FILE22

シベリアンハスキーにワニ、そしてガゼル。

相麻の傭兵らしい三人のライカンスロープと俺は、工場の屋根の上で対峙している。

時折、左側に広がる、夜の海から強い風が吹きつける中、短い硬直を破り、ハスキーが一歩踏み出した。

暗くて良く見えなかったけれど、ハスキーの周囲に細かな何かが舞っている。

衛星のように犬の周囲をフワフワと巡っているのは…、小石?

さっき屋根に穴を開けたのは、もしかしてアレなのか?

親指の先程の大きさの小石は、能力で操られてるのか、犬の歩みにあわせて移動し、周囲を巡り続けている。

「ヘイ!…………アップ!」

??????????

ハスキーは英語で何か言った。

…が、自慢じゃないが…、本当に自慢じゃないんだが…、俺、ヒアリングが苦手…。

英語の成績も良く無い。っていうかむしろ悪い。つまりはハスキーが言った事も良く解らない。

たぶん、降参しろとか、そういう感じだろうか?

「のー!」

思いっ切り日本語な発音で、俺は拒否の意思を示した。

同時に、ワニとガゼルがハスキーの左右に展開する。俺を中心点にして、三人は遠巻きに取り囲みにかかった。

もちろん、大人しく囲まれてやる義理も余裕も無い俺は、三人の動きに注意しつつ後退する。

ワニはたぶんそれほど速くない。ハスキーはまぁまぁ速いだろう。問題はガゼルの方だ。

…細身の草食獣か…。たぶんスピードのあるライカンスロープだと思う。俺よりも速かったら厄介だな…。

まずは、俺の後ろ側、隣接してる倉庫の屋根に飛び移って、後は…一目散に逃げる!

三人一緒になんて、相手してられるか!

追いつかれたらその時だ。少なくともワニぐらいは置いてけぼりにしてやれるだろう。

逃走を念頭において位置を調節した俺は、後ろ向きに跳躍すべく、脚をたわめた。

が、ハスキーの動きに気付いて、寸前で跳躍を中止する。

かなり距離はあるものの、ハスキーは、俺に向かって手を翳していた。

その手の動きに導かれるように、小石が前方に集まり、そして物凄い速度で飛んで来た。

右にステップした俺の脇を、風を裂いて五つの小石が飛び過ぎる。

危ない!跳んでいたら空中に居る所を狙い撃ちだった!…って…また来た!

続け様に撃ち出された第二波の三発が、身を屈めた俺の肩と頭、耳の先を掠めて飛んで行く。

…いや、まだだ!

俺は左側に身を投げ出して、五発同時に放たれた三射目を避ける。が…、

「…っつぅ!?」

屋根の上を転がって身を起こした俺は、右腿を手で押さえた。

浅く裂けた太ももから、ジクッと血が滲む…。

周囲を確認すれば、石つぶてに翻弄されている間に、ガゼルとワニは俺の左右に位置を移している。…っくぅ…まずった…!

…それにしても、あの石ころ、飛び方が何だかおかしいぞ?真っ直ぐじゃない。軌道が途中で変わっていた?

急激に角度を変えた石つぶては、完全に射線から身をさばいたはずの俺の太ももを掠めて行った。

原理は判らないが、これは以前、ビャクヤに教えられた中にある能力だ。…確か…。



「そくてーぶっしつかんきょー?」

「いや、特定物質干渉…、ね?」

耳慣れない言葉に首を傾げた人狼に、フサフサの毛に覆われた白犬は苦笑いして見せた。

小屋の前、地面が剥き出しになっている場所に胡坐をかき、訓練を終えた後の俺達は、休憩しながら向き合っていた。

「例えばそうだね…。君やフォウは、特定の「現象」を操る能力を持ったライカンスロープだ。これは解るかい?」

「えぇと…、俺の場合は呪いで…、フォウは温度…、いや低温?」

「そういう事。呪縛する。温度を下げる。一見すると、二人ともモノに対して力を使っているように見えるかもしれないけれ

ど、実際には対象そのものに干渉しているんじゃなく、現象を引き起こしているんだ」

なんとなくだけど理解して、俺は頷く。

「そういったタイプの能力とは別に、特定の物質そのものに干渉する能力も存在する」

「特定の物質って…、例えば?」

ビャクヤは腕組みしたまま、体を逸らすようにして空を見上げて、何事か考え込んだ。

「…そうだねぇ…、例を挙げるなら水や空気とか…、他には石や金属なんかの鉱物とかかな?」

「…ごめん。イマイチ良く解らないんだけど…、物に干渉するって、具体的にはどういう?」

首を傾げた俺に、ビャクヤは傍に転がっていた小石を拾い上げて見せた。

「例えば、石に干渉する能力の場合だけど…。この石を念じた通りに動かす事ができるんだ。「飛んで相手を襲え」「弾けて

傷つけろ」「自分の周りで盾になれ」という具合にね。飛ばして弾丸にも、自分の前に集めて盾にもできる」

ビャクヤは人差し指の上に乗せた角ばった石を、器用に角で立たせて、バランスを取りながら続ける。

「もっとも、そういった能力も、せいぜいは手に収まるような小さな物を、同時に十個かそこら、動かす程度だけどね。それ

こそ、一抱えもあるような岩や、数え切れないほど無数の物を同時に動かすのは難しい。能力を発動させる脳内の部位、そこ

の処理限界の問題でね」

ビャクヤは指先で弄んでいた石ころを、俺に向かって跳ねさせた。

胸元に向かって跳んで来た小石を、右手でキャッチした俺に、

「たぶん、世界中探し回っても、そんな芸当ができるライカンスロープなんて数人しか居ないんじゃないかな?」

と、ビャクヤは再び腕組みをしながら付け加えた。

「超能力者の、念動力みたいな?」

首を捻りながら言った俺に、白犬が微笑む。なんだか面白そうに。

「近いかもね。それを特定の物質限定でやってのけるのが、そのタイプの能力さ」

「物を好き勝手に動かせるって…、俺の呪いの力なんかより、ずっと便利じゃないか?」

「まぁ、呪いの強力さは、呪いを受け付けない僕やヨルヒコには実感し難いものだけれど…、実際には、対ライカンスロープ

としては最強の部類に属する力なんだよ?」

そうかなぁ?ビャクヤの言うとおり、やはり呪いの力の強力さを実感できない俺は、首を反対側に捻る。

「…ところで、ビャクヤの力は現象の方なのか?それとも物質?」

尋ねた俺に、ビャクヤは困ったように眉根を寄せた。

「僕自身は一種の現象に近い力って感じているけれど、微妙なんだよねぇ…。先例が少ない力だから明確な分類もされてない

し…。否定する対象には制約が無い。現象も物質も、命じれば否定できる。自分に干渉してくる物や現象に対しての、どっち

つかずの受身の力…。まぁ、主体性が無い能力だからねぇ」

「う〜ん…。否定現象を起こす能力?」

適当に言葉を作って言ってみた俺に、ビャクヤは困り顔のまま問い返す。

「その否定現象って、何?」

「いや、思いつきで言ってみただけ…」

頭を掻きながらそう応じたら、ビャクヤは長い前髪の奥の目を細めて、可笑しそうに「ははっ」っと笑った。

「ビャクヤー!イミナー!準備できたわよ〜!」

声に振り向けば、小屋の入り口のドアを開け、カワムラとフォウが顔を出していた。

「豚汁なんて久し振りだなぁ…。う〜ん!美味しそうな匂い!」

「うむ。自信作だ」

鼻をヒクヒクさせながら顔を綻ばせたビャクヤに、フォウは真面目腐った顔で頷く。

「フォウ、料理得意なのか?」

ちょっと意外に思って訊いてみたら、

「いや、豚汁製造に挑むのは今日が初めてだ。というよりも、まともな料理への挑戦自体が初の試みだが」

と、フォウは真顔で応じた。

…今…自信作って言ってたよな…?それ、何を根拠に…?

だ…、大丈夫だよな?カワムラとの合作だし…。

腰を上げた俺達は、尻の土を払いながら、小屋に向かって歩き出した。

言いようの無い不安に駆られている俺とは対照的に、隣を歩くビャクヤは、えらく嬉しそうにニコニコしていた。

「ところでさ。さっきの話の続きだけど、物質に干渉する能力って、何か弱点とか無いのか?相手にするとしたら、どんな事

に気をつけなきゃいけない?」

「そうだねぇ、対策としては…」

並んで歩きながら顔を見上げた俺に、義兄はいつものように、穏やかな口調で語り出した。



ハスキーの周囲を、衛星のように旋廻している石つぶて。その数8個。

小石の動きに注意しながら、俺はぐっと身を屈めて、足に力を込めた。

左右から俺を狙うガゼルとワニも、動きに気付いて身構える。

細心の注意を払わなきゃいけないけれど、やるべき事はいつもと同じ…。

初めて相手にするタイプではあるものの、乗り切れる相手だ。

ハスキーの目が、蒼く怪しく輝き、石の軌道が複雑化し、旋廻速度が上がって行く…。

さぁ、覚悟を決めろ!行くぞヨルヒコ!

ガゼルとワニが、同時に地を蹴った。

二人が到達する前に、俺は弾丸のように跳んでいる。前へと。

他の二人には目もくれず、真っ直ぐに自分目掛けて突進する銀狼を前にして、ハスキーは腕を前に翳した。

即座に撃ち出される無数の石つぶて。

次々と襲い掛かる、ハチのように危険で素早いソレらに、多少のダメージ覚悟で正面から飛び込んだ。

肉を切らせ、皮膚を抉らせ、時には被弾しながら、駆ける脚は緩めずに、前傾姿勢でハスキーに突っ込む。

この手の能力の弱点。それは、対象を操作しようとすれば、それなりの集中力が要るという事。

ビャクヤから聞いた話では、操作しながらの肉弾戦なんて真似は、極めて難しいらしい。

つまり、距離を詰めてしまえばこっちのもの。

ついでに言うと、ガゼルやワニは前に出ているのに、ハスキーだけは距離を維持したまま攻撃を加えようとしていた事から

も、操作しながらの戦闘が難しい裏付けになってるような気がする。

…もっとも、これは突っ込んだ直後に思った事だけど…。

数箇所に結構手痛いダメージを負いながらも、躊躇い無く加速して自分に迫る銀狼を前に、ハスキーの顔が驚愕に歪んだ。

そして、その瞳に迷いが生まれる。

距離をとって能力を使用し続けるか、それとも肉弾戦で迎え撃つか。

その二択に時間をかけたのが、ハスキーの敗因だった。

後ろへ跳んで距離を取ろうとしたのか、少し身を屈めたハスキーめがけ、元々極端に前傾姿勢だった俺は、完全な四つ足の

走行に切り替える。

インパルス・ドライブ!

加速を維持したまま、両手両足の爪を屋根に食い込ませ、瞬間的に亜音速の領域に踏み込んだ俺は、弾丸のように跳ぶ。

銀色の砲弾になった俺は、跳躍直後のハスキーに、肩口でタックルをお見舞いした。

ハスキーの胸の真ん中に、骨格強化した右肩が当たる。

抱きかかえられるような形でハスキーの懐に飛び込んだ俺に、ヤツの肋骨が粉砕されて、内臓が押し潰されていく感触と音

が伝わって来る。

大量に喀血したハスキーを吹き飛ばして、いくらか減速した俺は、腕を伸ばして、爪の先をかろうじて屋根にひっかけ、長

く溝を作りながら停止した。

胸部をベッコリ潰されて、胴の厚みが半分くらいになったハスキーは、そのまま倉庫の下へと落下して行った。

衝撃が残って右肩と腕が痺れて、石が被弾した右の腿と腰、左脇腹がずきずき痛む。

石…、脚のは貫通したけど、左の脇腹のと右腰のは、中に残ってるな…。

切り傷や抉り傷に至っては、確認するのも面倒なほどに負っているけど、そっちは動作に支障が出るほどじゃない。

インパルス・ドライブの副作用で、腕と脚が少しヒクヒク言ってるけど、まだ大丈夫だ。

ダメージの確認を簡単に済ませながら、顔を上げる俺の目に、突進して来るガゼルの姿が飛び込んできた。

距離は十分、ここはゆうゆう避けられる…。

素早く横にステップして回避する準備をしつつ、どう反撃するべきか、次の一手を考え始めた俺は、目前に迫ったガゼルで

はなく、何故かワニの方が気になって、ちらりと視線を動かした。

…あれ?居ない!?

いや、今は目の前のコイツに集中だ!ワニはトロそうだから、こいつさえ仕留めれば、逃げに移っても大丈夫なはず…。姿

が見えなくなったワニの事は、まずは後回しだ。

頭を下げ、角で突きかかってきたガゼルの攻撃をサイドステップで回避しつつ、素早くヤツの左手に回りこんだ俺は、その

脇腹を右足で蹴り上げる。

その脚が、何故か宙でピタリと止まった。

何かで挟み込まれたような感触と共に、ビクともしなくなった俺の足は、膝周辺が、なぜか透けていた。

透けて、その下の倉庫の天井が見える?…いや、違う。天井と同じ色の何かが、俺の足の上に…?

「がぁああああっ!?」

遅れてやって来た激痛に、俺は絶叫を上げた。

右足に、膝の辺りに、何かが食らい付いてる!?

暴れる俺の動きで、天井と同じ色だったソレも少し動き、おぼろげながら輪郭が判った。

すすけた茶褐色のソレに目が現れ、ギョロっと俺を見る。

それは、天井と同じ色になったワニ…!

これは、姿を消す能力?いや、厳密には体表の色を変化させる能力?

どちらにしても、気配と匂いを完全に消して接近していたワニは、俺の脚をしっかりと咥え込んでいた。

凄い力で噛み締められた右足が、メキメキと悲鳴を上げるのが、はっきりと聞こえた。

ペキペキベキャッと、湿らせた雑巾に包んだ割り箸を纏めてへし折るような音が、倉庫の上で響いた。

その強力な顎で、骨が砕けた脚を咥えたまま、ワニは頭を振って俺を振り回した。

激痛にのたうちたくても、人形のように振り回される俺には、自由は無い。

激しく振り回され、何度も天井に叩きつけられ、気が遠くなる。

頭を両腕で抱えてガードし、必死に意識を繋ぎ止める俺の体が、不意に自由になった。

宙に放り出され、平衡感覚を失って、受身も取れずに天井に叩きつけられた俺は、口を大きく開け、声にならない絶叫を上

げる。

俺の…、俺の右足が…!太腿の半ばから食い千切られた!

脚を両手で押さえ、のた打ち回りながら、必死になって止血する。

俺の右脚を噛み千切ったワニは、それを足元に吐き捨てると、大きな顎を僅かに開けて、目を細めた。

人間とはあまりにも頭部の形が違うから、いまいち自信がないけど、たぶんこれは…、嗤ってる…のか…?

ワニは太い尾を振ると、四つん這いになり、再び天井と同化する。

四つん這いの状態での移動は、俺が思っていたより速いらしい。

その証拠に、かなりのスピードで突っ込んできたガゼルと同時に、俺に迫っていた。

ガゼルの方はと言うと、軽快な足取りでワニが消えた辺りに戻って来ている。

景色に溶け込むだけでなく、気配や匂いまで消してしまうワニの能力は厄介だ。

その上、ガゼルの能力はまだ解らない…!

ガゼルは俺を正面に捉えると、頭を倒して、また突撃の姿勢に移る。

…やばい…。なんとか止血したけど、一本足じゃあ避けようが…!

対処方法を考える余裕すら与えてくれずに、ガゼルは突っ込んで来た。

身を起こしかけていた俺は、咄嗟に両腕を交差させて、胸と顔面を庇う。

正面から頭突きを食らった瞬間、交差させて受け止めた両腕に、角が突き刺さる痛みと、激突の衝撃とは違う何かが、ビリッ

と走った。

痺れ…、いや、振動!?

ビリビリと、痛みを感じるほどに皮膚が、筋肉が、骨が震え、強化した両腕の骨があっさりへし折れる。

腕に突き刺さったガゼルの角が高速で振動して、硬くしたはずの骨を破壊してしまった。

痛みよりも驚きの方に心を支配されながら、ガゼルの突進の勢いで、俺は軽々と宙に跳ね上げられてしまった。

錐もみ状態で宙に舞い上がった俺は、天井と同じ色の何かが、落下地点に向かって移動しているのを、かろうじて確認する。

やばい!と思った次の瞬間には、落下して行く先の地面で、唐突に、真っ赤な口が大きく開いた。

まずい!まずいっ!あの力で胴にでも食いつかれたら確実に終わる!

でも、宙でいくらもがいても、落下地点は変わらない。

落ちて行く先には、ついさっき俺の脚を噛み千切った、ワニの、血塗れの大顎が…!

…血塗れ…?

為す術も無く、ワニがあけた大顎めがけて落下して行きながら、俺はその事を思い出した。

そうだ。俺の血は、武器になるんだ…!

意識を集中し、俺は自分の体から離れた、俺自身の一部に呼びかけた。

「るおおおおおぉぉぉっ!!!」

俺が必死に張り上げた叫びと同時に、ワニの大顎が黒い炎に包まれる。

「ギオオオオオオオオッ!?」

凄まじい絶叫を上げながら、ワニは口内で燃え上がった呪いの炎に焼かれ、仰け反った。

音も無く燃える呪いの炎に焼かれている箇所から、皮膚と鱗が裂け、崩れ、瞬く間に血が滲み始める。

集中が途切れたのか、一瞬の内に、ワニの体の色が元に戻った。

そして、落下する俺の前には、のけぞり、無防備にさらけ出されたワニの喉…。

考える前に、俺は四肢の内で唯一無事な左足、その爪を硬質化させていた。

鋭く、長くなった狼の足の爪が、ワニの顎の下から下腹部にかけてを、落下の勢いで切り裂く。

無様に転がって着地した俺のすぐ傍で、ワニは切り裂かれた喉をかきむしり、黒い炎に包まれながら仰向けに倒れた。

何が起こったのか解っていないんだろうガゼルは、目を見開いたままこっちを見つめている。

逃げるか、向かうかの判断をしていたのか、僅かな躊躇が見られる。

数秒の後、困惑の色を浮かべていたガゼルの瞳に、敵意の光が瞬いた。

どんな力を使ったのかは解らない。だが、ズタボロの俺を仕留めるのは、そう難しくないと判断した。

たぶん、そんなところだろうか。

高速突進して来るガゼルに視線を固定して、這い蹲ったままの俺は、自分の血に呼びかけた。

見る間に迫って来ていたガゼルの頭部が、黒い炎に包まれる。

さっき俺の腕に突き刺した、人狼の血に濡れた角が、黒い炎を頂く松明になっていた。

走り込んだ勢いそのままに天井へ倒れこみ、呪いに蝕まれ、鮮血を吹き上げる顔を抑えてのた打ち回るガゼル。

このチャンスは逃せない…!意識を集中して、ありったけの力を、ガゼルに付着した自分の血に送り込む。

目覚めたばかりで能力のコントロールが上手く行っていないのか、それとも元々こういう力なのか、遠隔操作で発火させた

呪いの炎は、俺から凄まじい勢いで力を奪って行く。

俺が消耗し切るのが先か、それともガゼルが倒れるのが先か…!

長く感じられた、実際には数秒にも満たない時間の後、首から上の皮膚が完全になくなったガゼルは、顔面から夥しい鮮血

を溢れさせながら、動かなくなった。

消耗と痛みで体を震わせ、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返しながら、俺は天井を這いずって、さっき噛み千切られた脚の所へ

向かう。

再生するだけの体力的余裕は、俺にはもう無い。

無理矢理にでも繋げて、傷だけ修復してしまった方が、いくらかでも楽だろう…。

乏しい余力の中から力を捻り出し、腕の骨をなんとか修復させて、脚を繋げる。

腰と脇腹に潜り込んだままだった石つぶてを、歯を食い縛り、傷口をほじくって抉り出す。

何度も気が遠くなりかけたけど、どうにかこうにか、大急ぎで応急処置を終えた俺は、フラフラとしながらも、何とか立ち

上がった。

…これは…、マジでしんどいなぁ…。

「ジャス……………メント!」

立ち上がると同時に、また、英語で何かが叫ばれた。

首を巡らせると、屋根の縁に次々と飛び上がって来るライカンスロープ達の姿が目に映った。

「のー!ってか、ペラペ〜ラ禁止!日本人には日本語で喋れ!」

やっぱり言っている意味は解らなかったけど、俺はそう叫び返してやった。

満身創痍。余力は殆ど無い。

俺が体力を取り戻すだけの休憩時間は…、まぁ、どう考えても与えてくれないだろう…。

続々と屋根の上に登って来る、相麻の傭兵達を前に、俺は口の端を吊り上げて、獰猛に笑い掛ける。

「…捕まえられるもんなら、捕まえてみろよ…!」

身を翻した俺は、痛む体を叱咤して、宙へと跳んだ。

…さぁ、命がけの鬼ごっこの始まりだ!

隣の倉庫に飛び移り、躊躇無く逃げに入った俺を、傭兵達は口々に何か叫びながら追って来る。

死なないぞ…。こんな所で死ぬもんか…!

どうしても、タマモって人に会わなきゃいけない。会って言わなきゃいけない事がある。

母さんとフォウも、きっと俺が行くのを信じて待ってくれる。

俺はまだ、死ねないんだ…!