第十話 「地道に築く」
私は新庄美里。星陵高校一年生、眼鏡が手放せない人間女子。
私が所属している新聞部は、この時期、県大会進出が決まっている各部活の取材や、大会同行の準備などで大賑わい。
かく言う私も、ミナカミ先輩の要望を受ける形で取材班に加えて貰えたボート部と、専属受け持ちになっている空手部の取
材で、そこそこ多忙な日々を送っていた。
…と言っても、新聞部員全員が忙しくなっている訳じゃない。私が例外なだけなのよね…。
実は私、ユリカに教えて貰って少し囓った程度で、空手の事は全然詳しくない。
同じように、ミナカミ先輩に多少説明を貰ったけれど、ボート競技についてもあまり知識が無い。
だからこの二つの競技について、参考資料を当たったり、部員に話を聞いたりして覚えなければいけなかった訳。
ここで私が例外だと言うのは、別に知識が浅いという点についてじゃあないのよ。実は他の部員も似たような物だから。
先輩方を含めた他の多くの部員に言える事なんだけれど、皆が皆、囓った程度の知識で十分だっていう認識があるらしいの
よね。
記事を書ける程度の知識があればいいし、解説者になる訳じゃないんだから、ギャラリー並のレベルで構わない…。
まぁ、それも確かに一つのスタイルよ。全部の競技についてそれぞれの専門家のように詳しくならなくても良いし、いくつ
もの競技を担当すれば、当然そんな余裕は無い。
けれど私は、自分が記事を書く上で、それじゃあ不便だと感じている。
自分でも良く解っていない事を他人に説明するのって、難しいでしょう?
知っている事だからこそ、要領よく説明できる強み…。それが、今の私が欲しい物。
毎回使える紙面は限られているんだから、だらだらと下手くそな説明に終始する訳には行かないのよ。
それに、解らない部分を思い込みで書いて、間違った事なんか書く訳にも行かないしね。新聞部なんだから。
おまけにこの学習は、その過程もまた私にとって有意義な物なのよ。
解らないからこそ、それを覚えていく過程で、素人がその競技の何処について疑問を抱くか、興味を持つか、知りたいと思
うかを掴めると思うの。
効果はまずまず。実際に書く事を定めると、それとなく解説めいた、でもくどくはない一文がポンと思い浮かぶ事が多くなっ
たわ。
「ほんと、シンジョウって文化部のくせに、所々スポ根入ってるよな」
それが、教えを乞う理由について訊かれ、動機についてそう説明した私に対し、ミナカミ先輩が苦笑混じりに漏らした感想
だった。
「あら?「文化部のくせに」って、偏見だと思いますよ?そもそもスポーツでなくとも根性が必要になるジャンルは幾らでも
あります」
「ははは!こいつは失礼!」
私が真面目腐った顔を作って言うと、男前の灰色狼は軽快に笑ってコーラを啜った。
今、ミナカミ先輩と私は、商店街のファーストフード店の一角で向き合っている。
現在午後七時。今日は互いに寮の夕食をキャンセルしての外出。実は今もボートについての勉強の真っ最中なのよね…。
今週の校内新聞は私が担当する記事が無いから、こうして詳しく勉強する時間が取れている。
もっとも、ミナカミ先輩は自分の練習もあって忙しい中で、私に付き合ってくれている訳で…、その辺りは本当に有り難い
し、申し訳ないわね…。
「…話を戻すけど、こういうのは聞くより弄れ、ってね。今度艇庫に来なよ。良ければクラッチの角度調節、どうやるのか実
演して見せてやるから」
これもたぶん特集でも組まなければ記事にはできないだろうけれど、ボートの整備について詳しく教えてくれた先輩は、そ
う言って説明を締め括った。
「はい。先輩の方でお時間があれば是非」
私が頭を下げると、人気者の狼はくっくっと小さく笑う。
「そう構えること無いって。毎日取り外しして磨いてるし、締めが甘かったりすると漕いでる内に狂って、一旦上がって直す
事もある。川縁にだけ張り付いてないで艇庫をちょくちょく覗けば、結構頻繁に見られるもんさ」
「あ…。もしかして、練習の途中でポツポツと上がって来る部員って、調節の為に?」
「そう。しっくり来なくて戻って調節してるんだ。上級者になればなる程、漕いでる船と自分の間にある違和感に敏感になっ
て来る。おれはあまり繊細な方じゃあ無いが、クラッチの角度には結構敏感だ。…こう、しっくり来ない感じがしてさ…。ズ
レが大きいと気持ち良く漕げない」
「なるほど…。例えば、靴紐がしっかり締っていないとか…、逆に緩いとか…、そういう違和感でしょうか?」
「上手い事言うなぁ。まぁ、履く物じゃあないが密着度合いで言えば船も同じだ。身につけた物がしっくり来ない違和感と、
確かに似てる」
「それじゃあ、川に出て割とすぐに戻って来ているひと達は…」
「良く見てるなぁ…。あれはそもそも最初の段階で調節をミスってる部員だな。作業中に話しかけられてそのまま半端な締め
方したり、角度を間違えたりってのがたまにある。毎回やっててもそういう凡ミスは出るもんでね。まぁご愛嬌さ」
「でも、毎回全部外すのは面倒じゃないんですか?」
「まあね。けど付けっぱなしのほったらかしじゃあソッコー痛むから仕方ない。なんせ水が相手のスポーツだからな。あぁそ
うそう、まだ模索中の、漕ぎ始めたばかりの一年ならともかく、おれ達は自分に合った調整を数字で暗記して、毎回それに合
わせてるんだ。まぁこれも無駄知識だけど」
「いいえ、興味深いです。…その数字…というか角度などの調節全般は、一度決まったらずっと変わらないんですか?」
「いや、一度これで良いと思ってた調整が、実はあまり本人にマッチしてないって事もあるんだ。そんな場合は再模索だな。
それと、俺達の年代は成長期だろ?体の成長で変わるヤツも珍しくない。一年当時と三年ではまるっきり違ってる先輩も居る
よ。実際おれも時々少し変えて、より自分に合う角度に調節し直したりする。具体的には、噛ませるワッシャーを一枚ずつ増
減させてみるとか、地道な調整をね」
そこで一度言葉を切り、話に夢中になっている間にすっかり冷めてしまったホットドッグに手を伸ばした先輩は、ニヤリと
口元を歪めた。
「アブクマみたいにグングン伸びてると大変だな。…もっともあいつはストロークが取れなくて厳しいか。キャッチ行く時に
あの腹が脚につかえて邪魔になるだろうし」
「それ以前に、あのスマートなシングルスカルがアブクマ君を乗せてくれるでしょうか?」
「ははは!フォアだってたぶん御免被りたいだろうな」
おそらく半分は本気の冗談に私も冗談で返すと、ミナカミ先輩はからからと可笑しそうに笑い、ホットドッグをガブリと噛
み千切った。
「やっぱりシンジョウは面白い」
「はい?」
チーズバーガーの包装を開けていた私は、ミナカミ先輩の唐突な呟きに首を傾げる。
「こういうと何だけどな、おれ、女子ってあんまり好きじゃないんだよ。大概うるさいし、別種の生命体って感じがしてさ」
…それ、ミナカミ先輩の周囲でだけ特別うるさいんだと思います…。…それにしても「別種の生命体」って表現はいったい
何…?
「嫌いとか苦手とか、そういうんじゃないんだけどな。う〜ん、何て言うかこう…」
「男同士の方が気楽で良い…。というような感じでしょうか?」
「そうそれ!シンジョウは察しが良いなぁ。さすが記者さんだ。説明につっかえても意図を汲んでくれるもんなぁ」
「あら、褒めたって夕食代までしか出ませんよ?」
可笑しそうにからからと笑うミナカミ先輩に、共感を覚えながら「それに…」と続ける。
「そういうのって、何となくですが理解できますから。男子と女子って価値観とか、夢中になれる物も結構違いがちですよね?
だから同じ性別どうしで固まると気楽らしいですよ。恋愛とかそういうのは別にして、ですけれど…」
「けれど、シンジョウはそういうのが無いっぽいな?アブクマやイヌイとも仲が良いし」
「私はまぁ…、確かにそうですね…。男だけの三兄弟が一番仲の良い幼馴染みだったせいか、それとも性格のせいかは判りま
せんが…、昔から男子とか女子とか垣根を意識していませんでした」
この性格というか無区別意識は、たぶん上原家の三兄弟と過ごした幼少時代が大きく影響しているんでしょうね…。
そう自己分析した私は、鞄の中から「さ〜さ〜の〜葉〜さ〜らさら〜♪」と、そこだけ切り取ったルームメイト専用着メロ
が聞こえて来たので、携帯を取り出してメールをチェックする。
今日は練習試合で他校遠征し、遅くなっていたユリカは、今やっと駅に着いたらしい。
「ユリカ、今から来るそうですけれど…、先輩はまだ大丈夫ですか?」
食事も終わりかけているので、私はミナカミ先輩の予定を訊ねる。
今日のところは十分なくらい話が聞けたし、あまり引き留めるのも悪いもの…。
けれど先輩は、「別に予定も無いし、お疲れ様ぐらいは言ってやろうか」と、私と一緒にユリカを待つことにしてくれた。
パンダっ娘の喜ぶ顔が目に浮かぶわね。
…と言ってもあの子、憧れのミナカミ先輩の前ではいつもモジモジするばかりで、口数が少なくなっちゃうけれど…。
「んふぅ〜!感激ぃ〜!ミナカミ先輩、待っててくれたぁ〜!」
寮の部屋に戻るなり、ボリューム満点のパンダっ娘は、私を背中側からムギュッと抱き締めた。
…背中から肩にかけて押し付けられた豊満な胸の感触が、私の中の羨ましい感を呼び覚ます…。
どうやらかなりご満悦かつ興奮しているらしく、ユリカは私の頭の天辺を顎でグリグリしている。
ミナカミ先輩の前ではいつも通りモジモジしてあまり喋らなかったくせに、帰り道で別れてからはすっかり舞い上がっちゃっ
て、高いテンションが維持されている。
「ちょっとユリカ…。落ち着いて…」
ムニムニフカフカのパンダ圧迫からモゾモゾと逃れた私は、乱れた髪を手でさっと後ろに撫でつつ、さっさと机に向かって
鞄を置いた。
そして、椅子に深く腰をかけ、個人的な考えに沈む。
ボートと同じく細かなルールから勉強中の空手については、最初こそユリカに色々と教えて貰っていた。
けれど、本人が認めるとおり説明が苦手なユリカに代わって、最近はヒョウノ先輩が忙しい合間を縫って詳しく、丁寧に、
解りやすく教えてくれている。
ミナカミ先輩と同様、ヒョウノ先輩も県大会出場者だから、とにかく忙しいはずなのに…。
ヒョウノ先輩だけじゃない。取材に行けば女子空手部員どころか、男子空手部まであれこれと世話をやいてくれて、取材環
境は極めて良好。
新聞で空手部の注目選手特集を組んだ事が、かなり喜ばれての待遇かも…。
私が専属と決まってから短期集中で枠を取って掲載されたそのコーナー…、空手部の皆は私が気を利かせた物だと勘違いし
ているけれど、実は違うのよね…。
私だけという条件を付けて、取材承諾してくれた空手部…。
関係修復を謀りたい一心の新聞部が、ここぞとばかりに露骨なヨイショに出たのがあの特別企画だったんだけれど…。
ヒョウノ先輩とユリカにはこの事を打ち明けたけれど、美人の雪豹はこれに腹を立てるでもなく、
「書いたのがシンジョウ君なら文句は無いよ」
とクールな反応を見せ、他の部員には黙っているようにと私に釘を刺した。
「悪く言えば単純、良く言えば素直で気の良いヤツらが集まっているからな。あの特集をそういった打算による物だとまでは
考えないだろうが、もしも気付けば士気に関わる。それどころか、餌で釣ろうとしたと腹を立て、かえって新聞部への反感を
募らせかねない」
というのがヒョウノ先輩が口にした、黙っておくべきだという理由だった。
勿論私も、空手部と新聞部の間に波風なんか立って欲しくないけれど…、それにしても、あの特集を私の気遣いという風に
勘違いされて、気を良くされているのが落ち着かない。
実際の所、私には特別枠を用意できる程の発言権なんか無いんだし…。
「主将も皆も、ミサトの事気に入ってるんよ。ミサトが企画したって勘違いしたままにさせとけばさ、単純な男子どもだって
張り切るし、皆気分良く取材に応じるってもんでしょ?」
気に病んでいた私に、ユリカは若干腹黒い所を見せて、ニヤニヤしながらそう言ってくれた。
だから私は、空手部の皆には申し訳無いと思いながらも、裏にどんな意図があってあの特集が組まれたのかは黙っている。
確かに新聞部の先輩達が思った通り、空手部の皆は喜んでくれた。
けれどそれは、本当の意図を悟られたらかえって気分を悪くさせるという事にまでは気が回っていない、相手の品位と気位
を侮った幼稚な策略だ。
きっと、あの特集が部長の口からブチ上げられた際に露骨に顔を顰めていた何人かの先輩方は、その事まで見越していたん
だろう…。
空手部と新聞部の軋轢は、そう簡単には解消されそうに無い…。
「どしたんミサト?」
しばらく自分の両腕で自分を抱えて舞い上がっていたユリカが、椅子に座って思慮に沈んでいる私に気付き、首を捻った。
「ちょっと考え事…。今日の授業、難解なのが多かったから…」
「ほへ?今日、そんな難しいトコあったっけ?」
「すんなり飲み込めなくて、ちょっと引っかかってるのよ」
ユリカに心配をかけたくないから、悪いけれど適当なでっちあげで応じ、私はまた考える。
ヒョウノ先輩は「我々の代までで水に流しておくべきだ」と言っていたけれど…、新聞部の上から目線な体制は、何人かを
除く二年生の先輩方にも浸透してしまっている。
そんな状態で本当に、三年生が引退すれば元通りになるだろうか?
否。あの大人で綺麗で気高い雪豹が望んだ通りになるには、新聞部が汚れ過ぎているわ…。
幾人も著名な文化人を出している星陵では、活躍している運動部だけでなく、文化部も強い発言権を持っている。
全部が全部じゃあないけれど、文芸部や新聞部なんかはその最たる物だ。
新聞部は数年前まではコンクールでも上位入賞が常だったから、何度も賞を取ってきた経歴のおかげで部費も設備も十分。
写真部の物とは別に専用の暗室まで持っているほど、過度に恵まれた環境にある。
けれど、その恵まれた立場がそうさせるのか、新聞部員の中にはその強みをひけらかすひとも居る…。
立場の弱い部については、校内新聞記事による宣伝は、部員獲得のアピールにも繋がる大事な要素だ。
それを重々承知した上で居丈高に振る舞う場合もあると、部外から聞いた…。
自分も部員である私は流石に露骨な調査ができないけれど、ウツノミヤ君から聞きかじっただけでも、少なくない運動部が
新聞部に対して反感を持っている。
程度の差こそあれ、空手部並に強い不信感を抱いている部もいくつかあるらしい。
それと言うのも、新聞部の露骨な贔屓、不公平さが原因…。
目立つ部と目立たない部、活躍している部と活躍していない部の記事の差が、校内新聞で露骨に出ている。
新聞部としては当然活躍して目立っている部の方が記事を書きやすいし、読者も喜ぶ…。
それは勿論そうだけれど、私達はあくまでも部活としての報道活動をしているのであって、利潤追求が必要になる新聞社と
は違う。
校内新聞なんだから、どんな部でも公平に扱って記事にするべき。
県大会に出場すれば、全国に進出すれば、それだけ大きく記事になる。そういった活躍の度合いに応じて、その都度大きく
取り上げられる点には勿論不満はないけれど、地区予選開始前から露骨な格差を付けているのはどうかと思う。
しかもその扱いの差は、昨年活躍したかどうかといった事以外にも、新聞部への態度などによる内部格付けが反映された、
不自然に偏った物…。
ないがしろな記事が掲載される部は、これで面白い訳が無い。
事実、柔道部だって定期戦でのアブクマ君の大活躍が無ければ、今のように大きな取り上げ方はされなかったはずよ。
…いいえ。そもそもあの定期戦の記事だって、当初はもっと小さなスペースしか与えられていなかった。小さな写真一枚と
結果が数行書けるだけの、ほんの小さなスペースしか取れないはずだったのよ。
それが、アブクマ君の活躍でコロッと扱いが変わって…。
…はぁ…。
入部当初は気付きもしなかったけれど、これまでの活動を通して、私にも新聞部の不自然さが判って来た…。
能天気な私は、先輩に同行する形で取材に行った先の様々な部活で、協力的な対応を見ていい気になっていた…。
あの内の一体何割が、心からの好意で取材に応じてくれていたのかしら…?
「ミサトぉ…?」
控え目な声が耳に入り、短パンを履いた太い脚が伏せ気味にしている目に入って、私は顔を上げる。
どうやら考え事に没頭している間に歩み寄って来ていたらしいユリカは、私の顔を見下ろしながら眉根を寄せていた。
「なんか悩み事?暗ぁ〜い顔してるよぉ?」
「え?そう?難しい事考えていたから…、顔を顰めちゃってたかしら?」
笑って見せたらひとまず誤魔化せたらしく、ユリカはにへら〜っと、弛んだ笑みを浮かべる。
「気分転換にお風呂行こ?どこに躓いてんのか判んないけど、サッパリしたら頭の回転も速くなるって!」
「そうね、そうしてみようかしら?」
「それでも駄目なら、たまにはあたしが教えたげるからさぁ。今日はあたし、あんま判んないトコもなかったし」
パンダっ娘は太い腕を上げて力瘤を作り、得意げに笑う。
ユリカの気遣いと好意が嬉しい。
会ってからまだ二ヶ月半程度の私達の間には、良好な関係が築かれている。
新聞部と各部、各選手との関係も、こんな風に打算や利潤や格付けに関係の無い物になったらどんなに良いか…。
こんな事を考える私は、夢想家かしら?
…判っているわ、実際のマスメディアもそんな甘い物じゃないって…。
けれど、これは学校内の問題。私達はプロじゃなく、取材する側もされる側も一介の学生だ。
時に辛辣な意見や評価を記事に載せなければならないとしても、それ以外はフェアに、互いに気持ち良く取材を行える関係
を築きたいと望むのは、きっと間違いじゃないはず…。
「ねぇ、ユリカ?」
「ん〜?なぁに?」
さっさと寝室へ行ってお風呂セットを準備しようとしていたユリカは、私の声に首だけ巡らせた。
「もしも…、もしもよ?ユリカが今の空手部に不満を感じている部分があるとしたらどうする?見過ごす?それとも変えよう
とする?」
「んむ〜っ?別に今は不満とかないけど…」
ユリカは視線を上に向けて眉根を寄せ、少し考えた後に答えた。
「我慢できないようなら、やっぱ変えようとするんじゃないかなぁ?」
「そう…。それじゃあ、例えばそれが、先輩達の意見と完全に対立する物だとしたら?それでも変えようとする?それとも先
輩達に任せる?」
「むむ〜…!微妙〜…!」
ユリカは困り顔になって、今度は体ごと私に向き直った。
「お姉ちゃ…ゴホン!…主将が間違った事なんか通らせないから、まず無いと思うけど、もしも本当に納得できなくて我慢で
きない事だったら、きっちり言うかなぁ」
腕組みをしながらそう言ったユリカは、「やっぱりそうなんだ…」と呟いた私を、黒い丸の中にある円らな目でじっと見つ
めて来た。
「ミサトぉ…。あんたホントは勉強の事じゃなくて、新聞部の事、考えてたんでしょ?」
さすがに察したらしいユリカは、窺うように私を見ながら確認して来る。
質問を投げかけた時にはもう誤魔化す気がなくなっていた私は、この問いには素直に頷いた。
「ユリカは私と同じで…、いいえ、私達一年生の多くがそうね…、あまり知らないし実感できていないでしょうけど、前にも
話した通り、新聞部への不満は結構根深いわ。調べれば調べる程、それが判って来る…」
この辺りの情報は、表向きの友好人脈を広く築いている腹黒伊達眼鏡狐に確認した、それなりに確かな事だ。
私の前に戻ってきたユリカは、床にあぐらをかいて、椅子に座る私の顔を見上げる恰好で向き合った。
「変わらなくちゃ…、変えなくちゃいけない…。そうは思うけれど、どうすれば変わるのかが判らないのよ…」
ため息をついた私を見上げたまま、ユリカは「な〜んだ」と、拍子抜けしたような声を上げた。
「そんなん簡単じゃん?頭の血の巡りが良いミサトが悩むぐらいだから、ど〜んなものっそい難問かと思ったら、そんな事だっ
たん?」
「そんな事って軽々しく言うけど…」
反論しかけた私は、ユリカのセリフに違和感を覚え、頭から反芻する。
「そんなの簡単…?そう言った?どういう事なのユリカ?」
椅子に座ったまま身を乗り出し、前屈みになって訊ねた私に、パンダっ娘は黒い耳を軽くハタハタ動かしながら、ニンマリ
と笑みを浮かべて見せた。
「ミサトはもう変え始めてるじゃん?「親身になった取材」っての?ほら、いつも言ってる「取材対象も読み手も楽しめる」
とか…、ああいうの実践してくのってさ、新聞部のイメージアップなんじゃない?」
「それは今の私の個人的なポリシーであって、新聞部の体制には何も影響が…」
「体制はともかくさぁ、成果はもう出てるじゃん?」
私の言葉を遮ったユリカは、呆れた様子で目を大きくしている。「何で判んないのかなぁ?」って、そんな感じの表情…。
「ずぅ〜っと仲悪かった空手部、今は取材受けてるっしょ?これって「ミサトが変えた事」じゃん?今のままの取材を繰り返
してけば良いだけだと思うよぉ?他の部なんかもそれで関係改善されてくと思うし」
「でもそれだけじゃ新聞部の体質は変わらないわ」
私の反論に、ユリカはいよいよじれったそうに「だぁ〜かぁ〜らぁ〜!」と声を上げ、体を前後にゆさゆさ揺する。
「ミサトが今のやり方で、他の部員より良い取材ができるって見せつけ続ければ良いんじゃない!あたしらから見てもミサト
の記事って面白いし、詳しくて判りやすいし、インタビューなんかもちゃ〜んと本音取れてるっぽいもん。新聞部の先輩達が
それに気付かないわけ無いじゃんか?その内「あれ?ミサトの記事って何で違うんだ?」って気になって来るって。そんで皆
がミサトみたいな取材をして行くようになれば、態度とか考え方とかそういうのも、根っこの方から変わって来んじゃないの
かなぁ?」
私は目を大きく、まん丸にして、ユリカの顔を見つめた。
私の記事に対してユリカが高い評価をつけた事についてもだけれど、何よりもその意外な見立て方に驚いて。
この気の良いむっくりパンダっ娘は、時々だけれど意外な鋭さを見せる。
何て言うか…、個人や集団の、意識の向き方や考え方を、あっさり掴んでいたりするのよね…。
イヌイ君の慧眼とも、ウツノミヤ君の観察力とも違う。
相手のして欲しい事やして欲しくない事を洞察して気遣える…、そういう不思議で優しい性質を持っている。…恐らくは無
意識にやっているんだろうけれど…。
実際、ウツノミヤ君に私が警戒心を抱き始めたあの時も、今の彼の一番身近な存在…、ルームメイトであるオシタリ君と同
レベルの観察をしていて、私が予想もしていなかった感想を述べた。…そしてそれは、どうやら当たっていたようだし…。
その、相手の考え方や性格、性質の重要な部分を察知する洞察力が、あまり活用されていないのがとても勿体ない。
本人が感じた事を上手く説明できないという点と、ユリカ自身の無自覚さが歯痒いわね…。
「なに?あたし何かまた変な事言った?」
黙り込んだせいで急に不安になったらしく、そう訊ねてきたユリカに、私は笑いかける。
「ううん、そんな事ないわ。…けど、行動で示す…か…。地味な活動ねぇ…」
ため息混じりに呟いた私は、次いで自分のセリフに笑ってしまった。
地味で結構。ジャーナリストの活動というのは、元々派手さとは殆ど縁が無い物よ。
地道な取材に検証…、地味な事を積み重ねて、あっと驚く記事を作り、世間に知らしめる…。
それこそが、私が目指すジャーナリストっていう存在じゃないの?今から地道さや地味さにうんざりしてどうするのよ。
あの華々しい成績を残しているミナカミ先輩も、今日ボートの調節について話してくれた。
地道な作業で、自分にしっくりくるように調節してゆく、ボートの話を…。
「有り難うユリカ、元気出て来たわ」
椅子から腰を上げた私は、すっくと立って胸を張って見せた。
「行動で示す!単純で結構!私の記事で何処まで変えられるか…、まずはやってみようじゃない!」
宣言した私に、ユリカは「お〜!その意気その意気!」と拍手した。
そしてやおら小首を傾げ、にへら〜っと笑いかけて来る。
「そんじゃさ、すっきりしたトコでそろそろお風呂行こーよ?」
「そうね。やる気出て来た事だし、お風呂で今後の事をじっくり考えましょう」
「…まだ何か考える事あんの…?」
ちょっと嫌そうな顔をしたユリカに、私は「うん?何かまずいかしら?」と訊ねる。
「考え事してばっかだと、構ってくんないからつまんない…」
甘えっ子なパンダっ娘は、耳を倒して頬を膨らませた。
…私に構う気や余裕が無くとも、退屈になればこっちの都合にはお構いなしでじゃれついて来るくせに…。
コホン…!何はともあれ、有り難うユリカ。
貴女がくれた好評価と行動指針…、支えにしてやってみるわ!
「…そうだユリカ」
改めてお風呂セットを取りに向かったユリカは、再度呼び止めると「うぇ〜?今度はなにぃ〜?」と、露骨に嫌そうな顔を
する。
「ああ大丈夫、長話じゃ無いわ。昨日言った事、ヒョウノ先輩に訊いてくれた?」
私の確認に、ユリカは「んあっ!?」と、目を大きくして毛を逆立てた。
「ご、ごめ…。忘れてた…」
耳を伏せ、首を縮めて謝るユリカに、私は苦笑いを返す。
「いいのよ。練習試合だったから、余裕も無かったでしょう?こっちも急ぎじゃないし、部活で記事にする訳でもないしね」
ユリカを通して確認したかったのは、ヒョウノ先輩が、他の校内の有名人と親しいかどうかという事。
新聞部としての活動じゃなく、有名人の調査はあくまで私の個人調査なんだけれどね…。
もしもヒョウノ先輩が親しくしている人物が居るなら、どんなひとなのか話を聞かせて貰いたかったの。
さすがに知り合ったばかりのヒョウノ先輩に、いきなり「紹介して下さい」とまでは言えないし、突撃取材も控えておきた
いところだけれど、名物生徒がどんなひとかを間接的にでも知っておきたかったから。
名物生徒の最たる人物…ウシオ団長や、校内一の人気男子であるミナカミ先輩には、幸いにも親しくして貰っているけれど、
他の有名人については噂レベルの知識しか無いのよねぇ…。
「ごめぇ…。明日は忘れずに訊いておくから…」
「気にしないで。あくまでも私個人の好奇心を満たすためのものなんだから。こう言っちゃなんだけれど、もしも情報が無く
たって困る訳でも無いんだし」
若干しょげ気味のユリカに、私は笑いかけながらそう応じた。
…この時は重要な情報や、紹介などについてもそれほど期待してもいなかった私は、しかし僅か二日後、ヒョウノ先輩の話
を聞けた次の日に、思い掛けず名物生徒の一人と接触を持つ事になる…。