第十五話 「期末も終わり」

良い天気だ…。

期末試験が終わった開放感も手伝って、ぼくは弾んだ気分で空を見上げる。

物凄く暑いけれど、苦役を終えた達成感の前では気にならない。

寮までの帰り道は、見飽きたはずの景色がいつになく輝いて見えた。

ぼくは岩国聡。星陵ヶ丘高校三年生で、第二男子寮の寮監と柔道部の主将を務めている。

「その顔を見るに、手応えはあったようだな?」

横を歩くでっかい牛が、顔を窺いながらそう声をかけて来る。

「おかげ様で。試験前のシンイチは本当に頼りになるなぁ」

笑いかけたぼくに、シンイチは照れ笑いしながら頭を掻いて見せた。

「以前はワシが教えられる側だったがなぁ…」

「本当、シンイチは変わったよ。一年の頃のぼくに教えてやりたいくらいだ。「ソイツ別人になるぞ?」って」

「別人か」

「別人だね。頼れる団長さんになったし、すっかり男前になった。あの荒くれ者が驚きの大変身」

「…それを言うな…」

気恥ずかしそうに眉尻を下げたシンイチは、顔を前に向けて笑い混じりに呟く。

「とんでもなくガキだったからなぁ、あの頃のワシは。思い出すと恥かしくなる」

「大変身のコツとかあるのかい?例えばアブクマが明日から勉強できる子になるとかそういう…」

「そのレベルになると改造人間的変身でないと無理だと思うが?」

さらっと厳しい大牛…。

「まぁ、ワシに限って言えば…、恋を…した…事が…、変わったきっかけ…になる…か?」

尻尾を落ち着き無くパタコラ振りながら、視線を宙に彷徨わせつつボソボソと呟くシンイチ。…聞いているこっちまで恥か

しくなるセリフだなぁ…。

「さて、試験も終わって肩も軽くなった事だ!」

シンイチは急に明るい声を出し、素早く周囲を見回して、話が聞かれそうな距離に他の生徒が居ない事を確認する。

「こ、今夜辺りはだな!し、試験も終わった打ち上げ的なアレで…、け、結構アレな感じのアレをだな!」

唐突にしどろもどろになるシンイチ。忙しなく動く尻尾はでかい尻を打ってペシペシ音を立てている。

アレって何だ?っていうかアレだらけでアレだぞ?さっぱり判らないぞ?

「…えぇと…、アレって…?」

挙動不審なシンイチの態度から、若干の緊張を覚えつつ訊ねると、

「あ、アレというのはアレだ…、そのぉ…」

でかい牛は首を竦めて背中を丸め、小さくなって胸の前で人差し指をちょんちょん突き合わせる。

「…い…、一緒に…、DVDでも観賞せんか…?」

……………。

「…む?どうしたサトル?」

別の意味での不意打ちを食らったぼくは、呆気に取られて立ち止まり、二歩進んでからそれに気付いて振り返ったシンイチ

は、眉根を寄せて耳を寝せる。

「…だ、ダメか!?忙しいか!?」

「いや…、そうじゃなくて…」

何でそんな事でキョドってたんだ?とは思ったけれど、ぼくは小さく吹き出してから歩みを再開した。

考えてみれば、こういう風に「今夜は一緒にDVD観よう」って話をするのは初めてかもしれない。だからちょっと恥かし

いのか…。

話題の映画くらいは普通にレンタルして観るし、一緒に観るのは別に珍しい事でもないけれど、これまでは、お互いに気に

なった物を借りて来て、申し合わせもせずに一緒に観るのが常だったからなぁ。

「良いよ。何か見たいのがあるんだろう?」

笑みを浮かべて承諾したぼくは、しかしこの夜、シンイチが恥かしげだった本当の理由に納得する事になる。心の底から「

なるほど…」って…。



「…アニメだったのか…」

レンタル用のケースに入ったDVDを眺め、ぼくは呟いた。

「や、やはりアレか?アニメはアレ過ぎてアレか!?」

テレビの前で四つん這いになり、低い位置にあるデッキの準備をしていたシンイチが、肩越し…というか尻越しにグバッと

こちらを振り返る。

…そんな尻尾をビンッと立てる程激しく反応しなくとも…。そしてまたしてもアレばっかりでアレだよシンイチ。

「いや、意外に思っただけ。珍しいっていうか…、ぼくの前じゃ初めてなんじゃないかな?シンイチがアニメ観るなんて」

シンイチの好む映像作品は、ぼくが知る限りだと、推理要素が入ったアクション物とか、ハードボイルドな映画ばかりだっ

た。…アニメは本当に意外だ…。というか、本人も恥かしがっている所を見るに、これまで好みを秘密にしていたんだろうか?

「実はそのぉ…、シゲやウツノミヤから強く勧められてな…。この歳になってアニメなど観るのもおかしいかとも思ったのだ

が…、どうにも気になって…」

「おかしくは無いんじゃないかな?クラスメートも結構テレビアニメの話をしてるじゃないか」

「いや…、アレはメカだし戦争だし宇宙だし…、観とってもおかしくはないだろう」

シンイチ的にはメカで戦争で宇宙だったら許容範囲で、それ以外はアウトなの?

…とも思ったけれど、突っ込んで訊ねた所でシンイチも返答に困るのは目に見えていたから、あえて訊かないでおく。

「じゃあ、これはメカでも宇宙でも戦争でもないのかい?」

言いながら、ぼくはDVDのタイトルを再確認する。

…「勇者デロレン〜第一集〜」…。何だろう…、この妙な響きの名前?

「ニートで引き篭もり気味な三十路目前のタヌキが勇者に抜擢され、国を脅かす魔王討伐の旅をする話だそうだ」

……………。

「…面白いのかい?それ…」

思わず訊ねてしまったぼくに、ウシオは微妙な表情を見せる。…やめてその顔、嫌な予感がしてくるから。

「シゲやウツノミヤの話では、相当面白いそうだが…」

「ぼくがテレビアニメに疎いからかなぁ…、聞いた事無いんだけれど?これ…」

「表現の問題から深夜枠放送だそうでな、話に聞くまでワシも知らんかった…。でまぁ、一人でこっそり真面目に観るのも何

やら気恥ずかしくてだな…、サトルと一緒ならば、例えつまらなくとも批評でもしながら観賞できるのではないかと…」

ああ、何となく理解できたかも…。

「まぁ、お試しという事でだな、一つ借りて来てみたのだが…、やはり…付き合うのは馬鹿馬鹿しいか…?」

恥かしげなシンイチに、ぼくは苦笑いを向ける。

「そんな事気にするような間柄でもないじゃないか?一緒に観よう。もしつまらなかったら、シンイチが言ったように批評で

もしよう。辛口で」

シンイチはぼくの返答でほっとしたように表情を緩めた。

そしてぼくが返したディスクをプレーヤーに挿入し、わざわざ隣まで下がってきてあぐらをかく。

照れているのか遠慮しているのか、肘が触れ合いそうで触れ合わない、微妙なひっつき具合に留まるシンイチの態度に微苦

笑しながら、ぼくは画面に映されたコピーうんぬんの注意書きに目を向けた。



結論からいうと、そのタイトルからだらけた雰囲気を受け取っていた勇者デロレンは…、面白かった。

「笑えた。独特な勇者っぷりに。いやむしろ勇者である事から逃避しまくってるところに」

「中年目前の肥えた狸が勇者というのも斬新ではあるな…」

感心しきりのぼくは、シンイチの口から、これが元はロングセラー小説で、そこから各媒体に進出したらしい事を聞かされ、

納得した。

ウツノミヤがアニメ作品を勧めるっていうのも意外だったけれど…、そうか、元は小説なのか。何だか納得した…。

この話の主役である太った狸のデロレンは、小心者で内弁慶、自己中心的かつ臆病な、29歳のニート。

それが嫌々ながら勇者に選ばれてしまい、魔王討伐の旅に出させられるんだが…、しかしこのデロレン、強くもないし特別

な技能も持っていない上に、勇者としての使命感だって欠片も持ち合わせていない。

自慢じゃないが腕っ節にも頭にも根性にも自信は無いと、魔王討伐任務を放棄すべくあの手この手で逃亡をはかるデロレン。

そして、それを阻止しようとする個性派揃いの警護役兼お目付役達。

彼らのどたばた道中は、さわりを見ただけで十分面白かった。

しかし、魔王以前に同行者がまず強敵となっているような構図はまるっきりコメディで、表現の問題から深夜放送だったと

聞かされて作ったぼくのイメージには、中身があまりそぐわない。

「どうして深夜放送なんだろう?完璧にコメディじゃないか?」

「何でも、残酷な表現や過激な表現が含まれ、所により血の雨が降るとか…」

「ふぅん…。話がだんだん暗くなっていくのかなぁ?」

「かもしれん。まぁ詳しくは知らんが」

シンイチはDVDをしまいながら、窺うようにぼくをちらっと見る。

「…今度…、続きも観るか?」

「そうだね。結構面白いし」

笑って頷くと、シンイチはほっとしたように表情を緩めた。アニメの観賞くらい別に恥ずかしがるような事でもないと思う

んだけれどなぁ…。

「時に…、柔道部は、今年は合宿せんのか?」

「うん。すぐ全国だし、選手はぼくとアブクマの二人だけだしなぁ…、幸い練習試合の相手にも困っていないし、今年はわざ

わざ合宿する事も無いさ」

「それは、アブクマとイヌイにとっては残念だな。老舗旅館でのんびりしながら稽古など、なかなかできる事でもない」

「強化合宿は、あくまでも稽古がメインだよ。泊まる場所なんて二の次さ。予算がないからウチを提供していただけで…」

ぼくは途中で言葉を切り、シンイチは耳をピクッと動かしながら、唐突に音を立てたドアを見遣る。

午後十一時半のノック…。一体誰だろう?

腰を上げたシンイチは、ドアの前に立ってロックを外す。

その表情は、やはりぼく同様にややかたい。こんな時間の来訪は、何か緊急事態が起こったっていう報せの可能性も高い。

例えば誰かが急病だとか…。

が、ぼくとシンイチの緊張は、開いたドアの向こうに立つ馴染みの顔を見て解けた。

「どうも」

笑みを浮かべて軽く会釈したのは、ぼくの幼馴染みにして一つ下の後輩、シゲだった。

「脅かすなシゲ。急患でも出たかと思ったぞ?」

ほっとした様子のシンイチがドアの前を離れると、シゲは部屋に入って施錠しながら口を開く。

「う〜ん…。急患ではないですけどねぇ、急用だったもんで」

「急用?」

問い返したぼくに頷きながら、狼は座卓の脇に腰を下ろした。

「ええまぁ、ちょっと話を聞いて貰った方が良いんじゃないかと」

急用という割には、シゲの口調も態度もいつも通りだ。

「いいけれど…、どんな話だい?」

促したぼくに、シゲはさっそく話を切り出す。

しかし、それが本人の態度とは裏腹にとんでもなく重大な話だったという事にぼくとシンイチが気付いたのは、話が少し進

んでからの事だった…。



シゲの話を一通り聞いたぼくとシンイチは、一度顔を見合わせ、それから顔を戻した。

「…そ、それで…、シゲ自身はどうしたいんだ?」

現実感が湧かないまま、ぼくはのろのろと口を動かし、幼馴染みに尋ねる。

「え?まぁ、半分以上は…付き合ってみようかなぁ…って、考え纏ってますけど?」

ぼくとシンイチは口をポカンとあけ、サラッと言った狼の顔をマジマジと見つめた。

「つ、付き合うというと…、お付き合いか?交際か?」

動揺しているのか、何だかおかしい質問をするシンイチ。

「お付き合いで交際でしょうねえ」

しみじみと頷くシゲ。

「そ、それは本気でかい?」

「え?まずいですか?」

「いやまずいとかそういう事じゃないんだけれど…」

訊き返して来たシゲは、どうやら事の重大さを認識していないらしい。

恐らく校内で屈指の人気を誇るだろうこの狼は、自分が誰かと付き合うという事が、どれほどの話題性を伴うかという事が

まるで解ってない。

そもそも、自分が多くの女子から注目されている事すら実感していないんだから。

シゲに恋人が出来たなんて知れ渡ったら、それこそ皆その話題で持ちきりになるだろうなぁ…。

シゲは今日、ある女子から交際を申し込まれたそうだ。

突然の事で躊躇って、少し考えさせてくれと告げたそうだが…。

ぼくとシンイチは、考えて結論を出したシゲから、最終確認的に意見を求められたんだけれど…。

心底びっくりした。何故って…、相手はぼくも知っている女子で、そこそこ親しい子だから…。

しかし意外…。実はぼく、シゲは別の子に興味を持っている物だとばかり思っていた。

だから、気になるとか言い出すなら、その子の事だろうなぁとぼんやりながら考えていたし…。

「シゲがもうそう決めているなら、ぼくからは言う事はないよ」

「右に同じ。しかし意見を訊きに来るとは珍しいな」

小首を傾げたシンイチに見つめられ、シゲは顎の下を撫でる。

「う〜ん…、初めてですから、やっぱ不安とかあったのかも?それに…、どっちかって言えば、本当は意見が訊きたかったっ

ていうより、誰かに話して気持ちを再確認したかったのかもしれません」

「それならばアトラに話してみても良かったのではないのか?」

シゲのルームメイトであり、応援団の後輩でもある虎の名前を挙げたシンイチに、狼は首を横に振った。

「現在進行形で交際してるひとに訊きたいじゃないですか、そういうの」

なるほど、確かにそれはそうだ。そうなんだが…。

「ぼくとシンイチの交際は、先達として意見できるほど長くないぞ?正式な交際がスタートしたのはついこの前なんだから…」

「でも二年越しの下拵えがしてありますよね?」

シゲの言葉に、シンイチは腕組みしてウンウン頷く。…悪かったよ待たせて…。

「それにシゲ、ぼくとシンイチの関係はちょっとばかり普通と違う。男と男の恋人関係なんだから、女子との交際の参考にな

らないぞ?たぶん」

「そうですかね?男と男だろうと、男と女だろうと、あんまり変わんないんじゃ?」

不思議そうに首を傾げるシゲ。

…幼少時から思っていたけれど…、こいつ、時々物の捉え方が凄いよな…。大物っていうか何ていうか…。

「それで、どういう所が好きになったのだ?」

話題を意図的に変えた…、というよりは、ふと気になったという様子でシンイチがおもむろに尋ねると、シゲは少し困った

ような顔になる。

「いや、それが何て言うか…、好きかどうかって所が良く判りません。嫌いじゃないのは確かですけど、おれ恋愛経験無いも

んで…。でまぁ、付き合えばそれも判るかなぁと」

狼は考え込むように眼を細め、言葉を選ぶようにしてそう呟いた。

「つまり…あれか?好きかどうか判らないが、嫌いじゃないから付き合ってみよう、と…」

「う〜ん…。そうなりますかね?」

シゲは自分の気持ちが良く判っていないのか、ぼくの問いに曖昧な返事を寄越した。

「好みのタイプかどうかぐらいの感想は無いのか?見た目や性格など…」

さすがに呆れているのか、シンイチは首を傾げて胡乱げな表情を浮かべている。

「性格はまぁ、良い方なんじゃないですか?ギャアギャア煩くないし。見た目の方は…、ん〜…、おれ、顔の美醜とかピンと

来ないんで、美人なのかブスなのか良く判りませんし…」

「シゲ…、それ絶対に本人の前で言うんじゃないぞ?」

「へ?何でですか?」

念の為に釘を刺したのに…真顔で「何でですか?」と来たか…。

思わず額に手を当ててため息をついたぼくの隣では、シンイチも首を傾げている。

今回ばかりはシンイチもシゲの物言いに疑問を感じ…、

「何故だ?そう言ってやれば本人も気楽になるんじゃあないのか?」

…きみらは本当にっ…!

「あのな二人とも!?「見た目の良し悪しは気にしない」なんていうセリフは、受け取る側がどう勘ぐるか判らないだろう!?

もしも「見た目は悪くても気にしないよ」って言ってるように取っちゃったらどうする!?」

ぼくが身を乗り出して言うと、狼と牛は「あ〜…」と、理解したのかしていないのか良く判らない気の抜けた声を漏らした。

シゲは本当にデリカシーとかそういう物が欠けてる…。

シンイチもシンイチだ。ぼくの事になると時々妙に勘が鋭いのに、何でこう気配りに偏りがあるのか…。

「良いかシゲ?女子っていうのは繊細な生き物なんだぞ?ぼくらが仲間内であれこれ話をするのとはまた別の対応を心掛けな

きゃいけない!…まぁ、ぼくも女子と付き合った事はないから詳しくは判らないけど…」

「サトル。ワシは気にせんからズバズバ言ってくれて構わんぞ?」

「言われなくてもそうしてる!それと、今はシゲと彼女の話をしてるんだ!空気読め!」

鼻息を荒くすると、剣幕に驚いたのか、シンイチはちょっと顔を引き攣らせて身を引いた。

「でも、団長だってサトルさんを見た目で選んだ訳じゃなかったんですよね?」

「う、うむ…。その…心根…かな…?」

シゲに尋ねられ、大きな体を揺すってモジモジ照れ笑いするシンイチ…。

「ああもう!話が先に進まない…!とにかく、見た目どうこうの話はある程度親しくなってからだ!っていうか、できればき

みからはするな!判ったなシゲ!?」

「そうします。…よく判んないけど…」

この狼っ…!いや、いい…。付き合っていく内にデリカシーの何たるかを学んで行ける事だろう…。

…いや、本当に大丈夫か?学ぶ以前にダメになったりしないか?

シゲが振られるぐらいは授業料って事で許容できるが、相手を傷つけてしまうのはまずい…!やっぱり気をつけておくべき

だろう…。

…あぁ…。また心労の種が一つ増えた…!

「しかし、予想外だった」

シンイチは太い腕を組み、むふーっと大きく鼻で息をつく。

「ワシはな、シゲはてっきりシンジョウ君に興味があるものだとばかり思っとった」

おや?シンイチもぼくと同じように感じていたのか…。

シゲは「う〜ん…」と唸り、眉根を寄せる。

「好きとかどうとか、そういったのは判らないんですけどね、シンジョウには興味ありましたよ。確かに」

あっさり認めたシゲに、ぼくは思わず尋ねていた。

「え?だったら何で…」

「シンジョウ、交際相手が居るらしいんですよね」

シゲがさらりと口にした予想外の、そして驚きの情報に、ぼくとシンイチは顔を見合わせる。

「知らなかった?」

「うむ。サトルも?」

「初耳。というかそんな気配は全く無かっ…」

脳裏に友人の顔が浮かび、ぼくは言葉を切った。

…まさか…?…いやでも…。確かにシンジョウさんはアイツとしょっちゅう一緒に居るし…、親しい事は親しいけれど…、

まさか…、な…。

「どうしたサトル?」

「え?い、いや何でも…。シゲ、シンジョウさんの交際相手って、誰?」

「ああ、お二人も知ってる…って、あ、済みません…」

シゲは途中で言葉を切ると、やや俯き加減になり、申し訳無さそうな顔でぼくらを見つめた。

「ヒミツの交際らしくて、他の誰にも言うなって釘刺されちゃいまして…」

…ヒミツの交際…。

ぼくの中で、予感がぐぐっと体積を増した。

…もしかして、本当に「そう」なのか…?



相談…というよりは報告に来たシゲが帰ると、ぼくは複雑な気分でため息をつきながら鍵をかけた。

自覚は無いものの冷静さを欠いている可能性もあるから、今日明日じっくり考えてみて、明後日の林間学校が終わったら返

事をする…。シゲはそう言っていた。

落ち着いて自分を見つめられる分、大した物だと言ってあげたいけれど…、不安なんだよなぁ…、やらかすんじゃないかっ

て…。

そもそも、本人は気付いていないけれど、昔から何度かあったんだよ…、シゲに挑んで玉砕した女子達の悲劇って…。

告白したものの、告白だと理解されないままにさらっとお付き合いを断わられたりとか…。

勇気を振り絞ったバレンタインアタックで渡された手作りチョコの感想を、実に正直に「イマイチ」と告げたりとか…。

…確かあの時は箱に手紙が入っていたらしいけれど、シゲ本人は気付かずに空箱ごと屑入れにポイし、翌日発覚して女子が

泣いていたとかどうとか…。

とにかく、思い起こせば思い起こすほど不安になる…!

ぼくとは反対に、シンイチはすっきりと決着したつもりでいるらしく、さっさと寝支度に取りかかっている。

寮の寝室は年中通して快適な空調だが、さすがに七月も半ばを過ぎれば暑い。

暑い夏場はシンイチも流石にお気に入りのホルスタイン柄パジャマじゃない。盛り上がった肩と二の腕が露出する袖無し丸

首シャツに、トランクス一丁だ。

ちなみにぼくは首周りが涼しいVネックの半袖シャツとトランクス。

洗面台の前に並んで歯磨きしながら、シンイチは歯磨き粉の泡で白くなった口をモゴモゴ動かした。

「明日、帰ってきたらすぐ買い物でいいか?飯は外食にして…」

「え?何の買い物?」

すぐさま聞き返したぼくに、シンイチは意外そうな顔をする。

「林間学校の準備に決まっとるだろう。…しかし珍しいな?お前がこういう事を忘れるとは…。まあ、期末試験もあった事だ。

無理もないか」

「ああ。林間学校の…」

ぼくは洗面台に泡を吐き出して、「忘れていた訳じゃないさ」と続けた。

「買い物なら、期末テスト初日に済ませて来たよ」

ごくんという喉が鳴る音に続き、「は?」と素っ頓狂な声を上げるシンイチ。

「飲んだ!」

「聞こえた!」

シンイチは喉を押さえて顔を顰め、ぼくは思わず失笑する。

「済ませたのか?もう?」

「うん。虫除けスプレーにキズバンだろ?酔い止めにビニール袋に…」

二人分用意しておいた品目についてぼくが述べると、シンイチは「むぅ…」と唸った。

「前々から手際や下準備の良さには感心しとったが…、まさかこんなに早く…」

…あれ?何だか残念そうっていうか不満げっていうか…、シンイチはあまり嬉しそうじゃない。

「気を利かせたつもりで、相談無しに買い物して来たんだけれど…、ちょっと先走ったかな?」

「いや、有り難い。有り難いんだが…、そのぉ…」

一度口ごもったシンイチは、少し俯き、ちらちらとぼくの顔を窺って来る。

「…何?何か失敗したかな?」

訊ねたぼくに、大牛は大柄な体を小さくして応じた。

「…いや失敗という訳では…、ただ…」

「ただ?」

「…ただ…、試験あけに一緒に買い物へ行きつつ外食とかそういう事をだな…、一人で考えていてだな…、実は少しばかり楽

しみにしていたとか、そういう個人的な思惑もあってだな…」

…見事な失敗っ…!

「ご、ごごごごごごめんシンイチ!そこまでは気が回らなかった!」

「いや、それはいい。個人的な要望だしな。…それよりも、試験期間中の貴重な時間を潰してワシの分まで用意してくれて、

本当に有り難う、サトル」

シンイチは気を取り直したように笑みを浮かべ、ぼくは少しばかりへこんだ。

「…いや、明日はやっぱり出かけよう」

ぼくが少し声を大きくして言うと、シンイチは眉根を寄せた。

「しかし用事も特に無いし…」

「用事なんていらない。カップルがデートに出かけるのに、いちいち理由や他の用事なんか必要ないだろう?」

シンイチの目が丸く、大きくなり、口がもごもごと動いた。

「で、デート?」

「うん。デートだ。時間的にプチデートだけど…。試験が終わったんだ。普通カップルはこういう時こそデートするものだろ

う?…たぶん」

口に出して言ってみたら、我ながら名案に思えた。

シンイチはぼくをまじまじと見つめて「デート…」と呟くと、尻尾を左右にひゅんひゅん振り始めた。

「よし!謹んで受けようではないか、そのデートの誘い!」

胸の前に上げた拳を力一杯握り込み、シンイチは天を仰いだ。

「…デート…!うむ!試験後のデートか…!」

…そんなに喜んで貰えてぼくも嬉しいけれど…、デートデート連呼されるとちょっと恥ずかしいなぁ…。