新米店員のお正月
「ヤマト君。ちょっとソフトの在庫をチェックして来てくれる?ついでに、もう少しケースに並べたいから十本持って来て。
持ってくるのはねぇ…」
「はい!」
品物が並んだ棚をチェックしていた猫獣人の店長は、今冬の売れ筋ゲームソフトの名前を挙げて、俺を振り返った。
背中合わせになって、後ろで棚の整理をしていた俺は、並べる商品が入った篭を足下に置き、棚の隙間を縫ってレジ後ろの
ドアへ向かう。
なお、店員のユニフォームは店のロゴ入りの黄色いエプロンなんだが、俺にあうサイズのエプロンが無いから、現在の所は
ちょっときつめのエプロンを、背中側の結び紐を継ぎ足して無理矢理着ている。
首かけも短いから高く着けているような有様で、ちょっと不恰好だが、届くまでの辛抱だ。
今週から…、っていうか三日前から務め始めたばかりの新米店員とはいえ、忙しい時期にはちょくちょくバイトで雇って貰っ
ていたおかげで、それなりに勝手は知っている。
突き当たりに両開きの大扉…つまり商品搬入用の裏口が見える通路を歩くと、手前から事務室、休憩室とドアが並び、三番
目に倉庫のドアがある。
俺は鍵がかかったドアを開けて、棚と段ボールが並ぶ倉庫を歩き回り、梱包の解かれていない段ボール箱が重ねられている
前で足を止めた。
「えぇと…。50だな…」
今日は十二月三十日、今年最後の営業日だ。
元旦から初売りをするから、今日はシャッターを下ろした後もその準備で大わらわ。
在庫を確認してソフトを十本重ねて持ち、引き返そうとした俺のポケットで携帯が震動した。
ワタワタと取り出し、画面を開けると、表示されているのは「ナカイ君!」の文字。
キー操作すらもどかしく、大急ぎで届いたメールを確認すると…、
お疲れ様ですヤマトさん。
そろそろ終業の時刻でしょうか?
良ければ夕飯をつくりに伺いますので、お店を出る前に連絡を下さい。
…との文面。
誰も見ていない倉庫でガッツポーズを取った俺は、携帯を優しくポケットに仕舞い込み、鼻歌交じりに引き返した。
売り場内の棚に戻った俺は、店長の脇からガラスケースにソフトを重ねて入れつつ、在庫の報告をした。
「店長、残り50です。この十本を抜けば40ですけど」
「ああ、有り難う。ん?」
店長が耳を動かして立ち上がり、俺も締まっているシャッターを見遣る。…シャッターを軽く叩く音と、声?
訝しげに首を捻りつつシャッターに歩み寄る店長の後ろに、念のために俺も続く。
まさか閉店後のオモチャ屋を狙った強盗なんて事はないだろうが、念には念をだ。俺も一緒に出た方が良いだろう。
…誤解の無いように言っておくと、俺、体は相当でかいものの、肝っ玉は小さい。喧嘩や荒事なんてまっぴらゴメンだ。
が、この図体と見てくれのせいで、相手に不必要に警戒される事は多いのである。
つまり店長の後ろに立っていれば、いくらかの防犯効果はあるかなぁ…なんて思うわけだ。
店長が電動のシャッターを上げると、電源の落ちた自動ドア越しに、見慣れた宅配業者のユニフォームを着た人影が立って
いた。
訪問者は強盗なんかじゃなく、顔見知りだった。
よく荷物を届けに来る、ここらを担当してるアメリカンショートヘアのお兄ちゃんだ。
「おやおや、ご苦労様です。どうかしましたか?」
店長がドアを開けると、アメショのお兄ちゃんは「済みません」と頭を下げて、困ったような顔で一枚の紙を取り出す。
「昼間に届けた荷物の分、一枚受領書に印鑑を貰い忘れたみたいで…」
…ん?受領書…?
なんだか記憶の隅を刺激されるような…?なんだっけ?何かあったか?
店長が印鑑を押して受領書を返し、配達員のお兄ちゃんを見送った後も、俺はしばらくの間、何か大事な事を忘れているよ
うな、落ち着かない気分になっていた。
「いやぁ〜、そこそこ中身を知っているせいかな?ヤマト君が店員になってくれて以来、急に効率が良くなって随分と助かっ
てるよ」
ニコニコと笑顔で誉めてくれた店長を前に、俺は首後ろを掻きながらぺこっと頭を下げる。
「いや、中身の詳しい所までは解りませんから、これからみっちり教えて貰わなきゃ」
「ところで、何か心境が変化するような事でもあったのかな?クリスマス前に比べて、なんだか少し変わったような気もする
んだけどねぇ…?」
「え?そうですか?」
「うん。前はため息なんて零してアンニュイってる事が時々あったけれど、今は全然無いし、お客さんへのスマイルもビッグ
でナチュラルな感じになったような気がするよ」
自覚して無かったけれど、言われてみればちょっと変わったかな?…まぁ、原因は何となく解るかも…。
「それじゃあ、お疲れ様ヤマト君。良いお年を」
「はい。店長も、良いお年を!」
仕事を終えた後、店長に見送られて裏口から外に出た俺は、携帯を取り出して素早くメールを打った。
送信ボタンを押して、メール発信のデモが映し出される画面を見つめていたら、何だかジーンと来た…!
俺…、本当に恋人ができたんだなぁ…!
小躍りしたい衝動を堪えて、か細く星が瞬く寒空の下を、足早に歩き出す。
これまではあんまりついてなかった俺だけれど、今年のクリスマスイブを皮切りに、変わってきたような気がする。
まず、生まれて初めて恋人ができた。それも物凄く好みに一致する子…。
ついでに、店員募集の詳しい話を聞きに行ったら、翌日には店長から電話があって、希望するならすぐにでも雇ってくれる
と言って貰えた。
何でも見積もっていたバイトが足りなくて、年末年始に人手が欲しかったらしい。
春になって、新装開店にあわせての募集って聞いていたもんだから、急な事でビックリしたっけ…。
なんだか、風向きがクルリと変わった?追い風になったって言えばいいのか?
とにかく、俺の周囲では、これまでに無いほど順調に物事が動いてる。
恋人はともかく、他の幸運も、もしかしたらサンタのプレゼントだったりしてなぁ。
運気とか、そういった目に見えない贈り物…。
…あぶね…、名乗り忘れるとこだった…。
俺は大和直毅(やまとなおき)。少しばかり恰幅が良い、薄茶色の被毛の熊獣人。ピッチピチの二十五歳だ。
結構急いで帰って来たのに、部屋の前ではすでに、白いコートを着た犬獣人が待っていた。
「ゴメン!待たせたかな?」
「いいえ。私もたった今着いたばかりです」
取っ手の付いた大きな紙袋を片手に、彼は柔らかく微笑む。
まだ少し幼さが残る整った顔立ちに、深い黒色の、つぶらで大きめの目。
高く澄んだ、声変わり前の少年のような声。
鼻は明るい肌色、鼻筋はすぅっと通っていて、三角の耳はピンと立っている。
そのホッソリとした体は、密度が高く、長めの茶色い被毛に覆われている。
身長160ちょっとの可愛らしいこの美男子は、中井雪之丞(なかいゆきのじょう)君、十九歳。…名前まで綺麗だ。
「ささ!体を冷しちゃまずい、上がって上がって!」
俺はパパッと鍵を開けてナカイ君を部屋に上げ、さっそくファンヒーターとコタツのスイッチを入れる。
それからダウンジャケットを脱ごうとしたら、いつのまにか後ろに立ったナカイ君が、背伸びして肩口を押さえ、脱ぐのを
手伝ってくれた。
…そこまでしなくても良いのに…。
後ろを振り向くと、2メートルを超える俺より、40センチは低い位置にあるナカイ君の目が、ふいっと恥ずかしげに逸ら
された。
俺の腕からスルリと袖が抜け、ジャケットを手にしたナカイ君は、部屋の壁にかけてあるハンガーにそれを吊す。
「あ、あのさ…。そこまで気を遣ったりとかしなくて良いんだから…」
ちょっと申し訳なくてそう言ったら、
「あ、はい…」
ナカイ君はもじっと身じろぎしてから、ぺこっとお辞儀した。
「それじゃあ、台所をお借りします」
「あ、うん。悪いね…。あ、俺、風呂の支度して来るから」
台所に入って行くナカイ君の背中に声をかけ、俺は風呂場に向かった。
浴槽の栓を抜き、流れていく昨日の水を眺めながら腕組みし、考える。
初めて顔をあわせてからまだ六日だ。…いや、あの顔を初めて見てからは五日か…。
とにかく、日が浅いせいもあるからか、俺とナカイ君の態度はまだ何となく硬い。
洗剤をふり、ブラシで浴槽を擦って綺麗にしつつ、なおも考える。
…本当に、そうなのか?日が浅いから態度が硬いのか?
ナカイ君と初めて会った次の日、再び訪ねて来た彼を部屋に招き入れて、一緒に過ごしたあの夜の事を、俺は思い出す。
あの日、コタツに座ってがっちがちに固まっている俺の前に、ナカイ君はお手製の料理を並べてくれた。
タマネギと魚肉ソーセージが具の、醤油で味付けされた炒めご飯に、塩コショウが効いたネギ串、キュウリ&チーズインチ
クワ、さっぱりした味噌汁と、あの冷蔵庫の中身を材料にしたはずなのに、品数もそれなり。
ナカイ君には未成年だからコーラを出し、俺は恋人ができた祝いに、知人から貰った取っておきの酒の封を開けた。
ナカイ君が酒を注いでくれたコップを持ち上げて照れ笑いしたら、ナカイ君も微笑みながら、自分のコップを俺のコップの
下側に、控えめにカチンと合わせてくれたっけなぁ…。
我が家の寂しい冷蔵庫の中身で作られたはずのナカイ君の手料理は、空腹の俺にはとんでもないご馳走だった。
…いや、大して腹が減っていなくとも美味かっただろうなぁ。素早くこしらえられた割にあの味だ、ナカイ君は料理が凄く
上手い。
用意された食事をペロリと平らげた俺に、ナカイ君はデザートにと、持参していた自家製プリンまで出してくれた。
…これがまた美味だった…。
「あぁ〜、美味かったぁ!料理上手いなぁ?菓子まで作れるんだ?しかも、そこらの店で売ってるのよりも美味いし!」
「いや、そ、そこまでは上手じゃないかと…。でも、有り難うございます…!私、その…、洋菓子作りが趣味でして…」
すっかり感心して手放しに褒めたら、ナカイ君は耳を伏せて、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
学年でいうなら五つも違うから、話題探しに苦労しそうだと思っていたが、実際にはそうでもなかった。
ナカイ君はゲームが好きだそうで、これまでに俺がハマったゲームの名を上げると、その中の有名タイトルは殆どをプレイ
していた。驚いた事に、結構古いタイトルまで…!
共通の話題が見つかれば、もちろん会話は弾む。
「クリスマスの配達が仕事なら、普段は何してるの?」
「ああ、サンタクロースの活動は、担当にもよりますけれど、十二月に入ってからクリスマス本番までなので、皆それぞれ、
普段は別の仕事をしているんですよ」
「へ?そうなんだ?」
「ええ。私も普段は、お店で普通に店員をしたりとか…、まぁ、していますから…」
「へぇ〜…。店員って、何屋さんの?」
「え?え、えぇと…。…オモチャ屋なんですけど…」
「ははは!もしかしてって思ったけど、やっぱり普段もオモチャ関連の仕事だったりするんだ?」
「え、えぇまぁ…。ふふふ…!」
そんな風に、一度話題が合ったら、そこからは話があちこちへ飛んで、二人で朗らかに笑いながら楽しく過ごした。
…はずなんだ…。
いや…、はずなんだ、と曖昧に言うのもだな…、実は俺、あの夜は途中から記憶が無かったりする。
それだけならそれほど悩まない。悩まないんだが、実はかなり気になる事がある。
実は俺、翌朝目が醒めたら、すっぽんぽんで寝てたんだよ…。
褌一枚身につけていない、完全な裸でコタツに入って、上から毛布をかぶる格好になっていた。
コタツの回りには脱ぎ散らかされた衣類(と褌…)と空になった一升瓶がぽつねんと転がってて…、ナカイ君は居なかった。
慌てて飛び起きてみれば、テーブルの上に放りだした携帯には、ナカイ君からのメールが残っていた。
昨夜は楽しかったです。
良ければ今夜も、夕食を作りに伺ってもよろしいでしょうか?
…っていう文面のが。
何をしてたか覚えてないもんで、もしかして俺が勝手に寝たから、気を悪くして帰ったんじゃないかと心配になったりもし
たものの、ひとまずはメールの内容を見て安心した。
…が、楽しく盛り上がったあの夜以降、それほど会話が弾んだ事は無い…。
そんなだから、もしかしてあの夜、酔っぱらった俺はナカイ君に何か失礼な事をしたんじゃないか?と心配になってきてる。
…もしかして、もしかしたら…、お、俺…、ナカイ君を…?その…襲っ…!
「ヤマトさん?お食事の支度、出来ましたよ?」
風呂場のドア越しにナカイ君の声が聞こえて、俺は我に返った。
「あ、ああ、うん!ゴメン、すぐに行く!」
ヤバい…。考え事に没頭して、手が止まっていた…。
俺は手早く、おざなりに浴槽を洗い流し、湯を出して浴室を出た。
「あ〜…。美味いっ!」
豚汁をかき込んだ俺は、息をつきながら声を漏らした。
ナカイ君が作ってくれた、肉と野菜がたっぷり入った豚汁は絶品だった。
七味を振った豚汁に、腹の中からポカポカと体が温められて、気持ち良い。
「お口にあいましたか?」
「そりゃもう!俺さ、豚汁なんてここ数年はインスタントのヤツしか食ってなかったんだよ。久々に本物の豚汁を食った…!
しかもこんな美味い豚汁、生まれて初めてかも…!」
感動すら覚えながら応じた俺に、ナカイ君は眼を細めて微笑んだ。
…ドキッとするほど、かわいい笑顔…。
何故だかまともに見られなくて、俺はお椀に視線を落とし、再び豚汁をかき込み始めた。
顔や首の辺りがやけに暑いのも、七味をたっぷりきかせた豚汁のせいだろうか…?
その後、食後のデザートのイチゴムース(これもナカイ君のお手製)をご馳走になりながら談笑していると、ナカイ君は時
計を見上げてから、ペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい、そろそろ行かないと…」
「え?もう?」
時刻は午後11時。結構経ってたんだな…。
「だいぶ遅いし、送るよ」
「いいえ、大丈夫です。お邪魔しました、ヤマトさん」
立ち上がったナカイ君に続いて腰を上げ、俺は玄関まで見送りに出た。
…あ!
「そ、そうだ!俺、明日の大晦日は丸一日休みなんだ!良かったらさ、そのぉ、また一緒に飯食わない?里帰りとか、しない
ならだけど…」
屈んで靴を履いていたナカイ君は、首を巡らせると、何だかほっとしたような、そして嬉しそうな顔で頷いた。…俺の勘違
いでなければだが…。
「はい、大丈夫です。帰郷はしませんから。それじゃあ、また夕方頃にお邪魔して良いですか?」
「え?いや、もっと早くたって…、そのぉ、良いんだけど…」
ちょっとモジモジしながら言うと、ナカイ君は首を横に振った。
「ごめんなさい…。明日はお店に出ないといけないので…」
「あ、そ、そうなんだ…。大晦日まで大変だね」
「い、いえ、仕事ですから…。それより、明日は何が食べたいですか?」
そう訊ねてきたナカイ君に、俺は胸の前に両手を上げて、手の平を向けながら首を横に振った。
「いやいや、明日は良いんだ。ここ数日ずっと飯作って貰ってたし、何か出前でも取ろうかと思って。大晦日なんだし、ちょっ
と贅沢に寿司とか、うな重とか…。ナカイ君こそ、何が食いたい?」
「え?いえ、私は…。ヤマトさんの好きなものにして頂いて…」
「いや、明日は俺がごちそうしたいんだ。だからさ、何でも良いから好きなの言って!なっ!?」
ナカイ君は遠慮していたが、俺がしつこく促した末、ようやく頷いてくれた。
「そ、それじゃあ…。ピザとか…」
「ピザ?」
「はい」
頷いたナカイ君の顔を、俺は鼻の頭を掻きながら見下ろす。
「遠慮しなくて良いんだけど…」
「いえ、そういう訳じゃなく…。私、あまり食べない方なので、一人じゃSのピザを食べ切るのも大変なんです。いろいろ食
べたいピザもあるけれど、頼んだとしても、一度に一枚しか…」
あ〜、なるほどなぁ。…でも、友達なんかと何人かで頼めば問題無いんじゃ?
もしかしてナカイ君、あんまり友達や、親しい知り合いが居ないのか?
…いや、まだ会ったばかりなのに、つっこんで聞くべきじゃないよな、こういう事は…。
「よし!んじゃピザ頼もう!どこか店の希望ある?」
俺はナカイ君に尋ねながら、チラシの裏に、彼の希望の店とピザの名前をメモした。
「それじゃあ、お邪魔しました。お休みなさいヤマトさん!」
「うん!おやすみナカイ君。帰り道、気をつけて!」
笑顔で手を振る俺に、柔らかい表情で微笑み返し、ナカイ君は静かにドアを閉めた。
やたっ!生まれて初めて、恋人と一緒に年越しできるっ!
考えて見れば、俺も出前のピザなんてしばらく食ってない。コンビニなんかで売ってる、安くて薄いヤツは除いて…。
とりあえず、ナカイ君はツナ系が好きらしい事は解った。
せっかくだから少し種類を多めに注文して、いろいろ食べて貰おう!
あ〜!ドキドキしてきた!
あ、そうだ。ジュースも買い揃えておかなきゃな、うん!あと用意しておくのは、っと…。
んがぁ〜っ!準備の事を考えてるだけでなんか楽しいしっ!
寝支度を整えて浴室に入った俺は、ざっぽり風呂に浸かってから、入念に体を洗い始めた。
不恰好な体型は、今日明日だけではどうしようもないが、せめて綺麗にしておかないと…。
また酒を飲み過ぎるかもしれないし、この間みたいにすっぽんぽんになったら…、
肥満体型特有の、垂れた胸を下から押し上げて洗っていた俺は、そのままの姿勢で硬直した。
シャワーの音が響く室内で、ゴクリと、音を鳴らして唾を飲み込む。
…やっぱり、俺、ナカイ君が居る内に裸になったのかな…?
コワくて訊いてなかったが、ソコが気になる…。
すっぽんぽん…、つまり下にも何もつけていない状態だった訳だが…、ナカイ君が居る内に、酔っ払ってストリップをした
んだとしたら…、こ、ココも見られたんだろうか?
視線を落とすと、ソコには体とは不釣合いな体積の、雄のシンボル。
…俺のチンチンは、短い…。
太さは並以上なんだが、とにかく短い。しかも、太いからこそ、なおさら短く見える。
さらに、勃起してもあまり長くはならない。
濃いピンク色をした、丸々とした鈴口を指でつまみ、軽く引っ張ってみる。
…もちろん、今無理矢理引っ張ったって伸びるものじゃないが…。
「…ひかれるよなぁ…。たぶん…」
呟きながら、俺は考える。
考えてもみれば、もしも見られていたら、距離が縮まないなんて程度じゃ済まないはずだ。きっとあからさまに態度に出て
いるだろう。
そうは見えないって事は、ナカイ君の前で素っ裸になった訳じゃないよな?たぶん。
…あぁ、ちょっとほっとした…。
いや、何かやったんじゃないかと心配してたんだよ、ずっと…。
気を取り直して、俺は体を洗う手を再び動かし始めた。
弛んで下った胸の下から脇の下へ、そして脇腹をこすり、そのまま段がついた腹の下に手を入れる。
手の平に乗っかる贅肉の量が、秋前と比べて増えたような気がする…。
暑さに弱い俺は、夏になると毎年のように夏バテする。
え?情けないって?…そう言うなよ…、北国育ちには都会の夏は厳しいんだから…。
で、だ。その時期ばかりは一気に体重が(気持ち幾分少しは)落ちるんだが、秋口になって涼しくなると、すぐに元に戻る。
元に戻るどころか、減食ダイエットからのリバウンドと同じ現象が起こっているのか、元々以上の体重になりがちだったり
する。
そして今は、年内で俺の体に最も脂が乗っている時期…。
ナカイ君の好みは知らない(って言うかこれもコワくて訊いてない)が、さすがにこの体型は敬遠されるだろう…。どうひ
いき目に見たって太り過ぎだ…。
恋人も出来て、就職もできた。これを期に本格的なダイエットに取り組むかな…。
高校辺りまでは大して気にしてなかったんだが、洗練された都会の人々がデブに向ける視線は厳しい。
おかげで、大学在学中に少しは体型に気を遣うようになった。
…誰だ?「気を遣ってその有様か?」とか思ったのは?
種族としての体質もあるんだよ!俺は羆系だから、摂取した栄養が脂肪になって蓄えられやすいんだ!冬前は特にっ!
…ゴホン!ま、まぁとにかく!ビジュアルに恵まれてる恋人もできた事だし、ちょっとでも釣り合うように頑張らないと…。
はたと気付いて、俺は腹の下を擦っていた手を止めた。
…ナカイ君。モテそうだよな?
顔は良いし、物腰は柔らかいし、女にも、そして勿論俺みたいな趣味のヤツにもモテそうなルックスをしている。
やや低めの背にキーが高めの声、やや童顔ながら整っている顔立ち…。
あんな子が弟だったら毎日幸せだろうと思うような、カワイイ系美男子だ。
俺のような趣味のヤツだと、生唾がダラダラ溢れて来るような…。
そんなナカイ君は、サンタのプレゼントとして俺の所に来た。自分の希望でもあると言ってはいたが…。
恋人居なかったのか?ルックスにも恵まれているし、料理もできるし、態度だって柔らかいし、モテそうなのに…。
俺みたいなのが売れ残っているのはともかく、ナカイ君みたいな子がフリーで居るのは何だか少し不思議だ。
まだ若いし(なんせ未成年だもんなぁ…)酒を飲みに出かける事もないだろうから、出会いの場が無いのかねぇ…?
何にしても、ナカイ君にはちょっと悪いが、俺にとっては思いがけない幸運だった。
だって望んでいた以上の恋人ができたんだもんな!
俺は鼻歌交じりにシャワーを手に取り、弛んだ体中にまとわりついている白い泡を、熱いシャワーで洗い流し始めた。
夕食はピザに決まったものの、ジュースやら菓子類やらは用意しなくちゃな…。
そんな訳で、何も無い場合は日がな一日(それこそ夕方まで寝たりして)ゴロゴロ過ごす俺にしては珍しく、昼前に起き出
してバスに乗り、某有名デパートにやって来た。
これまでいつもマイフェイバリットドリンク…買い置きしてあるコーラを出していたが、今回は個人的に好きな果肉入り桃
ジュースや、果汁100パーセントのオレンジを用意する事にした。たぶんナカイ君も気に入ってくれるはず…。
適当に菓子類を見繕い会計を済ませた俺は、出口に向かう途中で案内板に目を止め、少し考えた後、エスカレーターに足を
乗せた。
昼飯がまだだし、ここのレストランでラーメンでも食って行こう。ついでにちょっとオモチャ売り場も見たいしな。
店のレイアウトとか、今まではあんまり気にしていなかったんだが、自分がオモチャ屋に勤めて棚を整理するようになった
からか?他のトコがどうやってるもんなのか、ちょっと気になったんだ。
五階でエスカレーターを降り、オモチャ売り場に足を向けた俺は、そっち側から歩いて来た恰幅の良い老人の顔を見て足を
止めた。
「あ、あれ?」
黒服二人に左右を固められた、真っ白いモサモサの口髭と顎鬚を蓄えたそのじじぃは、俺の知った顔だった。
「ほほ?ナオキ君じゃないか。偶然じゃなぁ」
相好を崩して微笑むそのじいさんは、立派なスーツのせいでだいぶ印象が変わってるが…。
「サンタ!?」
そう。イブの夜に我家にやって来た、本物のサンタクロースこと、一等巡回配達員、黒須惨太(くろすさんた)だった。
「ほっほっほぅ!こういう格好は意外だったかの?」
俺は目を丸くしながら頷いていた。
着ているのは、茶色い落ち着いた色調のダブルのスーツ。その上から滑らかな光沢のある生地の、薄いグレーのロングコー
トを羽織って、真っ白なフサフサの襟巻きを巻いている。
傍に控える人間の男達も、身に纏っている黒いスーツは高級そうで、姿勢は正しく、髪型から身なりからピシっとしてる。
…SPっていうヤツだろうか?身長180はありそうな、すらりと長身の二人は、顔立ちといい雰囲気といい、受ける印象
がやけに似ている。いやに無表情な所までそっくりだ。
「もしかしてじいさん…。あんた、金持ちだったのか?どっかの社長?」
ナカイ君から聞いた、サンタ達も普段はそれぞれ別の仕事をしているっていう話を思い出して、俺は面食らいながらサンタ
に訊いてみた。
「いやいや、確かに十年前まではしがない企業の二世社長じゃったが、もう隠居しとるよ。さて、君も知っとるかのぉ?」
サンタが口髭を動かし、悪戯っぽい笑みを浮かべて口にしたその企業名を聞いた俺は、目玉が飛び出さんばかりに両目を見
開いた。
国内有数の大手玩具メーカーじゃないか!戦隊物グッズやアニメのロボットのオモチャ、縫いぐるみからプラモ、ゲームま
で手がけるそこの名は、この国に住んでいて知らないヤツなんてまずいない。
「驚いた…。けど、イメージとしてはピッタリかもな?本物のサンタクロースの正体が、大手玩具メーカーの先代社長だなん
てさ」
俺が笑いながらそう言うと、サンタは口元に人差し指を当てた。
「し〜っ!サンタの事は、他言無用という約束じゃったろう?」
「おっといけね!」
俺は慌てて口元を押さえながら周囲を見回した。が、俺達の会話に注意を払ってる客は居なかった。
「ほっほっほぅ!まぁ、この程度の会話なら問題なかろうが、ま、一応注意じゃよ?」
「ああ。…やっぱり、バレると色々まずいんだろうな?」
「いやいや、ワシらはともかく、君が危険じゃ」
…え?
「そ、それは…、機密保持の為に消される…とか…?」
内心ビクビクしながらそう訊ねると、サンタは真顔で首を横に振った。
「いや、そんな事じゃあないんじゃよ…。君があの夜の事を他人に話して回ったりしたら…」
ゴクリと唾を飲み込んだ俺の目を見据えながら、サンタは続けた。
「おそらく、精神科の受診を勧められる事じゃろう」
「…ごもっとも…。ってか、何だよそういう事か?脅かすなよじじぃ…」
「ほっほっほっ!まぁ、とにかくおおっぴらにはしないでくれんかの?信じる信じないは別として、サンタというのは秘密の
存在じゃからな」
ほっと息をついた俺に、サンタは朗らかに笑いながら言った。
「もっとも、信用できんような相手じゃったら、サンタの秘密道具で記憶を消させて貰っておる。そこまでせなんだワシらの
気持ちを汲んでくれい」
「解ったよ。これからは気をつける」
信用してくれてるって事か…。ちょっぴり嬉しかった俺は、尻尾をモソモソと動かしながら頷いた。
「念の為に言っておくと、この二人なら心配要らん。全部知らせてあるからのぉ」
サンタは無表情な黒服達に視線を送りながらそう言うと、次いでニヤリと笑い、口元に手を当てて、小声で囁いた。
「…で、ナカイ君とは上手く行っとるのか?んんっ?」
「え、えと…。まぁまぁ?うん…。いい子だよホント、俺には勿体無いぐらい…」
ちょっと照れながら言うと、サンタは満足気な笑みを浮かべて頷いた。
「そりゃあ結構。気に入って貰えたなら、ワシもナカイ君も嬉しいぞい!」
「気に入らない訳がないさ!望んでいた以上だ、本当に…!」
大真面目にそう返事をしたら、サンタは何度も頷きながら「ほっほっほぅ!」と笑った。
「して、仕事の方は順調かの?ナカイ君から聞いたが、正規に雇って貰ったんじゃろう?」
「へへっ、まぁな!前から何回かバイトしてる、知らないトコじゃないから、他の店員とも気楽に付き合えてるし、店長にも
良くして貰ってる。ホント、あのクリスマス以後は何もかも上手く行ってるよ」
「重ねて結構!が、気を抜かずに頑張るんじゃぞ?上手く事が運んどる時こそ、意外と落とし穴に引っかかりやすいもんじゃ
からのぉ」
「ああ。気をつけるよ」
少し真面目な顔になったサンタの忠告に、俺は素直に頷いた。
ついてない生活に慣れてるせいか、最近調子が良過ぎて少々浮かれ気味なのは、自分でも自覚できている。
「ご隠居、そろそろお時間が…」
俺とサンタの話の区切りがつくのを待っていたのか、それまで黙っていた無表情な黒服の片方が、じいさんにこそっと耳打
ちした。
「おっと済まんの、もうそんな時間じゃったか…。ではナオキ君、またの」
「ああ。またなじいさん。有り難うよっ!」
道を譲り、片手を上げてじいさん達を見送った俺は、ふと考えた。
…あの大会社の前社長か…。さすがに「じいさん」って呼び方はまずいかなぁ…?
オモチャ売り場のレイアウトを観察して、少し遅くなった昼飯を食ってからデパートを出た俺は、そのまま近くの公園まで
足を伸ばした。
普段なら、用事が済んだらさっさと部屋に戻って、それこそ寝転がってゲームでもしながら菓子でも食ってるとこなんだが、
珍しい事に、無目的に散歩してみようって気になったんだなこれが。
もしかするとこういった行動の変化も、恋人ができたっていう心の余裕のせいなんだろうか?
防寒用具としては実に役に立つ被毛と脂肪を身に纏った俺は、寒風の中を気分良く歩いて公園に向かう。
独り身だった数日前までは、何かにつけてその事を思い出しては切なくため息なんか吐いたりしていたが、今はイチャつく
カップルとすれ違ってもブルーになったりしない。
二十年来最大の寒波も何のその、胸の中から温かくなっている俺は、自然に緩みそうになる口元を引き締めながら、公園の
入り口に辿り着いた。
今日は大晦日、加えてこの寒さだ。池まである結構広い公園はさすがに閑散としていて殆ど人影が無かった。
入り口の自販機でホットコーヒーを買い、ポケットに突っ込んだ俺は、ベンチにでも腰を据えてゆっくり飲もうと考え、公
園の中を歩き出す。
ポケットの中で握り締めた缶が温かい。じんわりと温もりが染みてくる内に、ちょっとずつ手が熱くなって来た。
しばらく前に二、三回来た事があるだけの公園だが、ベンチの位置はなんとなく覚えている。
池のほとりのトコが良いかなぁ…、なんて考えながら、池を丸く囲む木立を回り込む。
が、目当ての場所には先客が居たらしい。木立が切れて、池を囲む遊歩道が見える位置に来た時、ベンチの辺りから話し声
が聞こえてきた。
仕方ない。別のトコにしよう…。他のベンチは…と?
周りを見回しながら踵を返した俺は、足を止めて池の方を振り返った。
…この声、聞き覚えが…?
木立の切れ目から、そっと向こう側を窺うと、ベンチの所に二人の犬獣人が立っているのが見えた。
片方は、すらりと背の高い、体毛と同色のダウンジャケットを着た、艶やかな黒い毛のドーベルマン。
そしてもう一方は白いコートを着た、茶色の…。…ナカイ君だ…。
「…終わりにするって、何でだよ!?」
ドーベルマンはナカイ君の肩を掴み、揺さぶった。
「…ごめんなさい…。でも、私には、もう…」
両肩を掴まれ、軽く揺さぶられたナカイ君は、途方に暮れたように顔を伏せて、小さな声で応じる。
俺は二人を真横から覗き見る格好になっていて、立ち聞きしている事には気付かれていない。
「何か不満があるのか?言ってみろよ?なぁ!?」
縋るような声音で話しかけるドーベルマンを前に、ナカイ君は俯いたまま、首を左右に振った。
「…ごめんなさい…」
ナカイ君はか細い声で謝ったきり、ドーベルマンが何を話しかけても、黙り込んだままになった。
…これ…、何だ?何が起きてるんだ…?
項垂れているナカイ君にドーベルマンが話しかけているのを、しばらく呆然と眺めた後、俺はゆっくりと後退りして、二人
に気付かれないよう静かにその場を離れた。
…あれって…、あのドーベルマンって…、ナカイ君の…、恋人…?
心ここにあらずの状態で、それでもバスに乗って部屋に帰りついた俺は、上着を脱いでから気が付いた。
飲むのを忘れて持ち帰ってしまったホットコーヒーは、いつの間にかすっかり冷たくなっていた…。
「こんばんは〜!」
チャイムに応じてドアを開けると、そこにはナカイ君が笑顔で立っていた。
「ごめんなさい。ちょっと遅くなっちゃいました…」
ペコリと頭を下げたナカイ君を、
「い、いや。大丈夫。ピザが来るまでもうちょっと時間あるし」
俺は自分でもぎこちないと自覚できる笑みを浮かべて、部屋に招き入れた。
…ナカイ君、いつも通りだよな?
公園で見た、あの途方に暮れていたような様子は見られない。
確かに声も聞いたし、他人を見間違えた訳じゃあないと思うけれど…。
「こ、こんなに取ったんですか!?」
届いたピザ七種類をコタツの上に並べると、ナカイ君は目を真ん丸くした。
「種類あった方が良いかと思ってさ。好きなのを好きなだけ食べてくれよ。な?」
努めて明るい口調で言った俺の顔を、ナカイ君は驚いた顔のまま見つめ、それから微笑んだ。
「私、一度にこんなに並んでいるピザを見るの、初めてです!」
尻尾を振ってるんだろうか?ナカイ君の後ろからポフポフポフポフと、何やら速いテンポの音がリズミカルに聞こえて来る。
嬉しそうに、そして楽しそうに笑っているその顔を見たら、公園であの光景を見て以来ずっと胸の中にわだかまっていた妙
な重さが、ふっと薄れた。
「でも…、こんなに食べられますかね?」
「平気平気!余ったら俺が全部食うから!」
ピザを眺め回し、心配顔で言ったナカイ君に、俺は無意味に張った胸をドンと叩いて応じる。
キョトンとして俺の顔を見たナカイ君は、次いで楽しげに笑った。
「ヤマトさんが大きいのは、やっぱり、たくさん食べるからなんでしょうね?」
「たははぁ〜…。今はもう横に膨れるだけだけどね」
「ふふ…!何でも残さず食べてくれるから、料理も作り甲斐があります」
「だって、ナカイ君、料理上手いからさ。残すなんて勿体無い」
…あれ?なんか、恋人同士っぽい会話じゃないか今の?
ちょっと嬉しくなった俺は、無意味にヘラヘラと笑いながらジュースを手に取り、ナカイ君の前に置いたコップに注いだ。
「あ…。私、お客さんから頂いたワインを持って来ました。まだ飲めませんからヤマトさんに…」
ナカイ君は持参した袋から綺麗な蒼いビンを取り出すと、テーブルの上に置いた。
「気を遣わなくていいのに…」
「でも、私が持っていても減りませんから、ヤマトさんに飲んで貰いたいんです」
にこやかな顔でそう言ったナカイ君に押し切られる形で、俺は頭を掻きながら頷いた。
ナカイ君は慣れた手つきで、ポンっと小気味の良い音を立ててコルクを抜いた後、ほぼ透明なスパークリングワインを、俺
が差し出したコップに注いでくれた。
ワインなんて柄じゃないが、恋人とピザを食うときぐらいは良いよな?全然似合ってなくともさ。
「大晦日にピザっていうのもアレだけど、とりあえず冷める前に食おう!ねっ!」
「はい!」
俺が差し出したコップに、ナカイ君は自分のコップを下からカチンと合わせる。
笑顔で乾杯した俺達は、さっそくピザに取りかかった。
「大丈夫ですか?ヤマトさん…」
心配そうな顔で見下ろすナカイ君に、仰向けに寝転がった俺は、やや引き攣った笑顔を返した。
…く…、食い過ぎたっ…!
ナカイ君が「惚れ惚れするような健啖家ぶりですねぇ…」なんて、感心したような顔で俺の食いっぷりを見てたもんで、調
子に乗って結局六枚分以上のピザを平らげたんだが…、さすがに苦しい!もう限界!
張り切ってピザを詰め込んだ腹はもうパンパンで、箸でつつかれたらパンクしそうだ…!
何も無理に食わなくても、残った分は明日の朝食えば良かったんだけどなぁ…。
トレーナーを押し上げる、いつも以上に丸く突き出て、ポンポンに張っている腹を撫で擦りながら、俺はテーブルの上に視
線を向けた。
ワインは空だ。隣の一升瓶は、四分の一ぐらい減っている。
…このくらいにしとかないとな。また記憶が途切れても困るし…。
酔い潰れるまでは行っていないものの、そこそこ酔いが回ってる自覚がある。
しらふの状態じゃあ訊くのに苦労しただろうが、今の俺はポロっと、その事を訊けてしまった。
「あのさ。ナカイ君、付き合ってる人とか、居ないの?」
「ええ。誰かと付き合った経験はありません」
躊躇う様子も無く、ナカイ君はそう即答した。
…あれ?隠してるとか、そういう感じでも無いな?
「ヤマトさんとお付き合いするのが、初経験になります。ヤマトさんはどうだったんです?」
屈託の無い笑みを浮かべながら問い返して来たナカイ君に、俺は苦笑いしながら答えた。
「自慢じゃないけど、恋人居ない歴二十五年っ!筋金入りだろ?」
自虐的な申告だったんだが、ナカイ君はなんだかビックリしたように目をまん丸にして、口をポカンと開けていた。
…しっかり者で礼儀正しいから、こういう顔をされると新鮮…。っていうか、ものっそいカワイイなぁ…。
「そう…なん、ですか?…意外です…。モテそうなのに…」
ナカイ君は冗談で言っている訳でもなさそうで、俺の方がビックリした。
「いや、だって、俺こんなブクブク太ってるし、顔だって昔からこんなおっさん面だったし…」
体を起こし、出っ腹をポンと叩いて揺すったついでに、トレーナー越しにたっぷりした贅肉をつまんで見せる。
おまけに両手で頬をつまみ、横に引っ張って見せたら、ナカイ君は「ぷっ!」と小さく吹き出した。
「ヤマトさんは、外見もステキだと思いますよ?それに何より、体と同じで心も大きくて、優しいですし」
たはは…。ナカイ君、買いかぶりだよそれは…。
「ナリがでかいのは確かだけど、俺こう見えて気が小さいんだよ。あの夜だって、ナカイ君とじいさんを見て強盗と勘違いし
てさ、反射的に手が出てた」
苦笑いしながら頭を掻いた俺に、ナカイ君は首を傾げて「そうでしょうか?」と言った。
「成り行きとは言っても、極道さんの家にお邪魔する時も、ヤマトさんは自発的にクロスさんへの同行を申し出てくれました。
見つかってしまった場合の危険を考えた上で…。凄く、格好良かったです!」
真顔で、真っ直ぐに俺を見つめるナカイ君…。
…悪いけど、俺、そんな大した男じゃないよ…。
あの時だって、じいさん一人で行かせるのが何となく可哀そうだったってだけで…。
こんな風に持ち上げられる事なんて滅多に無いから落ち着かなくなった俺は、一升瓶を手にとって、栓を抜いて煽った。
顔や首の辺りがいやに暑いのは、酔ったせいだろうか?
「なぁ、ナカイ君…」
俺は思い切って、ずっと気にしていたことを言ってみる事にした。
「俺に気を遣う事なんかないんだぞ?俺とナカイ君じゃあ、そのぉ、色々とつり合わないし…、サンタと俺との約束に巻き込
んじゃったような感じなんだから、無理に付き合うことなんて無いんだ」
本当に満足してくれるなら良いが、ナカイ君はプレゼントとして俺の所に来たんだ。
自分の意思でもあるとはいっても、何らかのプレッシャーや義理を感じてる所もあるのかもしれない。
本当に俺の事を気に入ってるんじゃないなら、無理しなくて良いんだ。…そりゃまぁ、俺は今すっごい幸せだけど…。
念には念を入れてそんな事を言ってみたら、
「…はい…」
ナカイ君は何故か、ちょっと悲しそうに目を伏せた。
…あれ?なんか、気まずくしちゃった…?
「さて!最後の夜なんだ!のんびり楽しもうか!」
殊更に明るい声を出し、ナカイ君のコップにジュースを注ぎ足した俺に、
「はい…」
ナカイ君は、やっぱりどこか浮かない顔で、無理したような微笑みを浮かべて見せた。
目が醒めた俺は、もそっと身を起こした。
体にかけられていた毛布がするりと滑り落ちる。
今回もコタツでそのまま眠ってしまったらしい…。
ナカイ君の姿は無い。俺が眠っている間に帰っちゃったんだろう。…また悪い事しちゃったなぁ…。
帰る前に片付けて行ってくれたようで、コタツの上は綺麗になっていた。
付けっぱなしのテレビには、初詣の様子が映し出されている。壁時計に目を遣ると、午前五時だ。
十一時ごろまでは起きていた記憶がある…。その辺りからぐっすり眠ってしまったのか?
うわ…。寝たまま年越ししちゃったよオイ…。
とりあえず時間はまだたっぷりある。九時までに店に行けば良いから、風呂に入ってからごろ寝するかな…。
背伸びしながら大欠伸して、コタツに手をかけて立ち上がろうとした俺は、
「…ん?」
コタツの上にミカンを文鎮代わりにして広げられている、一枚の紙に目を止めた。
目を擦った俺は、首を捻りながらその紙を手に取る。
その紙には、綺麗な字で、短く三行だけ記されていた。
お世話になりました。短い間でしたが、とても楽しかったです。
本当にありがとうございました。
そして、さようなら、ヤマトさん。
俺の手の中で、簡潔な文が記された紙がカサカサと音を立てた。
…それはナカイ君の…別れを告げる書き置きだった…。
交代で昼休みの時間が巡ってきた俺は、店の裏口から外に出て、携帯を取り出した。
が、やっぱり電話もメールも通じない…。
今朝、あの別れを告げる書き置きを見てから何度もナカイ君と連絡を取ろうとしているんだが、着信拒否されてるらしい…。
俺は携帯の画面を見つめながら、ため息をついた。
食欲が無い…。コンビニのおにぎりを一つばかり胃袋に収めただけで、もう何も食いたくなくなった。
…一体、何が悪かったんだ…?
やっぱり俺…、最初のあの夜、ナカイ君に何かしちゃったんだろうか?
今回は服を着たままだったが、また寝るまでの記憶が抜け落ちている。何も無かったとは言い切れない…。
午前中の俺はお客さんへの応対は一応形通りにこなしていたものの、どこか上の空で、何をしていたのかがはっきりと思い
出せないような有様だ。
通話を諦めて休憩室に戻り、ベンチに腰掛けて一人項垂れていた俺は、ノックの音で顔を上げた。
「えぇと…、ヤマト君?君にお客さんが来て…」
ドアを少し開けて顔を覗かせた猫の店長は、なんだか少し緊張しているような顔で、耳をピクピク動かしていた。
「客?俺にですか?」
立ち上がって首を捻った俺の前でドアが大きく開き、店長の横に立っていた人物の姿が目に入った。
「ほ〜ほっほっほぅ!はっぴぃにゅういやぁ!ナオキ君!」
無表情な黒服二人を従えた恰幅の良い老紳士は、目尻に皺を作って微笑んだ。
「じいさん?何でこの店を…」
驚いて目を丸くした俺に、サンタはたっぷりした顎髭を撫でながら頷く。
「そりゃあナカイ君から聞いとったからのぉ。あ〜、店長さんや?済まんのじゃが、ちょっと二人で話をさせてくれんかの?」
「は、はぁ…」
サンタに声をかけられた店長は、戸惑いながらも頷く。
「君らも、部屋の外で待っていてくれんか?」
サンタにそう告げられた黒服達は無表情のまま深々と頭を下げて、休憩室に入ったサンタの後ろでドアを閉じた。
「さて…」
サンタはゆっくりと俺に歩み寄ると、間近で顔を見上げて来た。
「ナカイ君とは、残念じゃったな」
黙って視線を逸らしかけた俺は、目を大きく見開き、サンタの顔を見つめた。
「な、何で…?」
「今朝方知ったんじゃ。ナカイ君から連絡があってのぉ」
みなまで言わなくとも察したらしく、俺の聞きたい事をじいさんはそう説明してくれた。
ため息をついてベンチに腰を下ろした俺をしばらく黙って見下ろした後、サンタも隣に腰を下ろした。
「…さて、今日の用件の方なんじゃが…、また希望を聞きたくてのぉ」
「…希望…?」
項垂れたまま、横目で見遣って問い掛けた俺に、サンタは顎を引くようにして小さく頷いた。
「今回は残念じゃったが、プレゼントの約束はまだ果たされとらんからのぉ。別の恋人を用意しよう」
「…プレゼント…、…用意…」
小さく呟いた後、俺は深く項垂れた。
これまでは深く考えもしなかったのに、ナカイ君が去って行った今になったら、急にその言葉に違和感を覚えた。
プレゼントとか言ったら、ナカイ君が物みたいだ…。
おまけに、ダメだったから別の恋人を用意する?それって、何かおかしくないか?
…俺が欲しかった恋人って、そういう風に取り替えが利くような物だったか?
「…良いよ…。別の恋人なんて…」
ボソッと呟いた俺は、頭を抱えてため息をついた。
「…何が悪かったんだろうな…。俺、どうしていれば、ナカイ君と恋人になれたのかな…」
「ほっ?」
傍らで妙な声が上がり、俺は顔を上げ、サンタを見遣る。
サンタは、目を丸くして俺を見つめていた。
「妙な事を言うのぉ?お前さんがナカイ君を気に入らんかったんじゃろう?」
「はっ?」
今度は俺がおかしな声を漏らした。
「待てよ。俺がいつナカイ君の事を気に入ってないなんて言った?」
俺とサンタは、目を丸くしたまま見つめ合う。
あれ?何だかおかしいぞ?俺がナカイ君を気に入ってなかった?何でそんな事になってるんだ?
「…なら、何故受領書にサインをしなかったんじゃ?」
「受領書?何だよそれ?」
不思議そうに尋ねて来るサンタに聞き返しながら、俺はまた、受領書って言葉に何か引っかかる物を感じていた。
「ナカイ君から説明があったと思うんじゃが…」
「良く解らない。けど、受領書って言葉には確かに何か引っかかる…。ちゃんと説明してくれ!」
俺は身を乗り出して、訝しげな顔をしているサンタに尋ねる。
サンタは「むむ?」と首を傾げた後、コクリと頷いた。
「ではまず、ワシらの扱うプレゼントの中でも、極めて特殊な「人」のプレゼントについて、詳しく説明しよう」
そう切り出したサンタは、軽く咳払いをしてから話し出した。
「クリスマスプレゼントとして人が指定された手紙が届く事は、多くないとはいえ、皆無では無いんじゃ。例えば、弟を欲し
がる女の子、親を欲しがる孤児、理由は様々じゃがのぅ」
サンタは顎鬚を撫で擦りながら続ける。
「じゃが、普通のプレゼントと違い、「命」は聖夜の魔法といえども生み出す事はできん。一個人を作り出すなど勿論不可能
じゃ。じゃからこれらは、通常のプレゼントよりも厳密な審査を経た上で、実際にプレゼントするかどうかが判定される。こ
こまでは良いかの?」
「…まぁ、何とか…」
「では続けるぞい。そしてじゃな、該当すると判断された場合でも、聖夜の魔法では何ともできん。じゃから親なんかを望ま
れた場合、通常の手段で里親と巡り合えるよう手配するなどして対応する訳なんじゃ。で、今回のお前さんのケースはそれの
変則版じゃ」
「変則版?」
問いかける俺に、サンタは頷く。
「そういった「人」のプレゼントの場合デリケートな面があるからのぉ。受領書を預け、拒否権を与える訳じゃ。上手く行か
ない場合はチェンジが利くようにのぅ。ちなみに、ワシらの仕事の対象は子供なんじゃが、それでもこの方針は変わらん」
「子供にもサインさせるって事か?」
「さよう。もっとも、その後の生活に妙なしこりを残さんよう、記憶は消させて貰うがのぉ。さて、ここからが本題じゃ」
サンタは口調を改め、俺はコクリと頷き、じいさんの顔をじっと見つめる。
「プレゼントを受け取る事を承諾するのであれば、一週間以内に受領書にサインをする。気に入らなければ口頭でそう伝える
か、受領書を破棄するか、あるいは一週間サインをしない事で、チェンジ希望の意思確認としとる。…とまぁ、こういった決
まりになっとるんじゃよ」
「待て。一週間サインをしないって…、つまり、何もしなくとも?」
俺の質問に、サンタは顎を引いて小さく頷いた。
「いかにも。今回のお前さんの場合は、ナカイ君から受領書が返って来なかった旨の報告があって、チェンジ希望と判断され
たんじゃよ。それでワシが再度希望を聞きに出向いた訳じゃが…」
驚いている俺の顔を少しの間見つめて、サンタは「ふむ」と頷く。
「どうやら、理解しておらんかったようじゃのぉ?」
「あ、ああ…。たぶん説明はあったと思う…。何となく頭の隅に「受領書」って言葉が引っかかってたし…。でも俺…、中身
は全然覚えてなかった…」
サンタは「む?」と首を傾げた。
「初日にナカイ君から「説明は済んだ」と聞いとったんじゃが…」
「かも…。けど俺、ナカイ君が来たあの日は舞い上がって深酒したんだ。で、途中から記憶が途切れてて…、目が覚めたらナ
カイ君は帰ってて…、受領書の説明もたぶんきちんとされたんだと思うけど、覚えてなかった…」
「しかし…、ナカイ君はなんでまた、お前さんが泥酔しとる時に話をしたんかのぉ?」
不思議そうに言ったサンタに、決まりが悪くなった俺は、顔を顰めながら応じる。
「俺、酔っ払っててもちょっと眠そうに見えるぐらいで、対応が普段と殆ど変わらないらしいんだ…。実際には途中から記憶
が飛んでてもさ…」
「…お前さん。酔わされてあくどい事なんぞされんように気を付けた方がよいぞ?」
「…それ、前に後輩にも言われた…」
「…しかし、なるほどのぉ。それで二人の見解が食い違っとる理由が解ったわい!お前さんは酔っ払っとって、聞いた説明を
覚えておらんかった。で、ナカイ君の方は、お前さんが話を理解したもんと捉えとった上で、自分を気に入らんかったと思っ
たんじゃな」
なんてこった…。俺、こんな大事な事をコロっと忘れてたのか?
「じいさん!俺、そんなつもりで受領書を返さなかった訳じゃないんだ!」
「そのようじゃのう」
「もう一回ナカイ君と話をさせてくれ!俺は…」
必死になって訴えた俺は、そこではたと気が付いた。
…ナカイ君は、本当に俺が恋人になって満足なんだろうか?
いまひとつ縮まらない距離に、なんとなく硬い態度…。
自分で希望したって言っていたナカイ君だけど、本当は数日間俺を間近で見て、やっぱり嫌になったんじゃ?
俺は一人で舞い上がっていたが、ナカイ君は、本当は…。
それに、昨日会っていたあのドーベルマン…。やっぱり、元恋人か何か…だよな…?
すらっと背が高い、スタイルもビジュアルも良いあのドーベルマンと、みっともない脂肪太りのブクブク羆…。
どっちがナカイ君とつり合いが取れるかは、わざわざ比べるまでも無い…。
言葉途中で黙り込んだ俺を訝しげに見つめ、サンタは口を開いた。
「どうかしたのかの?」
「…きっとナカイ君は…、本当は…、俺みたいな恋人は嫌なんだよ…」
そう呟いた俺の顔を、サンタはマジマジと見つめる。
「義理立てして一緒に居てはくれたんだろうけど、態度が硬かったり、ちょっと距離を置こうとしてたり、考えてもみれば俺
が勝手に舞い上がってただけだった…。ナカイ君にとっては、本当は迷惑だったんだろうな…」
「ふむ…」
項垂れた俺の隣で、サンタは大きく頷くと、
「ナカイ君はのぉ、お前さんの事をえらく気に入っとったよ」
と、静かな口調で言った。
「お前さんのような男の恋人になれれば幸せじゃと、そう言っとった」
意外な言葉に顔を上げると、サンタはウンウンと頷いていた。
「態度が硬くなる…。何となく距離を詰め辛くなる…。惚れた相手を前にしたらそれも無理の無い事じゃあないのかのぉ?」
惚れた…相手…?
ナカイ君が、俺に?
いまいち信じ切れなかったが、緊張から来た物なのかと考えてみたら、なんとなく、あの態度がそれらしくも感じられた。
「本当に…、そうなのか?俺が嫌になった訳じゃないのか?」
自問のつもりで呟いた俺に、サンタは目を細めて頷いた。
…俺は…。ナカイ君の気持ちを、あまり考えてなかったかもしれない…。
恋をする事に臆病になっている一種の癖が、俺の視野を狭くしていた。
ナカイ君の様子を、もっともっと細かく見ておくべきだったんだ…。
「じいさん。悪いけど、別の恋人は要らない」
サンタは「ふむ」と頷くと、
「では、ナカイ君に連絡しようかのぉ」
と、携帯を取り出しながら言った。
「いや。待ってくれじいさん」
俺が声をかけると、サンタは動きを止めた。
「俺、自分の口で言いたい。直接自分の口でナカイ君に謝りたい…!」
頭を下げて、俺はサンタに頼んだ。
「ナカイ君と会うにはどうすれば良い?何処に行けば会える?教えてくれサンタ!頼む!」
しばらくの沈黙の後、サンタは口を開いた。
「お前さん、今から会いに行くつもりかの?」
「ああ」
顔を上げて即座に頷いた俺に、サンタは首を傾げた。
「仕事はどうするんじゃ?」
…あ…。
まずいな…。午前中はさほど忙しくはなかったものの、午後からは初詣を終えた後のお客さんが来るだろう。お年玉を貰っ
た子供達に急かされて…。
…えぇい!店長や皆には悪いけど、優先はナカイ君の方だ!
「怒られるだろうし、迷惑もかける事になるけど、店長を拝み倒して休みを貰う!」
鼻息を荒くしてそう言った俺の肩を、サンタは「ほっほっほぅ!」と笑いながら叩いた。
「解ったわい。ナカイ君の住所と勤め先、それから居そうな所を教えよう」
「本当か!?ありがとよじいさん!恩に着る!」
両手を握ってブンブン振りながら礼を言った俺に、サンタは「ほほっ!」と声を上げて笑った。
「店の事は心配要らんわい。ワシから店長さんにお願いしておこう。ついでに、手伝わせて貰おうかのぉ」
サンタの妙な提案に、俺は何度も目をしばたかせた。
「いや、だってじいさんは…」
「…という訳なんじゃが、構わんかの?」
俺の言葉を遮り、サンタはドアに視線を向けて声をかけた。
間を置かずドアが開き、休憩室に足を踏み入れたのは…、ピンクのウサギと、黄色いネコの着ぐるみを纏い、それぞれの頭
部を小脇に抱えた二人の黒服。…い、いつの間にっ!?
「ほっほっほ!自分で言うのもなんじゃが、ワシャ気紛れでのぉ。色々な所の催し物に飛び入り参加して、子供達を喜ばすの
が趣味なんじゃ。なもんで衣装は常に用意しとる」
楽しげに笑うサンタに歩み寄った黒服(ウサギ)が、相変わらずの無表情のまま、赤い衣装を手渡す。…まさかコレ…?
「ちょいと遅刻したサンタも、子供達は喜んで迎えてくれるじゃろう」
赤い衣装を受け取ったサンタは、シッシッと手を振った。
「さて、着替えるんじゃから外に出た出た!」
「気にしないで着替えればいいじゃないか?」
細かいなぁとか思いながら言った俺を、サンタは眉根を寄せて、嫌な感じの上目遣いで見つめてきた。
「ホモの前で裸になる趣味なんぞ無いわい」
「…安心しやがれ、頼まれたって見たかねぇよ!」
思いっきり顔を顰めて言ってやった俺は、サンタを残して黒服達と一緒に休憩室を出た。
「あんた達も大変だなぁ?あの変わり者のじいさんに付き合わされて…」
肩を竦めながら声をかけた俺に、気ぐるみを着た二人の黒服は、
「これもまた…」
「仕事ですから」
口の端っこを少し上げて、その無表情な顔に、ほんの微かな笑みを浮かべて見せた。
じいさんが何やら告げたら、店長はあっさりと午後からの休暇をくれた。
何を吹き込んだのかは知らないが、この業界じゃあ名前が通っているんだろうしなぁ。…とにかく、じいさん、恩に着るっ!
サイズがきついエプロンを脱いで上着を片手に掴んだ俺は、裏口から飛び出して大通りを目指した。
タクシー代ケチってる場合じゃない!大急ぎで捕まえて、ナカイ君を見つけないと!
いきなり自宅に行くのはさすがに躊躇われたし、何より遠い。仕事の時間らしいからまず居ないだろうし…。
俺はサンタに教えて貰った、ナカイ君が居そうな場所を、手近な所から回ってみる事にした。
とりあえずナカイ君が気に入っているというオープンテラスのカフェ(センス良いなぁ…)を訊ね、次いで大型ブックスト
アを訪れた俺は、二度の空振りにもめげずに歩道をドスドスと走って次の場所に向かう。
気温は低いが、走っている内にすぐに息が乱れて体温が上がり、全身から汗が吹き出した。
一歩踏み出す毎にボヨボヨ揺れる全身の脂肪が、今日はいつにもまして恨めしい…。
ゼェハァゼェハァ息をして、ダブついた出っ腹を揺すり、俺はナカイ君の姿を求めて何箇所もの候補地を駆け回った。
息を切らせてドスドス走る不恰好な羆を、道行く人々が訝しげに、時にはクスクスと笑いながら眺める。
どう見られたって、何て言われたって構わない。
俺は、無自覚だったとはいえナカイ君に酷い事をした…。
ナカイ君、きっと俺に気に入られなかったって…、嫌われたって…、きっとそんな風に思っているだろう…。
この程度、バチが当たったにしたって軽過ぎる…。
ナカイ君に会いたい。会って、謝らなきゃいけない。
俺はその一心で足を動かし、ヒュウヒュウ音を立てる喉に空気を吸い込み、一箇所一箇所、サンタから聞き出した場所を回っ
て行った。
荷運びのバイトなんかもやっていたせいで、学生時代と比べれば、幾分スタミナはついた。
それでも、元々本格的な運動なんてやっていない上に、でっぷり肥えたこの体だ。夕暮れまで探し回ったら、重い体を支え
続けた脚が言う事を聞かなくなった…。
ふくらはぎがプルプル言って、気を抜けば指が勝手に曲がって足が攣りそうな状態…。
だらしなく舌を出してハァハァ言いながら、俺はサンタに指定された場所の一つ、昨日ナカイ君とドーベルマンを見かけた、
あの公園の前に立った。
立ち止まったら喉と肺が痛み、汗に塗れた全身がすぐさま冷え始めた。
喉がヒリヒリ痛む…。噎せ返りそうだ…。
入り口の自販機で缶コーヒーを買い、プルタブを開けて啜り、真っ白い息を吐き出した俺は、奇妙な感覚に囚われた。
缶を握り、公園の中を見つめながら、俺はその妙な感覚をじっくりと味わう。
予感と言うよりははっきりした、だが、確信と言い切るには曖昧な感覚…。
それが何なのかは解らないが、俺は熱いコーヒーを一気に喉に流し込むと、空になった缶を回収ボックスに突っ込んだ。
そして、缶コーヒーとミルクティーを買い、上着のポケットに入れる。
攣りそうになる足に注意を払いながら、俺はゆっくりと公園の中に足を踏み入れた。
木立を回り込み、池を囲む遊歩道が見渡せる位置に来た所で、俺は足を止める。
池の方を向いてベンチに座っている白いコートを着た後姿が目に飛び込んできた。
俺はゆっくりと足を進めて、寂しげに見えるその背中に歩み寄る。
斜め後ろに立っても、彼は俺に気付いた様子も無く、ぼんやりと池を眺めていた。
池から吹いてくる冷たい風が、彼のフサフサした頬の毛を揺らしていた。
彼はあまりにも寂しげで、頼り無く見えた。
やがて風向きが変わり、俺と彼を撫でた空気が池の表面を駆け抜けて細波を立てる。
次の瞬間、彼はスンっと鼻を鳴らし、弾かれたように振り返った。
最初に丸い腹にぶつかった視線が、ゆっくりと上に向き、俺の顔に注がれる。
「…ヤマト…さん…?」
呟くような小声で俺の名を口にしたナカイ君に、
「あ、あけまして、おめでとう…」
俺の口から反射的に出たのは、新年の挨拶だった。
「あ…、は、はい。あけまして、おめでとうございます…」
挨拶をしあった俺達の間に、束の間、居心地の悪い沈黙が落ちた。
「…ごめん…」
俺は、歯を食い縛って頭を下げた。
「サンタから事情を聞いた…。俺、実は…、ナカイ君が説明してくれたはずの受領書の事…、覚えてなかったんだ…」
「…え?」
戸惑うような小さな声が、ナカイ君の口から漏れる。
「俺、あの時酔っ払ってて…、あの夜の事、途中から覚えて無いんだ…。受領書にサインしなかったのはナカイ君に不満があっ
たからじゃない、覚えて無かっただけなんだ。本当にごめん…!」
頭を下げて、心の底からの詫びを口にしようとしながらも、上手く口が動かない。
謝りたい本人を前にした俺の頭からは、ここまでに考えてきたいくつもの詫びの言葉が、スッポリと抜けてしまっていた。
「…私は…、てっきり…、ヤマトさんが私じゃ不満なんだとばかり…。だから、昨夜はあんな話をしていたんだと…」
「え?」
顔を上げた俺の顔を、ナカイ君は呆然とした表情を浮かべて見つめていた。
「あ、あのさ…。俺、昨夜も途中から記憶が無いんだけど…。な、何かまずい事言った?」
やばい…!覚えて無いが、俺が変な事言って…、それでナカイ君は傷付いたのか!?
「いえ、まずいって言うか…、あれ?じゃあ、あの言葉は…?」
困惑して見つめる俺に、ナカイ君はおずおずと尋ねて来た。
「自分に気を遣う事は無い。色々つり合わないし約束に巻き込まれただけなんだろうから、無理に付き合う事は無い、って…」
「言った」
覚えている。無理しなくて良いんだって伝えたくて、確かにそう言った。
「…てっきり、遠回しにダメ出しされたのかと…」
「いや、そんな事は…」
「そ、それじゃあ…、最後の夜を楽しもうって言った、あれは…」
「え?それはほら、大晦日だったろ?一年の最後の日で…」
ナカイ君と俺は、まじまじとお互いの顔を見つめ合った。
ん…?んんっ?何だこの微妙なすれ違いは?
「…あ?ああ!?そういう事か!?」
目を丸くして思わず声を上げた俺の前で、ナカイ君も何かに思い至ったように、目を大きくしていた。
思い返してみれば、ナカイ君にとって大晦日は七日目…、つまり受領書の最終期限だった。
俺がそのタイミングで家に呼んでおきながら、受領書も渡さずにあんな事を言ったもんだから、特に何も隠してない言葉の
内容まで深読みして、遠回しに別れ話を切り出されていると勘違いされたのか!?
「私…、ピザをご馳走してくれたのも、てっきりお別れ会的な意味からだったのかなぁと、思い返していたんですけど…」
ナカイ君が呆然としながら呟く。…いや、それは流石に深読みし過ぎだって…。
「…あの…。なんか、いろいろごめん…。予想以上にごめん…」
「い、いえ…、私の方こそ、変な勘違いをしていました。…いけませんね、後ろ向きな解釈ばかりしちゃって…」
お互いに頭を下げた後、俺達は顔を見合わせ、小さく笑った。どっちも自分に呆れた半笑いだ。
並んでベンチに腰掛けた俺は、ポケットから取り出したミルクティーをナカイ君に手渡し、自分の缶コーヒーを開けた。
礼を言って受け取ったナカイ君は、ミルクティーをちびっと啜ると、小さく息を吐く。
俺とナカイ君が吐いた白い息とホットドリンクの湯気が、池に向かって風に流され、薄れて消える。
「…あのさ…。俺、色々考えたんだけど、やっぱりプレゼントっての、無しにして欲しい」
ちらりとこっちを見たナカイ君に、俺は頭を掻きながら続ける。
「プレゼントとして貰うっていうの…、考えてみれば、フェアじゃなかった…」
そう言いながら、俺は顔がカーッと熱くなって来るのを感じていた。
やっぱダメだ…!色々セリフは考えたけど…、俺、スマートに格好良くなんてガラじゃない…!喋ってる内にぐちゃぐちゃ
になりそうだ…!
頭でごちゃごちゃ考えるのをやめた俺は、立ち上がり、ナカイ君の正面に回って、真っ直ぐにその顔を見つめた。
「…そのぉ…。ナカイ君…」
胸がバクバクいって、喉が渇く…。冷たくなった汗で冷えたはずの体が、急に火照りだして熱くなった。
ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込み、決心をかためた俺は、戸惑っているように見上げて来るナカイ君に、ガバッと頭を下
げた。
「俺と付き合って下さい!よろしくお願いします!」
それが、俺の人生初の告白の言葉だった。
色々考えたが、結局、俺に言えたのは、最初に考えた出来の悪いその言葉…。
「…え…?」
ナカイ君の、驚いているような小さな声が耳に届く。
「付き合うなら対等が良い…。間に余計な物なんか入って欲しくない…。プレゼントなんていう関係じゃない恋人が欲しい…。
だから、約束なんか抜きにして、それでも良いなら…、お、俺と…、俺と付き合ってください!」
惚れっぽいくせに恋愛に臆病で、譲って、避けてばっかりで、積極的に前に出た事なんてこれまで無かった俺だけど、今回
は、色んなものが背中を押してくれた。
知らずに傷つけてしまったナカイ君への負い目や、気を遣ってくれたじいさんへの感謝、そして、俺自身が初めて経験した、
恋人の居る数日…。
離れたくないと思った。このままうやむやにしたくないと思った。
ナカイ君個人の意志がダメならダメで、諦めもつく。
でも、プレゼントとか、受領書とか、妙な要因に囚われて付き合うとか別れるとか決めるのは嫌だった。
頭を下げたままの俺の前で、ナカイ君は静かに立ち上がった。
そして、衣擦れの音と共に、顔を下に向けている俺の視界の上の方に、ぴょこっと、三角の耳が入る。
「ごめんなさい…」
頭を下げたナカイ君が、少し震えている声でそう言った。
視界の隅に見えていたナカイ君の頭が、何故だか不意に、ジワッと滲んで見えた…。
残念だけど、きちんと返事を貰えて満足した…。
哀しいし寂しいけど、これできっとスッキリできる…。
静かに目を閉じた俺の頭に、ナカイ君の声が続けて当たった。
「…ご迷惑をおかけしますが…、お返事は、今夜でも良いですか?」
弾かれたように顔を上げた俺を、ナカイ君は上目遣いに見つめてきた。
「本当は、ずっと黙っているつもりだったんですけれど…」
一度言葉を切ったナカイ君は、潤んだ瞳に不細工な羆の顔を映しながら、震える声で続けた。
「ヤマトさんの言葉で目が醒めました…。私の事…、今夜全部…、隠さずに話します…」
「へ?ここ?」
休憩時間中だったナカイ君を、彼が務めているお店まで送った俺は、その店の外観を目にして、口をポカンと開けた。
ナカイ君は「ええ…」と、少し気まずそうに頷く。
そこは、確かにオモチャ屋ではあった。
が、俺が務めているようなオモチャ屋とは違う。全く。
オモチャ屋はオモチャ屋でも、子供のオモチャじゃなく、大人のオモチャを取り扱っている店だ。アダルトDVDからエロ
ゲー、そして文字通りの大人のオモチャまで…。
…何を隠そう、俺も時折こういった店を覗いたりもしていた…。
しかも驚いた事に、俺の故郷…道北にも支店がある店だ。
…運命を感じる…。妙な運命だけど…。
「…それじゃあ、私はお店に戻りますから、ここで…」
「あ、うん…」
そういえば五日ほど抜いてない…。
中を覗いて見たい衝動がムクッと鎌首をもたげたが、ここで入店したらさすがにナカイ君も気まずいだろう。
…当然俺だって気まずいし、実行するだけの胆力は無い…。
「それじゃあ、今夜また…」
「はい。またお邪魔します」
微笑んだナカイ君に笑みを浮かべて頷いた俺は、彼が店に入るのを見届けた後、ふくらはぎなんかがやや張ってる足を動か
して、煉瓦調の石畳が敷かれた歩道をゆっくりと歩き出した。
部屋を片付けて待とう。今夜も来てくれる事になったナカイ君を…。
コタツについてテレビすら付けず、ソワソワと時計を気にしながら待っていると、壁時計の針が午後九時二十分を少し回っ
た約束の時間の十分前に、馴染みのあるチャイムが鳴った。
慌てて立ち上がり、緊張しながら玄関ドアを開けた俺の前には、いつもの白いコートを纏い、白い息を口元に漂わせるナカ
イ君の姿。
ペコリとお辞儀したナカイ君を部屋に招き入れ、向かい合わせになってコタツにつく。
ナカイ君は、目の前にあてがわれた熱い茶の入った湯飲みを見つめ、しばし黙り込んだ後、
「私、実は…」
おずおずと顔を上げ、そう切り出した。
「あのお店の店員とかけもちで、出張ホストをしていたんです…」
目前の可愛らしい犬獣人の口から出た意外な言葉に、俺は目を丸くする。
「出張ホスト!?」
「はい。…男性相手の…」
驚きの波が少し引くと、なるほど、という気もしてきた。
顔は整っているし、背はさほど高くないものの、顔立ちと相まって可愛く見える。全体のスタイルだって良い。
細やかな事に良く気が付くところも、洗練された立ち振る舞いも、ホストとして磨かれた賜物だったのか…。
ナカイ君は、あまり大きくないが、しかしはっきりとした声で、俺が理解できるように全て話してくれた。
彼は茶道の家元である厳しい家に生まれ、厳格な両親の元で育った。
本音を言えば継ぎたくなんてなかったそうだが、長男だった為、いずれは家を継がされる事になる。
厳しい躾も稽古も、ろくに友人達と遊ぶ事もできない管理された生活も、全てが嫌だった。
それでも親には逆らえず、ナカイ君は期待に応えようと、真面目に頑張った。
だが、それは高校在学中までの事だった。
高校一年の中頃だったそうだ。ナカイ君は同級生、しかも男子生徒に恋をした。
…この時、自分が同性愛者かもしれないと、初めて考えたらしい…。
衝撃。混乱。困惑。当時のナカイ君の気持ちがどんなだったのかは、良く判る。
俺だって、自分もそうだったと気付いたばかりの頃はそれなりに悩みもした。
…もっとも、俺の場合は一般的な恋愛感情を持つようになる年頃よりも早く自覚が芽生えたおかげで、自身への戸惑いや嫌
悪は無かったんだが…。
二年近くもの間、胸に想いを秘め続けたナカイ君だったが、卒業を前にしてついに我慢できなくなった。
このままでは、強くなり過ぎた想いに心が引き裂かれてしまう…。
想いを堪えきれなくなったナカイ君は、自分が同性愛者だと知った時から溜め込んでいた不安を、最も身近な存在に打ち明
けた。
彼らならきっと、相談に乗ってくれるはずだと信じて…。
「お父さんは、汚らわしい虫でも見るような目で、私を見つめました」
ナカイ君は声を震わす事もなく、言いよどむ事もなく、淡々とそう言った。
「高校卒業まであと二ヶ月となったその日、私は両親から勘当を言い渡されました」
湿った所のない、いっそさばさばとしたその口調は、だが俺には、泣きたいのを堪えて感情を押し殺しているようにも聞こ
えた…。
ほとんど着の身着のままで家を出たナカイ君は、それから少ない手持ちの金で電車に乗った。
生まれ育った愛着も、進学が決まっていた大学生活への憧れも、気持ちを伝えるまで至らなかった初恋すらも、その街に置
き去りにして…。
それからというもの、家から…故郷から離れたいという想いだけで、無目的に電車を乗り継いだナカイ君は、丸一日ほどか
けて移動した末、気付けばこの街に流れ着いていたそうだ。
泊まる場所にすら困るような有様だったが、ニュースなどで見た事から、ネットカフェに宿泊する事を思いついたらしい。
それから数日、ネカフェを拠点に住む所と仕事を探していたナカイ君は、あまり考えもせずに繁華街に足を踏み入れ、ポン
引きに目を止められた。
これは無理もない。少々幼顔ではあるものの、ナカイ君はユニセクシャルで魅力的な顔立ちをしている。
自分達の店でホストとして働いてみないかと訊ねて来た人相の悪いその土佐犬に、ナカイ君は自嘲気味に、自分は同性愛者
だから女性相手の仕事など無理だと打ち明けた。
普通だったなら、ナカイ君はそこで放り出されていただろう。
ナカイ君自身も何かを期待してそんな事を口にした訳でもなく、あれこれ口実を並べて断るより、決定的な事実を告げた方
が手っ取り早いと思っただけだった。
だが土部と名乗ったその男は、人相は悪いがなかなかイイヤツだった。
茶と菓子ぐらいは出すと持ちかけ、営業開始直前の店に入れたトベは、言葉巧みにナカイ君から身の上話を聞き出した。
そうして事情を知ると、「それなら店番でもしてみないか?」と、自分の知り合いが経営する店…、つまりナカイ君が今店
員をしているあの店に連れて行ってくれたらしい。
何の事は無い、その男にも同性愛者の知り合いが居たんだ。
そのせいで嫌悪感を抱く事もなく、ナカイ君の境遇に同情してしまい、親身になって話を聞いてくれたわけだ。
それからナカイ君は、その店で店番をする事になった。
その内に常連さん達と親しくなり、親から厳しく躾けられたせいで身についた丁寧で柔らかな物腰に、恵まれた容姿も相まっ
て、看板として人気が出始めた。
「お店のお客様の中に、双子の人間の男性が居ました。クロスさんの事を紹介されたのは、その方達からでした…」
ナカイ君の言葉を聞いた俺の頭の中に、サンタのSP二名の顔が浮かんだ。
…ひょっとしてあの二人の事か…?
仕事にも慣れて、顔見知りも増えてきた頃だった。「なんなら容姿を活かして出張ホストでもやってみないか?」と、常連
の一人に声をかけられたのは…。
店番だけでは家計は苦しい。それに、ナカイ君自身も人恋しかった。だから、首を縦に振った。
それからというもの、店には黙って、時折その声を掛けてきた男…つまりホストの元締めから、出張ホストとしての仕事を
受けるようになったそうだ。
「…私は一年半近くの間、時折出張ホストとして仕事をして、色んな人と体を重ねました…」
長い話を終えたナカイ君は、小さく息を吐き出してから呟いた。
「クロスさんも、クロスさんに紹介してくれたお二人も、お店の店長も…、私がホスト稼業をしていた事は知りません…」
ゆっくりと視線を上げて俺を見たナカイ君は、哀しげに顔を歪ませた。
「…私は…、その事を黙ってヤマトさんの恋人になろうとしました…。でも、ヤマトさんに「付き合うなら対等が良い」って、
ああいう風に言われたら…、隠しているのが辛くなって…」
ゆっくりと、深く頭を下げたナカイ君は、
「ごめんなさい…!私は、ヤマトさんに嫌われたくなくて…、大事な事を隠したまま、恋人になろうとしました…!」
そう、震える声で俺に詫びた。
頭を下げたまま肩を小刻みに震わせているナカイ君の姿は、いつものしっかりした様子からは想像もできないほど、か弱く、
脆く、儚く見えた。
「…俺は…」
俺が口を開いたとたん、ナカイ君は俯いたまま、ピクンと身を震わせた。
「俺は…、気にしないよ?」
おそるおそるといった様子で顔を上げ、上目遣いにオドオドと見つめて来るナカイ君に、俺はニィっと、笑みを浮かべて見
せた。
「大変だったなぁとは思うけど、別に嫌だとは思わない。今話してくれた中身だと、セーフセックスが徹底してたんだろう?」
「は、はぁ…」
「病気だって事を隠してた訳でもないだろう?」
「それはまぁ…」
「なら、隠したままでいたって、何の問題も無かったんじゃないか?」
俺の顔をキョトンとして見つめた後、ナカイ君はおずおずと口を開いた。
「で、でも…。私はたくさんの人と、その…」
「関係ないさ。それまでの事はそれまでの事。これからの事はこれからの事。全部が全部そうやって割り切れる事ばかりじゃ
ないだろうけど、今回は何も問題無いさ」
「問題、無い…?」
訝しげな声を漏らしたナカイ君に、俺は笑みを深くして、大きく頷いた。
「俺とナカイ君が付き合うのに、そんな些細な事は問題無い!」
ナカイ君は呆然とした表情で俺を見つめた後、スンッと、小さく鼻を啜り上げた。
「ヤマトさんって、やっぱり、大きな人ですね…。体も、心も…」
泣き笑いの表情で言ったナカイ君の目尻から、ポロッと、綺麗な雫が零れ落ちた。
「それじゃあ…、改めまして、今年からよろしく!」
「はいっ!よろしくお願いしますっ!」
俺が掲げたワンカップに、ナカイ君はオレンジジュースの缶を下から合わせた。
グイっとワンカップを煽り、一気に半分空にした俺は、「ぷはぁ〜っ!」っと息をついた後、畳んでポケットにしまってい
た一枚の紙を取り出す。
ズボンと一緒に洗濯して、フヤフヤになってしまったそれは、俺があの夜ナカイ君から説明を受け、預かっていた受領書だ。
…あろう事か、あの時酔っ払っていた俺は、穿いていたズボンの尻ポケットにこれを突っ込んだまま忘れ、我が家の洗濯機
に突っ込んでたんだなぁこれが…。
三角帽子を被ったサンタクロースの顔を意匠化したエンブレム(サンタクロース協会のマークらしい)はすっかり薄くなっ
ているし、書かれていた文字なんかは滲んでもう判読不能になっている。
ナカイ君に見えるようにそれの紙を両手でつまんだ俺は、左右に引っ張り、ピリっと真っ二つに裂いた。
「これでプレゼントなんか関係なし。これから先、俺とナカイ君はお互いの希望で付き合うんだ。ねっ?」
笑顔で言った俺に、
「はい…!」
ナカイ君は明るい、ちょっと幼く見える笑顔で頷いてくれた。
このあどけない、可愛らしい笑顔こそが、きっと、ナカイ君本来の笑顔なんだろう…。
顔を弛ませて見とれた俺は、両手につまんだままの破った受領書が発光している事に気付き、そっちを見つめた。
「ん?何か、紙が光っ…おぅあっ!?」
つまんだままの紙がいきなり火を上げて、俺は顔を引き攣らせながら、バタバタっと手を振った。
…って、あ、あれ?熱くない?
「あ。その受領書、破棄されるか八日ぐらい経つかすると、自動的に消滅するんですよ。証拠隠滅の為に。大丈夫です。火に
見えますけれど熱は出ないですから、火事にはなりません」
ナカイ君の説明を聞いた俺は、「ふぅ…」とため息をついた。…ヤな汗かいたよオイ…。
紙は熱の無い炎を上げながら、俺の手の中で縮んでいく。
両手をそろえて皿代わりにして、俺とナカイ君はそれをじっと見つめた。
不思議な火と紙だなぁ…。これも、サンタクロースの秘密の道具なのか?
灰も残さず、紙は全部が炎になって消えた。それを見届けた後、
「ところでさ、実は俺…」
俺は、昨日の昼間も公園に行っていて、ナカイ君とドーベルマンが話している所を偶然見てしまった事を、正直に話した。
「ああ。私にホストのイロハを教えてくれた先輩なんです…。あ、今は辞めて、元ホストなんですけれど…。私がホストを辞
めた事を元締めから聞いたそうで、それで「何で辞めるんだ?」「お客さんに何かされたのか?」って心配してくれて…。急
な事だったから、何かトラブルがあって辞めるのかと心配してくれたみたいなんです…」
「そうだったのか…。いや、てっきり元彼なのかもと思って…」
自分の取り越し苦労だと気付き、頭を掻きながら顔を顰めた俺に、ナカイ君は朗らかに笑いながら首を横に振って見せた。
「違いますよぉ!黒田さん…あ、あのヒトの事ですけれど…、ちゃんと恋人居るんですから!」
あ〜…。何か俺、今すっごくほっとした…。
あんな色男と張り合えるほど、顔にもスタイルにも自信無いし…。
「ところでさ、ナカイ君。俺みたいな体型でも平気なのかい?その…」
…言い辛いなぁ…。つまりその、俺みたいなデブ相手でもちゃんと興奮できるのかが気になるんだけど…。
「それはもう!私はデ…、あ、えぇと…。お、おっきくて、ふくよかな人が好きなので!」
わざわざ棘の無い言い方に訂正してくれたみたいだが…、なるほど、デブ専なのか!
ナカイ君は太いのが好み…!俺みたいなのでも好み…!こんな嬉しいの、すっごい久々だ!
良かった!俺、これで本当に気兼ねなくナカイ君とイチャイチャできる!
最高の気分でワンカップを握り、煽ろうとした俺は、しかしふと、その事を思い出した。
「あ、あのさ、ナカイ君…」
「はい?」
微笑んだまま、可愛らしく小首を傾げたナカイ君に、俺は頬を掻きながら尋ねた。
「俺が受領書を預かったあの日…。何か…、あった…?」
ナカイ君の笑顔が、ピクっと、引き攣った。
「え?い、いえ。これといって何も…」
…ちょっと待って、何で目ぇ逸らしてんのこの子…!?
「そ、そうだ!ヤマトさん、明日からもお邪魔して構いませんか?私、デリヘル止めたから、夜九時以降は比較的あくように
なったんです」
「え?あ、う、うん…。でも、お店の方は?夜こそお客さんが入るんじゃないの?」
「私は未成年なので、店長が気を遣って、遅くても九時までのシフトになっているんですよ」
ナカイは少し早口に説明してくれた。…何か隠してるっぽい…。
もしかして俺…、本当にナカイ君に何かしたんじゃ…!?
「さ、グイっとやっちゃって下さい!グイっと!」
「お、おう…」
若干釈然としないものの、俺はナカイ君に勧められるままにカップを空にして、次のワンカップの蓋を開けた。
「んがっ…?」
目を擦りながら身を起こした俺の体から、かけられていた毛布がずり落ちた。
…またしてもいつの間にかコタツで寝ていたらしい…。
ナカイ君の姿は無い。帰っちゃったんだな…。
…ん…?あれ…?
ヤバい…!またしても寝る前の記憶が無いぞ…!?途中からすっぽり抜けてる!
視線を降ろすと、うす茶色の被毛に覆われた、弛んだ肉が乗って垂れ気味の胸と、丸く突き出た腹が目に入る。
おそるおそるコタツの布団を捲ると、元気に朝勃ちしている我が愚息…。
またしてもすっぽんぽん…!…何で…!?
コタツの上に視線を向けた俺は、ビクっと身を引いた。
綺麗に片付いたコタツには、ミカンを重しに置かれた一枚のメモ…。
恐る恐る手にとって、そこに書かれている文を読んだ俺は、ほっと息を吐き出した。
おはようございます、ヤマトさん。
今日も気持ち良さそうに眠ってらしたので、起こさないで帰りますね。
たぶん夜九時過ぎになると思いますが、今日もまたお邪魔します。
何か作りますので、希望があったらメールで知らせてください。
それじゃあ、今日も一日、お互いお仕事頑張りましょうっ!
カサカサと音を立て、そのメモを読んだ俺は、恋人が残してくれたメモに頬ずりする。
そして小躍りしたい衝動にかられながら携帯を握り、恋人への、新年初のモーニングメールを打ち込んだ。