第十八話 「決戦の時が」

「今日も一日、有り難うございました」

「したーっ!」

「ありがとうございました」

神棚に一礼したぼくに続き、右に立つやたらめったらでっかい後輩と、左に立つ小さくて可愛らしい後輩が、揃って頭を下

げる。

ここは我ら柔道部の活動の場であり部室でもある柔道場。

そしてぼくは柔道部の主将、岩国聡。星陵ヶ丘高校三年生で、第二男子寮の寮監でもある。

三年生一人に一年生二人という、たった三人だけの柔道部は、特別な稽古を終えた今、神妙な顔で神棚を見つめていた。

夏休みももう半ばを過ぎ、稽古に明け暮れた日々は瞬く間に過ぎていった…。

やれる事は全部やった。充実した日々を送る事ができたと思っている。

何せ夏休みに入ってからというもの、二、三日に一度は練習試合。

それが無い日はネコヤマを交えてここで猛稽古。

実力的にはアップの相手すら満足に務まらないけれど、ぼくも精一杯アブクマの相手をした。…主に投げられる相手だが…。

オーバーワークにならないようイヌイが気をつけてくれたおかげで、アブクマは故障もなく、心身共に引き締まった最高の

状態に仕上がっている。

…一度、七月初旬にアイスの食べ過ぎで急激に肥えて大騒ぎにはなったものの、イヌイのスパルタダイエットが効果を発揮

した。

その後は記録的猛暑にも負けず、夏ばてにもならず、毎日過酷な稽古を積んで一層強く、逞しくなったアブクマは、現在は

198センチの184キロ。

かなり鍛え込んだ今でも腹や尻にはプニプニの脂肪がたっぷりついたままだが、イヌイによれば、あれこれ試した結果、現

状ではこれがほぼベストな状態らしいとの事。過度な減量で心身に疲労を溜めずに済む、適当な落し所だそうだ。

…ぼくは減量経験が無いから今ひとつピンと来ないが、聞くところによれば夏場の過度な減量は体に障るらしいからなぁ…。

「…次にここに帰って来んのは…、夏休み明けか…」

痩せたようには全く見えない、相変わらず縦にも横にもでかくて厚みもある熊が、しみじみと呟く。

「そうなるなぁ…。名残惜しいかい?」

「当然っす」

アブクマが頷き、横のイヌイが耳を倒して目を細めながら呟いた。

「どれだけの時間…、主将と三人、ここで過ごしたか…」

しんみりしている後輩二人に、ぼくは微苦笑を向ける。

「おいおい二人とも、センチになるにはちょっと早いぞ?何せ決戦はこれからなんだ」

今から気持ちが沈んでいたり緩んでいたらちょっと困る。ぼくが左右の二人を交互に見ながら釘を刺すと、アブクマとイヌ

イは揃って困り顔になった。

「そ、そうですよね…!」

「うっす!今から気ぃ緩ませてちゃいけねぇよな…」

明後日はいよいよ全国大会。明日は移動日だ。

なお、全国の舞台は、今年は首都の予定が急遽変更されて北街道。

東北が地元の二人は、一旦こっちに戻るとかえって遠回りになるから、大会を終えて帰って来る途中で別れ、そのまま帰省

する事になる。

もう予算も尽きかけていた我らが柔道部は、しかしアブクマが前人未踏の快挙を成し遂げたおかげで、OB達からの多大な

寄付という有り難い支援を受ける事ができた。…万年弱小だった星陵柔道部からすれば、夢のような戦績だからなぁ…。

おかげで遠方の学校との練習試合もたっぷりできたし、今度の宿泊費もバッチリ。最悪の場合は顧問であるホシノ理事長が

自腹を切ると言っていただけに、本当に助かっている…。

それでもまぁ、宿はイヌイと理事長が調べに調べて、そこそこ安い旅館を確保したらしい。

舞台となる体育館からはちょっと距離があるけれど、快速電車一本、乗り継ぎ無しで会場最寄りの駅に行ける。

今回の宿泊地となる醒山という街は、道北一の柔道強豪校にして、他のスポーツでも名選手を輩出している、私立醒山学園

の地元だ。

そこにはアブクマの先輩と同級生が進学しているそうで、イヌイが連絡を取り、前日のアップができる場をセッティングし

てくれた。

何せお目の高いあのネコヤマをして「宝石揃い」と言わしめる程なんだから、醒山部員達の実力は疑うべくも無い。

ぼくが一人でお邪魔しても場違いな上に役者不足だが、まごうこと無く全国レベルに達しているアブクマにとっては、強豪

校の選手達は願っても無い最終調整相手だ。

…もっとも、あっちの学校に無差別級で全国進出している選手が居たら、流石にこのセッティングは無理だったろうなぁ…。

状況と人脈に感謝だよ。

…そうそう、醒山といえば個人的に気になる選手がいるんだ。

道北の若虎、尾嶋勇哉。

ネコヤマが注目する二年生選手にして、かつてのアブクマの先輩…。

アブクマによれば、負けた回数は数え切れないが、まともに勝った事はたった一度しかないというその選手は、しかしアブ

クマよりも軽い階級…ネコヤマと同じ140キロ級だ。

…一体、どんな猛者なんだろう…?

選手としても、ひととしても気になる…。



着替えを終えて道場を出て、ふと見上げれば、広がっているのは八月の、真っ赤に色濃い夕暮れ空…。

去年の今頃は…、先輩達も引退して、たった一人で部活をしていたんだよな、ぼく…。

「戸締まりオッケーです」

施錠を終えたイヌイが横に並び、ぼくと一緒に空を眺める。

夏休み中という事もあって、ぼくらみたいに全国まで上っている部活以外は、今は活動していない。

だから一学期中と違って、木立を抜けてここまで届く声は無い。

…本当ならぼくも、もう活動を終えているはずだったんだよな…。

物寂しい空気を吸い込みながら、ちょっとしんみりし始めたぼくは、

「…うわっ!?」

伸ばしていた背中を、柔らかい、そのくせ重量とボリュームのある物にボヨンと押されて、ととっと前のめりになった。

振り向けば、ぼくを太鼓腹で押した張本人…自分とイヌイの荷物を両脇に抱えたアブクマの姿。

「主将、センチになんのはちっと早ぇんじゃなかったっすか?」

ニヤニヤ笑っているアブクマに苦笑いしながら「ああ、そうだった」と応じたぼくは、そのボリューム満点の腹に軽いジャ

ブをお見舞いした。

ワイシャツ越しに拳の先に感じる、被毛と脂肪の柔らかさ。軽く打っただけでタプンと揺れた腹の脂肪は、イヌイ曰く、かなり落ちた方らしい。

「今日は、ゆっくり体を休めておこうな、二人とも。明日の長距離移動で疲れるかもしれないから、十分にね」

「うっす!」

「はい!」

返事をした二人の一方、アブクマは、急に何か思い出したような顔になると、腰を折って背を曲げて、小さなイヌイに耳打

ちした。

「あのさキイチ」

「ん?」

「…しつこいけどよ…、飛行機って、俺が乗っても本当に墜ちねぇんだろな…?」

アブクマが珍しく不安げな様子で訊ねると、

「うん。痩せたから、ギリギリ大丈夫」

イヌイはそう、ちょっと意地悪な答えを返した…。

「でも、あまり端側には乗らない方が良いね、傾いちゃうかもしれないから」

なにげに酷い言葉を付け加えたイヌイだが、からかわれているとは全く気付いていない様子のアブクマは、何故かホッとし

たように表情を緩める。

「そっか!んじゃど真ん中の席選ぶようにする!」

…アブクマ…、席はもう予約済みだから…。幅があり過ぎるきみは二席占領する事になっているから…。

とは思った物の、イヌイが面白がってからかい続けているので、笑いを堪えたぼくは黙っておく事にする。

寮も同じだし、卒業するまでまだ時間もあるし、部活を引退したからといってすっぱり縁が切れてしまう訳じゃないが…、

一緒に部活動ができなくなるのは、やっぱり寂しいな…。



夏休みの夜は長い。

点呼が無いせいか、それとも寮生が減って静かなせいか、長期休暇中の寮はぼくにまるっきり別の顔を見せる。

ぼくが長い休みをずっと寮で過ごすのは、実はこの夏が初めてだ。…何せこれまでは予選で全員負けていたからねぇ、柔道

部は…。

部屋は静かな上に、やけに違和感がある。

あのやたらでかいシンイチが居ない…。ただそれだけで、見慣れた部屋が倍以上広くなったような錯覚が…。

夏休みに入ってからもずっと一緒だったシンイチは、数日前から居ない。

…応援団は、野球の応援で現地に泊まり込みだから…。

見たいテレビも特にない。手持ち無沙汰になってごろりと横になったぼくは、見慣れた天井を眺めながらぼんやりし始める。

現在寮に残っているのは、夏に大会を控えている一部の部活の部員数名だけ。だから廊下を歩いても凄く静かだ。

シゲは一足早く決戦の舞台に向かったし、応援団のマガキやオシタリもシンイチ同様野球の応援。

化学部所属のウツノミヤは、夏休み中の活動は無いらしくて、終業式後に普通に寮を出ている。

…こうして考えると、本当に人が居ないんだな…、今の寮…。

天井を眺めていたら、何故かルームメイトの顔が思い浮かんだ。

「ワシが傍に居らんでも、くじけるなよ?」

出発の間際、何かの影響でも受けたのか、親指を立てて歯をちらっと見せて笑ったシンイチに、

「うん。居ないのを幸いにはじけるかな!」

ぼくは真似して親指を立て返し、ニヤリと笑った。

決めたポーズはお互いに全く似合っていなくて、出発前にひとしきり笑ったっけ…。

…ふと思う。こんな事を回想しているあたり、ぼくは寂しいんだろうか?

考えてみれば、一人きりで自室に居る事なんてこれまでそうそう無かったな…。

入学して、寮生活が始まってからはいつだってシンイチが一緒に居たし、一人で夜を迎えるなんて、帰省して実家に居る時

だけだった。

参ったなぁ…。そんなつもりは無かったんだけれど、ぼくって寂しがり屋の気があるのか?考え始めたらやけに気になって

来たぞ…。

腹筋の要領で起き上がったぼくは、なんとなしに立ち上がり、なんとなく寝室へ足を向けた。

自分でもどうして寝室に来たのか判らないまま、ぼんやりと二段ベッドを眺める。

あまりにも静かなせいで、普段は殆ど気にならない空調の音がやけに大きく聞こえている。

部屋の空気が乱されないせいで、エアコンから吹き出し続けている涼風が肌をくすぐるのがはっきり判る。

…やっぱり、一人きりでちょっと寂しいんだろうか?それとも…。

「センチになるのは、ちょっと早い。…か…」

夕方に自分で口にして、アブクマから返された言葉が、不意に思い起こされた。

節目を前に、センチになっているのもあるんだろうな…。

自分を強い人間だと思った事はないけれど、こうも弱々しいとも思っていなかった…。

目標があって、それに向かって頑張っている時は何でもなかったのに、もうじき目指す物が…拠り所が無くなるというこの

時になったら、途端に不安にも似た寂しさがこみ上げて来た…。

ドア横の壁に背を預け、しばらくぼんやりと視線を彷徨わせていたぼくは、ベッドの下の段、いつもシンイチがその巨体を

休めている寝床に目を留めた。

気付けば、いつしかぼくはふらふらとベッドに歩み寄っていて、出かける際にピシッと整えられたシーツを間近から見下ろ

している。

何でそうしたのか判らないまま、ぼくは何故か、吸い寄せられるようにしてシンイチのベッドへ倒れ込んだ。

俯せになってシーツに顔を埋めると、染み込んでいたシンイチの体臭が呼吸と共に鼻孔に入り込む。

「…何してるんだろう…。ぼくは…」

くぐもった自分の呟きが、自嘲気味な気分にさせた。

静かだから寂しくなってルームメイトの布団に突っ伏すなんて…。まったく…、子供じゃあるまいし、しっかりしなきゃ…。

シンイチの匂いが染み込んだシーツの上で寝返りをうち、ぼくは苦笑いした。

アイツは、ぼくが居たおかげで救われたみたいな事を言うけれど、それはお互い様だ。

シンイチがルームメイトだったからこそ、ぼくの高校生活は、寮生活は、楽しくて充実した物になっていたんだから…。

そう…、先輩達が引退して、ぼくが一人で柔道をしなきゃならなくなった時も…、アブクマが入部表明してくれてもなお、

廃部か存続かの瀬戸際に追い込まれていた時も…、そりゃあ落ち込みはしたけれど、それでも顔を上げて歩いて来られたのは、

他でも無い、シンイチが傍に居たからだ。

豪快だけど空気読めなくて、どっしりしているけれどマイペースで、頼りになるけれど色々と手間もかかって…、そんなシ

ンイチがいつだって励まして、笑わせて、怒らせて、呆れさせてくれたから…。

ぼくは自然に顔が綻んでいくのを感じながら、ベッドの天井を眺める目を細め、口を開き、声には出さずに囁いた。

「………………」

面と向かって言うのは恥かしいけれど…、次に顔をあわせたその時には、必ず言おう…。

胸いっぱいの想いを込めて、ありったけの感謝を込めて…、ゴールまで歩いて来られる元気をくれた、大切なアイツに…。

…ずっとずっと、支えて来てくれてありがとう、シンイチ…。ぼくもきみが大好きだよ…。



どれくらいそうしていたんだろう?

いつの間にかまどろんでいたぼくは、ノックの音で意識をしゃっきりさせた。

慌ててシンイチのベッドから飛び起き、居間に戻ってドアに向かいながら首を捻る。

誰だろう?…といっても、シゲは居ないし、今ぼくを尋ねて来るのは…。

「やっぱり君らか」

『やっぱり?』

開錠してドアを開けたぼくが案の定な顔ぶれを見て呟くと、アブクマとイヌイは声をハモらせ、そろって首を捻った。

が、アブクマはすぐさま気を取り直したように口を開く。

「主将、風呂まだっすか?」

そう言いながら熊が上げた片手には、タオルや着替えが乗せられ…ってこれは…、入浴セットかな?

「まだだけれど…。何だい急に?」

ぼくが首を傾げると、今度はイヌイが両手で持ったタオル類を持ち上げて見せる。

「さっきサツキ君と話したんですけど、ひとも居ないから丁度良いし、主将も一緒にお風呂どうかなぁって」

「県大会ん時はユニットバスだったし、一緒にシャワーってのは一回あったけど、寮じゃ一緒に風呂入った事ねぇっすよね?」

「ああ、入った事は…、なかったな…」

言われて初めて意識したけれど、確かに、一緒に風呂はこれまでないな。

この寮は学年毎にフロア分けされていて、フロアに一つずつ浴場がある。

特に決まりは無いんだが、普通は各々の学年がそのフロアの浴室を使うから、ぼくはアブクマやイヌイと入浴がかぶる事は

ない。シゲとだってそうだ。

「これまで思い付きませんでしたけど、夏休み中はガラガラに空いてるんですし、一緒に入りましょう?」

「そうそう!フロア違うからそうそう機会もねぇし、せっかくなんだからよ!どうすかどうすか!?」

イヌイはニッコリ笑いつつ小首を傾げて可愛らしく誘い、アブクマはニカニカ笑いながらぼくの腕を掴んで来る。

「気が早いなぁ…」

苦笑いしたぼくは、「ちょっと待ってくれ」と断りを入れつつ、熊の大きな手を放させる。

「準備するから、先に浴場に行っててくれよ。…この階ので良いだろう、応援団は皆出払ったし、三年生はぼくを含めて三人

しか残っていないから、かち合う事も無いはずだ」

「はい!」

「よっしゃ!」

イヌイとアブクマは笑顔で頷くと、二人揃って軽く手を上げ、廊下を歩いて行った。

さて、ぼくも手早く用意を済ませて向かおうか…。



準備を終えて二人を追い、脱衣場へ入ったぼくは、

「お、来た来た!」

「他の先輩が来たらどうしようかとか考えちゃいました」

相変わらずニコニコと機嫌の良い二人に迎えられた。

「他の誰かが来たって別に良いじゃないか?」

ぼくの言葉に、しかしイヌイは困ったような顔をしながら首を横に振る。

「やっぱりちょっと気まずいですよ…。「何で一年生がここに?」とか思われちゃいそうですし…」

もじもじするイヌイは既にあらかた服を脱ぎ終えて、既にトランクス一丁。

薄いクリーム色の被毛に覆われた体は、服を着ていないとさらに細く見える。

筋肉もろくに付いていなければ、贅肉だって付いていない、華奢でしなやかそうな小さな猫の体は、悪いけれど、高校生の

体には見えなかった。まるで小学生か、中学校低学年ほどに見えてしまう。

発育不良。そう言われても信じてしまいそうなまでに…。

少し考えてから、ぼくはイヌイがそうも幼く見えてしまう理由に気が付いた。

頭と体のバランスのせいだ。童顔なのはともかく、頭と比べて体が細く小さいせいで、子供体型に見えるんだ。

ぼくの視線には気付いていないイヌイは、対照的に極めて大柄なアブクマに話しかけた。

「それにしても、ホント痩せたよねぇサツキ君」

…「痩せた」!?

「ふふん!だろ!」

…「だろ」!?

「こう、腰がちょっとスリムになったよね」

…「スリムになった」!?

「お!?腹周りすっきりしたの、判るか!?」

…「腹周りがすっきり」!?

アブクマは得意げに出っ腹を両手で挟んで揺すって見せ、イヌイは満足気に指でつつく。

二人の会話に度肝を抜かれたぼくは、直前までの思考も脳みそからすっとんで行き、上着を脱ぎかけたままの体勢で固まっ

てしまった…。

「じゃ、先行ってるっすよ主将」

「お先しまーす」

衣類を脱ぎ終えてタオルを手に取った二人は、自分達の会話がぼくの耳にはどれだけショッキングかつシュールに届いたか

全く気付いていないらしく、にこやかに手をひらひらさせながら、仲良く浴場に入って行った。

「この階の風呂場も下と変わんねぇんだな?」

「間取りもそうだけど、タイルなんかの色もすっかり同じなんだね?」

曇りガラスの向こうから響いて来る、反響を帯びて少しくぐもった二人の声を聞きながら、ぼくは呆然としていた。

…東北人って…、細かい事に拘らない大雑把な人種ってイメージがあったんだけれど…、っていうかアブクマなんか実際そ

うなんだけれど…、シンジョウ女史も割とそういう所があるけれど…、実は、ぼくには判別不能な体型の変化もはっきり感じ

とれるほど細やかな人種なんだろうか…?



浴室に踏み込み、この季節ではお馴染みのサウナ的蒸気に体を包まれたぼくは、

「…な、何…?」

まさに「待ち構える」という表現がぴったりに、タイルの上で並び立って迎えた二人の後輩の前で足を止めた。

アブクマは分厚い胸の前で腕を組み、意味有りげにニヤニヤしているし…、イヌイも意味不明のアルカイックスマイルを浮

かべている…。

しかし、改めて見ると物凄い裸体だなぁアブクマ…。とにかくボリュームがある。

カバヤ君も相当だが、やはりアブクマの方がでかいなぁ。カバヤ君の方が肥満体型なんだけれど、実際に体重と身長で上回っ

ているアブクマは、モサモサした被毛が全身を覆っているから視覚的なボリュームもある。

筋肉は確かに厚くついているんだが、その上に過剰なまでの脂肪がついて垂れた胸。

丸みを帯びてボヨンと大きく突き出した腹は、前への出具合もそうだけど、脇へのはみ出具合もまた凄い。おまけにへそ下

にはぽっこりと段がついている。

そのまた下には、こんな所にまでむっちり脂肪がついている股間と、そこから被毛に埋もれるようにして控えめにちょこっ

と顔を出す、その体格に似付かわしくないサイズの可愛らしいちんちん…。

…以前一度見た時と相変わらずの包茎っぷりだ…。

「…ちょ…!どこをまじまじ見てんすか主将っ…!」

アブクマの声に視線を上げれば、困っているような恥ずかしそうな熊の顔…。

「え?い、いや特にどこも…」

タオルと手で股間を隠した熊から慌てて横に視線を逸らしたぼくの目に、今度は息を飲むような特大逸物が飛び込んで来る。

既に包茎を卒業し、形は勿論サイズでも並の大人を軽く上回っているソレの所持者は、しかし逸物とは対照的に小柄で細く

て可愛らしい。

「…どこをじっと見てるんですか主将…」

イヌイの声に視線を上げれば、困っているような恥ずかしそうな猫の顔…。

「え?い、いや別にどこも…」

しどろもどろになって目を逸らしたぼくは、二人のそれをミックスするとシンイチの特大包茎チンチンみたいになるんじゃ

ないだろうかと、実にしょうもない事を考えた。

「んじゃ、さっそく背中流すぜ主将っ!」

気を取り直したようなアブクマの声で、ぼくも意識を切り替える。

そうだ。今更親交を深めるって訳でもないけれど、背中の洗いっこぐらい、親しい先輩と後輩としては経験しておくべきだ

よな?

…もしかすると、アブクマはこれがしたくて誘ってくれたのかな?ぼくを労うつもりで…。

「よしきた。それじゃあ洗いっこしようか!」

シンイチとは時々背中を流し合うから、誰かの背中を流してやるのもそこそこ手馴れているし、ぼくも後輩の背中を流して

やろうじゃないか。

ぼくがそこまで考えた時、「ダメー!」と、イヌイの声と体がぼくらの間に割り込んできた。

「な、何だよキイチ?ダメって…」

困惑するアブクマの顔を、僕を背に庇うようにして両手を広げているイヌイが見上げ、フルルッと首を振った。

「サツキ君、いつも主将と取っ組み合ってるでしょ?」

「え?そりゃまぁ…。けどそれと背中流すのがダメって、関係あんのか?」

「僕はサツキ君ほど主将とくっついてないんだから、こういう時は譲るべき!僕に!ね?主将もそう思いますよね?」

くりっと首を巡らせ、訴えかけるような目でぼくを見る小柄な猫。

その両手はいつしかアブクマの接近を阻むように、ボクシングの物にも似たファイティングポーズを取っている。…手首が

下向きになって、ネコパンチを繰り出しそうな構えではあるけれど…。

 …イヌイよ…。何かこう、言いたい事いっぱいあるんだけれど…、いいや…、お任せします…。

提案されたアブクマもイヌイの意見を尊重するつもりになったらしく、

「む〜…、そういう事なら…、判ったよ…」

と、しぶしぶといった様子だったけれど、耳を倒しながらも首を縦に振った。

「ではそういう事で…、どうぞ主将!」

なんかもうすっごい良い顔でニッコニコしているイヌイは、レストランのウェイターみたいな仕草でシャワー前の椅子を引

き、座るように促した。

「そ、それじゃあ、悪いけれどお願いしようか…」

アブクマはともかく、華奢なイヌイに労働させるのは何となく気が引けたけれど、ぼくは勧められるままおずおずと椅子に

腰を下ろす。

しかしぼくの予想に反して、シャワーの湯加減を調節したイヌイは、手慣れた様子で背中を流し始めた。

その手付きは淀みなく、流れるようで、正に流麗と呼ぶに相応しい。

シンイチの少し雑ながらも勢いのある洗い方とはまるっきり違っていて、ちょっと驚いた。

「イヌイ、もしかしてこういうの得意なのかい?」

鏡越しの視線でぼくの驚きを察したのか、小さな猫はふにゃっと、照れているような喜んでいるような柔らかい微笑を浮か

べる。

「サツキ君とは、よく背中の流しっこしてるんです。三人分はあるおっきな背中だから、練習になってるのかもしれませんね」

「なるほどー!」

納得して笑うぼくは、しかし鏡の向こうに立っているイヌイのそのまた向こうに、不意にぬぅっと大きな影が見えた事で、

「ん?」と眉根を寄せた。

直後、さぱーっという水音と共に、イヌイの「わ!」というちょっと驚いたような声。

「さ、サツキ君?急に何?」

「いや、一人だけ脇に退いてんのも何かこう…、暇っつぅか、寂しいっつぅか、仲間はずれ感があるっつぅか…」

ブツブツ言いながらイヌイの後ろに座り込んだアブクマは、「ほれ」と言いながらイヌイの足の後ろに椅子を置き、ぺしぺ

しと叩いた。

「座れよ。主将の背中洗ってる間に、俺もお前の背中洗っとくぜ」

床に直接尻を据えて、アブクマはニカッと笑った。

見れば、傍らに置いた二つの桶には湯が汲んであり、準備万端。

「…何だか…、こういう感じに縦並びになってる猿とか、動物園で見た事が…」

ぼくが呟くと、椅子に座ったせいでぼくの陰に隠れてしまってたイヌイは、ぼくの肩越しに視線をあわせて来て、

「あ、丁度ぼくもソレ考えてました。整列して座って、仲良くノミ取り!」

と、顔を綻ばせながら言う。

「あ〜…、言われてみりゃ似てんなぁ…、仲間同士でやってるアレだろ?だははははっ!」

アブクマもイメージが沸いたらしく、可笑しそうに巨体を揺すって笑った。

鏡の向こうのぼくの後ろにデコボコな後輩達が並ぶその光景は、シュールでユーモラスで、見ていると気分が和んだ。

けれど…、もしかしたらこれが見納めになるかもしれない。

全国大会が終われば二人はそのまま帰郷する。そして、夏休み中はもう会えない。

二学期が始まれば他の三年生も寮に戻って来るから、こうして同じ浴室に入る事も無くなるわけで…。

「どうですか主将?痒い所とか無いです?」

鏡の中のイヌイが、鏡の中のぼくの肩越しにこっちの顔を覗きこんで来て、しんみりした気分と思考は細波のように退いて

いく。

「え?う、うん。大丈夫。気持ちいいよイヌイ。凄く丁寧で…」

「それは良かった!」

嬉しそうに笑うイヌイの向こうで、でっかい熊がニンマリし、ぼくらの顔を交互に見遣った。

「今日は譲ったけどよ、明日は俺の番だからなキイチ!」

「判ってるよぉ」

「明日?…あ!」

聞き返そうとして、ぼくはすぐさま気が付いた。

全国大会前日にあたる明日は移動日だ。当然宿に泊まる。

ネットに載っていた情報をイヌイがプリントして来たのを見ていたけれど、部屋は全部和室で、確かお風呂はユニットバス

とかじゃなく大浴場で…。

「そうか…。明日も流しっこできるんだ…」

ポツリと呟いたぼくに、イヌイが「そうですねぇ」と相変わらずの笑顔で応じる。

気を緩め過ぎるのもあまり良く無いけれど、ぼくは最後の大会前に、後輩達ともう一晩じっくり語らう機会があったんだ…。

「アブクマ、イヌイ…」

「うす?」

「はい?」

口々に返事をした後輩達に、ぼくは笑いかける。

「良い宿だといいな、そこ!」

県大会の時はイヌイが欠けていたし、三人揃っての合宿とかもできなかったけれど、ぼくらは今回が初めての、全員揃って

の遠征だ。

最後の最後になったけれど、きっとぼくの想い出に、しっかりと刻まれる事だろう…。