FILE5

「どうしたの?何だか元気ないわね?」

小屋の中に戻った俺を見て、カワムラは首を傾げた。

昼食の支度をしていたのだろう。かまどの所で鍋をかきまわしている。

鋭敏になった嗅覚が教えてくれるには、どうやらコンソメ野菜スープらしい。

「ちょっと、疲れただけだ…」

そう応じた俺に、彼女はそれ以上何も尋ねなかった。

カワムラは、俺がまた人狼になっているのを見ても、大して驚いた様子も見せなかった。

ビャクヤとは長い付き合いらしいから、慣れているのかもしれない。

一服して、後から入ってきたビャクヤは、かまどの所に居るカワムラの背を見て、一瞬眉根を寄せた。

「タマネギは入れてないよね?」

「大丈夫よ」

ビャクヤ、タマネギが苦手なんだろうか?

…そう言えば、犬にとってタマネギは毒だった…っけ…?

「ビャクヤ、もしかして俺もタマネギ食べちゃダメなのか?ヤバい?体に毒?」

「問題ないよ」

と、ビャクヤは俺の問いに応じた。

「ライカンスロープは人間以上の分解酵素を持つからね。食生活でのタブーは無いよ。…人間の血肉以外は…」

最後の方はカワムラに聞こえないように小声で囁いたビャクヤに、俺は首を傾げて聞いてみる。

「でも、ビャクヤは?」

「僕はタマネギが嫌いなだけ」

ビャクヤは眉間に皺を寄せて、心底嫌そうにそう言った。

…まぎらわしい…。



昼食を終えた後も、俺はビャクヤに付き添って貰い、夕暮れまで変身練習を繰り返した。

コツを掴めたのか、一度できてしまえば簡単なものだった。

「上出来だよ。あとは変化にかかる所要時間を短縮していくだけだね」

ビャクヤがそう褒めてくれた。今の俺は変身に30秒かかっているが、訓練次第で10秒以下にまで短くできるらしい。

「今日はこれぐらいにしておこうか」

赤くなり始めた空を見上げ、ビャクヤは言った。

「変化はなるべくここだけにした方が良いね。見つかったら事だし」

ビャクヤの言葉に、もちろん俺は頷いた。あんな格好、普通の人なら見ただけでパニックになる。カワムラは例外中の例外だ。

「明日も、来てもいいかな?」

「うん。平日は難しいだろうけれど、一通りの説明が終わるまでは、なるべく通って欲しいかな」

ビャクヤは快く頷いてくれた。

何から何まで頼りっぱなしで申し訳ないが、他に相談できる人も居ない。

迷惑をかける事になるが、礼としては菓子のお土産ぐらいしか用意できそうな物はないな…。

「さて、夕食も食べて行きなよ。アサヒちゃんはそのつもりで支度してくれているから」

ビャクヤは笑みを浮かべて踵を返し、小屋に向かって歩き出す。

その大きな背を追いかける俺は、会って間もないこの巨漢の事を、何故か深く信頼している自分に、今さらになって気が付いた。



月曜日っていうのは憂鬱なものだ。

もっとも、俺の場合は日曜の夜辺りから憂鬱なんだが…。

欠伸を噛み殺して授業を受けながら、週末を過ごした山小屋の事を、ぼんやりと思い出していた。

ビャクヤの指導の甲斐もあり、俺は自在に変身ができるようになった。

彼は、少しずつライカンスロープとしての力の使い方を教えてくれると言っていたけど、それが気になって気になって仕方

がない。…また会いに行ける週末が待ち遠しいな…。

ふと視線を巡らせれば、カワムラの後ろ姿が目に入った。

もちろん、うかつにあそこの話なんかできない。

…もしも誰かに聞かれて、小屋の事がバレれば、ビャクヤに迷惑をかける事になってしまう…。

日常というものがこんなにも退屈だなんて、これまで感じた事も無かった…。



「お帰りなさいヨルヒコ」

アパートに帰った俺は、出迎えた母を見て目を丸くした。

「あれ?…ただいま、母さん。今日は仕事早かったのかい?」

「ええ。今日は半日なのよ」

母は近くのスーパーでパートをしている。

父の遺した遺産があるおかげで、俺達母子は贅沢さえしなければ、母のパート収入だけでも不自由無く暮らして行けているのだ。

俺は仏壇に線香を供え、父の遺影を見ながら、キッチンで夕食の支度をしている母に尋ねてみた。

「なあ、母さん。俺の父さんって、どんな人だったんだ?」

「あら。ふふふ、どうしたの急に?」

母さんは夕食の支度を続けながら、笑い混じりに聞き返して来た。

「ん…。ちょっと気になってさ…」

俺が適当に言葉を濁しても、母はそれに気付かぬまま話し始めた。

「そうねぇ。かっこいいひとだったわ。かっこよくて、誇り高くて、クールなようでいて、それとなく優しい…、そんな人よ」

父は事故で死んだと聞いている。おそらく俺は、亡き父からライカンスロープの血を受け継いだはずだ。

母は間違いなく人間だろう。…でなければとっくに、俺に事実を教えてくれていたはずだ。たぶん母はライカンスロープと

いう存在自体知らないだろう…。

俺も、母も、父がライカンスロープであった事を知らないまま、今まで過ごしてきた。

顔しか知らない俺の父は、一体どんなひとだったんだろう…?



じりじりと、ナメクジが這うように時間が進み、やっと金曜がやって来た。

母には、事前に友人の家へ泊まりに行くと告げてある。

俺は先週カワムラに用水路へ突き落とされた愛車をかっ飛ばし、山に向かって急いだ。

その途中での事だった。見覚えのあるライトバンを見つけたのは。

農道の路肩に止められたライトバンと軽自動車の周りには、四人の男達…。

時々屈み込んだりして、視線を地面に向けているけど…、どうやら側溝や路面などを調べているらしい。

俺は緊張しながら自転車で脇を通り抜けたが、男達は特に俺には注意を向けなかった。

…あの夜のライカンスロープ達とは別人なのか?いや、ビャクヤが記憶を消した上に、あの水で匂いを消しているから、俺

には気付けないのか?

俺は十分に距離を離してから、自転車を木立の影に隠した。

…確かめないと…、あいつらがこの間のライカンスロープなのか、そして、何をしているのかを…。

ビャクヤは痕跡を可能な限りは全て消したと言っていたけど、男達が何かを調べている以上、残っていた何かの痕跡に気付

かれたって可能性が高いよな?

せめて、俺達の存在がバレたのかどうかだけでも確かめられれば良いんだけどな…。

俺は木立の中を静かに移動する。

この姿のままじゃ無理だが、人狼に変身すれば匂いで判別できるはずだ。加えてこっちは香水で匂いを消している。気付か

れないで一方的に探る事だってできるさ…。

俺が慎重に移動している間に、男達のうち三人がライトバンに乗り込んで去っていった。

軽自動車と共に残った一人は、なおも周囲を調べている。…全員が立ち去らなかったのは幸いだった…。

十分に距離を取った状態で、俺はジャケットの前を空け、制服のボタンを外し、ズボンをまくり上げる。

そして瞬時に体内へと意識を集中し、全身を巡る血の流れを把握した。

弾け飛ぶ鎖のイメージ。

瞬時に銀の獣毛が全身を覆い、感覚が鋭敏化する。

変身が終わる前に、獣の本能が教えてくれた。

…風に混じるその匂いが、同種のものであると…!

銀色の人狼となった俺は、目を懲らして男の横顔を見つめる。しっかりと顔を覚えておくつもりだったんだが、…これが失

敗だった。

不意に、男は視線を巡らせた。

慌てて枯れ草の中に身を伏せたが、…遅かった!伏せる寸前、俺と男の目があっている!

木々の間を素早く移動しつつ、俺は三角の耳の角度を変え、後方を探る。

…追って来ている!

僅かに首を巡らせ、ちらりと後ろを振り返ると、木々の間を縫って追って来る、栗毛の影が見えた。

馬だ。一週間前の夜、俺が出会った四頭の獣の内の一人、馬のライカンスロープ!

町の方へ逃げる訳にはいかない。俺は全力で山の奥へと走る。

人狼はスピードに秀でたライカンスロープだとビャクヤから聞いた。事実、俺の脚はでこぼこの山の傾斜を飛ぶように駆け

ている。

…だが、恐らく馬というのは、走る事に特化してるんだろう。

「くそっ!」

焦りから舌打ちした俺の斜め後方に、栗色の馬が迫っていた。蹄を備えた足で、グングン距離を縮めて来る。

確か、犬のライカンスロープにはゼロハチと呼ばれていたっけ?

真面目に逃げていたんじゃ逃げ切れない。俺は軽く身を屈め、地を蹴った。

ひとっ飛びで10メートル以上も飛び上がった俺の身体は、太い木の枝の上に着地する。

運動能力だけじゃない、反射神経や動体視力も格段に上昇してるんだろう。初めて経験する凄まじいスピードと高低差移動

にも、俺は難なく対応できていた。

だが、馬にも同じ事ができた。大きく跳躍すると、俺が居るのと同じ高さの枝に飛び乗ってる。

くそっ!どうすれば逃げられる!?

太い枝を蹴り、弾丸のような速度で殆ど水平に突っ込んで来た馬を、俺はさらに上へ跳躍して逃れる。

そのまま木の先端の細くなっている部分を掴み、そのしなりを利用して別の木へ跳ぶと、馬は降り立った先の木から俺の姿

を見据えた。

「…貴様…、まさか人狼か…!?…先週06を殺したのは貴様なのか!?」

06…。あの黒猫の事か?そう考えながら、俺は相手のある様子に気付く。

馬は、どことなく緊張しているように見えた。

この08とか呼ばれていた馬は、あの夜、俺がコテンパンにやられた事を覚えていないんだ。

そしておそらく、仲間を殺したかもしれない正体不明の相手として、俺を警戒しているんだろう。

さらに、ビャクヤの言葉によれば、人狼はライカンスロープの中でも特に恐れられる存在…。

実際には人狼に成り立ての、右も左も判らない新米だが、悟られないように行動すれば、もしかしたら上手く逃げられるか

もしれない…!

よし、ここはハッタリをかまして、あっちに引き下がって貰おう。

「…そ、そうだ!全く相手にならなかったけどな。お前は、今なら見逃してやってもいいんだぞ?同じ目に遭いたくなければ、

さっさと行け!」

なるべく強そうに見えるように、俺は馬を睨みながら「ガルルッ!」と唸り声を上げた。ビビッて退いてくれよ?頼むから…!

「どうした?見逃してやると言ってるんだ。さっさと行ったらどうだ?」

俺はさらに高圧的に声をかける。が、実際には「お願いしますからどうか退いて頂きたい」というのが本音だ…。

ビャクヤから変身のコントロールは教わっているが、戦い方なんて知らないんだから。

先週の黒猫…、06を倒せた時だって、体が勝手に動いたような感じで、意識の方はどこかぼうっとしてた。

この姿では人間をはるかに上回る能力を発揮できると言っても、それは向こうも同じ、条件は五分だ。

さらに、戦いはおろか、喧嘩の経験すら無いに等しい俺がこの馬に勝てるかというと…、はっきり言って厳しい…。

引き下ってくれる事を祈りながら、俺は極力余裕タップリに見えるように馬を見下ろす。

やがて、馬は首を引き、「ふっ」と、小さく笑った。

「…貴様、どうやら闘争の経験が乏しいようだな…」

あっさりバレたっ!?何でだ!?

それでも動揺を押し隠す俺に、馬は含み笑いを漏らしながら続ける。

「言葉は勇ましくとも、その尻尾はなんだ?」

…しまった…!今気付いたが、俺の尻尾は股の間にくるっと隠れてる。不安さが尻尾に現れてたのか!?

正直者の尻尾のおかげで俺が素人だと知った馬は、ぐっと身を縮め、跳躍の姿勢に入る。

「…っく!」

横手、5メートル程先で伸びている枝目掛けて跳躍すると、一瞬遅れて、俺が立っていた位置を栗毛色の馬が通過する。

勢い良く跳躍してきた馬の飛び蹴りが、直径30センチはある木の幹を粉々に粉砕した。

…あんな蹴りを食らったら、間違いなく一発で死ぬ…!ゾクリと、背筋を冷たいものが伝い降り、前身の毛が逆立った。

「大人しく捕らえられるというのなら、危害は加えない。貴重な人狼、なるべくなら生きたまま捕獲したいところだからな」

幹を砕かれて半ばからへし折れた木の上に立ち、馬は俺を見据えてニヤリと笑う。

俺は素早く身をひるがえして逃げに入った。だが…、

「遅い!」

馬の跳躍は、俺のスピードを超えていた。数本の木を飛び回った所で、俺は横手に回りこんだ馬から攻撃を受けた。

咄嗟に両腕を交差させて体を護ったが、馬の蹄がガードした腕ごと俺を蹴り飛ばす。

宙で体勢を整え、何とか枝にしがみ付き、苦労してよじ登る。苦労したのは、蹴りが直撃した左腕が痛んでしかたなく、動

かなかったからだ。

見れば、肘と手首の中間で妙な形に曲がっている。

…折れた…のか?毛の間から突き出してるこの白いのは…、もしかして、骨!?…それにしてはあまり痛くも…、

「があああぁぁあっ!?」

遅れて脳に届いた激痛の信号に、俺は腕を抱え込んで背を丸めた。

少し離れた枝に降り立った馬が、薄く笑いながら俺を見据えていた。

逃げられない…!それに、戦ったところで勝ち目なんか…。

その時だった。絶望と恐怖、そして激痛で心が萎えた俺の胸で、ドクン、と、何かが大きく脈動した。

『闘え』

あの時の、あの感覚だ…。

荒々しく、雄々しく、猛々しい。それでいていやに静かな何かが、俺の胸の内で囁く。

『奴は敵だ。生きたくば狩れ』

それは、胸の奥で揺らめく、冷たく輝く銀色の炎…。俺は漠然とそんな物をイメージする。次の瞬間、

「ルオォォォォオオオオオオオッ!!!」

俺は喉を垂直に立て、天を仰いで咆哮していた。

喉を突いて込み上げるのは、荒々しくも禍々しい力を宿した獣の雄叫び。

胸の中で静かに揺らめき続ける銀色の炎が教えてくれた。これもまた、俺に与えられた力なんだと。

木々を震わせこだまする、荒々しい雄叫びに乗って、放たれた力が周囲に拡散してゆく。

顔を下ろして前方を見据えた時には、馬は大きく目を見開き、硬直していた。

体がカタカタと小刻みに震え、口元からは泡が零れている。

人狼の体に宿る呪いの力を咆哮に乗せて、周囲にばらまいた俺は、呪縛されて動きを止めた馬を真っ直ぐに見据え、グッと

身を屈める。

ベキベキと音を立て、右手の爪が伸びる。

メキメキと音を立て、両脚の筋肉が膨張する。

頭で考えた訳じゃない。体が、自らの性能を自発的に使っているような感じだ。

爪が五十センチほどに伸びた右腕を後方に引き、俺は跳んだ。

さっきまでの全力疾走以上のスピードで、馬の顔が一瞬で迫る。

呪縛が解けたのか、慌てて身を捌いた馬の体をかすめ、俺の体が飛び過ぎた。

宙を走る俺が、自分でも驚くほど冷静に手応えを確かめると、同時に、後方から叫びが上がる。

空中で身を反転させ、太い木の幹に横向きに着地した俺は、馬の頭上でキリキリと回っている物をちらりと見る。

肩の所から切断された馬の左腕が、血を撒き散らしながら宙を舞っていた。

今の接触で、五本あった爪の内、小指と薬指の二本が真ん中辺りから欠けている。

だが、冷静な人狼の本能は、残る三本だけでも十分だと判断した。

木の幹に着地して身を屈める姿勢になっていた俺は、跳んで来た軌道を折り返すように、再び水平に跳躍した。

肩を押さえて振り返る馬の動きが、スローモーションで捉えられる。

二度目の交錯。俺は右腕を後ろから前へ、そして左側へと大きく、円を描くように水平に振るう。

柔らかいもの、そして硬いもの、さらにまた柔らかいものを断ち切る感触…。爪は残っていた三本全部が折れたが、手応え

は十分だった。

腕を振るった勢いで横回転がかかった俺は、宙で馬を振り返りつつ、後ろ向きに、枝の上に足の爪を食い込ませながら着地した。

馬の胴体、右の脇腹からへその上辺りまで、半分以上に三本の亀裂が入っていた。

背骨が切断されたんだろう、馬の体はバランスを崩し、妙な角度に折れながら、地面へと落下していった。

それを見届けた俺は、全身から力が抜けるのを感じ、大きく息を吐く。

それが合図になったように、鼓動がバクバクと激しくなり、呼吸が乱れ、全身からどっと汗が吹き出した。

しばらく沈黙していた左腕が再び痛みの信号を送り始め、激痛が頭の芯までガンガンと響く。

胸の奥で確かに揺らめいていた、あの銀色に燃える炎のイメージは、今はもうすっかり消えていた。

俺はぼんやりと理解する。あの銀色の炎は、きっと俺の、ライカンスロープとしての闘争本能のようなものなんだろう…。

危機に瀕した俺の中で、闘争本能がライカンスロープとしての力を、まだ俺が使い方を知らない能力を、戦いにおける思考

能力を引き出して、体を突き動かして戦わせてくれたんだ…。

枝から飛び降りた俺は、着地の衝撃で左腕が訴えた激痛に涙目になりつつ、少し先で地面に横たわっている馬を見下ろした。

…生きている。今度は一週間前の06の時とは違う。呪いで死ねなくなっているんじゃない、かろうじてだけど、まだ息が

ある…!

歩み寄ろうとした俺は、馬がなにやらブツブツと呟いている事に気付く。

「…銀の…人狼…、襲われ…、06の襲撃点…、傍…」

なんだ?何を言って…?

警戒しながら、静かに傍に歩み寄った俺はハッとした。

馬の右手に握り締められた携帯電話…。通話中の印に灯る小さなランプ…。

『…08!現在地を…』

「くそっ!」

駆け寄った俺は、何者かの声が漏れる携帯を、力任せに蹴り飛ばした。

携帯を握っていた馬の指の骨と携帯が、粉々に砕ける。

どこまで通話された!?とりあえず、現在地は伝わっていないはずだが…、

焦りに駆られながら見下ろした俺は、馬の体に生じつつある変化に気付く。

ビクンと痙攣した馬の体が、内部に侵入していた何かに蝕まれていく。

俺は、殆ど本能的に、馬の体を蝕み始めたそれの正体を知った。

カース・オブ・ウルブス…。

たった今死に至った08の魂を、人狼の呪いが体に縛りつけたんだ。

…恐怖…。

先ほどの戦いの中では本能に突き動かされ、冷静に、そして容赦なくこいつを切り刻んだのに…、人としての思考を取り戻

した今となっては、命を奪ってしまったという罪悪感と嫌悪感、そして自分の行いに対する恐怖が込み上げ、俺はどうすれば

良いのか分からなくなっていた。

馬は、自分の身に何が起きたのか解らないんだろう。戸惑いと、そして怯えの入り混じった目を、周囲に向けている。

動かせるのは目だけなのか、俺を見上げたその瞳が、恐怖の光を湛えていた。

思わず後ずさった俺の背が何かに当たる。

驚いて振り向くと、いつからそこに居たのか、ビャクヤが痛ましげな目で08を見下ろしていた。

「…ビャクヤ…、俺…」

ビャクヤは何も言わず、俺の両肩に、ポンと優しく両手を置いた。

「…俺…、また…、殺してしまった…!」

…後悔…。哀しくて、怖くて、涙が溢れた。

「ごめんね…。もっと早く駆けつけられれば、こんな事にはならなかったのに…」

ビャクヤは俺の頭をクシャリと撫でると、横を通り抜け、馬の傍らに屈み込んだ。

「楽になりたいかい?」

馬は応じるように瞬きをして、ビャクヤは理解を示して小さく頷いた。

「…ビャクヤ…。呪いを…、解くよ…」

ビャクヤはオレに視線を向け、それから小さく頷いた。

俺は馬の傍らに屈み込み、その額に手を当てた。

「…ごめんな…」

俺は心の底から詫びながら、08の魂を呪いから解き放つ。

許してくれたかは解らない…。でも、馬は安堵したようにゆっくりと目を閉じ、死に辿り着いた…。



「ビャクヤ…」

「うん?」

「…ごめん…」

馬の遺体を埋葬し、痕跡の始末を終えた後、ビャクヤは俺をおぶって山を登り始めた。

戦いの跡、折れた木や枝はどうしようもない。

それでもビャクヤは、俺が残した痕跡や血の跡だけは可能な限り消してくれた。

俺はビャクヤに事の発端を話した。自分の迂闊さが招いた失態の全貌を…。

「小屋や僕の存在まで知られた訳じゃないし、君自身も個人として特定はされていない。大丈夫だよ、まだ誤魔化していけるさ」

ビャクヤはそう言ってくれたが、俺には解っていた。

せっかくビャクヤが記憶を消してくれたというのに、あいつらに、この町に居るライカンスロープの存在が知られてしまった…。

きっと、あいつらは捜索を始めるだろう。俺が迂闊な真似をしたばかりに…。

「…ご…めんっ…!…ビャクヤ…!」

俺は哀しくて、悔しくて、そして自分が腹立たしくて、ビャクヤにおぶられながらめそめそと泣いていた…。