愛しのストライプ(おかわりっ!)

「大丈夫ですか?」

階段の踊り場で足を止め、預かったスーツの上を大事に抱えながら振り返って訊ねたぼくに、

「はぁ…、ひぃ…!」

言葉じゃなく、いかにも苦しげな息が返って来た。

丸太みたいにぶっとい太腿をしんどそうに上げ、のそのそと階段を登って来るのは、大きくて太い中年の虎。

どこもかしこも贅肉が付いてまん丸く膨れてる中年虎は、階段の両側に設えられた手すりに片手をかけ、ワイシャツがはち

切れそうに突き出たでっぷりお腹を揺らして、ひぃひぃと苦しげに喘ぎながら、踊り場までの五段をえっちらおっちら上がっ

て来る。

ぼくらの上司、寅行(とらあゆみ)課長は、名字の響きにピッタリの虎獣人だ。ただし、凛々しくてかっこいい一般的な虎

のイメージにはそぐわない、でっぷり太った中年だけど、恰幅が良いだけ貫禄がある。「体型なら大会社の代表取締役クラス

の貫禄だろう?」とは本人の弁。…そんなに太ってる社長さんとかあんまり見ない気がするんですが…。

トラ課長はとても大柄で、身長は190センチ近い。おまけに幅も厚みも軽くひとの倍以上ある巨漢だ。肉が付いて丸い頬

に、首が無いように見えるたぷたぷ二重顎。ぶ厚いたっぷり胸にまん丸でっぷりお腹に幅広むっちりお尻。腿まで太くて丸く

て足も大きいから、やや短足気味にも見える。手も当然大きくて厚くて、まるでバナナの房みたいだ。

飲み会で酔っぱらってはエッチな話をして、「エロ親父っ!」と、女性陣に引かれたりしているけど、それでも皆から信頼

されてる。仕事が出来るだけじゃなく、豪快で気風がよくて面倒見も良くて人望が厚い、頼れる上司を絵に描いたようなトラ

課長だけど…、

「本当に大丈夫ですか?」

「ぜひっ…、おふっ…!」

デンと構えたいつもの貫禄も何処へやら、目的の階に辿り着く前に倒れちゃいそう…。

ここは取引先の会社が入ってるビル、目的の階がまだ先の八階と九階間の階段。二つあるエレベーターが仲良く揃って故障

してたおかげで、僕とトラ課長は階段を登って来たんだけど…。

一階分の階段が普通よりだいぶ長い構造で、太ってて体が重い課長は勿論、体が軽いとはいえ人並み以下の体力しかないぼ

くにとっても結構な重労働。中間の踊り場まで階段を登り切ったトラ課長は、盛り上がった頬肉のせいで細めの目をさらに細

くして、膝に手をついて前屈みになり、苦しげに喘いだ。

「ご、午後一番でっ…、こんなに…、動くなら…!ぜぇ…!はぁ…!昼飯…、軽く済ませておくんだった…!担々麺が…、腹

の中で撹拌されて…、おぅっぷ…!」

体を起こしたトラ課長は脇腹が痛くなったのか、ムッチリお腹の横側を分厚い手でさすって呻く。

特盛り担々麺と餃子三皿とチャーシュー丼を飲み込むように収められたお腹は、直後に揺さぶられたせいで文句を言い始め

たらしい。…健啖家のトラ課長からすれば普段通りの量なんだけど、ぼくからすれば一日分の食事量だ。

「もう三分の二は超えましたから。もうちょっとですよ!」

目指すは十二階。あと三階と半。まだ少しあるけど、ぼくはあまりにも辛そうなトラ課長が流石に気の毒になって励ました。

「まだ三分の二かぁ…。これであと少しと言えるんだから、やっぱりシマネ君は若いなぁ…」

トラ課長は顔を顰めて苦笑いしつつ、手すりを掴んで再び階段を登りだした。

「私も、こう見えて昔は若かったんだが…」

縞々の尻尾が元気無く垂れる、むっちりした大きなお尻を揺らして苦行に取りかかったトラ課長の後ろ姿を見ながら、ぼく

は「ああ…」と曖昧に頷く。「それは…、そうですよね…」と。…こんな事を言うあたり、課長はかなり余裕がないっぽい。

ぼくは嶋根純(しまねじゅん)。18歳、社会人一年生。

父親は鯖虎猫。母親は三毛猫。二人の間に生まれたぼくの体は、両親から色と柄を一部ずつ受け継いだ、茶と黒の縞模様が

特徴のキジ虎猫。

他の兄弟はそうでもないのにぼくだけ極端に背が低くて線が細い。自分では理解できないけど、そこそこ好感を持たれる物

らしいこの外見…、実はぼく、あまり好きじゃなかった。着る物によっては後ろ姿で女の子と間違えられたりして、むしろコ

ンプレックス。

ところが、ぼくが密かに想いを寄せていたひとは、この外見を「モロに好み」と言ってくれた。だから今じゃそんなに嫌で

もなくなった。

…トラ課長が、好みって言ってくれたから…。

実は、課長とぼくはこっそりお付き合いしている。

念のために言っておくけど、クドいかもだけど、ぼくは男だ。学生時代はたまに後ろ姿で間違えられたし心の深手になって

るけど、それでもれっきとした男だ。

つまり男同士な訳だけど、ぼくとトラ課長は恋人として交際している。…つい一ヶ月前ぐらい前から…。

 

何とか目的のフロアまで辿り着いた頃には、トラ課長は息も絶え絶えになってた。

エレベーターが動いてないエレベーターホールのソファーで小休止し、斜めに走るストライプ柄のネクタイを緩めたトラ課

長は、自販機で買った冷たいお茶を飲み、汗が引くのを待ってる間、しきりに体の匂いを気にしてた。

もうすっかり秋なのに、かなり太ってるトラ課長は涼しくなり始めたこの時期でも、動いた後や辛いラーメンを食べた後は

頻繁に汗だくになる。

汗をかくと漂って来るトラ課長の匂いが、ぼくに反射的に鼻を鳴らさせる。…このせいで課長が体臭を気にしちゃうみたい

なんだけど、どうにも止められなくて困ってる。…気を付けてるんだけど…。いや、トラ課長の体臭が嫌で鼻が反応してるわ

けじゃない。香水とか石鹸とかの匂いみたいに判り易い良い香りがするわけじゃないんだけど、課長の匂いは好き。それでつ

いつい嗅いでしまう…。

「さて五分前だ。そろそろ行こうか」

「はい!」

太い手首に巻いた腕時計を確認して、約束の時間が迫っている事を確認したトラ課長は、缶をあおって残りのお茶を喉に流

し込むと、ソファーを軋ませて立ち上がる。

ついさっきまでかなり弱ってたのに、お茶一本で回復したのか、それとも仕事に取りかかるという気持ちの切り換えが態度

まで変えさせるのか、すっかりいつもの堂々とした課長に戻ってた。

よく似合ってる茶色いダブルのスーツを纏った姿は、貫禄があって何とも頼もしい。頼れる上司の後に従ったぼくも、気持

ちを仕事の物に切り換えた。

 

「やれやれ、酷い目にあったなぁ…」

自動ドアを抜けて外に出るなり、出てきたばかりのビルを振り仰いだトラ課長は、げんなりした様子で呟いた。秋の高い青

空をバックに胸を張ってそびえ立つビルは、陽光を受けて誇らしげにキラキラしてる。

商談は上手く纏まったのにどうしたんだろう?と思ってると、

「帰りも歩くはめになるとは…」

どうやらエレベーターが機嫌を直してなかった事を言ってたらしい。

ぼくにとっては下りの労力はそうでもなかったけど、トラ課長ほどの体重になると疲れるらしい。重力に引かれるまま行く

だけだから、降りるのはむしろ楽そうなのにと思ってたら…、

「体重を支えながら降りる以上、やっぱり疲れる物でな?」

トラ課長はぼくの考えを読んだかのように、言い訳でもするような口調でそんな事を言う。「判り易く言うとココに来る」

と、太腿の前側をパンと叩いて。

「勢いに任せてドドドドーッ!て降りれば、疲れないんじゃないですか?」

「いやいや、ドドドドーッ!と行ったら大惨事になりかねん」

ぼくは首を捻る。…大惨事はちょっと大袈裟じゃないだろうか?そんなぼくの疑問を見透かしたように、トラ課長は「ん?

想像できんかね?」と言って、丸いお腹をポンと叩く。ワイシャツ越しにも豊満なお腹の揺れがはっきり判った。

「こんな体だからなぁ。勢いに任せたら勢い余って転げ落ちて、高速でんぐり返しの肉弾大車輪になりかねん。罪もない誰か

が玄関マットのようにペシャンコになる可能性も否定できんからなぁ。いやそれなりに真面目な話で」

…なるほど、それは確かに大惨事だ…。もっとも、ぼくに限って言うならトラ課長に潰されて死ぬなら一片も悔いはない。

本当に。

「何はともあれエレベーターの大切さが身に染みた。これからは急いどる時も、ボタンを何度も押して「早く来い」と催促す

るのは止めよう」

「あのエレベーター、ボタンの押し過ぎで壊れてたんでしょうか?両方揃って?」

「ボタンをポチポチポチポチ押され過ぎて、嫌になってヘソを曲げたのかもしれん」

「一種のストライキっていう事ですか?」

「可能性は無くもない。世界は可能性に満ちとるからなぁ。もっとも私にエレベーターの友人は居ないから、ボタンポチポチ

催促がストライキに発展する程イライラする事なのかどうかはいまひとつ判らんがね。確かなのは、私のような体重がある客

は好かれとらんだろうなぁ~、という事ぐらいか」

そう言って、トラ課長はまた立派なお腹をポンと軽く叩いて見せた。課長はぼくと居る時、よくこんなユーモラスな仕草を

見せてユーモラスな事を言う。とぼけた感じの、そして時々ちょっとシュールな内容の軽口を。職場ではあまり見られないけ

ど、カノウさんとのやり取りではその片鱗がちらっと見えたりもする。

疲れた疲れたとぼやきはしても、やっぱり登りの時ほど疲れてないらしく、トラ課長はのっしのっしとしっかりした歩調で

歩き出した。けど、歩きながらもその顔は横を向いて、車道の向こうに見えるお店の暖簾をちょっと物欲しそうに眺めてる。

「運動したせいで小腹が空いたなぁ…」

まだ午後二時半。お昼ご飯を食べ終えてから二時間も経っていないのに…。

「重労働でしたから。それにしても、育ち盛りの子供みたいな食欲ですね?課長」

感心しながらそう言ったら、トラ課長は「ふむっ?」と唸って妙な顔つきになった。興味深い報告を聞いてる時のように、

縞々尻尾がピンと立ってる。

「若いかな?」

「若いですね」

胃が。

「そうだシマネ君」

トラ課長は太い首を捻って周りをくるっと見回してから、小声で囁いた。

「…今夜、飯でもどうだね?」

いつもの事ながら唐突にそんなお誘いをされたぼくは、当然一も二もなく頷いた。

「ぼくで良ければご一緒します」

やや堅い返事だけど、それは通行の多い歩道で辺りを憚っての事。もし誰かに聞こえても仕事の付き合いみたいに思われる

ように、人目がある場所では上司と部下の会話になるよう気をつけるのがぼくとトラ課長の決め事の一つ。

けど、ピンと反り返った尻尾の先がプルプル言ってるぼくの気持ちを正直に表現するなら…、「例え火のなか水のなか、地

の果てまでもお供します!」…となる。

「しかしだ、さしあたっては…」

トラ課長は背後にあるドーナツのチェーン店を太い親指で肩越しに示して、片目をグッと瞑る妙に力強いウインクをした。

「午後のコーヒーでもどうかね?…などとナンパ風に誘ってみる私だ」

もう!こういう茶目っ気も含めて大好きです、トラ課長!



そして夕刻、退社した二十分後…。

「息子さんですか?」

顔見知りらしい、比較的若い和犬ミックスの店員さんがそう訊ねると、ぼくの隣でトラ課長が苦笑いした。

「いやいや、職場の仲間です」

苦笑しながら店員さんにそう答えた課長は、おしぼりで顔を拭って「ぷは~っ!」と、スッキリしたようにため息をつく。

普通なら「おっさんくさい」と感じられるはずのこの動作が、どういう訳かぼくは好きだ。特にトラ課長には似合ってる。あ

まりにも様になり過ぎてる感も否めないけど。

今日やって来たのは、安さとメニューの豊富さで有名な、全国チェーンの回転寿司。その夕食時で混み合う店内の横並びカ

ウンター席に、ぼくとトラ課長は並んで座ってる。向かい合わせで座れる方が良かったんだけど、テーブル席は全部埋まって

たから…。

「おっと、失礼しました…」

そう言ってちょっと恥ずかしげに微苦笑した男前の店員さんは、紀州犬ベースの和犬なのかな?毛色は柴っぽいけど顔立ち

はかなり凛々しい。お店のユニフォームである青い法被と白い帽子が、狐みたいな明るい薄茶色の体に良く似合ってる。

ぼくが社会人一年生で、下で働いてる新人だという事を簡単に説明してから、

「実際に親子ほど歳が違うんだよなぁ…」

と、トラ課長はしみじみ呟いた。

ぼくは今年の春に高校を出たばかりの18歳で、トラ課長は40歳。年齢差22は確かに親子レベルの離れ具合。

「このお店、良く来るんですか?」

店員さんが離れたのを見計らって尋ねてみたら、トラ課長は「時々だなぁ」と、考えるように視線を上に向けながら言った。

「給料が出た後や、寿司が食いたくなった時や、無性に寿司が食いたくなった時や、寿司を食わんといかんような気がする時

や、寿司を食わねばならぬと夢のお告げがあった時や、そうだ寿司食おう!と思った時だけだな」

…割と頻繁っぽいっていう事は何となく判った。

「こう言っては何だが…」

和犬さんが少し離れたタイミングで声を潜めたトラ課長は「あんまり舌が肥えとらんから、味はそこそこ良ければオーケー。

安くて量が多いと幸せな私だ」と、隣のぼくにボソボソッと告げる。

なるほど、質より量なんだ…。それもなんとなく課長らしい。そう感じたぼくが納得顔で頷いてると、今度はトラ課長が訊

いてくる。

「シマネ君はどうなんだい?回転寿司はあまり利用せんクチかね?友達なんかと一緒には…」

「あ、はい。ラーメン屋さんとかファミレスは行きますけど、お寿司屋さんはちょっと…」

トラ課長は「ああ」と目を丸くした。

「そうだそうだ。考えてみれば去年まで高校生だったもんなぁ…。家族とも行かなかったのかね?」

「遠くに出かけた時に二回ぐらいしか…。ぼくの地元、港町ですから老舗のお寿司屋さんは多かったんですけど、回転寿司は

無かったので…」

ぼくらが卒業した後の四月、隣町にここと同じチェーン店のが一軒オープンしたけど、その時にはもうぼくはこっちに移っ

てた。家族は珍しがって揃って行ったらしいけど…。

「ふむふむなるほど。本場寿司がメインで、逆に回転寿司は初心者な訳か…。今時それは逆に珍しい」

「課長は回転寿司熟練者なんですか?」

「中級者かな?とはいえ昇級はそろそろかもしれんが」

トラ課長はユーモラスな軽口を叩きながら、手を伸ばして回って来るお皿を捕まえた。

「さぁ、遠慮しないでじゃんじゃん食いなさい。給料が出たばかりの私は太っ腹だ。まぁ普段から物理的に太っ腹だが」

立派なお腹を空いている手でポンと叩いたトラ課長の、その言い回しが妙に愉快で、ぼくはくすりと小さく笑う。何となく

ぼくのウケが良いと感じてるんだろう、一緒の時はよくこの仕草をして見せてくれる。

実際のお腹周りの事だけじゃなく、例え給料日前だってトラ課長は太っ腹だ。祝い事があれば気前よく皆にお昼を振る舞っ

たりする。

「それじゃあお言葉に甘えて…。ありがとうございます。頂きます!」

いつもトラ課長に奢られる立場のぼくは、今回もいつものように改めてお礼を言ってから、回って来るお皿に手を伸ばした。

ビールをジョッキでグイグイやりながら、飲み込むようにお寿司を食べて行くトラ課長。本当は日本酒が好きらしいけど、

ぼくを外食に誘ってくれた時はビールにする。飲酒できないぼくには詳しく判らないけど、日本酒はビールより少ない量でき

くんだって…。酔っ払ってまた僕に迷惑をかけないようにって、気を遣われちゃってるんだよね…。

トラ課長の見応えのある豪快な食いっぷりを横目に、ぼくも好みのお皿を狙い撃つ。

カンピョウ巻きにカッパ巻き、納豆巻きにタマゴさん…。

「シマネ君?」

「はい?」

呼ばれて横を向けば、怪訝そうなトラ課長の顔。

「食う物がえらく偏っとる気がするんだが…、遠慮は無用だぞ?」

「え?いや、遠慮っていうんじゃなくてですね…、その、これは…」

「好きなのが回っとらんなら遠慮なく頼みなさい。ああそうそう、説明不足だったかもしれんなぁ。回転寿司は全品が均等に

回っとるわけじゃなく、注文専用の品もある。回っとらんような品はメニューを見て注文を…。あ、店員に言い辛いなら、私

に言ってくれれば注文するぞ?」

興味深い回転寿司注文システム…。だけど実は、欲しいのが回ってない訳じゃなくて…。

「あ、えぇと…、好きなのが回って来ないとかじゃなくて…」

ぼくが口ごもると、課長は「むぅ…」と唸って目を大きくした。

「ひょっとして、生物は苦手…とか?」

あ…。あっさり見抜かれちゃった。

「あぁ~、しまった!悪いなぁ…」

耳を伏せるトラ課長。表情豊かだから、失敗した、と内心が思いっきり顔に出て、申し訳なくなっちゃう…。

「で、でもタマゴさんとかは大好きです!生の魚とか貝が苦手っていうだけで…」

そう。よく「猫のくせに」って馬鹿にされるけど、ぼくは生物が苦手だ。火が通ってない肉類魚介類全般がダメとも言える。

ただ、焼き魚や煮付けはむしろ好きだし、蒸しエビも魚のフライなんかもみんな平気。極端に生臭かったり磯臭かったりし

たらダメだけど、熱が通ってるならだいたい好き。

最初にはっきり言えれば良かったのかもしれないけど…、午後の外回りの帰り、会社に戻る途中でお寿司屋さんの暖簾を眺

めて以来、トラ課長からお寿司を食べたいオーラが発散されてたから、なかなか言い出せなくて…。

「飲み会なんかでも残しとった様子が無かったから、てっきり大丈夫だとばかり…」

「あ、お刺身や生物のお寿司はカノウさんに食べて貰ってましたから…」

ぼくは結構偏食だから、苦手な物は傍に座った先輩に食べて貰う事が多い。かわりにデザートの果物とかくれるし…。

「ええい、どうしてアイツのフォローはこまめに私の足元をすくいに来るんだ…!」

トラ課長は困り顔になって、太い指で頬を掻いてた。

「今からでも構わんから、他の店に行くかね?」

「いいえ!大丈夫ですよ!」

生魚とかは駄目でも、嘘じゃなくカンピョウ巻きやタマゴさんは大好きだ。苦手なお寿司は確かに多いけど、アナゴとか蒸

し海老はむしろ大好物!その事をアピールしたら、トラ課長は渋々ながらも、このまま食事を続行する事にしてくれた。

トラ課長に連れられて歩くと色んなお店に行くし…、ぼくもそろそろ好き嫌いを克服しないといけないなぁ…。

 

付き合い始めて間もないから、お互いの好みや苦手な物にも、まだまだ知らない事が多い。だから、今日みたいな事が起き

るのも無理はない。…んだけど…。

「悪かったなぁシマネ君…」

お店の前でご馳走様を言ったぼくは、済まなそうに耳を倒したトラ課長から謝られちゃった。

「いいえっ!生じゃない物は平気ですし、好きなお寿司は本当に好きなんですから」

実際今日は好きな物だけたっぷり食べられたから満足してる。だから、トラ課長にはぼくに合わせて食べたい物を制限して

欲しくない。そもそもお金を出してくれてるのは課長なんだし…。

「そうだ。ちょっと歩くがタクシーを拾うついでだ、焼き鳥でも買って行こうかね」

気を取り直したようにそう提案したトラ課長は、「…焼き鳥は大丈夫かね…?」と、念を入れて訊ねてきた。真顔で。

「大好きです!」

常に無いほど明快を極めたぼくの返事は、晩秋の夜風の中、張りのある響き方をした。う~ん、現金…。

 

焼き鳥を大量に買った後、しばらくタクシーに揺られて辿り着いたのは、トラ課長が住んでる会社の社員寮。

ぼくはここには住んでない。最初に希望すれば入れたかもしれないけど…。実は今頃になって、入っておけば良かったって

後悔しまくってる。

免許はあるけど車やスクーターなどの足を持ってないぼくは、就職が決まってこの街に来る際に、社員寮よりも駅に近くて

バスが使い易い今のアパートを選んだ。交通機関の利用に便利で家賃も安いから。細い道路を挟んだ向かいのアパートにロッ

カー志望のお兄さんが住んでるおかげで時々ややうるさい以外には、取り立てて不満らしい不満はない。

…けど、駐車場完備でコンビニやコインランドリーまで入ってるこの社員寮は、マイホームを持たない多くの社員の憧れの

的だ。車なんかを持ってればなおさらだろうね。

まぁ、競争率はそれなりらしいから、例え申し込んでたとしても確実に入れたわけじゃないだろうけど…。

…はぁ…。トラ課長と交際できるようになるなら、希望しておけば良かったなぁ…。

そんな事を考えながら、ぼくはまだ全然酔ってない課長に促され、一緒にエレベーターに乗り込んで部屋に向かう。

社員寮だから、時々すれ違う住人も殆どが見知った顔なんだけど、今日は守衛さん以外とは会わなかった。

「お邪魔します」

トラ課長に続いて玄関を潜ったぼくは、ペコッとお辞儀した頭を上げるなり鼻を鳴らした。

部屋の生活臭…。本人の匂いもそうだけど、この部屋の匂いも好き。

「臭うかね?」

トラ課長はちょっと心配そうに表情を曇らせ、ぼくを振り返る。…また反射的にスンスンしちゃった…。

以前トラ課長は、ぼくが部屋を臭がってると勘違いしちゃったらしく、一度「やらかした」。

ぼくがお邪魔する直前に、所構わず隅々まで入念かつ徹底的に多種多様なスプレーを振り、具合が悪くなるぐらい芳香剤の

匂いが充満してた事があった。鼻がおかしくなって頭が痛くなりそうなあの洗剤みたいなキツい匂いの中、気にならないから

気にしないで欲しい旨、必死になって説明したっけ…。好きな匂いなんですって訴えるの、恥かしくて顔から火が出そうだっ

たなぁ…。

ダイニングに入ったトラ課長は、焼き鳥をテーブルに置くなり、さっそくネクタイを緩めて息をついた。

「さて第二ラウンドだ。のんびり行こうか」

「はいっ!」

立てた尻尾をフルフルさせるぼくに、トラ課長はニンマリと笑いかける。このリラックスした課長の表情が、ぼくは堪らな

く好きだ…。

トラ課長の右手側に座ったぼくは、ビール瓶を手に何度目かのお酌をした。キッチンと続いてるダイニングで、課長とぼく

はテレビ放送の洋画を
BGMに焼き鳥を食べ、のんびりと過ごす。

トラ課長はすっかりくつろぎモードで、上はVネックの白い袖無し肌着、下は足首も腰もゴムが弛みきって色も褪せた紺色

のジャージという部屋着姿。

スーツやワイシャツ姿ばかり見てるせいか最初はかなり違和感があったけど、この部屋着姿も見慣れれば見慣れたでトラ課

長に似合ってるように感じられるから不思議だ。着飾ってないこの恰好は、いかにもリラックスしてる雰囲気が出てて好き。

ベルトを締めないからお腹も楽そうだし、ジャージだからおしりも窮屈じゃなさそう。

慣れてないからぼくが注いだビールは泡が多くなるけど、それでもトラ課長は嬉しそうに表情を緩めながら「おっとっと…」

と身を乗り出してジョッキに口を寄せ、零れそうになった泡を啜る。

これもちょっと練習が必要。…と言ってもぼくは未成年でお酒が飲めないから、ビールを注いで練習なんて、そうそう機会

が…。あ、そうだ。コーラとかで練習してみよう。泡の出方がちょっと違うような気もするけど…。

とりあえず今は目の前でトラ課長がビールを飲んでる事だし、練習できる。

「シマネ君、そんなにじっと見つめて、一体どうしたんだね?」

スナギモを噛んでたトラ課長は、ビール瓶を手にしたままじっとジョッキと手元を見つめてるぼくに気付いて、太い首を傾

げた。

「ビールを注ぐ機会を窺ってます」

正直に答えると、トラ課長は「がっはっはっ!」と笑った。薄いシャツに覆われてる突き出たお腹が笑い声にあわせて揺れ

て、またまたユーモラス。

「気を遣わんで良いから食いなさい。嫌いじゃないんだろう?焼き鳥」

「大好きです!」

即答したぼくは、右手を伸ばして五本目のネギマを取る。左手はビール瓶に添えたまま。

「手を離しても逃げんから大丈夫だぞ?その瓶は」

「手を離したら逃げる瓶もあるんですか?」

反射的に自分でも妙だと思う質問をしてしまったら、トラ課長は愉快そうに笑う。

「無いとは言い切れんなぁ。世界は広いし可能性に満ちとる」

確かに世界は広いものの、逃げる瓶はさすがに無いような気がする。訊ねておいてなんだけど。

「逃げる瓶がある可能性に満ちた広い世界ですか…」

「愉快だろう?意外性にも満ちとる」

愉快かどうかは別として、瓶が逃げるような世界は確かに意外性に満ちてるだろう。混沌としてる事もまた確かだけど。

焼き鳥を食べながら、ぼくとトラ課長はのんびり楽しく会話を弾ませ続ける。ジェネレーションギャップのせいで、会社の

事を除けば共通の話題がなかなか無いけど、幸いにも課長はぼくが好きな漫画週刊誌のディープなファンだったから、連載作

品の話だけでもかなり盛り上がれる。

「シマネ君の頑張りやさんな所は、あの漫画の選手と似とるかもしれん」

「いえそんな…。ぼくは根性無しですよぉ…」

「いやいや、上司としても指導役としてもずっと見て来たが、実に熱心だし勉強家だ。採用一年目にしては出来過ぎな程に模

範的だぞ?年休の消化ペースが遅い事だけは課長として気になっとるがね」

そう言ってぼくを褒めるトラ課長は、機嫌の良さそうな笑顔を見るに、どうやら本心でそう言ってるらしい。

…頑張ってるのは、課長に好かれたかったから…、嫌われたくなかったからで…、本来のぼくは根性無しで小心者ですよ…。

「自信を持って良いぞぉ!カノウなんか一年目はちゃらんぽらんも良いところだった!そして今も割とそう!…あれ?あんま

り成長しとらん気がしてきたぞアイツ?それはともかく、シマネ君は充分よくやってくれとるとも!」

褒められて恥ずかしくなって俯いたぼくの肩を、トラ課長の手が少し強めにバシバシ叩いた。そのちょっと強めの感触が、

前よりも少し縮んだ距離の証に思えた…。

「ぼく、明後日はそのカノウさんと外回りなんですけど…」

微苦笑しながらぼくがそう言った途端、トラ課長の手がピタリと止まった。

「…明後日のドック、延期して貰おうか…。不安になって来た」

呻くようにそう言ったトラ課長の顔は、物凄く深刻そうだった。

やめて下さい課長。ぼくも不安になるじゃないですか。

 

しばらくして、トラ課長がトイレに立って手持ち無沙汰になったぼくは、生活臭が染み込んだ、ここに居るだけで気持ちが

安らぐ部屋を見回す。

その視界に、部屋の隅の新聞ラック脇に置かれてた黄色い袋が目に入った。ラックの横で床にペタンと寝ているそれは、こ

の街にもある全国展開してる書店の名前が入ったビニールだ。

部屋に入る時もちらっと見たけど、そんなに気に留めてなかった。何を買って来たんだろう?やっぱり小説かな?トラ課長、

漫画よりは小説を読む事の方が多いらしいし…。いや、でもサイズ的には週刊誌っぽいかも?

腰を上げて四つん這いになり、のろのろと近付いたぼくは、袋の口を指先で摘んで、そっと持ち上げて中を覗いた。

そこには…。

 

「気を付けて帰るんだぞ?家に着くまでが外出だ」

それはそうでしょう。…とは思ったけど、ぼくは苦笑を噛み殺しながら「はい」とだけ返事をして、タクシーに乗り込んだ。

「それじゃあ、お休みシマネ君」

「はい!お休みなさい課長!」

自動で閉じたドアの向こうで、ほろ酔い加減のトラ課長はニンマリ顔を緩めながら手を振った。

数日は見られなくなるその顔を目に焼き付けつつ、ぼくも手を振り返す。

明日、何度目かの新人定期研修を受けるぼくは出社しない。

明後日はトラ課長が検診で出社しないから、丸二日間職場で顔を合わせられなくなる。

その翌日は休みだから、これまた顔を合わせられない…。

走り出したタクシーの中で首を捻ると、振ってた手を止めたトラ課長が、ちょっと寂しそうに眉尻を下げてるのが見えた…。

タクシーが角を曲がってトラ課長の姿が見えなくなってから、ぼくは前に向き直る。

付き合い始めたと言っても、テレビなんかで見る恋人達みたいな事を、ぼくとトラ課長はしてない。男同士という事もある

けど年齢差もある。これが結構ネックだ。これが同じ年頃だったら遊園地にでも誘うんだろうけど…。

ダメダメ、これ却下。遊園地に行ってトラ課長が喜んでくれるとも思えない。

今のところは、今日みたいに夕食を一緒して、トラ課長の部屋にお邪魔して、遅くなり過ぎない内に帰るとか、デートと呼

んで良いのかどうか迷う過ごし方だけ…。こういうのじゃ課長が物足りないんじゃないかと思ったりもするけど、きっとぼく

が経験不足だから、トラ課長もやんわりとした付き合い方から始めたんだろうと考えてた。

…少なくともさっきまでは、そうとしか考えてなかった…。

ぼくは目を閉じて、書店のビニール袋に入っていた品の事を思い出す。

袋の中身は、表紙を見ただけでそれと判る、あからさまなエロ本だった。女性の裸が満載の。

気にはなったけど、結局あの後も訊けなかった…。

付き合い始めて有頂天になってたぼくはすっかり忘れてたけど、課長は飲み会の席では「普通のエッチな話」をするし、奥

さんが居た時期もある。男が好きっていうのは確かだけど、女の人には全く興味が無いのかと言うと…。

両刀って言葉を、その手の本を読んで知った。バイセクシャル。女の人でも男の人でもオッケーっていうひと…。トラ課長

はひょっとしてそうなんじゃないだろうか?

男が好きっていうのは本当だとしても…、本当は女の人も…、いや、むしろ女性の方が好きだったりするんじゃ…?昔は結

婚してたっていう事実もあるし、考えれば考えるほど有り得そうに思えて来た。

ぼくは再び首を巡らせて、後ろの窓から道を見遣る。

道を曲がったし、だいぶ走ったし、そこにトラ課長の姿が見えるはずもないのに…。



一日研修に費やした翌日、出社したぼくは自分の席に着いてお茶を啜りながら、一番奥の課長席を見遣った。

あそこにデンと座った巨漢虎の姿が無いだけで、部屋の奥が随分広く感じて、窓がやけに大きく見えて、物足りないし何だ

か落ち着かない。

少し集中力が欠けてるぼくが朝の細々とした仕事と雑用を片付け終えると、それを見計らったように、

「シ~マ~ネ~、っちゃ~ん!そろそろ良いか?」

顎髭が特徴の人間男性、職場の先輩であるカノウさんが、座ってるぼくの肩を後ろから掴んでグイグイ揉んで来た。

「あ、はい!いつでも出られます!」

ぼくが応じると、すぐ傍にデスクがある若い女性事務員が首を傾げた。

「あれ?シマネ君、今日はカノウさんと外回りなんですか?」

「ああ、とっつぁん今日ドックだろ?面倒を見るよう仰せつかった訳だ。エースのおれが。エースのおれが!」

そう。今日トラ課長はドック…健康診断を受けに行くからお休みだ。

『誰がエース?』

辺りから一声に疑問の声が上がり、カノウさんは「え?おれ調子こいた?」と首を傾げて苦笑い。

「シマネ君のお守り、カノウなんかで大丈夫か…?」

カノウさんと歳が近い仲良しのスガワラさんがぼそりと呟くと、「何か危なっかしい」「不安かも」「かなり心配」など、

皆が口々に深刻な顔で言う。

「おいおい妙な事言わないでくれよな」

カノウさんは顔を顰めて「…おれも心配になるから…」と付け加えた。

妙な事言わないで下さいカノウさん。ぼくも心配になるじゃないですか。

 

自身も「心配になる」と言いながらぼくを連れ出したカノウさんは、けど皆とぼくの不安をよそに、営業を無難にこなした。

トラ課長とはまたちょっと違う交渉術と話術だけど、元々口数が多いカノウさんはかなり営業に向いてるのかもしれない。

闊達で明るくて、良いムードで商談を進めてた。…ぼくも先輩達の色々な話術や交渉術、見習って行かないと…。

離れてるお得意先を二箇所回り終えた頃には、もうお昼近くになってた。順調な気がしてたけど、カノウさん曰く「少し予

定より遅れてるな」との事。確かに、午後一番に訪問する約束になってたお店までは結構距離がある。少し急がないと…。

「次は六丁目交差点のパチンコ屋な。景品交渉ってヤツ。あそこ結構距離あんだよな…。シマネちゃんは昼飯ドライブスルー

とかでもオッケーのひと?」

社用車の運転席でハンドルを握るカノウさんは、行く手を阻む赤信号を眺めながらそう言った。これは当然「全然オッケー

のひとです」と了承。

「こうしてると思い出すなぁ…」

信号が青になって車の列が再スタートすると、カノウさんはポツリと漏らした。

「何をですか?」

「入社したての頃の事。おれもとっつぁんに連れられて、外回りについてみっちり教え込まれたんだ。当時から現場主義でさ、

あの頃も今もちっとも変わんねーの」

カノウさんは頬を緩ませ、食い縛った歯を見せながらクックッと声を漏らして笑う。懐かしんでるようでもあり、照れてる

ようでもあるその笑みは、カノウさんにしては珍しい表情だった。

「おれさ、シマネと同じで高卒で入社してるんだよ。…あ、こりゃ前に話したっけか?でまぁ、当時の上司もとっつぁんだっ

たんだけど…」

カノウさんはハンドルを切りつつ一度言葉を切り、車線を変更してから先を続ける。

「その頃のとっつぁんは今のおれぐらいで、おれはシマネぐらいだった訳だ。年齢が完全一致」

「あ…。本当だ…」

頭の中で計算したぼくは、ちょっと感心した。

ぼくは18。カノウさんは29。トラ課長は40。ズレ幅が11歳ずつピッタリ一致してて、何だか小気味が良くて面白い。

その頃のトラ課長ってまだ三十路前だったのか…。後半ではあるけど、どんな二十代だったんだろう?

…ん…?三十路前のトラ課長…?

ぼくの心のひだに、何かがカリッと引っかかった。けど、それは掴む前にすぐ遠ざかってしまって、何が何に対してどんな

風に引っかかったのか判らなくなってしまう。

「…ま、教訓めいた話ができる訳でもなし、どうでもいい個人的な想い出なんだけどな。こうしてると思い出すわけよ」

カノウさんの話は続いて、ぼくはひっかかりの感触をすっかり忘れて耳を傾けた。

「当時のおれは、こんな風に自分が後輩を連れて歩く事なんて想像もしてなかったなぁ…」

「ぼくも、まだ想像できません」

カノウさんは「ダヨネ?」と言ってニヤッとする。

「課長、もうドックが終わった頃でしょうか?」

「ん~…、今頃はだいたい終わり?さすがにもう血ぃ採られたり、バリウム飲まされたり、出っ腹や胸探られたりとかいう本

格的なのは終わってんじゃね?」

…胸やお腹…。

ぼくはトラ課長に自分の気持ちを打ち明けた夜の事を思い出す。課長と密着したあの時の感触は、一ヶ月経った今でもはっ

きりと覚えてる。柔らかくて…、課長の匂いがして…、お酒臭くて…。

けど、トラ課長とあんな風に触れたのはあれっきりだ。あれ以来、抱き合うどころか手を繋いだ事も無い。…キスだって当

然まだ…。ぼくが何も知らないから積極的になれない事もあるだろうけど…、課長にも、ある程度以上の接触はあまりしない

ように心掛けてる節があるような気もして…。

交際してるはずなのに、上司と部下の関係からなかなか先へ進まない。こういう物なのかな?他の恋人達もこうやってゆっ

くり距離を詰めて行く物なのかな?これが初恋のぼくには、「他」がどうなのか、「普通」がどうなのかが良く判らない。

ぼくが密かに悩んでると…、

「結構大変らしいぞ?飲んだバリウム出すの。思い切り気張ってひり出さねーとさ、いつまでもケツん中に残ってるんだと」

カノウさんは「ひひひっ!」と笑いながら、ドライブスルーへ車を乗り入れた。

…これからご飯なのに…。

 

午後の外回りも無事に終わって帰社したぼくとカノウさんのデスクに、紙皿に乗ったスナック菓子と、アンケート用紙があ

てがわれた。

「早速ですけど、外回り組も戻って来た所で丁度良く試食タイムです」

事務担当の女性先輩が宣言し、皆が一斉にお菓子を口にする。

ぼくもそのキツネ色のスナック菓子を摘み、口に入れる。

あ。カレー味。四角柱を捻ったような形状のお菓子は、噛んだら中身が無いかのようにサクリと潰れて、体積が即座に減る。

「「当たり」だな」

「だねぇ」

「今回はグーだ」

「安っぽい感じの食感と味付けが逆に良い」

「何か懐かしい」

「あんまりサクサク潰れるからか、ボリューム感が無いのが気になるけど…」

「けどこの食感自体は悪くないぞ?」

試食品を口にした先輩方が、口々に感想を述べた。

…あ…。あんまり重要な事でも無いけど一応説明しておくと、新作のお菓子は商品化前に、感想や意見を募る為に社員に振

る舞われるんだ。

試食については品質管理部門の専門家が大きな発言力を持ってるけど、実際に売り出したお菓子を食べるのは大半が「普通

のひと」。客層の99パーセントは味見の専門家でも無ければ一流シェフでもない、あくまでも一般のひとなんだから、専門

家だけじゃなく一般の味覚を持ってる普通の社員の意見も参考にされるわけ。

「今日はお休みですけど、課長の意見は後で聞くんですか?」

トラ課長が不在の時に試食が来るのは初めてだったから、ちょっと気になって訊いてみると、カノウさんは「いや、期限今

日になってるじゃん」と、アンケート用紙を指さす。

「もっとも、居たとしてもとっつぁんの舌はあてにならないんだけどな。何食っても美味いって言うんだから審査役に向いて

る訳がない」

カノウさんは肩を竦めながら言って、ぼくはちょっと感心した。

「何を食べても美味しいから、営業も上手いんですね!」

「へ?」

ぼくが率直な意見を口にすると、カノウさんは訝って顔を覗き込んで来た。…あれ?ぼく何か変な事言っちゃったのかな?

「今の話の、とっつぁんの当てにならない味覚と、営業の上手さと、どう繋がったんだシマネちゃん?」

「え?えぇと…。何を食べても美味しいなら…、「これ美味しいですから」って、本音で勧められますよね…?」

「まぁ、そうだな…」

もしかしたら的外れな事を考えたんだろうかと、ちょっと恥ずかしくなったけれど、途中で「やっぱり何でもないです…」

なんて言うのも失礼だと思ったから説明を続ける。

「自分の好みに合わない製品を広報の文句で売り込むより、自分が美味しいって思う物を自分の言葉で売り込みに行くなら、

自然な説得力が出るんじゃないかなぁって…」

話してる内にだんだん自信が無くなってきて、最後の方はボソボソっと小声になった。

言い終えたぼくは、やっぱり的外れな事言ったのかな?と恥ずかしく思いながら、上目遣いにちらりとカノウさんの顔を見

遣った。
十歳以上年長の先輩は、マジマジとぼくの顔を見つめた後、「シマネ…」と、低い声を発する。あ…。もしかして呆

れられてる?

「結構頭柔っこいのなぁ…。ビックリした」

カノウさんは面白がっているように笑うと、ヒゲのある顎をさする。

「確かに、自分が好きでもねー商品を売り込みに行くより、本気で美味いと思う菓子を売りに行った方が、やる気も説得力も

上だろうな?ははは!好きなら積極的になれる!」

カノウさんの笑い声を聞きながら、ぼくは胸を突かれたような気分になった。

…好きなら…積極的になれる…。

トラ課長に本心を伝えたあの時、ぼくはこれまでに無いほど積極的だった。アクシデントを起こしちゃった事もあって必死

だったのもあるけど…。

なのに、今はどうだろう?

少し前までは、ずっと想いを秘め続けてて、告白する事も無いと諦めてたぼく…。それが進歩はどうあれ、交際し始めたっ

ていう事実でいくらかでも安心してるんだろうか?だから、距離を詰める事に積極的になれないでいるんだろうか?

考えに没頭してたぼくは、マナーモードにしてたスマホが震動する感触で我に返り、慌ててポケットに手を入れた。

表示は…、あれ?トラ課長からメールだ…。

いそいそと確認すると、ドックは終わったという連絡と、ぼくが何事も無く過ごせてたか気にしてる、飾り気はないけど気

遣いが伝わってくる文面と顔文字が目に飛び込んできた。

…不思議…。届いたメールの文面さえ愛おしい…。

モニターに頬ずりしたいような気分になりつつ、さっそく廊下に出て返信しようと考えたぼくは、固定電話にかかってきた

電話を取った女性先輩の「あ、課長?」という声で動きを止めた。

しばらく何事か話した後、先輩は「課長から電話。ドック終わったって。誰か用件あるひとー?」と皆の顔を見回した。

「特に無し」

「「お大事に」って伝えて」

「検査だろ?「お大事に」って変なんじゃ…?ごゆっくり、ってヨロシク」

特に重要な件も無かったみたいで、先輩は電話の向こうのトラ課長へ「特にありません。お大事に、ごゆっくりとの事です」

と伝えて、簡単なやりとりを二三してから受話器を置く。

トラ課長…。職場への連絡より先にメールを送ってくれたんだ…。喜ばせるツボを心得てるっていうか…、扱いがマメって

いうか…。

ぼくはそっと部屋を出て、廊下で携帯を操作する。室内でメールを送ったからといって特に何か言われる訳じゃないけど、

私事だし、何か恥ずかしいし…。

もう一度文面を確認して返信を打とうとしたぼくは、再びスマホが震動してピクンと背筋と尻尾を伸ばす。

…トラ課長からの追伸だ。「唐突だが今夜暇かね?」って…。

立てた尻尾をプルプルさせながら、ぼくは当然、暇である旨即座に返信した。

例え忙しかったとしても、トラ課長のお誘いは全てに優先される!



「おお、いらっしゃい!お疲れさん」

チャイムに応じて内側からドアを開けてくれたトラ課長は、緩んだ笑みを浮かべてぼくを招き入れてくれた。

「こんばんは、お邪魔します」

ぼくは頭を下げて嬉しさを噛み締める。

昨日一日会えなかったトラ課長が、喜んでるような笑顔を見せてくれた。…ぼく、幸せ者だ…。

今日は何処かで外食じゃなく、出前を取るっていう事だったから、トラ課長のお部屋に職場から直接お邪魔した。なお、出

前に何を取るのかはまだ聞いてない。

「検査はどうだったんですか?」

靴を脱ぎながら訊ねたぼくに、トラ課長はタップリ顎を引いて頷いて見せる。

「問題なく終わったとも。脂肪が厚いせいでエコーが上手く映らなかったり、心電図がなかなかとれなかったりと、いくつか

の検査は手こずったがね」

…どうやら「問題無い」っていう言葉が持つ意味が、ぼくとトラ課長ではだいぶ違うらしい。

「お腹とか大丈夫なんですか?」

ぼくの視線は服の布地を内側から広げてるトラ課長の真ん丸お腹に向いた。

「ああ、腹なぁ。いや参った参った。エコーの機械もああまでグリグリされると、くすぐったいの痛いの恥かしいのなんの…。

しまいにはなかなか映らん事が申し訳なくなって決まりも悪かった私だ」

トラ課長の答えは、ぼくの質問したかったお腹の調子の事とはまるっきり違う方向だった。けど、むっちりお腹に機械を押

し当てられてグリグリされてる課長の、痛そうなくすぐったそうな恥ずかしそうな決まり悪そうな顔を想像したら、胸がキュ

ンとした。…検査風景、見てみたいかも…。

「いや、お腹っていうのは違う方の…、えぇとアレですアレ、何だっけ?バリュー…、あ!バリウム!バリウム飲むと、お腹

が結構辛いって聞いたんですけど…」

「ああ、そっちか。大丈夫だ」

トラ課長は丸いお腹をポンと叩いて揺らした。

「頑張って出したから」

そう言った課長は、何故か誇らしげに胸を張ってた。

 

トラ課長に伴われてダイニングに入ったぼくは、大きな手が新聞を広告ごと引き抜いたラックの、すぐ脇に目を遣る。

前はここにエッチな本が入った書店の袋があったんだけど…。…あれ?

ぼくは思わず足を止め、先にテーブルまで歩いて行ったトラ課長が、「どうしたシマネ君?」と、声をかけて来る。

「あ、いえ…、何でもありません」

応じたぼくは、もう一度こっそりそこに視線を向ける。先日エッチな本が放置されてたそこには、変わらず本屋さんの袋が

置いてあった。確証は無いけど、位置やビニールの皺までそのままのような気がして不思議になった。…まるで、手を触れず

にずっとそこに置いてあったような…。

使わなかったのかな?今日がドックだったから色々と気を遣ったとか?いや、そもそもここ数日使う機会が無かったとして

も、エッチな本をこんな状態で放置しておく?買ってきたらまず何処かにしまったりしない?

一度考え始めたら、違和感はあっという間に確信と疑問の九十九折りへと変わった。

トラ課長はこの本に触ってない。たぶんお邪魔した先日の夜にぼくが触ってから、誰も触れてない。これはもう確信に近い

予感だ。
けど、使った食器を数日間洗わずにシンクに溜めておく課長とはいえ、買ってきたエッチな本をそのまま入り口に近

い場所に放置しておくだろうか?そこは変わらず疑問…。

確信した事と疑問の間を埋める考えが浮かばずに困惑するぼく。そこへ…、

「ああ、それな?」

トラ課長の声が投げかけられ、ついつい袋をじっと見てしまっていたぼくは、ビクッと背筋を伸ばした。振り向くと、課長

も本の入った袋に視線を向けてる。

「雑誌っぽく見えたかな?だが残念ながら漫画とかじゃあない。「我々」が読んでもあまり面白くない本だ」

そう言って微苦笑したトラ課長は、出前用のチラシを取りながら「おいで」とぼくを手招きする。

誤魔化してる?いや、そんな感じはしない…。エッチな本を見つけられてしまったら、もっとこう恥ずかしくて焦るとか、

挙動不審になるとか、そういう物じゃないの?こんなに普通に振る舞える物かな?それとも、トラ課長は大人だからこの程度

の事じゃ動じない?

いや、そもそもこの本は「見つけられてしまう」なんて状況にはない。堂々と出しっぱなしだ。隠すつもり自体がそもそも

全く無いように思えて…。

テーブル脇に「どっこいしょ…」と腰を下ろしたトラ課長は、

「それは預かり物でな」

と、新聞に挟まってくるピザやお寿司のチラシを広げつつ言う。

「預かり物?え?えっ?あ、あの本って課長が買った物じゃなかったんですか?」

驚きながら訊ねたぼくに「ああ」と頷いたトラ課長は、次いで「…ん?」と訝しげに眉根を寄せながら顔を上げた。

「もしかして中身が見えとったかな?」

あ!しまった!

慌てて口を塞いだけど、もう遅い。

勝手に袋の中を覗くというマナー違反を怒られる事を覚悟しながら、正直に打ち明けてペコペコと頭を下げて謝ると、トラ

課長は怒る様子も全く見せずに苦笑いした。

「なるほどなぁ。まぁ、それは良いからこっちにおいで。今日はシマネ君が食いたい物を出前で頼むから、選んで貰わんとな」

ぼくはすっかり恐縮しながら、トラ課長の手招きに従ってテーブルにつく。

「あの…。本当にご免なさい課長…」

「構わんよ。気になっても仕方ない所へ出しっぱなしにしとるのが悪い。…などとのたまう預かりものまで雑な私だ」

何であんな物を預かる事になったのかは判らないけど…、なるほど、納得した…。元々自分の物じゃないから、見られても

焦りもしなかったんだ…。

「シマネ君ぐらい若い子だとピザなんかは好きかな?それともオーソドックスに丼物にするかね?蕎麦やラーメンも良いが、

いささか芸が無いか…」

チラシを広げながらあれこれ指さすトラ課長の前で、ぼくは情けない気分になった。

「何だ?今日は元気が無いな?もしかして具合でも悪いのかね?」

トラ課長は落ち込んでるぼくの様子を見て取ったのか、分厚い手を伸ばして額に触れて来る。

「ち、違うんです。その…、体調が悪いとかじゃなくて…」

ぼくは口ごもりつつ、事情を説明した。

先日あの本を目にしてから、ひょっとしたらトラ課長は、本当は女の人も普通に好きで…、むしろ、もしかしたら女の人の

方が好きだったりするんじゃないかって、気になってた事を…。

「なるほど。見られた事に気付かんかったとはいえ、それは悪い事をしたなぁ…」

ぼくの話を聞き終えると、全然悪くないトラ課長は困り顔になって頬を掻いた。

「悪い事をしちゃったのはぼくの方です…。ぼくが勝手に…」

尻尾をへなっと床に垂らし、ぼくは項垂れる…。行儀の悪い事をして、一人勝手に思い悩んで、あげくあれこれ邪推して、

何やってるんだろう?ぼく…。

「いやいや、やっぱり私も悪い。…そのぉ…」

トラ課長は困り顔で耳を寝せると、ごもごもと口ごもりながら続ける。

「アレだろう?付き合い始めてから…その…アレだ、アレ…。恋人らしい事なんか、これまであまりしとらんから…、不安に

させてしまったんだろう?」

顔を上げたぼくに、トラ課長は眉を八の字にしながら頷きかけて来た。

「言い訳になるが…、シマネ君は交際初経験だし、抵抗もあると思ってなぁ…。抱きすくめたりしたら戸惑ったり驚いたりす

るだろうと思って…、それでまぁ、あまりこう…、ベタベタしないようにだな、気を配っていた訳なんだが…」

やっぱりトラ課長は、ぼくを気遣ってソフトに接してくれてたんだ…!

トラ課長は言葉を切ると、がっくりと肩を落とした。失敗した、って顔をしてる…。

「たはは…。参った、これはどうも気配りと匙加減を誤ったらしい。心配させて済まなかったなぁ…」

「あ、謝らないで下さい課長!ぼくこそ…、課長を疑うような感じになっちゃって…、済みませんでした…」

恥ずかしくて情けなくて、顔が熱くなった…。

項垂れて顔を見られないようにしたぼくは、しかしグゥ~キュルルルッ…という音を耳にして、少しだけ目を上げる。

お腹の虫に鳴かれたトラ課長は…、

「は!?たはは…!困った腹だなぁまったく…!」

でっぷりお腹を左手でさすりながら、右手ではガリガリと、気恥ずかしそうに後頭部を掻いてた。耳を寝せて苦笑いするト

ラ課長につられて、僕も苦笑を浮かべる。

「さぁ出前を決めようか。出来れば早いところ決めようか。もう腹が減って腹が減って…」

暗に、謝りあうのはここまでにしよう、と示してくれたトラ課長に頷き、ぼくはテーブル上のチラシに視線を走らせる。け

ど、選び始めたその時、置いてあった課長の携帯がブベベベベッと、テーブルと触れ合って派手な震動音を立てた。

「なぁーっ!?誰だこんな時に…?」

トラ課長はしぶしぶスマホを取り上げ、画面を確認して「あ」と声を漏らした。

「もしもし?ああ、部屋に居るとも。今日?これからか?いや構わんが…。判った」

短い通話を終えたトラ課長は、ぼくの視線に気付くと「いや、出かける用事やら何やらとは違うから心配無用だ」と、肩を

竦めてみせた。

「アレを引き取りに来るだけの話でね」

トラ課長が指さし、ぼくはその方向へ視線を向ける。太い指が示したのは書店の黄色いビニール袋…。

「カノウが」

何だか凄く納得した。

 

あのエッチな本はカノウさんの宝物だったらしい。

カノウさんの家庭では今週大掃除をする事になってて、お嫁さんに見つけられたら気まずいし怒られるし処分も免れないと

の理由から、トラ課長に保管を頼んで来たそうな…。

結婚に際して殆ど処分したらしいんだけど、カノウさん曰く「青春時代の綺羅星である想い出の品」とか何とかで、あれだ

け捨てられなかったんだって。

そんな説明を受けている内にチャイムが鳴って、トラ課長は黄色い袋を手にして玄関へ出た。

アレコレ勘繰られても困るからここでは顔を合わせたくなかったし、ぼくは奥の寝室に引っ込んでおいて、トラ課長もカノ

ウさんを部屋に上げなかったんだけど、その態度を訝しんだらしいカノウさんが「…スケでも連れ込んでんの…?」と小声で

訊ねてるのが聞こえて来た。

「う~む…。あいつは時々妙に鋭い…」

カノウさんを追い返して戻って来たトラ課長は、そんな風にぼやきながらどすっと腰を下ろした。

けど、座った位置がさっきとは違う。いつもテーブルの違う辺に座ってたのに、課長はぼくの隣に腰を据えてくれた。

その変化に少し驚いたぼくが視線を向けると、トラ課長はニンマリと顔を緩める。

「ちょっとはくっついていこうか?ただし、嫌になったら遠慮無く嫌だと言ってくれ。やり過ぎ防止に」

「は、はい…!」

ぼくは顔を熱くさせながら深く頷いた。あぐらをかいたトラ課長の膝が、正座したぼくの脚に横から触れてる…。

嫌なんかじゃないです。ずっと、こうしたかったんだから…。

ぼくも、もうちょっと積極的になって行かなくちゃ…!

 

結局、夕食はピザになった。

トラ課長が淹れてくれたコーヒーを飲みながら少し待って、全国チェーンのピザ屋さんの宅配が予想より早く届くと、箱を

あけたトラ課長は「餅入りピザとは恐れ入った」と変な所に真顔で感心してた。「世界は広いし可能性に満ちとる」とも。

 ぼく一押しの照り焼きチキンピザとピリ辛チキンペペロンチーノは、トラ課長も大いに気に入ってくれた。少しずつ判って

きたけど、課長はお酒が進むような味付けの物が好きらしい。ピリッと刺激がある辛い料理や、しょっぱい物、味が濃い物は

お酒に合うらしい事は知ってる。課長は脂っこいものと辛い物だとお酒が美味しくなるっぽい。

「シマネ君は、本当に鳥肉が好きなんだなぁ…」

「大好きです!」

「鳥の唐揚げなんかも?」

「大好きです!」

「鳥の水炊きなんかも?」

「大好きです!」

三回全く同じセリフではっきり応じたぼくの肩に、横に座るトラ課長は、ニンマリ笑いながら太い腕を回して来た。

「私も大好きだ」

その「大好き」が、なんだか自分に向けられた物のようにも感じられて、ぼくはピンと伸ばした尻尾の先をフルフルさせる。

「…あ。これぐらいはセーフかね?」

回した腕の是非について訊ねたトラ課長に、「全然セーフです」と、力強く頷いた。

「全然セーフか」

「はい、全然」

ピザに舌鼓を打ちながら話してくれた所によれば、トラ課長は本当に、女性に性的興奮を抱けないらしい。そう説明しなが

ら、どういう訳か「昔、昔の物語…」と、虎の巨漢は突然昔話を始めた。

「それこそ私が小学生だった頃だから、本当に大昔の話だ」

トラ課長はピザの油に塗れた太い指を拭いながら遠くを見るような目になった。…どうも思ったより昔の話じゃないらしい。

「恐竜が生き残ってたぐらい昔ですか?」

「有り得ないとも言い切れんな。世界は広いし可能性に満ちている。何せピザの耳には餅が入っとる」

真顔で訊ねたぼくに、トラ課長は大真面目に頷いた。

「それでまぁ、もしかしたら何処かの湖や海中や秘境などにひっそりと恐竜の生き残りが潜んどったかどうか定かではない辺

りの昔の話だ。少なくともシマネ君がまだ生まれとらん…もし生まれとったとすれば履歴書詐称で人事課から怒られ、私や女

性陣が若さの秘訣をどうやっても聞き出そうとするぐらい昔のその頃…、私と同じクラスにそれはもぉ、もんっっっ…の凄く!

キッツい性格の女の子が居ってなぁ…」

トラ課長はそう、ユニバーサルな語り出しからローカルな話を始める。

「何が気に食わんかったのかは判らんが、どういう訳か私は目の仇にされとった。心たりは皆無なんだが」

「やんちゃだったんですか?例えば女子のスカートを捲って嫌われたとか…、そういう原因になりそうな物は?」

「何度もやったからそれかもしれん。あるいは下駄箱にウシガエルを仕込んだ事を根に持たれたのかもしれん。…いや、もし

かしたらアレか?それとも…」

心当たりは皆無と語ったトラ課長は、舌の根も乾かない内にあっさり認めた上に、割とひどい他の悪事についても白状した。

…とぼけてるんだか天然なんだか…。

「まぁとにかく私はその子に嫌われとってなぁ、クラスの女子全員を扇動したボイコットキャンペーンの標的にされたりした

訳だ」

しみじみ頷くトラ課長。嫌なキャンペーンだなぁ…。

「…よっぽどの事でもしたんじゃないですか?」

「若い頃は若かったからな」

暗に認めつつ何故か胸を張ったトラ課長を横目に、ぼくは「ああ…」と曖昧に頷く。「そうでしょうね…」と。

トラ課長はビールのジョッキに手を伸ばしつつ、「それで、だ」と先を続けた。

「女子との冷戦は結局小学校を出るまで続けたんだが、もうその頃には「女性」という生物に対して敵愾心すら持っとったか

らな。中学でも高校でも女子を避けとったし、好意を寄せるような事も無かった。…まぁ諸事情により恋をするような余裕が

無い学生時代だったとも言えるが…。その流れでなのかは判らんが、気付けば女性全般が苦手になっとってな。因果だなぁ」

肩を竦めるトラ課長。…えぇと…、はい…。因果ですね…。そうとしか言えませんね…。

「もっとも、女性全般への苦手意識は社会人になってから克服したがね。仕事に差し支えては敵わんから。で、健全に性的な

欲求に苛まれる年頃では、興味は苦手な異性でなく同性に向くようになっとった。「どっちが先だったのか」は、とんと判ら

ん。最初から女が嫌いで悪戯をしとったのか、はたまた女嫌いになったから同性に靡くようになったのか…。いやぁ、困った

ガキだったなぁ私も」

そう言ったトラ課長からは、しかし言葉とは裏腹に困っている雰囲気がちっとも感じられない。何て言うかこう…、「仕方

ないだろう?こうなんだから」とでもいうような様子で、ありのままの自分を受け入れてる感じがする。開き直りともちょっ

と違う、堂々とした感じが…。

「そんな訳で…」

グイッとジョッキをあおってビールを飲み、トラ課長はまたぼくの肩に腕を回して来た。

途端に鼻先をくすぐる、課長の濃厚な匂い…。汗の香りが混じった体臭と、アルコール混じりの息、そしてぼくの側では吸

わない、薄まったタバコの匂い…。

ぼくをグッと引き付けつつ自分も身を寄せて来ると、トラ課長はぼくの頭にむっちりした頬を押し付けて笑う。

「実は女性の方が好きだ…なんて事は無い。これは保証できる。もし実は女好きだったら自分でもビックリだ」

ちょっと身を固くして頬を熱くさせたぼくは、嬉しさで尻尾をくねらせながら理解した。…そうか…。最初は、トラ課長が

何で突然昔話を始めたのか判らなかったけど、ぼくの不安を取り除く為にわざわざ…。

「課長…」

「うん?」

「あ…、ありがとうございます…」

気遣いが嬉しくて、でもちょっと申し訳なくて、もじもじしながらお礼を言ったぼくの肩を、

「んん~…」

トラ課長は照れ臭そうに鼻の奥で唸りながら、少し強めに抱き寄せてくれた。

…あれ…?

ぼくは肩に腕を回されたまま、小さく首を傾げた。

「それじゃあ、いつも飲み会の席でカノウさん達と一緒にエッチな話題で盛り上がってるのって…?」

「がっはっはっはっ!おおっぴらにスケベな話をしとるアレはなぁ、ゲイだと気付かれん為の一種のカモフラージュだ!シマ

ネ君も今後のために一応ツボを覚えておくと良い」

耳元で響いたトラ課長の、開けっ広げで豪快な笑い声が、ぼくを凄く安心させた。

 

食事を終え、テレビを眺めつつ談笑していたら、トラ課長は不意に首を捻って壁時計を確認した。

「もうこんな時間か…」

トラ課長に肩を抱かれる恰好で崩れた正座をし、横にピッタリ寄り添ってたぼくは、あまりにも残念でため息を漏らしそう

になった。

いつだってそうだけど、トラ課長と一緒に居られる幸せな時間はあっという間に過ぎて行っちゃう…。毎回このぐらいの時

間になると課長は「遅くなるからそろそろ帰らんとな」と、ぼくを帰す為にタクシーを呼んでしまう。最初の、本当に最初の

告白したあの夜だけは、あまりにも遅かったから泊めてくれたけど…。

今日もそろそろお別れなんだと感じたら急に寂しくなって、肩に回って胸の前に下りるトラ課長の腕…その手の甲に、ぼく

はそっと手を重ねた。

…せっかく今日は大きな前進があったのに…。もうちょっとだけ…、離れないで居たかったな…。

「シマネ君。今日は泊まって行かんかね?」

トラ課長のその言葉に「はい…」と頷いたぼくは、

「ん…?え!?と、泊まっ…!?」

予想外の…というよりも願ってもなかった提案に、ぼくは喜ぶどころか驚いてしまった。間近で見上げたトラ課長の顔は、

照れてるような困ってるような微苦笑を浮かべてる。

「い、良いんデスかっトトト泊めて頂いテっ!?」

時々裏返る声を上ずらせたぼくが期待に満ちた目で見つめると、トラ課長はちらりと横目でぼくを見てから、顎を引いて頷

いた。

「ん~…、まぁ、そのぉ…、明日は仕事も休みだから、シマネ君が良ければだが…。どうだね?」

当然断る理由はない。コクコクと頷いたぼくは、嬉しさのあまり突き動かされるようにしてトラ課長に抱き付いた。横から

ガバッと抱き付かれた課長は、ちょっとビックリしたように肩に回してた腕を上げて…、

「おっとっと…!こんなに喜んでくれるとはなぁ…。試しに言ってみた甲斐があったなどと大満足な私だ」

愉快そうに呟いて、改めてぼくの背に腕を回してくれた。トラ課長の太い縞々尻尾が、トフットフッと何かを誤魔化すよう

に床を叩いてる。

横から抱き付く恰好になったぼくは、腕が回りきらないほど太いトラ課長の胴回りに感心しつつ、その柔らかな皮下脂肪の

感触と体臭を、ここぞとばかりに貪った。

トラ課長がくれたのはお泊まり許可だけじゃない。積極的に前に出るチャンスもまた、今夜のぼくには与えられたんだ。

「それじゃあまぁ…、夜更かしはできるが風呂を先に済ませた方が良いだろうな。着替えは…、私のでも良いかな?」

トラ課長はともかく、極々普通の耐寒能力しかないぼくは、この季節に下着だけで寝たら体を冷やしかねない。かといって、

さすがにワイシャツとズボン姿で寝る訳にもいかない。ちょっと申し訳なかったけど、選択の余地が無かったからご厚意に甘

える事にした。

実はちょっと嬉しいし、ドキドキもしてる。トラ課長の服を借りた、あの告白の夜の事を思い出して…。

「例によってどれを選んでもサイズが合わんだろうし、おっさんくさいと思うが…」

「望むところです。むしろ「どんと来い」です」

「がはははははっ!頼もしい物言いだなぁ!」

可笑しそうに笑ったトラ課長は、しかし突然ピタリと笑いを止め、「あっ」と声を発した。 しまった!とでも言いたそう

な表情になった課長の耳が、くいっと後ろに倒れる。

「着替えを用意したら…、まずは、原初の海のような風呂の湯を換えて来る…」

「生命のスープですか…」

「かなり濃厚だ。むしろシチュー」

…どんな具合なのか逆に気になる…。

「世界は可能性に満ちてますから、そこから生命が誕生するかも?」

「誕生されたらされたでそれなりに困るな…」

耳を倒してるトラ課長の深刻そうな顔を見たぼくは、ちょっと可笑しくなって小さく吹き出してしまった。

 

大きくてぶかぶかなフリースのトレーナーを着たぼくは、ダイニングの床にペタンと座り込んで、袖を顔に近付けてスンス

ン匂いを嗅いでた。しまってあった物をわざわざ出して来てくれたらしいけど、トラ課長の匂いがしっかり染み込んでる。

なお、泊めて貰うから少しは働かなくちゃと思って、お風呂掃除役を申し出たけど、却下された。っていうか断固拒否され

た。どれぐらい汚れてたんだろう浴室?

借りた服の香りを満喫しながら待つ事数十分。入念に掃除して来たらしいトラ課長は、戻って来るなりぼくを見て、「お…」

と、口と目をまん丸にした。…何だろう?

「ああいや…。その…何だ?シマネ君みたいな子が、ぶかぶかの服を着てペタンと座り込んどるのは、可愛いもんだなぁと…」

ぼくの視線から疑問を感じ取ったのか、トラ課長はそんな事をモゴモゴと言う。

「不公平だ。私が同じ服を着ても魅力的にはならんのに」

可愛いと言われて顔を熱くしたぼくは、「そんな事無いと思いますよ?」と、無難な返事をするのが精一杯。

「シマネ君、先に入りなさい」

「いえ、ぼくは課長の後でいいです」

トラ課長は渋ったけど、「ぼくはお借りする方なんですから」と、頑なに言い張ったら、ついに折れて先に入る事を承諾し

てくれた。

「それじゃあお先に…」

何故かちょっと遠慮がちに部屋を出て行きかけたトラ課長は、

「何なら一緒に入ろうか?…などと軽率に誘ってみる私だ」

と、振り向き様に照れ笑い。

「入りませふ!」

ぼくが侍みたいな片膝立ちになって即座に返事をすると、課長は「だよなぁ…」と苦笑いしつつ顔を前に向けなおして、そ

のまま出て行きかけて…、

「…おふあっ!?」

一拍置いて、妙な声を発しながら弾かれたように振り返る。

「ご一緒して良いニャら、ちゅちゅしんでお背中おナガし致しますデスから!」

積極性を発揮する絶好の機会。ここは声高に主張しなくては!と勇み立ったぼくは、緊張で声を上ずらせた上に噛み噛みで

言葉遣いがおかしい。落ち着けぼくっ!土壇場でこそ熱くクールに行け、っていう旨のセリフを何かのマンガでも言ってた!

「本気じゃ無かったんだが…」

と、トラ課長はちょっと困ったような顔で呟く。

「嫌ですか?」

「いや!いやいやいや!嫌なんかじゃあ無い当然!いやいやいや!」

凄くイヤって言っているように聞こえますよ…?

「…だが、だがなシマネ君?もしも私が上司だから断り辛いとか、そういう事なら…」

「いえ、そうじゃないです。そうじゃなくて…、ぼくも、その…」

トラ課長と…、一緒にお風呂とか…。一歩前進とか…。

恥ずかし過ぎて口にできなくて、俯いて黙り込むと、課長は少し間を置いてから、小声で言った。

「…実は、風呂はあまり広くないんだが…、構わんかね?」

「望むところです。むしろ「どんと来い」です」

即答したぼくに、トラ課長は照れているような、そして嬉しそうな苦笑いをニカッと向けた。

「頼もしい物言いだ」

 

脱衣場から覗いて見ると、お風呂は決して狭くはなかった。

そう、一般の基準から言えば社員寮のお風呂は全然狭くなんてない。ぼくの実家のお風呂と比べても広い。浴室その物の面

積も湯船も…。それでもなお、確かに狭いなぁと感じてしまったのはトラ課長の体格のせいだろう。

先に浴室に入ったトラ課長は、「狭いだろう?」とぼくを振り返る。けれどぼくは、返事もできずに課長の裸に見とれてし

まってた。

トラ課長の裸は…、えぇと…、色々凄かった。

まず目を奪われるのは縞模様が無い胸やお腹の被毛の白さ。顎下や、夏場の半袖ワイシャツや袖を捲った状態で見られる肘

の内側の白っぽいポワポワの被毛と同じ。色が薄くて、きめ細かくて、フワフワして柔らかそう。太腿の内側も同じで、じっ

と見てると触りたくなってくる。

ちなみにぼくもお腹側や手足の内側は縞模様が無くて、毛も白い。それを脱衣場で見たトラ課長は、「縞々同士なだけじゃ

なく、こんな所の柄も似とるとは…」と、しきりに感心してた。少しでもお揃いっぽいのが何故だか凄く嬉しかった。

続けて注意を引かれるのは、やっぱりトラ課長のボディライン。服越しにでも目立つ大きなお腹…。付き過ぎた脂肪でせり

出してるだけでなく、その重さに引かれて垂れ気味の下腹部…。あの下に手を当てて弾ませてみたい…。絶対柔らかくて手触

りいい…。そんな衝動に駆られるムッチリモッチリしたお腹だ。

胸も付き過ぎのお肉でたっぷりしてて、お尻も太腿もムチムチしてて、どこもかしこもとにかく太くて丸っこい。それでい

て上背も190近いんだから、それはもう見事としか言いようが無いボリュームだ。

あの夜一目見て以来、ずっと目に焼き付いて離れなかったトラ課長の裸…。それが今夜はこんな風に正面から、しかも一糸

纏わない状態で拝めるなんて…。

「そうマジマジ見られると少々照れるなぁ。悪い気はせんがね」

トラ課長は太い尻尾を左右にぶらぶら揺らしながら苦笑いする。

「…そ、そう言う課長も…」

そう、トラ課長もまたぼくの裸をじっくり見てる。

大柄で太ってるトラ課長とは対照的に、身長150センチ強しかないぼくは、小柄なだけでなく体も細くて貧弱だ。頬毛が

ポワポワしてるせいで、顔だけならいくらかマシに見えるけど、湯上がり直後なんかの毛が寝た状態だと、自分でも枯れ木の

ようだと感じるほど頼りない。

…おまけに…。

ぼくはトラ課長のお腹の下、そこに付いてる雄のシンボルをちらりと盗み見る。

下っ腹のさらに下、股間にすら脂肪が付いて三角に張り出してるそこの下端にぶら下がっているソレは、体格同様というか

何というか…、太い。とことん太い。ビックリするくらい太い。あまりにも太いせいか比率からやや短めに見えちゃうけど、

きちんと皮が剥けてて、大人の逸物の風格を漂わせてる。シャフトが太いだけじゃなく、ぼくのより赤味が濃い亀頭なんかは

丸々としてて、まるで玉みたい。

本で目にした鈴口っていう単語が不意に頭に浮かんで、納得した。なるほど、確かに鈴みたいだ…。

対してぼくのはというと…、体同様に小さい…。しかも剥けてない…。手動では剥けるけど自動では剥けない。手で剥かな

いと勃起した状態でも被りっぱなしというソコは、ぼくの性格同様に内向的…。トラ課長の立派な逸物と見比べると、子供っ

ぽさが際立って見えて、かなりへこむ…。

「ど、どうしたシマネ君?具合でも悪いのか?」

トラ課長にしては珍しいオロオロとした心配そうな声を聞きながら、壁に手をついて項垂れてるぼくは力無くため息をつく。

「…いえ…、ちょっとその…、物凄い差を目の当たりにして軽く動揺しちゃっただけで…」

トラ課長は「んん…?」と唸ると、「あ…」と、何かに気付いたような声を漏らした。

「シマネ君。こう言っちゃあ何だが…」

一度言葉を切ったトラ課長が、拳を口元に当てて「ゴホン!」と咳払いをした。

「そういう可愛いのも…、実はモロに俺好みだったりする…」

…「可愛い」が褒め言葉になってない…。でも…。

「ありが…と………ごさぃます…」

「俺好み」と言われて嬉しかったぼくは、噛みながらそう応じた。

「好みを暴露して礼を言われるのは、何だか妙な具合だなぁ」

トラ課長はお腹を揺すって笑い、顔を上げたぼくもつられて苦笑する。…けど、ここでちょっと困った事が…。

「せ、背中流します課長!座って下さい!」

ぼくが若干焦りつつ、ちょっと硬い笑みを浮かべながら促すと、トラ課長は「どうしたね突然?」と、首を捻りながら笑い

かけて来る。

「い、いつまでも裸でつつ突っ立ってたら、か、かか体を冷やしちゃいますよ!?」

「がっはっはっ!まだそうそうすぐ冷えるような季節でも無いだろうに!」

笑ってそう言いはしたものの、トラ課長は「それじゃあ悪いがお願いしようか」と、ちょっと嬉しそうな表情を浮かべなが

ら椅子を引いて、シャワーの前で腰を下ろす。…つっこむタイミング逃しちゃいましたけど、今はもう普通に冷える季節です

よ課長…。

「いや、予想もしとらんかったが最初の本格的なスキンシップは背中流しか。親子っぽくもあるが、まぁ悪くないだろう!」

上機嫌なトラ課長が座ったシャワーチェアは、結構大きめのはずなのに…、課長のお尻が乗ったら途端に縮んで見えた。あ

まりにも大きなお尻は受け止められ損ねて、椅子からはみ出してる。

座ってもなお課長は大きくて、肩の位置が床に膝立ちになったぼくの顎よりも高い。座って背中を丸め気味にしたせいで肉

が左右に逃げて、お腹が横幅を増してるのが背中側からでもはっきり判る。…このシルエット可愛い…。

トラ課長は湯加減を確認して壁にかけられてたシャワーのヘッドを掴み、蛇口上のレバーを捻ってシャワーに切り換えて…、

って何ぼーっと眺めてるのぼく!?

「か、課長。シャワー貸して下さい!」

「悪いねシマネ君」

「あの、ボディシャンプーとかは…?」

「ああ、これを…」

トラ課長の厚くて広い肩越しに手を伸ばしたぼくは、シャワーヘッドに続いてシャンプーを受け取ろうとして…。ヌメッた。

「あっ!あぶっ…」

ぼくの手からヌルンッて逃げたシャンプーボトルは、課長の肩越しに元の位置へ戻ろうとするように跳ねた。けど…。

「おっと?」

課長の声と同時に、パンとポンの中間の音が鳴った。

一瞬の早業。まるで肩越しに跳ねて戻る軌道が判ってたみたいに、課長の大きな右手が素早く正確にボトルを掴んでた。

「ご、ご免なさい不注意でした!」

再び差し出されたボトルを受け取りながら平謝りするぼく。

「いやいや、風呂は掃除してもボトル類はそのままだった。見落としとったな…。あ、それ生命誕生しとらんかね?具体的に

はカビとか生えとらんかね?大丈夫かね?」

ぼくは学んだ。世界は可能性に満ちてる。ビール瓶は判らないけど、シャンプーボトルはルパンみたいに逃げる。…それに

しても、今の凄いナイスキャッチだったなぁ…。電光石火、ボクサーみたいな凄い反応。

「そ、それじゃあ失礼しますね…」

広くて肉付きの良い背中にお湯をかけつつ、ぼくは少し安堵した。実は…、トラ課長の裸を観察してたら、お腹の下側が疼

き始めて…、その…、た…勃っちゃって…!ひとまず直視は避けられたものの、いつまで誤魔化せるだろう?貧弱で情けない

子供チンチンを一丁前に勃起させてるトコなんて見られたら、きっとどスケベだと思われちゃう…!

だがしかし、危機は去ってなかった。トラ課長はあっち側を向いててもなお強烈に魅力的だった…。大きなお尻に太い腰…、

分厚くて広い背中…。全身余す所無くたっぷりと脂肪がのってる課長は、当然その広い背中も肉付きが良くて…、背中を流す

ぼくの手には、その感触がしっかりと…。

「か、かかかちょっ…!痒いとここっ、とことかっ、無いでつかっ?」

「ああ、大丈夫」

…まずい。緊張と興奮で噛み噛みになってる…!

落ち着けぼく!熱くクールに深呼吸だ!コー…ホー…、コー…ホー…。

ちょっと間違ってるような気もしたけど、ぼくは深呼吸で落ち着きつつスポンジを手にとってシャンプーを泡立てる。さっ

きから手つきが硬い…。傷は浅いぞ!気をしっかり持てぼく!

やがて、雑念を追い払う努力をしつつ、必死になって大きな背中を洗い終えたぼくは、「これぐらいでどうでしょう?」と

トラ課長に声をかけた。

自分で前の方を洗ってたトラ課長は、「ありがとうな」と、首を捻ってお礼を言って…、あ!

「…お?」

首を捻るどころか、体を捻り半身になって振り返ったトラ課長は、ぼくの体を見て、ちょっと驚いたような声を漏らす。

慌てて両手で股間を覆ったけど後の祭り。何故か顔より先に腰の方に目を向けてたトラ課長は、ソコをしっかり見てた…。

しばしの沈黙の後、ぼくは顔から火が出そうな思いで口を開いた。

「す、済みません…!か、課長の…裸を見たら…、こ、こんなになっちゃって…!」

耐えられなくなったぼくは、俯いて股間を隠したまま言い訳した…。

「ぼ、ぼく…、ぼく…!ひょっとして物凄くスケベなんでしょうか…!?自分ではそうでもないと思ってたのに…、もしかし

たらムッツリスケベなのかも…!」

泣きそうになりながら言うと、課長は「世の中には…」と、声を発した。

「ノーマルスケベと、ムッツリスケベと、ガッツリスケベの三種類しか居ない。…という説を前に本で読んだ」

何が言いたいのか判らず、少し顔を上げて上目遣いに顔を窺う。

「…いや、テレビで聞いたんだったかな…?」

曖昧になった…。

一度傾げた首を戻して、「まぁどっちでもいいが」と、トラ課長はニンマリ笑った。

「ちなみに俺はガッツリスケベだ」

酔ってる風でもないのに自分の事を「俺」と呼んだトラ課長は、太い親指を立てた手で自分を指し示した。

「引いて…ないですか…?」

…その…、子供チンチン勃起させて興奮してる部下の姿なんか見て…。

ぼくの心配を余所に、トラ課長は「何で引いとるなんて思うのかね?」と、眉を上げる。

「正直な感想を言えば、かなり嬉しい」

トラ課長はそう言うと、照れ臭そうに耳を伏せて笑った。

「こんなだらしなく太ったおっさん相手に、ちゃんと勃ってくれるんだなぁシマネ君は。それに…」

トラ課長は椅子の上でのそっと回転し、体ごとぼくに向き直る。そして、困ったような照れてるような苦笑を浮かべながら、

自分の股間を指し示した。

「この国には、「お互い様」というとても素敵な言葉もある」

トラ課長の股間…、太い両脚の間では、立派な逸物がぐぐっと頭をもたげてた。

「背中を流して貰っている内に、どうにもこうムズムズ来て…、がははははっ!やれ困ったと思っていたら、シマネ君も勃っ

てしまったかぁ!」

声を上げて笑ったトラ課長は、急にピタリと笑い止むと、ぼくをじっと見つめる。そう、課長の股間をじっくり見つめてる

ぼくを…。

「…シマネ君?」

目を離せなくなったぼくの頭に、トラ課長の訝ってるような声が下りて来た。

「…そんなところをマジマジと見られたら流石に恥ずかしいなぁ。やはり悪い気はせんがね?」

「え?あ、ははははいっ!す、済みませんっ…!」

謝りつつも、ぼくの目は立派な逸物に釘付けだ。逸らしても逸らしても、まるで磁力でもあるかのように、トラ課長の股間

に目が行っちゃうっ…!

そんなぼくの前で股を開きっぱなしにしてるトラ課長は、不思議そうに口を開いた。

「シマネ君。一つ訊きたいんだが、抵抗は無いのかね?」

「はい?」

顔を上げたぼくに、トラ課長は続ける。

「その手の本を読んどる事は聞いとったが、実物が目の前にあっても大丈夫かね?」

トラ課長の話では、写真や絵は大丈夫でも、現物を前にすると怖くなったり抵抗を感じるひとも居るらしい。ぼくのように

その…、経験が無いとなおさら。雰囲気に飲まれる場合もあるし、怖くなってしまうひとも居る。多かれ少なかれ抵抗を感じ

るケースは多いのだ、と。

でも、ぼくは…。

「大丈夫です。と言うか…、平気です」

そう。抵抗とか怖さとかはちっともない。興奮はしてるしドキドキもしてるけど…。

「そうか。それは良かった。…繊細そうに見えて結構肝が座っとるな?」

トラ課長はちょっと意外そうに呟くと、小さく吹き出した。

「シマネ君。そんなに見つめて…」

「うっ!?い、いやだって…!こ、こういう風に間近で他人のを見るのとか初めてだからそのっ…!ききき気になるっていう

かついつい見ちゃうっていうか自分のと比べちゃうっていうかっ!」

「がははは!なるほど!他人のモノが気になるのかね?」

ぼくは恥ずかしく思いながらコクリと頷いた。…どうしよう?ぼく、やっぱり物凄くスケベなのかもしれない…。トラ課長

のソレを、触ってみたくてウズウズしてる。

「シマネ君。尻尾が…、今にもオモチャに飛びかからんとする猫のようになっとるんだが…」

うそぉっ!?

弾かれたように振り向くと、ビックリして太くなった尻尾は、ご指摘通りピンと立ってた…。

「…飛びかかられたらかなわんなぁ…」

「と、飛びかかったりはさすがに…」

ぼくはモゴモゴと口を動かす。

「飛びかからないから…、さ、触っても…、良いですか…?」

…うぁ何言っちゃってるのぼく!?動転してる!?っていうか間違った積極性を発揮しちゃってる!?

「触っても良いか、と来たか…」

トラ課長は呻くように言うと、少し考え込むような素振りを見せ、やがて…、

「よしきた」

と頷いた。…「よしきた」!?

「一種の慣らしになるかもしれんし、「どんと来い」だ」

ニカッと笑うトラ課長は…、どうやら本気のようだった。本気で、ぼくに好きなようにしろって…。

「…い、良いんですか?」

願ってもなかった許可に動揺しつつも、生唾を飲み込んだぼくが訊ねると、トラ課長はたっぷりした顎を引いて頷き、「ど

んと来い」と繰り返した。

ぼくは恐る恐る、ゆっくりと、トラ課長のソレに向かって手を伸ばす。そろそろと、まるでカタツムリが這うようなスピー

ドで…。

「シマネ君」

「はっ!はははははははいぃっ!?」

極度の緊張下にあり、他のモノが目に入らない程集中していたぼくは、トラ課長の声で弾かれたように手を引っ込めた。見

れば、ちょっと困ったように顔を顰めながら耳を倒してるトラ課長は、頬をポリポリと掻いてる。

「いや…。そうまでゆっくり手を伸ばされるとだな…、構えとるこっちがちょっと…。焦らされとるようで結構キツいぞ?」

「え?あ…、は、はい…」

つ、つつつまり…、触るならさっさと触れって事ですか課長…?

ぼくは静かに深呼吸してから、意を決して手を伸ばした。触れたのは太い太いシャフトの方。軽く触れ、怒張して硬くなっ

たそれの熱を指先に感じると同時に、トラ課長はほんの少し身じろぎした。

…太い…。硬い…。そして熱い…。

ぼくは驚きをもってその感触を噛み締めながら、じっとトラ課長のソコを見つめる。太いソレを軽く握ってみたら、トクン、

トクンと脈打ってた。

…上の方は…どんな…?

ぼくは筒にした手をそのままそっと上にずらし、丸い鈴口の感触を手の平で探る。丸くて太いそこに触れた途端、トラ課長

は喉の奥で小さく唸った。

顔を上げて見たら、トラ課長は口を真一文字に引き結んで、視線を少し上げ、天井の隅っこを見てた。まるで、恥ずかしく

て視線のやり場に困ってるように…。

その表情をもっと見てみたい誘惑に駆られたけど、ぼくは視線を避けてるトラ課長の顔から目を離し、立派な逸物を再び凝

視する。亀頭、肉棒、温度に硬さ、そして鼓動…。勃起してる他人のソレを触るのは、当然初めての事だった。

これまでも、ぼかしの入った本で不鮮明な輪郭を見てあれこれと想像してはいたけど、実際に触ってみたこの感触や温度は、

想像してた物とは全く違ってた。…こんなに熱いだなんて…、思ってもみなかった…。

何よりもその太さ…ボリュームは圧巻だ。修学旅行なんかでお風呂の時に友達のをちらっと見た事はあったけど、当然それ

は通常形態で、おまけに殆どが不完全形態…つまりぼく同様の被ってるモノたちだった。さらに言えば、身近な例であるぼく

のお父さんや兄弟のもトラ課長のモノとは比べようもない。課長のは、例えるなら…、節分の時に食べる太巻き…。あんな感

じ?根本から先っぽまで余さずズンッと太いせいで、とんでもなく大きく感じられる。

軽く握ったまま、呆然とそんな事を考えていたら、「シマネ君…」と、トラ課長の声が頭に落ちてきた。

「はいっ!?」

弾かれたように顔を上げると、恥ずかしそうに眼を細めて耳を倒したトラ課長の、ニカッと歯を覗かせる笑みが目に飛び込

んできた。

「もうそろそろ…、良いか?」

「え?あ、はははははいぃっ!失礼しましたっ!」

慌てて逸物から手を引っ込めたぼくは、温もりを惜しむように自分の手を胸元で握る。

…今の感触と体温…、絶対忘れないっ!

トラ課長の方は、少し脚を閉じて丸いお腹越しに股間を見下ろし、「危ない危ない………ただでさえ……早……」とか何と

かゴニョゴニョ呟いていたけれど、あんまりにも小さな声だったから、ぼくには殆ど聞こえなかった。

「大丈夫か?気分が悪くなったりとかは…ないかね?」

やがてトラ課長は気を取り直したように口調を改め、ぼくの顔を覗き込むようにしながら、さっきと似たような事を訊ねて

来た。実物に触ってショックとか受けたり、抵抗感が強まったり、具合が悪くなったりしてないかって。

ぼくは少し考えてから、「全然平気です」と応じた。緊張と興奮で喉が渇いてるし、胸もバクバク言ってるし、顔もカッカ

と火照っているけど、気分は全く悪くない。興奮気味なだけ。

「そうか、全然平気か」

ぼくの言い回しは可笑しかったんだろうか?トラ課長は面白がっているように耳をピクピクっと動かし、「全然平気なぁ…」

と、わざわざ繰り返した。

そして、ニンマリしっぱなしの笑みをさらに深めて、糸のように目を細めながら口を開く。

「それじゃあ、今度は俺の番だな」

すぐには意味が判らず、「はい?」と首を傾げたぼくに、トラ課長はさらに笑みを深くする。細くなった目は、もうどう見

ても開いているように見えない。

「シマネ君のにも触らせて貰わんと」

…………。

……………。

っ!?!?!?

僅かな間を開けて意味を理解し、弾かれたようにずりずりずりっと後退したぼくを、トラ課長はニマニマと笑いながら見つ

める。

「一方的に触りっぱなしは、ちょっとずるいだろう?」

のそ~っと腰を浮かせたトラ課長は、じりっと間合いを詰めて来た。

「ちょっ、ちょちょちょちょっと待って下さいっ!ぼくのはそうほらあれですあれ課長のほど立派じゃないっていうか触るほ

どの価値もないっていうか恥ずかしいっていうか心の準備がまだっていうかっ!」

あせあせして言い訳しつつ後退したぼくは、すぐに背中をドンっと戸にぶつけ、待避の限界ポイントに到達してしまう。

「そう恥ずかしがんでも良いぞぉ?俺も恥ずかしかったから」

ニンマリ笑顔を崩さないトラ課長は、良く判らない理屈を言いながら膝立ちでじりじりとにじり寄って来る。背中側では立

ち上がった縞々尻尾がユラユラ揺れてる。あ、これ今にも獲物に飛びかからんとする虎の尻尾だ。

肩の高さで左右に広げられた両腕と、わきわき動いてる両手が、逃がしはしない、と如実に物語ってた。

さっきまでトラ課長の逸物を触らせて貰ってた手で、圧倒的な差がある自分の愚息をしっかり押さえて隠したぼくは、思い

止まって貰うために必死になって言葉を並べる。

「さ、ささ触ったらガッカリしちゃいますよっ!?課長のと比較にならないくらいちっちゃくてショボくて被っててみっとも

ないんですからぼくのちんちんっ!」

自虐的な事を口走りつつも、しかし今のぼくには自分の言葉にヘコむ余裕すら無い。先の興奮は完全に去り、ぼくのソコは

もう恐れのあまりすっかり萎えて縮こまってる。こんな子供ちんちんモードを見られたら…間違いなく幻滅されちゃうぅっ!

浴室の隅に追い詰められたぼくの前で、トラ課長は擦ってきた膝を止めると、「がっかりなんてするもんかね」と、笑みを

苦笑いに変えて言う。そして少し照れ臭そうに、鼻の頭を太い指でコリッと掻いた。

「…シマネ君は…、そのぉ…、ソコまでモロに…俺の好みだ…」

顔が、カーッと熱くなった。

アソコを触られてた時以上に恥ずかしそうに言ったトラ課長から、ぼくは目を逸らす。

「…上司命令なら…、従います…」

精一杯の照れ隠しに放った冗談に、トラ課長は首を横に振る。

「命令なんかはせんとも。仕事上は部下と上司でも、恋人としての交際は対等な物だ。対等だから…、触り逃げは許さんぞシ

マネ君?」

そう言ったトラ課長は、思い直したように真顔になって付け加えた。

「あ。だがもしも、そういう「主導権握られプレイ」などが好みだと言うなら考えんでもないが…」

「いえ、それはとりあえずまだで良いです…」

…そういう上級テクニックは慣れて来て余裕が出てからで良いです…。

トラ課長の恥ずかしそうな「モロ好み」発言で、恥ずかしさがいくらかでも和らいだらしく、ぼくは「仕方がないなぁ」っ

て気持ちになってきた。

対等な交際…。それなら、触った以上は触られても仕方ないよね?

観念したぼくは、トラ課長に促されて浴槽の縁に腰掛け、おずおずと両脚を開いた。その前に屈み込んだ課長が「ほぉ~…」

と感心してるような声を漏らす。

…さっき、立場が逆だった時は想像もしなかったけど…、これ相当ハズカシーっ!視線を天井の方に逃がしてたトラ課長の

気持ちが良く判るっ!

顔を完全に上へ向け、水滴がついた天井を漂う湯煙の向こうに見透かしながら、ぼくは口を引き結んで鼻で荒い息をする。

覚悟を決めて待ったその瞬間は、唐突にやって来た。

「あっ!」

鼻にかかった声を漏らしたぼくは、ソコに触れてきた微細な感触に体を震わせる。

弾かれたように顔を下げて確認すると、トラ課長の太い人差し指と親指が、しわしわの皮に覆われたぼくのソレを軽くつま

んでた。
すっかり萎えてタマタマまで縮んでしまってるぼくの愚息に顔を寄せたトラ課長が、恥ずかしい事にまじまじと見つ

めて来る…。

息がかかって…、こそばゆくて…、恥ずかしい…!

「か、課長?も、もう良いでしょう?」

早くも耐えられなくなったぼくが訴えると、トラ課長は「いやいや、これからだ」と応じる。そして、皮に覆われた亀頭を

摘んでる指で挟み、擦り合わせるようにしてクニクニと揉み始めた!

「ちょ、ちょまっ!?かちょっ…ひぎゃっ!」

反射的に脚を閉じて体を丸めたぼくは、股間を覗き込んでいたトラ課長の頭にガツンと顎をぶつけ、仰け反った。

「あっつ!あ、シマ…」

痛みを訴えたトラ課長の声が、ぼくの名を呼ぶ途中で途切れた。

湯船の縁という不安定な位置に腰掛けてたぼくは、仰け反った拍子でお尻を縁の内側に滑らせ…、どっぽぉん!と、湯船に

落ち込んでしまった。

「にゃばーっ!にゃぼぼっ!げぼがぼぼっ!」

後ろ向きに浴槽に落ちたぼくは、膝裏が湯船のへりにひっかかったせいで、咄嗟には体勢を立て直せず無様に沈んだ。鼻に

お湯が入って激しく噎せ返り、もがいて伸ばしたぼくの腕を、がしっとしっかり掴んだ大きな手が軽々と引っ張り上げる。

「大丈夫かねシマネ君!?」

両手を掴んで吊すように持ち上げ、湯船からサルベージしてくれたトラ課長は、噎せ返るぼくを軽く抱き締め、背中を軽く

叩いてさすってくれた。課長の肩に顎を乗せる形で咳き込んでたぼくは、息が落ち着いてからやっとソレに気付く。

脚を開いて正座する恰好になったトラ課長は、左足にぼくを乗せて抱いてる。跨らせるようにして。太い脚に跨っているぼ

くのソコは、課長の脚の付け根に密着してて…。

気付いてしまって静かになったぼくの背中を、トラ課長はポンポンと軽く叩く。

「いやいやビックリした…。済まんなぁ、大丈夫かね?もう落ち着い…」

トラ課長の言葉は、途中で途切れた。

…気付かれたんだ…。ぼくのが、勃ってる事に…。

抱かれて密着したぼくは、体に腕を回してキュッと抱き締めてくれたトラ課長の柔らかい体の感触で…、その…興奮して…。

小さいくせに一丁前に硬くなったぼくのソレは、課長のお腹…中央よりやや横側で、柔らかい贅肉をぐぐっと押してる…。

「か、課長…、ごご…ごめんなさい…!」

何と言って良いか判らず、とりあえず謝って離れようとしたぼくの体を、トラ課長はさらにしっかりと、腕に力を込めて締

め付ける。

柔らかい贅肉の感触が…、呼吸が感じられる揺れが…、体温が…、ぼくをさらに興奮させる…。

ムワッとトラ課長の体臭が鼻を突いた。…さっきシャワーで流したばっかりなのに、今の騒動のせい?もう汗をかいちゃっ

たんだ…。
それとも…、興奮…してくれたのかな…?

タプタプの体の感触と匂いでノックアウト寸前のぼくの側頭部に、トラ課長がそっと頬を擦りつけて来た。そして少し身を

離すと、ぼくの首に鼻先を埋める。

ぴちゃ…ぴちゃっ…と、湿った音がして、首元をくすぐる感触がぼくを総毛立たせた。トラ課長はぼくの細い首を、しばら

くの間音を立てて舐め、そして…。

「ひゃっ!」

首筋にカプッと、大きく開けた口を被せられたぼくは、体を硬くした弾みに肺から空気を絞り出し、高い音を伴う息を漏ら

した。顔を寝せ、ぼくの首に横からかぶりついたトラ課長は、あむあむと顎を動かして、ぼくの首についた薄い筋肉を揉むよ

うに噛む。

甘噛み…。言葉は知っていたけど、たぶんこの動作こそがそれなんだろう。痛くはない。歯が軽く当たって首筋に浅く食い

込む圧迫感は、例えようもなく心地良い。

鼻から漏れるトラ課長の吐息がうなじを撫でる感触は、こそばゆくて、ゾクゾクした快感を伴う。

トラ課長の口から溢れた唾液が、被毛にじっとりと染み込んで来た。首を丹念に甘噛みし、舌で舐め、かぶりつくトラ課長

の口から零れるヨダレは大量で、ぼくの首を濡らして、鎖骨の脇を通って胸の真ん中へと伝い落ちる…。

不快感も無い。滴るほどに大量のヨダレで首から胸元を汚されながら…、ついでに言えば、それだけの有様になるほど長時

間、されるがままに身を委ねながら…、ぼくは頭のてっぺんから尻尾の先まで走る、ゾクゾクした快感に酔いしれた…。

こそばゆい…。被毛と皮膚と肉越しに太い牙の先が、首から肩に移動しながらぼくの中身をまさぐる…。牙の食い込みは浅

くて、鎖骨を優しく愛撫される感触が気持ち良い…。

課長はやっぱり大型肉食獣。捕食されてるような格好なのに、ぼくは快感に溺れながらトラ課長に身を任せる…。

湿った音を立てながら、そのまま食べらちゃいそうなほど入念にぼくを味わったトラ課長は、首から口を離してぼくの耳に

囁きかけた。

「…嫌になったら我慢せんで言ってくれ。今夜に限らず焦る事はない。いつ中断したって構わんからね」

小さく顎を引いて頷いたぼくに、トラ課長は押し殺した笑い混じりの声で続けた。

「可愛いなぁ、シマネ君は…」

トラ課長が酔っぱらった時、飲み会の席でも時々口にしてたそのセリフは、今は何だか、響きからこもった感情まで、全部

が全部まるっきり違ってるようにも感じられた…。

トラ課長は手を口元に持っていくと、音を立ててしゃぶって指にヨダレを絡ませた。

恥ずかしいのは相変わらずだけど、トラ課長の愛撫で体を火照らせ、くたっと力が抜けてしまったぼくは、大きくて分厚い

手が股間にもぞっと入り込んでも、抵抗しないで身を任せる。

唾液でべっとりと濡れたトラ課長の指は、湯だけでなく先走りでも濡れているぼくのソコを、軽く握った。課長の体臭がむ

わっと香る。それを吸い込みながら興奮してるぼくのちんちんは、当然ながら硬度を維持してる。そのカチカチに硬くなった

…とは言っても仮性包茎の余った皮が亀頭に半分かかってるぼくの愚息を、筒を作った大きな手が包み込んだ。

そしてその手が、ゆっくりと上下に動き始める。

反射的に逃げそうになったぼくの腰は、しかし後ろに回って尻尾の付け根を軽く摘んだトラ課長の手に阻まれた。

余裕なんてある訳がない。こんな所を誰かに弄られるのは、当然これが初めて。ぼくはトラ課長の肩に置いた手に力を込め

て、必死になってしがみつく。

ブルブルと震えながら、漏れそうになる声を必死に押し殺して我慢するぼくの指は、脂肪がついて分厚い虎の肩に、浅く食

い込んだ。

「か…、課長…!」

鼻を鳴らすような情けない声を発したぼくは、少し息が上がってるトラ課長の「ん?」と聞き返す声に被せ、泣きそうにな

りながら訴えた。

「も、もう…!ひっ…!漏れちゃい…そう…!」

「盛大に…漏らして貰って…構わんぞ…!」

手を休めずに言ったトラ課長は、再びぼくの首にかぷっと口を当てた。

軽く当てられた歯が…、ほじくるように動く舌が…、染み込む唾液が…、下の刺激だけで参ってるぼくをさらに追い詰めた。

「か…、課長…!かちょぉ…!す…すきっ…!好きです…!課長が…!好きっ…!」

「…っぷはっ!がははっ!俺もな…、負けないぐらいシマネ君が好きだぞぉ…!」

首から口を離したトラ課長は、物凄く嬉しい事を、ちょっと照れ臭そうな口調で耳元に送り込んで来た。

…課長…!

口を開けば喘ぎ声が漏れちゃいそうで、歯を食い縛ったまま感激を噛み締めたぼくに、顔を少し離したトラ課長が間近で笑

いかけてくれた。

「ちゅー…、良いかな…?」

何処か少年のようにも感じられる、ちょっとはにかんだ笑みを浮かべたトラ課長は、ちんちんの刺激に耐えるのが精一杯で

返事もできないぼくの鼻に、チョンと、自分の鼻先をぶつけて来た。

その直後に口先が軽く触れ、チュッと軽く吸われる音を立てた。

…ちゅー…。しちゃった…。課長と…。

夢がまた一つ実現して、喜びと感動を噛み締めたぼくの股間は、勢いが乗って来たトラ課長の手で刺激され続けてる。

ぼくのソコを刺激する動きで、トラ課長の弛んだ体が揺れて、震えて、抱き合ってるぼくにも伝わって来る。

柔らかい…。温かい…。課長の匂い…。

「ひ…、ひんっ…!」

鼻を鳴らして硬く目を閉じたぼくは、もうそこまで来てる限界に備えて、音を立てて歯を食い縛った。

それからほとんど間を置かず、ジンジン来る快感が下腹部に響いて、チンチンの付け根、お尻の穴の手前、腰から背中と、

一瞬で伝わる。

「ひにゅっ!」

イくと同時に歯を噛み締めたぼくの口から漏れたのは、びっくりした仔猫でも出さないような、情けない声だった。

射精してる感覚は、激しく擦られてちょっと痺れたちんちんでも分かった。

「んっ…!んんんんん~…!」

唇を噛んで声を堪えるぼくのちんちんが、ビュクッ、ビュクッと射精を繰り返す。

トラ課長の手はその間にもピストン運動を続け…、いや、少し強く締めるような動きに変えながら、刺激を続けてる。

トラ課長の手の中で果てたぼくは、最後の一滴まで絞り出すようにキュウッと強めに握って締め括った課長に、ぐったりし

てもたれかかる。顎を預けた分厚い肩が、含み笑いと一緒に揺れた。

「がっはっはっ!やっぱり若いんだなぁシマネ君は。こんなに敏感で、しかもこんなにタップリ出してくれるなんて…」

乱れた息をふぅふぅと吐きながら、脳の芯がトロンと麻痺して返事もできない有様のぼくは、ぼんやりと考えた。

あれ…?ぼく、射精した…?したよね…?それって…。

精液の独特の臭気が鼻を突いて、急にその事に思い至り、慌てて身を離そうとしたせいでトラ課長の太腿から落ちかけたぼ

くを、「おっと!」と声を上げた大きな虎の手が支えた。

「か、かちょっ!?課長ぉっ!?ご、ごごごごご免なさいっ!」

思った通りだった…。っていうか、あの体勢だったらこうなるのは当然だ…。

トラ課長の曲げた脚に跨ってイったぼくは、どこを目がけて射精したか?当然、着弾点は向きあってた課長のお腹や胸だ…。

白っぽい柔らかな胸やお腹の毛は、色のせいであまり目立たないけど、異臭を放つぼくの精液で汚れてる…!

「ご、ごごごご免なさいっ!ご免なさいっ!ご免なさい課長っ!」

慌てて何度も何度も謝り、罪悪感と恥ずかしさで泣きたい気分になりながら、汚れたポヨポヨのお腹を手で擦るぼくに、

「いや…、そう謝られると悪い事をした気分になるんだがね…」

トラ課長は困ってるように耳を倒し、困ってるような声でそう言って、困ってるようにぼくを見下ろした。

 

十数分後。シャワーを終えたぼくと、シャワーを浴び直したトラ課長は、課長が一人で入っただけでいっぱいになってしま

うお風呂に、ギュウギュウ詰めになって一緒に浸かった。

…と言っても、普通の体勢で浸かるトラ課長の上に、ぼくが抱っこされる恰好で乗っかってるんだけれど…。

…お尻に…、時々固いモノが当たる…。

子供みたいでちょっと恥ずかしいなと思っているぼくの耳元に、トラ課長が「どうだった?」と囁きかけた。

「…あ…、あの…。凄く…、良かったです…」

心地良い脱力感と気怠さ…。余韻を噛み締めるぼくは、もうどうなっても良いやって気分になりながら、か細い声で応じる。

一回抜かれたせいか、背中にポヨポヨムッチリの感触が当たってても、さっきみたいに胸がバックンバックン言わないで済

んでる。もっとも、この状態もいつまで保つか判らないけど…。

トラ課長の上に寝るような恰好で、ちょっと仰向け気味になってるぼくは、視線をそっと股間に向けた。

ぼくのちんちんは再び硬くなって、早くも勃起してる。…やっぱりぼく、物凄くエッチなのかも…。

「シマネ君」

「は、はい?」

トラ課長が声を発した震えが、密着している背中に感じられて、ちょっと妙な感触を味わいながらぼくは身じろぎした。

「やっぱり若いなぁ。もう復活か?」

面白がっているようなトラ課長の声は、ぼくの脳みそをガツンと揺らした。

「み、みみみ見ないで下さいっ!」

慌てて体を丸めて股間を隠したぼくの後ろで、トラ課長がお腹を震わせて「がははははは!」と、豪快に笑った。

「じゃあもう一度イってみよう」

「いや!今度は課長の番っ…!」

思いついたぼくが矛先逸らし&自らの欲求に忠実な提案をすると、トラ課長のお腹の揺れが止まった。

急にピタリと笑いやんだトラ課長は、ちょっと間を置いてから、

「いやいや、そう照れんでもう一度弄らせてくれ」

と言い出した。

「いやいやいや!照れるとかじゃなくてっ!」

「いやいやいやいや、そう遠慮しないでもう一度。いや一度といわずに二度三度などと言ってみる俺だ」

「いやいやいやいやいや!増えてるじゃないですかっ!」

何この頑なさっ!?トラ課長の声はいつも通りだけど…、どことなく一生懸命!?

「イヤかね?」

「…イヤじゃあ…ないですけれど…」

ぼそぼそと答えるなり、すかさず後ろから両肩にかけられた大きな手が、ぼくの体を強引に回した。

その途端、ぼくのお尻の割れ目に、硬くてぶっとい何かが触れる。

…課長だってギンギンじゃないですか…!

お腹の上でぐるんと180度回って、トラ課長と向きあう恰好になったぼくは、必死になって訴えた。

「この国には、「お互い様」というとても素敵な言葉があるそうです!」

「一体誰だそんな小賢しいセリフをほざいた無責任さんは!」

「か、かかか課長もほら!す、スッキリしたくありませんか!?」

トラ課長は一瞬顔を引き攣らせた。ように見えた。

「私は…、後でスッキリするから良い。それよりも…」

気を取り直したようにニンマリと笑った大きな虎は、ちょっと恥ずかしそうに耳を倒し、頷くように顎を引いて、ちょっと

上目遣いにぼくを見た。

「まずは、もう一回ちゅー…良いかね?」

頷く以外の選択肢がぼくに無かった事は、言うまでもない。

…ず、ずるいです課長…!そんな顔で、そんな事言われたら、何言われても断われないじゃないですか…。もう…!



「ふぅむ…。シマネ君の毛は、ドライヤー直後はこんなにフワフワになるのか…」

トラ課長はぼくの背中をブラッシングしてくれながら、感心した様子で言った。「がっはっはっ!抱き心地が良さそうだ!」

と。はぁ~…、小さい時はお父さんとお母さんに梳いて貰ってたけど、あの頃は退屈で嫌々ブラッシングされてたっけ…。ひ

とにブラッシングして貰うのがこんなに気持ち良いなんて…。幸せ…。

お風呂上りの課長はトランクスだけの格好。裸もだけどパンツ一枚だけの格好もまたグッとくるから困る…。

「今夜はそうだな…。布団は二組敷いとったが、こんなにフワフワなら抱き枕になって貰おうか?」

「はい!どんと来いです!」

ここぞとばかりに挙手して答えるぼく。

「今夜は頼もしい返事が多いな…。要求は全部呑まんで良いんだがね?シマネ君寛容過ぎんかね?」

寛容なんじゃなくて、課長の提案がぼくには願ったり叶ったりなだけなんですけど…。

「あとですね、ぼくも課長ブラッシングします」

「うん?それは有り難いが…、疲れると思うがね。何せ体面積が…こうだ」

トラ課長は言いながら、ぼくに後ろから抱きついてくれた。ほどほどに体重をかけられて、ムニッと柔らかくてずっしり重

い感触…。包み込まれる感じと適度な圧迫感が心地良くて、何だかホッとしちゃう。

「この国には、「お互い様」というとても素敵な言葉があるそうでして…」

「今更だが汎用性妙に高くないかねそれ?…などと訝る私だ」

「ぼくもしてあげたいなぁって思うんですけど…」

「しかしフェアじゃないだろう?具体的には体表面積差による労力が」

「アンフェアかもです。それだけいっぱい課長を気持ち良くさせられるんですから、ぼく側にメリットですよね?」

「う~ん。ちょくちょく思っとったが、シマネ君は物事の捉え方が柔軟でポジティブ過ぎんかね」

「ポジティブですか」

「ポジポジしとるね」

「してますか」

「だいぶかなり相当ポジッとるね」

「そんなに」

「いや良い事なんだがね。なら、お言葉に甘えて、疲れたら止めという事で一つ頼もうか!」

「はい!」

腕を解いたトラ課長からブラシを借りる。課長が使ってるの、ぼくのよりだいぶ大きいし、品質もかなり良いっぽいなぁ。

本体は木製だし、ブラシの毛の弾力からもうだいぶ違う。

…たぶんこれ高いヤツ。課長の持ち物はオシャレな物とかブランド物が多いけど、きっとこれもそう。…あ、この焼印みた

いなのツヅミヤマークだ!やっぱりブランド品!

「それじゃあ」と180度向きを変えたトラ課長の背中に、ブラシを当てる。

「う~む…。40年生きてきたが、お袋と弟以外にブラッシングして貰うのは初体験だな」

そう言うトラ課長の太い尻尾は、機嫌よく床の上でうねってる。…って、弟?課長にも兄弟が居るんだ?

でも、ぼくは課長に家族の事を訊かなかった。それよりも気になる事があって…。

課長はバツイチ。でも、昔の奥さんとはこういう事もしなかった…?

もしかして離婚の原因は、女のひと相手には「そういう事ができない」から…?克服したって課長は言ったけど、昔は苦手

意識があった訳で…。

でも、だったらどうして結婚したんだろう?

不思議だし気になったけど、課長の太い首から広い背中を梳きながら、今はいいやって思った。

焦らなくていい。トラ課長もそう言う。きっとゆっくり知っていけばいいんだ。

…で、まず今のぼくが知りたいのは…。

「痒いところないですか?」

「そこからやや左、肩甲骨の下端辺りが…」

分厚いお肉越しには判らない、トラ課長の肩甲骨の下端がどこなのかって事…。