愛しのストライプ

ぼくは引っ込み思案で小心だ。おまけに根性無し。

何の特技も取り柄もないし、他人様に誇れるような事は皆無。

こんなぼくでも、人並みに恋はしてしまうらしい…。

 

「シマネ君。そろそろ行くぞ」

部屋の一番奥にある窓際の課長席で、大柄な中年が腰を上げる。

「あ、はいっ」

声をかけられたぼくは、卓上に置いてスタンバイしてた外回り用の鞄を小脇に抱え、素早く立ち上がった。ひょろりと長い

尻尾が無意識にフルフル揺れ出し、慌ててビシッと真っ直ぐにする。

課長席をこっち側に回り込みながら、室内の皆に「外回り行って来るぞ~」と声をかけてるのは、黄色い地色に黒の縞模様

が鮮やかな虎。

寅行(とらあゆみ)課長。40歳、独身。

我等が津縞製菓営業第三課の頭である課長は、かなりの巨漢で、名は体を表す虎獣人。…いや、響きだけだと女の人と間違

われそうな下の名前からすれば、名前に反してって事になるだろうか?

課長はとても大柄で、羨ましい事に190センチ近い。…ぼくよりも35センチくらい高い…。

背が高いだけじゃなく、幅も厚みもある。…っていうかでっぷり太ってる。丸く張った頬にたっぷりした二重顎。大きくボ

ヨンとせり出したお腹にでっかいお尻。太ももは丸く膨れてて、足も大きいからやや短足に見える。これまた大きな手はぼっ

てりと分厚くて、指なんか極太フランクフルトのよう。

課長はとにかくボリュームが物凄い。線の細いぼくの三倍半はあるだろう。虎の一般的なイメージ…、つまり猛々しさや精

悍さはないものの、堂々としてどっしりと落ち着いて貫禄があるのは、大型肉食獣の王様らしいとも言える。

大酒呑みで女好き。飲み会で酔っぱらってエッチな話をしては、女性陣に顔を顰められたり文句を言われたりしてるけど、

豪快で頼もしくて面倒見がいい上に、仕事もバリバリできて、皆から信頼されてる。

トラ課長は上司というだけでなく、新人のぼくにとっては教育係でもあり、外回りに行く時には連れ出してくれる。お得意

様や営業先にぼくの顔を売り込んで、その内に一人でも外回りを任せられるようにと。

けどこのトラ課長、仕事も出来て人脈もあるのに、小耳に挟んだ話によると、どういう訳か出世コースから外れてるらしい。

営業第三課は、ようするに三番目の営業課なわけで、物を覚えるために新人があてがわれたりもする。一課は大口の相手方

ばかりが営業対象で、二課は遠方の相手方との直接交渉に当たる。三課は近場と小口の相手方が営業対象。

トラ課長は十年前まで一課の副課長で、次期一課課長に、そして副部長になるって評判があった…。そんな話を新人研修で

ちょっと聞いた。何があって三課の課長に落ち着いたのかは判らないけど…。

ぼくが考え事をしてる間に、課長はすぐ傍までのっしのっしと歩み寄って来てた。

「昼を跨いで歩くから、飯は外で食おう。忘れ物は無いかシマネ君?」

「大丈夫です!…と、思います…」

緩めてたネクタイを締め直しながら、トラ課長は苦笑いする。

「もっとはっきり言って良いんだぞ?自信持って、な!」

大きな手で背中をポンと叩かれて、ぼくは顔を熱くしながら小さく頷く。親子ほども歳が離れているせいで息子の面倒でも

見てる気持ちになるのか、課長はぼくにとても良くしてくれる。

平均年齢が二十代後半の職場内では、ぼくは一番の若手として可愛がられてる。この職場のアットホームな雰囲気は、高校

在学時のクラスよりも過ごしやすい。…多くの生徒が受験でピリピリしていた三年の教室は、本当に居心地が悪かったっけ…。

皆良くしてくれて優しくしてくれて構ってくれて、そんな職場だから…、今は右も左も判らない、「頼り無い」を通り越し

て「役に立たない」ぼくだけど、課長や先輩方に褒められるように頑張ってみようかなぁとか、そんな気になっている。

…考えてみれば、他人の為に頑張ろうと思ったのって、生まれて初めてかもしれない…。テストだって運動だって単に成績

のためで、自分に必要だから頑張った経験はいくらでもあるけど、団体スポーツとかもしてこなかったから、基本的にずっと

個人活動ばかりだったし…。

「じゃあ、後はよろしくな?何かあったら携帯に」

「はいはい、行ってらっしゃい」

「お気を付けて~」

デスクについてる先輩達が、口々に見送りの言葉を口にする。

「シマネ~、せっかくだから課長に高い昼飯奢って貰え」

先輩の一人が冗談めかしてそんな声を上げると、

「…給料日直前なんだがな…」

トラ課長は真顔で唸ってた。

 

ぼくは嶋根純(しまねじゅん)。18歳、社会人一年生。

父は鯖虎猫。母は三毛猫。二人の間に生まれた三人兄弟の末っ子であるぼくは、父の模様と母の色合いを一部ずつ受け継い

だ、茶色と黒の縞模様…いわゆるキジ虎猫だ。

兄二人はそうでもないのに、ぼくだけ極端に背が低くて体が細い。体が小さいのは祖母似らしいけど…、何でぼくだけ隔世

遺伝?

個人的には理解できない事だけど、この見た目はそこそこ好感を持たれる物らしい。いわゆる守ってあげたい系、可愛い系、

弟系として。
けど、小さい頃から女の子と良く間違えられた僕は、この外見が気に入ってない。

 高校に入ってからも何度か私服時の後ろ姿を女の子と間違えられた。しかも内一度はクラスメートに。
「ねえ、独り?」そ

う声をかけてきたクラスメートのライオンが、振り向いたぼくの顔を見た時の表情と、「あ、違う」って漏らした素朴な本音

は一生忘れられないだろう…。お互いに気まずかった…。

あの屈辱を味わって以降、タイトなジーンズと淡い黄色ティーシャツの組み合わせは封印した。気に入ってたんだけどさ…。

そんなに勉強も好きじゃなかったぼくは、大学受験は最初から考えず、地元の商業高校を卒業した後、社会に出る道を選ん

だ。津縞製菓を就職先に選んだ事にも特に理由はなくて、たまたま求人があった中で目に付いただけ。

兄達と同じように大学に行って、もう少し遊んでも良いのにと、両親には言われたものの、この不況のおり、大学を出たか

ら良い就職先にありつけるとは限らない。

一番上の兄が悪戦苦闘した就職戦争を目の当たりにしたせいで、大学に進んだ後の就職活動は、四年分のツケを払わされ、

なおさら厳しい物になるというイメージが頭にこびり付いてる。

自立心があるとかしっかりしてるとか褒められたけど、実は褒められるような事でもない。単に、大学に行っても楽しく過

ごせないだろうっていう達観めいた思いがあって、なれるものならさっさと社会人になって自立した方がマシだと考えただけ

だから。

そんな訳で、首尾良く隣県の菓子メーカー…つまりこの津縞製菓へ就職が決まった時も、嬉しいという思いはあんまり湧か

なかった。競争率から言えば、採用して貰えたのはとても幸運な事だったけど、希望も期待も持たずに、ただマシな方を選ん

で、たまたまそこに落ち着いたっていう意識しかなかったから…。

けど、初出勤して社内のホールに集まり、社長の挨拶を聴いたぼくら新入社員をそれぞれの所属長が迎えに来た時、ぼくの

意識は変わった。

「君がシマネ君だな?採用おめでとう」

ぼくに声をかけて来たのは、社長の挨拶中、ホールの端に並んだ席についてた課長達の一人、その中でもボリュームがあっ

て一際目を引く巨漢の虎だった。

胸元のプレート…社員証には、緊張気味のやや固い表情で撮られたらしい太った虎の顔写真の下に、「営業第三課 課長」

の七文字。

それらの横には大きく「寅行」と、二文字が記してあった。

名前だとは分かったけど、何て読むのかは分からなかった。それどころか、その二文字で名字だと思い込みそうになった。

でも他の社員の証には明らかに姓名と分かる名前の記載があったから、それがフルネームなんだって少し遅れて察した。

「営業第三課、課長のトラだ。これからよろしく」

高さ、横幅、厚み…、とんでもなくボリュームがある巨体を揺すり、大きな虎は楽しげに笑った。

口は大きいし鼻梁も太いし顔つきは厳めしいって言われる部類だろうけど、怖いどころか笑顔はとても印象が良かった。迫

力満点のボリュームなのに、大きな体も黄色と黒の縞模様も不思議と怖くなかった。ぼくの胸ではドキンって心臓が跳ねてた。

「同じシマシマ同士、仲良くやろうな」

低いけどはっきり聞き取れる声音が耳に心地良かったのを、今でもはっきり覚えてる。何て言えば良いんだろう?緊張して

たのは確かだけど、それ以外の何かで、ぼくの胸は高鳴ってた。

この気持ちが恋心であるらしいと理解したのは、入社して一ヶ月以上経ってからの事だった。

一目惚れ。おまけに初恋。

しかし相手は男で、さらには親子ほども年齢が離れてる。

…それでもぼくは、トラ課長に恋してる…。

 

「かぁ~っ!また今日も暑くなって来たなぁ!」

二件目の営業先が収まってるビルを出ると、トラ課長はたっぷりとした二重顎を右手の甲で下から拭い、空を見上げて顔を

顰めた。

オフィス街の中央付近、片側二車線の道路を挟んで聳え立つビル群の間、細長く切り取られた空は抜けるように青い。頭上

を横切る青い道の丁度中央に、我が物顔で陣取っている九月頭の太陽が、ぼくらめがけて眩しい光を投げ落としてる。

周囲では、街路樹にとまるセミが去って行く夏を呼び戻そうとして、あるいは秋を追い返そうとして、ミーミージージーと

声を振り絞って叫んでた。…この声がまた体感気温を上げるんだよ…。

「九月に入ったのにちっとも涼しくならんなぁ…。アレか?コレも温暖化の影響とかいうヤツか?」

歩くだけで大きなお腹がゆさゆさ揺れるほど太っているトラ課長は、見た目通りに暑いのが苦手で、とても汗っかきだ。広

い背中や腋の下、首周り、垂れた胸の間なんかには、気温が本格的に高くなる前からもう広くて丸い汗染みが浮いてる。

気紛れな微風が運ぶその体臭をスンスン嗅ぎたい衝動に駆られるけど、鼻を鳴らすのも失礼だから、グッと我慢する…。加

齢臭って言うの?それとも男臭さ?とにかく、課長の体から香るその匂いは、ぼくには不快に感じられない。

「午前の外回りは今の所で終わりだ。良い頃合いだし、そろそろ飯にしようか?」

「はい!」

太い腕に巻いた腕時計を見遣ってから、トラ課長は太い首を巡らせて周囲を見回した。もうじき正午。ほぼ課長が見積もっ

ていた通りに予定がこなされてく。…こういう風に、正確なスケジュールを立てられる所も見習わなくちゃ…。

「せっかく社から離れて違った物が食えるんだから、今日はご馳走してあげような。シマネ君は何が食いたい?」

「あ、ええと…。ぼくは何でも…」

考えてもすぐには出てこなかった。いつも適当に済ませてるから、ラーメンとかハンバーガーしか思い浮かばなくて、ぼく

は返事になっていないような返事をしてしまう。…課長が食べたい物を選んでください。ぼくは何処にだってお付き合いしま

すから…。

トラ課長は「ん~…?」と唸りながら目を細めて、ぼくの顔を見下ろした。…見つめられるとドキドキして…、気温とは別

の要因で体が熱くなって…、汗が出て来る…。

「ははぁん、遠慮しとるのか?がっはっはっ!大丈夫だ!給料日前とは言っても、食うに困る程までは困窮しとらんぞ?」

トラ課長は気持ち良く笑うと、「とりあえず少し歩いて店を探そう」と言って、ぼくの背を軽く押して促し、歩き出した。

並んで歩きながら、ぼくは幸せを噛みしめる。食事は何だって構わない。課長と一緒に食べられるなら、それだけで楽しい

食事になるから…。

 

少し歩いた後、課長が道ばたの立て看板のメニューに「カツも良いな」と興味を示して、二人でトンカツ屋の黒暖簾を潜っ

た。
出迎えてくれた割烹着姿の中年女性に案内されて、冷房が効いた四人がけの個室に入ると、トラ課長は…、

「か~っ!生き返るなぁ!」

と手ぬぐいで顔をゴシゴシして、お冷やを一気に飲み干し、ネクタイを緩めた。

注文を終えて料理が運ばれてくるまで、ぼくと課長はあれこれと話をする。いや、正確に言うとトラ課長にあわせた話題選

びができなくて口数の少ないぼくに、課長の方から色々話しかけてくれて、ぼくはそれに返事をしてくだけなんだけど…。

二人きりなせいでちょっと堅くなりながらも、幸せな一時を噛み締めている間に、それぞれ注文していた物が運ばれてきた。

トラ課長はトンカツ定食特盛で、ぼくはカツサンド。

課長は相変わらずの健啖家ぶりで、ボリューム満点の定食を、飲み込むようにして大きなお腹に詰め込んでゆく。

途中でカツサンドに興味があるような視線を向けてきたのを見逃さなかったぼくが、

「こっちも美味しいですよ?良かったらどうぞ」

と勧めると、課長は黒い縁取りのある耳を倒し、恥ずかしそうな嬉しそうな、何とも魅力的な照れ笑いを浮かべて「悪いね、
じゃあ貰おう!」と礼を言って、一切れ受け取ってくれた。

分厚いカツサンドがペロっと一口で消えて、課長は美味しそうに目を細めてムグムグと咀嚼する。

「カラシがきいて美味いな。カツも厚い、軽食と言うレベルじゃない食い応えだ。…ビールが欲しくなるな、がっはっはっ!」

課長は嬉しそうだ。…ああ…、ほんのり幸せ…。

「明後日の飲み会…、アワノ君の退職祝いな?シマネ君も参加するんだろう?」

「はい。そのつもりです」

アワノさんというのは、うちの課の女性事務職員で、今度結婚して寿退職する事になった27歳。少し早いけど、結婚式の

準備なんかで忙しくなる前にと、やや前倒しで送別会をする事になったんだ。

「アワノ君が結婚かぁ…。入社当時は22歳のピチピチギャルだったんだが…。そうかぁ…、一緒に仕事をして5年にもなる

からなぁ…。ピチピチじゃあなくなっても仕方ないか」

…今時ピチピチギャルと来ましたか課長…。

「アワノさんは今でもピチピチですよ。…こんな事言ってるってバレたら怒られちゃいますよ?」

ぼくが冗談交じりに言うと、トラ課長は目を糸のように細くして耳を寝せ、「たははぁ~」と苦笑いする。

「怒られたくないから、アワノ君には黙っててくれ」

「ぼくもアワノさんにジロリされたくないので、黙っておきます」

「そうだな。アワノ君のジロリは私も怖い」

ぼくの表現が可笑しかったのか、トラ課長は突き出たお腹を揺すって愉快そうに笑った。

「しかし、寂しくなるなぁ…。あのアワノ君が結婚…、私も歳をとるわけだ」

課長は急にしんみりとした顔になり、寂しげな笑みを浮かべる。5年か…。長い付き合いだもん、寂しくて当然だ…。

しばらく黙ってた課長は、「ところでシマネ君」と、不意にぼくの名を呼ぶと、ニンマリと笑った。

「考えてみれば訊いた事は無かったが…、コレは居るのかい?」

テーブルの上に出ている、肉付きが良くて大きな課長の右手は、ピンと小指を立ててる。

「…いえ、居ません」

「ほぉ~…」

ぼくが俯き加減になって応じると、課長は意外そうに目と口を丸くした。

「別れたのか?」

「いえ、元々居ないんです」

「意外や意外…。あぁいや、突っ込んだ事まで訊いて済まんね。可愛い顔しとる事だし、モテそうに見えたんだがなぁ?てっ

きり学生の内に交際を経験してきとるもんだとばかり…」

「生憎、彼女居ない歴と年齢がイコールなんです」

…だってぼく…、昔から女の子が何となく苦手で、興味も持てなかったんだもん…。

今になって思えば、たぶんそれはぼくが同性愛者だったからだ。女性は興味の対象にならなくて、単に、生活様式も話題と

かも違うとっつき難い存在に思えてたから…。

自覚は乏しかったけれど、課長への恋心を自覚してからは判った。…思えば高校時代も、三年間ずっとクラスメートだった

大柄な羆や、ガッシリした虎、逞しいライオンには、ラブでないにしろライク程度の好意は持っていたかもしれない…。

そう、きっとぼくは大きいひとが好みなんだろう。そしてたぶん、本当はかなり年上が好き…。

「社内にも若い子は多いからな、何なら紹介するぞ?若い内は恋してナンボって言う事だしな」

「はぁ…」

曖昧に返事をしつつ、ぼくはちょっと寂しくなる。恋してる相手に「若い子を紹介する」なんて言われるのは、なかなかツ

ラいね…。

でも課長に本当の気持ちなんて言えない…。今は優しくして貰えてるけど、ぼくが「好きです」なんて言ったら間違いなく

関係が崩壊する。男のぼくなんかが「好きです」って伝えても、女のひとが好きな課長から良い返事が貰えるはずない…。

こうして傍に居られるだけで十分に幸せだ。この関係を失いたくない以上、これからも我慢して行くしかない。時々胸が苦

しくなって、寂しくて堪らない気分になるけれど…、きっと我慢できる。

いや、我慢できるできないの問題じゃなく、告白する勇気なんか湧く訳ないから、そもそも大丈夫。殆どの事には自信なん

てないけれど、皮肉な事に小心さにはいささか自信がある。…それと、諦める事も結構上手だから…。

…って、そういう課長こそ40歳で独り身じゃないですか?ぼくに誰かを紹介する以前に、自分はどうなんだろう?

そんなぼくの疑問を読み取ったのか、

「残念ながら私は女性にはモテんからね。こんな肥満中年が若い子達にモテる道理がない」

トラ課長は苦笑いしながら、突き出たお腹のぜい肉をワイシャツ越しにブニ~ッと掴んで見せた。

…「やっぱり」って言ったら失礼になるけど…、やっぱりモテないんだ…。

 

午後の営業を滞りなく済ませて社に戻った頃には、空はオレンジに染まり始めてた。

営業第三課に戻って、事務処理を少ししたらすぐ五時になり、定時退社を促すチャイムがスピーカーから流れ始めた。

「さぁ五時だ!急ぎの仕事が無いなら帰った帰った!電気代もバカにならんからな、無駄を省いて経費節減!」

トラ課長はいつもの如く、自分の帰り支度もまだなのに、分厚い手をパンパン叩いて皆に帰宅を促した。

急ぎの用事が無いなら残業は極力しない。…これは、ここしばらく続いている不況の中、社内で徹底されるようになった事

らしい。残業には必ず届出か事後報告が必要で、定時消灯が義務付けられている。

もっとも、営業第一課みたいに忙しい課は、連日のように残業してるらしいんだけど…。

課長に急かされて帰り支度をしながら、先輩方が口々に言う。

「課長こそ荷物持って下さいよ?」

「そうそう、一番遅いんですから。歩くのも走るのも」

「何おう?早食いなら自信あるぞ!」

妙な方向にずれた返答をしながらハンドバッグを手に取った課長は、窓などの施錠を確認して最後に部屋を出た。そこから

はまるで集団下校。トラ課長を中心にぞろぞろと総勢9名で廊下を突き進み、社員用玄関に向かう。

困ったときは助けてくれる。いつだって頼りになる。課の大黒柱であるトラ課長は、こうして見ると皆の父親のようですら

ある。

後ろの方を歩いていたぼくは、チラリと視線を動かし、課長の隣を歩く白い兎獣人の女性を見た。

今は笑顔だけど、アワノさんも、退職を寂しいと感じてるのかな?課長や皆とお別れするの、寂しいって思ってるのかな?

…考えるまでも無く、寂しいに決まってるよね…。



それから二日後。

アワノさんの退職祝いは、会社からそう遠くない位置に佇む、赴きがある料亭の宴会用座敷で行われた。

お祝いのお花や商品券のプレゼント。

お店の人にカメラを頼んで皆で写った記念撮影。

一人ずつ贈ったお祝いの言葉。

お礼の挨拶をする時には、アワノさんはいつも赤い目をさらに赤くして、涙ぐんでいた…。

けど、湿っぽいのはそこまで。課長の音頭で乾杯を交わしたら、そこからは一気に盛り上がった。

並べられたお膳に乗った、豪勢で手の込んだ美味しい料理を食べながら、歓談は賑やかに進む。

未成年のぼくはオレンジジュースを啜りながら、お酒を飲んで盛り上がる皆に混じって、アワノさんの結婚をお祝いし、別

れを惜しんだ。

お酒飲めなくたって平気。

オレンジジュース、好きだから。

仲間はずれにされた気分なんて味わってないから。

…ホントだから…。

春に高校を出たばかりのぼくにとっては、親戚以外の誰かの結婚を祝うのも、退職する誰かを送るのも、初めての経験だ。

これから何十年も働いてく間に、何回もあるのかなぁ…?めでたくて、ちょっと寂しいこういう事が…。

「おいシマネぇー!どーしたどーした?静かじゃないのぉー?」

顎鬚がトレードマークの29歳、人間のカノウさんが、ちょっとしんみりしてたぼくにそう声をかけ、お膳を挟んで正面に

座る。
…真っ赤な顔に笑いが張り付いてる。えぇと、何て言ったっけ?こういうの…。あ、そうそう、「デキアガッテル」だ。

「アワノちゃんが居なくなるのが寂しいのかぁ?寂しいんだろう?分かる!分かるぞぉその気持ち!」

カノウさんはウンウン頷くと、持参してきたビール瓶を掴み上げた。

「まあ飲め!飲んでパーっと行け!ポワーっとなれ!寂しい気分をふっ飛ばせ!」

「いえいえいえ!ぼく、お酒はまだ…!」

慌てて首を横に振るぼくの横で、ノシッと、大きくて重い何かが座布団を潰す。

でっかいお尻を落として畳を揺らし、空いてた隣の席に座ったのは、トラ課長だった。

「カノウ。シマネ君は未成年だぞぉ?酒を勧めちゃあいかんなぁ」

課長はお酒臭い息を吐きながら口の端を吊り上げて笑いつつ、カノウさんにコップを差し出した。お酒が回ると課長の顔は

ユルユルになる。そして普段にも増してよく笑う。

「おれぁ17の時には飲んでましたよぉ?固い事言わないで下さいよ。うん、言いっこなし」

「真面目で可愛いシマネ君を、生まれた時からはねっかえりだったお前と一緒にするな」

持ち上げたままだったビンから課長のコップにビールを注ぎつつ、カノウさんは苦笑いする。

「ひでぇ言い草だなぁとっつぁ~ん」

「ひどくない。皆に聞いてみろ?絶対に俺と同意見だぞ」

課長も結構酔っているみたいだ。自分の事「俺」って言ってる…。お酒が入ると時々一人称が「俺」になるけど、たぶん地

はこっちなんだろうなぁ。

「ここだけの話、シマネも飲んでみたいか?飲んでみたいだろぉ?」

口元に手を当てて、こそっと小声で囁いて来るカノウさん。

「い、いいえ…。未成年ですし…」

ぼくがちょっと困りながら応じると、ガブッとコップをあおって一気にビールを飲み干した課長は、空になったコップをお

膳の上にコツッと置いて、

「ほれみろ!シマネ君はちゃんと分別がある!いい子だなぁ本当に!」

と言いつつ、ぼくの肩に太い腕を回して、グイッと引き寄せた。

トラ課長の腕には結構力が入ってたから、軽くて非力なぼくは簡単に抱き寄せられて、正座を崩して課長にしなだれかかる

ような格好になった。ワイシャツ越しに感じるポワポワの被毛と、むっちりした皮下脂肪の感触…。

…課長の体…、柔らかい…。お酒と、汗の匂い…。課長の匂い…。心臓がドコドコいって、顔がカーッと熱くなる…。

硬直してしまったぼくの肩に腕を回したまま、課長は上機嫌で笑っている。

「あ~!誰かさんと違って本当に可愛いなぁシマネ君は!」

「おれだって入社したての頃は可愛かったでしょう?」

「いや、可愛さや初々しさは欠片も無かったなぁ。最初からふてぶてしかったぞ」

「ひでぇよとっつぁん!酔ってるだろ?酔ってるな?酔ってるって!」

課長はカノウさんと言い合いながらも、ぼくの肩を抱いたままでいてくれた。

…幸せ…。しばらくこのままで居て欲しい…。

けど、そんなぼくの願いも虚しく、カノウさんが指摘する。

「とっつぁ~ん!シマネ困ってるぞ!困ってるって!親父臭くて酒臭くてブヨブヨしててじめっと暑苦しいって!」

「んぉ?おっと悪い悪い!がっはっはぁ~!」

課長はぼくの肩からパッと腕を離し、苦笑いしながらガリガリと頭を掻いた。

…ひどく残念だと感じる。けど同時に、ちょっとホッとした…。だってぼく…、すごくドキドキして、かなり興奮しちゃっ

てたから…。

 

あっという間に二時間ほどが経ち、宴もたけなわ。

そろそろ一次会も終わりが近付いたところでトイレに立ったぼくは、用を足して出た所で、今日の主役であるアワノさんと

ばったり顔をあわせた。

「シマネ君、つまらなくない?うるさい酔っ払いの中に放り込まれて」

「そんな!つまらなくなんか全然ないですよ?」

首をプルプル振ったぼくに、アワノさんは「そう?なら良かった」と、綺麗な笑顔を見せる。ぼくが普通の好みをしていた

ら、こんな笑顔にドキッとするんだろうなぁ…。

「結婚って…、ステキな事ですよね」

実感が沸かないながらもそう言ったぼくに、アワノさんは「どうかしらねぇ」と微苦笑を返して、廊下のソファーに腰を下

ろした。

ちょっと休憩して行こうと言うアワノさんに頷いて、ぼくは隣に腰を下ろす。

あまりお酒を飲まなかったのか、アワノさんは他の皆ほどお酒臭くない。シャンプーの匂いを薄めたような、柑橘系の香水

の香りがほのかに漂って来るだけで、酔っ払ってるような印象は無かった。

「結婚は人生の墓場って言うし、これから大変になるかも?」

肩を竦め、冗談めかしてそう言っても、アワノさんは幸せそうな顔をしてる。

「カノウさんとスガワラさんは、家に居るとお墓とかに居る気分なんでしょうか?…だから、休み明けは死人とかみたいに元

気がなくて、時々ゾンビみたいな歩き方を…?」

ちょっと気になったから、首を傾げて妻帯者である二人の名前を上げたら、アワノさんは一瞬キョトンとした後、可笑しそ

うに体を折って笑う。

「あははっ!シマネ君ったら、ホント可愛いんだから…!あの二人はただ休みダレを引き摺って出て来ているだけよ」

え?今ぼく可愛いと思えるような事言った?

ぼくはコホンと咳払いして、墓場の話題から離れる。

「アワノさんで三人目ですよね?ウチの課で結婚経験がある人。三分の一だ」

「四人目よ?私は冬に退職しちゃうから、三人になっちゃうけど」

「え?あれ?あと誰でしたっけ?結婚していたの…」

知らなかった。もう一人居るんだ…。一体誰だろうかと顔を思い浮かべるぼくに、

「課長よ。あれ?知らなかった?」

と、アワノさんは首を傾げる。

「え!?課長!?」

声を大きくしたぼくにアワノさんが「そうよ」って頷いた。

「ぼ、ぼく…!課長はその、ど、独身だって…聞いて…!」

「うん。今は独身よ。バツイチ」

「バツイチ…!?」

驚きのあまり声が掠れたぼくに、アワノさんは「ええ、そう」と先を続けた。

「ただ、十年くらい前に離婚してるから、私も奥さんの事までは知らないの。それからはずっと独り身ね」

「離婚って、何で…」

「さぁ?私もそこまでは…。あんまり深い所まで突っ込んで訊くのも失礼かなぁと思って、詳しくは聞いていなかったから…」

トラ課長には、結婚経験があった。

それは、課長はこれまでずっと独身だったんだとばかり思ってたぼくには衝撃だった。

課長はやっぱり、女の人が好きなんだ…。

エッチな話も好んでするし、分かってた事なのに…。

勝ちの目が完全に無いと分かったぼくは、失礼なことに、そこからはもうほとんど上の空でアワノさんの話を聞いてた…。

 

近くのカラオケボックスに移動しての二次会も、大いに盛り上がった。

課長は少し調子外れに、卒業式などで別れを歌い上げる定番の歌を熱唱してた。さくら、さくら、って季節じゃないけど…。

酔っぱらっててリズムがずれてるけど、声はとても良い。太くて響いて良く通るいつもの声。

カラオケでもお酒は進んで、皆パカパカとビールやカクテルを空けてく。

課長は瓶に入った冷酒を機嫌良さそうに飲んでいるけど…。…いち、にぃ、…これで三本目だ。一次会でも結構飲んでたの

に、大丈夫かな?

ここでもぼくだけソフトドリンク。

お酒飲めなくたって平気。

コーラもアイスコーヒーも好きだから。

今度は本当に全然寂しくないから。

課長が隣に座ってて、あれこれ話しかけてくれるから。

けど、時々ちょっと哀しくなった。

課長は結婚経験がある。普通に女の人と。

つまり、男のぼくなんかの恋心には、決して応えてくれるはずが無いって、ついさっき確信してしまったから…。

 

カラオケは二時間で終了。

一次会は五時半に始まっていたけど、もうじき十時になろうとしてる。アワノさんを送る盛大な送別も、課長と一緒に過ご

せた楽しい時間も、過ぎるのはあっという間だ…。

カラオケボックスから出た頃には、皆だいぶお酒がすすんでて、ここで解散という事になった。女性陣はもう帰宅するみた

いだけど、男の先輩方数名は、このまま別のお店へ行くらしい。

「ちょっと歌い足りねぇんだよ~」

とは先のカラオケボックスで人気ビジュアルバンドのメドレーを上手に歌い上げたカノウさんの弁。…随分歌ってたと思う

けど、まだ足りないんだ…。声も全然枯れてないし喉も丈夫だなぁ…。

そして、トラ課長はというと…、あれ?なんかぼーっとしてる?

「課長?平気ですか?」

「とっつぁん、起きてます?」

「起きとるとも。さぁ、締めの一杯と行くか。などと手近なラーメン屋に誘う俺だ」

「課長、ここラーメン屋じゃなくカラオケ屋」

何故かカラオケボックスの入り口へ戻って行こうとした課長は、「おっと…」と足を止め、ガリガリと頭を掻く。

「だめだこりゃ…」

「今日はだいぶ飲んでたもんなぁとっつぁん。帰った方が良いって」

皆から口々に言われた課長は、「むぅ…」と不満げに唸ったものの、だいぶ酔っ払ってるっていう自覚はあるらしくて、や

がて「大人しく帰るか…」と、ため息混じりに呟いた。

「一人で帰れますか?送って行きます?」

アワノさんがそう言って、ぼくはハッとした。

アワノさんは、確か帰り道は課長と逆方向だ。けど、ぼくが住んでるアパートは、ここからなら課長のお住まいの延長線上

にある。途中までタクシーを相乗りして行ける。

「あの…、ぼく、課長と一緒に帰ります」

申し出たぼくを皆が一斉に見て、『あ!』と声を揃えた。

「そうね、もう遅いし、シマネ君も帰るべきかも…」

「社会人っつっても未成年だしな…」

「お前さっき酒飲まそうとしてなかったっけ?」

「確かに、もう帰って寝る時間だろう」

どうやら、良い提案をしたっていう事に『あ!』だったんじゃなく、ぼくが未成年だという事を思い出しての『あ!』だっ

たらしい。…子供扱いがちょっと悔しい…。

「課長のお住まい、ぼくのアパートまでの途中ですし、丁度いいですから」

ぼくが途中まで一緒に行くから、アワノさんが送らなくても大丈夫ですよと伝えると、皆が感心したようにぼくを見つめる。

「小さいのに偉いなぁシマネ」

「本当に、小さいのにしっかりしてる」

…あの…。小さいのは自覚してますけど、今は「幼い」って意味で聞こえるんですが先輩方…。

「送って貰わなくとも、さすがに一人で帰れるぞ?」

課長は苦笑いしながらそう言ったけど、「だが同じ方向だしなぁ、今夜は一緒に帰るか」と、ぼくの提案に乗ってくれた。

簡単に挨拶してその場で解散し、皆が散って行く中、ぼくは課長と連れ立って、タクシーが列を作ってる路肩に足を進めた。

 

タクシーの後部座席は、大きな課長と隣り合って座るとやけに狭かった。

課長は、運転手さんに行き先を伝えるまでは酔いが醒めたようにしっかりした口調で話してたけど、走り出してすぐ眠って

しまった。シートにもたれかかって顔を上に向け、目を閉じて口を大きく開き、「ふか~っ…、ふか~っ…」と、深い寝息を

立ててる。

…やっぱり、アワノさんの結婚で、自分の離婚の事を思い出しちゃってたのかな?いつにも増してハイペースだったもん…。

ぼくは汗とお酒臭い課長の隣でタクシーに揺られながら、今夜知ったばかりの事を思い出した。

課長は、以前一度結婚してる。

三十歳頃に離婚して、それからずっと独身なんだ。

だから、結婚っていう物には複雑な思いがあって、今日は飲み過ぎたのかも…。

離婚の原因は判らない。他の先輩に訊ねるのも躊躇われたし、何よりトラ課長本人になんて訊けるはずもない。

女好きらしいから、女性関係で何かトラブルが?浮気してバレたとか?

ちょっと想像してみたけど、何だか実感がない。課長、エッチな話はするけど、仕事ぶりは真面目だし…、取引先とのやり

取りから見てもフェアで正直で誠実だし…、二股とかをかけたり、奥さんが居るのに他の女のひとに手を出したりするタイプ

には見えない。

ぼくは横目で課長の様子を窺う。

気持ち良さそうに深い呼吸を繰り返してる大きな虎。頼りになる上司で課の大黒柱。人柄が分かってきたばかりで、知らな

い事はたくさんある。…課長の昔が、なんだかとても気になった…。

やがて、タクシーが減速して、ウインカーを上げて路肩に寄る。

窓の外に目を向けたぼくは、夜闇の中に静かに佇む大きな建物の姿を瞳に映した。

一階にコンビニやコインランドリーが入った集合住宅…。着いた。課長が住んでる会社の社員寮だ。

「課長、着きましたよ?」

「ん~…」

声をかけると、課長は小さく唸った。けど目を開けない。

「課長?起きて下さい」

大きな肩に手を当てて軽く揺さぶったら、課長はようやく薄目を開けた。

「あぁ、もう着いたのか…。今日も一日頑張って行こうかぁ…」

…さっきより酔っ払ってるかも…。一眠りしたら酔いが酷くなっちゃった?それとも、車に揺られたせいでお酒が回った?

動くと回るってカノウさんが言ってたし、動かされても回るのかも?

社員寮前に着いたのだという事と、これから仕事じゃない事を告げつつ、にわかに不安になったぼくは課長と一緒に降りる

事にした。

ぼくのアパートまではそう遠くない。ここからならちょっと歩けば着くし、課長を部屋に送ってから帰ろう…。

運転手さんに支払いを済ませた後、奥側に乗っていたぼくは、反対側を開けて貰って回り込み、自動ドア側からトラ課長を

引っ張って、外に出るよう促す。

ふらふらとおぼつかない足取りで出て来た課長を、肩を貸して腰に手を回す格好で支え、ぼくはえっちらおっちら社員寮の

入り口へ向かった。

…とは言っても、ほとんど支えになってない…。千鳥足でフラフラ歩く課長を、とりあえず進行方向に導いてるだけ。トラ

課長の体重はぼくの三倍半はある。もしも転ばれても助け起こすのは無理。助け起こすどころか、下敷きになったら身動きも

とれないだろう。

…いや、それどころか下がコンクリートのここだと、課長と地面の間に挟まって無事に済むかどうかも極めて疑わしい…。

不安に駆られながらも、何事も無くエレベーターに到着したぼくは、殆ど待たせずにやってきてくれたエレベーターに、課

長と二人で乗り込んだ。

課長が社員寮に住んでる事は知ってたけど、部屋までは判らない。えぇと…。

「何階でしょうか?」

ボタンを押そうとして尋ねると、課長は凄く眠そうな顔をパネルに向けて、太い指でボタンを押す。

結構しっかりしてるのかなぁと思いながら顔を見上げると、目をほとんど瞑った状態になってコックリコックリしてる…。

そういえば、自分では覚えてないぐらいに酔っ払った夜も、帰巣本能みたいなもので自室まで帰ってるっていう話を、カノ

ウさんから聞いた事がある。もしかしたら課長も、ぼくが送るまでもなく一人で帰れたのかもしれない…。

エレベーターで五階に上がって、課長の肩を支えて通路に出る。

手すりを越えて通路に吹き込む風は、昼間の暑さとは打って変わって涼しくて、課長を支えながら歩いて体が熱くなってた

ぼくには心地良かった。

担いだ太い腕の圧迫感と、押してもビクともしない胴体の重量感が、なんだか心地良い。不思議だけど、支えてるはずのぼ

くが安心感を覚えてる…。

お酒と汗の匂いは気にならない。いや、むしろ呼吸する度に入って来るそれを、深く吸い込んで満足してる…。

「部屋は何処なんですか?」

ドキドキしつつ、しかしもう少しでお別れだと残念に思いながら訊ねると、課長は「ごぉまるごぉ…」と、ムニャムニャ応

じた。…ちょっと可愛いかも…。

えぇと…、505…、505…、あった。

ドアのプレートを走らせた視線で確認しながら進んだぼくは、「そこですね?」と課長に声をかける。

ドアの前で一緒に立ち止まって課長の腕を放し、そのトロンとした顔を見上げる。

「それじゃあ、お疲れ様でした。お休みなさい課長」

「ん~…。おやすみぃ…、気をつけてなぁ…」

ペコッと頭を下げたぼくに、課長はニンマリと弛んだ笑みを向け、肩の高さに上げた手をゆっくり振った。

ここまで来ればもう大丈夫。ぼくは踵を返して通路を引き返す。

…ところが、引き返し始めたぼくが五歩も歩かないうちに、後ろでドスッと音がした。

耳を立てて足を止め、慌てて振り向いてみれば、課長は壁に寄りかかって、床に座り込んでしまってる。

「課長!?だめですよこんな所で…!」

「ん~…。いやお代わりは結構…。さすがにもう腹がパンパンで…」

「お代わりじゃなくて!」

やっぱりだいぶ酔っ払ってるみたい…!

慌てて歩み寄ったぼくが肩を掴んで揺さぶっても、課長は立ち上がろうとしない。呼吸が半分寝息みたいになってる。

…せめて部屋の中に入れないと…。鍵、部屋の鍵を借りて…。えぇと、会社の車のキーなんかは、確かいつも右のポケット

に入れてるみたいだけど…。

ぼくは「失礼します」と声をかけて、課長のズボンの右ポケットに指を入れた。悪い事してるみたいで、何だかちょっとド

キドキして落ち着かない…。誰かに見られたらドロボーしてるとか見られちゃいそう…。

課長の腰周りにもむっちりと肉がついてるから、ポケットもきつい…。でも、ポケットの途中まで入った指の先にリングの

ような物が触れてる。きっとこれが鍵だ。

引っ張り出した薄っぺらいキーケースを顔の前に翳したぼくは、それを開いて、三本ある中からそうらしいと思えた鍵をド

アノブにさし込む。

ビンゴ。すんなり入った鍵を回すと、カシャンと、軽くて乾いた音を立ててロックが解除された。

「課長?ほら、ドア開きましたから、立って下さい。もうちょっと頑張って…」

横に屈み込んで太い腕を肩に担ぎ、力を入れて引っ張ったら、課長は「う~…」と唸って顔を顰めながらも、のろのろと腰

を上げた。

ノブを掴んでドアを引き開け、コンクリートのたたきに足を踏み入れると、課長は唐突に「ただいまぁ~…」と漏らして、

ぐらっと揺れた。

「わ?あわわわっ!?」

肩を貸したままのぼくも、倒れる課長に引っ張られる形で傾き、ドスン!と、玄関の上り口に倒れ込んだ。

痛くなかった。体の右側を下にして倒れ込んだ課長に、ぼくは抱えられる形になってる。肩に回された左腕で抱え込まれ、

むっちりしてるふくよかな胸に、顔を埋めるようにして…。

ぼくのぺったりした胸からお腹は、課長のたぷんとした大きなお腹にぴったりくっついてる…。細い脚は、課長の丸太みた

いな太腿に絡むようになって、軽く挟まれて股間に…。

絡み合うようにして玄関に倒れたまま課長と体を密着させたぼくの心臓が、ドックンドックンと胸の中で暴れてる…。

…ぷにぷに…。…柔らかい…。…ふかふか…。…課長の匂い…。

たっぷりついてるお肉はきめ細かい被毛とセットで凄く柔らかくて、弾力が心地良い…。ムチッとしてて重量感があるのに

表面はポヨポヨ、触っただけで気持ち良いなんて…。

「か、課長…?」

口を半開きにして喘いでいる課長の顔を胸の中から見上げると、その口から呻くような声が漏れた。

「ん~…、水ぅ…」

「え?あ、み、水ですね!?今すぐ!」

ぼくは課長の重い腕をそっと除けて身を起こし、ちょっと躊躇したけど靴を脱いで、「おじゃまします…」と声をかけつつ

玄関から上がる。

まだ胸がバクバク言ってる…。傍の壁を手探りでまさぐって灯りをつけたぼくは、突き当たりにあるドアに視線を向けた。

戸建てのデザイン住宅じゃないんだし、そんなに複雑な造りになってないはず。居間とかに入れば台所か洗面所はすぐ見つか

る。きっと…。

「お、お邪魔しまーす…」

ここで課長が暮らしてるって考えたらちょっと緊張した…。玄関から奥へ伸びる2メートル程の短い廊下をそろそろと抜け

て、突き当りのドア脇にあったスイッチで灯りをつけたら、正面の部屋は広めのダイニングキッチンになってた。

大型テレビと向き合う大きなソファー、そしてどっしりした黒いローテーブルが目を引く広々したダイニングは、もしかし

て10畳以上ある?ぼくが住んでるアパートの八畳間より、開放的でかなり広々してるように見える。

キッチンは食器棚と一体型のカウンターでダイニングから区切られてる。キッチン側の戸棚にはお酒の瓶とかが並んでて、

お店みたいに格好良い。…何だっけ?こういうのホームバー風って言うの?古い建物だって聞いてたけど結構オシャレな間取

りだ。当時最新のデザインで建てられたのかも?

カウンターを回り込んでキッチンに入ると、コンビニ弁当のからが大量に詰め込まれて床に放置されたゴミ袋と、洗ってな

い食器がかなりたまったシンクが目に入った。

…課長…、私生活では整理整頓にだらしないタイプ?意外…。

戸棚を開けてガラスのコップを手に取ったぼくは、大きな冷蔵庫を見遣って、短い間逡巡した。ミネラルウォーターなんか

があれば良いけど、断わりもなく冷蔵庫を開けるのも失礼だよね…。

仕方ないから、コップに水道水を注いで引き返す。

相変わらず上り口にぐて~っと横たわってた課長の脇に屈み込み、ぼくは肩を揺さぶって声をかけた。

「課長。お水持ってきましたよ?起きて下さい、課長?」

課長はちょっと揺すった程度じゃ目を開けてくれなくて、コップをちょっと放して床に置いたぼくは、横倒しになっている

課長の肩と脇腹に手を当てて、押すようにして揺さぶる。

体中にたっぷりついた脂肪がタプタプ揺れる程に力を込めて強く揺すったら、課長はようやく薄目を開けてくれた。

「んがぁ~…?」

「課長、起きて下さい。お水持ってきましたから」

腕を引っ張って起き上がるよう促すと、課長は億劫そうに体を起こして、壁にドスッと背中を預ける。寄りかかりながら太

い脚を広げて投げ出した格好は、だらしなくて無防備なはずなのに、何だかちょっと可愛く見えた。世界中で人気のあの熊の

縫い包みみたいなポーズだ…。

「課長、お水ですよ」って呼びかけながら顔の前にコップを翳して見せると、のろのろと手を上げた課長は、受け取るなり

グビグビッと一気に飲み干した。

「もっと飲みますか?」

ぼーっとしている課長からは返事がなかったけど、とりあえず水はもう良いらしくて、のそっと腰を上げた。のろのろふら

ふら揺れながら立ち上がり、ちょっとふらつきながら奥へ向かう課長。…ひょっとして、ぼくがここに居る事も認識してない

んじゃないだろうか?

大丈夫と言いきれない足取りだった。ちょっと心配になったぼくが、後に続いてダイニングに入ると、課長は首に手をやっ

てネクタイを外してた。

ぼくは空のコップを手にキッチンに戻り、水で濯いでシンク横の水切りトレイに上げる。…トレイもコップでいっぱいだ。

おまけにシンク内の汚れた食器が気になるなぁ…。これカレーかな?すっかり乾いちゃってる…、せめて水につけておこう…。

食器が詰め込まれてるプラスチックのたらいに水を張って、カウンターを回り込んでダイニングに戻ったぼくは、課長の姿

を見るなり硬直した。

さっきまでネクタイを外してた課長は、ズボンまで脱いでた…。

足元にズボンと靴下を脱ぎ捨てて、ベルトを外して放り出した課長は、ワイシャツのボタンを上から一個一個外している最

中だった。
完全に硬直して身じろぎ一つできないぼくは、課長のストリップを食い入るように見つめる。唾を飲んだ喉が、ゴ

クンとやけに大きく鳴った。

脱ぎ終わった半袖ワイシャツを床に落として、白いランニングシャツの裾に交差させた手をかけて、上に引っ張り上げて脱

ぐトラ課長。
シャツを床に放り出すと、腕を下ろしたはずみで脂肪がついて垂れた胸がタプンと震えて、大きなお腹がゆさっ

と揺れた。

課長の裸を見るのは、勿論これが初めてだ…。

腕の内側や顎下なんかは、縞模様がなくて白い毛になってたけど、どうやらそれは胸やお腹側、太腿の内側もだったらしい。

まるで洗濯したてのシャツみたいな、眩しいほど鮮やかな白…。

黄色に黒の縞模様は、頭部や背中、それと体の外側を覆ってる。思い出してみれば、高校時代にクラスメートだったがっし

りした虎も、こんなカラーリングになってたかも…。

パンツ一丁になったトラ課長の下着はトランクスだった。それも、これぞトランクスと言わんばかりの青白縦縞パンツ。

たっぷりした胸はお腹との間に段がある。丸く出っ張ったお腹は綺麗な曲面を描いて、お臍が深くてシルエットになってる。

肉付きが良過ぎる下っ腹のお肉はトランクスのゴムに乗ってる格好で、ちょっと可愛らしくて微笑ましい。丸々太くて幅広い

腰下を覆ったトランクスの、尻尾ホールから出た黄色と黒の太い縞々尻尾は、青白縞々パンツとの対比が鮮やかでキュート。

…これ以上誘惑しないでください課長…。

服を脱ぎ終えて下着だけになった課長は、巨体を揺すってよたよたと部屋を横切り、ダイニング右手奥にある別室へのドア

を開けた。ゴムがいっぱいに延びたトランクスは、歩くだけで揺れるお腹の下で、どっしり太い腰に必死にしがみ付いてる。

しばらく呆然としていたぼくは、ハッと我に返ると、おぼつかない足取りで部屋に入って行った課長の後を追いかける。大

丈夫だとは思うけど…。

「課長…?」

おずおずと声をかけつつ、遠慮がちに覗き込んだ部屋は、一目でそうと判る課長の寝室だった。

畳敷きの六畳間に布団が一組敷きっ放し。課長は既にその上で頭を部屋の奥に向けて、手足を投げ出し、除けられたままの

掛け布団を被る事もなく仰向けの大の字になってた。

自重で潰れてもなお、こんもりと山になってる真ん丸お腹が上下して、ポカンと開いた口からは規則正しい寝息が漏れてる。

すかーっ…、すかーっ…、と深い息を繰り返してる大きな虎を眺めながら、ぼくはほっと胸を撫で下ろした。

もう大丈夫。寝室に入っちゃえば、いくらなんでもここから妙な状態や事故にはならないはず…。

タクシーに乗ってから一気に酔いが回ったらしい課長は、ぼくが一緒だって事にも気付いてなかったかもだけど、それでも

先輩方に言った通り、ちゃんと部屋まで送れたもん。なんだか凄く満足。

ビックリしたけど、嬉しいアクシデントもあった。肩を抱いて貰えたし、転んだ拍子に密着までしちゃったし、裸まで見れ

ちゃったし…。

そこまで考えたぼくは、仰向けにひっくり返っている課長の姿を見ながら、ゴクリと喉を鳴らした。

左側の窓にかかったレースのカーテンを抜けて、明るく、無音で降り注ぐ月光。

その中に浮かび上がる、大きくて太った虎の、弛んで柔らかい裸の体…。…ん?

は、裸だよ!課長、パンツだけの格好…!

落ち着いてきてたのに、改めて考えたら顔がカーッと熱くなって、また心臓がバクバク騒ぎ出す。初めてお邪魔したお部屋

で、酔っ払って寝ている課長が半裸…!何てシチュエーションなんだろう…!

これ以上興奮したら帰っても眠れなくなりそうだったから、首を左右に振ったぼくは、入り口から見て部屋右側の壁際に置

かれた本棚に目を止めた。

…そういえば、ぼくは課長の私生活も全然知らない…。

ちょっと興味を覚えて、課長の様子を窺いながら、ぼくは足を忍ばせて寝室に踏み入り、本棚に近付いた。いけないって思

うんだけど、何か話題のタネが見つかればいいなぁって…。好きな本とか知ったら話しかけ易いし…。

本棚前でもう一度課長を振り返り、眠っている事を確認してから背を向け、本棚をじっくり見る。

小説ばっかりだ。ファンなのか、漫画以外は読まないぼくでも名前を知ってるほどの有名作家、若くして故人になった櫻和

居成(おうにぎいなり)の本が多い。

映画化された作品は何本か観ているから、ぼくが内容を知ってる本もある。あれ?小説だけかと思えば、一種類だけ漫画本

が、それも大量に…。

ずらりと並んでいるのは、ぼくが生まれる前から連載してる、超長寿ボクシング漫画の単行本群だった。ぼくも主人公と愉

快な先輩達が大好きで、雑誌でずっと読んでる。…課長もこの漫画読んでたんだ?意外だったけど、共通の話題を見つけて凄

く嬉しくなってきちゃった。

この間出たばかりの最新巻もある。雑誌は見えないけれど、単行本派なのかな?休み明けに早速話をしてみよう!

ウキウキしつつ本棚から離れようとしたぼくは、本棚の上部の高い位置に目を止めた。

三冊ほど、背表紙を向こうに向けて、ハードカバーの上に乗せて押し込んである。本棚にはまだ空きがあるのに、なんでこ

んな風にしまってあるんだろう?洗っていない食器をあんなに溜めて放置していた事だし、私生活では結構面倒臭がりなのか

も?つくづく意外だけど、ちょっと可愛いっていうか、完璧なだけじゃないんだなぁって思えて親近感が強くなる。

何気なくその本を取り出して、表紙を見つめたぼくは、目を大きくして硬直した。

小さいのに分厚いそれは、見覚えがある雑誌だった。

いや、見覚えがあるどころか、ぼくも持ってる雑誌だ。

ネット通販で購入した、その、男と男の、アレな雑誌…。

…ど、どういう事?なんで課長がこんな雑誌を…!?

雑誌を手に、混乱したまま立ち尽くしてたぼくは、もそっと、重量のある大きな物が動く気配と音を背中に感じ、ビクッと

体を強張らせた。

全身の毛が逆立ち、太くなった尻尾をぴんと立て、ゆっくり振り向いたぼくの視線の先には、寝返りを打ったのか、布団の

上で体の左側を下にして、こっち向きになってるトラ課長の姿…。

こっちに向けられたぼーっとした顔の中で、半開きの目がぼくを映してる…。

雑誌を戻す事も出来ず、完全に硬直したぼくを眺めてた課長の目が、ゆっくり、大きくなっていった。

夢です。これは夢です。課長は酔っ払って夢を見てるんですここには誰も居ません課長一人だけですぼくはここには居ませ

んだからもう一回目を閉じて眠って良いです眠っててください眠ってて!

「シマネ…君…?」

ぼくの願いは実を結ばず、戸惑ってるような声が課長の口から漏れた。

次いでガバッと、勢い良く課長の体が起きる。

怒鳴られる!

怒られる!

嫌われる!

雑誌をギュッと握り締め、目を固く瞑って身を竦ませたぼくの、ぺったり伏せた耳に、

「見た…のか…?」

と、低く掠れた声が届いた。

ビクビクしながら目を開けたぼくの胸の前、手にした雑誌に、課長のまん丸になった目が向けられている。

「見た…よなぁ…。そうか…」

課長は布団の上に胡坐をかいて、困り顔になってガリガリ頭を掻いた。

間違いなく怒鳴られると思ってたぼくは、拍子抜けして課長を眺める。

「その、なんだ…。どう言い訳してももう無駄だろうし…、正直に言うとだな、…まぁ…、そういう事だ…。俺は、「そうい

う趣味」の男だ…」

課長は気まずそうに首を竦め、耳を伏せながらそう言った。視線を床に向けている課長は、酔いもいっぺんに吹き飛んだら

しい。

…それはそうだよ…。目を覚ましたら、どういう訳か寝室に侵入してた部下が本棚をあさってて、おまけに、恐らく隠して

たんだろう雑誌を手に取ってたんだから…。

「…幻滅しただろう?偉そうにしている上司がゲイだったなんて…」

課長の問いに、ぼくは慌てて首を横に振る。

「そうか…。できればこの事は…、皆には黙っておいてくれると助かる…」

ぼくが言葉も出せずに首を縦に振ると、課長はくるっと体の向きを変えて、ため息をついた。

…帰ってくれって…事なんだろう…。

「あ、あの…、す、済みませんでした…」

雑誌を棚に戻したぼくは、すごすごと出口へ向かった。

…何て事しちゃったんだろう…。怒鳴られはしなかったけど、課長、きっと怒ってる…。今までみたいな関係は、きっとも

う望めない…。

軽率な行動を悔やみつつ、ぼくは寝室入り口で立ち止まり、ちらりと課長に視線を向けた。

ズキンと、胸の真ん中が刺されたみたいに鋭く痛んだ。

カーテン越しの月光を浴びる大きな虎…。項垂れて、あぐらをかいた足に視線を落としてる巨漢の横顔は、何だかとても…。

辛い。痛い。心が。姿を見てるぼくの方まで…。

課長はそう、雨の日にずぶ濡れになって、途方に暮れてる子猫みたいに、寂しそうで、悲しそうで…。

…良いの?このまま黙って出て行って、本当に良いの?

今だから言える事が、今だから言わなきゃいけない事が、ぼくにはあるんじゃないの?

「か、課長…?」

「うん?」

課長は少し首を起こして、ぼくを横目で見た。

一瞬で喉がからからになって、手にじっとりと汗が滲んで、足が小刻みに震え出した。

頑張れ!勇気出して!後からじゃダメだ!今を逃したら、もう言えなくなっちゃうぞ!

「課長…、ぼ、ぼく…!ぼく…!」

歯の根が合わない。ガタガタと震えだしそうな体を必死に抑えて、何とか言葉を紡ごうとするけど、声が震えて…!

「大丈夫だ。ゲイと言っても、俺達は世間で言われとるように見境無く襲ったりするような事はない。安心していい」

課長はちょっと寂しそうな笑みを浮かべ、自嘲するようにおどけて肩を竦める。

違う!違うんです課長!ぼく…、ぼくは…!

こんなに怖いとは思わなかった。本当の事を言うのがこんなに怖いなんて…。自分から言うんじゃなく、盗み見られる格好

で本当の事を知られた課長はどんなに辛かったろう?どんなに苦しいんだろう?

…だから…、だから…!言わなきゃ!今言わなきゃ!

「…同じ…、だから…!」

ぼくはやっとの事で、小さな震え声を吐き出した。

聞き取れなかったらしく、課長は黒い縁取りがある耳をピクンと動かし、半眼の訝しげな目になる。

「同じ…なんです…、ぼくも…!」

勇気を振り絞った二度目の声も、弱々しく震えて掠れた。

顔が熱くなって、耳元で心臓がドコドコいう。

しばらくぼくを見つめていた課長の目が、ゆっくりと大きく開かれ、伏せ気味だった耳が徐々に起きる。

口をポカンと開け、驚いた表情になった課長は、何度も瞬きしながら口をパクパクさせた。

しばらく言葉が出て来なかったけど、ようやく課長の口から漏れたのは…、

「…おふ…?」

ため息とも呻きともつかない、妙な声だった。

 

「同じ…かぁ…」

場所は変わってダイニング。

下着一枚の格好のまま床に腰を降ろしてるトラ課長は、缶コーヒーを一気に空にした後、ぽつりと呟いた。

ぼくは課長と向かい合う形で、ローテーブルを挟んで正座してる。

あの後、ぼくはつっかえながらも、自分も同じ雑誌を読んでる事、自分も男の人に興味を持つ事、だから課長の事を誰かに

言ったりはしない事を、何とか伝えた。

課長はひどく驚いてたけど、ぼくをダイニングに案内して缶コーヒーを勧めてくれて、こうしてじっくり話を聞いてくれた。

それから、今に至るまでの事情をかいつまんで…、つまり、一緒に転んだ事とか、着替えを見た事とかは伏せて、課長に説

明してたんだけど…。

「いやぁ、ホッとした…。ついに言えない事がバレたかと、気が気じゃなかったぞぉ?がっはっはっはっ!」

事情を知った課長は、どこか楽しげに笑い声を上げる。

…何だろう?何となくだけど、課長、嬉しそう?

課長の寝室で家捜し紛いの事をはたらいたぼくは、恐縮して小さくなって…、

「す、済みません…。本当に済みません…!」

さっきからずっとこんな調子で、ぺこぺこと頭を下げてる…。

「いやいや良いんだ。私の方こそ迷惑をかけたなぁ。調子に乗って酔い潰れた挙句、シマネ君に送って貰いながら、…むぅ?

恥かしい事にカラオケを出た辺りまでしか思い出せん…」

課長は頭をガリガリ掻くと、「カラオケでやった冷や酒が効いたか…?」と、顔を顰めて呟いた。

「シマネ君は、いつからそうなんだ?だいぶ前からか?」

「え、えっと…。その…」

言葉に詰まったぼくに、課長は「いやいや、言いたくないなら無理に言わんで良いんだ」と、手を振って見せた。

「突っ込んだ所まで訊いて済まんね。気に入っとる新人が「お仲間」だったと知って嬉しくて…、がははっ!私もだいぶ舞い

上がっとるな?…いや、酔っとるのもあるか…」

嬉しい…?ぼくが同類だった事が…?

ぼくは俯きながら、膝の上に乗せていた手をギュッと握り、拳を作った。

違うんです課長…。

「いつから」っていうの、言いたくないんじゃなくて…、本当は言いたいんだけど…、言う勇気が出なくて…!

「ぼ、ぼく…。課長…、ぼくは…」

勇気を出して声を振り絞ったぼくを、想い人が「うん?」と首を傾げて見つめる。

「ぼ…く…!ぼく…!ぼくっ…!」

全身が熱くなって、どっと汗が吹き出した。

「ぼくは…!課長が…!課長が、最初のっ!…好きな…ひとっ…!」

血圧が一気に上がって耳鳴りがする中、ぼくは自分が吐き出した言葉を、とても遠くから響いた声のように聞いていた。

課長は「ん?」と眉根を寄せて、一度訝しげな顔になった後、目をまん丸にした。

「か、課長が…!課長が…!好きです…!」

絶対言えないと思っていた言葉は、カッカと熱くなってるぼくの体から、何とか吐き出されて行った。

口から声が出て行ったと同時に、目の奥が熱くなって、涙が溢れてきて、喉がしゃっくりを始める。

「ふぇ…!ひっく!ふえぇ…!」

「あ?お、おい!シマネ君!?」

言えた事が嬉しかった。けど、言ってしまった事が怖くなった。

もう戻れない。取り返しがつかない。言ってしまったんだ。「好きです」って…。

泣き出してしまったぼくを見て、課長は「あ、あぁあぁ?」と、うろたえたような声を漏らす。

「ど、どうした!?シマネ君っ!?」

のそっと腰を上げ、どすどすと巨体を揺すってテーブルを回り込んで来た課長は、オロオロしながらぼくの前で跪いた。

ぼくの肩にかけようとしたのか、持ち上がった大きな手は、しかしぼくに触れるのを躊躇うように宙を泳ぐ。

我慢して堪えようとしたのに、課長を慌てさせてしまったのが申し訳なくて、ぼくの喉は勝手にしゃっくりを繰り返し、目

からは止め処なく涙が溢れた。

「泣くな。な?そんな風に泣かれたら…、俺が悪い事しとるような気分になる…!」

課長は慌てた様子でそう言うと、上目遣いに見つめるぼくの目を覗き込んだ。

しばらくの間、迷うように手を彷徨わせていた課長は、

「泣くな…。泣かんで良い…。な?」

太い腕を伸ばして、包み込むように、そして遠慮がちに、ぼくを抱き締めてくれた…。

肩から後ろに回った大きな手が、そっと優しく背中を撫でる…。

課長の匂い…。雄の匂い…。

柔らかな白い被毛に覆われた、広くて柔らかい虎の胸に顔を埋めて、ぼくはしゃっくりをしながら打ち明けた。

課長に一目惚れしてしまった事…、それから自分が同性愛者だと悟った事…、課長も一緒なんだって知ったら全部打ち明け

なきゃいけないような気持ちになった事…。

たどたどしく、途切れ途切れに打ち明けて、どうしようもない程好きになってしまったのだと、ぼくは泣き止む事もできな

いまま洗いざらい白状した…。

課長はぼくを抱き締めたまま、一言も挟まず、うんうんと相槌を打ちながら、零した涙も言葉も全部受け止めてくれた…。

 

全部打ち明け終えて、泣きじゃくりながらの告白を済ませてからかなり経って、ようやく涙が止まると、

「…落ち着いたかね?」

課長はそっと身を離して、涙でグショグショになったぼくの目の下を、太い親指で拭ってくれた。

「は、はい…。かちょっ…、ごめっ…なさい…」

しつこいしゃっくりのせいで途切れ途切れに応じたぼくの顔を、課長はちょっと困ってるような顔で見下ろしてる。

「俺が…好き…、なぁ…」

「…迷惑…ですよね…」

俯き加減になったぼくが言うと、課長は「迷惑とかじゃあなくてだな…」と、困り顔のまま口を開いた。

「嬉しいとも。シマネ君の気持ちは嬉しいんだが…。問題がある…」

…問題…?ぼくははたと気がついた。今の今まで、何でこの事に頭が回らなかったんだろう!?

「か、課長…。ひょっとして、恋人が、もう…?」

そう。課長が同類だったのは幸運だったけれど、恋人が居ないとは限らないんだ!

絶望的な気分になりながら訊ねたぼくに、しかし課長は首を横に振った。意表を突かれたような顔で。

「いいや?恋仲の相手はおらんが…」

え?じゃあ、問題って一体何…?

課長はため息をつくと、困り顔に微苦笑を浮べた。

「俺はもう40だぞ?シマネ君とは倍以上も歳が離れとる。それこそ親子並だ」

問題って…、もしかしてその事?そんな…事…?

「課長っ!」

ぼくは床に手をついて、ぐっと身を乗り出した。課長は驚いたような顔をして、ちょっと身を引く。

「歳なんて関係ないです!それに、あと四年くらい経ったら倍以下になります!」

自分でもビックリした。小心者のぼくが、こんなにも大胆に、積極的に、課長に詰め寄るだなんて…。泣きじゃくりながら

の無様な物になったけど、告白したら何かのタガが外れたのかも…。

「ぼく…!課長に嫌われちゃったら…、会社に居られません…!」

考えてみると、我ながらずるい事を言っちゃってた。こう言ったら仕事と職場を盾にしてるみたいに聞こえる…。案の定、

申し訳ない事に課長は首を引いてたじろいでた。

「い、いやいやいや!嫌うだなんてそんな事はだなぁ!」

「じゃあ、好きですか?」

口にしてから思ったけど、ぼく、かなりウザい事を言ってる…。でも、動き出した気持ちと口は止まらなかった。

「年下過ぎて、ダメですか?ぼくは好みじゃないですか?」

課長は「むぐっ…」と呻いて黙り込んだ後、ぼくからそっと目を逸らした。

やっぱり…、ぼく、課長の好みのタイプじゃないんだ…。

残念に思いながら俯いたぼくの耳に、「…みだ…」と、ボソっと囁かれた課長の声が届いた。

顔を上げたぼくは、そっぽを向いてる課長の横顔を眺める。

「…モロに…好みだ…」

鼻の頭を指先でコリコリ掻きながら、課長はぼそっと、でもはっきりそう言った…。

「…正直な事を言うとだな…、シマネ君がそうだったら、どんなに良いだろうなぁと、何度か妄想もしとった…」

ぼくは信じられない思いで、予想もしていなかった課長の言葉を聞く。

「だがなぁ、俺はこんなデブで冴えないおっさんだ…。何も俺でなくとも、他に良い男が…」

「課長でなきゃ嫌です…!ぼく、課長以外に好きな人なんて、できそうもありません…!」

課長の言葉を遮って、ぼくは頭を下げた。

「お願いです!課長、付き合って下さい!嫌なら、はっきり断わって貰って良いんです!その方が諦めもつきますから!」

ぼくが土下座すると、課長はしばらく黙った後、「…判ったから顔を上げなさい…」と、ため息混じりの声を漏らした。

顔を上げたぼくの目を、なんだかちょっと嬉しそうな、そして恥かしそうな、それでいて穏やかで優しい目で見つめる課長。

「シマネ君が同性愛に目覚めて、悩み始めた原因は…、俺にあるようだしなぁ…」

課長はコリコリと鼻の頭を掻いた後…、

「さしあたっては責任を取ろう。中間管理職だが、一応責任者だからな。これでも…」

そう言うなり、ニカッと、丈夫そうな白い歯を見せて笑った。

心が体から離れて行くような、ぽわんとした感覚…。

緊張が切れて力が抜けてしまったぼくの前で、

「がはははは!嬉しいなぁ…!こんなおっさんの事、好きになってくれるんだなぁシマネ君は…!」

トラ課長は照れ臭そうに耳を伏せながら、太い尻尾でパタンパタンと床を打った。こんな仕草をすると実際の年齢よりずっ

と若く感じられて、なんだか可愛い…。

「改めて、これからもよろしくな?シマネ君」

耳を寝せて照れ笑いしながら課長が言い、頷いたぼくは、

「ふ、ふぇっ…!ふえぇぇえええええん…!」

「わ!?わわわっ!?お、おいシマネ君!?今度は何だ!?」

嬉しさと安堵のあまり、また泣き出して課長を困らせてしまった…。

 

またしばらくして泣き止んだ後、ぼくは寝室に敷かれた布団の上で横になった。

課長の隣に敷かれた予備の布団に、これも借り物の、大き過ぎてぶかぶかなティーシャツをパジャマ代わりにして…。

色々あって時間も過ぎて、もう午前一時。遅いから泊まって行きなさいと課長に言われたぼくは、初めて訪問した上に泊め

て貰うのは厚かまし過ぎるような気がして、ちょっと躊躇ったけれど…、結局、「明日は休みだから」という課長の言葉で、

好意に甘える事になった。

隣り合う別々の布団に横になって、並んで天井を見上げながら、ぼくは課長としばらく話をした。

一度さめたとはいえ、かなりお酒を飲んだ課長は眠そうだけど、頑張って付き合ってくれた。

途中でちょっと悪い気がしたから、ぼくはおやすみなさいを言って口をつぐんだ。

それから間も無く、課長は規則正しい寝息を立て始めた。

投げ出されている課長の大きな手。その太い小指から中指までを、そっと手を伸ばして軽く握る…。

「課長…。ありがとう…。大好きです…」

小さく呟いたら、眠っている課長の顔がほんの少し弛んで、ぼくの手はキュッと、軽く握り返された。

興奮と緊張で疲れてたのか、ぼくも急に眠くなって来た。

意識が沈み込む直前、ふと、課長が好んでエッチな話題を出す事や、離婚経験がある事について気になった。

…まぁいいや…。今度聞こう…。ゆっくり、ゆっくり…、課長の事を教えて貰おう…。

課長が漏らした「むにゃ…」という声に耳をぴくつかせ、ぼくは夢の中に引きずり込まれて行った。

とても幸せな気分を胸に抱いて、優しい温もりを手に感じながら…。





















雀の声。カーテン越しの薄明かり。

茶色い天井を寝ぼけ眼で見上げ、ぼくはぼんやりと夢の余韻に浸る。

良い夢、見てた気がする…。課長とたくさん話をして、傍に居てくれて、それから…。

ハッと目を開いて天井の照明を見つめた。四角いランプシェード?ここ、ぼくの部屋じゃない!

匂いがする。気付き難い自分の匂いとは違う、これは…、課長の匂い!

起き上がった瞬間には全部思い出してた。夢みたいだけど、でも夢じゃない。夢じゃなかった。ここは課長の部屋で、ぼく

は昨夜泊めて貰って…。

傍らを見れば、タオルケットが乱雑に脇へどけられた空っぽの布団。慌てて立ち上がって、隣室のダイニングに向かうと…。

水音が聞こえた。注ぐ音が。

ダイニングとキッチンを分けるカウンターの向こうに、太った虎巨漢のどっしり広い背中が見えた。

「か、課長…」

声をかけたらトラ課長が振り向いた。眉を上げて、それから目を細めて、ふっくらした頬を上げて、口元を緩める。

「おはよう」

レースのカーテン越しにダイニングに入る斜めの日差しの中で、その笑顔は色んな意味で眩しくて…。

「おはようございます!」

応えたぼくは視線を向こうに戻す課長に早足で近付く。パンツ一丁の課長は散らかった流し台の前でヤカンを持ってた。

くすんだステンレス台の上に置かれてるのはカップが二つ。その上には広げられたドリップコーヒーのパックが乗って、周

りにコーヒーの香りが漂ってる。

課長はヤカンからパックに少しずつ熱湯を注いでた。さっき聞こえた水音はドリップされたコーヒーがカップに溜まってく

音だったみたい。

「コーヒーは嫌いかね?…などと淹れながら訊いてみる私だ」

「大丈夫です。嫌いじゃないです」

フルフル首を横に振る。そうは言っても、缶コーヒーくらいしか飲んだこと無いし、詳しくもない。正直好きでも嫌いでも

ないんだけど…。

「なかなか使う機会が無かった貰い物のドリップコーヒーだが、取っておいて良かった」

横に並んだぼくに課長はそう言ってから、「あ。散らかっとるのは勘弁な?」と、今更流し台の中や溜まってたゴミ袋を気

にする。

「もしかしてだが…、食器を水に浸けてくれたのはシマネ君かね?」

「あ、は、はい。済みません余計なこと…」

水を汲みに来た時に気になって手を出しちゃったけど、考えてみたら大きなお世話かも。そう気になってきたぼくに、課長

は「いいや、ありがとう」と穏やかに言ってくれた。

太い縞々尻尾がゆったり揺れてて、微笑はちょっと恥かしそうで…。

豪快でバリバリ仕事をする気風のいい課長が、そろそろと、静かに、慎重な手つきでコーヒーを淹れてる姿は新鮮。

明るい朝日の下で見たら、課長の胸やお腹の白い部分は眩しかった。横から見るとせり出した胸もお腹もゆったりした曲線

も、ユーモラスで愛らしくて見ているだけで癒されて…。

 …裸っ!

慌てて目を前に戻すけど見る物がなくて、コーヒーを注視する。

やがて、課長はヤカンを置いてコーヒーカップからドリップパックを外した。そしてトレイに二つ乗せながら口を開く。

「前から少しばかり、やってみたいと思っとったんだ」

「え?」

「コレ」

課長はトレイに乗ったコーヒーを見下ろす。目を細くして。

「ドリップコーヒーを、ですか?」

「ドリップに限らず、だな。若人…というよりも、カップルなら飲むんだろう?」

 課長がぼくを見て笑った。

「起き抜けの、モーニングコーヒー」

その笑顔にぼくの目は釘付けになる。ニンマリ笑って、それでいて照れ臭そうに耳を寝せている課長は、実年齢よりもずっ

と若く見えた。そう、恋する年頃の少年みたいに…。

ダイニングのテーブルに移動して、ミルクと砂糖を多めに入れたコーヒーを頂く。味も匂いもそんなに好きじゃなかったは

ずなのに、熱いコーヒーはとても、とても、美味しかった。

「まずは、カップルらしい事一つめといった所だな」

ズズッとコーヒーを啜りながら課長が言った。向かいの席だから、課長のパンツ一丁の姿が目に毒…。

「さて、ちょっと失礼して…」

 課長はコーヒーを半分くらい飲んだところで立ち上がって、ソファーの上に投げ出してあったランニングシャツを被ると、

煙草の箱とライターを取り上げた。

「一服してくる。…とは言ってもベランダだがね」

「はい、ごゆっくり…」

 ダイニングの窓を開けて後ろ手に締めた課長は、ぼくの胸ぐらい高いベランダの手すりに肘を乗せて煙草を咥え、煙を吐き

始めた。

喫煙者だと知ってはいたけど、課長が煙草を吸ってる姿を見るのはこれが初めて。

柵とかじゃなく外壁と同じだから、パンツとシャツだけの格好でも下半身は見られない。煙草の煙をのんびり吐いてる後姿

を見てると、個人の先入観かもだけど、大人の男って感じがする…。

太い縞々尻尾が、ゆら~、ゆら~、とゆったりしたリズムで揺れてる。幅広くてどっしりした課長の後姿をカーテン越しに

眺めながら、ぼくは甘いコーヒーを啜る。

夢みたいだけど、夢じゃない朝…。

振り向いて耳を倒した課長の、ちょっと照れてるような、そして嬉しそうにも見える笑顔が、レースのカーテンを透かして

見えた。

 

ぼくは引っ込み思案で小心だ。おまけに根性無し。

何の特技も取り柄もないし、他人様に誇れるような事は皆無。

こんなぼくでも、ステキな恋はできるらしい…。