第十二話 「濡れ衣」(前編)

その日の教室は、朝から何となく騒がしかった。

と言っても、年頃の高校生が集う教室が騒がしいのは当たり前の事なんだけれど…。

いつもの賑やかさとは何処か違う、熱っぽいざわめきに満ちた教室に後ろ側から踏み入った私は、戸惑いを覚えて入り口で

立ち止まっている。

いつも通りの話し声のようだけれど…、皆の声は、やっぱりちょっとだけ妙だ。

「えい」

「きゃっ!」

背中をボインっと、弾力のある柔らかい物で押された私は、前にトトッと二歩ほどよろめいて踏み止まる。

振り返ると入り口には、そのふくよかなお腹で私を押したルームメイトの姿。

「どしたん?ぼーっとして」

「入り口で立ち止まった私が邪魔なのは判るけど…」

のってのって歩み寄ってきたムッチリパンダっ娘に、私は顔を顰めて苦言する。

「今の退け方はどうかと思うわよユリカ?対応としても、年頃のレディの振るまいとしてもね。…淑女査定減点2」

「え?あんなんもNG?」

「うん。あんなんだからこそNG」

「え〜?今月あと何点?」

「残り45点ね」

「…まだ赤点じゃないから良いや」

「赤点でなければ良い訳でもないわ。それに今月はまだ先が長いわよ?」

そんな私とユリカのやり取りを傍で見ていた級友達が、クスクスと笑いながら挨拶して来る。

「オハヨ。ミサトにユリカ」

「おはようユリッペ!」

「ミサト、おっは」

「おはよう皆」

「ッハヨー!」

それぞれ挨拶を返した私とユリカに、椅子の背もたれを抱く恰好で後ろ向きに座っている三つ編みの女子がニヤリと笑いか

ける。

「相変わらず仲良いのねぇあんた達?」

体格の良いパンダっ娘は、耳を寝せて嬉しそうに頷いた。

「でしょでしょ?あたし達マブだからっ!」

…マブ…。

「マブって何ぃ?」

「マブダチ。大親友とかそういう意味らしいよぉ」

首を傾げる皆に、得意げに胸を張るユリカ。…淑女査定減点1…。

…誰から仕入れた知識かは判るわ…。

お願いですから、ただでさえ色々危ういユリカに、これ以上妙な言葉を吹き込まないで下さいよ…、ミナカミ先輩…。

「ところで…、何かあったの?」

私は既に教室内の様子を確認して、皆が何かの噂話で持ちきりになっているらしい事を悟っている。…大ニュースの香りが

するわ!

逸る気持ちを抑え、努めてさりげなく訊ねた私に、友人の一人が「あ〜、ミサトもまだ知らなかった?」と、どうやら事情

を知っているらしい反応を見せた。

「ほえ?何かあったん?」

自分の席に向かいかけていたユリカも、どうやら興味をそそられたらしく、立ち止まって振り返る。

「わたしらも又聞きだからあんまり詳しく無いんだけどね?実はさ、昨日…」

クラスメートがそう切り出したと同時に、教室の前のドアが開き、担任が入って来た。

「ごめんなさい。後で聞かせて?」

「うん」

私は友人にそう告げて、足早に自分の席へと移動した。

さて、自己紹介しておきましょう。

私は新庄美里。星陵高校一年生で新聞部員。分厚い眼鏡がトレードマーク。

昨夜、寮の談話室で何気なく手に取った雑誌の星座占いを確認してみたところ、今月の運勢がすこぶる悪い事に気付いた人

間女子…。

…最近なんとなくついていないと思ったら…。もしかして結構当たるのかしら?ああいうの…。

なお、その占いのコメント欄には…、

「あまりアグレッシブに動くと周囲を巻き込み事態を混乱させます。一人で釣り堀に行くか自室で大人しくしているのが吉。

ラッキーアイテムはファー付きコートとガーターベルト。ラッキーカラーは茶。ファールボールにはご注意を」

とのコメントが載っていた。

…どうしろと…?



「気にしなくて良いんじゃないの?」

一時間目の直前、占いの事を話したら、ユリカはキョトンとした顔でそう言った。

「ってか意外〜!ミサトも占いとか気にするんだ?」

横から口を挟んだ友達に、私はちょっと困りながら肩を竦めて見せる。

「今までは気にした事が無かったのよ。だから、ちょっと当たっていたら気になって…」

「占いが良い時だけ信じて、悪い時は信じなきゃ良いじゃん?」

ユリカは軽い口調でそんな事を言う。

「それ、都合良くない?」

「占いなんて都合良く解釈してナンボだよ。良い事は当たって欲しいし、悪い事は外れて欲しいじゃん?」

…一理ある…。

「まぁ、ミサトが占い信じて、この時期にモフモフ襟のコートを着てガーターベルト付けてファールボールに気を付けながら

一人で釣り堀行って茶色い魚釣りたいならあたしは止めないけど?ミサトの意思をソンチョーするから。友達として」

「安心して、そんなつもりは毛頭無いから。…というよりも、そんな奇行に出そうならまず止めて欲しいわね。友達として」

何を想像しているのか、ニヤニヤしながら言ったユリカに、私は鋭い一瞥を投げ付ける。

…おっといけない。占いの話より優先すべき話題があったじゃない…。

「ところで…、さっきの話だけれど、昨日何があったの?」

「あぁ、えっとね、昨日の放課後に…」

やっと話を聞けるかと思ったその時、チャイムが鳴って先生が教室に入って来た。

惜しい。今日最初の授業の始まりだわ…。占いの話なんかするんじゃなかった…。

「たびたびゴメン。次の休み時間!」

手を合わせた私に、友人は「オッケー」と、軽く応じた。

この時の私は、クラス中に広まりつつあるその話題が、とんでもなく衝撃的な内容である事など、予想もしていなかった…。



「…ノゾ…キ…?」

やや震える声でぼそりと呟いた私に、周囲の友人達が一斉にウンウン頷いた。

「へぇ〜!大胆だねぇ〜!あの女子運動部の部室の並びまで覗きに行くなんて…」

感心したように言ったユリカに、皆が口々に同意する。

…友人から聞いた皆の噂話の内容は、「ソフトボール部員達が覗きの被害にあった」という内容だった…。

表情を硬くして生唾を飲み込んだ私の背中を、嫌な汗が伝い落ちて行く。

…つまり…、昨日私がやらかしたアレね…。

皆が盛り上がっているのは、犯人像についての考察でだった。

女子運動部の部室のみが並んだあそこを男子がうろついていれば、それだけでかなり目立つ。

覗きに行くなら、行きも帰りも見つからない事が絶対の条件。

なのでおそらく、覗き魔は、足が速くて犯行に慣れている。

…との事なんだけれど…。

「結局姿は確認できなかったらしいんだけど、直前に部室裏を通った女子陸上部も、怪しい男子は見ていなかったんだって」

…それはそうよ。だって覗いたのは女子だもの…。

「犯人、よっぽど足速いのかしら?」

…うん…。結構速い方…。

「男子陸上部とか怪しくない?部室あの並びの先にあるし…」

「言えてる〜!」

ちょっと視線を巡らせると、話が聞こえたのか、居心地悪そうにしている陸上部員の姿…。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!全部私が悪いのっ!

「ミサト、どうしたの?黙り込んで」

「え!?」

級友の一人に声をかけられ、私はドキッとしながら、

「な、何でもないわ。どんな犯人なのか考えていただけ…」

と、考えるまでも無い事を考えていた事にして誤魔化す…。

「ミサトはね、怒ってんの」

私の隣で、パンダっ娘が鼻息を荒くする。

「覗きとかヒレツでヒキョーでヒワイでケシカラン真似は許せないんよ。ミサトは困ってる人と弱い者の味方、清く正しい正

義の記者だもん!」

…ああユリカ…。お願いだからそんな風に持ち上げないで…。

「ミサトはね、今犯人をどうやって突き止めようか考えてんの!ね?」

…ああユリカ…。頼むからそんな曇りのない目で私を見ないで…。

信頼の目を向けてくるユリカに微妙な半笑いを返した私は、自分が暗い穴をどこまでも落下していくような錯覚に囚われて

いた…。

「その犯人なんだけどさ…、実はね、ソフト部が怪しいって目星つけてる男子、居るみたいよ?」

「えっ!?」

思わず声を上げた私に、三つ編みのその子が声を潜めて続ける。

「証拠とかは無くて、状況から怪しいって思ってるだけだから、部員達は誰も口に出してないみたいだけど…」

それは濡れ衣よ!だって犯人はそもそも男子じゃないんだもの!

「それ、ソフトボール部員達は全員が、目星を付けられている男子が誰だか知っているのかしら?このクラスの子も?」

私は脳を高速回転させ、このクラスに居るソフトボール部員を脳内アーカイブから検索しつつ友人に訊ねる。

「たぶん。でも、確実だって判るまでは箝口令敷かれてるらしいよ?部長から」

箝口令?…その男子への保護措置でしょうね。

けれど、普通は箝口令なんて敷く?

目星をつけた…つまり怪しいと思った相手へ、そんな気配りをするものかしら?

…なにかしら不自然な物があるわね…。

例えば、箝口令を敷きたくなるような状況は何かしら?

あまり大事にしたくない?相手を敵に回したくない?それとも他の理由が?

…判らないわね…。まだ情報が不足している…。

これは、ソフトボール部員に直接話を聞いてみる他無いわね。

…名乗り出るのはできれば避けたいんだけれど、私のせいで誰かが犯人にされるのは困るわ。

なるべくなら、私が犯人だと気付かれないようにしつつ、その生徒への疑いを晴らしたい所だけれど…。

…色々あるのよ私にも…。何で窓に寄った?とか聞かれたら困る事情が…。



三時間目に入る前の休憩時間に、私はこのクラスに一人だけのソフトボール部員と接触できた。

キムラさんというその子は、活動的に見えるショートヘアと、対照的に気の弱そうな表情が印象的な、ちょっと小柄な人間

女子だ。…けれど胸は結構大きい…。

「誰にも言わないから、話してくれないかしら?」

教室を出て廊下で二人きりになり、容疑者についての情報を求めた私を前に、キムラさんはオドオドとしながら口ごもる。

無理もない反応だわ。私達はそれほど親しいクラスメートでもないし、急にこんな事を切り出されたら面食らって戸惑うの

が当たり前だもの。

「私も昨日あの辺りに居たのよ。だから力になりたいの。大丈夫、吹聴して回ったりはしないわ。もしもその容疑者が本当は

犯人じゃなかったら困るもの」

説得の為に言葉を並べた私は、おや?と思う一瞬の変化を見逃さなかった。

ずっと俯いてモジモジしていたキムラさんが、私が並べた言葉の一つに、僅かな反応を見せていた。

「…容疑者になっている子…、もしかしたら本当に犯人じゃないかもしれない」

そう繰り返すと、さっきピクッと体を硬くしたキムラさんは、伏し目がちだった顔を少しだけ起こして、上目遣いに私を見

つめて来た。

…手応え有りね。もう一押し…。

「客観的に情報を整理して確実な証拠を掴まない限りは、誰が犯人で誰が犯人じゃないなんて断言できないけれど…。キムラ

さんは…、もしかして容疑者の生徒が犯人じゃないって思っているのかしら?」

自分は中立なのだというニュアンスをそれとなく匂わせた私に、キムラさんはおずおずと頷いた。

…予想外の幸運だわ。まさか情報を求めて接触した相手が、容疑者に懐疑的な考えを持っていたなんて…。どうやらあの占

いは外れのようね。

「話してくれないかしら?絶対に悪いようにはしないわ。容疑者の生徒にも、貴女にも」

私の説得は通じたらしく、キムラさんは小さく頷くと、躊躇いを見せつつも容疑者名を明かしてくれた。

驚いた。…なんてものじゃなかった。

その人物は、私も良く知っている生徒だったんだから…。

キムラさんが口ごもるのも無理は無い。だってキムラさん、彼のファンだったはずだもの…。



そして昼休み、ユリカを置いて教室を出た私は、あちこち探し回った末、最初に覗いた屋上へと戻って来た。

ドアを両手で押し開け、息を切らせて立っている私を、四人の男子生徒が驚いた様子で見つめる。

小柄なクリーム色の猫に、伊達眼鏡の狐、がっちりしたシェパードに、大きな熊…。

お馴染みの四人組、イヌイ君、ウツノミヤ君、オシタリ君、アブクマ君は、屋上で昼食を摂っていたらしい。

「…何で…」

肩で息をしながら、私は言葉を絞り出す。

「…あの様子だと、シンジョウも知ったらしいな?」

「もう犯人の噂が広まっちゃってるのかな?」

ウツノミヤ君とイヌイ君がそう言葉を交わし、オシタリ君が私を見ながら口を開く。

「落ち着けよシンジョウ。あんたが怒るのも判るけどよ、話を…」

「何で電話に出ないのよアブクマ君!」

オシタリ君の言葉を遮って私が声を上げると、容疑者アブクマは「んぉ?」と漏らしつつ、ズボンのポケットを探り始めた。

「あ〜…、たぶん充電したまま寮に忘れて来ちまったな…」

「というより、まず怒る箇所がソコだという事は、まだ知られていないのか」

呑気な口調のアブクマ君と、他人事のように言っているウツノミヤ君を睨み、私はツカツカと歩み寄る。

「聞いたわよ。覗きの容疑者になっているっていう事は。…急いで連絡しようとしたのに、こんな時に限って電話に出ないん

だもの…。学校中探し回ったわよ!?ここだって一度は覗いたのに!」

「ああ、弁当だけじゃ足んねぇから、魚ソと飲みモン買いに学食寄って来たからな」

アブクマ君はいつも通りの落ち着き払った様子でそう言うと、

「こっち来て座れよ。飯食ったか?」

と、笑みを浮かべて手招きした。…呑気にも程があるわ…。

…そう。覗きの容疑をかけられているのは、他でも無い私の友人、アブクマ君…。

キムラさんは、ひったくり撃退事件で有名になり、直後の定期戦や地区予選での大活躍が加わって一躍人気者になったアブ

クマ君のファンの一人だ。

だから、好感を持っている彼が覗きなどをしたという事が信じられず、容疑者扱いに懐疑的だったわけ。

箝口令を敷かれなくとも、彼女はきっと、アブクマ君が容疑者である事を言いふらしたりはしなかっただろう。

「どうしてそんなに落ち着いていられるのよ?覗きの濡れ衣を着せられているんでしょう!?」

私が声を荒らげると、アブクマ君はニカッと、歯を見せて笑った。

「ありがとよシンジョウ」

「はい?」

何故礼を言われるのか判らず困惑すると、

「シンジョウさん、今「濡れ衣」って言ってくれたじゃない?サツキ君が犯人じゃないって、信用してくれてるんだ」

そう言って、イヌイ君がフワフワとした微笑みを浮かべる。

 …良く聞いていたわね…。けれどそれは、信じる信じないじゃなくて「知っている」から出た言葉なのよ…。

アブクマ君に促されて、私は彼の傍で手すりに寄り掛かった。

それを見計らったように、伊達眼鏡狐が口を開く。

「さて、事態はあまり良くない。って言うかむしろ悪い。かなり悪い。オシタリの頭並に悪い」

「…んだと?」

どさくさ紛れにつつかれて牙を剥いて見せるシェパード。

…素直過ぎよオシタリ君。スルーすれば良いのに…。反応するからこそ面白がってウツノミヤ君がつつくんだから…。

一方、何かとオシタリ君を弄るウツノミヤ君は、ルームメイトが凄んでも涼しい顔で先を続けた。

「問題はいかにしてアブクマにかかる疑惑を解くかだ。…とにかく、三人寄れば文殊の知恵と言う事だし、いい案が浮かぶと

良いが…」

ウツノミヤ君の言葉を聞いて、オシタリ君は首を巡らせて集まった顔ぶれを確かめる。

「…五人居るじゃねぇか?」

「当事者ではあるが…、悪いがブーちゃんは戦力外だ。そもそもこういった頭の使い方は苦手だからな。それと、キミを頭数

に入れろと?何様のつもりだい赤点ギリギリ一夜漬けシェパード?」

「てめえこそ何様のつもりだコラ…?あ…?」

鼻の上に細かな皺を寄せ、眉間に深い皺を刻み、迫力のある睨みで凄むオシタリ君をスルーし、ウツノミヤ君は私に意味あ

りげな視線を向ける。

「コワい女だが、味方につくなら心強い」

「まぁなぁ」

眼鏡狐に同調するメガトン熊。…失礼ね。コワくないわよ。

「確かに。味方になってくれるならコワくないね」

イヌイ君までっ!?

「…こええ?シンジョウが?」

ただ一人、シェパードだけが訝しげに首を捻る。…判っているのはオシタリ君だけね。見る目無いわよ三人とも?

「で、ボクには証明する良いアイディアが無いんだが…、何か良い案はないか?イヌイにシンジョウ」

「あのよ」

私とイヌイ君が答える前に、オシタリ君が口を開いた。

怪訝そうな顔で全員を見回した後、シェパードはいかにも不思議で仕方がないと言わんばかりに首を捻る。

「証明も何も、女に興味ねえんだから覗くわけねえじゃねえか?」

「バカかキミは?同性愛者だと知っているのはボクらだけなんだぞ?それとも何か?ブーちゃんにカミングアウトさせるつも

りか?周知せずに無実を証明する為に頭を捻っているんじゃないか?つくづくバカだなぁ。キミの脳は今日もお留守か?たま

には帰宅して頭蓋骨内の蜘蛛の巣を払って貰いたいんだが」

一方的にルームメイトからまくし立てられたシェパードは、ぐぅの音も出ずに黙り込む。

…そう。同性愛者だなんて公表するわけにはもちろん行かない。

現在のところ、アブクマ君とイヌイ君の関係を知っているのは、集まっているこの顔ぶれだけ…。

「真犯人を見つけるのが確実な証明になるけれど…、そもそも目撃者が居ないから勘違いされちゃってる訳で、これも簡単な

事じゃないよねぇ」

イヌイ君の発した真犯人という言葉が、私の胸にグッサリ突き刺さった…。

この場に居る誰もが、まさか真犯人が身内だとは思っていないでしょう…。良心が痛む…!

「もう一つ可能性がある。元々覗きなんて無かったって可能性がな」

そう言ったウツノミヤ君は、ジルルルッとパックから牛乳を啜った。

「あん?どういうこった?」

聞き返すオシタリ君に、狐は肩を竦める。

「「自意識過剰なソフトボール部員達が勝手に覗かれたと勘違いしているだけ」…かもしれないという事さ。例えば、本当は

窓に止まった雀か何かが飛び立つのを見間違えた。…とかかな。これも証明は難しいが」

…個人的には全力でプッシュしてそういう事で勘弁して欲しい案ではあるわね…。

けれど、ウツノミヤ君の言うとおり、証明は難しいわ。

ソフトボール部員達のあの殺気立った様子からすれば、それで納得するとも思えないし…。

それからもイヌイ君とウツノミヤ君が意見を出しあい、あれこれと議論したけれど、どれも決め手に欠けていて、良い案は

なかなか浮かばなかった。

「他にもいくつか考えが浮かぶが、どれもこれもイマイチ現実的じゃあないな…。シンジョウ、意見は?」

「え?」

肩を竦めたウツノミヤ君から急に話を振られた私は、ビクッと身を固くした。

「…やけに静かだな?」

鋭い狐は私の様子から何か感じ取ったのか、目を少し細くして、窺うように見つめて来る。

「考えが纏まらないのよ。…ねぇアブクマ君?打開策を練る助けになると思うから、どういう状況で疑われる事になったのか、

聞かせてくれる?」

私がそう言うと、アブクマ君は「おう」と頷き、眼鏡狐も「ああ、シンジョウはソコを知らないのか」と、納得したように

頷く。

…何とか誤魔化せたわね…。

「昨日の放課後なんだけどな…」

ほっとしている私をよそに、そう切り出したアブクマ君は、思い出すように空へ視線を向けながら、昨日何が起こったのか

を話してくれた。



それは、昨日、私があのアクシデントを起こしたすぐ後の事だった。

来たる県大会を前に連日稽古に勤しんでいる柔道部は、その時、本格的な稽古前の軽いジョギングで汗を流していた。

走るのが苦手なアブクマ君は、道場へ戻る残り僅かな地点で主将さんに振り切られ、自転車のイヌイ君にも置いて行かれ、

一人でドスドスゼェハァそこを走っていたそうだ。

そして、部室の並びを抜けた場所でついに限界に達したアブクマ君は、部室の壁に手をついて、前屈みになって乱れた息を

整え始めた。

そこへ、大勢が駆けてくる足音が聞こえて来たそうだ。

部室の陰からどやどやと駆け出て来たのは、各々がバットや箒を手にした女子運動部。

何事かと首を傾げたアブクマ君と、殺気立った視線を周囲に走らせていたソフトボール部員達の目がピタリと合って、双方

は動きを止めた。

覗き犯を探すソフトボール部員…。

息を切らしている汗だくの熊…。

不幸な出会いが、そこで起こった…。



「…んで、結局証拠は無かったけど完璧に疑われちまってよぉ。いやぁ参った参った。ぬはははは!」

話を終えたアブクマ君は、大きなお腹を揺すって愉快そうに笑う。

…笑い事じゃないわよ…。

この中で最も事を重大に捉えていないのは、当の本人かもしれない…。

「それで容疑者アブクマが出来上がった訳だが…。笑えるほどついていないと思わないか?」

ウツノミヤ君がニヤリと口元を歪める。

…笑えないわよ私は…。

「んで、騒ぎに気付いて引き返して来たキイチと主将が…アリバイってのか?…つまり、俺に覗きができる程の時間なんぞ無

かったって証言してくれて、一応その場は収まったんだが…」

「僕と主将が身内だからサツキ君を庇ってるんじゃないか?…って、まだ疑われちゃってるみたいなんだ。証言できるのは僕

と主将だけだし、ソフトボール部を納得させるだけの説得力は無かったみたいで…」

アブクマ君の後を引き取り、イヌイ君がそう説明を添えた。

なるほど…。目に浮かぶほど良く判ったわ…。

「…まあとにかくだ。相談するにしても昼休みがじきに終わる。改めて放課後に集まるか?」

ウツノミヤ君がそう提案すると、アブクマ君は顔を顰めた。

「そうまでして貰わなくても良いって。大した事じゃねぇんだし」

いいえ、十分大した事よ…。

とは思ったけれど、私は別の事を口にする。

「そうね、ひとまず解散しましょうか。考えを纏める時間も欲しいわ」

ウツノミヤ君の提案に賛成する姿勢を示した私に、イヌイ君も「僕も同意見」と頷いた。

…考えていたのはポーズでだけ…。真犯人を知っていながら、結局言い出せずに皆の予想や考えを聞いていただけ…。

…はぁ…、嫌になるわ…。どこまで卑怯者なのかしら私は…。

アブクマ君は有名だし人気もあるけれど、容疑と状況について聞けば、多くの人は出来心でやったと思いかねない。

…けれど、その「出来心」なんて物が出て来るはずが無い事を、私は良く知っている…。

これがアブクマ君やイヌイ君以外の誰かだったなら、疑いの一片ぐらいは抱くかもしれないけれど、この二人に限っては有

り得ない。

かたい絆で結ばれている二人は恋愛対象がお互いのみ。女子になんて全く興味を持たないもの。

昼食を片付けた皆がドアへ向かう中、私は最後尾についたアブクマ君の袖を引っ張った。

「…ごめん。ちょっと良い?」

大きな熊は一瞬訝しげな顔をした後、私に頷いた。

そして、私達が足を止めた事に気付いた三人に、先に行っていろと手振りで示す。

間もなく三人が屋上から姿を消すと、アブクマ君は「何だ?」と私に話を促した。

「…ごめんなさい…」

「ん?」

まず謝った私に、アブクマ君は訝しげな表情を見せる。

私は胸の奥に泥の塊でも抱えたような気分で、その事を打ち明けた。

「…覗き…。真犯人は私なの…」

「うぇ!?」

大きな熊が素っ頓狂な声を上げ、私は…、申し訳無い気分で項垂れた…。