ユキ・3
私は中井雪之丞(なかいゆきのじょう)。先日二十歳の誕生日を迎えた犬獣人です。
仕事を終えて、息を吸えば鼻の奥に染みるほど空気が冷えた夜道を行く私は、トベさんから成人祝いに頂いた暖かなファー
付きコートのおかげで、寒さもさほど気になりません。
おまけに疲れも忘れてやや早足なのは…、今夜も愛しい恋人…ヤマトさんのお部屋にお邪魔する予定だから…。
十日ほど前にこの地方一帯を襲った記録的大雪は、日陰などでは固まった雪が未だに溶け切らず、あちこちで白いミニチュ
ア山脈を作っています。
日当たりの悪い道を車が通ればバリバリバキバキ音がしますし、先週など太い道路ではトラックが巻いたチェーンの音が小
気味よく涼やかにシャリシャリチャキチャキ鳴っていました。
夜になって気温が下がれば、雪が溶け出して濡れたアスファルトは表面が凍結して黒光りし、油断していると足をすくわれ
ます。
先日などは、ヤマトさんの部屋に着いてから食材が切れていた事に気付いて遅い買い出しに出たのですが、アパートの敷地
入り口のスロープが凍っていて、つるりと滑って無様にひっくり返る所でした。
真後ろに居たヤマトさんのふくよかなお腹に後頭部からアタックする形になり、受け止められて事無きを得ましたけれど…、
いけませんねぇユキったら。浮かれて注意がおろそかになるなんて…。でもここだけの話、ヤマトさんのボリュームタップリ
で柔らかなお腹の感触を公然と味わえたのは、とても幸せな事でした…。
などと考えていた私はまたもやツルリと足を滑らせて体勢を崩し、その横を宅配ピザの三輪バイクに跨った若いホルスタイ
ンさんがバロロロロッと駆けて行きます。
北街道で生まれ育ったヤマトさんは、氷も雪も物ともしない逞しさを見せてくれましたが、私はそうでもありません。
何せ外で遊ぶと両親がうるさかったもので、雪が降れば屋内でお稽古事ばかりやらされておりました。
当時跡取りと見られていなかった弟が庭で雪遊びをしている姿を、どれほど羨んで眺めた事か…。
…今、あの子はどうしているんでしょうね…。
高校までほったらかしにされて奔放に育ってきたのに、きっと今は跡取りとして、厳しい教育を科せられているでしょう…。
私の事を恨んでいるでしょうか?それとも案外、跡取りになれる事を喜んでいるのでしょうか?
…私には…判りません…。
おもむろに見上げた夜空は晴れ渡っていましたが、両側から道を照らす水銀灯が傍にあるせいで、弱い星明かりは飲み込ま
れて見えません。
それでも黄色く太った満月に近いお月様は、静かに優しい光を私に投げかけていました。
その風貌が、嫌でも弟の事を思い出させます。
…お前は今どうしていますか?月乃助…。
「いらっしゃい!疲れたろう?寒かったんじゃないか?ささ、上がって上がって!」
いつものように開けられたドアの向こうから顔を出し、いつものように嬉しそうな、そして優しそうな笑みを浮かべ、大き
な熊さんが私を招き入れます。
このひとは大和直毅(やまとなおき)さん。明るい茶色の毛を纏う羆の獣人で、私とは対照的に恰幅が良く、人通りの多い
街を歩いていてもそうは見かけないほど、とてもとても大きな方です。
大きくて、優しくて、お人好し。そしてちょっと恥ずかしがり屋で純情です。
年末からこちら、正月を跨いで増量してしまったらしく、体重の事が気になってらっしゃるご様子ですが、大きくて太めの
方が好みな私にとっては、ますます魅力的になったと言えます。…大きな声では言えませんが…。
もっとも、ちょっと見ただけでは太ったようには見えません。200キロを超えるダイナマイトボディは、今更10キロ程
増えた所で見てくれには殆ど変化が無いようです。…これもあまり大きな声では言えませんが…。
玄関口で靴を脱ぎ始めた私は、そこでふと気がつきました。
良い香り…。ピザの匂いがします。
それに、よくよく見れば玄関には記憶にない靴が二組並んでいます。
ピカピカのごっついバッシュに、やや色褪せて履き古した感のあるスニーカー…。どちらもサイズは大きいものの、ヤマト
さんの履物と比べれば小さいので、別の方の物である事は一目瞭然です。
「あの…、ヤマトさん?もしかしてお客様が来ていらっしゃるんじゃないですか?」
メールでお伺いした時には何も伝え聞いていませんでしたが、急な来客があったのかも…。もしかしたら私、今夜はお邪魔
かもしれません。
そんな事を考えて、今日は帰りましょうかと訪ねた私に、ヤマトさんは何故か面白がっている様子でニンマリして見せます。
「いやいや、確かに客は客なんだけど、遠慮せず上がって!連中もナカイ君の顔見たくて来てんだからさ!」
「…はい?」
私の顔を見たいお客様?言われている事がいまいちピンと来ません。
首を捻りながらもヤマトさんに促され、居間の入り口をくぐると…、
「おお…!本物だ…!」
ピザの箱が山積みになったこたつに、こちらに背を向けてついていたごつい体格の猪さんが、身を捻ってこちらを見ながら
目を丸くし、声を上げました。
「あ…、どうも初めまして。お邪魔します」
「こちらこそ初めまして。ナカイ君」
お辞儀した私に、猪さんはコタツから足を抜いて向き直り、正座してお辞儀を返してくれました。
…はて?この方が私の顔を見たくて来ていたお客様?初対面だと思うんですけれど、何故私の事をご存じなんでしょうか?
疑問に思いながらも、もしかしたら何処かでお会いした事があるのかもしれないと、私は猪さんの様子をそれとなく観察し
ます。
おそらく私より少し年上でしょう。猪さんは立派な牙を持つ厳めしい顔付きながらも、笑顔は人懐っこそうで優しげです。
落ち着きのあるバリトンボイスの声は深みがあってステキに響きます。
座っているので目測は正確ではありませんが…、身長はおそらく170台半ばほど。
さぞ筋肉がついているのでしょう、肩が盛り上がり手足も太いがっしりした体格。
それでいてその体にはやや脂肪が乗っていて、セーターを押し上げてお腹がぽっこり出ていました。
一方的に覚えていないのは失礼に当たりますから、少々気まずい気分になりかけましたが…、今は断言できます。この猪さ
んとはこれまでに面識はありません。
少なくともお互いに名前を知るような関わり方はした事はないはずです。こんなにも立派で魅力的な体をしたステキな方を、
私が忘れるはずはありませんから。
疑問に思った私が横に立っているヤマトさんに視線を向けると、やや照れているような笑顔で口を開きます。
「紹介するよナカイ君。コイツは…」
ヤマトさんは途中で言葉を切り、首を巡らせました。
トイレのドアが開閉する音…。次いでのしっと居間に入って来たのは、大柄な虎獣人でした。
ボディビルダーのような逞しい体を黒いトレーナーで覆ったその方は、私が知っている顔でした。だから思わず言ってしまっ
たんです。
「あ!365日24時間駆けつける虎のひと!」
厳めしい顔付きの大きな虎さんは、思わず声を上げた私を見て、一度眉を上げて目を大きくした後、渋い表情で半眼になり
ました。
「あははは!そうそう!年中無休でオールタイム駆けつけるひと!」
猪さんが楽しげにそう言って、虎さんはジロリとそちらを睨みます。
…間違いありません。この方、警備会社のCMでおなじみの虎さんです!柔道の金メダリスト、オジマ選手!
うわー!どうしよう?本物ですよ!?こんな有名人がどうしてヤマトさんの部屋に!?
「高校ん時の後輩なんだよ、こいつら」
私の横でヤマトさんがニカッと笑い、誇らしげに言います。
ヤマトさんの後輩?って…。
「ヤマトさん、柔道部だったんですか?」
お訊きした事はありませんでしたが、考えてもみればこんな体格のヤマトさんが何の部活もしていなかったというのも不思
議です。柔道とか相撲とか、きっと引く手数多だったでしょう。
「だはは!いやぁ俺は帰宅部。寮仲間だったから結構親しいんだよ」
…おや…?意外にもヤマトさんは苦笑いしながら否定しました。
「でも、入学した当時は勧誘が凄かったんですよね確か?」
猪さんがそう言って顔を向けると、CMで有名な虎選手は立ったまま頷きました。
「ハトリ先輩から聞いた話だが、それはもう熱烈な勧誘が、連日のように寮にまで押しかけていたそうだ」
「務まらないから全部丁寧に断わったけどな。スポーツ向きじゃないんだよ俺。…ほら、まずは座った座った!ナカイ君も!」
私はヤマトさんに促されて、虎さんは黙って頷いて、それぞれこたつにつきます。
上座から時計回りに、ヤマトさん、私、猪さん、虎さんの順です。
「じゃ、冷めちまうから早速ピザ開けながら、紹介するか。いやぁ丁度良かった!つい数分前に来たばっかりなんだよピザ!
ナイスタイミング!」
ヤマトさんは嬉しそうに笑いながらピザの箱に手をかけます。
…もしかして、来る途中で私を追い抜いていったあのホルスタインさんが配達したのでしょうか?お店が一緒ですし…。
「知ってるみたいだけど、こっちの虎は…うん、「CMのひと」で合ってる。尾嶋勇哉(おじまゆうや)ね。ちなみに俺の一
つ下で24歳。在学中から学年は違っても仲が良くてさ、地元遠いんだけど卒業してからもずっと付き合いが続いてるんだ」
「オジマだ。よろしく」
厳つい虎の人が軽く会釈し、私も頭を下げ返します。
「で。こっちが飯野正行(いいのまさゆき)。同じく高校時代の後輩で同じく柔道部員だった。なおこっちは二つ下で23。
やや突っ走りがちなトコもあるけど、しっかり者でさぁ、俺が卒業する時に次の寮監を二年生から選べなくて、一年半も寮監
やらせちまった」
「改めまして、初めましてナカイ君」
猪さんが優しく笑い、私はまたペコッとお辞儀します。
「中井雪之丞です。私は…」
自己紹介しかけた私はそこではたと気付き、口を半端に開けたまま、続けようとした言葉を飲み込みました。
今、ヤマトさんとお付き合いさせて頂いていると説明しようとしましたが、流石にこれはまずいですよね?えぇと…、お友
達としてお世話になっている、とか…?そういう説明で行くべきでしょうか?
逡巡している私が言葉を選んでいると、猪さんが面白がっているように目を細めました。
「うん。先輩の恋人のナカイ君…だよね?」
………。
……………?
…………………はいっ!?
「おー、良いリアクションじゃない?可愛いねぇ」
無意味な微笑み返しから疑問の表情へ、そして露骨な動揺顔へと移行した私を、イイノさんは楽しげな笑みを浮かべて眺め
ています。
「からかうなマサ。困っているだろう?…先輩も、こっちの事は話していなかったようですな?」
オジマさんは嗜めるようにイイノさんへ言うと、せっせとピザの箱を広げているヤマトさんを見遣ります。
「ん?あー、そういえば言ってなかったなぁ…。先にそこから言わなきゃならなかったか。悪いねナカイ君」
ヤマトさんは耳を倒し、混乱している私に笑いかけます。
「実はこいつら俺と同類なんだ。もう10年も付き合ってるのにちっとも冷めない、アツアツカップル!」
流石に驚きを隠せず交互にその顔を見る私に、虎と猪のお二人は揃って頷いて見せます。
「吃驚しました…。え?それじゃあ、お二人は私の事はもうご存知だったんですか!?その…、ヤマトさんとどういう関係で
あるとか…」
ヤマトさんは私に、お二人にはもう話してあるのだと説明してくれます。…なるほど、納得しました。どうりでイイノさん
が私を知っている風だと思ったら、あらかじめヤマトさんから聞いていたからですか…。
「メールに写真が貼付されて来たからね」
「おい!余計な事言うなってイイノっ!」
「メールのタイトルは「俺の春!」だったな」
「言わんで良い事まで言うなオジマぁっ!」
「うふふ!…あれ?ヤマトさん、私の写真なんて撮っていましたっけ?」
素朴な疑問を口にした私は、記憶を辿って確認します。…ヤマトさんが私の写真を撮った事は、気付いた限りではこれまで
一度も…。
「そ、それは…、ええと…」
ヤマトさんはやや言い辛そうに口ごもります。
どうしたんでしょう?と思っていると、私同様に首を傾げたイイノさんは自分の携帯を取り出し、「ほらこの画像」と見せ
てくれます。
それは、お店のカウンターに立つ私を斜め前から映した写真でした。
「あれ?ヤマトさん、お店に来た事なんてありませんよね?」
「その…、写真欲しいって言ったら、トベさんがソレ送ってくれて…」
もじもじと恥かしげに巨体を揺するヤマトさん。
「相変わらず奥手ですな。恋人に「写真を撮らせてくれ」の一言も言えんとは…」
「は、恥かしいだろっ!?」
声を大きくしたヤマトさんの手元で、力のかけかたを間違えたのか、ピザの箱が歪に千切れます。
「どの口がそんな事言うかなぁ…。ユウヤだっておれの写真は殆ど隠し撮りじゃないか?先輩に負けず劣らず恥かしがり屋さ
んなくせに」
「マサっ!?」
それまで表情に乏しかったオジマさんは、暴露されるなり裏切られたような表情を浮かべます。
思わずクスクスと笑ってしまうと、気を取り直したようにヤマトさんが笑いました。
「ま、こんな感じの二人なんだ。どっちも良いやつだから、仲良くしてやって!」
「はい!勿論!」
心の底から頷いた私に、イイノさんはニコッと、オジマさんは口の端をちょっとだけ上げて、それぞれ笑いかけて来ました。
当然と言うか何と言うか、体格から想像したように、オジマさんもイイノさんも健啖家でらっしゃいました。
量にすれば、大きなピザを一人一つ半以上は片付けています。
小食な私はさすがにそんなには食べられませんので、一種類一切れずつになりましたが、それでも5種類ありましたから、
もうお腹がいっぱいで苦しいです…。
食事を片付けたらコーヒータイム。普段は私が淹れますが、今日はイイノさんが手伝ってくれて、一緒に台所に立ちました。
こういった作業に慣れておいでなのが手つきで判ります。分厚くて大きな手は指も太いのに、とても器用に動いています。
「ユウヤと同居してるんだけどね、炊事洗濯なんかは全般がおれの担当なんだ。任せてもまともな飯作れないし、洗濯機もろ
くに使えないんだよあのひと」
微苦笑を浮かべてそうおっしゃるイイノさんは、呆れている様子ではありましたが、それでも嫌そうではありませんでした。
いいえ、むしろ嬉しそうですらあって…。
何となく判るような気がします。好きな人に何かしてあげられる事って、嬉しい物ですからね。
私もヤマトさんに食事をお出しするようになってからという物、前以上にお料理が楽しくなっていますから…。
聞けば、お二人は首都のマンションにお住まいだそうで、時折遊びに来ているそうです。
「これブルマンのナンバーワン?良いコーヒーだ!でもこういうチョイスは先輩じゃ無いな…、あのひとこういうのに拘らな
いから。ナカイ君のチョイス?それともおもてなし用に奮発したのかな?」
イイノさんはかなりヤマトさんの事を知っているのでしょう。トベさんから貰ったコーヒーを、部屋主が用意した物ではな
いとすぐに見抜きました。
私がコーヒーの出所を説明すると、イイノさんは可笑しそうに笑います。「そんな事だろうと思ったよ!」と。
「マサ、コーヒーまだか?」
「はいはいただいまー!…まったく、手伝おうともしないくせに催促は早いんだ、あのひと」
居間から飛んで来たオジマさんの声に応じると、イイノさんは私の方を見てペロッと舌を出します。
その表情はまるで少年のようで、人懐っこくて、とても好感が持てるものでした。顔は厳ついのに笑顔はステキで茶目っ気
があります。
私がもうすっかり打ち解けてしまっているのと同じように、きっと他の誰でも、この方とはすぐ仲良くなれてしまうでしょ
うね。ヤマトさんが自分の後の寮監をこの方に託したのも納得できます。その表情に、声に、やんわりと惹きつけられる…、
とても魅力的なひとです。
程無くコーヒーを淹れ終え、イイノさん達が手土産に持って来てくれたコーヒークリームたっぷりのロールケーキを切り分
けてこたつに並べれば、デザートを楽しみながら歓談です。
しばらくの間、話題はヤマトさん達が高校生だった頃の事になりました。
興味深く、大変面白いお話です。私の知らないヤマトさんの話題ですから。
何せ、常々ヤマトさんと私が交わす会話は、殆どが「今」の事です。私の「昔」についてはあの告白の際にしたきりで、そ
の後話題には上りませんし、ヤマトさんも自分の「昔」をあまり話してはくれません。
なので、私にとっては初めて聞く話ばかり。イイノさんもオジマさんも私の興味を察してか、高校生だった頃のヤマトさん
の事にばかり言及し、当の本人は居心地悪そうに頭を掻き掻き反論しています。
加えて、お二人も私達と同類という事もあり、赤裸々な暴露はかなり際どい話題にまで及び、実に聞き応えがありました。
それにしても…、かつてヤマトさんが今の私より年下だったというのが、感覚的にちょっと不思議で、新鮮です。
考えれば当たり前の事なのに、ヤマトさんにも学生時代があったんだなぁと、私は少々妙な気分になっています。
「でもまぁ先輩は昔からあんまり変わらないよ。高校時代もこんな感じだった」
「そうだな。以前から山親父だった。身も心も面構えも」
イイノさんとオジマさんが口々に言い、ヤマトさんはブスッとした顔で二人を睨みます。
「いつまりそれは若々しいって事だろ。高校時代のまんまって事は!」
「逆です逆。昔からおっさん風味だったって事で」
イイノさんが首を振ると、ヤマトさんは唸ります。
「何だとぉ!?オジマなんて輪をかけておっさん臭くなったし、見た目すっかり三十路越えだろうが!イイノなんてお前…、
高校時代はもうちょっとスリムだったろ!何だその腹!胸!顎下!太腿!そして尻っ!中年街道まっしぐらだろ二人とも!」
「顔の事など先輩に言われたくありませんな」
「体型の事とか先輩に言われたく無いですね」
オジマさんとイイノさんの連続カウンターに、ヤマトさんは「むぐぅ…!」と唸って二の句が次げなくなりました。さすが
は付き合いの長いカップル、息ピッタリです。
そこでイイノさんがふと気になったように表情を変え、「そういえば…」と話題を変えました。
「先輩、ヤマギシはもうナカイ君と会ったんですか?」
「ん?いやぁ、紹介しようとは思ってんだけどさ、忙しいみたいでなかなか都合が…」
「ヤマギシさん…?」
私が目で訊ねと、お二人は意味深な笑みを浮べました。
「ナカイ君はアイツの事、何だかすぐに判るかなぁ?」
「まず一目見たら首傾げちゃいますからね。ユウヤなんて凄いですよ?ついこの間まで犬だと思ってましたから」
「マサ。今日のお前は暴露し過ぎだ…」
ん?んん?何のお話でしょう?
「ま、その内紹介するよ、そのヤマギシってヤツもさ!俺とソイツはこっちで知り合ったんだけど、偶然って凄ぇモンでさ、
ソイツは何とこのイイノと同じ地元出身。しかも中学が同じだってんだから、世の中狭いよなぁ」
地元の同級生?えぇと、さっきイイノさんは東北の出とおっしゃっていましたが…、確かに、遠く離れたこの辺りで出会え
るなんて、凄い偶然ですね…。
話題は尽きる事がありませんが、途中でヤマトさんが呼びかけて、お二人は持参した携帯ゲーム機を取り出しました。
私が先日ヤマトさんから誕生日プレゼントに頂いた物と同じ機種です。
「持って来てるよね?」
ヤマトさんに確認されて、私は頷いてバッグを漁ります。
ここの所、来れば必ずと言っていいほどこれで一緒に遊びますので、毎回忘れずに持って来ています。
私が勤めているお店は大人のオモチャを取り扱う性質上、仕事は午後からになりますので、日中はかなり時間があります。
なのでこのゲームも結構ハイペースに進んでいたりします。
「お?オジマ、斧使うの?」
ヤマトさんの言葉で画面を確認すると、本人そっくりな厳つい虎の戦士は変形機能付きの斧を背負っていました。
「それ、まだ練習中なんですよユウヤ。でも何か「熱い!」とか言って興味津々みたいで…」
そう言うイイノさんの操作キャラクターは、槍を背にした本人そっくりな猪。…いや、本人と比べて気持ちスリムかも…。
なお、ヤマトさんの操作キャラクターは小柄な犬です。和風の甲冑を着込んで刀を背負っています。以前、どことなく私に
似ていると指摘したら、苦笑いしていました。「これ、理想のタイプにデザインしてんの…」と…。
ちなみに私のキャラクターは熊獣人です。一度キャラクターを仮に作成し、操作などを一通り教えて貰った日の夜、部屋に
帰ってから手間隙かけて、色から体型から顔つきまでヤマトさんそっくりにデザインしました。
「しかしアレだなぁ。見事に全員獣人キャラだなぁ」
「しかもそれぞれそっくりなのが画面の中に居る!…一組操作者が逆になってるけど」
可笑しそうに笑うイイノさん。…確かに人口比で言えば、各々が自分に似せるか理想に近い形で作れば人間タイプになる訳
で、9割が人間型キャラターでしょう。
「これってさ、実は心理テストみたいなモンができるって知ってるか?」
急にそんな事を言い出したヤマトさんに、私達の視線が集まります。
「心理テスト…とは?」
オジマさんが胡乱げな様子で訊ねると、ヤマトさんは軽く肩を竦めました。
「人間が獣人キャラ使ってたら、大概は反差別主義者か獣人と人間をあんまり区別してないヤツ。逆もそう。少なくとも獣人
キャラ使ってる人間は付き合いやすいヤツ多いよ」
「なるほど…」
オジマ先輩が納得したように低く唸り、イイノさんは苦笑いしました。
「ここ数年で随分なくなりましたけどね、獣人蔑視傾向。特に首都じゃ「獣人お断り」の店やホテルなんて、もう完全に絶滅
してますよ」
少し遠くで起こっている物事をニュースなどで見るように、私はあまり実感できすにその話に耳を傾けます。
私の地元では獣人差別はありませんでしたし、こちらに出て来た頃には獣人差別は都会でも廃れていました。
だから経験した事は無いんですけれど、ヤマトさん達がこちらに住み始めた頃は、まだ差別が残っていたのかもしれません。
数年前まで首都を襲っていた数度のテロ騒ぎを経て、差別傾向が薄れて行ったそうです。
殆どタブーになっているらしく、ニュースでも取り上げられませんし、おおっぴらに噂に上る事もありませんが、未曾有の
危機に際し、首都に住む少ない獣人達の殆どが、その人間よりも恵まれた体力を発揮して、時に閉じ込められた隣人達を救い、
時に被災者を救助したのです。差別されたしがらみも、確執も、関係なく…。
言葉より行動。根拠の無い差別を習慣として受け継いできた人間達…特に若い世代は、そんな出来事を経て差別思想から脱
却しました。
一時期は獣人などほとんど見られなかったと聞いていましたが、今では首都の街並みを行き交う人混みに獣人が混じる割合
は、他の地域と変わりありません。
「トレンドな待ち合わせスポットが、今じゃ駅前の英雄の像だもんなぁ…。ちょっと前だったら考えられなかった」
しみじみ呟かれたヤマトさんの言葉が、私も何度か見た、駅前に立つ雄々しい白虎の像と、その台座に彫られた「我らは友
の顔を忘れず」という一文を思い出させます。
瓦礫の上に立ち、足元から斜めに突き出た鉄骨を押し退けている格好をしたあの像は、誰かを救助する虎さんがモデルにで
もなったのでしょうか?謂れは知りませんが、首都に住む芸術家が、決して忘れてはいけない事を形として留める為に作成し
たとか…。
「時代は変わる。…もしかしたら俺達って、知らない内に歴史の節目を歩き抜けて来たのかもしれないぞ?」
ヤマトさんはそう言うと、「さぁて、そろそろ始めるか!」と、明るい声を上げました。
高校時代の事などを思い出しているのでしょうか?
どことなく、そこはかとなく、ヤマトさんの表情は、まるで少年の物のようでした。
「な・ん・で、毎回毎回毎回毎回おれに真後ろから切りかかるのユウヤ?しかも敵に掠りもしてないし。わざとだな?わざと
だな?わざとだよね?開放突き真後ろからってのは完全にわざとだよね?」
「や、やめろマサ!たまたま後ろになっただけで、わざとではない!わざとでは決してな…、ああ刺すな!プスプス刺すな!
盾で突き飛ばすな!」
「だはは!相変わらずだなぁオジマは。そんなにイイノの尻が魅力的か?」
「先輩までそう悪乗りを…。マサっ!突進までする事はないだろう!?」
「ああごめん。ゴミかと思ったらユウヤだったのか、コレ」
「…ご、ゴミっ…!?」
…ヤマトさんの後輩お二人は、とても面白い方でした!