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しばらく駆け回った後に辿り着いた、さっきの戦いの場とはかなり離れた位置にある倉庫群の屋根の上。
追っ手を完全に巻いた事を確認した俺は、銀の被毛を潮風になぶらせながら、ほっと一息ついた。
戦いそのものについてはまだまだ半人前だけど、走る事に関しては自信がある。
その気で逃げに徹した人狼の脚について来られるライカンスロープは、ごくごく僅かだ。
疲れたし…、腹も減ったな…。
血を流しすぎたせいか?それとも体力を使い過ぎたのか?なんだか体もダルい…。
インパルス・ドライブを一度使っている。体のガタは、ダメージの為だけじゃなく、副作用もあるだろう。
脱力感については、ブラッドグラスパーの力を使ったのも原因かもしれない。
あの黒い炎を出したら、生命力を搾り取られるように、みるみる力が抜けていった。
…いや、疲労の原因は、きっと精神的なものもあるんだろう…。
誰にも、頼れない戦い…。
山の中で相麻の連中と戦った時も、走れば辿り着ける距離にビャクヤが居た。
相麻の工場へ侵入した時は、別行動を取ってはいたけれど、やっぱりビャクヤと03が一緒に戦っていた。
改めて考えると、今回は初めての、俺一人での戦いなんだよな…。
…さてと、内容はともかく、どうにかこうにか切り抜けられたんだ。
あとはバスか電車でも使って…、
考えている最中、突然、ボン、と音がした。
音がした時には、俺は上も下も判らない状態で宙に舞っていた。
背中に熱と衝撃を受け、つんのめるように前に吹き飛び、バウンドしながら倉庫の屋根から転落し、硬いアスファルトに叩
き付けられる。
起き上がろうとしたが、体が痺れて言うことを聞かない。
タンパク質が焼ける鼻を突くような匂いが、周囲に立ち込めた。
音と同時に俺の身を焦がした炎は、まだ背中で燻ってる…!
「がふっ…!げほっ…!」
背中の被毛や皮膚は勿論、筋肉に肺まで焼かれたのか、呼吸が思うようにできない!
息をしようとする度に、喉の奥から嫌な臭いの息が漏れてくる。
たぶん、背骨も火を通されたんだろう。首から下の感覚が鈍く、手足が思うように動かない。
夜の倉庫の前、人気のない寂しい路上に無様に這いつくばった俺は、微かな足音を耳にして、なんとか首を起こし、頭上を
仰ぎ見る。
押し潰されそうな錯覚を覚える、黒々と巨大な倉庫の影。
その屋根の上に、不吉に朱い月を背にする、すらりとした獣のシルエットが見えた。
「…カ…グ…ラ…!?」
俺はそいつの名を、途切れ途切れに吐き出した。
狐のライカンスロープは、炯々と光る瞳で、じっと俺を見下ろしている。
生きていたのか!?
フォウの計略にひっかかり、密封された部屋の中で狐火を使って、酸素を燃やし尽くしたカグラは、あの時、ピクリとも動
かなくなっていた。
その上、それからほとんど時間を置かずに、ビャクヤが仕掛けた爆弾で、地下の研究所は跡形も無く破壊され、焼き尽くさ
れたはずだ。
でも、カグラはこうして生きている。今こうして、屋根の上から俺を見下ろしている。
…まさか…?酸素は、完全に燃やし尽くされた訳じゃなかった?
俺もフォウも、カグラの生死は確かめなかった。俺達が勝手にそう思っていただけで、本当は、酸素が少なくなって気絶し
ていただけ!?
そして、爆破される前に、カグラは意識を取り戻して、何らかの手段であそこを脱出した!?
カグラは動揺している俺を見下ろしながら、低い声で呟き始める。
「…やっぱりてめえだったか…。大急ぎで飛んできて正解だったぜ…!」
被毛を焼き、肌が焦げ付きそうなほどに強烈な憎悪と殺意が、屋根の上に佇むカグラの全身から発散されていた。
何だ…?何か違う…?昨日、相麻の工場で会った時とは、カグラから受ける印象が、どこか違う…。
「…てめえ…!てめえがっ…!」
俺は、信じられない物を目にし、恐怖よりも、驚愕で凍り付いた。
「てめえがミストを殺しやがったんだな!?」
凄絶な憎悪の光を放つカグラの両目から、止めどなく涙がこぼれ落ちていた。
「てめえが…!てめえが…!俺の…大事なっ…!」
抑えの効かない慟哭を交えて叫びながら、カグラは俺に向かって右手を突き出した。
閃光、衝撃、熱。かろうじて動いた右手で咄嗟に顔面を庇った俺の体を、狐火が吹き飛ばす。
でも、前と比べれば威力が弱い?何故…?
「殺してやる!生きながらじわじわ焼き焦がして、体の芯まで消し炭にしてやる!」
くそっ!力が衰えてた訳じゃない。俺をなぶり殺しにするために威力を抑えてるのか!
呼吸もままならない俺は、ただ必死にもがき、地べたを転がって火を消す。
動く事もままならない…!このままじゃ一方的にベイクドウルフにされてしまう!
カグラの手が再び向けられた瞬間、極限状態の集中力で、俺は瞬時に全身の血の流れを支配した。
燃やされた被毛と皮膚は後回しにして、まずは火を通された背骨の神経を再接続する。
神経の開通に伴って、痙攣が来る程の激痛と共に、手足の感覚がはっきりした。
カグラの力で火の華が咲き誇る直前、俺は横に身を投げ出し、間一髪でこれを避ける。
血と力の流れを支配する技術…。
ビャクヤは戦闘技術よりも優先して、俺にこの身体の使い方を、生き延びる術を教えてくれた。
ブラッドグラスパーとしての資質があったにしても、こうして自在に身体機能の制御が出来るのは、ビャクヤの教えのおか
げだ。
右も左も判らなかった俺に、ビャクヤが最初に教え、その後も入念に仕込んでくれたこの力のおかげで、何度命拾いしただ
ろうか?
感傷にふけりそうになりながらも、転がりながら肺を修復し、肺の中と気管に溜まっていた、焦げ付いた血塊を無理矢理吐
き出す。
痛いとか苦しいとか、弱音を吐いてる暇はない…!
立て続けに発生する炎を、身体のあちこちを焦がされながらもかわし、なんとか直撃だけは避ける。
身体の損傷は大きかった。
ただでさえ消耗している状態から、高速修復にかなり力を費やしてしまったせいで、疲労が激しい。
直撃を受けたのは最初の一撃と、その後の軽い一発だけなのに…。改めて、狐火の恐ろしさを実感する…!
…だが、何かおかしいぞ?
消耗が大きいはずの狐火を、すでに二十発近くも放っているのに、カグラには疲労の色がまったく見えない。
疲労を待つのは無理か?このままじゃジリ貧だ…、先に俺の体力が尽きてしまう!
打開するには反撃しかないけど、余力は殆ど無い…。
一か八か、最後の力を振り絞って、俺の最大攻撃、インパルス・ドライブで行く!
「えぇい!ちょこまかちょこまか鬱陶しい!」
苛立ちの声と共に放たれた、一際大きな炎をバック転で避け、俺は四つん這いで着地すると同時に、突撃体勢を整えた。
四肢の爪をアスファルトに食い込ませ、力を捻り出すようにして声を上げる。
「ルオオオオォォォォォオオッ!!!」
炎の向こうのカグラに向かって呪縛の咆吼を放ち、脚力を限界まで強化する。
空振りに終わって消えゆく狐火を裂いて、俺は屋根の上のカグラめがけて跳んだ。
肌をチリつかせる炎を吹き散らし、月を背負う狐を目指し、一直線に宙を走る。
が、瞬間的に踏み込んだ亜音速の世界の中で、カグラの顔に浮かぶ表情をはっきりと確認した俺は、背筋が寒くなった。
カグラは凶々とした笑みを浮かべたまま、俺に向かって手を突き出していた。
…なんでだ…?…呪縛が…、人狼の呪いが、効いて…ない…!?
衝撃と熱と閃光が、俺の身体を叩く。
咄嗟に交差させて顔面を庇った腕が、一瞬で筋組織はおろか、骨まで炭化した。
顔の右半分が炎に舐められて、眼球が煮えて破裂する。
狐火の直撃を受けた俺は、軌道を逸らされながら失速した。
嘲笑を張り付かせたカグラの顔が、残った左目に焼き付く。
…まだだ!
骨まで完全に炭化した両腕が、かろうじて維持している亜音速の空気抵抗で崩れて行く中で、俺はまだ諦めていなかった。
狐火の爆風できりもみ回転させられたまま、俺は身を捌いたカグラの脇を通り抜ける。
ゾビュッ、…と、そんな音がした。
「ぎゃぁぁぁあああああああっ!?」
カグラは首を押さえて絶叫を上げる。
放物線を描き、カグラからかなり離れ、屋根を破壊しながら墜落した俺は、弾みながら数回転し、やっと止まった。
両腕は肘のすぐ上辺りから先が炭化して崩れ、失われている。でも、致命傷は受けていない。
骨が露出するほどに首を抉られ、そこから夥しい量の鮮血を溢れさせているカグラが、ゆっくりと振り返る。
そして、食い千切ってやった肉の塊を吐き捨てた俺に、苦痛に歪んだ顔を向けた。
勝負ありだ!人狼の呪いで高速修復ができなくなれば、あの傷は致命傷になる!
「て、てめぇ…!ごぼっ!よくも、よくもやりやがったなぁぁぁあああ!?」
口から血を零れさせ、喉の傷からゴボゴボと血を溢れさせながら、それでもカグラはしっかりとした足取りで俺に向き直った。
勝利を確信していた俺は、しかし、自分の目を疑った。
カグラの首の傷が徐々に癒え、出血が治まっていく…?
まさか…?人狼の呪いが、カグラには通じていない!?
さっきの呪縛の咆哮も効いていなかった。一体、なんで…?
「もう良い…。もう殺す…!虫けらみてえに焼き尽くしてやる!」
喉の傷が瞬く間に塞がり、明瞭になった声で呪詛の言葉を吐いたカグラの手が、すぅっと、俺に向けられる。
…まずい!消耗とダメージで、身体の感覚が…!
必死に頭を働かせ、生き延びる手段を探す俺の前で、巨大な炎が精製された。
…あ…、あれだけ撃って…、まだ、こんな余力が…!?
避けられない!顔を庇う腕も失くした俺は、顔を伏せ、反射的に目を瞑った。
次いでやって来る、全身がバラバラになるかと思うような衝撃。
絡み付くような空気の抵抗を感じながらも、急激な加速で意識が飛びかける。
…ん…?熱は、あまり感じない…?
恐る恐る目を開けると、俺は、宙を飛んでいた。
四散した狐火と、驚愕の表情を浮かべてこっちを見上げているカグラの顔が、ずっと下の方に見えた。
狐火で吹き飛ばされた訳じゃない。誰かが、俺を抱えて跳んでいる…?
軋む身体を捻り、首を動かし、俺は自分を脇に抱えている腕を、残っている左目で見つめる。
限界まで見開いた俺の目に、磨き抜かれた刃物が輝いているような、鋭い銀色が飛び込んだ。
驚きの余り声も出ず、息をするのも忘れたまま、俺は自分を抱えている者の顔を仰ぎ見る。
…銀の…狼…。
俺と良く似た色の狼は、俺を抱えて大きく跳び、炸裂した炎が伸ばす舌から逃れながら、屋根の上のカグラを見下ろしていた。
その狼の、凛々しく精悍な顔の中で、体毛と同じ銀色の瞳が、刃のように冷たく、鋭い眼光を放っている。
狐火が発生し、炸裂するまでの刹那の間に割って入り、俺を抱えて離脱する…。
そんな離れ技をやってのけた銀狼は、俺を抱えたまま、隣の倉庫に降り立つ。
かなり高い跳躍だったのに、着地の衝撃は驚くほど小さく、音も殆どしなかった。
「生きているか?若き客人」
隣の倉庫の屋根に立つカグラを見据えたまま、俺よりも頭一つ分は背が高い銀狼が、渋い声でそう言った。
「あ…、は、はい…!なんとか…」
緊張と安堵、そして驚きで、俺の声は掠れ、震えていた…。
「そうか。それは良かった」
小さく頷くと、銀狼は俺を屋根の上に下ろし、微かに笑いを滲ませた声で続けた。
「自分を囮にして仲間と母を逃したそうだな?まったく、とんでもない無茶をする…。相手の戦力もはっきり判らず、まして
や地理にも疎い場所で…」
「そ、それは…」
それは、それ以外に何も良い案が思いつかなかったからで…。
まぁ、無茶と言われても仕方が無いほど、無計画だったのは否定できないけど…。
「…が、その無鉄砲さにも、今は礼を言おう。君は自分の身を挺して、会ったばかりの俺の妻を逃がしてくれた」
…言葉の内容が頭に入るまで、少しかかった。
というのも、俺の心が平静を保てていなかったからだ。
今、俺が目にしているこの人狼は…、
「もしもの事があっては、彼らに顔向けできないところだった…。駆け付けるのが遅れた事、心から詫びる」
おそらく、いや、間違いない…!この人は…、
「少し待っていてくれ。…なに、一分と掛けはしない」
この銀色の人狼は…、話に聞いていたビャクヤの弟、字伏夜血(あざふせやち)だ!
口の端を軽く吊り上げて、不敵な笑みを浮かべ、カグラを見据える人狼の姿を、俺は身体の震えを抑える事ができないまま、
じっと見つめていた。
兄弟のはずなのに、ビャクヤとはかなり違う…。
触れれば切れそうな、ピンと、静かに張り詰めた空気を纏っている。まるで、抜き身の刀みたいだ…。
臨戦態勢を取った、その銀色の身体から静かに滲み出している、息が詰まるようなプレッシャー…。
それなのに、目を奪われ、惹き付けられてしまいそうな感覚も同時に覚える…。
いつか会ってみたいと思っていたビャクヤの弟は、鋭くも美しい、研ぎ澄まされた名刀のような…、そんな雰囲気を持った、
雄々しい狼だった…。
ただし、名刀は名刀でも、鑑賞されるための飾りの刀じゃない。
殺す事を目的に作られ、それでもなお、人を惹き付ける魅力を備えている、危険で美しい業物だ…。
ヤチさんはゆっくりと三歩踏みだし、鋭い目でカグラを睨み付ける。
「…この匂い…。それにこの力…。…お前、マンイーターだな?」
彼の言葉で、俺はやっと理解した。
何故、呪縛の咆吼が無効化されたのか。
何故、人狼の呪いが発動しなかったのか。
何故、あれだけの狐火を使いながら消耗しないのか。
それは、カグラが人間を喰い、既に呪われていたから…。
人の血肉を口にする…、かつてビャクヤから、絶対にしてはいけないと、硬く禁じられた事だ。
ライカンスロープは、人間の血肉を喰らう事で、一時的に力を数倍に引き上げる事ができる。
しかし、人間の血肉を口にする事は禁忌とされている。
何故なら、人間の血肉は、俺達ライカンスロープにとって、強烈なドーピング効果を持つと同時に、強い中毒性も併せ持っ
ているからだ。
一度でも喰えば高確率で中毒になり、人肉依存症状が現れ、繰り返し人間を喰いたくなる…。
ライカンスロープにとって、最大の禁忌であり、常識であるはずのそれを、カグラが知らないはずがない。
…だが、恐らくカグラは、これから先、人間を喰らい続けなければならない事すらも覚悟のうえで、人間の血肉を口にし、
力を得たんだ。
ヤツがそうまでして力を得た、その原因はたぶん、ミストの死…。
二人がどんな関係なのかは判らない。
でも、さっきのカグラの様子を見た俺には、彼らがただの同僚や仕事仲間ではなかった事が察せられた。
…あるいは俺とビャクヤのように、義兄弟の契りを結んでいたのかもしれない…。
禍々しい眼光を放つカグラの目を、ヤチさんは全く怯む様子も無く、真っ直ぐに見つめ返す。
「一時に、一体何人喰った?これほど重度の急性人中毒は初めて見る…」
そう呟くと、闇に銀光を散らす被毛を逆立て、アザフセさんはぐっと姿勢を低くした。
「ここまで呪われていては、カース・オブ・ウルブスも浸透すまい…。手加減できる状態でも無いな…」
獲物を前にした銀狼は、片手を屋根につき、クラウチングスタートの格好にも似た姿勢を取りながら、ぼそりと囁いた。
「…殺すも…止む無し…!」
囁きと同時に、銀狼が飛び出した。
文字通り、突風のように迫る銀狼めがけ、カグラは両手を前方に翳す。
出現した巨大な火球に、銀色のシルエットが突っ込む。
一瞬遅れて、キンッ…、と、そんな音が聞こえたような気がした。
炸裂し、飛び散った朱色の爆炎に、ヤチさんの姿が飲み込まれる。
まさか、直撃したのか!?
が、目を見張った俺の視界の隅、一瞬前に銀色のシルエットがあった位置から20メートル近く離れた地点に、銀狼の姿が
出現していた。
工場の天井に腕を突き込んで、深々と溝を残しながら減速している。
…み…、見えなかった…。
この距離があって、しかも感覚の高速化を維持しているにも関わらず、俺の目はヤチさんの動きに全くついていけなかった。
彼が減速して初めて、その姿を目で捉える事ができた。
カグラは一瞬ヤチさんを見失ったんだろう。目を大きく見開いて、少し遅れて首を巡らせた。
が、その時にはヤチさんは再加速に入り、またもや姿が掻き消える。
一瞬遅れて、キンッと、またあの音が聞こえた。
俺は、やっとそれに思い至った。
彼がビャクヤと同じく、本物の「無音の領域」に到達しているんだという事に。
さっき聞こえたあの音は、音の壁を突破した音。
未熟な人狼の目では捉えきれない、本物の、超音速運動…。
彼は、俺のインパルス・ドライブ以上の高速移動を、連続で使用しているんだ…!
「がぁぁぁあああっ!」
目で追い切れないと悟ったのか、カグラは四方八方に無数の狐火を出現させて、次々に炸裂させる。
だが、生み出された炎は一発たりとも、ヤチさんを捉える事はできなかった。
舞い散る火の粉と吹き上がる炎の間を縫って、チラチラと、刃を思わせる銀の光が駆け回る。
俺の目が彼の姿をはっきりと捉えたのは、炎の間を縫ったヤチさんが、俺から見てカグラの横手に現れた時だった。
やっと気が付いた。あれだけの速度がありながら、彼が何故、カグラを一気に攻め立てなかったのか…。
ヤチさんは、俺を巻き込まないよう、カグラの向きと間合いを誘導していたんだ!
俺に横顔を向けた銀狼は、低く身構える。
「おおおおおぉっ!」
カグラは天を仰いで咆哮し、前に突き出した両手の先に、直径2メートルはある巨大な火球を出現させた。
あれだけやって、まだこんな余力が!?これが、マンイーター(人間喰らい)が得る禁忌の力…!?
カグラが放った特大の火球が、四つん這いで身構えたヤチさんめがけて飛翔する。
次の瞬間、銀狼の姿がまた掻き消えて、キンッという音と同時に、特大の火球が爆砕した。
いくつもの細かい炎の塊になって四散する特大火球。
肘から先の無い腕で反射的に庇を作って目を細め、俺は爆弾でも爆ぜたような衝撃と爆風、熱に耐える。
僅かに減速したのか、俺の目がかろうじてヤチさんの姿を捉えた。
特大炎球を正面から突き破り、炎を吹き散らし、衝撃波を纏った狼が、銀色の流星になってカグラに迫る姿を。
ドンッと、音が聞こえたのは、ヤチさんの右腕がカグラの胸を貫き、その勢いで屋根の端まで滑走していった後の事だった。
胸を貫かれたカグラは、激突の衝撃でぐしゃりと胴が潰れ、まるで絞り出されるようにして、口から夥しい量の鮮血を吐き
散らした。
足の爪を屋根に食い込ませて急制動をかけつつ、銀狼は空いていた左手の爪を伸ばし、硬化させている。
身を捻って右腕を引き抜いたヤチさんは、振り向きながら左手を一閃させた。
鋼鉄の色に染まり、黒々と輝く鋭い爪が、胴に風穴を開けられたカグラの首を、何の抵抗も無く通過する。
ぽんっ、とでも言えばいいのか?シャンパンのコルクが飛ぶような音をたてて、カグラの首が宙に飛んだ。
首を失い、崩れ落ちるカグラの胴体に背を向けたまま、ヤチさんは俺に顔を向けた。
その後ろで、カグラの首が自分の体の上に落下し、ごろっと、投げ出された脚の横に転げる。
カース・オブ・ウルブスは発動していない。それでも、カグラの首はまだ意思を繋ぎ止めていた。
狐は不思議そうな光を目に湛え、自分に背を向けている銀狼の後姿を眺めている。
やがて、その目からすぅっと光が消え、カグラは死に迎え入れられた。
…カグラは恐らく、一瞬しか痛みを感じなかったはずだ。
たぶん、激突直前から先は、何が起こったかすらも良く分からなかったに違いない…。
「待たせたな。修復の具合はどうだ?」
跪いたまま戦いの一部始終を見つめていた俺に歩み寄ると、ヤチさんは軽く乱れた息を整えながら口を開いた。
遥かな高みを目の当たりにした俺は、あっけにとられたままヤチさんの顔を見上げ…、
「…あ…!」
戦いの様子に呆然と見入っていて、全く傷の修復をしていなかった事に思い至った。
「す、済みません!まだ…!」
慌てて言った俺を見下ろしながら、銀狼はあるかなしかの微笑を口元に浮かべた。
「…それにしても、改めて見ると俺と良く似ている。同種という事を差し引いても、体毛の色まで完全に同じとは…。しかも、
想像していた以上に若いな。…ユウと同じ位か…?」
ヤチさんはどこか楽しげにボソボソと呟くと、おもむろに手を伸ばし、俺の右腕の付け根を掴んだ。そして…、
「う、うわっ!?」
腕を捕まれ、一気に引っ張り上げられた俺は、思わず声を上げる。
一瞬で、俺はヤチさんの背におぶられる格好になっていた。
「しばらく我慢してくれ。なに、近くに車が待機している。そこまでの辛抱だ」
「え?あ、ちょ…!」
遠慮の断りを入れる暇も無く、ヤチさんは俺をおぶったまま、風のように走り出した。
両腕を失っている俺を振り落とさないように、後ろに回した右手と、俺の左腕の付け根を握る左手で、しっかりと掴まえて。
引き締まった、筋肉質な背におぶられた俺は、ふと、こう思った。
…やっぱり、兄弟なんだな…。
感触は全然違うのに、ヤチさんの背中は、ビャクヤにおぶられた時と同じ感じがした…。