漂泊の仙人と煙雲の少女(九)
宵闇に聳える仏塔が、風でヒュウヒュウと物寂しい音を立てる。
広場を囲った高い壁。屋根も映える立派なお堂。ここは、高名な僧を何十人も輩出してきた、歴史ある大きな寺である。
その広場の中央で、ひとりの僧が身を起こす。晴れ晴れとした気分で。
全身の隅々まで気力が満ち、感覚は何処までも澄み渡り、何でもできそうな全能感と高揚感が胸を満たす。
―どうだね? 生まれ変わった 気分は―
目の前に長毛の牛が座っている。あぐらをかき、やけに大きな両手を、手の甲を下にして地面に投げ出し、掌の太極図を夜空
へ向けていた。
「はい!素晴らしい…、素晴らしい気分です!」
興奮して頷く。剃髪した頭の上までが紅潮していた。
頭を剃り上げた四十代の人間の男は、ここで修行していた僧である。しかし、庭に座して向き合う彼と牛の他に、その大きな
寺で動いている者は居ない。
全て使われた。その寺に居た、男以外の全ての命は、男を仙人へ転生させる材料として。
その成果が、男の額にある。
直径1センチほどの小さな太極図。それは、この寺に居た63名の僧と使用人など関係者の命と引き換えに造られた、力を生
み出す炉。
―しかし 注意は しなければならないよお 太極炉心を 与えはしたが 不完全 だからなあ―
牛は顔にかかる長い毛髪の中から、ボゴリと、グレープフルーツ大の右目を覗かせる。
―炉心を 安定させるには 長い 長い 年月と 修行が必要なのさ 自分の 残りの寿命は 把握できるように なったと思
うがねえ 先にも言ったとおり…―
ゾロリと、牛の舌が唇を割って軟体生物のようにまろび出ると、舌なめずりして口の周りを湿らせる。その先端は五股に分か
れており、まるでひとの手のようにも見えた。
―ひとを食って 自分の寿命に 継ぎ足すんだよお―
不老長寿。古くから、多くの者が、その魅力に狂わされた。信念も尊厳もかなぐり捨てさせるほど、それは人々を引き付けた。
そしてこの夜も、一人の僧が信仰を捨てた。不老長寿の魅力に抗えずに。
―では 忘れないように 念を押しておくよ―
牛が両目をボコリと開け、人差し指を立てる。
―ひとを食い 生気を集め 年に一度 我に献上するように―
「はい!必ず!」
それが、男が仙人にして貰うための条件だった。
自らの寿命を延ばすためにひとの命が必要。加えて、牛に献上するためにも命が必要。だが、そんな条件など何でもないと男
は考えた。不老長寿と引き換えなら、「そんな物」など何でもない、と…。
―だが もしも それを 忘れたら…―
牛の舌がベロリと、のたくるようにうねった。
―その炉心は 返して貰うし お前も 食ってしまうよお―
「は…、はい!心得ております…!」
それはさながら、鵜飼いの鵜。
彼らにとっての子弟、親子、主従関係は、そういった物だった。
男は優秀と言えた。
自分自身の寿命も随分と伸ばせたし、言いつけ通り、毎年欠かさず、師を満足させるだけの生気を集め、献上できた。
兄弟子の何人かは、自分の延命だけで手いっぱいになり、師を満足させられるだけの貢ぎ物を用意できず、不興を被って食わ
れた。
額の太極炉は努力の甲斐もあり、この八十年の間に、貢いだ他に集めた生気で、直径3センチほどにまで拡大した。
真面目に捕食を続け、やがて気付いたのは、得られる生気の差。
例えば一般的な成人を食っても、寿命は数週間から一~二ヶ月程度しか伸びない。厳密ではないが、およそ食った相手の残り
の寿命の、一年を一日に換算した具合で寿命が延びる。
老人は大して足しにならない。また、親和性が悪いのかそもそもの寿命が短いからか、家畜も効率が悪い。
そんな中で、効率よく寿命を延ばせる「上質な命」がある事に男は気付いた。
赤子や子供は特に良い。残りの寿命がたっぷりあるので、大人を食うより効率が良い。
また、老若関係なく、修行を積んだ僧侶の生気は、寿命延長効率が常人の二~三倍にも及ぶ。そして、中には僧でなくとも生
気を大量に宿す者もある。例えば、よく鍛えられた武道家など…。肉体、あるいは精神を高める事ができた者は、質が良いのだ
と男は悟った。
そうして男は効率を意識してひとを食った。コツを掴んだ事で順調になった。何もかも上手く行った。だから…。
「無知とは、即ち不幸だ…」
宵の入り、行く手を遮るように姿を現したジャイアントパンダの巨漢を、哀れなものだとせせら笑った。
軍服姿で両腰に長剣を吊るしたジャイアントパンダ。話に聞いた、仙人を標的にする軍の部隊かもしれないと思ったが、これ
がまた笑いを誘う。
銃も帯びず、剣を持ち、おまけに独り。ただでさえ不完全で不出来なヒトなのに、片目が潰れている。
「第八連隊司令官、伏月陰(フー・ユェイン)上校である。仙人と見受ける」
ジャイアントパンダを愚かだと思った。知らないが故に怯えもしないのだと。
「潰した村及び町、集落の名を告げて貰う」
低く張りのある声で、その巨漢は「食事」した場所の名を教えろと言った。何とも身の程を弁えない無礼さだと、相手の無知
さに呆れかえった。
「…答える気はない、と?」
雄弁は銀、沈黙は金、黙して語らない事に業を煮やしたのか、言葉を重ねたジャイアントパンダを、どうしようかと考える。
獲物としては申し分ない。傷物ではあるが、鍛えられた軍人。大きな体には生気が漲っていると予想できた。
約束の時まで少し時間がある。空には形の良い三日月。なれば、この傲慢な身の程知らずを楽器に、即興の歌でも楽しもうか。
左手の組成を変える。若草のように柔軟で、鞭のように強靭で、何処までも伸びる造りに。
これを巻いて締め上げ、全身の骨を砕いてクラゲのようにしてやろうか。
尻から入れて臓物を掻き回し、口から押し出して吐き出させてやろうか。
ニュルリと、左腕が付け根から先の柔軟性を変化させ、蛇のようにくねり、弾むように跳ねあがってユェインに伸び…。
チンッ…。
そんな、微かな鍔鳴りに重なって、宵闇に鋭利な光の弧が残る。
まるで地上に落ちた小さな三日月。月光のように淡く黄色味がかった残光は、抜刀し、一閃された長剣の刀身が残した軌跡。
「うっ!?」
禿頭の仙人が呻いた。伸ばした手の先が宙でのたくりながら戻る。その人差し指と中指の間から手首までが、パックリと両断
されていた。
「その剣は…、宝貝か…」
仙人はジャイアントパンダが抜いた長剣を凝視した。
美しい剣だった。刀身60センチほど、柄は40センチほど、全長1メートル余りの長剣は根本から刃先近くまで並行で、両
側から先端に向かい葉先のようにゆるい曲線を描き、鋭い切っ先を形作る。柄頭ではギザギザした王冠のような金属が、眩く鋭
利に金色の光を反射する。
全長から見ればやや細身の刀身は、柄よりもやや幅がある程度。金属ではなく、翡翠を思わせる鉱石のような材質で、内側か
ら明るい白緑色に発光している。
その剣も、剣を持つジャイアントパンダも、薄っすらと浅黄色の燐光を帯びている。
「気功術に宝貝…。そうか、「第八連隊」と言ったな?」
禿頭の仙人は思い出した。軍や政府機関の中には、仙人を狩る事を任務とする者達が居ると聞いた事を。
それらは隊であったり、室であったり、所であったりするが、「そうである事」を示すのは、「八」という番号…。
「「第八」…。なるほど…」
禿頭の仙人が笑う。斬られた手の先はお互いに吸い付いて傷を塞ぎ、薄く傷跡だけを残して完全にくっついていた。
「宝貝は良い土産になる…。師もお喜びになるはず…。貰ってゆくとしようか」
気功術の使い手。身体能力の底上げと耐久性の上昇。そして宝貝の剣…。その戦力を計算してもなお、容易い相手と判断した
禿頭の仙人を前にして…、
「3秒か…」
ユェインはぽつりと呟いた。その隻眼は先ほど切った手の、傷の具合を確認している。
「何?3秒?」
発言の意味が解らなかった禿頭の仙人は、
「禁圧解除…。仙術解禁…」
低く呟きながら軽く両目を閉じて、その場で膝を曲げ腰を沈めたユェインを、
「?」
見失った。完全に。
姿は何処にも見えず、まるで画像を加工して取り払ったように、ジャイアントパンダの巨体が消え去っていた。
「!?」
勘だった。判った訳でも見えた訳でもない。勘で上体を傾けて半歩下がった。
ズンと地面を走る震動。同時に、その右肘が半分までパックリと割れて、肉の断面と骨を晒す。
右側に垣間見えたのは、黒白の巨躯と水平に走った三日月形の残光。水平に、後方まで振り抜かれた剣の輝きと、鋭く光る右
目が仙人の目に焼き付いた。
そして、再度ユェインの姿が消えた。震動は、今度は左側。無数の月光が煌めき弧を描く。
禿頭の仙人の左腕…変質させて伸ばしたソレが、指の先端から肩付近まで、僅かなタイムラグをおいて順に切れ目を生じさせ、
一瞬後、2センチ厚で等間隔の輪切りになって、バラッと宙に散った。
「な!?」
驚きの声を上げる禿頭の仙人。その目はユェインの動きどころか姿を捉えられず、瞳に映るのは置き去りにされた剣の残光と
巨躯の残像のみ。
大男である。それも肥満体の、敏捷どころか鈍重そうな、200キロを軽く超えているだろうジャイアントパンダ。それが、
比喩でもなく目にも止まらぬ速度で移動している。
そして、後ろから両膝が断たれた。
斬られる感覚はない。痛みを感じる暇もない。
(くっ!縮地か!?この男、仙術を…)
縮地。地を…すなわち空間を縮め、瞬時に移動する仙術。過程を飛ばして結果を生じ、障害物も無視し、「目標地点への移動」
という結果を現出させる。
さらにユェインは、その気功術を仙人が体得するレベルで細やかい操作する事が可能。一例として、その技能を以って、纏っ
たエネルギーを推進剤として使用し、腕の一部、足の一部、背の一部などで炸裂放出させる事で瞬間的に莫大な推進力と加速を
得られる。これにより火薬を爆ぜさせて弾丸を撃ち出すように腕を、肘を、前腕を駆動させれば、剣筋は易々と音速を超える。
縮地は加速ではなく、あくまでも瞬間移動の類であり、移動距離を縮めるだけで運動エネルギーは得られない。だが、これに
持ち前の気功術を併せた身体加速と高速機動を加える事で、ユェインは常に理想的な踏み込み距離で最大加速の斬撃を、超至近
距離で障害抜きに放つ事ができる。
とはいえユェインの縮地には制限がある。本家である仙人が使う仙術とは違い、有効距離はある条件下を除いて視界範囲内の
10メートル以内、視線が通らない障害物の向こうなどへは移動できない。しかしこの連続瞬間移動はその弱みすら活用した物。
一足飛びに何百メートルも移動する事ができない代わりに、消耗が少ない事を逆手に取った使い方である。
(お、おのれ…!油断した…!)
超短距離縮地の連続使用と、気功を推進火薬代わりにする高速攻撃。その速度はひとの域を凌駕した禿頭の仙人の目でも追い
切れない。ジャイアントパンダの動きは全く捉えられず、まるで降り注ぐ月光とその照り返しが、刃になって襲い掛かって来る
かのようだった。
(だが、修復はまだまだ可能…。…!?)
予想以上に手強いと認識を改めた禿頭の仙人は、そこではたと、思考を一瞬停滞させた。
傷は修復できる。何百人という人々の生気を奪い、それをストックしてきた彼は、まさに憧れである不老長寿を獲得したと言っ
ても良かった。だがそれは、寿命は継ぎ足しによって長くなり、負った傷は通常の何百倍もの速度で治せるから、という理屈に
よる不老長寿。
つまり、「修復速度を上回る速さで切り刻まれた」場合は、治癒が間に合わない損傷の重なりが致命傷に達し得る。
3秒とユェインが数えたのは、禿頭の仙人の傷が修復される時間。それ以上の速度で切り刻み続ければ殺し切れるとジャイア
ントパンダは考えた。乱暴で雑な理屈、効率的とはとても言えない、単純極まりない力押しだが、それを、震将ユェインは仙人
相手に完遂できる。
「あ、あああああっ!」
このままでは微塵に刻まれ、修復が間に合わず死んでしまう。人間であった頃に抱いていた死への恐怖を、禿頭の仙人は八十
年ぶりに思い出した。
倒れる前に断たれた膝を繋ぐ。3秒必要なので完全には戻らず、ずれた状態で癒着する。しかし、よろめきはしたが転ばずに
済んだ。
超高速移動と超高速斬撃によって完全に包囲されており、逃げるどころか間合いも取れない。ユェインの戦技は徹底して、仙
人を逃さずその場で殺す事を追求し、完成されていた。
(ならば!)
禿頭の仙人が口を開ける。大きく…文字通り耳まで裂ける大口を。その奥に赤々と揺れる炎が見えたかと思えば、それが放射
状に吐き出された。
炎を吐き、それで周囲を薙ぎ払う。一瞬で近くの立木が炎上し、水分を吐き出して弾け割れる。とにかく間を離させる。その
ために禿頭の仙人は吐き出す炎でぐるりと周囲を焼き払った。
と、踊って燃える炎の向こうに、ズンと足音を響かせて、中腰になったジャイアントパンダが姿を見せる。
「堪らず離れたか。っ!?」
禿頭の仙人は驚愕し、目を見開いた。ユェインは左手に、人間の物と見える右腕を掴んでいる。肩口から切断されたそれは…。
「私のぉおおおおおおおおおおおお!?」
離れ際に右腕を根元から切り落とし、繋げられないように持ち去られてしまった仙人が悲鳴を上げた。生やして修復する事も
できるのだが、それには傷を塞ぐ格好でくっつけるよりもはるかに力が要るし、数十分かかる。左腕は先に輪切りにされたので、
両腕とも失われる格好になった。
さらに、禿頭の仙人を驚愕させたのはユェインの「左目」だった。
縦一文字の切り傷が跨ぎ、潰れて白く濁っていた眼球…。その瞳孔に当たる部分に、ある紋様が浮かんでいる。
「た…、太極炉!?」
ユェインの左目、その瞳の位置に出現した小さな太極図は、模様が視認できる程度の速度でゆっくりと回転しており、鬼火の
ように青白く光っている。
「貴様、仙人だったのか!?」
「違う」
ヒュンッと剣を一振りし、ユェインは応じた。
「私は「仙術兵器」。仙人の成り損ないにして、ひとの成れの果てだ」
あの日、降りしきる雨の中、手当てしながらルーウーはユェインに尋ねた。
即死をかろうじて免れた深手だった。ひとのまま可能な範疇で傷を癒しても助からないほどの。
永らえる方法はあるにはある。が、これを行なえば…。
―其処許は 厳密には ひとと 言えなくなろう―
仰向けに寝かされ、胸に当てられた両手から注ぎ込まれる仙気でかろうじて命を保つユェインは、ルーウーの苦悩するような
瞳を見上げていた。
―炉心を その身に 埋め込み 太極炉を 身に宿せば 其処許を 助ける事も 叶う しかし…―
ひとである以上、その傷の治癒はひとの範疇に留まる。だが、仙人が持つ一種の動力炉…太極炉を身に宿す事で、ひとの領分
を越えた治癒が可能となる。
もっとも、誰にでも炉心を入れられる訳ではない。炉心を体が受け入れ、太極炉が形成されるかどうかは、生来の資質か、数
十年から百年にも及ぶ修行などで後天的に得られる適合性で決まる。
資質がある者や適合性を獲得した者は、炉心が太極炉を構築して肉体を造り変え、仙人になる。
資質も適合性も全く無い者は、そもそも炉心が定着しない。
そして、資質が完全に無い訳ではない者や、修行による適合性の獲得もできていない、半端な状態にある者は、「成り損ねて、
成れ果てる」。
体は仙人に近付くが、「そのもの」には成り得ない。ひとの定命はそのままに、しかし不滅の存在に近付いた代償として、子
を成す事ができなくなる。そして、いつか死したその時も、ひととしての死は迎えられない。死ねば、太極炉心の破壊によって
存在を終わらされた「不完全な仙人」と同じく、肉体は塵となって、亡骸を残さず天地に還る。
それが、「仙人の成り損ない」で、「ひとの成れの果て」…。
―子を 得られず 死した 時には 骨も 残らぬ それでも 其処許が 望むならば…―
委ねられた選択に、ユェインは顎を引いた。
このままでは死ねない。その想いが、迷いを全く生じさせなかった。
ルーウーは寂しそうな顔で頷くと、両手の親指と人差し指で輪を作り、印を結んで腹の前で向き合わせる。
そして、その腹部に浮き上がる太極図に、そっと両手で触れてから、ゆっくりと前へ離すと、その手の間には投影されたよう
に半透明な球状の太極図が生じていた。
それは直径1センチ程度の小さな物だが、どの角度から見ても太極図の紋様を成す、奇妙な球体であった。腹部にある太極炉、
そこから株分けされた小さな炉心を、ルーウーは両手の間に浮かばせたまま、そっとユェインの胸に近付ける。
そして、その小さな炉心は、軍服をすり抜けて体の中へと吸い込まれてゆき…。
「仙人から太極炉を奪い、身に宿したとでも言うのか!?」
禿頭の仙人が声を大きくする。取り乱す相手とは裏腹に、冷静そのもののユェインは「条件次第でそれも可能だが、私の炉心
は贈られた物だ」と静かに応じた。
「貴様らの横暴を憂い、慈悲の心を抱いて世を観、雪げぬ罪を犯した人類をも見放さなかった、高潔で心優しき神仙より」
禿頭の仙人は唸った。目の前の男の事が理解できなかった。
「ひとを越える力を持ち、国に従う理由など無いだろう…。なのになぜ政府の狗になっている!?」
馬鹿馬鹿しいと思った。好き勝手に生きられるだろうに、と。
「だいたい、仙人を狩る意味は何だ?英雄気取りか?皆が皆、犠牲を出して命を奪って糧にしながら生きているだろう!?政府
もそうだ!人民を押さえつけ、犠牲を強要し、君臨する…。そう、政府も多くの犠牲者を出しているではないか!英雄になりた
ければ、その力で政府でも倒せばよかろうに!」
禿頭の仙人の言葉に、ユェインは「一理ある」と頷いた。
「…は?」
「だが、私にはそれをする気も、才もない。それは、それに興味があり、それを可能とする才覚を持ち、よりよい結果へと導け
る者がすれば良い事だ。それと…」
ユェインは左手を腰へ…二本目の剣の柄にかける。
「貴様の言い分には一理あるが、それで、民に害成す目の前の災いを、私が放置して良い理由にはならない」
「ケェッ!」
会話の隙を突こうとしていた禿頭の仙人が、大口を開けて炎を帯状に吐いた。迫るそれを前に、ユェインは左腰の剣を逆手で
引き抜き、二本の長剣を柄で連結する。
全長2メートル超、握りは80センチにも及ぶ双翼刃形態に組み合わせたそれを、ユェインは眼前で回転させた。その軌跡に
重なって一瞬太極図が浮き上がり、次いで満月のように薄く黄色い光の円盤がそこに出現する。
「仙術解禁…。万枯陣(ばんこじん)」
ゴウッと唸りを上げて、ユェインが描いた円月に炎の帯が殺到したが、そこに接触した直後、パキンと音を立てて凍り付いた
ように動きを止める。
「な…、何だその仙術は!?」
禿頭の仙人が叫ぶ。吐いた炎の先がユェインの陣に接触するなり、口内で燃えていた火…吐炎の仙術の大元までもが、強制的
に停止させられて消え去っていた。彼も知らないその仙術は、元々仙人達が継承していた物ではなく、四罪四凶はおろか、桃源
郷に住まう神仙達も知らない物。
ユェイン含め、ルーウーから太極炉心を与えられた五名…政府が認定した「最初の仙術兵器」は、その体が造り変えられて安
定するまでの間、安静に過ごしながら老虎から直々に仙術の手ほどきを受けた。その折にユェインだけが会得できたのが、長年
の漂泊の間にルーウーが編み出した仙術の一つ、万枯陣。
端的に言えば「対仙術用仙術」。作り出した陣により、接触した仙術から仙気を強制的に散らして枯渇させるというのがその
効果。その仙気の枯渇速度と量は凄まじい物で、低級な仙術であれば瞬時に雲散霧消させるか強制停止に至らせ、大掛かりな下
準備を必要とし地域レベルに作用する大規模仙術でも、その働きを阻害されるほど。
作用は見ての通り、ユェインが盾のように展開した陣に触れれば、大概の仙術は防ぎ止められてしまう。
この仙術をただ独り扱えるが故に、ユェインは関係者内でこう呼ばれる。「仙人殺し」と。
仙術の無効化という現象に、動揺している禿頭の仙人。その隙を見逃さず、視界からまたユェインが消える。
そして、男の禿頭が宙に舞った。
縮地を利用した踏み込みで側面を取りつつ、すり抜けざまに双翼刃を一振り。防がれないよう両腕を先に落とした事で、それ
はより致命的で確実な一閃となった。
仙人の真後ろ、背中合わせで急制動をかけて停止したユェインは、ヒュンヒュンと回転させた双翼刃を脇に抱える位置でピタ
リと止めるなり、その後端を鋭く後方へ、振り返りもせずに右の脇下を通して突き出す。
(!!!)
宙にある禿頭の後頭部に突き込まれた薄緑色の剣先は、貫通して太極図の中心を貫き…。
(ま、待っ…!)
命乞いの暇も与えられなかった。ヒュパッと回転させられた月光のような刃で、禿頭の仙人の頭部は両断され、落下も待たず
塵になって消え去る。
双翼刃を二本の剣に分割し、腰の鞘にチンッと戻したユェインは、倒れ込んだ仙人の胴体側も霞と消え去るのを確認すると、
軽く目を閉じ、そして開く。
瞼が上がると、再度変化の術での偽装が働き、その左目からは対極図が消えていた。
(残り二体…。チョウが発見するのが先か、それとも向こうがこちらに到着するか…)
見晴らしが良い崖上へ、大柄な体躯の重みを感じさせない動きで跳躍を繰り返し、登ったユェインはルーウーの所に預けてき
たホンスーの事を思う。
治療が終わって目が覚めるまで、待っている事はできなかったが…。
息を切らせて駆ける。顎が上がり、足は重く、今にももつれて転びそうに、前のめりのままレッサーパンダは駆ける。
赤茶けた色が黒々と濃さを増す、夕暮れの、乾いたグラウンド。走っているのはもう自分だけ。
汗が靴の中までじっとり湿らせ、底に溜まったような状態。しかしもう不快さも気にならない。気にする余裕がない。
六周遅れで息も絶え絶え、体力作りの基本訓練で、ホンスーは隊員達から大きく遅れ、一人だけ走り続けていた。途中まで待っ
ていた同じ小隊の面々も、先に帰らされて夕食に向かっている。
基地の影が長く伸びてかかったグラウンド、赤い景色に溶けて消えてしまいそうなレッサーパンダ、風は乾いて余所余所しい。
聞こえるのは自分の足音と、乱れた息だけ。
判っていたはずだった。「第八」がどんな所か、判って配属を希望したはずだった。だが実際には見込みが甘かった。
そもそも士官になれたのも筆記の成績が良かったからで、体力面ではギリギリ及第点。何をしてもおいてけぼりになり、時に
は同じ隊の足を引っ張り、行動を乱してしまう。
第八を構成する戦力として申し分ないと判断された、精強な兵隊揃いの中、彼らでもヘトヘトになる距離のランニングとなれ
ば、ホンスーにはついていくのもままならない苦行。
最後には歩くようなペースで、ようやく走り切ったホンスーは、しばしグラウンドに跪いて息を整えた。
空は大半が夜の色、西がほんのり明るさを残すだけ。
震える足で立ち上がり、よろよろとグラウンドの外に向かったホンスーは、仕切りのフェンスに設けられた扉を潜った所で、
ギョッとして立ち止まった。
そこに立っていたのは、大柄で恰幅のいい猪。腕組みをして仁王立ちするチョウの表情は厳しく、見下ろされるホンスーは小
さくなってしまう。
同じ距離を走ったのだが、だいぶ時間も経ったので体は冷え切っている。肉付きのいい上半身を覆い、はち切れんばかりになっ
ているランニングシャツには、汗の乾き残りが薄く染みになっており、盛り上がった胸の段差や張った腹の臍の窪みが、布地越
しに少し透けて見えた。
「す、済みました…。ジァン上尉殿…」
小さな掠れ声で報告するレッサーパンダに、猪は頷きもしない。
第八連隊はその特殊な構成と編成目的の都合上、兵にも士官にも質が求められるので、他の連隊と比べれば構成人数が少ない。
それでも総員千五百を超える大所帯なので、訓練も教導も随時必要になる。しかしその一方で、極秘事項の取り扱いが多いため
教導官にも「そういった事」を熟知している事が求められると同時に、「普通の軍人の教導官」を招き入れる事も制限される。
であるが故に、基本的には教導官を連隊内の隊員が務める。
下士官以下の指導を務めるのは六名の軍士長で、士官の中でも尉官級までの教導官を務めるのは二名の上尉。統括すべき直下
の部隊を持たない連隊長付副官であるチョウは、この後者の片方である。
「フー少尉」
厳しい顔つきのまま猪は口を開いた。下の名前では呼んでくれなくなったと、ホンスーは委縮しながらも距離を感じて寂しく
なる。
「体力維持の基本訓練について来られないようでは、第八の隊員として不適格と言わざるを得ん」
低く、冷たく、抑揚のない声に、ホンスーは首を縮めて身を固くする。かつて慕った同郷の兄貴分とは、もう態度も口調も表
情も違う。
「こうも頻繁に行動を乱されては、作戦活動中に足並み揃えた行軍も期待できん。改めて配置換えについて上申するので、その
つもりでいるように」
チョウの発言を要約すれば、いつ異動を命じられても良いように荷物を纏めておけ、という意味になる。
「…君は、軍人には向いていない」
猪っ鼻から荒々しく息を吹き、チョウはホンスーを睨みつけると、踵を返して立ち去った。
その遠ざかる背中を、ホンスーは言葉もなく見送る。かつては幾度も振り返り、はぐれていないか確認してくれた、頼もしかっ
た後ろ姿を…。
自分が釣りに誘ったせいで故郷を守れなかった事を怒っているのだろう。
反対されていたのに軍人になった事も怒っているのだろう。
昔からは想像もつかないほど余所余所しくなった態度から、最近では刺々しい態度にまで変わってしまったチョウの内心を、
ホンスーはそのように推し量る。
(でも…。成果を上げれば…)
ホンスーは思う。昔通りにはならないとしても、少しは見直して貰えるかもしれない、少しは喜んで貰えるかもしれない、少
しは償いになるかもしれない、と…。
夕陽に影を伸ばされながら離れてゆくふたり。その様子を…、
「………」
基地三階の窓から、隻眼のジャイアントパンダは無言で眺めている。
何を思うのか、その厳めしくも表情の無い顔からは覗えないが、光が残る右目は憂いの色を湛えていた。
それは、作戦行動で出立する二日前の事。
決定的なすれ違いを抱えたまま、ふたりは運命の日を迎えようとしていた。
「ここは…、もう夜だよ!?」
目が覚めて、既に暗くなっている事に気付いて、カナデは仰向けのまま目を丸くした。
滝に飛び込んだ事までは覚えている。着水の衝撃で気絶していたらしいが…。
脇に座っているルーウーが見えたので、慌てて身を起こしながら目を向ける。まだ湿っている衣類が肌に張り付いて動き辛かっ
た。見回せば、あの滝の傍の崖ではない見覚えのない景色。草が僅かに茂った、岩場の隙間の土が見える場所にカナデは寝かさ
れていた。
見ればホンスーもすぐ傍に寝かされている。無事だったらしいとホッとしたカナデは、「お爺ちゃんが運んでくれたんだネ?」
と尋ねて…。
「え?通りすがりの軍人さんが助けてくれたんだよ?」
危機に颯爽と現れたジャイアントパンダが、飛び込んで二人を助け、あの「混乱した」兵士も連れて行った…とルーウーから
知らされて、カナデは複雑な顔になる。
(う~ん…、たぶん知っちゃいけない事に触れてるんだよネ…。面倒にならなきゃいいけど…)
などと考えている大狸は、老虎が付け加えた情報に「え?ホンスー君の?上官だったんだよ?」と、反応し、レッサーパンダ
を見遣る。原隊が機能しているのは喜ばしい事だが…。
「…うなされてるよ?」
まだ目覚めていないホンスーは、何か夢でも見ているのか苦悶の表情だった。それほど激しい痛みは残らないはずだがと、注
視したルーウーは、ホンスーを優しく揺り起こす。
「ご、め…なさい…。ごめん…なさ……。…チョ……兄ちゃ…」
うわごとのように繰り返し、何かを詫びているホンスーは、やがて薄く目を開けて、何度か瞬きした。
「あ…、ここは…」
ぼんやりした顔で目を擦ったレッサーパンダは…、
「………滝つぼと迫るお腹っ!」
気絶する直前の光景を思い出し、全身の毛を逆立てた。
「いや、お腹はゴメンよ。でも水面に顔面痛打よりは良いと思ったんだよネ…」
「い、いえ!有り難うございました何だか懐かしかったですし!」
敬礼するホンスー。言っている本人も何を言っているのか判らないが、言われているカナデも聞いているルーウーも勿論判ら
ない。
とりあえず今は安全だとふたりに説明したルーウーは、それとなく調子を窺った。本来ならば全身打撲で動けない程なのだが、
治癒の効果は覿面で、ふたりとも体中あちこちが軽く痛みはしても、動きに支障はない。
それはそうと、と老虎はレッサーパンダに、ずっしりと物品が詰まったベルトポーチと、掌に収まるサイズの小さな通信機を
渡した。ユェインからだ、と。
「え?預かり物?…連隊長から!?」
ピョコンと尻尾を立てたレッサーパンダがまじまじと見つめるそれは、ユェインが携帯していた予備通信機。もっぱら、ジャ
イアントパンダが通常の通信を行ないながら、通信二刀流で副官と相談するために使っている物で、音質や通信可能距離含めて
性能はさほど良くないが、座標の計測及び送信機能も備えている。
ふたりとも目が覚めたので、老虎はふたりを救助した軍人の事を、改めて可能な範囲で告げた。
現在は作戦行動中につき、目覚めを待てず急ぎ場を離れるのを詫びていた事。
カナデには、隊員を助けてくれた感謝を述べていた事。
ホンスーには、後で通信を入れて迎えを寄越すので、ルーウー達と行動を共にし、一行の安全を確保するよう言っていた事。
なお、カナデ、ホンスー、シャチ、そして軍人側…それぞれに不利益が生じないよう与える情報と伏せる事をよく考えねばな
らないので、ルーウーはなかなか複雑な思考作業を強いられている。
(う~ん、これは身柄確保案件かナ?)
おそらく外に知られてはまずい事に、もう十二分に触れてしまっただろうしと、腹を括るカナデ。一方ホンスーは、連隊がま
だ機能していると判って安堵し、安全確保を命じられた事で判り易くやる気が湧いて、伏せ気味だった耳がピンと立った。
(たぶんだけど、異常行動を起こした僵尸兵の捜索とか鎮圧で忙しいんだろうな…。民間人の護衛も軍人の任務…。今はボクが
…いやワタシが適任っていう事なんだ…!)
そこまで考えたホンスーは、ポーチの中身を確かめた。拳銃のマガジンが二つと、手投げ弾、煙幕筒が一つずつ入っている。
一般人の通常の護衛には十分な品揃えだった。
(ジョンはたぶん、軍とは僕以上に接触したくないだろうナ。合流したら身を隠すように言ってあげないとヤバいよ)
想定以上に時間がかかったので、先行しているふたりも気を揉んでいるだろうと、心配になったカナデは…。
数十分後、言葉を失った。
「な…、これ…、え?崖崩れ?地盤崩壊…?」
ホンスーが屈み込んで、大穴を覗き込む。
すり鉢状の大穴に水が流れ込んで、途切れた道を前に、一行は立ち尽くした。ルーウーまでも目を大きく見開き、想定外の事
態に困惑している。轟音も、震動も、感じられなかった。これだけ大規模な変動が起きていたというのに…。
合流予定だった場所は間違いなくここだった。だが、シャチとチーニュイの姿はどこにも無い。
「ジョン!何処だよ!?チーニュイちゃん!?」
手をメガホンにして叫ぶカナデの声は、肺活量もあるので遠くまで良く通ったが、応える者は無かった。
「て、手分けして探しましょう!」
ホンスーが即座に主張した。
「ここに埋まってる可能性もあります。でも、地滑りとかが心配でこの場を離れたかもしれません!暗かったから、途中で待っ
ていたのを見落とした可能性も…。無事だったら知らせに戻ろうとした事も考えられますし…」
「判った。じゃあ僕はひとっ走り戻って、ふたりが居なかったか手早く確かめるよ」
カナデの決断は早かった。最悪のケースはここに埋まっている事だが、この規模の崩落範囲では人力での救助は容易ではない。
鯱の巨漢も同行しているのだから、異常を伝えに戻ろうとしたかもと考えた。最悪の事態はともかくとして、今は可能性を一つ
ずつ潰すのが先決である。
「ボクは…、え?は、はい!判りました!」
老虎が荷物から懐中電灯を取り出して周囲を照らし、この場を確認すると伝えられたホンスーは、崖を回り込む格好で、周囲
とこの先を探る事にする。
そうしてふたりがその場から去ると…。
―生きて おるか―
水が溜まった大穴の底を見下ろし、ルーウーは呼び掛けた。
(グフフ。死にかけたが、なんとかなァ。…いや俺様はそもそも死体なんだがァ)
水面がゴポゴポと泡立ち、そこからヌッと現れたのはシャチの頭。
岩にベシャリと手をかけて這い上がるその全身は、カモフラージュのための人民服が見る影も無く破れてボロボロになり、あ
ちこちで肌が露出している。
体中傷だらけの酷い状態である。あちこちに裂傷を負い、額の右側も切れ、出血で顔面の半分が赤く染まっていた。
「あれが仙術ってヤツかよォ?おっかねェなァ仙人。グフフフフ…!」
怒りが籠った含み笑いを漏らすシャチは、危うく機能停止するところだった。それも数秒程度の交戦…否、戦闘とも呼べない、
一方的なやられ方で…。
その時、相対した牛が両手を向けた直後、それは前触れも無く訪れた。
感知したのは気圧の急激な変化と、重力の乱れ。自分を下へ引き付けるはずの引力が牛との中間に生じ、そこへ何もかもが吸
い込まれ…否、落ちて行く。
「グフ、重力操作かァ!?」
咄嗟にできる範囲で能力を行使し、乏しい大気中の水分を押し固めて氷を生じさせたシャチは、それを蹴る事で足場にし、誘
引範囲から逃れようとした。が、その時点で衣服が引き千切られるように裂け、体のあちこちに裂傷が生じた。
吸い寄せられるだけではない。急激に移動する大気に触れた肌が、気圧差と風圧で弾けて裂けてしまう。
―潰れて 消えろ 綺麗にね―
牛がニタニタと笑う。前髪の隙間から盛り上がる大きな目玉をギョロギョロさせ、両手の太極図から赤黒い光を放ちながら。
空間の中心、そこめがけて帯状に霧が、空気が、砂塵が、岩塊が、落ちて潰れて圧縮されて消えてゆく。直径10メートル程
度から始まり、30メートルを超えて拡大してゆくその強制圧縮空間の中で、タオティエだけが、何もないそこに足場があるか
のように、見えないシェルターで護られているように、影響も受けず微動だにしないまま佇んでいた。
(こりゃァまずいぜェ、グフフフフ…。単純な重力操作じゃねェ、有効範囲内の物質を空間の中心に引き寄せて、丸ごと潰して
塊にするってモンかァ!)
正直、打つ手が殆ど無かった。作用しているのは惑星のソレとは別に生み出された引力そのもの。体にロケットでもついてい
なければ脱出もままならない。反撃に十分な水も確保できず、「落下」して行った先で原型も留めない何かの塊の一部になるの
を待つばかり…。ではあったのだが、そのままやられるほどシャチは諦めが良くない。
かき集められるだけの水分を集め、圧縮。冷却ではなく圧力で生み出した氷を、一瞬で気化させるという、一見すれば自爆行
為を敢行した。
「オメェも道連れだぜェ!」
結果として、爆風が圧縮空間を満たし、シャチは弾き出され、周辺が崩壊した。
粉砕されて舞い上がった周辺の土砂ごと圧縮され、キュボッ、と音を立てて圧縮空間が消え去る。
大穴の上、何もない空中に佇む牛は、首を捻ってしばし周辺を見回していたが…。
―心音も無い 呼吸も 何処に吹っ飛んでいったかと思ったが… まあ 死んだならいいさ―
ゆったりと、そのまま空中を歩いて立ち去った。
「まァ、土砂に埋まったまま、実際に心肺機能含めて全部停止してやり過ごしたんだけどなァ、グフフフフ!」
岩に腰掛けているシャチの背中に手を当てて、傷を治癒してやりながら、ルーウーは小さくため息を吐く。よくもまぁ生きて
やり過ごせたものだ、と。
「ところで、孫はどうしたァ?途中で会わなかったかァ?」
― …!? ―
ルーウーが凍り付いたように動きを止める。
「おい、アイツを見かけた後に、戻るように言ったんだぜェ?………居ねェのか?」
同時にシャチも悟った、促した通りには行かなかった事を…。