弱肉強食

ナルが窓際で手を振ってた。

口元がうっすらと弧を描く、あるかなしかの微笑を浮かべて。

コンビニから帰って来たオレは、寮二階のその窓を見上げながら、嫌な予感に首の毛を逆立てる。

オレの嫌な予感は結構当たる。ただでさえ当たるけど、事、ナルに関しては特に良く当たる…。

視線を下げて少し憂鬱な気分で寮の玄関を潜ったオレは、剛毛に覆われた首後ろをガリガリ掻いた。

…また、何か悪だくみに付き合わされちゃうのかなぁオレ…。


ドアを潜って自室に入ったオレを、窓際に寄せた椅子に座ってるナルが見つめた。

「おかえり」

ナルはそれまで読んでいたんだろうハードカバーの分厚い本に、いつも使ってる若草色のしおりを挟んで、パタンと音を立

てて閉じる。

「…た、ただいまぁ〜…」

警戒しながら返事をしつつ、オレはナルの様子を覗った。

オレが買い物に行っている間に帰って来てたらしいけど、出たばかりで入れ違いになったのか、それほど長く不在にしてた

訳でも無いのに、ナルはもう私服に着替えてた。…いかにもオレを待ってた風情…。

モスグリーンのセーターの上に黄色い薄手のベストを引っ掛けていて、クリーム色の綿パンを穿いてる。

…このまま何処かに出かけそうな格好…?

ピンと立った耳も、クリッとした目も、真っ直ぐにオレに向けられてる。

ムッチリしたお尻から生える黒い縞入りの太い尻尾は、椅子の格子状の背もたれの隙間から垂れて、ゆっくりゆらゆら揺れ

てた。

口元は微かに笑ってて、ちょっと機嫌が良さそう。

…こういう時のナルは、間違いなく何かろくでもない事を考えてるんだけどね…。

ナルはレッサーパンダだ。

口周りは白。クリッとした目の下には涙の跡のような黒いライン。

体の大部分は赤みが鮮やかな栗色で、ポヨンと太くて短い手足は、まるで長手袋と膝上まで達するようなハイソックスをつ

けたように、黒い毛に覆われてる。

背は低くて、ずんぐりむっちりな小太り体型。

プックリほっぺに太い首。どこもかしこも丸みを帯びてて、胸はプニンと垂れてて、お腹はポコンとせり出してて、お尻は

ムッチリしてる。

さほど大食いでもないし、あまり間食もしないのに昔からこの体型なのは、そういう体質だからなんだろう。

けど、その縫いぐるみのような愛くるしい外見とは裏腹に、ナルはとてもコワい。

学年一の秀才で、絵に描いたように品行方正な生徒会書記、磐梯鳴(ばんだいなる)…。

その本当の姿を知る生徒は、ルームメイトのオレ以外には殆ど居ない…。

「ねぇタイキ」

ナルは女の子のようにキーの高い澄んだ声で、突っ立ったままのオレに語りかけた。

愛らしく煌めく黒い瞳が、ごっつい猪の困り顔を映す。

「もしもだけれど、キミが世話をしている西瓜が、収穫間際になって誰かに持ち去られてしまったら、どう思う?」

時々ナルは、こうして唐突に奇妙な質問を投げかけて来る。

いつもそうだけど、今回もやっぱり質問の意図が解らない…。

「え、えぇとぉ…。困るし…悲しい…かなぁ…?」

オレがおずおずと答えると、ナルは我が意を得たとばかりに、口の端をキュウッと吊り上げた。

「そう…。困るよね。悲しいよね」

小さく顎を引いて頷いたナルは、さらに続けて質問してきた。

「それを誰かが見咎めて、盗難を防いでくれたとしたら、どう思う?」

「ん…と…。それはもちろん嬉しいかなぁ。西瓜あげても良いよ」

「そう…。嬉しいはずだね。お礼をしたくなるほど」

ナルは椅子から立ち上がると、ゆっくりとオレに歩み寄った。

「それじゃあ、意見が一致をみた所で出かけようか」

目の前に立った背の低いナルは、オレの顔を見上げて、笑う。

…そう。笑ったんだ。…悪魔の笑みで…。

「え?え?で、出かけるって、何処に?」

確かに質問に対する意見は一致したかもしれないけれど、それ以前にオレは今の質問の意図も、状況すらも解ってない。

「ショッピングモール。さ、手早く着替えてね」

いつも通り、深く説明するつもりはないみたいで、ナルはすっと手を上げて壁の一方を指さした。

オレはナルの指が示す先へ視線を動かして、壁に埋め込まれているクローゼットを見つめる。

…確定した…。今日も巻き込まれちゃう事が…。

「ボクは先に玄関で待っているから、急いでね」

ナルはそう言ってオレの脇をスタスタと歩き抜けると、スニーカーをつっかけて部屋から出て行った。

独りで部屋に残されたオレは、買って来たコーラを冷蔵庫に入れてため息をつく。

そして、寮の全部屋に共通して備え付けられてる、大きな二つのクローゼット…その内オレが使ってる方を開ける。

様々な私服に混じって、オーダープリントの真っ赤なティーシャツが何着も吊されてるのが目立つ。

薄手のパーカーを脱いで、これまで着てた無地の白いシャツから、その真っ赤なティーシャツに着替えて、さっき脱いだば

かりの学ランに袖を通し、学校での格好に戻る。

大きな扉の内側についた全身を映す鏡を眺め遣って、オレはまたため息をついた。

同時に鏡の中でため息をついたのは、身長185センチ、体重150キロの、厳つい顔をした黒褐色の猪。

上にやや皮下脂肪が乗ってるけど、その下には筋肉が詰め込まれた、ガッチリ大柄な体躯。

肩から背にかけて丸く盛り上がり、胸は分厚く腰も太い寸胴体型。

二の腕も太腿もとにかく太く、際立って太い首は頭と一繋がりになっているように見えるほどの、文字通りの猪首。

猪の特徴でもある大きな牙が下顎から上に向かって反り返り、目つきは悪くて眉間には深い皺が刻まれてる。

見た目だけはいかにも強そうなこの大猪、名前を井上大希(いのうえたいき)って言う。

…つまりオレ…。



「どろぼーっ!」

突然ナルの声が響いて、オレはビクッと身を竦ませた。

いや、オレはドロボーなんてしてないよ!?ただ声にビックリしただけだからね!?

…一応打ち合わせはしてたんだけど、いきなりだったからほら、その…。

ナルの声からほとんど間をおかず、店の裏口から勢い良く飛び出して来たのは、トートバッグを抱えた犬獣人。

彼は他に人が居ない、細い裏通りで待ち構えていたオレに気付くと、慌てて急停止して目を大きくする。

ナルに指示された通り、オレはCDショップ裏口の真正面に、腕組みして立っていた。…なるべく恐い顔をして。

トートバッグを抱えた犬獣人は、私服だからはっきりしないけど、中学校高学年か、高校に上がったばかりの子だろう。た

ぶんオレより二つか三つは歳下だ。

怯えた様子でオレを見る犬獣人の目には、身に付けた赤いティーシャツにプリントされた、縦に四文字並ぶ黒い毛筆書体が

映り込んでる。

…つまり、「弱肉強食」のこっぱずかしい四文字が…。

「あ…、あ…!いの…うえ…!?」

どうやらこの少年はオレの事を知ってたらしい。

…っていうか今の状況だと、知ってて貰わないとオレがとても困るんだけど…。

オレは少年に向かって口を開く。出来る限り低い、ドスの利いた声音を作って。

「そいつを置いて行け…」

少年は短い間困惑してたけど、足下にそろそろとトートバッグを置いて、上目遣いにオレを見た。

オレは少年に顎をしゃくって「行け」と、言葉少なく促す。

少年は怯えきった目でオレを見ながら、ゆっくりと数歩横に歩いて、それから身を翻し、全力疾走で逃げて行く。

少年の姿が角を曲がって見えなくなった後、オレはほっと胸をなで下ろした。

彼が飛び出して来てから居なくなるまでは、僅か数秒の出来事だったけど…、その僅か数秒で、オレの寿命は確実に何日か

縮んじゃったはず…。

心臓がバクバク言って、背中にじっとりヤな汗かいてるよ…。

深呼吸して気持ちを落ち着かせながら、オレは店の裏口に視線を向けた。

犬獣人の子が姿を消した直後、CDショップの店員さんとナルが、一緒に裏口から駆け出て来る。

「あ!イノウエ君!」

ナルがビックリしたような、そしてちょっと嬉しそうな声を上げる。

…いつもながら、この上手な芝居を演技と見破れる人は居ないだろうなぁ…。

「…それ」

なるべくぶっきらぼうな口調を心掛けて、オレはあごをしゃくって路上のトートバッグを示す。

「もしかして、取り返してくれたの!?」

見てる方が驚くほど上手な、驚いてる演技を披露したナルは、バッグを拾い上げ、口を開けて中を覗き込みながら、店員さ

んにも見せてあげた。

中には未開封…、つまり新品のCDが数枚入ってたみたい。

…あれ、昨日発売したばかりの、シェリル・ウォーカーのニューアルバムだ。オレも買ったから一目で解る。

…ふふんっ!実は確実を期して四ヶ月前から予約入れてたんだよねっ!

「良かったですねぇ。無事みたいですよ!」

「あぁ…!ありがとう、助かったよ!」

店員さんはほっとしたような顔で、オレに向かって頭を下げた。

…ちょっと嬉しくて、大いに恥ずかしい…。

とりあえず、ナルから事前に出された指示はここまでだから、オレの出番はもう終わりだね…。

本当はダッシュで逃げ出したい気分だったけれど、ここは我慢。

言い渡されてる決まり通りに、踵を返してゆっくりと歩き去る。

なるべく堂々と、いかにも落ち着いてて、強そうに見えるように…。

呼び止める店員さんの声を無視して、路地の角を曲がり、足を速める。

…今更ながら、脂汗がじわっと噴き出した…。

オレ、こんなガタイに厳つい顔をしてるけれど、ホントはすんごく気が弱いんだよぉ…。

それなのに、この辺りじゃ顔と名前を知らない人は居ない「恐い人」扱いだ。

なんでこんな事になってしまったのかと言うと…、ひとえにナルのせい…。

と、とにかく…。部屋に帰って休もう…!

すれ違う人達が、オレを遠巻きにして道を空けていく。

向けられる警戒と怯えの視線を浴びながら、オレは心の中で周りの人達に「ごめんなさい」を繰り返しつつ、帰り道を急い

だ…。



「はひぃ〜っ…!」

冷や汗をたっぷり吸った、真っ赤な弱肉強食ティーシャツを脱ぎ捨てる。

うっわ…。背中に思いっきり汗染みの楕円ができてる…。

桜が散ったばかりのこの時期、ここらはまだやっと温かくなってきた程度なのに…、我ながらどんだけ冷や汗かいてんの?

汗を吸ったティーシャツは、今夜で洗濯しよっと…。

赤い弱肉強食ティーシャツ…。これ、オレの好みで着てる訳じゃない。そもそもオレ、肉よりお芋の方が好き。

この客観的に見て痛々しいオーダープリントは、ナルが考案して量産した物なんだよね…。

こんな頭悪そうなプリントシャツ着て学校を歩くのはイヤだって言ったんだけど、ナル曰く「かえってそこが良い」との事。

いかにも頭の悪そうなこのティーシャツを来て歩けば、いかにも話が通じない程度に頭が悪そうに見えるはずだ。…とかな

んとかで…。

着替え終えて汗で湿ったティーシャツを洗濯機行きのザルに放り込み、オレはほっと息をついた。

…コワい思いはしたものの、この安全な城…、つまり寮の部屋に戻ってきたからには、ようやくリラックスできる…。

オレは冷蔵庫からコーラのペットボトルを取り出し、戸棚からポテチを引っ張り出した。

盆に乗せたコーラとポテチを床に置いて、緊張をほぐす為にテレビをつけて、DVDをセットする。

床にどすっと胡座をかいたオレは、上半身裸のまま、映し出されたDVDの映像を眺める。

これはシェリル・ウォーカーのニューアルバム、限定版にのみ同梱されたDVDだ。

あふぅ〜…、癒されるぅ〜…。

さて、落ち着いた所で自己紹介しとくね。さっきは半端になっちゃったし…。

改めまして、オレ井上大希。私立深葉学園三年生の猪。

趣味はアニメと音楽鑑賞。音楽はアニソンとハードロックがメインだけど、ポップスもいける。

高校に入ってからは、世界の歌姫シェリル・ウォーカーがマイブーム。

好物はコーラとコーヒー牛乳。それとお芋。特にジャガイモ。

ポテチからフライからジャガバターからポテトサラダまで、ジャガイモベースなら何でも大好き。

成績は中の上ってトコかな?得意なのは日本史に世界史の歴史系。たぶん好きだからだろうねコレは。

鈍いから運動はやや苦手な方。水泳とか特にダメ。苦手どころか実はカナヅチだから、オレ。

特技は、…えぇと…、ちょっと腕力があるぐらいで…、他には特に無いかな…。

後は…、目が悪いからコンタクトをしてるって事ぐらい?

中学までは眼鏡をかけてたけど、「眼鏡は顔を知的に見せるからNG」とナルに言われて、高校進学にあわせてコンタクト

にした。

もう一つ、他人様とは大きく違うところがあったりするんだけど…。

…あ、ナルが帰って来たっぽい。

「ただいま」

「あ、おかえりぃ〜」

靴を脱いでるナルに一度視線を向けてから、オレはテレビ画面に視線を戻す。

トコトコと歩いてきたナルは、オレの前に回り込んで、あぐらをかいている足に座る。

上半身裸の俺のお腹と胸に、皮下脂肪で丸みを帯びたレッサーパンダの背中がくっついて温かい…。

そしてナルはリモコンを手に取…あっ!

間奏を挟んだ歌が後半のリピートに入る直前、引きのカメラがシェリルにズームしつつあった盛り上がるトコの画像が唐突

に途切れて、テレビには午後六時のニュースが映し出された。

「ちょ、ちょっとナルぅ〜っ!今良いトコなのにぃっ!」

「DVDでしょ?いつだって見られるじゃない」

いつものようにオレの抗議をさらりと流したナルは、猪座椅子に背を預けながらチャンネルを目まぐるしく回して、各局の

ヘッドラインニュースに耳を傾け始めた。

ナルはいつも、六時に一斉に始まるニュースを、チャンネルをこまめに切り替えながら見る。

一緒に見ていて、もう何が何だか判らないくらいにパッパと回してね…。

なんでも、興味の無いニュースになる度に、別の局に切り替えて、無駄を省いて見てるって事らしい。

ナルが全国版のニュースを見終わるまでの間、オレはポテチをパリパリ食べながら黙って待つ。

もしも今邪魔すれば概ね面白くない事になるから、声はかけない。って言うよりかけられない。

…まぁ、こうしてるのも決して嫌いじゃないんだけどね…。

あぐらをかいてるオレの足には、ナルのムッチリした柔らかいお尻が密着してて、これがかなり良い具合。

ちょっと重いけど、その位は全く問題にならない好感触。

脇から手を回して、やわっこい胸をモミモミして、手触りの良いポッコリお腹をタプタプ揺すりたい衝動に駆られるけど、

それも我慢。

もしも今邪魔すれば概ね酷い目に遭うから、手は出さない。って言うより出せない。

やがて全国ニュースが終わり、各局がスポーツニュースを流し始めると、ナルはすっと手を伸ばして、細かく砕けたポテチ

が残った袋を取り上げ、口に当ててザッと煽っ…、あぁっ!一番いいとこっ!

最も好きな締めの儀式を不意に横から掻っ攫われ、目を丸くし、口をあんぐりと開けているオレの下で、ポテチの破片を咀

嚼したムチポチャレッサーが「今日はコンソメか…」と呟いた。

「ナルぅ〜っ!一番好きなトコ奪わないで…」

すかさず抗議しかけたオレは、しかし途中で言葉を切った。

ナルが手を上げて、目の前にある物を翳して見せたから。

「…これ、さっきのCD?」

「の、限定版だね」

鼻先に上げられたシェリルのアルバムを見ながら呟いたオレに、ナルは一言そう付け加えた。

確かに、オレが予約して買ったのと同じ、今さっきまで見てた特典DVD付きの限定版だ。

「店のオーナーが喜んでいてね、タイキがシェリルのファンだって事を話したら、「お礼に差し上げます」ってボクに預けて

寄越した。間違いなくプレミアがつくから取っておこうと思っていた品らしいよ」

「…持ってるよぅ…」

「知っているよ」

困り顔で応じたオレの声に、ナルは当然のようにそう返して来た。

「あの店、少し前から裏口のセンサーが壊れていたんだよ。元々あまり程度が良くない機械だったみたいだけどね」

いつもながら唐突に始まった解説に、オレは黙って耳を傾けた。

いつだってそうだけど、ナルがオレに詳細な事情を説明してくれるのは、かなり後になってからだ。

片棒を担がされているオレは、さながら事件を解決した後の探偵から助手が解説を聞くような感じで、事が全部済んでから

ナルの説明を聞く。

「店側は故障に全く気付いていなくてね、何で万引きが続くのか解らなかったんだ。けれど、あの子は前からセンサーの故障

に気付いていて、常習的に万引きを繰り返していた」

そうだったんだ…。

もしかして、今回のナルの行動は、純粋に善意からのものだったのかも?

ナルもあそこの店には良く行ってるらしいから、きっと、何とかしてやりたいと思ったんだね。

最初は嫌だったけれど、今回は協力して良かったなぁ…。ちょっと見直しちゃった!

ニコニコしているオレの胸に寄りかかり、体重を預けながら、ナルは小さく頷いて言う。

「幸運だったよ。ボクがセンサーの故障を知ったのは、偶然だった」

「偶然だったんだぁ?」

「漫画喫茶のトイレで、彼が友達と話していたのを聞いたんだ。一ヶ月くらい前に」

ナルは淡々とそう言った。

…ん?あれ?何かおかしくない…?

「一ヶ月くらい前?」

「うん。27日前」

オレが首を傾げると、ナルは正確な日数を口にする。

「何でもっと早くに教えてあげなかったのさ?」

この当然と言える問いに、ナルは軽く肩を竦めた。

「これまで教えなかったからこそ、こうしてCDが手に入ったんだよね」

オレは出発前にナルが言っていた言葉を思い出す。

…あれって…、こういう事だったの…?

ナルは確かに、西瓜泥棒の行為を妨害して、お礼を貰った。

…ただしナルの場合は、泥棒の正体と手口を見破りながらも、お礼に貰えるはずの西瓜が、十分に熟れるのを待ってた訳な

んだけど…。

…見直して損した…。

「CD、要らないようだからボクが貰っておくよ?」

「…うん…」

「有り難う。悪いね?タイキの行為と好意を無駄にしないよう、有効な使い道を考えるよ」

…って言うかさ…、ナルの今回の目的はソレだったんでしょ…?オレが予約して買ったのは知ってたんだしさ…。

「あれ?あのさぁナル?何であの子が、発売当日の昨日じゃなく、今日万引きしようとするって気付いたの?」

「ああ。彼は昨日塾だったから。それに、人気品の発売初日は混み合うから、こっそり万引きするにはあまり向かないんだ」

ドラマの探偵が事件の種明かしをするみたいに、ナルは淀みなく話す。

「彼の犯行パターンは時間帯も含めて把握してるよ。あらかじめ調べておいたから」

「把握って事は…、学校とか家や名前も?同じCDを何枚も盗んだ理由も?」

「個人情報は今回も勿論入手済み。それと、盗み出そうとしたCDは4枚さ。今まで通りにね」

「今までもって…何で4枚なの?」

「1枚は自分の分だけれど、残りの3枚は売却用。この近場でCDを取り扱ってる買い取り可能な店の内、身分証明提示なん

かの確認がずさんな店の数と一緒」

「…1枚ずつ売ってたって事?」

「実に地道にこまめにね。これが友人にでも売りさばいていたなら、もっと枚数が増えていたかもしれない」

オレは呆れながら呟く。

「オーナーさん、本当の事を知ったらがっかりするよぉ…?きっと、オレ達が善意でCDを取り返したと思ってる…」

「少なくともタイキの場合は善意の行動だったんじゃない?」

「…いや…、善意も何も、事情すら知らないまま強引に巻き込まれたよ?」

「けれど、少なくとも悪意は無かった訳だ。キミあてのお礼だし問題ないよ」

…そのお礼、結局ナルの懐に入ったじゃないか…。っていうか本当は最初からソレを狙ってたんじゃないか…。

「でも、お礼だけの問題じゃあ…」

「あっちが善意だと思い続けている限りは、店員さん達の中のボクらは善意の人だよ。わざわざ真実を教えて幻滅させるのは

しのびないよね。これもまぁ広義には善意だ」

…それ…、フォローとしてもなんか理屈がおかしくない…?自分で言うのは…。

「そもそも、善意なんて「道の端を歩きましょう」なんてのと同じようなものさ。端に邪魔な物が落ちていれば避けて中央に

寄るし、中央に拾いたい物があっても端を離れる。無理に守る必要なんか全く無い、不文律のルールだ」

ナルはそう言うと、すっと手を伸ばして、オレの太い首元…、顎下の比較的柔らかい毛の中に手を突っ込んだ。

ドキッとして体を硬くし、胸を高鳴らせたオレの首をゆっくり撫でながら、ナルは小さく笑う。

「もっとも…、どうでも良い不文律は無視するけれど、するべきお礼を踏み倒すつもりは毛頭無いから、安心してよ」

「お…、お礼って…?」

「キミが貰うはずだったCDを譲って貰ったお礼…。とりあえず、先に少しだけしておくよ」

ナルは首を捻ってオレの顔を見る。そして、オレの首の後ろに手を当てて、クイッと引っ張った。

何をして貰えるのか解ったから、オレはドギマギしながら、ナルに促されるままに首を下ろす。

不自然な格好で重ねた唇を割って入って来たナルの舌が、オレの口の中に滑り込んだ。

即座に柔らかな舌で口の中をまさぐられて、オレは脳みそがとろけるような快感に囚われる。

…さっき自己紹介した時は言いそびれたけど、こうなったらもう言っちゃおう…。

オレの、他人様とは大きく違うところ…。

それは、「男が好き」って事。…女の子じゃなく…。

…オレ、周りには秘密にしてるけど、実はホモです…。しかもデブ専です…。

ナルにはそれがバレてる…。だから逆らえない…。

…もっとも、逆らえない理由は他にもあるんだけど…。



寮の食堂で晩ご飯を食べ終えたオレ達は、それぞれトレイを持って席を立った。

長テーブルの間を進む先で、オレ達を目にした皆が椅子を引いたり、あるいは立ち止まって道を空けてくれる。

…なんかちょっと申し訳ない…。

街中じゃあ敬遠されるし、他の学校の生徒からなんかは露骨に怯えの視線を向けられるけど、寮や学校ではそうでもない。

ある程度距離を置かれてる感じはするけど、露骨な嫌悪や拒絶の混じる視線や雰囲気はゼロ。

ナルがオレに被せたハリボテは、恐いながらも慕われる、「正義の番長」だ。

…今時「番長」ってのもどうかと思うけどさ…。

本当はオレ、乱暴な事なんて嫌いだし苦手。

喧嘩なんて見るのもするのも当然嫌。

血なんか見ようものなら貧血を起こしそうになる。

そんな、度胸も根性もまるっきり無いオレだけど…、「無敵の重戦車」っていうのが、周囲で囁かれてるあだ名…。

…無敵っていうのはある意味あってる。敵を作る度胸なんて無いもん、オレ…。

曲がった事が許せない、義に厚い孤高の一匹狼(猪だけど…)。

ナルは気が弱いオレを、外からはそう見えるように仕立て上げた。

ナルに引っ張られる形で、故郷を遠く離れたこの学校に進学してから、早二年…。

確かに強引ではあったかもだけど、今の生活にはおおよそ不満は無い。

…オレの中学時代は、番長になるどころか苛めに遭ってたんだけどね…。

ナルの厳しい指導の甲斐あって、二年も経った今では随分と演技も板について来てる。…と思う。

一つ、番長たる者、いかなる時もゆっくり歩き、非常時以外は決して走るべからず。

一つ、番長たる者、常に仏頂面で過ごし、笑みは極力見せるべからず。

一つ、番長たる者、勉強がそこそこできるなどという事は悟られるべからず。

一つ、番長たる者、体育の授業は極力サボタージュすべし。

一つ、番長たる者、行事やイベントはなるべくすっぽかすべし。(修学旅行は例外だったけど…)

一つ、番長たる者、シャツは規定の物を着用すべし。(つまりあの弱肉強食ティーシャツ…)

一つ、番長たる者、可愛い衣類は着るべからず。

ひと…、いや、切りがないからこの辺で止めよう…。

とにかく、ナルはそんな風に細かな「番長マニュアル」を作り、オレに「番長」を演じさせた。

そして、驚くほど凶悪で無慈悲で姑息で陰湿で綿密なあの手この手を使って、実際にオレを「番長」にしてしまったんだ…。

…つくづく、今時番長って呼び方もどうかと思うし、別に何かの長って訳じゃないんだけど、とにかくナルは周囲にその名

称で(それとなく密かに)触れ回ってしまったから、すっかり定着しちゃってて…。

カウンターにトレイを置いたオレとナルは、

「あ、兄貴ぃ〜!」

野太い、威勢の良い声を耳にして、首を巡らせる。

食堂の入り口に、焦げ茶色の被毛を纏う、がっちりめの和犬が立っていた。

耳がピンと立ち、目つきが悪…鋭いその顔には、今は笑みが浮いてる。

この犬獣人、名前は狛沢孝徳(こまざわたかのり)君。オレ達の一つ下の後輩だ。

背は標準並だけど、筋肉の上に良い具合に脂肪が乗った体付きをしていて、体躯そのものはナイスにボリュームがある。

頭頂部から後頭部へ、とさかのように真っ赤に染め上げた頭は、常に不機嫌そうな表情を浮かべている顔と相まってインパ

クト抜群。

タカノリ君はオレとナルの手元を見て、

「あ、もう飯食い終わっちまいました?」

と、眉尻と耳と巻き尻尾をクニャッと下げて、少し残念そうに言った。

人目がある所ではあまり喋らないようにしてるオレが黙って頷くと、代わってナルが彼に声をかける。

「悪いと思ったけれど、先に食べちゃった。珍しいね?コマザワ君が遅くなるなんて…」

「えぇまぁ…。ちょいと小生意気な一年坊がつっかかって来ましてね。んで…」

タカノリ君は両手を胸の前に持っていって、雑巾を絞るような動作をした。

…ギュってやったんだね!?ギュって!?

「やり過ぎはいけないよ?」

「判ってますよ。もちろん、バンダイさん達、生徒会の迷惑になるような真似はしませんって!」

外用の笑顔の仮面を被ってやんわりと言ったナルに、タカノリ君はニカッと笑って応じた。

タカノリ君は、ハリボテ不良のオレとは違う。中学時代からブイブイ言わせてた本物の不良だ…。

喧嘩は勿論、深夜徘徊に飲酒、喫煙、果てはカツアゲまでやっていたらしい。

今じゃオレの言いつけを守ってくれて、前二つだけに減ったけど…。

そんなタカノリ君が、どうしてオレやナルをこうして慕ってくれているかと言うと、…ナルが流したオレの評判を耳にして

の事だった…。

昨年の春。このワンコは「舎弟にして下さい!」と、赤く染めた頭を入学式前に下げに来た。

オレの生き様(正確にはナルによってでっち上げられ、ナルによって広められ、ナルによっていくらか事実にされてしまっ

た危機的状況越え等)に惚れ込んで、この学校に入学したとか言い出して…。

オレ達が過ごすこの深葉学園は、一応進学校だったりする。レベルで言うと中の上くらい?

それまで勉強をろくにして来なかったタカノリ君は、深葉に入るために必死に頑張ったらしい。

はっきり言って本物の不良さん達とつるめるような度胸は、オレには間違っても無いんだけど、慕ってくれる内にその…、

情が湧いたって言うかなんて言うか…。

ナルがフォローとサポートをしてくれるから、たまにはみ出る地の部分については、

「イノウエ君は、実は根が優しいから」

…とか何とか言ってごまかしてくれてる。

それを聞いたタカノリ君がまた、

「ぶっきらぼうで厳しい中に、時折ちらりと見せる優しさ…、くぅっ!漢ですねぇっ!」

…とか何とか言ってさらにオレを慕って来る。

…悪循環…!なんかもぉタカノリ君にはすっごく申し訳ない!

本当の事を打ち明けようかと考えた事もあったんだけど、ナルが、

「不得意な勉強を必死に頑張って、それまで反抗して来た親に頭を下げて説得して、ようやく入学したこの学校で、憧れの番

長が「実はハリボテでした」ときたら…、彼、どう思うだろうね?彼の努力は、何のための物って事になるんだろうね?もし

も彼が失望したら、誰が責任を取るんだろうね?」

なんて事を言うから、言い出せなく…。

オレが投げ出さずに番長を演じ続けられている理由は、この辺にもあるかもしれない…。

ハリボテのオレとはいえ、慕ってくれてるタカノリ君を失望させたくないから…。

あうぅっ!考えてみると状況は泥沼だっ!

「そろそろ戻らないといけないんじゃない?イノウエ君」

一人胸中で頭を抱えていると、ナルが突然口を開いて、外用の呼称でオレを呼んだ。

食堂の時計をチラッと見ると、6時ちょっと前…。

あ!セパレートのCS再放送始まっちゃう!

愉快な山賊一味が暴れ回る痛快冒険活劇アニメ(再放送)は、毎週火曜夜六時から!

ちなみに、オレは毎週欠かさず通常放映も鑑賞して、メンバー達の勇姿を目に焼きつけ、DVDにも焼き付けてる。

にもかかわらずかなり前の分の再放送を観ずにいられないのは、ナル曰く「病気」との事…。

「それじゃあね、コマザワ君」

ナルが笑顔で軽く手を上げる。こういう時のナルは、極めて可愛い普通のレッサーパンダだ。

「じゃあな…」

オレは極力無愛想に、ぼそっとタカノリ君に告げる。

「はい!お疲れ様でっす!」

タカノリ君はペコッと丁寧に頭を下げて、元気な声でオレ達を送ってくれた。

…敬愛の態度が胸に痛いよぉ…。



夕食後、アニメ鑑賞に集中しているオレの脚には、やっぱりナルが座ってる。

テレビには全く視線を向けないで本を読んでるナルは、集中しているらしく全く口を開かない。

ナルはオレを座椅子代わりにするのが気に入ってるらしく、オレが腰を据えてテレビを見てる時は、大概こうして本を読ん

でる。

まぁ、オレもこうしてナルを抱っこしてるの、嫌いじゃないんだけどさ…。

プニプニでフカフカ、ムッチリでモフモフ…。

ナルは意地悪で、頭が良くて、おっかなくて、そしてかわいい…。

…そんなクセの強い古馴染みの事を、オレは何で…。



「ねぇタイキ」

翌日の午後、オレより少し遅く学校から帰って来たナルは、アニメ鑑賞中だったオレに話しかけた。

黒い瞳が、例によって困り顔で振り向いた大猪を映す。

「音楽鑑賞中に大きな音を立てられる事を、キミはどう思う?」

ナルは靴を脱ぎもせず、入り口のたたきに立ったまま、いつものように意図が解らない質問をした。

「え、えぇっとぉ…。気が散る…かなぁ…?」

嫌な予感を覚えながら答えると、ナルはキュウッと、口の端っこを吊り上げる。

「そう。気が散る。概ね鑑賞という行為は、なるべく雑音が入らない状況で、集中して行いたいものだよね」

顎を引いて小さく頷いたナルは、

「それじゃあ、静かに音楽を鑑賞する為の場所で、意図的に大きな音を立てる…。そんな行為をどう思うかな?」

「うんと…。よくないんじゃないかなぁ…と…」

「そう。よくないよね」

ナルはすっと手を上げて、クローゼットを指さした。

「それじゃあ、意見が一致をみた所で出かけようか」

コロコロした体型の愛くるしいレッサーパンダは、今日もまた悪魔の笑みを浮かべた…。

「で、出かけるって、何処に?」

「図書館に。さ、急いで着替えてね」



図書館の正面口前に立ったオレは、ちらりと、傍らのナルの顔を見下ろした。

横から夕陽に照らされたナルは、特に表情も浮かべずに腕時計を見て、それから左右を見回した。

「そろそろだね。裏に行こう」

「ね、ねぇナルぅ…?」

歩き出しかけたナルは、控えめに呼び止めたオレを、首だけ巡らせて振り返った。

「ほ、本当に…やんなきゃダメ…?」

「ダメ。…それとも、イヤかい?」

ナルは小首を傾げて、オレの目をじっと見て来る。

もちろんイヤだ。イヤに決まってる。でもイヤだなんて言ったらどんな目に遭わされるか…!

「…やります…」

「そう来なくっちゃ」

トテトテと歩いていくナルの後ろを、オレはのそのそとついて行った。

これから何をさせられるのかは、来る途中でナルから聞いてる…。

図書館裏の公園をたまり場にしてるらしい中学生不良グループ(本当に不良かは判らないけどナルの弁)を、「説得」する

んだって。…オレが…。

今回の質問…、音楽鑑賞を邪魔されてうんぬんの話は、そのまんま読書の邪魔をされたナルの事を置き換えた物だったっぽ

いね…。

気が乗らない。いや、そんな生やさしいものじゃない。はっきり言って勘弁して欲しい。

…でも、ここだけの話、オレにはホモである以外にも弱みがあって、ナルに逆らう事はできない訳で…。

「ね」

「う、うん…?」

まだ気の迷いがあるオレに、ナルは小声で囁いた。

「今日は図書館からのお礼は期待できないから、ボクがお礼をしてあげる」

レッサーパンダの顔をきょとんとして眺めたオレは、

「ベッドの上で、ね?」

そう言ったナルに微笑みを向けられ、生唾を飲み込みながらコクコク頷いた。

…オレがナルに逆らえないのは…、実は、心底惚れちゃってるからだったりする…。

ナルはおっかないし意地悪だけど…、それでもオレ、このレッサーパンダに首っ丈なんだよね…。