FILE16
「…助かった…。済まないフォウ…!」
「…まだ、助かったとは言い難いな…」
俺の言葉に、フォウは固い声で応じた。
赤虎は目を細め、美しい桃色のライカンスロープの肢体を眺め回す。
「貴重な完成例…、生きていましたか…」
「ミスト…。カグラ…。よりによってお前達が来ていたとはな…!」
フォウが緊張を孕んだ声で呟く。
「どうやって爆弾を解除したのか…、確かめておく必要がありますね」
赤虎、フォウがミストと呼んだ相手は、獲物を前にした肉食獣のような目つきになる。
丁寧な口調と静かな雰囲気、その薄皮を一枚捲った所に、密やかに収められた殺意…。
被毛を透過して肌をチリチリと刺激するその殺意を、しかしフォウは真っ向から受け止める。
「傷の修復に集中しろ。私が時間を稼ぐ…!」
言うが早いか、フォウは地を蹴って虎に迫った。
広げた両手には白く輝く霜、冷気の塊が発生している。
フォウの能力、フロストメモリーは、手の平から超低温の冷気を発生させる力だ。
触れれば一瞬で対象を凍結させる事ができる。
余裕の笑みを浮かべ、迎え撃とうと腰を落としたミストの目前で、フォウはいきなり停止する。
その目前で、炎の華が咲いた。
「ちっ!」
攻撃を読まれたカグラが、無事な左腕を翳したまま舌打ちする。
やはりと言うか、凍結させられた右腕では、狐火を使えないようだ。
フォウは炎を目くらましにしてミストに接近し、冷気を発する左手を下から振り上げる。
舞い散る炎を裂いて接近し、繰り出されたその左手を、体を僅かに傾げてかわすミスト。
そこへ横合いから、脇腹めがけ、冷気を発散する右手が叩き付けられた。
しかしその手は、身を捌いたミストの腹を指先で掠めるに留まる。
が、掠っただけでも、フォウの力は熱を一瞬で奪い取る。ミストの鳩尾の辺りの被毛は、霜に覆われて凍り付いていた。
「…この短期間で、随分動きが良くなりましたね…?」
攻撃を捌きつつ訝しげに呟くミストの目に、僅かな警戒の光が宿った。
素早く、そして激しく、蹴りと拳、平手と爪を交錯させるミストとフォウ。しかし…、
「っつ!?」
先に苦鳴を発したのは、フォウの方だった。
ミストの左肩を狙って振るった右手が、肘と手首の中間から、異様な方向へ折れ曲がっている。
無造作に下から跳ね上げた左手、その甲であっさりとフォウの右腕を破壊したミストは、コマ落としのように中間が抜けて
見える程の速度で、フォウの左腕を掴んだ。
「くぁっ!?」
ベキャッと、嫌な音がして、フォウの左腕が虎の手の中で潰れた。
「フォウっ!」
「04っ!」
俺と同時に叫んだ03が、虎に向かって突進する。
「く…、来るな03!」
フォウが制止の声を上げたと同時に、03の体が炎に包まれた。
突然現れ、爆発的に燃焼し、消える炎。
俺が動かした視線の先で、カグラは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
一瞬で黒こげにされた03は、数秒間立ちつくした後、俯せにどうと倒れる。
「03!おい、03っ!」
俺の呼びかけにも、猪はもはやピクリとも反応を示さない。
動かない体に苛立ちながら、這いずって03に近付く俺を、ミストは下らない物でも見るような目で一瞥した。
そして、右手でフォウの腕を掴んだまま、左の拳を握り込み、その鳩尾に叩き付けた。
「ぐうっ…!?」
呻き声を上げ、ぐったりと動かなくなるフォウ。
そんな…、フォウでも子供扱いなのか…!?
ミストは握り潰した腕を掴んでフォウを吊し上げ、ぶらぶらと揺する。
「さて…、これは回収するとして…」
赤虎は俺に視線を向け、微かに口の端を吊り上げた。
「人狼は、検体としても標本としても貴重です…。殺して持っていきましょう」
「ならオレにやらせてくれよミスト。ここまでやられて黙ってられるか…!」
カグラが、無様に地面に這い蹲っている俺を憎々しげに見据える。
…悔しい…。
死への恐怖よりも、その思いの方が強かった。
…悔しい…!
目の前で仲間が傷つけられ、助けようとした03が倒れ、手も足も出ず、誰一人護ることの出来ない自分の不甲斐なさに、
怒りすら覚える。
カグラの左手が俺に向けられたその時、黒こげになって息絶えたかに見えた03の体が、もそっと動いた。
少し驚いたように目を見開いたカグラと、息を飲んだ俺の前で、03はよろよろと立ち上がると、両腕を広げ、仁王立ちに
なった。
肉と毛の焼ける匂いを全身から漂わせ、所々焦げて落ちた皮膚の下から生焼けの筋肉組織が露出し、両目が煮爆ぜた凄まじ
い形相で…。
まるで、まずは自分に止めをさしてみろと、カグラを挑発するように…。
半死半生の有様で、なおも立ち上がった03を前に、カグラは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「足りなかったんなら、もう一発くれてやるよ…!」
まだ息をしている事すら驚きなのに、もう一発食らったら、今度こそ03は死んでしまう!
くそっ!動け!動けよ、俺の体っ!
なんで、何で動かないんだよ!何のためにビャクヤに鍛えて貰ったんだよ!?
「おおおおおおおおおおおおっ!!!」
情けなさに涙すら流し、俺は咆吼を上げる。
正直に言うと、打つべき手が見えずに、俺は絶望に囚われかけていた。
だから、俺の声に応じ、周囲に響き渡ったその声を耳にしたその時、俺は自分の耳を疑った。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
その大地を揺さぶる怒声に、カグラは身を竦ませて首を巡らせ、ミストはフォウを放して素早く身構える。
木々の間を駆け抜け、枯れ葉と土くれを巻き上げ、大気を破砕するような凄まじい咆哮を上げながら突っ込んできた白い巨
躯は、衝撃波すら伴ってミストに迫った。
ゴッ、という鈍い打撃音。
激突し、跳ね上げられた赤虎は、宙で回転して体勢を整え、木の幹に爪を食い込ませて静止する。
地面に深々と溝を残して急停止したビャクヤは、素早く視線を動かして俺達の状況を確認すると、樹上のミストを見上げて、
「ドルルルルルッ!」と、獰猛な唸り声を発した。
「な、なんだ貴様!?」
自分に腕を向けたカグラを、ビャクヤは首を巡らせて一瞥した。
白犬の視線がひたりと向けられた瞬間、狐はビクリと身を震わせる。
「…邪魔をするなら…、殺すよ…?」
決して大きくはない、囁くようなビャクヤの声に、カグラの体がガタガタと震え出す。
初めて聞いた…。ビャクヤのこんな声…。
初めて見た…。ビャクヤのこんな冷たい目…。
恐ろしく低い、底冷えのするようなその声音には、押し殺した赫怒と、明確な殺意が込められている。
ビャクヤは…、あの穏やかなビャクヤは…、本気で怒り狂っていた…。
白犬はただの一瞥で萎縮させたカグラから視線を外すと、頭上のミストを睨み付けた。
「…自分の詰めの甘さに反吐が出る思いだ…。あの時、僕が取り逃がしてしまったばかりに…!」
長い前髪の奥から放たれる、突き刺すように鋭いビャクヤの視線を受けて、ミストは笑みを浮かべた。
憎悪に染まった、禍々しい笑みを…。
「…まさか…。まさかこんな所で再会できるとは思いませんでしたよ…!字伏白夜…!」
全身の毛を逆立て、鼻面に皺を寄せ、獰猛な唸り声を発しながら、白犬は両拳をギリリと握り込んだ。
「今度は逃がさないよ…。ブラッディ・ミスト!」
知り合いだったのか?
いや…、知り合いなんて穏やかな関係じゃ無いな…。以前から知っている敵同士…なのか?
ビリビリと大気を震わせるビャクヤの怒声に対し、ミストは口の端を歪め、嘲笑した。
「それはこっちのセリフですよ…。あの時の屈辱、晴らさせて貰いましょう…!」
赤虎の足下で木の幹が爆ぜ割れ、白犬の足下で地面が抉れる。
同時に跳躍した二人は、宙で激突した。
鳩尾めがけて繰り出されたビャクヤの右拳を、左腕と左膝でガードするミスト。
側頭部めがけて叩き込まれたミストの蹴りを、左腕一本で受け止めるビャクヤ。
真下から蹴り上げたビャクヤの右足に、ミストは固めた右拳を叩きつける。
衝撃で弾け飛んだ二頭の獣は、それぞれ木の幹に着地し、そこからまた跳躍して交錯する。
今度は下から振り上げたビャクヤの右拳と、上から振り下ろしたミストの踵が、それぞれ頭を庇った左腕と、胴の前で交差
させた両腕で止まる。
一撃毎に肉と骨を打つ衝撃音が響き渡り、周囲の二人が跳ね回る先で木が折れ、地面が抉れて行く。
目で追うのもおぼつかない高速戦闘の合間に、俺は仁王立ちしたまま動かない03の元へとにじり寄った。
猪は、立ったまま、気を失っているようだった。
全身黒こげで、酷い火傷を負っているけれど、…良かった!まだ生きている!
が、ほっとしつつ視線を動かした俺は、息を飲んで硬直した。
フォウの傍に、いつの間に接近したのか、カグラが屈み込んでいた。
「動くな!動くとこの女を殺すぞ!」
地面に四つん這いで着地したビャクヤは、フォウに、その傍らに立つカグラに視線を向けて、動きを止めた。
白い巨躯はあちこちが血で染まり、オーバーオールはズタズタで、胸には深い裂傷が横一文字に走っている。
少し離れた場所に降り立ったミストは、苛立たしげにカグラを睨む。
「カグラ…!余計な真似をしないで下さい…!」
赤虎もまた、ビャクヤ同様に血塗れだ。だが、あっちの方が傷は深い。
左の肩口は骨が見えるまで深々と抉られ、流血で赤黒く染まった左腕は、力なくだらりと下がっている。
右の脇腹も深く切り裂かれていて、左の太ももにも深い裂傷が見えた。
「…フォウを放せ…」
ぞわっと首周りの毛を逆立てたビャクヤが、ぼそりと、低い声で言う。
カグラは白犬の迫力に気圧されたように身を竦ませたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「おかしな真似はするなよデカブツ?こいつを脳ミソまで黒こげにするぜ?」
凍結していない狐の左手が、横たわったフォウの顔を鷲掴みにする。
ビャクヤは喉の奥から「ドルルルルッ…」と低い唸り声を発し、鼻面に皺を寄せた。
が、下手に動けばフォウの命がない事は明白だ…、悔しげに歯を噛み締めて、その場に留まる。
「一旦退こうぜミスト…。どうにも分が悪い…。人手を集めて出直しだ」
「必要ありません。私一人で…」
反論しかけた赤虎に、カグラは諭すように言い募る。
「変な意地張るなよ!いくらあんたでも、その傷じゃあ、もうまともに戦えないだろ!?な?悪い事は言わねえ。仕切り直そ
う…!」
ミストは苛立たしげに唸り声を漏らすと、ビャクヤを見据えて警戒しながらも、カグラの脇に移動する。
「勝負は預けておきますよ…。字伏白夜…!」
憎悪と赫怒のこもった呟きを漏らすと、ミストは意識のないフォウを担ぎ上げた。
「…ま、待て…!フォウを…どうするつもりだ…!?」
俺の発した声に、言葉では答えず、カグラは左腕を向けて応じた。
「危ないヨルヒコっ!」
飛びかかったビャクヤが、立ったままの03を押し倒しつつ俺に覆い被さるのと、これまでで最大の炎が噴き上がったのは、
ほとんど同時だった…。
「ビャクヤ…。痛むか…?」
俯せにベッドに寝たビャクヤの背に、俺は小瓶から出した、薬漬けの葉を張り付ける。
これはビャクヤが作り置きしている、薬草を使った外傷用の貼り薬らしい。なんでも火傷にも良く効くとか…。
顔を横向きにしたビャクヤは、
「ありがとう…、だいぶ良いよ…。…情けないねえ…。取り逃がしたあげく、フォウまで連れ去られてしまって…」
と、悔しげに呟いた。
あの二人がフォウを連れ去って姿を消した後、俺達は03を小屋に運び込んだ。
結局、あの狐火を目くらましに、ヤツらは撤退した。
負傷を押して後を追おうとしたビャクヤだったが、二人の消気術、それに、フォウに使わせていた消気水があだになり、痕
跡を追うことができなかった…。
特大の狐火から俺達を守ったせいで、ビャクヤの背中は筋肉組織まで焼け爛れている。
切られた胸の傷は塞がったものの、背中の傷は深くまで焼かれているせいで、死んだ細胞が邪魔になり、修復が思うように
進まないらしい。
「…情けないのは、俺の方だよ…」
ベッドの脇で椅子に座り、俺は耳を伏せて項垂れた。
追跡にも気付けず、手もなく捻られたあげく、助けに来てくれたフォウがさらわれてしまうなんて…!
「あの、猪の彼の具合は?」
「さっき目を覚ました。意識もはっきりしているから、たぶんもう大丈夫だろう」
03の火傷は、それはもう目を覆いたくなる程に酷い物だったが、命は取り留めた。
今は女性用ベッドに寝せているけれど、必死になって傷を修復している。
時間はかかりそうだったけれど、まずは一安心といったところだな…。
俺の方は、体力こそ消耗したものの、拾って来たずたぼろの右腕をくっつけ、背中の傷も塞ぎ、外傷の修復は終わっている。
「…惨敗だね…」
自嘲気味に呟いたビャクヤは、ギリリと歯を噛みしめ、枕を顎で押し込んだ。
「…ビャクヤ…」
口を開いた俺に、白犬は目だけ動かして視線を向ける。
「あの、ミストっていう虎、何者なんだ?前から知っていたみたいに見えたけれど…」
ビャクヤは目を細め、僅かに唇を捲り上げる。
「通称ブラッディ・ミスト。…殺し屋さ…。僕らの世界じゃそれなりに名前が知られている。十数年前、僕が住んでいた街に
もやって来た…」
「…殺し屋…」
「うん。僕らの縄張りでも「仕事」をしてね、同志に協力してくれていた人物が暗殺された…。その報復の為にミストを追っ
た狩人が二名、周辺を探った同志が五名殺されたよ…」
ビャクヤは悔しげに顔を歪ませた。
「僕はあの時、一度はミストを追い詰めながら、みすみす取り逃がしてしまった…。まさか今になってそのツケが回ってくる
なんてね…」
「でも、あいつはビャクヤに勝てなかった。そうなんだろ?」
俺の言わんとしている事が判らなかったのか、ビャクヤは訝しげに目を細め、それから小さく頷いた。
…そうか…。ビャクヤより強いならどう足掻いても不可能だけど、これで少しは希望が持てた…。
「ビャクヤ。俺は…」
そして俺は、自分の意思を、引けない決意を、義兄に打ち明けた。
「おおまかにはこんな具合だ」
03はそう言って、話を締めくくった。
死の枷である爆弾を解除され、自由の身になった猪は、薬草を全身にベタベタと貼り付けた上に、不慣れな俺が包帯を巻い
た事もあって、出来損ないの太めのミイラ男とでも言うべき姿になっている。
新たな協力者である03の説明が終わると、俺とビャクヤはテーブルに広げられた図面を目に焼き付けた。
何枚もの紙を貼り合わせて作ったこの図面は、03が書き記してくれた相麻の工場の見取り図だ。
はっきり言って、無茶苦茶驚いている。
俺達地元住民が知る、この町に建てられた真新しい、巨大な相麻の工場…。
その下には、地上に見えている部分を遙かに超える規模の、地下施設が広がっていたんだから。
「ここ…、研究棟と言ったかな…。フォウはここに?」
ビャクヤの問いに、03は苦しげな顔で頷く。
「おそらくは…。爆弾を解除した手段を確認するために検査されているだろう」
少なくとも、フォウはすぐには殺されないはずだと03は言った。
フォウが生きたまま連れ帰られたのは、恐らく尋問の為だという話だ。
つまり、爆弾をどうやって取り除いたのかが確認されるまでの間は、フォウは生かされている…。
「もう少し準備を整えてから行動を起こしたかったけれど…。仕方がないな…」
呟いたビャクヤに俺は大きく頷いた。
本当なら、もっと入念に準備し、俺と母がこの町を離れた後、ビャクヤとフォウでおこなうはずだった襲撃…。
だが、こんな状況になってしまっては、悠長に準備している暇なんて無い。
時間をおいてはフォウの身が危険になる。
一刻も早く行動に移らなければならないんだ。
「…最後にもう一度聞いておくよ。…本当に良いんだね?03、そしてヨルヒコ」
ビャクヤは俺達の顔を順番に見回した。
俺も、03も、迷い無く頷いてそれに応じる。
「…じゃあ、これから奇襲作戦の内容について説明するよ…」
ビャクヤの呟くような声に応じるように、外でフクロウがホウと一声鳴いた。
風もなく、山は異様に静まりかえっている。
厚く雲が垂れ篭め、月の見えない今夜の内に…、フォウと、その仲間達を救い出し、この町の相麻の工場を叩き潰す!
「ダメだ!」
約四時間前、俺が作戦への参加を志願した時、痛みに顔を顰めながら身を起こしたビャクヤは鋭く言った。
「良いかい?君にとって最も優先しなければいけないのは、お母さんと一緒にこの町を離れる事だ。顔を覚えられた以上、一
刻も早く行動に移らなくちゃいけない!」
予想した通りの答えだった。簡単に許可してはくれないだろう事は判っていた。
…でも、今回ばかりは絶対に引き下がるわけには行かないんだ!
俺はベッドに座っているビャクヤを見下ろし、問いを発した。
「ビャクヤ。死ぬより辛い事って、あるか?」
俺の問いかけは予想外だったんだろう。ビャクヤは訝しげに目を細め、俺をじっと見つめた。
「この間、ビャクヤと契りを結ぶまでの俺には、まだどこかに甘えがあった。自分が人狼だと知って、それでもまだ受け入れ
切れていない部分があった…」
真っ直ぐに見つめ返す俺を、ビャクヤは無言のまま見つめてくる。
「…俺は…、この期に及んでなお、俺の本質は人間なんだと、争い事に巻き込まれているのは一時的なものなんだと、心の何
処かでそう思い込もうとしていた…」
拳を握り込み、牙を噛みしめ、俺はビャクヤに内心を吐露する。
「でも、違うんだ…!人狼の、ライカンスロープの宿命をいくら否定した所で、宿命の方が俺を放っておいてはくれない…!
牙を剥かなきゃ生き残れない…!爪を振るわなきゃ大切な者も守れない…!これから俺が生きていくのは、そんな道だったの
に…!」
ビャクヤは辛そうに目を伏せたが、俺は止めなかった。
「本当は知っていた…。気付いていたんだ…!護身の為と、色々な事を教えてくれながらも、本当は…、ビャクヤが俺に、普
通の人間として生きて欲しいと願ってくれていた事も…!争いとは無縁に過ごして欲しいと思ってくれていた事も…!俺は、
そんなビャクヤの気遣いに甘えていたんだ…!」
敵を殺す。これまで、明確にそれを意識した事はなかった。
三人も殺めておきながら、俺はそれでも甘ったるい幻想に縋ろうとしていた。
それでは駄目なんだと、心の何処かで理解しながらも…。
「もう迷わない!躊躇わない!俺は人狼として、ライカンスロープとして、仲間を救い出しに行く!ビャクヤが何と言おうと
フォウを助けに行く!例えこの手で何人殺める事になっても、立ち止まらない!」
「ヨルヒコ…」
「今動かなきゃ、きっと死ぬまで後悔する…!俺は…フォウが…、フォウを…喪いたくないんだ!」
たどたどしく、不器用に吠える未熟な狼を前に、白犬は静かに、大きく息を吐き出した。
「…人狼の血は、やっぱり濃いね…。幸か不幸か、僕らはその血を支配し、同時に支配される事で生きている…」
呆れたような、そしてどこか寂しそうな顔で、ビャクヤは呟いた。
今日見せたように、ビャクヤの根底にも荒々しい獣が潜んでいる。
ビャクヤの中に流れる、半分の人狼の血と共に…。
「いつまでも仔狼で居るわけもないか…。目覚めたばかりとはいっても、もう18なんだもんね…」
ゆっくりと立ち上がると、ビャクヤは俺の肩をポンと叩いた。
「僕にも、たぶんあるよ…」
「え?」
聞き返した俺に、ビャクヤは微笑んだ。
「死ぬより辛い事さ。弟達に先に死なれるのは、自分が死ぬより辛いだろうね」
…やっぱり、駄目なのか…?何と言えばビャクヤの心を動かせるんだろう?
苦悩する俺に、
「同じくらい、アサヒちゃんを喪うのも辛いだろうとも思う…」
ビャクヤはぼそっと、そう言った。
「…だから、ヨルヒコの気持ちは、良く解った…」
驚いて目を見開いた俺に、ビャクヤは片方の眉を上げ、人の悪そうな笑みを作る。
「惚れた女をほったらかしにして、自分だけ逃げる訳には行かない。か…」
「い…、いつから…!?いつからそれを!?」
まさか気付かれているとは思いもしなかった俺は、思わずビャクヤの腕を掴んで揺さぶっていた。
「僕の鼻を甘く見て貰っちゃ困るなぁ?おおまかな心の揺らぎくらい、掴むのは簡単さ」
悪戯っぽく笑った白犬の前で、俺は耳を伏せ、尻尾を股の間にしまい込んで項垂れた。
…どうやら、ビャクヤを相手にしたら、プライバシーの保護は成り立たないらしい…。
「…ヨルヒコ…。そこまで言うなら、僕はもう反対しない」
ビャクヤは、項垂れたままの俺の頭を、大きな手でくしゃっと撫でた。
「ケイコさんには、ちゃんと話せるかい?」
「ああ…」
ビャクヤはベッドサイドに置いていた携帯を手に取り、俺に差し出した。
「返すよ。とても便利だった。ありがとう」
頷いて受け取った俺は、母と話をした。
家には帰らず、山にも来ず、ホテルに部屋を取って待っていて欲しい。
必ず帰るから、迎えに行くから、と…。
「…作戦は以上。質問はあるかい?」
作戦についての細かい説明を終えたビャクヤの問いに、俺と03は首を横に振った。
「済まないと思うけれど、これしか思い浮かばなかった。それぞれかなり危険な目に遭うと思うけれど…」
「最も危険な目に遭うのは貴方だろう?ビャクヤさん」
03はそう言って口の端を吊り上げ、太い牙を根本まで見せた。
「私の方は心配無用だ。必ずや目的を遂げてみせると約束する…!」
「うん。悪いけど、頼むよ03」
「ああ。命を救ってくれた恩に加え、仲間の解放への力添え…。この恩義には、全身全霊を持って応えさせて貰おう!」
先程爆弾を取り去られた太い首をさすり、03は力強く頷いて見せる。
微笑んで頷き返したビャクヤは、次いで俺に視線を向けた。
「任せてくれ。もう、覚悟はかたまってる」
その返答を聞いてしっかりと頷いてくれたビャクヤに、俺は不安と怖れを押し殺し、精一杯に強がって、笑って見せた。
…いよいよ、開戦だ…!