ユキ・4

「すっかり様変わりしたなぁ…」

 部屋の中を見回して、大きな熊さんが感慨深そうに呟きます。

 このひとは大和直毅(やまとなおき)さん。体も心もとても大きな羆の獣人です。

高さがあるだけでなく肉付きが良く、貫録たっぷりの恰幅をしています。顔立ちそのものは熊らしくやや厳ついんですが、

人のよさそうな顔付きと柔和な表情のおかげで威圧感は全くありません。

「やっぱりナカイ君の家具と入れ替えて正解だったなぁ。見た目からしてサッパリ綺麗になった!」

 ヤマトさんはとても気分が良さそうです。かく言う私もそうですが…。

 申し遅れました。私は中井雪之丞(なかいゆきのじょう)。二十歳の犬獣人です。

 ツキノスケが帰ってから十日…。同居する事になった私達は、昨日今日と丸々二日掛けて引っ越しと部屋の模様替えに専念

しました。

 ヤマトさんは私が住んでいた部屋が気になっていたようですが、あそこは屋根裏を改築した特別室で、カウンターで区切ら

れただけのキッチンと六畳ほどのダイニング、寝室はロフトという開放空間。脱衣場とお風呂、トイレを除けば玄関から一繋

がりの空間で、総面積自体が狭いです。

 おまけに、ユニットバスはとにかく小さく、私はともかくヤマトさんが入れません。ロフト上の就寝スペースも狭い上に備

え付けの梯子は細く、215キロを超えているらしいヤマトさんは登れませんし、二人で寝るなんて無理です。ヤマトさんが

リビングで寝るようになってしまいます。

 加えて言うと、あそこの他の部屋と比べれば家賃は安いですが…、あのマンションは家賃自体が高めなんです。確認してみ

たところヤマトさんの部屋の方が少し安かったので、二人暮らしに便利な広さを家賃に加味して考えれば、古さに目を瞑って

もこちらが良いだろうという事で話し合いは纏まりました。

 私には勿論不満なんてありません。この部屋が好きですから…。

 引越しその物は重労働ではありましたけれど、それでも二人の共同作業。疲れても楽しく、充実していました。

 サンタクロースからの正規報酬、ヤマトさんにプレゼントされたランドクルーザーは、引越し作業でも大活躍!

 …ただし、ヤマトさんはペーパードライバーだそうで、ピカピカの新車をかなり緊張して運転していました。シートに背中

をまったくつけないで、お腹が窮屈そうな前傾姿勢になって、食い入るように前を見つめて…。

 早く運転に慣れないと…、などとおっしゃっていましたが…。

 一連の引っ越し作業で驚いたのは、ヤマトさんの手際の良さでした。トベさんのつてでお手伝いさんか引っ越し業者さんを

お願いしなくちゃいけないと思っていたんですが、ヤマトさんが頑張ったので二人だけでも手が足りてしまいました。

 何でも、ヤマトさんは以前、引っ越しのアルバイトをした事もあったとか…。今年おもちゃ屋さんに就職するまでは、色ん

なアルバイトをしてきたそうです。興味があるので、今度どんなアルバイトをしてきたのかお話しして貰いましょう。

 そんな経験に加えて、体が大きいヤマトさんは力持ちです。小さめとはいえ私がなかなか持ち上げられないテレビも、軽々

と運んでいましたし、腕が回らないカラーボックスも余裕を持って抱え上げていました。

 さらに、高校時代に寮の監督生をしてらっしゃったのも大きいのでしょう。作業は効率的に進められました。

 感心しながら働きぶりを褒めると、ヤマトさんは…、

「いやぁ…。俺、面倒臭がりだからさ。少しでも早く楽に済ませたくて…」

 と耳を倒して照れながら、御自分の手腕を謙遜してらっしゃいました。

 なお、大半が大学進学から使い続けて老朽化していたヤマトさんの家具は、部分的に私が使ってきた物と入れ替えられまし

た。洗濯機などはかなりガタがきていたそうで…。

 食器類や図書類は未整理のままダンボールに収まっていますが、これも明日から選別していく予定です。トベさんや店長か

ら頂いた食器やカップ類にはお洒落なセット品もあります。ヤマトさんはお客さん用のセットをお持ちでないので、今度お友

達が遊びにいらっしゃった時には早速活用できます!

 そして…、そんな引越し作業もついさっき、最後に洗濯機を入れ替えて終わったんです!この気持ちのいい満足感を、期待

感を、何と言って表現すればいいのか…!

 私は今日から、この部屋でヤマトさんと暮らすんです…!

「もう暗くなってきたな…」

 レースのカーテンを透かして窓の外を見遣ったヤマトさんは…、

 グゴギュゥゥウウウルルル…

 突然響いたお腹の虫の音を抑えるように、パッとお腹を抱えて前屈みになりました。

 恥ずかしそうに耳を倒して眉尻を下げているヤマトさんに、私は笑いかけます。

「たくさん働いてお腹も減りましたよね?早速夕飯の支度をします」

「わ、悪いねぇ…。まだ早いのに…」

 そう言ってヤマトさんが見遣った時計は四時半を示しています。確かに少し早いですが、御昼も作業途中で軽く食べただけ

でしたからね。

「すぐできますから、ちょっとだけ待っていて下さいね?」

 そうお願いしつつ、私は普段より一歩踏み込んでみました。

「!?」

 大きなお腹に「ね?」と話しかけ、そっと可愛がるように撫でた私を、ビックリ顔のヤマトさんが見下ろします。

 悪戯っぽく笑った私に、ヤマトさんは少し恥ずかしそうにしながらも、ムッとしたような怒り笑いの顔を作って応じてくれ

ました。

 ふふ…!今日からは同居の恋人なんですから、距離は思い切ってどんどん詰めて行きますからね!ヤマトさんの遠慮症がそ

う簡単に治らない事は、そろそろ判って来ましたから!

「それじゃあ、取り掛かります」

「なら俺、今の内に風呂洗ってくるから」

 そう言葉を交わした私達は、どちらからともなく顔を弛めました。

何でもないやり取りに混じる、同棲を始めたという事実で、胸を温めて…。



 今夜はステーキです!お祝いという事で、奮発して良いお肉とお酒を買ってきました!

 専門的に学んだわけではない私ですが、料理はそれなりに得意です。節約料理から入って守備範囲が広がったんですが、…

ここだけの話、デリバリーヘルスでも、その…、お嫁さんプレイや新妻プレイなどやっていましたので…。

 で、でもまぁそのおかげでヤマトさんが喜んでくれるくらいになれたんですから!良しとしましょう!してください!

 …コホン!さて、集中です!肉を焼くだけの単純な物に見えて、焼き方と工夫次第で美味しさが変わるのがステーキ。引っ

越し祝い兼、同棲開始祝いの晩餐なんですから、絶対に失敗できません!

 今夜の相手は大物…。ステーキ用サーロイン180グラムがどどーんと五枚。鮮やかな赤味に美しく白い脂がさした、一流

ステーキショップでプレミアクラスに分類される上物です!

私には一枚で十分すぎる量ですが、ヤマトさんは健啖家です。驚くほどの量をペロっといっちゃいますから、これくらいな

いと足りませんからね…。

 冷蔵庫から出したお肉は、数か所すじ切りして焼いている内に反らないように細工したら、一旦置いておきます。

次いで、今朝作って味を染みこませておいたポトフを、弱火に掛けてゆっくり温めながら…、まずはソース作り!

 目を保護するゴーグルを着用し、玉ねぎをすりおろして余分な汁を流し、ニンニクをすってこれに混ぜ、お醤油を適量加え

ます。お手軽お手製オニオンガーリックソース、完成です。

 次いでブロッコリー、ニンジン、またもタマネギと、野菜を下拵えしておきます。

 ここでフライパンを強火にかけたら、ニンニクの芯を抜いて輪切りに。私の場合はこの作業が終わる辺りでフライパンが丁

度温まるので、手を洗ってニンニクの汁を入念に落としてから、フライパンで牛脂を溶かしてニンニクを入れます。

 手早くお肉に塩胡椒をまぶしていると、早速ニンニクが焼けた良い香りが漂って来ました。

 ここまで約十五分…。肉を置いておく時間も充分。御待ちかね、投入タイムです!

アツアツのフライパンにお肉を入れれば、ジュワァッと焼き音が!跳ねる油と音に加えて、肉が焼ける良い香りが、一日働

いて栄養を欲しがっている体を誘惑します。

 赤くふつふつと肉汁が浮いて来たら返し時。サッとひっくり返し、焼き目にワインを振って香り付け。この時に肉汁と脂が

バチバチっと音を立て、ワインが火を上げます。個人的にテンションが上がる醍醐味の一瞬です!

基本に則り返しは一回。両面を焼いてレアに仕上げたら、湯煎して温めておいたお皿に乗せて付け合せを盛り付けます。

 私の分は一枚ですが、ヤマトさんの分は計三枚。二枚は食事の途中で追加で焼き、アツアツで召し上がって頂きましょう。

残りの一枚は後でサイコロステーキにして、お摘み兼明日のお弁当のおかずにするので、これも今は焼かないでおきます。

 …お弁当…。明日からはヤマトさんのお弁当を毎日私が…。はっ!いけませんよユキ!集中です!

 二枚目のお肉を熱していると、鼻をヒクヒクさせながらヤマトさんが台所を覗きました。お風呂掃除は終わったようです。

「もうすぐできますから、ちょっとだけ我慢してくださいね?」

 お肉の香りに食欲を刺激されたらしく、ヤマトさんは唾を飲み込みながら頷きます。

「何か手伝う事ないかな?」

「あ、大丈夫です。座っていて貰っても…」

「いや、でもさ…」

 ヤマトさんは少し恥ずかしげに鼻の頭を掻きました。

「こ、今夜から同棲するわけだし…、家事も分担っていうか…。いやそりゃあ料理はからっきしだからお願いしたいけどさ、

俺も手伝える事は手伝うべきだなぁ、と…」

 恥ずかしがっているヤマトさんの有り難い申し出に、私は尻尾をはたはたと振ります…。

「…それじゃあ…、御飯を盛って貰っていいでしょうか?」

「よしきた!」

 ヤマトさんはジャーの横について、私が用意しておいた湯煎済みの温かい丸皿にご飯を盛ります。

「ナカイ君このぐらい?」

「いえ、もう少し少ない方が…」

「これぐらい?」

「もうちょっと…」

「こう?」

「はい、それくらいで」

「って、うぉあ!火が出っ!?だだだ大丈夫ナカイ君!?」

「あ、大丈夫です。香り付けにワインを入れたので…」

「へぇ…。本格的だなぁ!」

「と、とは言っても、本とテレビを参考にしただけなんですけど…!」

 感心して手元を見つめられた私は、照れながら応じ、幸せを噛み締めます。

 ヤマトさん、気付いているでしょうか?判っているでしょうか?私が今、どんなに満たされているか…。

 …いいえ。きっと理解していませんよね…。ヤマトさんは自分がどんなに好かれているかという事には、なかなか気が回ら

ないひとですから…。

 さて!支度が整ったらふたりで食卓へお皿運び。冷めないうちに召し上がって頂かないと!

「そ、それじゃあ!まずは乾杯…あれ?」

 コタツについたヤマトさんが、コルクを抜こうと手にしたワインボトルを見つめ、言葉を切ります。

「白ワイン?」

「はい」

「赤じゃないんだ?何か肉料理のワインっていうと赤いイメージが…」

「ああ、そういう組み合わせの方が外れない事が多いので…」

 ヤマトさんが首を傾げます。えぇと、私も飲酒初心者なので説明が難しいんですが…。

「肉料理に赤ワインは、判り易い覚え方と言うだけで、鉄則ではないんです。…あ、これはトベさんや店長の受け売りなんで

すけれど…。このワインは肉に合うという事でトベさんがチョイスしてくれたので、たぶん大丈夫だと思います」

 もし興味が湧いたなら食べながら説明しますから、と促して、まずは乾杯。ヤマトさんが掲げたグラスに私のグラスを下か

ら当てて、軽やかに鳴らします。そして…、

『頂きます』

 声をそろえて晩餐開始。アツアツのレアステーキに取り掛かります。

「肉料理に赤ワインが良いというのは、さっぱりし過ぎたワインだと、肉の味に負けてしまうからなんです。逆に、さっぱり

した魚料理に赤ワインだと、赤ワインの風味が強過ぎて、メインの魚が負けてしまう事も…」

 ヤマトさんに促されて、私は食事しながら説明を始めました。

「例えば、濃い味付けのソースを使う魚のフライだったなら、多少風味が強いワインでも大丈夫です。むしろバランスをとる

ように選ぶ事が大切だそうで…。今回のワインは白ですが、口の中に残る香りが強めでしょう?」

 ヤマトさんはグラスを鼻先に寄せ、改めて匂いを嗅いでからちびっと舐めて、「確かに…」と頷きます。

「オニオンガーリックソース仕立てのステーキには合うはずだとの事で、トベさんが選んでくれたドイツワインなんです」

 それから私は、自分ではこの間まで味わう事ができなかったお酒と料理の相性について、ヤマトさんに尋ねられるまま説明

しました。

 …まぁ、お酒の知識はホスト勉強で身につけた物が大半なんですが…。

「へぇ〜!ナカイ君は物知りだなぁ!」

 ヤマトさんに褒められて照れた私は、

「料理も美味いしワインも合うし、幸せもんだなぁ俺!」

 そんな事まで言われてしまって赤面します…。物知りなのはヤマトさんの方です。私の場合は知識が偏っていますから…。

 お肉が口に合ったようで、大きな手で巧みにフォークとナイフを操るヤマトさんは、あっという間に一枚目をペロリ。追加

で焼いたお肉もそう間を置かずに平らげてしまいました。最後の三枚目は少し時間をかけて、ワインを楽しみながらゆっくり

切り分けていきます。

 …しかし、私の方は…。

「ナカイ君?もしかしてもういっぱい?」

 ヤマトさんに問われて、私は小さく頷きます。…180グラムは、やっぱり多かったようです…。お腹が苦しくなってきま

した…。

「あの…、食べかけで申し訳ないんですが、ヤマトさんまだ食べられま…」

「食う!うん!食うよ!」

 お肉大好きヤマトさんは、一も二もなく即答でした。…サイコロステーキ、食べられますかね?私…。ちょっとお腹を休ま

せないと…。



 晩餐を終えたら、お皿だけ手早く洗って、おろしポン酢のサイコロステーキを肴に残ったワインを楽しみながら、ちょっと

歓談して携帯ゲーム機で遊びます。とは言ってもお風呂前ですから深酒はしませんけれど…。

本当は同棲に当たっての家事の分担とか、ふたりで話し合わなければいけない細かな事があるんですが、今日の所は引っ越

しお疲れ様という事で、明日の晩に先送りになりました。

 のんびり過ごす食後の時間は幸せな物…。一喜一憂しながら会話を弾ませ、ハンティングアクションに興じます。

 なおこのゲーム。ヤマトさんから本体とセットで頂いた物なのですが、序盤はさくさく進んだのに、途中から難易度が上がっ

て詰まってしまいました。時間はたっぷりあるんですが、腕のせいで進みがイマイチ…。

 ヤマトさんと二人だと随分楽になるので、ここぞとばかりに没頭していると…、あっという間に九時になってしまいました。

 カタカタとボタンを叩く音が響く中、私は時間の事を口にします。

「ヤマトさん」

「うん?」

 和風セパレートアーマーを着込んだ、身長よりもずっと長い刀を振り回す小柄な犬を巧みに操りながら、ヤマトさんが応じ

ます。

「そろそろお風呂を済ませた方が…」

 大柄で太くて丸い、ヤマトさんに似せてデザインしたキャラクターに装填アクションさせた私は、狙撃を再開しながら入浴

を勧めます。

 …使っているキャラクターの見た目が交換したように逆な私達です…。

「そう…だなぁ…。一応保温にしてるけど…」

「それじゃあこれが終わったら済ませましょう?」

「そうしようか」

「一緒に入りましょうね」

 そう、私が会話の流れに乗せて距離詰めの半歩を捻じ込んだ途端、犬侍の動きがピタッと止まり、その真下から地面を割っ

て怪物が現れました。

「おふあっ!?」

「ヤマトさん!?」

 怪物に天高く跳ね上げられ、手足をバタバタさせながら落下してくる小柄なワンコ…。動揺したらしいヤマトさんの動きは、

そこから先、しばらく精彩を欠いたままでした。

 済みません…。でもそんなに取り乱さなくても…。同棲までしてるカップルじゃないですか?私達は…。



 広いとは言えない浴室の空気は、湯船のふたを開けたら一気に湯気で薄化粧し、ほのかに温まりました。

 私の部屋もそうでしたが、狭い利点という物も確かにあって、暖房機能はなくても湯船の熱で室温が上がり易いです。おま

けに換気効率も良好。

 お風呂の隅のラックには石鹸類がありますが、今は乗りきらなくてボトルがいくつか床に直置きされています。部屋からそ

のままそっくり持ってきた、私の分の一式です。

 シャンプーもリンスもソープも二種類ずつ…。このままだと場所を取りますから、お互いに使ってみて、あうようならどち

らかに統一した方が良いかもしれませんね。

 …それにしても遅いような…?

 ヤマトさんがなかなか来ないので、私は脱衣場を振り返ります。

 …ガチガチでした。まるで雪山で凍えたひとかロボットか、ヤマトさんはギギギ…とか関節が擦れる音でも立てそうな雰囲

気でギクシャクノロノロ服を脱いでいます。まだトレーナーとズボンを脱いだところで、アンダーウェアと靴下がそのまま…。

何やら靴下を脱ぐのに苦労している様子…。

 片足立ちのヤマトさんは、私と違って膝を抱えるようにして靴下を脱ぐのではなく、胡坐をかくように足を横に曲げて靴下

を脱ぐスタイルでした。

 …あっ!膝を抱えるとお腹が邪魔なんですね!?可愛い!

 次いでシャツに手を掛けたヤマトさんは、裾をめくって豊満なお腹を出し…、顔を上げて私を見て、耳を倒します。

「あの…、な、ナカイ君…。じっと見られてると脱ぎ難いんだけど…」

 え?これから裸になるのに!?

 恥ずかしがるヤマトさんの態度で、今からそれでどうするんです?と思いはしたものの、ここは素直に浴室の方を向いてお

きます。

「シャワー浴びて入ってて良いよ?」

 とヤマトさんはおっしゃいますが…。私、実は勝負をかけるつもりでいます。

 今日は同居初日!いい機会ですから、ここで大きく前進してきっかけ作りをするんです!…そうでないと、奥手なヤマトさ

んはなかなか踏み出せないみたいですから…。

 やがて私の背後でドアが閉まる音が響きました。

 密閉されて音が籠った浴室で、振り向いた私の足が立てる湿った音が、やけに大きく浮き上がります。

 恥かしがって背を丸め、大きな体を縮めたヤマトさんと、背筋を伸ばして向き合う格好になった私…。ヤマトさんがあまり

にも大きいので、入ってきたら浴室が縮んだように錯覚してしまいました。

 私の柄ではないんですが…、こういう所で積極さを見せないと、ヤマトさんがいつまでも距離を詰めてくれそうにないので、

裸アピールです。

 デリバリーを呼んだ初心者に特に多い、呼んだは良いけれど恥ずかしくて積極的になれないお客さんなどには、こっちが恥

ずかしがっている素振りを見せてはいけないという基本があります。こちらが堂々としていると、お客さんも「ああ、恥ずか

しがらなくて良いんだ」と安心したり納得したりできるものなので。…もっとも、恥らっている様子を好むお客さんも居りま

すので、場合によりますが…。

 そんな訳で、私は恥ずかしくない事を強調する為にあえてシャンと背筋を伸ばして、堂々とヤマトさんのお体を観察します。

 …実は、以前お風呂をご一緒した時は、状況が状況だったのでそんなにまじまじ見られなかったんですよね。落ち付いてじっ

くり見るのは初めてです。

 羆らしいモサッとした被毛に覆われたボリューム満点の体…。服を着ると被毛が寝るからなんでしょう。ヤマトさんは裸の

方がボリューミーに見えます。

 着痩せするタイプなんですね、そういえばツキノスケもそうでした。毛がもわっとしていると、トレーナーなどを着ていた

方が細身に見えるんですよね。

 肩幅が合って分厚い体躯。肉付きが良い太い手足。豊満過ぎて垂れた胸と、その下の丸く張った大きなお腹…。お肉が厚い

せいでおへそが深く窪んでいます。下腹部はお肉で段が付いていて、そのまた下にはむっちりとした股間…。

 ヤマトさんのモノは、体があまりに大きいせいで小振りに…というか短く見えてしまいます。実際には標準的で、むしろ太

さは並以上なんですが、根元がお肉に埋没している分と太さのせいで寸詰まりに見えてしまうんですよね。

 そんな風にしっかり見られる私とは対照的に、ヤマトさんは目のやり場に困っている様子で、私をチラッと見ては目を逸ら

し…、再びチラッと見てはまた目を逸らし…。…初々しい…。

 やがてヤマトさんは、向き合ってお互いの姿を晒しあう事に耐えられなくなったようで、おずおずと口を開きました。

「か、風邪引いちゃうよ?早く入らないと…」

「そうですね。ではさっそくお背中を流しましょうね!」

 流れに棹差す、お背中流しの促しに、ヤマトさんの口がバコンッと大きく開きます。

「いいいいいやいいよ自分でやるからホラいくらデブってても体ぐらい自前洗浄可能でノープロブレム心配いらないからね綺

麗にして臭くなくできるからねっ!?」

 やたら早口であわあわ言うヤマトさん…。巨漢が取り乱す様子はユーモラスで何処か可愛いのですが、こればかりでは先に

進みません…。

「いえ、別にそういう事を心配してる訳ではなくてですね…。カップルなんですから!背中の流しっこくらいはしますよ!」

 私はここぞとばかりに普通の事、当然の事、皆がやる事、…とアピールします。

 ヤマトさんはしばらく難色を示していましたが、

「…まぁ、オジマやイイノとも背中流し合ったりしてたしな…」

 ボソリと、聞き捨てならない事をおっしゃいました。

 あの、物凄く興味があるんですけれどそのお話?どういう経緯で背中の流し合いしてらしたんですか御三方?もしかして縦

に三人並んで一列背中流しですか!?見たいっ!

 …コホン!まぁ今問い質そうとしてもヤマトさんが困るでしょうし、恥かしがって答えてくれない可能性も…。明日にでも

イイノさんにお電話してみましょう。

 意を決したヤマトさんは大きなお尻を床に直接つけて、壁に備え付けられた鏡と向き合います。床はそれほど冷たく感じな

いようです。

 こちらの気候に馴染んで、寒さにももう強くなくなったとおっしゃいますが…、やっぱり道産子ですよね。寒い冷たいへの

耐性が、私達とは元々大きく違うんでしょう。

「痒いところとか、言って下さいね?」

「え?あ、う、うん!…な、何だか床屋みたいだなぁ、ははは…!」

 恥ずかしげに言ったヤマトさんは、いくらか緊張が解けたのか、表情が柔らかくなっています。

 私はボディシャンプーを見比べて、「試しに私のを使ってみますか?」と尋ねました。

「う、うん。…ナカイ君の石鹸かぁ…」

 何やらもぞもぞっと身じろぎしたヤマトさんの、広くて肉付きの良いむっちりした背中にシャワーをかけ、しっかり泡立て

たボディシャンプーを塗りつけた私は、良いタイミングなので背中を流しながらの話題に、シャンプーやソープの事を持ち出

しました。

 さっきも思いましたが、シャンプーなどを共通の物にできればスペースも取らないので…。その事について窺ってみると、

ヤマトさんはこう言いました。

「確かに、少なくなれば幅は取らないが…。ナカイ君はそういうの、あんまり気にしなくて良いからね?」

「え?」

「俺はホラ、無頓着でシャンプーとか拘り無いから…。まぁそういう雑な面のせいで今まで恋人できなかったのかもだけど…。

いや違う脱線すんな俺!」

 一瞬耳を倒して項垂れ、しょぼくれたヤマトさんは、すぐさま顔を起こして鏡越しに私を見ました。

「俺は何でも良いから、ナカイ君の好きなヤツで揃えよう」

「え?で、でも、それだと、ヤマトさんが好まなかったり、合わなそうな香りの物になったりとかしてしまうかも…」

「ん〜…、俺自身の好みっていうのはあんまり無いから大丈夫だけど、ナカイ君は確かに問題かな…。物凄く鼻が鋭いから、

俺に合わないのだと気になるか…」

「いや、そんな事は…」

 …ヤマトさん、また私の事ばっかり…。切り出す話が全部私を主に置いた物になってしまって、何だか申し訳ないです…。

「ナカイ君が気にならない限りは、全部共通にしちゃっていいかもな。ナカイ君が変だって思うようだと絶対に一般常識的に

変って事だから、気を付けよう」

「そ、そんな私を常識の物差しみたいに…!」

「いやほら、俺って自分の体臭に鼻が慣れちまってるし、絶対にナカイ君の鼻の方が正しいってば」

 ヤマトさんはそう言って、肩を揺すって笑うと、

「…でも、本当はスペースの事とか心配しなくて良いようにしなくちゃいけないんだよなぁ…」

 と、ボソボソと呟きました。

「え?心配しなくて良いように?」

 聴き返した私に「ん…」と頷くと、

「引っ越し終わったばかりだし、そんなに余裕もないのにこんな事言うのも気が早すぎるだろうけど…」

 目を伏せて、少し恥ずかしげに鼻の頭を指先で擦り、ヤマトさんは言いました。

「…狭くて困る事がないようなトコに、引っ越して暮らせるように…、俺、頑張るからさ…。…ど、どんぐれぇかかるか判ん

ねぇけども…」

 ………。

 それは、ヤマトさんの精一杯なアピールだったのかもしれません。

 遠回しで、実際に今はまだ目標は遠くて、何年先になるか判らないけれど…、その時も一緒に居よう、という…。

「ヤマトさんだけが頑張るんじゃないですよ?私も収入あるんですから!」

 喜ばしくて、嬉し泣きしそうになって、私は弾んだ声で横槍を入れました。

 …いいえ、ただの横槍じゃありません。これは私の目標でもあります。生まれてこの方望んだことが無い、一番大きくて高

額で遠い目標…!でも、決して手が届かない物じゃない、確かな夢…!

「そ、そっか。そうだった…!二人で頑張ってみる?車の維持費とか大変だけど…」

「はい!頑張りましょう!」

 私は大きく頷いて、止まっていた手を再び動かし始め、ヤマトさんの背中を丁寧に洗います。ヤマトさんはワシャワシャと

体の前面を洗っていますが…、大きなお尻で小さな尻尾が時折小刻みに震えるのが可愛らしくて、そして嬉しいです。

 流し応えがある広い背中を綺麗にし終えたら、

「そ、それじゃあ交代で…!つつ、次は俺がっ、ナカイ君の背中流すから…!」

 と、ヤマトさんがつっかえながらも、一歩踏み込んできてくれました!

 喜び勇んで「はい!」と返事をしてタッチ交代。持参したお風呂用の椅子に座って鏡と向き合うと…、後ろに居るヤマトさ

んが背後を埋めて、向こう側の景色が映りません…。

 力ずくとかで押し倒す気になったら私では絶対に抵抗できない体格差なんですけれど、ヤマトさんは本当にそういう事をし

ないひとなので…。

 ヤマトさんから見ると私が小さいからでしょうか?交換する形でヤマトさんのボディシャンプーを泡立てた大きな手は、おっ

かなびっくりぎこちなく、しかし丁寧に背中を洗って行きます。

 表現し難い幸福感…。「気持ち良い」と「嬉しい」が混じり合った感覚で、私の胸はトクントクンと脈打ちます。

 少し時間をかけて私の背中を流した後、ヤマトさんは「じゃ、先に入ってよ?」と湯船を手で示して私を促しました。

「いえ、ヤマトさんが先にどうぞ」

「いやいや、ナカイ君が先で…」

 いつも通り、駄目な具合の譲り合い…。

 このままではいけません!ここは私が強く行かないと!

「では一緒に入りましょう!」

 私はきっぱりと言って…、あんまり考えずに発言したと、一瞬遅れて気付きました。

 浴槽は…、私の元の部屋のユニットバスと比べれば広いものの、ヤマトさんひとりでいっぱいいっぱいの大きさ…。どう頑

張っても並んで膝を抱えてチョコンと座るなんていう私の完成予想図は実現するはずがありません。

「い、一緒に!?」

 ヤマトさんが動揺した声を上げます。が、まんざら嫌と言う訳でもないようで…、お気付きでないようですが、股間で愛く

るしいのがピクッと少しだけ頭を上げました。

 しかし…、直後に湯船を確認したその視線には、激しいまでの疑問と戸惑いの光がありありと浮き上がって…!「いやいや

コレ無理だろ?」とか思ってますよ絶対!

「で、できます!入れますよ!」

 ここで勢いを失ったらまたうやむやになると感じて、私、強引に食いつきます。

「あ、あのねナカイ君?俺、たぶん君が思ってるほど痩せてな…ぃ…。…ゴメン…。なんかもぉ色々ゴメン…」

 ああああ!何だかちょっと嬉しそうな感じの気配が霧散してヤマトさんが落ち込みモードにっ!でもホッとしたような雰囲

気もあるのは何故!?

「大丈夫です!と、とにかくヤマトさんは先に入って下さい!」

 私に促されて、しぶしぶお風呂に浸かったヤマトさんは、お湯があふれ出した縁に腕をかけ、ほらね?と言わんばかりの顔

で私を見ました。

…確かにみっちりです。背中を端に押し付けて、膝を立てていますが、余裕がありません。…立てた両脚と腰の間ぐらいに

しか…。

「では、失礼します!」

 やる気を出して縁に手を掛けた私は、ヤマトさんが慌てるのにも構わず、僅かな隙間に足を入れて…。

「わ、わわわ、あわー!?」

 声を上げるヤマトさん。湯船からあふれ出す大量のお湯。

浴槽の片側に背中を預けたまま、仰け反るように身を引いたヤマトさんのまたぐらに、私は爪先立ちで屈む格好でチョコン

と収まりました。

 脚を広げているとは言っても両側が浴槽の壁ですから、太腿の間にはスペースが無く、私はみっちり収まっています。おま

けにヤマトさんの肉付きの良いお股に折った足を入れる格好になっているので、膝が柔らかなお腹にぎゅぅっと押し付けられ

ています。…加えて言うと至近距離で向き合っていますね…。

「あ、苦しくないですか?」

 膝がお腹に軽くめり込んでいるので思わず発したこの問いは…、我ながら間抜けです。狭苦しいです。非常に。

「あ!う!お!」

 目を真ん丸にして口をパクパクさせているヤマトさんは、…ん?脛の辺りに何か当た…?

 異物感に誘われて下を向いた私は、少し開いた足の隙間からそのまた下を確認しようとして…、一瞬遅れたものの、見る前

にソレが何だか悟りました。

 が、見下ろす動作を中断しようにも時すでに遅し!焦ったヤマトさんが見られまいとして、反射的にガバッと脚を閉じにか

かります。

…しかし…、ええ。私が居ます。脚の間に。その結果…。

「わっ!?」

「うおっ!?」

 ヤマトさんの脚が急に狭まってきてバランスを崩され、浴槽の底に爪先立ちだった私は足を滑らせ、水飛沫を上げながらヤ

マトさんに倒れ掛かりました。

 ゴゴンッと浴槽がくぐもった衝突音を上げます。

 お尻を滑らせたヤマトさんは、浴槽の底に腰を沈めてやや仰向けになって、浮き上がった私はその上にうつ伏せになって、

狭い浴槽の中で密着して…。

 ヤマトさんの胸の上、肩の少し内側に顎を乗せる形になった私は、チャプンチャプンと乱れの余韻で音を立てるお湯の中、

柔らな弾力を持つ大きな体に身を預けたまま、しばらく息を殺していました。

 ヤマトさんの股の間で、太腿が、硬くなったモノに触れています…。

 耳元をくすぐる、荒い吐息…。興奮と焦りでふいごのように上下するお腹と、柔らかい胸…。縁をきつく掴んだヤマトさん

の手は、力み過ぎて少し震えていました。

 あ、アクシデントは予想外でしたが…、こ、これは…、良いアクシデントかも…?

 私は硬くなっているヤマトさんを過度に刺激しないよう、そっと顎を離しました。

 誘っちゃいましょう。キスくらいは…、いえ、この興奮具合からするともっと先まで、今夜のうちに行けるかも…。

「あの…。ヤマトさん?」

「ふぁい…?」

 顔を見る直前に、何だか少しおかしい発音の返事を耳にして眉根を寄せた私は…、ヤマトさんの顔を見るなり硬直しました。

 …鼻を…、片手で押さえています…。

 その下から、ボタボタと血が…。

「ヤマトさん!?」

 ま、まさか?興奮し過ぎて鼻血!?

 大量に鼻血を流しているヤマトさんから慌てて身を離したら、

「なふぁいふん、肩、だいじょびゅ?」

 大きな熊さんがそんな事を言い、私は右肩の軽い痛みを自覚しまし…た…。…?ま、まさか…!?

「当たりました!?」

 ウルウル涙目でコクンと頷くヤマトさん…。

 力んでいたのは…、呼吸が荒かったのは…、転んだ拍子のショルダーアタックで鼻面を痛打されていたから!?

「ごごごごごごめんなさい!だだ大丈夫ですかっ!?」

 慌てて謝る私…。

 結局、急いでお風呂を出てティッシュを鼻に詰めたものの、鼻血がなかなか止まらないヤマトさんは仰向けからろくに動け

ず…、記念すべき最初の夜はこれ以上進展らしい進展もなく…。

 …張り切ったのに、同棲初日からダメな子ですね、ユキは…。

 明日の朝食とお弁当作りは、お詫びも込めて頑張ります…。