撃を繰り返した俺のスタミナは底をつき、ほとんど墜落するような格好で着地した。
喉からゼイゼイと荒い息が喉から漏れる…。体中の関節がガタガタで、手足が震える…。
耳鳴りが酷く、平衡感覚が狂って地面が揺れているし、活性化させた反動の眼球疲労で目がかすみ、視界がぼやける…。
全身の筋肉が熱暴走を起こして、吹き出した汗が蒸気となって、俺の全身から立ち昇っていた。
俺は左手を地面につき、跪いた姿勢で二人を見据えた。
猫も熊も、全身に修復できない傷を負っている。
地に跪いた二人は、致命傷こそ負ってないが、動くのも辛いだろう。
はっきり言って博打。耐え凌がれたら後がない、殆ど捨て身の特攻だったけれど、効果はあった…!
ギシギシと軋む体を叱咤して、俺は立ち上がり、胸を張って背筋を伸ばす。
虚勢で良い、今は自分がまだ立てる事を見せつけてやれれば…。
「どうだ…?まだやるか…?」
乱れる呼吸の合間から、何とか声を押し出す。苦しげな表情で呻く二人には、動く気配はない。
…俺の勝ちだ…!
「仲間を連れて帰れ。今日俺と会った事も、この山で起こった事も、全部忘れて…」
…そうだ!ビャクヤに頼んで、こいつらの記憶を消して貰おう。
日はあと数分もしないで完全に沈む。いつもならそろそろ迎えに出てくれる時間だ。
斜面の上へと視線を向けようとしたその瞬間、俺は背に衝撃を受け、前へ、二人に向かって吹き飛んだ。
地面に叩き付けられ、大きくバウンドして仰向けに倒れた俺の耳に、滑舌の悪い声が飛び込んで来た。
「07!ぞいづを押ざえろ!」
自分の目前の地面に倒れた俺の胸を、立ち上がった熊の足が踏みつけた。
ベギッ。俺の胸の中央がそんな音を立て、肩や脇腹の方向へ、沿うように激痛が走った。
「ギャンッ!」
悲鳴が漏れたが、続いて肺から空気が絞り出されて、掠れて止んだ。
肋骨がメキメキと音を立てる。目の前で星が飛び回り、意識が消えそうになる。
目だけを動かすと、逆さまになった視界に、口からダラダラと血とよだれを流している犬の姿があった。
…ぜ…05…!?もう意識を取り戻していたのか…!
「でごずらぜやがっで、ごのガギ…!」
歩み寄った犬の右足が、俺の頭を真横に蹴った。首の骨が嫌な音を立て、脳が何度も頭蓋骨に打ち付けられる。
朦朧とした意識の中で、ただ強烈な吐き気と、胸がジンジンと痛む感覚だけが、はっきりと感じられた。
「念のだめだ、首をもいで、いぎの根をどめる。ごいづはぎげんずぎる…!」
「待て05…!彼はもう動けない、命まで奪う必要は…」
俺が虚勢を張っていたのは、どうやらバレていたらしいな…。04が止めに入ると、05は憎々しげに猫の顔を睨み付けた。
「まだ甘いごどを言っでるのが?ごでだがら女は…!」
思い止まらせようと説得を試みる04を憎々しげに睨み、05は吐き捨てるように言った。
犬の右手から、ズッと、硬質化して黒ずんだ爪が伸びた。
左腕は、痙攣していて言うことを聞かない。右腕の解凍はだいぶ進んでるが、どのみちもう力が籠もらない。
…くそっ…!もう打つ手は無いのか…!?
殺される恐怖より、抗い切れなかった悔しさで涙が出そうになったその時、激しい耳鳴りの中で、俺はその音を聞いた。い
や、地面を伝わったその震動を捉えたというべきか?
重い、かなりの質量の何かが地面を踏み締め、そして駆けるその振動…。三人とも、近付いて来るそれに、まだ気付いてない…!
俺は07に踏みつけられたまま、痛む胸に可能な限り息を吸い込んだ。
「…ルオオォォォォッ…!」
か細い、脆弱な俺の叫びに乗って呪いがばら撒かれ、三人の体がビクリと硬直する。
一瞬、ほんの一瞬身をすくませた熊の足下から、俺は身を捻って体を逃す。
そして、最後の力を振り絞り、左足の親指、その爪一本に、可能な限りの硬化を施した。
「ぐぎゃぁぁぁぁああああああっ!?」
転がるようにして身を捻りつつ、渾身の力を込めて蹴り上げた右足の爪は、07の股の下から侵入し、臓腑を抉りながら鳩
尾までを切り裂いた。
腹の中央まで切り裂かれた股座を押さえ、熊は仰向けに倒れて絶叫を上げる。
熊の腹から零れ出た臓物と溢れ出た血で下半身を濡らしながら、俺は地面を転がって距離を離した。
硬化させた爪は折れ、07の体内に残っている。もう他の爪を硬化する力は残っていない。
俺の攻撃の手段は、これで完全に失われた。
呪縛が解けた犬が憎悪の表情で顔面を染め上げ、転がった俺めがけ、サッカーボールでも蹴るように、大きく足を引いた。
「…殺すも…止む無し…!」
そんな声が聞こえたのは、犬が後ろへと足を引き切ったその時だった。
犬の視線が俺から外れ、正面に向けられる。その瞳が最後に映したのは、おそらく白一色だっただろう。
犬が顔を上げた時には、これからその鼻先を押し潰し、顔面に埋まっていく白い拳が、鼻の先に触れていたから。
木立の中から白い稲妻のように跳んで来たビャクヤの顔が、一瞬だけ見えた。
細められた目は鋭く、爛々と輝いていて、唇がめくれ上がって牙が剥き出しになっている。
人の良い白い巨犬の顔には、俺にはこれまでに見せた事のない、猛る獣の表情が浮かんでいた。
ガゥンッ、という音が、辺りに響き渡った。正真正銘、超音速の拳が05の顔面を粉砕した一瞬後に。
犬の頭部は文字通り粉々に砕け散って、水風船が破裂するように、中身をばら撒いて四散した。
ビャクヤが駆け込みざまに放った、本家本元のソリディファイ・インパクトによって。
頭部を粉砕された05の体は、突進してきたビャクヤの体に跳ね飛ばされ、急制動をかけた彼の遙か向こうへとすっとんでゆく。
今、ビャクヤが一瞬見せたこれこそが「無音の領域」。つまり音よりも速い超高速行動をおこなう感覚と身体能力。
ビャクヤの指導を受けて積み重ねているトレーニングの先、遥かな高みに在る領域だ。
「生きてるかい!?ヨルヒコぉっ!」
踏ん張った足で地面を大きく抉りながら、ビャクヤは珍しく切羽詰った声を上げる。
…ごめん…、心配させちゃったなビャクヤ…。
「…なん…とか…、無事だよ…」
か細い声で応じた俺は、ビャクヤの顔を見て、安堵のあまり意識が飛びそうになっている。なんとも情けない事に…。
ビャクヤは素早く首を巡らせ、跪いたままの猫と、腹を捌かれてのたうっている熊に視線を向けた。
「…残りは…動けそうにないね…」
二人に戦闘能力が残っていない事を見て取ると、ビャクヤは緊張を解き、その両目に灯していた、射竦められそうな鋭い光
を収めた。
「死にたくない…。死にたく…、ない…!」
臓腑がはみ出ている腹を押さえ、のたうっていた熊の動きは、次第に弱々しく、緩慢になっていく。
か細い声で「死にたくない」と繰り返す熊を見据えたビャクヤは、ちらりと俺に視線を向けた。
俺はカクカクと震える両足を叱咤し、熊に歩み寄る。…まだ、やらなくちゃいけない事が残ってる…。
傷を負わせた俺には判る。07はもう助からない。人狼の呪いが体を蝕み始めてる。
…程なく呪いが発動して、彼は生ける屍になる…。
「た、助けて…。…いやだ…、死にたくない…」
涙すら浮かべて懇願する彼の傍らに跪き、俺はそっと、その額に触れた。
「…ごめん…。でも、俺だって死にたくなかったんだ…」
俺は、呪いが発動したその瞬間に、07の魂を解き放った。
殺めてしまったとはいえ、せめて、苦しみは長引かせないようにしたかった…。
力が抜け、その場にへたり込んだ俺の背を、大きな手が支えた。
なんとか首を巡らせると、ビャクヤが労るような、そして安堵しているような目で俺を見据え、小さく頷いた。
「…殺せ…」
腕の傷を押さえ、膝をつきながらも、猫…04は、眼前に立ったビャクヤに鋭い視線を向けた。
「仲間を二人も失い、任務に失敗した以上、戻った所で処分は避けられない…。さぁ殺せ!」
こちらに背を向けているので、ビャクヤの表情は見えないが、困っているのだろう、太い指で頬をポリポリと掻いている。
「ビャクヤ…」
俺の声に、ビャクヤは僅かに首を巡らせた。
「なんとか…、殺さないでやれないか?彼女には二度も見逃して貰った…」
04は少し驚いたように目を見開き、俺を見つめた。その顔に、苦笑らしき微かな笑みが浮かぶ。
「…優しいのだな、少年…。だが、その優しさはいずれ君の身に危険を呼ぶ事にもなるだろう。悪いことは言わない、甘さは
捨てろ…」
「それはどうかな…?」
ビャクヤが静かに口を開いた。どこか面白がっているような口調で、白犬は04に語りかける。
「君の優しさがヨルヒコを生き存えさせた。そのヨルヒコが君の命乞いをしている。甘さと断じて切り捨てる事は簡単だけれ
ど…。どうだい?優しさは連鎖するだろう」
04は、今度ははっきりと判る苦笑を浮かべた。
「無意味な連鎖だがな…」
「無意味じゃないさ。帰れないなら帰らなければ良い。よそで僕らの事を漏らさないのなら、僕らも君をどうこうしようとは
思わない。君は自由だ」
「…自由…」
ビャクヤの言葉を口に中で反芻し、04は首を左右に振った。
「無理だ…。相麻に戻らなければ、私はどのみち死ぬ事になる」
猫は自嘲するように口元を歪めた。
「以前、同僚が脱走を企て、連れ戻された…。その事件の後に、我々の体内には脱走防止のために小型爆弾が埋め込まれてい
る。ライカンスロープでも確実に死ねる爆弾をな…」
「な…!?」
あまりのことに絶句し、俺は二の句が継げなくなった。
「特殊な信号によっておこなわれるタイマーの調整を受けず、24時間が経過すると起爆する。摘出しようとしても同じだ。
逃げた所で、私はあと12時間足らずの命だ…」
「なんだよ…、それ…?」
逃げれば、死ぬ?自由は、無い…?
「…相麻って…、あいつらって一体何なんだよっ…!?」
掠れた声を漏らした俺に、04は寂しげに微笑んだ。
「知るな。そして関わるな。できればこの地を離れ、相麻の目の届かぬ場所まで逃げろ…」
怒り。そして哀しみ。俺の胸の中で、二つの感情をくべられた銀の炎が、狂ったように燃え盛った。
例え成り立ちは違っても、彼女達も俺達の同族には違いない。
同族が受けている惨い仕打ちに、俺の中で、人狼の本能が怒り狂っていた。
おそらくそれは、人間としてのじゃない、獣としての怒り…。
俺は今、ついこの間まで自分が属していた、仲間の一員だと思っていた、人間達に対しての憎悪に心を満たされている…。
助けられないのか?二度も見逃してくれたこのひとを、俺は…、助けられないのかっ!?
しばらく黙り込んでいたビャクヤは、静かに口を開いた。
「その爆弾は、どんなものかな?種類や、起爆の仕組みは…」
ビャクヤの質問に、04は訝しげに眉根を寄せた。
「そこまでは解らない…」
「…構造が詳しく解らない以上、作用を否定するのは無理か…」
ビャクヤは顎に手を当てて呟く。
「爆発の規模は、どれくらいだい?」
「手榴弾以下の小規模爆発と聞いている。もっとも、体内で炸裂するのだ、ライカンスロープとはいえ、死は免れない」
「なるほど…。それで、その爆弾は何処に?」
猫は親指で自分のうなじを指し示した。
「輪の形状で、頚骨を取り巻いている。確実に死ぬよう、上半身と頭部を粉々に破壊するようになっている」
「そうか…」
ビャクヤは呟くと、僅かに腰を落とし、右手を後ろに引いた。
「なるべく苦しくないようにする。少しだけ我慢して欲しい」
「ビャクヤ!待ってくれ!」
思わず悲鳴に近い声を上げた俺に、04は微笑んだ。
「良いのだ少年…。爆破までの時間、死に怯えて過ごすより、一瞬で命を絶たれた方が、私にとっても幸せなのだよ…」
確かにビャクヤなら、苦しむ間を与えないで彼女を殺せるだろう。…けれど…、でも…!
「…行くよ?」
ビャクヤは狙いを定めるように右腕を僅かに動かした。
「そんな!?ビャクヤ!待っ…!」
俺の言葉が終わらない内に、ビャクヤの白い腕が、いや、全身が霞み、パッと赤い飛沫が舞った。
猫の脇を、閃光のように駆け抜けたビャクヤ。
首の横を大きく抉られ、崩れ落ちる猫。
その首から噴き上がり、宙で霧になる鮮血…。
大きく目を見開いた俺の耳に、ビャクヤの叫ぶような声が届いた。
「気をしっかり持って!頚骨は無傷だ!急いで止血!すぐ!」
その言葉が誰に向けられた物なのか、俺には一瞬解らなかった。
跪いた姿勢から、前のめりに倒れかけた猫は、手をついて体を支えた。その首から、吹き出していた血が、勢いを弱めて…?
死んで…、ない…!首を深く切られてるけれど、04は死んでない!
ビャクヤの手には、血まみれの、腕時計のような何かが握られていた。
あれが爆弾?ベルトのように見えるその部位が、頚骨に巻き付いていた部分だろうか?
ビャクヤは右手で爆弾をきつく握り込むと、そのまま地面に突き込んだ。
次の瞬間、大量に土砂が噴き上がった。ドムッという、くぐもった爆発音と、地面を揺らす震動と共に。
爆風に煽られ、飛ばされてきた04が、俺の傍に転がる。
飛んでくる土くれに、反射的に目を細め、腕で顔を庇った俺は、ハッとして顔を上げた。
「ビャクヤ!?」
何が起こったのか、俺は理解した。
04の首から爆弾を摘出したビャクヤは、爆弾を握り締めた自分の腕ごと、地面に打ち込んだ。
きっと爆発の威力を押さえ込む為だったんだろうけれど、それでも爆発はかなり大きい。爆心地に居たビャクヤは、どうなっ
た!?
まさか死んでしまったんじゃ…?そんな最悪の想像までしてしまったので、土煙の中でゆらりと影が動いた時、俺は心底ほっ
とした。
「…さすがに…、ちょっと、堪えたなぁ…」
粉塵の中からよろめき、現れたビャクヤは、ボロボロになっていた。
右目が潰れ、顔の半分が血で真っ赤に染まっている。
爆弾をつかみとって地面に埋めた右手は、手首から先が無くなっていて、骨の露出した傷口からは、ドクドクと血が流れ出
ていた。
オーバーオールは破れ、千切れかけたバンド一本で肩からぶらさがっている。
綺麗だった純白の被毛は焼け焦げ、所々で痛々しい火傷が、赤い傷口を晒していた。
「ビャクヤ…!」
俺はふらつきながら立ち上がり、ビャクヤに歩み寄った。
そして、彼の左腕を肩に担いで、ぼろぼろになっているその大きな体を支えた。
本物の犬のように舌を出して、浅く荒い呼吸をしながら、ビャクヤは苦笑いする。
「しばらく使っていなかったせいか…、爆風の否定が間に合わなかったよ…。君にトレーニングを施す前に、僕も勘を取り戻
さないといけなかったね…」
高速修復によって出血は止まりつつある。けれど、ダメージは大きい…。
それでもビャクヤは、呆然と俺達を見つめている04に笑いかけた。
「どうしたんだい?君は自由になったんだ。もっと嬉しそうな顔をしなきゃ」
04は、我に返ったようにはっと息を飲み、それから出血が治まった首を押さえた。
「…済まない…!」
深く頭を下げ、掠れた声で礼を言った04に、ビャクヤは左手を顔の前に上げ、チッチッチッと太い指を振り、微笑んだ。
「大事なヨルヒコを助けてくれようとしたお礼だ。この位は安いものさ」
ビャクヤによって取り除かれ、彼女の首から、相麻の死の枷は外れた…。
…ビャクヤ、ありがとう…。あんた、最高だよ…!