漂泊の仙人と煙雲の少女(十五)

「結婚」

 ジャイアントパンダが呟いた。

 腰掛けた朱色の椅子は格子の切り抜きが施され、雅な設えな上に大きいのだが、それが狭そうに見える程の大兵肥満で、目つ

きが鋭く厳めしい顔の巨漢である。肥満体というよりは、逞しく肥えた頑強そうな巨躯で、胸は分厚く肩も張っており、円形の

卓に肘をつく右腕は丸太のように太い。

「うん」

 頷いたのもジャイアントパンダ。

 卓を挟んで向き合っている男ほどではないが、やはり椅子が狭そうに見える大男。ただしこちらは脂肪太りで、ポヨンポヨン

に緩んだ体つき。表情も柔和で目尻が下がり気味な、何ともひとのよさそうな顔をしている。

 広い館の庭に面した一室。戸が開け放たれ、魚が泳ぐ池に月が浮かぶ様を横目に、どちらも二十歳を少し過ぎたあたりと見え

る二頭は、茶と点心が乗った円形の卓を挟んで向き合っていた。

 体つきが緩い方は兄で、名は伏陽光(フー・ヤングァン)。

 顔つきが厳めしい側は弟で、名は伏月陰(フー・ユェイン)。

 一歳違いの兄弟だが、この長男と次男は昔から何もかもが違っていた。

 伏家はその先祖を辿ってゆくと、歴史書にも名が残る多くの優秀な武官、武将を輩出してきた武人の血筋である。代々、優秀

だが権力に拘泥せず、実直で勤勉。時の政権は勿論、現代でも軍部からの信頼は厚い。

 また、軍人武人としてだけではなく、そのバイタリティをもって冒険家、開拓者となった者もおり、13世紀頃には後のシル

クロードを通って地中海に至り、そちらに定住した変わり者まで居たらしい。

 なお、ユェインの祖父は辣腕で知られる鬼軍人。仙人に対抗すべく、それまで臨時で協力を仰ぐ関係だった各門派の方士や道

士を、正規に軍法に則る軍属協力者という身分にして、現在ある様々な特殊部隊の礎を築き、自身も陸軍元帥にまで上り詰めた

傑物。現在でも軍内にその名を知らない者は居ない。

 そしてユェインの父は、その手腕と統率力を見込まれて辺境に派遣され、国境に睨みを利かせる重役を長年任された上将。中

央から遠い周辺域民の生活を守護し、農耕地の安定と暮らしの安全のために大規模な治水工事や開墾なども行なったため、今で

もそちらの地域では治水将軍、安全将軍、あるいは工事将軍や労働将軍の愛称で呼ばれている。

 ユェインもそれらの例に漏れず、幼い頃から自分は軍人になるのだと、その将来を定め、他の事は考えもしなかった。物心つ

いた頃には木剣を握り、一日の大半は両手でそれを振り回している毎日だった。

 だがその家系の中にあってユェインの兄…長男のヤングァンは異質だった。

 武才が無い…かどうかも判らない。少なくとも気功術の資質は十分で、おそらく剣を握らせても弓を取らせても人並み以上に

使いこなす才覚は持ち得たのだろうが、ヤングァンはとにかく武器も武術も嫌い、触れようとも学ぼうともしなかった。末妹以

上に男らしくないと、口がさない使用人などは陰口を叩くほどである。

 その一方で、ヤングァンは物作りの文化を好んだ。点心を作り、焼き物の器を拵え、絵画を愛で、詩句を愛した。

 とりわけ詩を好んだが、生憎こちらはそれほど才があった訳でもなく、自身が作る詩は下手の横好き程度。しかし良し悪しを

見抜く鑑識眼に優れており、彼が褒めた文人歌人は成功者か、これから成功する者であるかのどちらかだった。

 伏家には宮仕え城仕えを経験した者も多かったので、文人歌人とも交流が多く、あくまでも軽い嗜みとしてだが、楽器を奏で

る者や、詩句をしたためる者、山水画を蒐集する者などもあった。なので舞踊や歌も含めて文化に決して無理解ではなかったの

だが、それでも両親は頭を悩ませた。何せ、弟のユェインが武人として気質も腕も優秀なため、何かと比較する声が内外から聞

こえて止まなかったのである。

 しまいには伏家の放蕩息子などと陰口を叩かれる始末…。これには、兄はそんなに遊んでいない、昼も夜も無く真剣に詩と向

き合っている、などとユェインが顔を顰めたが、外からは、名家に生まれて趣味に没頭する役立たずの長男にしか見えなかった

のである。

 そんな兄が、休暇で久しぶりに家に帰ったユェインを、待ちかねたようにこっそり呼んで茶の席を用意したのは十数分前の事。

新しい詩を聞かせるつもりか、あるいはお勧めの書を教えたいのかと、そんな事を思いながら席についたユェインは、「結婚相

手が決まったんだ」と言われて…、先の一言だった。

「え…?反応、なし…?」

 兄が面食らうのも無理はない、「結婚」と呟いただけで、表情一つ変えなかったのだから。

 ただし、どうでもよいから表情が変化しなかったのではなく、流石のユェインも唐突過ぎて驚き、反応できていないだけであ

る。傍目には冷たいまでの無反応に見えているが…。

「お相手はどんなひとだ?」

 祝福の気持ちが欠片も見えないが、別に不満なわけでも反対なわけでもない。結婚自体はめでたい事だが、ユェインとしては

兄と一緒になる相手の素性がまず気になる。

「可愛らしいひとだ。素朴で愛らしく、元気なひと…。あ、一応写真があるから…」

 少し照れながらゴソゴソとテーブルの下をまさぐり、いつも詩編などを挟んで来るバインダーを取り出したヤングァンから、

ユェインは一枚の写真を手渡され…、

「………」

 それを無言でじっと見つめた。弟のリアクションの悪さにまたも不安になる兄。

 それは、端的に言うと縦長な被写体だった。そして全体がブレていた。

 背景は桃の木が並ぶ園。何かに驚いて飛び上がったのか、両手をバンザイするように上げ、見開いた目で瞳だけを下に向け、

食い縛った歯を剥き出しにし、上下に激しくブレて伸びている。

 外観、レッサーパンダにも似た妖怪の一種。

 体長、周辺物との比較から140センチ以下と目測。

 備考、仔細分類、系統、共に不明。

 …それが、写真を見たユェインの第一印象だった。流石に妖怪ではなくひとだろうと思い直したが。

「面長なひとだな」

 感想が実にユェインである。率直にも程がある。

「いやそれちょっと写真写りが悪くてな…。足元にモグラが出たそうで…」

 モゴモゴと言い難そうに説明するヤングァン。蛇が出た、という方がまだ判る。

 要するに、小奇麗にして桃園を背景に写真を撮ろうとしたところ、折悪く足元にモグラが顔を出して驚き、こんな写真になっ

てしまったらしい。しかも撮影者が被写体の動きに驚いてカメラを落として壊してしまった上に、替えがなくて撮り直しもでき

なかったとか…。

 何とも評価や感想に困る写真とエピソードだが、

「愉快なひとだな」

 安定のユェインである。こんな時、淡白な反応は逆に棘が無い。

「そうだろう!?元気が良くて、話しているだけで楽しい人だ!」

 パーッと顔を輝かせたヤングァンは、桃園風景が美しい山中の村の噂を聞いて、詩句を作る助けになればと赴いたそこで、彼

女と出会ったのだと馴れ初めを語った。お互いにほぼ一目惚れだったらしい。

 長年手紙でやり取りを重ね、父母も一応了承してくれて、向こうの両親に挨拶に行く日取りもだいたい決まったのだと、一気

に話す兄の声に耳を傾けながら、ユェインはゆっくり茶を啜る。

 兄が淹れた茶は美味い。兄が作る月餅は美味い。

 周りが何と言おうが、兄は風変りな文化人で、物好きな雅人…、それでいい。剣を取るひとではないのだと、ユェインはこの

茶を飲み、月餅を食べる度に感じてきた。

 季節の移ろいを楽しみ、花鳥風月を愛で、詩を吟じるこの兄を、周囲はともかくユェインは好いていた。心が豊かであるとい

うだけで、ひとはきっと素晴らしい。どう動き、どう斬り、どう無力化させるかばかり考えている自分より、よほど「まっとう

なひと」であると。

 自分は剣を振るうのに向いていた。だが兄はその手に剣を握るのではなく、他の何かを愛でる方が向いている。周囲の評価も

価値の優劣も抜きに、純粋にそう感じている弟は、いつでも兄の一番の理解者だった。

「俺は、向こうちで暮らす事になるからさ…。あっちの家は農家で、人手は必要だし…。長女だから、家で一番の働き手だし…」

 ポツリとヤングァンが言ったその時だけ、ユェインの呼吸が一瞬止まっていた。

「…そうか」

 短く返し、そして思った。

 実家に戻っても兄の月餅が食べられなくなる。帰省の楽しみが一つ減ってしまうのだな、と…。

 

 

 

 夜風にはためく白い仙衣を、前を閉じずロングコートのように羽織ったジャイアントパンダと猪。限りなく近付いたとはいえ

神仙そのものではないため、ルーウーと違って帯が無く、袖を通して肩から羽織る。

 それでもなお、その衣装はタオティエにとって、かつて果たせなかった夢。二千年燻った羨望。

〔ひと風情が… 桃源郷の 仙衣を… 纏う…?〕

 タオティエの全身が膨れたように見えた。体中のあちこちから背中の物よりやや細い触手が、表皮が裂けて剥がれて捲れるよ

うにして生えて来る。

〔苛々するなあああああ! 腹が立つなあああああああ! 羨ましいなああああああ!〕

 ボビュッと、黒い全身から触手が伸びた。黒い紐が意思を持つ河の流れのように二人に襲い掛かる。

 が、先んじてチョウは両足を踏ん張るように肩幅よりも広げ、どっしりと深く腰を沈め、両手を前へ突き出していた。その先

には双翼刃。しかし掴んでいるのではなく、掌から少し浮く形で離れ、電界によって支えられている。

 その双翼刃が、チョウの両手の先で扇風機のように高速回転を始め、太極図を発生させた。それも、四層重なった立体型多重

敷設…大規模な儀式にも匹敵する増幅形態、その「即時展開」である。

「仙術解禁…!天雷(てんらい)!」

 回転を続ける二つの双翼刃とチョウの体が、帯電によるスパークを一瞬収めると…。

 ジボッ。

 それは空気が裂ける音でもなく、酸素が焼ける音でもなく、蒸発する音。無数の黒紐となって殺到したタオティエの触手は、

チョウの双翼刃二丁が放射した二条の電撃より瞬時に燃え尽き、灰になって散っている。

 人為的に、軌道を任意設定した放電を行なう仙術…それが天雷(てんらい)。本来は熟練の方士が祭壇を設け、祝詞を捧げ、

複雑な儀式手順を踏んだ上で行使できる物だが、極致状態のチョウはこれらを太極図の多重敷設と言上げ…つまり双翼刃の回転

と解禁宣言のみで発動できる。

 電圧にして1億ボルト超、温度にして3万℃超、まさしく落雷そのもののエネルギーを持った攻撃の二発同時放射は、神仙の

清廉な仙気が通っているため、邪仙に対して効果が非常に高い。

 触手を薙ぎ払った直後からチョウの体は即座に発電して帯電状態に戻り、鳥の大群が一斉に飛び立ったようにババババババッ

と激しい音を響かせる。

 仙人の素養を持つ者の約二割は能力者だが、実はチョウもまた能力者である。分類でいえば電力操作型。この国では「雷公手

(らいこうしゅ)」、他国では「ボルトトリガー」などと呼ばれるタイプの能力者。

 だが、チョウは平時にこれをろくに使えない。使わないのではなく、偽装でもない。出力が極めて低く、その能力を作戦で活

かせる機会が無い。何せ掌から電気治療器レベルの放電を接触状態で行なうのがせいぜいなので、肩こり解消や血行改善などの

マッサージに利用できる程度。

 ただし、極致状態では違う。

 チョウの極致「暗夜翔鳥(暗き夜にも鳥は翔ぶ)」は、能力を異常なまでに増大させる。発電量は原子炉二基を越える規模に

まで膨れ上がり、制御可能電圧も桁違いに跳ね上がる。落雷に等しい威力の電撃を放てる術士は世界中を見渡しても限られるが、

この制限時間内に限れば、チョウは彼らが放つ限界規模の雷術をほぼ無制限に撃てる。

 さらには、帯電状態の肉体自体も極めて高い殺傷力を持つ上に、味方には被害を及ぼさない。雷撃そのものがチョウの意図を

反映し、敵が触れれば放電でカウンターを行ない、迫った弾丸などを焼き落とす反面、自身が傷つけたくない者には、触れても

電力が体表を滑って抜けるだけ、決して感電させない。

 五行における金の属性を持ち、自身の能力が発電系…。この要素を活用する事により、チョウはこの状態でのみ、雷撃系仙術

のスペシャリストと化す。到達時間ほぼゼロの遠隔攻撃と広範囲への高火力攻撃、敵味方を識別し任意対象を避けて放たれるそ

れらが手札に加わるため、極致状態では戦闘スタイル自体が大きく変わり、言わば歩く砲撃要塞と化す。

〔ひと風情が 雷を 使役だと…? 雷神様にでも なったつもりかあ?〕

 途中から焼き落とされた触手を、焼失した部位から再生させながら、タオティエが苛立った声を発した。

 この地の文明の長い歴史…代替わりし続けた数多の国と時代によって、崇められた雷神は多種多様だが、古来、ある時代に崇

められた雷神は特徴的な姿で伝わっている。力士のように恰幅があり逞しく、連太鼓とバチを持つ…と。つまり、隣の島国でよ

く知られる屏風画の雷神図に近い。

 そしてもう一つ。その雷神は野豚…即ち猪の顔であるとも伝わる。古い邪仙であるタオティエは今のチョウの姿を見て、その

話を思い出していた。もしや伝承の雷神は、ひとがモデルなのではないか?例えば、この男の祖先のような誰かが…、と。

 その能力名は「電父(ディェンフー)」。

 チョウが育った村では雷について、古い民話に伝わる通り、恵みをもたらし罰も与える天の采配と伝わっていた。そしてチョ

ウは制限付きである自分の能力についてこう捉えた。好きに振るってよい力なら平時から扱える。それが、仙術兵器となり、極

致を体得して初めてまともに使えたという事は、きっとこれは為すべき事のために貸し与えられた物…。

 よって、その能力に古い雷神の通り名を戴いた。自分のための力ではない。「電父」より貸し与えられた力だと受け止めて。

 チョウが回転する双翼に、これ見よがしに雷を纏わせる。威嚇するその様を見てタオティエは歯噛みした。猪が持つ剣の正体

は未だに判別できないが…。

〔雷の増幅器… それがお前の 宝貝の質かあ?〕

「無駄口を叩いている暇があるのか?」

 問いに応えずチョウが腕を左右に広げ、高速で回転するあまり放電する円盤のようになっている双翼刃を宙に浮かせ、滞空状

態にする。

 その隣から、ジャイアントパンダの姿は忽然と消えていた。

〔!?〕

 タオティエが全身から棘のように黒い触手を生やし、全方位へ伸ばした。それが、彼の正面で微塵に裂かれて消える。

 ヂッ…と、大気が摩擦で焼け焦げる音を立てながら、眼前に現れたのはユェイン。踏み込んで剣を左右に払った姿勢で静止す

るその姿を覆うように、球体状に薄く燐光が見えたかと思えば、ドォンッと衝撃音が鳴り響き、タオティエが吹き飛ばされる。

剣圧…、「ただの余波」で。

 青白く燃えるような気の色は仙気の燃焼、鬼火のそれ。その身を包むように現れた月の薄明かりを思わせる球状領域は、隙間

なく振るわれた無数の剣閃の軌跡。

 ユェインの極致「吼月我命(月に吼ゆるは我が命)」は、チョウのように戦い方そのものに劇的な変化はもたらさない。その

性質は、ただただ単純に気功術の出力と身体性能を増強するという物。

 実に単純で面白みも無い切り札だと、離将ヂーはこれを評する。同時に、元からひとの限界域に至っているユェインだからこ

そ、他の誰のどのような極致よりも恐ろしい、とも。

 その剣閃は、まるで半透明な満月がユェインの体を覆うよう。その領域に入ろうとした何百という触手を、ほぼ同時に、まさ

に「分解」と呼ぶにふさわしいレベルで、砂粒程度になるまで切り刻んでいた。振り終えるまでタオティエも認識できなかった

その太刀筋とユェインの巨体が移動した余波が、ソニックブームまで発生させている。

 羽織った仙衣をはためかせ、ユェインが追撃に入る。吹き飛んだタオティエに一瞬で追いすがり、剣が届く範囲内全てが分解

領域と化した高速剣を浴びせかける。その剣の届く範囲で描かれた月に触れるや否や、そこから削れるようにタオティエの黒い

体が塵になって失せてゆく。

〔ああああああああ もおおおおおおおお いたいいいいいいいいい〕

 タオティエが全身から生やす触手の先端で、指を蕾のように閉じ、高質化させ、ドリルのように回転させる。

 触れただけで肉体がスッパリと抉れる触手群が、一斉に反撃。

 弾丸のように飛んでくるそれを、ユェインが二本の剣で迎撃。

 大気が時折光り、摩擦で焦げ、生じた電気が四方に散る。

 その攻撃速度と攻撃密度と攻撃精度は、追尾機能を備えたマシンガンの弾を同じくマシンガンの斉射で残らず叩き落とすよう

な物。間に入ればたちどころに粉微塵になるほど、無事でいられる隙間など無い。

 巻き起こる衝撃波は周囲の土壌を破壊して均し、激突音は爆破解体されたビルが鉄骨とコンクリートを叩き合わせながら崩れ

てゆくような轟音になっている。

 普通ならば視認どころか反応もできない、超音速攻撃の撃ち合いの最中、ユェインの衣の裾にボッと穴が開き、左肩や右太腿

で青白い力場の層が火花を上げて欠けた。

 膨大な負荷に肉体が耐えられず、消耗する仙気に太極炉の運転が追い付かず、ユェインの剣速が徐々に鈍り始めている。黒い

触手は高密度のエネルギーシールドであるユェインの燐光をも蝕んで破壊し、仙衣にすら穴を穿つ。

 五行の属性で土行の質を持つユェインは、地に通じる仙術と相性が良いものの、土を侵食する…克される関係にある木行の仙

術は相性が最悪で、習得できない。相性が悪いながらも何とか使えるチョウとは違い、自己修復の術が全く使えず、傷の治癒は

対極炉心の作用に頼るしかない。そしてその治癒速度では邪仙の攻撃を受けきるには足りず、平常時のタオティエのそれを越え

る強烈な毒気を伴う触手をまともに食らえば、すぐさま戦闘不能になるか、最悪即死してしまう。

 だが、一撃でも貰えばただでは済まないユェインに対し、タオティエは深く胸を斬られようが、首を貫かれようが、さして問

題はない。

 実は、ジャイアントパンダと猪が初見で抱いた印象は正確だった。太極炉心も見えなくなったこの状態は「一塊」で、今のタ

オティエに急所は無い。生えた触手はともかく体はひとの形状をしているが、それはあくまでも形式上の物で、首が飛ぼうが胸

に穴があこうが致命傷にはならない。倒せる可能性で言うならば…。

(再生を上回る速度で切り刻む…。その剣速維持が叶わない。瞬間的であれば削れるが、押し切るまでは行かんな…)

 防御も再生も強引に捻じ伏せるほどの過剰攻撃で押し切る…。ユェインの得意分野とはいえ、今回ばかりは分が悪い。最大瞬

間速度ならば削り取るように粉微塵に刻めるが、それを数十秒持続させるのは不可能。斬撃が音速を下回り始めると、まるで液

体を斬っているかのように、本体の損傷は刃が抜けた傍から癒着して戻ってしまう。

(やはり、最後の手段に賭けるしかないか)

 ユェインが接近戦で牛と打ち合っているその間に、左右で頭の高さに回転する双翼刃を浮遊させ、それぞれに掌を向けていた

チョウは、それを通して直流蓄電、自身の体の電圧を高めていた。準備はすぐに整い、猪の眼前に拳骨大の石が、足元からふわ

りと浮き上がって来る。

 原理としてはイオンクラフトのそれ。浮き上がった石ころを引っ掴むなり、チョウは体を思い切り捻って投擲姿勢になる。そ

の前方の空中で、ババババッと音を立てながら放電現象が生じ…。

「仙術解禁!乾坤…天譴!」

 握った石ころを投擲するチョウ。それが手元から離れた瞬間、光の線が瞬時に前方まで伸びた。

〔あ?〕

 気付いたタオティエは、しかしもう回避できない状態。ユェインに意識を集中していたので挙動に対応できていない。顔面を

光の線…大半がプラズマ化した石に穿たれ、首から上を木っ端微塵に消し飛ばされる。

 乾坤術の一つ、天譴(てんけん)。

 空中に二列の電界を設置して仮設砲身とし、そこへ弾にする物を投げ込み、加速させて射出する…、言うなれば能力で砲身と

電力を代用した即席レールガン。つまり極致状態のチョウは、携行可能どころかサイズも重量もゼロのレールガンを単独で扱い、

特殊な弾頭も不要で無制限に放てる歩兵という、軍備の常識を覆す存在と化す。

 ただしこの「投擲式電磁加速砲」にも問題点はある。その性質上、十分な耐久力を備えない「弾」は電力に耐えられず蒸発し

てしまう。その辺りの石ころを射出しても、途中で完全にプラズマ化してしまうため、射程距離が限定される。

 とはいえ、目視可能距離ならば有効。大部分が蒸発しながらプラズマ化した石が、超音速で対象を撃ち抜く。何よりこの射速

ならば、弾丸よりも速いユェインの高速戦闘にも援護射撃を行なえる。

 もっとも、今のチョウには援護以上に大事な役目がある。それに集中している事を悟られないよう、介入を行ないながらもそ

ちらを進めなければならない。

〔やったなあ お前ええええ〕

 頭部を吹き飛ばされてなおダメージを受けている様子が全くないタオティエが、首の断面からボヒュッと、赤紫の球体を飛ば

した。体内から押し出すようにして放出され、放物線を描いて飛ぶバレーボール大のそれは、見る間に蒸発して周囲に毒霧を立

ち込めさせる。

 流石に範囲が広過ぎる。ユェインもチョウも離脱する前に、霧の粒一つ一つが身を蝕み世界を冒す猛毒の帳に囲まれる。が…。

「上尉、距離を取る」

 タオティエの眼前からジャイアントパンダが消え、毒霧をすり抜けるようにして、40メートル近く後方に居たチョウの傍に

ザシッと現れた。

 ユェインの縮地には、「ある条件下」を除いて有効距離は視界範囲内の10メートル以内という限界がある。だが、その「あ

る条件下」がこれ。
あらかじめ特定の儀式で「マーキング」した人物の元へならば、視覚外でも、障害物があっても、80メー

トル以内であれば移動できる。

 もっとも、その儀式も手軽な物ではなく、一度行えば永続する訳でもなく、儀式の内容が少々訳アリで大声では言えない上に、

何よりも誰彼構わず儀式の相手にするのはユェイン自身が嫌なので、現在の対象はチョウだけだが…。

「「跳ぶ」ぞ、備えろ」

「は!」

 チョウの返事を待たず、ユェインは左剣を投げた。毒霧すらも問題とはしない不滅の宝剣は、矢のように飛んで30メートル

離れた岩に突き刺さる。間髪入れず、ジャイアントパンダは肩を組むように猪の首に腕を回し、チョウもユェインの背に腕を回

し、互いにしっかり密着すると…。

「跳べ!干将!」

 ユェインが手元に残した夫剣に呼びかけた瞬間、チョウごとその姿が霞み、岩に突き立った婦剣の傍に出現する。

 これが宝貝、干将と莫耶の能力。不滅の夫婦剣はその繋がりもまた不滅であり、離れ離れになれば空間跳躍で戻る。この際に

移動する側は任意に選べ、手放した側を呼び戻す事も可能。この空間跳躍には剣を握っている本人も含まれる上に、自分の他に

一人や二人程度であれば、接触している者も一緒に移動できる。

 この宝剣による空間跳躍と縮地、自前の高速移動を利用する事で、ユェインは多角的、立体的な攻撃を可能とするが、今回は

それを十全には発揮しない。まだ、消耗を抑える必要があったのだが…。

「上校、「済んだ」ら「二十」ばかり補給が欲しいですな」

 チョウが囁く。これはあと二十秒あれば支度が済むいう意味。

「心得た。私は茶と月餅が欲しい」

 秘密のやり取りをカモフラージュする意味もあるのだろうが、この期に及んで軽口を叩く上官の肝の太さに、思わずチョウも

苦笑い。

「作りましょう。兄君直伝の味で」

「約束だ」

 即座にユェインが姿をかき消す。剣風で毒気の残滓である霧を吹き払い、全身に纏った力場の燐光が冒されてパチパチ火花を

散らすのもお構いなしに、一直線にタオティエに迫る。

〔お前ええええ 疲れたなあああ? 動きがあああああああ〕

 ボフッと、首が無い黒い牛の姿が、崩れて消えた。そして…。

「!?」

 ズンと、ユェインは背部に衝撃を感じた。背後の地面から黒い円錐のような物が生え、仙衣を貫いて背中に突き刺さっている。

それはタオティエの腕。ただし全身を触手状にした、特大の。

 地中から強襲した触手はウネウネと回転し、ユェインの背中に食い込んで、仙衣ごと分厚い胴を貫通し、ボヅッと音を立てて

腹まで突き破る。

 その、胴を貫通した先端…五指を揃えて蕾のようにしてあったそこが、パカンと開き、中からタオティエの首が生えて、ユェ

インの顔を見上げて笑いかけた。

〔鈍ったああああああ あは あはあああああっ!〕

 タオティエは接地している足の裏から触手状になって地中に潜り、ダミーとして体を残していた。

 牛の首が生えた蛇のようになったタオティエは、その首周りに広げた指を伸ばす。それが腕になり、先端で五つに分かれて指

をつくり、それらがまた伸びて腕になり…。

 フラクタル構造の枝分かれを繰り返した黒い手が、球体状になってユェインを覆い尽くし、ブヂャッと、一息に潰した。

 …と、見えた。

「なるほど。ひとの形状という外観に囚われていたならば、足元も掬われていよう」

 球体状にもつれあった蛇の塊にも見える様相になったタオティエが、ピタリと、その蠢きを止めた。貫き、囲み込み、圧し潰

したはずの男の声が、上から聞こえて。

 そこには、仙衣を翻し、落下して来るユェインの姿。

 これは縮地の極み。極致の状態でのみ可能となる高等仙術級の奇跡。「そこに居て被弾した自分」を「そもそも被弾範囲に居

なかった自分」に入れ替える、「結果の上書き」。

 チョウによれば仙術縮地は、現行人類の科学で言う所の一種の量子ジャンプに近い物で、この回避方法も量子もつれを活用し

た仙術である可能性が高いらしい。…らしいというのは、仙人の技術と知識は現行人類が把握できる範囲におさまっておらず、

解明にはほど遠い状態であるせい。おまけに、実際に使用しているユェイン自身も本能と経験則と戦闘センスでこれを扱ってお

り、理屈を全く理解できていないので断言できない。「理屈はとんと判らないが、使えるものは使う」というスタンスである。

〔あああああああ いったあああああああああい! お前えええええええ 痛いぞおおおおおおお!〕

 たった一呼吸の間を挟むだけでユェインの剣速は戻っている。月光のように上から注ぐ剣閃は、隙間なく、容赦なく、丸まっ

たタオティエを切り刻んで体積を削った。

 だが、苦痛の叫びを上げていてもタオティエは健在。まだまだ余裕があり、その体を削り切れない。せいぜい一時防御行動に

専念させる程度だが…。

「くっ!」

 着地と同時にユェインが飛び退いた。全身を覆う青白い燐光が明滅し、不安定に揺らぎ始めている。夥しい発汗で仙衣の下の

軍服が染まり、呼吸は隠しようもなく乱れていた。

〔あ~… 体力 尽きたかあ〕

 黒い蛇玉のようになって蠢いていたタオティエの全身に、ポポポポッと赤い光…目が出現して、疲労困憊で足を止めたジャイ

アントパンダを、ニヤニヤと煽るような目つきで見つめた。

 これが、ユェインの極致の欠点。

 通常は一瞬で相手が分解され、動いた次の瞬間には即死させるため、本来は欠点にならないのだが、神速を実現させる気功術

の噴射と高速運動によって短時間で莫大なエネルギーを消費するため、体力が持続しない。下手をすれば極致の限界時間を迎え

る前に力尽きてしまう。

〔終わりだなあ でもお前 頑張った方だよお ちょっと自慢しながら 逝っていいよお〕

「何を言う」

 隻眼に、まだ衰えない光を宿すユェイン。

「私は曲がりなりにも連隊を預かる長。隊員の命を預かる司令官は、即ち、隊員の親も同然である」

 堂々と胸を張り、毅然と声を張り、震将は言い放った。

「無責任に子を放り出しては親と言えないように、事後の仔細も命じず部下を放り出しては司令官失格。頑張り所はここからだ」

 それが、軍人として、そして連隊長としてのユェインの矜持である。

 ジャイアントパンダが宝剣を連結する。今度は何をするつもりだ?何をやっても無駄だがなと、タオティエが嗤う。そこへ、

「仙術解禁!天雷!」

 声を追うように雷が落ち、タオティエを撃った。月の出た、晴天の夜空から前触れなく。

〔あがががががががががががががが! あっづうううううううううううううううううういっ!〕

 感電するどころの騒ぎではない。膨大な電力で体表から毟るように炭化させられ、堪らず声を上げるタオティエ。

 雷の出所は高く飛翔した双翼刃。落雷を起こしたのは勿論チョウ。ユェインが注意を引きつけている間にタオティエの頭上高

くへ得物を投げ上げ、遠隔操作で落雷仙術の準備をしていた。今度の雷撃は一条だが、巧みに隙を突いて直撃させている。

 さらに、疲弊したユェインに代わるように、チョウは腰から順に抜いた双刀でもう一組の双翼刃を連結させ、突撃して前線維

持に入る。

 その両手は双翼刃の柄を握っていない。掌から少し浮いた位置に柄の中心が維持され、左右の双翼刃は高速回転している。そ

れを、落雷を食らった直後のタオティエに叩き込む。

〔いっだぁああああああああああああああああああああああ!〕

 それは、焦げるまで焼けた肉に高圧電流が流れ続ける電動丸鋸を食い込ませるような物。まずはモンゴリアンチョップのよう

に電ノコを打ち込んだチョウは、そのまま垂直に切り裂くと、間髪入れずに腕を両脇に引き、抜き手を突き込むように表面がの

たうつ球体状のタオティエに電ノコを押し付ける。

 バリバリと凄まじい破壊音と焼ける音を立てながら、炭化した肉が削り飛ばされて撒き散らされる。さらに…。

「合わせるぞ上尉」

「御意!」

 僅かな隙に深呼吸で息を整え、再始動したユェインが、タオティエの背後…チョウと挟み込む位置にザシュッと出現。

 高速剣と、高電圧電動丸鋸での滅多切りによる挟み撃ち。両側から削られるように体積を減らしてゆくタオティエ。しかし…。

〔図に 乗るなよおおおおお! ひと風情があああああああ!〕

 ゾギュッと音を立てて、球体状のタオティエから全方位に細い触手が射出された。まるでウニのように、棘として。

 咄嗟に双剣で打ち払う事に専念し、伸び切る前に迎撃したユェインだったが…。

「チョウ!」

 思わず呼び掛けていた。反対側に居るチョウはこうは行かない。この至近距離でこの速度、密度の攻撃は、チョウに捌ける物

ではない。

 猪はその全身に棘を浴びている。仙衣の加護により大半はその体を貫けず、体表にめりこんだ状態で止まっており、身に帯び

た電撃が触れた傍から焼き崩しているが、張った腹の右側や、左肩、右の太腿と、三カ所は貫通していた。しかし…。

「仙術解禁…!」

 チョウは身を冒す毒に等しい瘴気と激痛に耐え、治癒の仙術と同時運転で攻撃の仙術を解禁しつつ、返事に代わって上げた声

で上官に無事を知らせる。

 むしろこの被弾は好機。自動で高速回転を続ける双翼刃を、タオティエに食い込ませたまま手放し…、

「天壇!」

 ガシッとその両手が、体表に指を食い込ませるようにしてタオティエを掴んだ。そしてその両手と、自分を刺し貫く事で直結

コードとなった触手の棘を利用し、最大出力の高圧電流を、じかにタオティエへ流し込む。

 攻撃で蓄積させた電力と、食い込みながら回転する双翼刃が流す電流、そこへ直掴みで電圧を加えられた黒い球状のタオティ

エは、体のあちこちがたちまちバチバチと音を立てて爆ぜ割れる。まるで沸騰するように。

 仙術、天壇(てんだん)。相手に事前の攻撃で充分に荷電しておいた上で、直接触れて大電力を流し込み、一気に感電爆砕さ

せる仙術。チョウが持つ攻撃手段の中でも最大の威力を誇るこれは、普段は相手と自分の接触面積も重要になるため、組み打ち

を仕掛けつつ使用するなどの工夫が必要なのだが、触手で貫かれて体の深部に向こうから接触してくれているので手間が省けた。

 何せ、レールガンを即席構築し、落雷を引き起こすだけのチョウの、全力の電流を直接注ぎ込まれるのだから、四罪四凶タオ

ティエといえども堪らない。火中で薪が焼け爆ぜるように、バチンバチンとあちこちが内側から砕けてゆく。

〔いががががががががっ! いがあああああああああ! いいいいいいいいいたああああいいいいい!〕

 とはいえ、タオティエは叫んではいるものの、痛いかどうかは別として死は遠い。まだまだ削り足りない。二千年以上にわた

り略奪し続けてきた命のストックは、人体が刹那の間に粉々になるほどの攻撃密度と威力での挟み撃ちを続けてなお、削り切る

には至らない。それでも…。

「上校!「解析」完了しました!」

 もはや偽る必要もなくなり、チョウは条件が整った事を上官に告げる。時間稼ぎがついに完了した。

「では、「宝貝の解禁を許可する」」

 言うが早いか、ユェインは連結していた宝剣をくるりと回転させ、太極図を三重敷設で出現させる。

「仙術解禁!仙気発勁!」

 全身を使った、渾身の左フックを思わせるモーションでユェインが殴りつけたと同時に、白光がタオティエを飲み込む。仙気

の範囲指定爆破で、黒い牛球が真横に吹き飛ばされ…。

―太上老君に奉る―

 「声」が、響いた。ルーウーと同じ「音ならぬ声」が。

―高きは低きに 低きは高きに―

 ユェインの仙気発勁で吹き飛ばされバウンドする球体型タオティエが、全身にギョロリと無数の目を浮かび上がらせ、視線を

向けたその先には…。

―森羅万象の外に在るを これ一切許さず―

 四つの双翼刃を自身の頭上で東西南北に浮遊させ、垂直に立ったそれら四点の中心で、傘のように全八層からなる多重敷設の

太極図を展開させた猪の姿。
その太極の陣を囲むように、光の線が八角形を描き、その内に八卦の印を浮き上がらせる。

―急急にして律令の如く 万物一切均すべし―

 チョウが口にしているのは彼が所持している宝貝を開放する文言。偽装を解除し機能を解禁する、声紋による起動コード。性

能は落ちるが多少の省略が許される類の仙術とは違い、文言も含め全ての手順を完璧に整えなければ起動すらしない代物。

〔まさか…〕

 タオティエの体から動揺の波長とでも呼ぶべき物が漏れる。ここに至ってタオティエは気付いた。チョウが普段の戦闘でも解

放している基本機能すら凍結していたせいで、最初は「ひとが模倣した丈夫なだけの疑似宝貝」と、次いで「電撃と親和性が高

い増幅用の宝貝」と考えたが、どちらも違う。それは、タオティエも知っている物だった。

―これなる剣は 四方を支える要石―

 胡蝶双刀の形状はカモフラージュ。総数八本である事すらも偽装。これ見よがしに電撃を纏わせながら扱ったのも、寸前まで

この宝貝の本質をタオティエに見誤らせておくため。

 それらの剣はチョウが背中に交差させて帯び、最もよく使う「誅仙剣(ちゅうせんけん)」を始めとし、「戮仙剣(ろくせん

けん)」「陷仙剣(かんせんけん)」「絶仙剣(ぜっせんけん)」と、一対ごとに固有の名を持つ。

―これなる陣は 外れしものを誅する場―

 これらは元々双翼刃の形状であるそれぞれが、自己再生阻害や術の発動妨害など、仙人特効作用を基本機能として備える、桃

源郷よりもたらされた一級品の宝貝。だが、それぞれが優れた宝でありながら、その真価はまた別にある。

〔まさか… まさか…! まさかああああ!? まだ地上にあったなんてえええええええええええええ!?〕

 猪が所持した宝貝の正体に気付いたタオティエは、動揺もあらわに叫んだ。

 昔、人類を助けるために下野したある神仙が、この正体を看破されないため、元々直剣だった刃の形状を曲刀に打ち直し、胡

蝶双刀として分割して扱う機能を付与し、邪仙に対する偽装を施した結果がこの形状。

 これら四つの宝剣の総称は「誅仙四宝剣(ちゅうせんしほうけん)」。四振りの双翼刃で一組の、武具であり術具。

―即ち、誅仙の理(ことわり)也―

 チョウの解禁儀式が完了し、四つの宝剣が猪の四方で浮かんだまま、青白く仙気を燃やす。

 球体状になっていたタオティエはギュッと小さく縮むと、一瞬で元の形状…両手が異様に大きい牛獣人の形態に戻った。そし

て跳躍してその場から逃れようとした。間合いを取るのではない。術を避けるのではない。「逃げ出そう」とした。

 だが、逃走するにはもう遅い。

「誅仙四宝剣、臨時代行決議完了!機能解禁承認!大仙術、「誅仙陣」簡易展開!執行開始!」

 猪の号令と共に瞬時に空間跳躍、出現した四本に、跳んだタオティエはあえなく取り囲まれた。

 頭上に一、後方下側に一、左右前方下側にそれぞれ一、正三角錐の位置で垂直に立って浮遊する四本の宝剣の間で、タオティ

エは完全に動きを封じられる。よく見ればうっすらと、四本の剣が構築した三角錐内は青白い光で満ちていた。

 誅仙四宝剣に備わる固有仙術、「誅仙陣(ちゅうせんじん)」。四罪四凶であろうと、邪仙という属性を持っている限り確実

に効果が表れる封印結界術。その簡易版。

 本来ならばこうして捕えた上で、対象が跡形もなく消滅するまで間断なく雷や熱などによる波状攻撃を自動で浴びせ続ける物

なのだが、その完全版の発動には、この宝貝と相性が良い神仙四人が必要になる。

 本来四人がかりで行使するこれを、捕えるだけの簡易版として発動させるだけでも、チョウにはクリアしなければいけない多

数の条件がある。発動の儀式手順を一つも飛ばせず、間違えられないのは勿論の事、封じる相手の仙気の質を細やかに解析し、

それと同調する仙気の質を誅仙四宝剣に付与しなければならない。時間稼ぎの一つは、この解析と調整作業を戦闘しながら終え

るまでの物。

 個人によって異なる質に、その都度調色に近い分析と調整を行なって発動する…。このあまりにも使用難度が高い宝貝は、扱

う事ができるチョウが手に取るまで、五百年以上も使い手が見つからずに死蔵されていた。そのおかげで邪仙達も既に失われた

と考えており、対策も立てておらず、上手く欺けば確実に決まる。

 しかしこの本来の機能を見せ、誅仙四宝剣が現存し、使い手が居ると知られてしまえば、次からは確実に警戒され、通用しな

くなる。故にチョウがこれを解禁するのは、ユェインが命じた時と、必ず仕留められる時のみ。

「上校!もってあと八秒です!」

 パンと両手を胸の前で合わせ、合掌の姿勢で仙気を送り込み、封印結界を補強するチョウ。この簡易版誅仙陣でも並の邪仙で

あれば数分間拘束できるのだが、タオティエを封じるには強度不足。早くもピキッ、ピシリ、と石が罅割れるような音を上げて

結界が綻び始めていた。想定していたより陣がもたないが…。

「委細承知」

 その時既にユェインは、双翼刃を左手に持ち、右手でポーチから取り出した品を口に放り込んでいた。

 ゴリッと噛み砕き、嚥下したのは仙丹。仙気がたちまち体に充填される。

「第二、第三太極炉、解放」

 ユェインの呟きと同時に、仙衣の両肩側面に握り拳大の太極図が浮き上がった。

「全太極炉、同調開始」

 ゆっくりと回り始めた両肩の太極図の回転が、程無く瞳の太極図と同期する。

 かつて、ルーウーはユェインを含む五名に太極炉心を与えた。その内四名は仙人との戦いに倒れたが、彼らの太極炉心はユェ

インの仙術により摘出されている。

 既に一度個人に宿り、それに合わせて「癖」がついた太極炉心は、誰にでもそのまま移植できる物ではない。その内一つは今

も「保管」されたまま、もう一つは奇跡的な確率で完全適合していたチョウに移植したが、残る二つはこうしてユェイン自身が

預かっている。

 この炉心二つはユェインに適合している訳ではないが、相性は悪くなかったので、一時的であれば制御可能。こうして瞬間的

な増幅に利用できる。これこそが、震将フー・ユェインの隠し玉。

 三つの太極炉を同期させたジャイアントパンダは、眼前でくるりと双翼刃を回転させ、その軌跡に立体型多重敷設…全八層の

太極図を出現させた。

―太上老君に奉る―

 太極図を構築するなり双翼を分割し、左右で地に突き立てたユェインが発したのは「音ならぬ声」…即ち仙人のソレ。同時に

太極図の周辺を光の線が走り、八卦の紋を描き出す。

―八卦に示すは万象の仕儀―

 ユェインは両手の親指と人差し指で輪を作り、胸の前で転法輪印という印相に似た形に印を結ぶと、それを上下から向き合わ

せる。ルーウーが治癒の術を使用する際に結ぶ印と同じだが、動作手順は異なっていた。

―太極に表すは陰陽の両儀―

 肘を支点にし、右手を下から、左手を上からそれぞれ回し、胸の前で上下逆に向き合わせると、先に出現させた眼前の太極図

が回転を始めた。

―我が身是一切は滅邪の奉剣―

 印を解いたユェインの両腕は、そのまま後方に引かれ、軽く拳を握り、ぴたりと脇腹につけられる。

―即ち、誅仙の理(ことわり)也―

 それは、特殊な仙術を構築するための声紋であり、宣誓でもある。この宣誓をもって、ユェインは己という存在を一時的に再

定義する。

 我が身はひとに非ず、この身は奉じられし刀剣、邪仙を誅する武具である、と…。

「推して誅仙、つかまつる…!」

 ユェインが肉声を発したその瞬間に、バキンと、音高く地面が鳴った。

 一瞬の内に周辺の気温が急激に低下し、瞬間冷凍された地面が凍結して罅割れ、ダイヤモンドダストが舞う。

 それは、周囲の空間から大気が原子分解されてエネルギー化すると同時に、熱エネルギーまでもが強制的に奪われた結果。左

右に突き立てられた干将と莫耶はエネルギー収集口であると同時に、間に挟んだ「三本目の宝剣」たるユェインに力を注ぎこみ、

増幅するブースターの役割を果たす。

 そしてかき集められた力は、自身を純エネルギー加速投射器と化したユェインの体に蓄積され、解放に向けて高速圧縮され…。

「大仙術!「月下光帯(げっかこうたい)」!」

 勢いよく、ユェインが両脇につけていた腕を前へ突き出す。何かを突き飛ばすように開いて出したその両手が、展開されてい

た太極図を裏側から叩き割ると、その両掌から閃光が迸り、光柱となって夜を貫いた。

〔………は?〕

 タオティエの顔についた無数の赤穴のような眼が一斉に大きくなった。まるで目を見開くように。

 この系統の仙術は知っている。だが、神仙でもないひとに使えるはずがないと、撃たれる可能性を初めから考えていなかった。

 高密度エネルギーの飽和状態によって空間の断絶すらも埋め潰し、異層たるイマジナリーストラクチャーすらも貫き、天を衝

く建造物規模の遺物ですら崩壊せしめるこの「砲撃」には、防ぐ手立てがろくに無いというのに。

 誅仙陣に囚われたまま、回避や防御もままならないどころか、身じろぎもできないタオティエを、直径10メートルを超える

光の束が飲み込み、ヂュッ…、と微かな音を立てた。

 光帯の中、いびつに引き延ばされた影が端から崩壊し、線になって消え去ると、迸って夜空へ駆け抜けた閃光は次第に細くな

り、やがて消える。その後には、タオティエはもう姿形も無かった。

 海を隔てた島国で、「轟雷砲」と称される技と原理的には全く同じ。遺物すらも破壊せしめる、現行人類が振るえる範疇から

逸脱した力である。

 タオティエを木っ端微塵に吹き飛ばした閃光が消え去ると同時に、誅仙陣もまた限界を迎え、パキンと音を立てて青白い三角

錐が綻び、罅割れて崩落。四点で滞空し、陣を支持していた四本の双翼刃が、チョウの元へ自動的に空間転移で舞い戻る。

 が、終わってはいない。

 シュウシュウと体中から蒸気を立ち昇らせるユェインは、しかしすぐさま左右の地面から宝剣を引き抜く。

 チョウもまた合掌を解くと、舞い戻って自分の眼前へ立て続けに突き立った双翼刃から二振り掴み、構え直す。

 その視線は、まだ残っている邪気の元…、粉塵が舞う中へ向いている。

「まさか、ですな…」

 疲弊したチョウがダラダラと汗を流しながら、口の端を吊り上げた。もう笑うしかない。

「まったくだ。そう上手く行かないだろうと、覚悟はしていたが…」

 ユェインもまた隠しようもなく呼吸が乱れ、疲労がはっきりと表面化している。

 ふたりの視線の先で、モコモコと、砂塵の中の影が蠢き、声を発した。

―あ~ なんかも~ なあ~―

 それは、ユェインが切り落としていたタオティエの腕。それが体積を増し、膨れ上がり、牛の姿を取ろうとしている。

 結果の上書き。再生する元もないほど分解されて消し飛んだはずのタオティエは、「そっちが本体という事にしてしまった」。

 道服を纏う、両手が大きい牛獣人の姿に戻ったタオティエは、顔を覆う長毛の中心から、ギョロリとお椀のような大きさの眼

球を一つ浮き上がらせた。

―殺せなくはない ないけどもなあ もういいや 痛いし疲れるし お前らはもう 別にいい 食う気も無くなった―

 実際のところ、余力はまだ九割以上も残っている。だがそもそもタオティエは、勝ち負けに何の価値も意味も見出さない。

 だから、「もういいか」と思った。

 このふたりを始末しようとすると労力が必要になる。しかし殺して食ってもその労力に見合うとも思えない。そもそもあの手

この手で痛い目を見せて来るので嫌になってしまった。

―ひとの寿命なんて すぐ尽きるからなあ―

 それが、タオティエがふたりに放った最後の言葉。ハッとしたユェインとチョウが素早く剣を投擲し、その胸を貫いたが、タ

オティエ…に見える牛獣人の姿をしたものは、紙袋のように穴があいて、そのままペシャンと潰れてしまう。

 中身はもう居ない。脱皮の要領でガワだけを残し、土遁の仙術で去ってしまった。

 ひとは長く生きられない。仙人から見れば本当に短い時間しか生きられない。ユェインやチョウの一生など、タオティエから

すれば、せいぜい蝉が脱皮して地に落ちる数週間のような物。

 面倒くさい連中を苦労して相手にする必要はない。ひとは、しばらく見なければいつの間にか死んでいるのだから…。

 だが、とユェインは横目で副官を見遣った。

「時間稼ぎは、成せたな?」

 チョウは頷き、時刻を確認しながら応じる。頭の中のカウントは、再始動時に確認した時計と一秒もずれていなかった。

「は。変更後の必須時間より…20秒ほど多く達成。これならば」

 タオティエは気付いていないが、去られる事もふたりの想定の内だった。