第九話

チャイムと共にホームルームが終わり、担任が出てゆく時には、多くの教室では気の早い生徒がもう鞄を掴んで廊下へ飛び

出していた。

金曜日。土日の休みを控えた今日は、皆気分を浮つかせており、落ち着きがない。

「じゃーなガッキー」

「ガッキー言うな。部活、頑張れよ」

「おーよ、さんきゅー!」

泥棒髭のクラスメートがからからと笑いながら廊下へ駆け出てゆくのを見送り、アトラも腰を上げる。

一人でぶらぶらと帰った昨日の帰り道で、少し遠回りして書店に寄り、星陵のタウン誌を買っている。

昨夜は課題に追われて時間がなかったが、帰ったらじっくり読んで土日の間に街巡りをしようと考えたアトラは、

(そうだ…。うん。これは名案かもしれないぞ…)

ふとある事を思い付き、前の方の席に居る、ぼってり丸い白豚の背中を見遣った。

相変わらず周囲に三人がおり、これからどこかへ遊びに行く相談をしているように見える。

邪魔をするのも気が咎めたので、後でメールででも連絡する事にし、アトラは席を立った。

(もしも時間が空いているようなら、休日はシラトと遊ぼうか。街の案内でもして貰いながら…)

何せこの街で唯一の知り合いと呼べる大人…肥満虎のヒロは、自分と同じく他所からの転入者である。案内を頼むには少々

頼りない。そして何より、一緒に歩いている所を見られて学校の誰かに詮索されるのも嫌だった。

その点、ヤスキならば地元民なので詳しいだろうし、何より一緒に居ると楽しい。

良い思い付きだと満足し、足取りをやや軽くしてアトラは廊下に出る。

こちらを振り向く事のなかったヤスキの心境には、全く気付かないまま…。

やがて、アトラから少し遅れ、四人は教室を出て一塊になって昇降口へ向かう。

仲良くつるんでの下校…。一見すればそう取れる。

よほど注意深く見ても、実は三人が白豚を牽制する形で囲み、逃げられないように誘導している事など、まず気付けない。

顔から血の気が引いて表情の冴えないヤスキは、これから始まる事を恐れながら、しかし逃げる事もできず、三人に連れら

れてゆく。

笑顔の「友達」が、しかし本当は激怒している事を、すれ違う皆は知らなくとも、白豚だけは知っていた。



「っしぃ!」

土を蹴立てて同時に立った二つの巨体が、土俵の中央でどっかりとぶつかり合った。

筋肉の上に分厚い脂肪がたっぷりとのった、小山のように大きな体を勢い良くぶつけ合った薄褐色のトドと暗褐色の河馬は、

すぐさま互いのマワシに手をかけ、右四つになる。

共に170キロを超える超重量級でありながら、その立ち上がりは、巨躯の重みを鑑みれば驚くほど素早い。

放課後を迎えて活気付いた相撲部の稽古場は、部員達の体から立ち昇った汗で湿り気を帯び、土の臭いと混じった独特な空

気が満ちている。

土俵外から主将のトドと二年生の河馬を見つめる部員達は、ある者は緊張に顔を引き締め、またある者は拳をグッと握り込

んでいた。

組み合う両者はマワシを取り合ったまま揺さぶりをかけあい、突き出た互いの腹やマワシの食い込んだ臀部が波打つ。

お互いに踏ん張った足は組み合った位置からさほど動いていないが、両者の体には力が漲っている。

拮抗した力比べは、しかしある瞬間にあっさりと崩れた。

「せぇっ!」

幅広の口から呼気と声を発した河馬の前で、トドの巨体が斜めに傾ぐ。

トドの揺さぶりに呼応して体を流して左足を引いた河馬は、誘いに乗って踏み込んだ相手の足にけたぐりをかけていた。

丸太のような足が電柱のような足を綺麗に払い、支えを失ってがくんと前のめりになったトドは、そのまま河馬にはたき込

まれて土俵に転がる。

『あっ!』

部員達の声が響く中、体を捌いた河馬の脇を抜け、でんぐり返しの要領で一回転したトドは、起き上がった姿勢そのまま、

赤子のようにべたっと足を投げ出して座り、顔を顰めて顎下をさする。

またやられた。

常に何かに挑みかかっているような三白眼には、そんな少々口惜しげな光が浮かんでいた。

「主将十連敗〜!」

「よっしゃジュース!ジュース!」

固唾を飲んで見守っていた大男達が一気に湧く。

図体はでかいが相撲の腕は今ひとつというトドが十連敗するかどうか、部員内で賭けていたのである。

そしてたった今、期待を裏切る事なくミギワは連敗を十重ねた。

「主将…」

皆の大袈裟な喜びように半ば呆れながら、苦笑を浮かべた河馬はトドに手を差し伸べる。

目で会釈しながら分厚い手を握ったミギワは、後輩の手を借りて立ち上がると、一度中央に戻って礼を済ませるなり、どす

どすと稽古場から出て行った。

その背中を見送った河馬は、どこか釈然としない物を感じて目を細めていた。

違和感がある。

トドと立ち合う度に覚える奇妙な違和感は、やはり今日もあった。

ウエイト、パワー、スタミナ、どれを取っても一級品のトドは、どういう訳か相撲の腕はあまり良くない。

というよりも、忌憚無く述べるならかなり弱い。他校の選手からはデクノボウ扱いされ、公式戦で当たれば一勝確定で喜ば

れてしまうほどに。

幼い頃から相撲教室で体を鍛えてきた河馬の目から見ても、ポテンシャルは人並み外れて高いのに、である。高校に入って

から前主将だった狼犬に気に入られて誘われ、相撲に取り組み始めたそうだが…。

(戸惑っているというか…、しっくり来ていないというか…、どうも主将には、攻め手の最中、大事なタイミングで躊躇する

癖があるようだ。まさか三年生にもなって未だに相撲の動きに戸惑っている訳でもあるまいに…)

一旦動き出した後、ハッとして、慌てて動きを止めているような…、そんなちぐはぐさが勝てない要因になっていると、河

馬は考えている。

そして時々思う。あのトドは、動きに変な癖が強く染みついており、時折それが出そうになって自制し、それで一瞬、攻め

や守りの重要なタイミングで動きが鈍るのではないか?と…。

河馬がそんな考え事をしている内に部室棟から戻って来たトドの手には、二枚の千円札。

「よっしゃー!」

レスラーのような体つきの二年生がガッツポーズを取り、相変わらず不機嫌そうな顔つきの主将から紙幣を受け取ると、

「主将、お客さんが…」

浅黒い肌の小太りな新入生部員が控えめな声を出し、ミギワは一年下の後輩に紙幣をひったくられながら出入り口を振り向

いた。そして、先ほど自分が潜った出入り口の戸が半分開いており、そこに見知った顔がある事に気付く。

「ミギワ、少し顔を貸せ」

自分と同じ薄褐色の体色をした小柄な柴犬が顎をしゃくると、ミギワは深く頷き、サンダルをつっかけてのっそのっそと外

へ出て行く。

何事か?と戸惑っている一年生達は、しかし他の先輩が何も言わないので困惑する。

「あ、気にすんなー。時々あのひとに拉致されんだわ、ウチの主将」

レスラーのような体つきの二年生がぱたぱたと手を振り、気楽な調子でそう言うと、長身のひょろっとした三年生が後を引

き取る。

「ああなるとミギワは十分以上戻って来ない。丁度良いから休憩だな。キカナイ、何人か連れてジュース買って来い」

「おーす!」

元気よく返事をしたレスラー体型の二年生が、紙幣を握り締めて一年生を引き連れ、稽古場を出て行ったその頃、

「またジュースを賭けていたのか?感心できないな」

稽古場の裏手では、裏口のコンクリートのたたきに腰を下ろしたミギワに、ヒカリが苦言を呈していた。

土が付着した脇腹や背を叩いて汚れを落としているミギワは、しかしこれに答えない。

ここ数日続く強い風も、稽古場と木立に阻まれてここには吹き込まず、二人を撫でる風はそよそよと柔らかい。

たたきに尻をついているトドの顔は、直立している柴犬のみぞおちより高い位置にある。

極端なまでに体格差が大きい二人は、並んでいるだけでユーモラスだが、しかしこの二人の周囲に近付けば、微笑ましい表

情などまず浮かべていられない。

何せ小柄な柴犬は居るだけで周囲の空気を引き締め、大柄なトドは他者を萎縮させるような威圧感を放っているのだから。

「まあ良い、お前がボロさえ出さなければ、どんな息抜きで後輩をじゃらしてやろうと文句はない。…何より、相撲部を勧め

たのは僕と先輩だしな」

そう言って軽く首を縮めたヒカリは、顔を上に向け、遠くから聞こえて来るエールに耳を傾けた。

「…件の事だが…、ウシオが随分熱心に動いているようだ。今日の昼、イワクニが心配して僕の所へ来た」

応援団が上げる大声と太鼓の音に耳を傾けながら、ヒカリは大牛の顔といがぐり頭の人間男子の顔を並べて思い浮かべる。

そして、二人の顔を脳裏から消し、別の男の顔を思い出した。

「…もしかして、「あの男」絡みの事件なのか?とな…」

土を払っていたミギワは一瞬手を止めたが、やはり口は開かない。しかしその意図を読み取ったヒカリは、続けて淡々と意

見を口にした。

「ウシオは否定したそうだ。また、僕らの調べた中でもヤツとあの四人の接触は認められていない。…もっとも、「今の所は」

だがな…。あの白豚の事までは調べ終えている。他の三名についてはまだだ。可能性はゼロでもない」

一度言葉を切ると、ヒカリは顎下に細い指を当てて「ふむ…」と、何事かに納得したように頷いた。

「思うに、ウシオに限って言うならば、ヤツの関与を嗅ぎ取って動いている訳では無いだろう。アイツはイワクニを欺きはし

ない。例えどんな理由があろうと、イワクニにだけは絶対に嘘をつかないはずだ。…それに、ウシオの事だ、ヤツの関与を嗅

ぎ取ったなら、なりふり構わず決着をつけにかかると見て間違いあるまい」

肉の付いた体を叩いて揺すり、土を落としていたミギワが、その時になって初めてヒカリに目を向ける。

「うん?…ふむ…、ウシオが拘る理由、か?うん…」

トドは声を発していなかったが、それでもその目に浮かぶ問いかけを汲み取ったヒカリは、思案する様に顎下に手を当てた。

「新入生のマガキ…。ウシオはあの一年を随分と買っているようだからな、彼と交友関係にある白豚の動向は気になるらしい。

あの白豚が万引きグループの一員だと判れば、マガキも傷つくとでも考えているんだろう。つくづくお優しい事だ」

ヒカリは軽く目を閉じ、「だが…」と続けた。

「応援団という組織の性質上、ウシオは白豚を庇えない。彼が犯人だと知ったら、いかなる理由があろうと上を通じ、あるい

は直接、教師へ報告しなければいけない。そして、然るべき処分が確実に下される」

一息に言い終えたヒカリは、薄く目を開けて微かに微笑んだ。

「面白くなりそうではあるが、収穫時期を誤ったら美味い密は吸えないな…。勝負勘の見せ所だ」

事態を面白がっているヒカリの横で、ミギワは考える。

ヒカリに命じられて彼が調べた事は、既に大牛達が知る情報を大きく上回っている。

昨夜の万引き現場も、店外から観察してしっかり確認していた。

実行犯でこそないものの協力関係にあった事は疑いようもない。だがそんなミギワの報告を受けても、ヒカリはまだ「収穫」

に入らない。

柴犬が何を企んでいるのかは付き合いの深いトドにもよく判らないが、しかし異論は挟まない。

これまで同様、黙って従うだけである。



寮に戻って鞄を下ろしたアトラは、着替える時間も惜しみ、制服のまま早速タウン誌を開いた。

ヤスキを遊びに誘うにしても、行きたい場所などの候補を絞らない事には声をかけられないと思ったのである。

地元民である白豚に任せっきりで案内を頼むのも一つの案ではあるものの、まるっきり任せてしまうのは誘う側としてはど

うなのか?

アトラは持ち前のややお堅い…、しかし他者に好感を抱かせる程度の配慮でそう考えたのである。

しばしあって、学校の裏山の桜並木も雑誌のお勧めスポットになっている事に気付いたアトラは、いわゆる絶景巡りを思い

つく。

(どうだろうな?バスで移動しながら巡れば、話す時間もたっぷりあるだろうし、そう悪くもないか?もうどこも花が散った

だろうから、桜の名所は全部消えるが…、それでも結構見所はあるようだし…)

アトラは計画を立てている今から既にうきうきしている自分に気付き、微苦笑した。

ヤスキの事は、「付き合い易いヤツ」だと思っている。

ヤスキが自分の事をどう思っているかははっきりしないが、少なくともアトラの中では既に「親しい友達」であった。

出会ったばかりでまだお互いの事をあまり良く知らず、遠慮もあれば微妙な距離感もあるが、既に親しい間柄になっている

と言っても良いだろうと考えている。

ヤスキは泥棒髭の犬のように懐っこい訳でもなく、ルームメイトの狼のように開けっぴろげな訳でもないので、どことなく

おどおどしていて、あのバンドの事以外はなかなか話に出て来ないが、いずれ色々と自分の事も話してくれるだろうと思って

いる。

(…もっとも、おれも話題豊富と言えないからな…。それで向うもとっつき難さを感じているかもしれないが)

楽しげに微苦笑しながら、アトラは携帯を手に取り、ヤスキのアドレスを呼び出した。




あれが…、まずかったんだな…。

弁解になるが、おれに気付けるはずもなかった。

それでもあのメールは、タイミングも内容もまずかった…。




一方その頃、星陵の敷地の外れ、古い木造倉庫では…。

「えっ…!えふっ…!えぶふっ…!」

腹を押さえて横倒しになっているヤスキが、ヨダレと吐瀉物で汚れた口から、息も絶え絶えに苦鳴を漏らしていた。

強い風に軋み音を立てる古びた倉庫の中、見下ろす三人の視線は常にないほど冷たいが、焼け付きそうな程激しい怒りに染

まっている。

「舐めた真似しやがって…、このブタぁっ!」

タカスギの靴先が容赦なく背中に蹴り込まれ、ヤスキは「ヒュッ!」と喉を鳴らしたきり、声も出なくなってエビ反りにな

り、ごろごろと転がって身悶えする。

アトラと下校した時に、また一緒にジュースでも飲めるなら…。そんなささやかな期待は、ヤスキにそれまでした事のない

行動を取らせていた。

最低限の小銭を守りたかったヤスキは、三人に奪われないようにと、今日は五百円玉をあらかじめ財布から抜いておき、腕

時計の裏側にセロハンテープで留めていた。

これならジャンプさせられても音が鳴らないからバレないし、財布に少量ながら入っている小銭を献上すれば、疑われる事

もないだろう。

考えに考えた末にようやく捻り出したアイディア。このおかげで先日の帰りにアトラと話をしながら、一緒に飲み物を口に

出来た。

そのようにして一度は上手く行った、ヤスキにとっては上策に思えたこの対処には、しかし思わぬ落とし穴があった。

それは、自身の体質である。

太っていて汗っかきのヤスキは、風こそ強いものの日差しは暖かだった今日、腕時計と手首の間にじっとりと汗をかいてし

まった。

その汗がセロハンテープの粘着力を弱めて、昼休みに学食へ行く際、五百円玉はテープと共に腕時計の下からはみ出したの

である。

それを目ざとく見つけた三人は、この行為が何を意味するか即座に理解した。

自分達に金を渡したくないが故の反抗…。

彼らは「友達」という名のポジションに「居させてやっている」家畜にこんな真似をされた事で、当然のように怒り狂った。

衆目もあったので三人ともその場では静かだったが、ヤスキは三人の視線に監視されながら、針の筵に座らされた気分で放

課後までびくびくと過ごした。

そして今、ここへ連れて来られて「教育」されている。

この「教育」が普段より厳しくなるであろう事が、ヤスキには容易に察せられた。

足腰が立たなくなるまで殴られ、蹴られた事も一度や二度ではないが、いつでもヤスキに想像がつかないような真似をして

来る三人である。昼休みから時間もたっぷりあり、何やら話し込んでいたのも目にしているヤスキは、一体どんな虐待を受け

させられるのかと気が気でない。

最初の暴行が一通り終わり、ようやくまともに息ができるようになったヤスキは、何か引きずるような音を耳にして首を動

かす。

その目に映ったのは、緑色のホースを延ばして引きずって来るコバヤシの姿。

(…もしかして…、またお水を飲まされるです…?)

痛いほどに膨れた腹の痛みと苦しさ、大量に嘔吐した水の味を思い出し、ヤスキの胃は痙攣しながら収縮する。

そんな、倒れたまま怯えているヤスキの背を、ナカモリが軽く蹴った。

「立てよ。でもってズボン脱げ」

「え?」

予想もしていなかった言葉を耳にして、ヤスキは困惑する。が、躊躇しているとナカモリが再び、今度は強く背中を蹴飛ば

した。

「ひぎっ!」

悲鳴を上げつつ慌てて身を起こしたヤスキに、タカスギがぐっと顔を寄せる。

「ズボン脱げ。すぐ」

やけにゆっくりと告げるその声は、とても低くてねっとりとしており、蛇のようにヤスキの首筋に巻き付く。

抵抗する度胸もなく、ヤスキは羞恥を堪えてベルトに手を伸ばした。

「よくよく考えるとさ、シラトにぴったりじゃね?このおしおき」

「だな。良かったなぁおい、たらふく水を飲めて」

ナカモリとコバヤシの言葉を聞きながら、やはり水責めされるのだと確信したヤスキだったが、しかし何故ズボンを脱がさ

れるのかが判らない。

まさかまたオナニーもさせられるのだろうかという疑問は、直後にコバヤシが口にした言葉であっさりと氷解した。

「ま、今日は下の口からだけどな」

ベルトを外し終え、ズボンのホックにかかっていたヤスキの手がピタリと止まる。

「…え?」

「おら!手ぇ止めんじゃねぇ!」

ヤスキが顔を上げた途端に、タカスギが背中を膝で蹴った。

つんのめったヤスキの腰から、ホックがはずれた学生服のズボンがするりと落ち、膝に絡まる。

足をもつれさせて俯せに転んだヤスキは、白いブリーフに覆われた肉付きの良い尻を高く上げるようにして、顎から地面に

激突した。

歯がガチンと鳴り、軽い脳震盪を起こして一瞬目が回ったが、しかし自分が置かれている状況と、彼らがこれから何をしよ

うかとしているかを思い出し、必死に這って前へ逃れようとする。

その無様な姿を眺めながら、三人はげらげらと笑った。

「なーに本気にしてんだよシラト」

「ウケるー!マジウケるー!」

「冗談に決まってんだろ」

そんな声が口々に上がり、のたのたと這い進んでいたヤスキは、振り向きつつホッとした。

歩み寄るコバヤシは、手にしていたホースをいつの間にか床に放り出している。

安堵しつつ四つん這いの状態から身を起こそうとしたその時、ヤスキはガクンと急に足を引っ張られ、腹と股間から床に落

ちた。

何が幸運で何が不幸なのか、ヤスキは男の急所を床に打ち付けたが、しかしその体重で潰してしまう事はなかった。ヤスキ

の逸物は股間にまで過度に蓄積された脂肪に半ば埋まっている。そのおかげで落下の衝撃をまともに受けずに済んだのである。

下腹部に走る鈍痛で息苦しくなったが、ヤスキはすぐに後ろを振り向く。

視線の先では、コバヤシとナカモリがヤスキのズボンの裾を掴み、ぐいぐいと引っ張っていた。

「あ!や、やめっ!」

慌てたヤスキだったが、下手に動こうとした物だから、相手にとっては思うつぼになった。

体重が体重である。ヤスキがそのまま膝をついて頑張れば脚からズボンを引っこ抜くのも一苦労なのだが、半端に体を捻っ

て後ろを見ようとしたせいで、でっぷり太い腹回りに配慮してウエストが広く取られたズボンはすぽんと抜けてしまった。

さらにタカスギがゲラゲラ笑いながらブリーフに手をかけ、無理矢理引っ張る。

「ひぁっ!?や、やめっ!やめて下さいですぅっ!」

今度はヤスキもさすがに抵抗したが、ブリーフの柔らかい布地は簡単にのびきってしまい、あげくに掴んでいた手を乱暴に

蹴られ、放した隙に脱がされてしまった。

無理矢理脱がせたせいでゴムが伸びきっていびつに捻れたブリーフを、汚い物でもそうするようにぽいっと足下に捨てたタ

カスギは、首を逸らすようにして顎をしゃくった。

「良いぜ?」

合図を受けたコバヤシは、太股を寄せて股間を両手で隠し、女の子のような格好でへたりこんでいるヤスキの前に、ホース

を放り出した。

「おら、自分でやれよブタぁ」

恥ずかしさと恐ろしさであうあうと声にならない呻きを漏らしながら、ヤスキは目で問う。

下卑た笑みを浮かべたコバヤシは、わざとゆっくりヤスキに告げた。

「まさかお前のきったねぇケツに入れて貰えるとか思ってんの?自分で入れろよ、そのホース」

ヤスキは、恥ずかしさで火照っていた自分の顔から、さーっと血の気が失せて行くのをはっきりと感じた。

当然そんな事をしたくはない。尻に入れる事自体が嫌な上に、入れたら最後、今日は尻から水を飲まされる。だが…。

「やれねーなら、このズボンとパンツはオレらが先に家に届けておいてやるぜ?フリチンで家まで帰りてーなら、無理にとは

言わねーけどさ」

「う…!」

呻いたヤスキは、頭の中で選択肢を天秤にかける。

断固拒否して裸で帰る…。この選択は辛い。ただ恥かしいだけでなく、見られれば一生露出狂のレッテルを貼られて過ごす

羽目になるだろうし、下手を擦れば警察のお世話になる。

さらに、せっかく仲良くなれたアトラにも敬遠されてしまうだろうという考えが頭を過ぎると、ヤスキの中から即座にその

選択肢は消え失せた。

結局ヤスキはいつものように、自分が我慢すれば一応は収まる方を選択した。

古くなったせいで表面が融解してべた付いている上に、異様にゴム臭くなっているホースを拾い上げ、白豚はおどおどと三

人を見る。許しを乞うような上目遣いで。
だが、急かすでもなくニヤニヤしている彼らの目には、期待の光すら浮かんでい

て、見逃してくれる気など微塵も無い事がはっきり判った。

いつまでもこうしていたところで仕方がない。ヤスキは覚悟を決めて腰を浮かせ、荒い息を吐きながら手を背中側に回す。

後ろから尻にあてがおうとしたが、ホースの先はなかなか肛門を探り当てられなかった。

やがて肛門にホース先端が触れ、粘膜と皮膚の境目である敏感な位置が刺激されると、ビクリと震えたヤスキは強い恐怖に

囚われた。

ホースが清潔ではないという細かな事も頭を過ぎったが、何よりも直接的な恐怖の要因は、あてがってみたホースは思った

以上に太く感じられた事である。

(こ、こんなに太かったら…、入れたら…、さ、裂けちゃうんじゃないです…!?)

固まって躊躇しているヤスキを、三人は無言のまま薄ら笑いと視線で急かす。

ずっとこうしている訳にも行かないと、揺らぎかけた決心を再び固めたヤスキは、浅く呼吸しながらホースを肛門にぐぐっ

と押しつける。

圧迫され、擦れ、痛み、どうにも上手く行かないが、もしも手間取っていたら三人が手を出して来るかもしれないと考え、

ヤスキは必死になってホースをぐいぐいと押し込む。

ようやく先端が浅く潜ると、今度は痛みが酷くなって来た。

「ほらしっかり入れろよ?途中で抜けたら水浸しだぜ?」

コバヤシが囃し立て、他の二名がゲラゲラ笑う。羞恥と苦痛を我慢するヤスキが喘ぎ、呻く姿は、三人の嗜虐心を大いに刺

激した。

「なーに鼻息荒くしてんだよ。感じてんのかお前?」

「ひははっ!とんだ変態だなぁオイ!」

尻の穴がホースと擦れ、引き延ばされ、ヒリヒリ痛む。押し込めば押し込むほど苦しくなるが、三人が満足するまで続けな

ければ先に進まない。

本番はこれから…、水を尻から流し込まれると考えるだけで泣きそうなほど怖くなったが、もう途中で止めるつもりは無い。

一刻も早く終わってくれる事を祈るばかりであった。

歯を食いしばり、鼻からふぅふぅと荒い息をつきながら悪戦苦闘したヤスキは、やがて不意に尻に振動を覚え、ハッとして

顔を上げた。

見ればいつの間にかナカモリが水道の傍にたっており、ニヤニヤしながらコックを捻っている。

「あ…、あぁあぁあぁっ…!」

今更ながら強烈な恐怖に囚われたヤスキは、声を震わせながらへその下を押さえた。

腸が膨らみ、下腹部に強い圧迫感が生じる。

水ではない。水に押されたホース内の空気が、先んじてヤスキの尻に注入されていた。

「ひっ!ひぁあっ!や、止めて!許して!」

苦しさよりも気持ち悪さで音を上げたヤスキの狼狽ぶりは、三人から大笑いを引き出した。

下半身丸出しで尻にホースを繋いだ豚が情けない声を上げて取り乱す姿は、実に滑稽であった。

冷たい水は空気に次いですぐさま注がれ、白豚は甲高い悲鳴を上げる。

腹の中が一気に冷え、腸が無理矢理膨らまされて苦しくなる。

ごぽごぽと、先に入った空気を鳴らしながら奥へ奥へと入り込んでくる冷水は、ヤスキに気持ち悪さと恐怖をもたらした。

「や、やめてぇっ!お腹痛い!く、苦しいっ!パンクしちゃうです!」

「パンクは困るなぁ。んじゃじりじり行くか」

ナカモリは笑いながらコックを捻り、水の放出を少し抑えた。が、止めた訳ではない。ホースの中の水はまだ流動を続けて

いる。

ヤスキは怖くなって泣きじゃくりながら赦しを乞い始めるが、三人は聞き入れない。

冷えた腹がゴロゴロ言い出し、直腸から下腹部にかけて膨満して苦しくなり、圧迫感に次いで排泄感が高まる。

「ひっ…!ひぃ…!ひいぃん…!」

両手でへその下を押さえ、硬く目を閉じて堪えるヤスキは、不意にその音を耳にし、ビクリと身を竦ませた。

虫の羽音のような、ぶぅぅん、ぶぅぅん、という低い音…。

ヤスキの携帯が、タカスギが掴んでぶら下げているズボンの中で、振動しながらメールの受信を告げていた。

誰よりも早く携帯のバイブレーションに気付いたヤスキは、三人に気付かれない様に祈る。

だが、音は微かでも携帯の振動はズボンを伝わり、掴んでいるタカスギの手に届く。

「ん?シラトの携帯か?」

ヤスキのズボンを片手に吊していたタカスギは、ヤスキが止める間もなく携帯をポケットから取り出す。

そして、小窓に記された「亜虎君」という表示を目にし、盛大に吹き出した。

「ぎゃはははは!アトラクンだってよ!?どうするよオイ!馴れ馴れしくも厚かましくも、ファーストネームでご登録だぜ!」

「うっはマジ!?ってかメールやりとりしてんの!?」

「や、やめて下さいぃっ!」

膝立ちでじりっと前に出たヤスキに、「おらおとなしくしてろよ」と声をかけたナカモリは、コックを一瞬だけ捻って水の

量を増やす。

「ひぃぃっ!」

圧迫感が急激に増して仰け反ったヤスキの姿を見て、ナカモリはゲラゲラ笑いながら水を止めた。

「ちょっとお前そのままでいろよ、良いか?口挟んだらまた出すぜ?ん?」

タカスギの手から携帯をもぎ取るようにしたコバヤシは、パカッと開いてメールを検める。



こんばんは。唐突だが、土日のどちらか空いていないか?

まだ街に不慣れなので、できればどこかに遊びに行きながら案内でもして貰えると嬉しい。

無理は言わないが、考えてみてくれ。それでは。

追伸。聞き忘れていたが、親御さんはラーメン屋をしているのか?この間行った店でヤスキと少し似たひとを見た。チャー

シュー麺、美味かった。



携帯に不慣れなアトラが頑張って漢字変換を駆使し、時間をかけて打ち込んだ文面を見て、コバヤシはニヤリと笑う。

面白い事を閃いた。そんな笑みがその顔に浮かんでいた。