FILE12

「…結局何でもないのね?本当ね?」

フォウを見るなり何やら勘違いをし、飛び出していったカワムラは、しばらくしてビャクヤと一緒に庭先に現れた。

なにやらしつこい位に確認されているビャクヤは、心なしか昨夜以上に疲れているようにも見える…。

誤解が解けて機嫌が直ったのか、カワムラはビャクヤに笑いかけながら小屋のドアを潜った。

「あたしてっきり、ビャクヤが浮気して、別の女を連れ込んだのかと思っちゃったわ」

ビャクヤはえもいわれぬ奇妙な表情を浮かべている。

困っているような情けないような泣きたいような途方に暮れているような…、とにかくブルーな感じだ…。

「でも。次からは必ずあたしに許可を取ること。良いわね?」

「…う、うん…」

ビャクヤは垂れた耳を落ち着かなげにヒクヒク動かし、項垂れながら返事をした。

…ビャクヤの名誉の為に言わせて貰うが、二人はカワムラが一方的に婚約者と呼んでいる間柄だ。

カワムラ以外の女性を小屋に招いた事…、つまり、危機に瀕していた上、行き場も無くしてしまったフォウを泊めた事につ

いて、ビャクヤに非がある訳では決して無い。

…と、思うけれど…。俺だって怖いものは怖い。面と向かってカワムラにそんな事が言えるはずもない。

この小屋に集まるメンバーの中で、何の戦闘能力も持たない、普通の人間であるカワムラこそが、実は最強の存在だったり

する。ビャクヤはもちろん、俺だって逆らえはしない…。

「改めてよろしくね、フォウ。…でも、ビャクヤに色目でも使ったらただじゃ置かないからそのつもりで」

にっこりと笑みを浮かべながら言うカワムラ。

「案ずるな少女。彼は恩人だが、肥えてモサモサしている男は私の好みではない」

穏やかな微笑を返すフォウ。

…ひでぇっ…!

歯に衣着せぬというか…、馬鹿正直というか…、例え本心でも、もっとこう言い方ってものがあるだろうに…。

そっと横を見ると、…あ。ビャクヤ落ち込んでる…。

どんよりと重い空気を纏って項垂れているビャクヤの肩を、かけるべき言葉も思いつかないままポンと叩き、俺はぬるくなっ

た紅茶を啜った。…かなり渋い味に感じた…。



「…さて…、それじゃあ話を始めるとしようか…」

俺とフォウの顔を順番に見た後、ビャクヤはそう呟いた。

カワムラは気を利かせて席を外し、テラスで携帯を弄っている。

彼女なりに引くべき所をわきまえているらしく、自分が首を突っ込むとビャクヤが困ると察すれば、普段の強情さからは予

想もつかないほどにあっさりと引き下がる。

何だかんだでビャクヤに首っ丈なんだよな、あいつ…。きちんと気を遣ってる…。

「まずはフォウ。僕らには、相麻について知りたい事が色々あるんだ。質問に答えて貰えるかな?」

「もちろんだ。約束通り、私が知っている限りの全てを、包み隠さず話そう」

フォウが頷くと、ビャクヤは微笑して頷いた。

「ありがとう。それじゃあまず、君達人造のライカンスロープの事について知りたい。身体能力は僕らと変わらないし、能力

も使えるようだけれど、匂い以外に違いは無いのかな?」

「いや、大きく二つの違いがある。一つは、私達にとってのデフォルトフォームは、獣型ではなく、人型だという事だろうな」

フォウの説明によると、彼女達は俺達とは逆で、ライカンスロープとしての姿を取っている間にこそ心身に負担がかかるらしい。

だから、通常時は人間の姿を維持し続け、変身はほとんど任務中のみに限られるという話だった。

「二つめは能力の獲得だ。相麻は我々人造ライカンスロープを40体以上産み出したが、能力の獲得に至ったのは10名のみ、

実戦向きの能力となればさらに半分、5名のみ。私もその中の一人だな」

フォウは親指で自分を指し示して見せ、先を続けた。

「産み出す技術に問題があるのか、それとも他に問題があるのかははっきり判っていないが…、現在の相麻の技術で産み出さ

れる人造ライカンスロープは、能力を獲得できない場合が多いようだ」

「なるほど…。産み出すと言ったけれど、具体的にはどんな方法で?」

ビャクヤの問いに、フォウは紅茶を一口啜り、唇を湿らせてから話し始めた。

「人間に「ある薬剤」を定期的に与え続けて産み出される」

「薬剤?それはどんな?」

ビャクヤの問いに、フォウは目を細めてしばらく考え込んだ。

「確か…、獣化因子活性剤と呼ばれていたはずだ…。詳しく説明された事は無いが、資料を見て理解できた範囲で言うなら、

古くから存在する秘伝の技術によって精製された薬らしい」

ビャクヤは目を大きく見開き、身を乗り出した。

「もしかして…、相麻の施設内で、ドロドロのアメーバみたいな生き物を見た事無い?」

フォウは頷いてから、訝しげに首を傾げた。

「ああ、何度か見たが…。あれは危険だな、高熱処理でもしなければ殺せない。私も何度か非常召集を受け、水槽を破って逃

げたソイツを凍結させたことがある。君も知っているのか?アレは何だ?」

ビャクヤは不快そうに口元を僅かに歪めて牙を覗かせ、首を横に振った。

「生命の研究の結果の一つ…。失敗の成果だよ…。…錬金術は、誰の手にでもおえるようなものじゃないのに…。パラケルス

ス博士が聞いたら、心を痛める…」

何となくだけれど、ビャクヤは少し怒っているようだった。

…前にも口にしていたけれど、博士って、誰なんだろう…?

「遮ってごめん。話を戻そうか…」

 ビャクヤは軽く頭を振ると、フォウに視線を向けた。

「その薬を投与されると、どうなるのか聞かせてくれるかい?」

フォウはこくりと頷くと、さっきの説明の先を続けた。

「長い期間をかけて投薬を繰り返される内に、少しずつ体に変化が生じ、やがて変身能力を身に付ける」

「長い期間って、大体どの位なんだ?」

「個体毎に変化の進行速度は異なるが…、だいたいは一年前後だな」

俺の問いに、フォウはそう答えた。

「…もっとも、薬剤との相性が悪ければ、変化が生じる前に拒絶反応が起き、死に至る事もある。投薬開始から一年生き延び、

ライカンスロープとしての覚醒が起こるまでの間に、約七割が命を落とす」

「七割だって!?」

俺は思わず大声を上げていた。

「40人程度の人造ライカンスロープが居て、他に七割が死んでいるって事は…」

相麻がおこなっている実験、そのとんでもなく凄惨な実態に、全身の被毛がぞわっと逆立つ…。

「他にも、覚醒まで至った後に拒絶反応を起こして息絶える者も居る。覚醒した三割の約半数がそうして短期間で死ぬ。初期

段階ではさらに死亡ケースが多かったらしい。人造ライカンスロープ開発に伴う、潜在的な者も含めた犠牲者の総数は、およ

そ400強だ」

フォウの口から語られた、人造ライカンスロープを産み出すための犠牲者の数に、俺もビャクヤもショックを隠しきれなかった。

「そ、そんな…!まるっきり大量虐殺じゃないか…!」

「…自分達の同族も、探求の為の贄に捧げる。…か…」

憤りを隠せない俺の横で、ビャクヤは疲れたようなため息をついた。

「つくづく思うよ…。人間達は何を求め、何処へ行こうとしているんだろうね…」

フォウは俯き加減に首を横に振る。

「元は生粋の人間であるはずの私にも、それは判らない…。だが、相麻に限って言うならば、目の前に探求すべき物がある限

り、犠牲も消費も顧みず、盲進してゆくのだろう…」

そして彼女は、遠くを見つめるような目をして呟いた。

「私は、赤子の時より相麻に居た。物心がついてすぐに適性検査を受け始め、三年の検査期間を経て、投薬が開始された…。

覚醒したのは、七歳の時の事だ…」

「赤子の頃って…、フォウの両親は?何故赤ん坊の時から相麻の下にいたんだ?」

俺の問いに、フォウは哀しげに首を左右に振った。

「両親の事は解らない。相麻は世界中から身寄りのない者を集めているし、貧しい家庭から赤子を買い取る事もある。もしか

したら私も、そんな中の一人なのかもしれない」

「…そ、そんな…!?」

愕然として言葉を続けられなくなった俺に、フォウは微笑む。…寂しげな、痛々しい微笑み…。

「それでも私はついている方だ。投薬を生き延び、拒絶反応にも打ち勝ち、今こうして自由の身になれた…。死んでいった仲

間達に比べれば、幸運過ぎると言って良い…」

目を細め、顎を撫でながら思案していたビャクヤは、おもむろに口を開いた。

「君達は全員、相麻のこの町の施設内に?」

「…いや、通常は本社内で任務待ちの状態で待機させられている。私の部隊は全部で8名だが、元々この町へ送られていたの

は、03、05、06、07、08の五名だった」

フォウの答えに、ビャクヤは小さく頷く。

「君はいつから、何故この町に?」

「私がこの町に派遣されたのは、部隊の2名が死亡したので、その戦力補充としてだった。さらに2名が死亡し、私が戻らな

い以上、また本社から別のメンバーが送られてくるだろう。8名中5名を失ったからには、本社に残っていた二人の同僚が来

ると見て良いだろうな…」

ビャクヤは何かを考えている様子で、顎を撫で続けながら頷く。

「なるほどね。…もう一つ。相麻には、人造ライカンスロープ以外の戦力は居るのかい?」

「報酬を払い、雇っている人間の傭兵、それと、同じく雇われのライカンスロープが百名近く居るらしい。国籍も種もばらば

らの、外人が主となる混成部隊だが…」

ビャクヤはしばらく黙り込んだ後、小さく息を吐き出した。

「君の同僚達だけれど、解放すると交渉したら、説得に応じるかな?」

『何!?』

俺とフォウは声をはもらせ、驚いてビャクヤを見る。

白犬はガリガリと頭を掻きながら、困ったように眉根を寄せて口を開いた。

「いや、だって…。今の話を聞いたら、助けたくなるじゃないか…」

それは…、気持ちは判るけれど…。

「でもビャクヤ。助けるにはまたあの爆弾を…」

「そっちはもう問題無いよ。昨日直接触れて爆弾の構造は把握した。試しにやってみたら二つとも機能を停止させられたしね」

ビャクヤは笑みを浮かべ、マフラーのようなふさふさの毛で被われた太い首を、手で軽くさすって見せた。

「首に触れさせて貰って、爆弾の存在さえ感知できれば無力化できる。…ただし、同僚達が説得に応じる事と、邪魔が入らな

い事が前提になるけれどね」

「…厳しいな…。昨日の私がそうだったように、最低でも三人一組…、つまり同僚達以外の傭兵か誰かが一緒の状態で行動さ

せられる事になるだろう」

「そこだねえ…。ま、少し手を考えてみようか…」

俺とフォウは顔を見合わせ、それからビャクヤの顔を見つめる。

「…ところでビャクヤ。昨日も確かに二つは爆発しなかったけれど、爆弾を無力化って、どうやって?」

白犬は少し目を大きくして、それから何かを思い出したように頷いた。

「そういえば…、僕の能力の事、ヨルヒコにも詳しく話してなかったねえ…」

頷くと、ビャクヤはニッと笑みを浮かべた。

「アンタッチャブル。それが僕の能力の名前だ」



アンタッチャブル。

干渉否定とも呼ばれるその能力、ビャクヤの説明によれば、自分と、自分の創造物に対しての干渉を禁止する力らしい。

ビャクヤが否定した物は、彼自身とその創造物について影響を与える事ができなくなる。

その能力を受けた存在は、他の殆どの法則を無視して、ビャクヤの能力に強制的に従わされる。

つまり、解り易い例を挙げるなら、飛んでくる銃弾を否定すれば、弾はビャクヤの体を避けて飛ぶ。慣性を無視し、軌道も

捻じ曲げて。

降っている雪を否定すれば、ビャクヤの体を避けて舞い落ちる。重力も風も全く影響せずに。

かなり細かく作用について説明されたけれど、俺には難し過ぎて理解できなかった。まぁ、おおまかにはそんな具合らしい。

俺と初めて会った夜、人造ライカンスロープ達に使ったのもこの能力で、あの夜は彼らの脳内パルスの道筋から記憶野の…

なんだっけ?…自分に関わる電気信号…、…えぇと…。

うん。良くは判らないが、つまりは記憶を否定したらしい。

ただし、それは自分に関わる記憶を含んでいたからできた事だそうで、自分と全く関わり無い記憶については、能力の対象

にならないらしい。

まるで魔法のように便利そうに見えるけれど、この能力にはいくつかの制約がある。

一つは、干渉する対象についてビャクヤが良く知っておく必要がある事。

正体不明の良く判らないものや現象は否定できないらしい。

二つ目は、一度否定したなら効果は永続してしまう事。

うかつに否定すると、二度とそれとの干渉を持てなくなってしまうそうだ。

三つ目は、ビャクヤが声を発せられる状態である事。

この能力は、ビャクヤ自身が対象を意識した状態での「否定宣告」によって発動する。

つまり、うっかり寝言なんかで言ってしまっても大丈夫らしい。

四つ目は、発動の回数制限。

連続で使用できるのは5回。一度使い切ったら、一昼夜程度の時間を置かないと能力自体が発動しなくなる。

説明を聞いてある程度…、まぁ、だいたいの所を理解した俺には、絶対的な防御力を誇る無敵の能力に思えた

でも、使用には細心の注意が必要になる。そうビャクヤは言った。

「例として上げるなら、まず僕自身だろうねえ」

首を傾げた俺とフォウに、ビャクヤは微苦笑しながら、俺がずっと気になっていた、そして突っ込んで聞けなかった事の答

をくれた。

「この力の効果で、僕は人間の姿になれなくなったんだから」

「それは…、どういう…?」

戸惑ったように尋ねるフォウの横で、俺は思い出していた。

『僕はね、人の姿を否定したんだ…』

以前ビャクヤが言った言葉…。その意味が、今になってやっと判った…。

あれは、自分自身の人間としての姿を、能力によって否定したという事だったんだ…!

「な、なんで…、なんで人間の姿を否定するなんて、そんな事を…」

「背に腹は替えられず…、ってところかな」

愕然としながら尋ねた俺に、ビャクヤは穏やかに微笑んだ。

「後悔はしていないよ。人の姿と引き換えに、それ以上に大切なモノを護れたからね」

…改めて思う。…ビャクヤは強い…。

自分の事を捨ててまで、大切な物を護れる。

穏やかで優しい、普段はおっとりしているビャクヤは、そんな強靱な精神と覚悟を持っている。

自分より大切な物、そんな物を持っている者は、きっとそれなりに居るんだろう。

…でも、いざ選択を迫られた時、果たして躊躇いなく自分を捨てる事ができるだろうか?

そんな強さの覚悟を持つ者が、どれほど居るだろうか?

口ぶりから察するに、誰かの為に人間の姿を捨てたんだろう…。

「さて、これからの事だけれど…」

ビャクヤは俺達の顔を見比べ、それから口の端を少し吊り上げた。

「相麻を潰そうと思う」

…沈黙…。

俺も、フォウも、ビャクヤの言った言葉の意味が、脳の中ではっきり認識されるまで、数秒かかった。

「は?」

俺が間の抜けた声を漏らすと同時に、フォウは椅子を後ろに倒して勢い良く立ち上がった。

「無理だ!いかに君が強かろうと、相麻は巨大な組織!個人でどうこうできるような物ではない!」

「うん。確かに僕一人の力じゃ難しい」

ビャクヤは目を瞑り、腕を組んで頷いた。

「完全に潰すには時間もかかるだろうし、その間、ヨルヒコとケイコさんも何処かにかくまって貰わなきゃならないしね」

白犬からは、なんだかどこかがズレているような答えが返ってきた。

「私が言っているのはそういう事では無く、一人で挑んでも犬死にだと…!」

フォウの言葉を遮り、ビャクヤは片目を開け、フォウを見つめて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ネクタールって、知ってるかい?」

俺は聞いたことがない言葉だ。けれど、フォウは知っているらしく、小さく頷いている。

「ある程度は…。相麻のように製薬会社を母体とし、ライカンスロープを研究していた組織だな?確か、十数年前に壊滅した

と聞いている。数年前に小規模な組織として再興したが、それも二年ほど前に潰され、完全に消滅したはずだが…」

「へぇ、復活してたんだ…」

ビャクヤは少し驚いたように目を丸くした。

「二回目は知らないけれど、最初に壊滅させたのは僕」

さらりと言ったビャクヤに、今度はフォウの目が丸くなる。

「自慢じゃないけれど、本部潰しは僕一人でやったんだよ?その後の殲滅作戦は同志達の働きだけれどね」

フォウはハッとしたように目を大きく見開いて、ビャクヤの目を見つめた。

「…まさか…?ビャクヤ…、君の名は…!?」

「そう言えばまだ名乗っていなかったっけ…?フルネームは字伏白夜っていうんだ」

フォウは、ずいぶんと驚いているようだった。

「そ、そんな…?アザフセといえば、東京の重鎮、玉藻御前(たまもごぜん)の配下…、いや、片腕…!しかし人狼と聞いて

いたぞ…!?」

ピンと来た。人狼…。そしてアザフセ…。フォウが言っている人物は、たぶん…。

「へぇ。ずいぶん有名になったんだね…」

ビャクヤは少し嬉しそうに笑った。

先日、母に会いに来たビャクヤと一緒に風呂に入った時の事だ。

俺が背中を流している間に、ビャクヤは、自分がまだ人間社会に溶け込んで暮らしていた頃の事を、そして、その頃共に過

ごしていた弟の事を詳しく教えてくれた。

俺と同じ、銀色の体を持った人狼の弟の名前もまた、アザフセ…。

「そっちは僕の弟。それにしても、タマモさんの片腕として知られるようになったんだね?そうか、元気にやってるのかあ…」

ビャクヤは笑みを浮かべたまま、懐かしそうに目を細める。

…ビャクヤの弟も、やっぱり凄い人なんだな…。

「荒事は嫌いなんだけれどねえ。フォウの話を聞いた上で見過ごすのは、僕のささやかなプライドが許してくれない」

ビャクヤはすぅっと目を細めた。出会って以来初めて見る、険呑な光を両目に湛えたビャクヤの目…。

雄々しさと静けさが同居する、ただひたりと獲物を見据える獣の顔…。

俺が初めて見る、ライカンスロープ本来の獣性を覗かせる字伏白夜が、そこに居た。

「相麻は、以前僕が挑んだ組織よりもずっと巨大だ。巨大に成り過ぎている」

ビャクヤは呟くようにそう言った。

「今出ている被害者や犠牲者だけの問題じゃない。このまま規模が大きくなっていけば、近い将来、間違いなく、この国に住

まう全てのライカンスロープにとって、かつてない脅威になる」

声は静かだけれど、しっかりしていた。秘めた決意を黒い瞳に宿して、ビャクヤは続ける。

「それに、巨大化すれば次第に全貌を隠すのも難しくなって来る。ライカンスロープの存在自体が、相麻を通して世間に晒さ

れる可能性も出てくる」

一度言葉を切って、それからビャクヤはぼそりと言った。

「相麻は、潰さなければならない」

しばらくの間、部屋に沈黙が落ちた。

ビャクヤが本気な事は、俺にもフォウにももうはっきりと判っていたから。

「赤の他人の相麻の犠牲者や、見ず知らずのライカンスロープ達の為に、そこまですると言うのか?」

フォウの問いに、ビャクヤは首を横に振った。

「見ず知らずの皆の為になんて、考えてもないよ。この国の全ての同族の為に…。なんて大それた事は考えていないし、ガラ

でもない。ただ、その中に含まれる僕の大切な人達の為には、しなければいけない事なんだ」

白い巨犬は大きく一度頷いて、低い、でもはっきりした声で続けた。

「元を断つ。従わされているライカンスロープ達を解放して、被害の拡大を防ぐためにも、今回は他に打てる手が無い」

静かにそう言ったビャクヤに、フォウは声を震わせて尋ねた。

「出来るのか…?私の仲間を救い、相麻を止める事が…?」

「ま、簡単じゃあないけれど、やってみるさ」

ビャクヤは険がすっかり消えた、穏やかな笑みを浮かべてそう答えた。

「ならば!」

フォウは顔を紅潮させ、身を乗り出した。

「ならば私にも協力させてくれ!私とて仲間を救いたい!自分一人逃げ、身を隠したのでは、救ってくれた君達に顔向けでき

ない!」

「え?でも…」

少し困ったように眉根を寄せたビャクヤに、フォウはさらに言い募った。

「戦力は一人でも多い方が良いだろう?私はそこそこ内情に詳しい、施設の内部の構造も知っている。それに、私の命は君達

に貰ったものだ。いかように使われようと構わない!」

迷いのない、確固たる決意を滲ませた表情で、フォウはビャクヤに頭を下げた。

「頼む!この命、君達と仲間のために、躊躇い無く捨てよう!」

「じゃあダメだ」

さらっと、ビャクヤはそう応じた。

「な、何故だ!?」

大きく身を乗り出したフォウに、ビャクヤは目を細め、指をチッチッチッと左右に振った。

「こう言ってはなんだけど、僕が痛い思いまでして繋いだ命をそう簡単に捨てられたんじゃあかなわないよ。ちゃんと生き延

びるって約束できないなら、協力して貰う訳にはいかないなあ」

笑みを浮かべて言ったビャクヤに、フォウは虚を突かれたように口をぽかんとあけ、次いで小さく笑った。

「…判った。目的を果たした後も生き延びると、約束する。それならば構わないか?」

「うん。それなら、協力して貰おうかな」

「ビャクヤ!俺も一緒に戦う!」

もちろん、俺だって黙っていられる訳がない。

元はと言えば、ビャクヤを今回の騒動に巻き込んだのは、他でもない俺なんだ。

「俺だって戦える!ちゃんと戦力になれる!だから…」

「それはダメ。絶対ダメ」

俺の言葉を遮り、ビャクヤは首を左右に振った。

「なんでだよ!?」

「君には他にしなくちゃいけない事がある。それを果たして貰いたい」

立ち上がり、声を荒げた俺に、ビャクヤはそう言った。

「俺が…、しなきゃいけない事…?」

戸惑いながら尋ねると、ビャクヤはこくりと頷いた。

それからゆっくりと立ち上がり、俺とフォウの視線を受けながら、窓に歩み寄る。

大きな背中で窓から入る陽光が遮られたせいなのか、それともビャクヤが急に黙りこくったからなのか、リビングは急に薄

暗く、心なしか空気まで重くなったような気がした。

窓の外、テラスからカワムラが手を振ったのだろうか?ビャクヤはすっと、肩の高さに手を上げて応じる。

外を見ているからビャクヤの表情は解らない。

でも、何故だろう?その大きな背中は、何故か少し寂しそうで、そして哀しそうで…。

「…今度こそ仕方ないよね…。今まで十分に、好き勝手にやらせて貰った…。潮時か…」

低く、ぼそっと呟くと、ビャクヤは一つ頷いて、俺達に向き直った。

そして俺達の顔を交互に見遣り、いつもの調子に戻った声と表情で話しかけてきた。

「とりあえずは、事を起こす前にちょっとした仕込みが必要なんだ。悪いけど、今夜また君の家にお邪魔したい。フォウも、

念の為に付き合ってくれるかな?」

意味は判らなかったが、俺とフォウは一度顔を見合わせ、ビャクヤに頷いた。

俺に果たして貰いたい事…?一体、どんな事なんだろう?

それに、さっきの雰囲気…。ビャクヤ、何をするつもりなんだ?