第十四話 「夜岸先輩」(前編)

ソフトボール部が覗き被害にあったという噂は、ほんの数日で「どうやら間違いだったらしい」という噂に変わっていた。

私の体面を考えてくれたらしいソフトボール部員達が、苦笑い混じりにその噂を広めてくれたの…。

容疑者になっていたアブクマ君本人にも、ソフトボール部が直に謝りに行ったそうだ。

昨日、私が道場へ謝りに行って事情を説明した後、入れ違いでソフトボール部のスガワラ先輩が訪れて、部の代表としてア

ブクマ君に正式に謝罪したらしい。

…本当に申し訳ない事しちゃった…。

なお、「疑いも晴れたからもう良いって」と、アブクマ君は私が他の皆に事情を話す事を止めた。

あまりにも強く言われたから渋々頷いたけれど…、大きな借りができちゃったわね…。

なので、事実を全て知っているのは柔道部三名とソフトボール部員達、そしてカバヤ先輩。あとは隠し事せず顛末を話して

聞かせたルームメイトのユリカだけ。

事情を話していないウツノミヤ君とオシタリ君は、噂が自然消滅した事で事態は決着したと考えている。

「考えてみりゃよ、噂なんて三日で消えるって言うじゃねえか。飽きたんだろ皆」

とは、オシタリ君の弁。

楽観的過ぎるとは思うけれど…、まあ、事情を知らないとそういう風に見えるかも…。

不本意ながら、新聞部員という私の肩書きも穏便な解決に一役かった今回の件は、いくつかの重要な問題を私に提示した。

まずは、そのまま新聞部の権威について。

部室に戻って調べてから確信したけれど、ソフトボール部はそれほど目立つ部でもなくて、広告となる記事を手がけている

新聞部に対しては、やや立場が弱いらしい。

私が新聞部だから許して貰えたというなら、素直に喜べない。

もう一つは、名物生徒の一人であるカバヤ先輩について。

ヒョウノ先輩の敬遠するような態度から、あるいは問題のあるひとなのかとも思っていたけれど…。

「…ト?……サト?」

実際に会って言葉を交わしてみれば、公明正大で紳士的、過度にならない程度の茶目っ気まで持ち合わせた好漢だった。

もしかして、個人的に何かあった…?ヒョウノ先輩の態度がおかしかったのは、そういった事が理由なのかしら…?

「ミサぁ〜トぉ〜」

ムギュッ…!?

「ぎ、ギブギブ!降参っ!何ユリカ!?」

真後ろからスリーパーホールドをかけられた私は、座っていた椅子の背もたれごと抱え込まれつつ、太い腕をポンポン叩い

てギブアップする。

腕を解いたルームメイトは、身を捩って振り向いた私を見ながら、教室後ろのドアを指し示した。

「また何か考え事?お客さん来てるってば」

むっちり肉が付いているせいで短く見える指を見た私は、その示す方向へ目を遣って…、慌てて席を立つ。

「イワクニ先輩…!」

髪を短く刈り込んだ、いかにもスポーツマンらしいこざっぱりした風貌の先輩は、軽く手を上げていた。

私は新庄美里。星陵の新聞部に所属する一年生で、不本意ながら、最近やたらとトラブルメーカー…。



「新聞部について、ねぇ…」

ホームルーム終了後、部活の時間までの僅かな空きを利用して求めに応じてくれた先輩は、正面玄関から出てゆく生徒達の

声も遠い校舎裏で、いがぐり頭をガリガリ掻いた。

植え込みの陰になる砂利の敷かれた歩道、私はイワクニ先輩と並んでベンチに腰掛けている。

「新聞部の君が「新聞部について知りたい」なんて言うのは、とんちのようでちょっと面白いけれど…」

言葉とは裏腹に面白がっている様子の無いイワクニ先輩は、隣に座る私の顔をちらりと横目で見る。

「…まぁ、新聞部の「何について知りたい」と言っているのかは、薄々判るよ…」

流石にイワクニ先輩は話が早い。私の性格も少しは判ってくれているのか、はぐらかそうとはしなかった。

イワクニ先輩は交友関係が広い。その事もあってかなりの事情通だ。

そのイワクニ先輩からなら、新聞部への評価についても多角的な意見を聞かせてくれると踏んだのだけれど…。

しばらく黙った後、先輩は口を開いた。

「…君は君だ。余計な事は考えないで良いと思うよ」

その淡泊な言葉は、何よりも雄弁にイワクニ先輩の見解を物語っていた。

「…やっぱり、そうなんですね…。新聞部がそれなりに多くの部から良く思われていない事は、薄々感じていましたけれど…」

昨年まで活躍していなかった柔道部、その主将であるイワクニ先輩も、当然良い印象は持っていなかっただろう…。

私への態度にそれが出ていなかったのは、一重に先輩が優しいひとだからだ…。

「勘違いされないように言っておくけれどね、ぼく個人としては、特に新聞部に思う所は無いんだよ?」

イワクニ先輩はそう言うと、それをただの慰めと疑った私に、静かに続けた。

「去年までの柔道部が、活躍していない、目立たない部だった事は確かだ。それで記事にして貰えなかった事を恨むのは筋違

いだしね」

 一度言葉を切った先輩は、「それに…」と、少し困ったように声を潜めた。

「ぼくはその…、目立つのが苦手でね…、記事がどうこうといった事については、執着は無いよ。本音で」

柔らかな微苦笑を浮かべ、気の良い先輩は言う。

「今年になってからは感謝もしているんだ。君の記事のおかげでアブクマは一気に有名になった。柔道部もね」

「それは…、感謝されるような事じゃ…」

気恥ずかしくなった私は、イワクニ先輩の独特な穏やかな雰囲気に飲まれそうになっている事に気付き、自分を戒める。

「…ミナカミ先輩…」

私がぽつりと漏らした狼の名を耳にすると、先輩は「うん?」と首を捻る。

「ミナカミ先輩は取材嫌いな理由について「プライベートな事しか聞かれなくてうんざりしていた」って言っていましたが…、

本当は新聞部全体の態度そのものが気に入らなかったんじゃ…?」

「それはどうかな?」

イワクニ先輩の反応は懐疑的だったけれど、私は少し前から考え始めていた事をそのまま言ってみた。

「昨年までの柔道部は扱いが小さかった…。それなのに自分が取り上げられるのがイヤだったとか、そういう事はないでしょ

うか?」

「シンジョウさん…。生憎とシゲはそう気が回せる程のデリカシーは持ち合わせていな…」

笑いながら言ったイワクニ先輩は、言葉を切って笑みを消し、何か考え込むような顔つきになった。

「…いや待て…。他はともかくとして、アイツ、ぼくへの義理立ては欠かさない…。まさか…?」

「その「まさか」も含まれているんじゃないかと、私は思っています。例えば、私でなく他の誰か…、例えば、真面目に競技

の事を取材してくれる他の一年生が新しく担当になるとしても、ミナカミ先輩はきっと取材を受けません。自慢でも思い上が

りでもなく、「私だから」取材に応じてくれているんです」

私は首を巡らせ、隣に座るイワクニ先輩を真っ直ぐに見つめる。

「他の誰でもない、イワクニ先輩が「力になってやれ」と要望したから、私に限って取材を受けてくれているんです」

イワクニ先輩は軽く顔を顰め、「そんな事は無いと思うよ…」と呟いたけれど、あまり自信が無い様子だった。

「ミナカミ先輩や空手部の皆のように態度をはっきりさせているひと達は少ないですが、新聞部の振る舞いに何か思う所があ

る部活は、かなりあるんじゃないかって思っています」

「シンジョウ君…。記事にする以上、活躍の度合いで偏りが出るのは当たり前と言え…」

「判ってます!」

思わず声を大きくしてしまった私は、ビックリしているイワクニ先輩に、慌てて頭を下げた。

「す、済みません…!」

これじゃ八つ当たりじゃない…、何やってるのよミサト…。

イライラしても焦っても、それだけじゃ何も変えられない…。

だから考えがきちんとしているひとに相談したくて、イワクニ先輩に時間を取って貰ったっていうのに…。

恐縮し、そして自分が情けなくて肩を落とした私に、イワクニ先輩はポツリと言う。

「…三年の、夜岸照也(よぎしてるや)っていう部員とは、話した事があるかい?」

「ヨギシ先輩ですか?…いいえ、これといって特に…」

私はこれまで言葉を交わした事が無い新聞部の先輩の顔を思い浮かべた。

何かこう…、暗くて寡黙なイメージがある。どの部を担当していたかしら…?

「以前同じクラスだったんだ。口数は少ないけれど、良いヤツだから話をしてみると良いよ」

イワクニ先輩はそう言うと、静かに腰を上げた。

「ごめん。そろそろ行かないと…。大会も迫っているから、最近のアブクマは盛りがついててね、やきもきしてるはずだ」

微苦笑したイワクニ先輩は、突然知人を紹介されて戸惑っている私に続ける。

「君には恩があるし、なにより可愛い後輩の友人だ。ぼくで良ければ何でも協力する。じっくり話がしたいなら改めて席を設

けよう。けれど、まずはヨギシと話をしてみる事を勧める。きっと為になるはずだ。…あいつにとっても、君にとっても…」

「は、はい…」

言いたい事はまだまだあった。相談に乗って欲しい事についてはまだ触れてすらいない。けれど、これ以上引き留めて迷惑

をかける訳には…。

ふぅ…。上手くはぐらかされた気分だわ…

立ち上がりながら頷いた私に、イワクニ先輩は優しく微笑みかけて来た。

「「これだけは譲れない」…そんな信念を持っているヤツは、男女問わず大好きだ。君がもしも「どでかい事」をしようって

言うなら、ぼくも、そしてきっとウシオも、可能な限り力になるよ」

…あ…。

私は目を丸くした。

まるではぐらかすようにして、私に話の焦点を結ばせなかったイワクニ先輩は、やっぱり私の相談したかった事に気付いて

いたんだ…。

気付いてなお、結論を急がせないように誘導していたんだ…。

一見はぐらかしているように見えても、ただの愚痴語りだけで私の話を終わらせるつもりなんか無かったんだ…。

「気付いて…いたんですか?」

私がおずおずと訊ねたら、人の良さそうな顔をしている先輩は「何の事かな?」と、とぼけた様子で肩を竦めた。

けれど、急に真面目な顔つきになると、

「良いね?まずはヨギシと話してみなよ。例え今の状態に納得が行かなくとも、考え無しに軽はずみな行動はしちゃあいけな

いよ?」

と、私の目を真っ直ぐに見ながら、諭すような口調で言う。

「はい…。判りました…」

頷いた私は、ついでなので訊ねてみる事にした。

「ヨギシ先輩の他に、新聞部に親しい先輩は居ますか?」

「いや、特には…」

イワクニ先輩の短い返答で、私は再び暗鬱な気分になった。

あれだけ居る新聞部の先輩の中に、あんなにも交友関係が広くて色んな所に顔が利くイワクニ先輩の知り合いは、たった一

人しかいない。

その事実が、新聞部に所属している三年生の質を暗示しているように思えて…。

忙しい中でも無理を聞き届け、時間を取ってくれた事にお礼を言って、私はイワクニ先輩を見送った。

…ヨギシ先輩…、か…。

せっかく方針を示して貰えたんだから、さっそく話してみましょう。



特に締め切りが近い記事も預かっていない私は、ヘルプを装って件の先輩に近付いてみた。

デスクに向かって、何やら細々とした文字をルーズリーフに書き込んでいる先輩は、真後ろから見ると毛の塊みたい。

夜岸照也先輩は、長毛の犬、ヨークシャーテリアの獣人だ。

黒色のうっとうしい前髪のせいで目が隠れているから、表情が読めない上に根暗に見える。

これは見た目の偏見じゃない。実際のところ明るいひとじゃあないのよ。

話す時も、ボソボソと低くて小声で聞き取り辛いし、他の先輩と喋っている様子もあまり見ない。

というより、これまで数えるくらいしか喋っているのを見た事が無い。

そんな話しかけ辛い先輩に、私は柄にもなく躊躇いながら声をかけた。

「ヨギシ先輩?忙しそうですけれど、何か手伝いましょうか?」

私が訊ねると、モサモサの犬はちょっとだけ首を捻って何か呻いた。

が、内容が聞き取れない。おまけにすぐさま前を向いて書き物に戻ってしまう。

…えぇと…。恐らくは「いい」とか「結構」とか、そういう事?

「私、今日の所はちょっと余裕があるので、お手伝いがてら指導でも頂けたらなぁ、と…」

諦めずに話しかけた私を振り返る事もなく、ヨギシ先輩は何かボソリと呟く。

え、えぇと…。良く聞き取れなかったけれど、「いらない」とか「不要」とか、そういった雰囲気?

私がヨギシ先輩に話しかけている事に気付いた部員が数名、何とは無しにこっちに目を向けたりしていたけれど、その視線

もすぐさま余所へ移る。

私は途方に暮れた。

ヨギシ先輩は、興味を引かない皆の反応からも判る通り、まるで置物のようにリアクションが無い。

話してみろって…、意思疎通もままならないですよイワクニ先輩!?

そのまま後ろに突っ立っているのも不自然なので、私は自分の席に戻る。

急ぎじゃないけれど、不完全ながらも記事纏めとかしておこう…。

あと一回取材を入れるから、空手部の記事、まだ完成させられないのよね…。



十数分ほどかけて頭を回転させた後、私はペンを置く。

後でもう一度手を加える事になる、不毛な二度手間となる事を承知した上で書いた記事は、結構良い出来になりつつあった。

…けどこれ、インタビューと写真を入れると、構成かなり変わるのよね…。

後で大幅に変えなければならない事を惜しみつつ、椅子の背もたれに体重を預けて背伸びした私は、ヨギシ先輩の姿がデス

クから消えている事に気が付いた。

うそ!?一応視界には入っていたし、動いた気配なんて無かったのに!?

体勢を戻しつつ慌てて見回すと、ドアを開けて出て行こうとしているヨークシャーテリアの姿。

誰からも視線を向けられていないヨークシャーテリアは、あまりにも静かで、まるで影のようだった。

カメラを持っている…、これから取材?…追いかけてみようかしら?

逡巡は寸の間、私はすぐさま書きかけの記事を仕舞い、立ち上がってドアに向かう。

廊下に出て左右を見回すと…、生気のない足取りでゆらゆらと遠ざかって行くムクムクは、階段の方へ向かっていた。…ま

るでゴースト…。

足早に後を追ったら、気配に気付いたらしいヨークシャーテリアは、足を止めて、もそ〜っと首を巡らせた。

「取材ですよね?それなら、邪魔にならないように気を付けますから、近くで様子を見せて貰えませんか?」

断られるんだろうなぁと半ば覚悟している私を、ヨークシャーテリアはじっと見つめる。

…いや、実際には見つめているかどうか判らない。人間の前髪みたいになってる頭毛が、両目をすっかり隠しているから…。

これまで気を付けた事がなかったけれど、ヨギシ先輩は私と背丈が変わらない。160センチ無いわねきっと。

太っている訳ではなさそうだけれど、毛の量が多いせいか、ずんぐりしたフォルムをしている。身長が低めだから、なおの

事そう見えるのかもしれない。

しばらく私を見ていた…たぶん見ていたヨークシャーテリアは、小さく口を動かし、ぼそぼそと何か囁く。

「はい?」

「…………えきは…?」

聞き返したらもう一度喋ったけれど、それでも聞き取れない。

返事をしようにも、何を言っているか判らなくて返事ができず、困っている私に、

「…裸に免疫は…?」

と、先輩は三度言葉を重ねた。

…はい?何?免疫?

内容が判ってもなお返事ができず、困っている私に背を向け、先輩は歩き出す。

「あ、ご一緒します!」

慌てて後を追った私は、歩幅が小さい上に歩調もゆっくりな犬獣人の斜め後ろにつき、何処へ行くのかも知らないまま同行

した。

…ヨークシャーテリアって、もっとこう活発なイメージがあったんだけど…、これって偏見かしら?



「へ?ここですか?」

私は目を丸くして、物々しい造りの建物を見上げた。

部室の並びから少し離れた所に立つ、年季の入ったその建物は、相撲部の稽古場だ。

かなり昔、全国出場を成し遂げるほど活躍した選手達が出た、いわゆる黄金期に改築されたというこの稽古場は、今では随

分と傷んでいる。

外からは見たことがあったけれど、中がどうなっているのかは良く判らない。

ヨギシ先輩…、相撲部の担当だったんだ…。

あれから調べてみたけれど、相撲部は、現在はあまり活躍していない部活だ。「現在は」というのも、かなり昔は強かった

事もあるらしいからで…。

部の資料室で一昨年分まで遡って確認したけれど、いずれの新聞でも記事のスペースは小さく、扱いはあまり良くない。

成績と扱いその物だけ手早く確認したから、記者が誰なのか確認を怠っていたけれど、まさかヨギシ先輩が…、つまり三年

生が担当していたとは思わなかった。

あの扱いの程度からいって、まさか最上級生が受け持ちだとは予想もしなかったのよ…。

柔道場のそれにも似た昔懐かしい引き戸が、ガララッと音を立て、私は上向きだった顔を前に戻す。

ヨギシ先輩は引き戸を開けてさっさと中に入り、私は躊躇いつつも後を追う。

…す、相撲部って…、カバヤ先輩が中に居るのよね?

感謝はしているんだけれど、ちょっと顔をあわせ辛い…。どんな顔をすればいいのかしら?

躊躇しながらも先輩の後に続き、戸を潜ろうとした私は、

「あ、ヨギシ先輩!」

「どもっす先輩!」

「お疲れ様〜っす!」

続けざまに上がった銅鑼声に、ちょっと驚いた。

声その物が大きかったからという訳じゃない。かけ声や怒鳴り声なんて、練習風景を見に行って聞き慣れている。

驚いたのは、その大声での挨拶に、喜んでいるような響きと、親しみが感じられたからだ。

まるで同じ部の先輩に向けられるような挨拶で相撲部員達に迎えられたヨギシ先輩に続き、意を決した私も戸を潜る。

途端、むわっとした湿気と熱気が、顔を叩いた。

汗の匂いだけじゃない。これは…土の匂い?なんて独特な空気かしら…。

土俵と木目の壁。建物その物は老朽化しているけれど、清掃が行き届いているのか、内側はそれほど傷んでいるように見え

なかった。

壁の一角には部員名が入っているらしい木札がかけられている。

奥には一段高くなった座敷。今は誰も上がっていないけれど、恐らくは顧問の先生なんかがあそこに座るのね。

何よりも、天井が高めでかなり広々としているのが印象的だった。

そんな広い空間で、体格の良い男子達がマワシ一丁で汗を流しているのだけれど…。

…あの先輩の、小山のような体は見えない。

観察していた私は、急に静かになった事に気付いて屋内を見回す。

全員の顔が、何故か私に向けられていた。

部員達は一様に動きを止めて、声も無くじっと私を見つめている。

…え?もしかして女人禁制?いやでもあれって土俵に上がっては駄目っていうだけじゃ…?

ひょっとして稽古場その物もそうなの?詳しくはないけれどそんな決まりだったのかしら?

焦りを感じ始めた私の耳に、「女子…」という、誰が発したのか判らない呟きが届いた。その直後、急に皆がざわつき出す。

「女子だ…」

「女子」

「新聞部?」

「女性記者…!」

ざわめきは徐々に大きくなり、やがて「女性記者だ!」という声が繰り返され始める。

「どうしたんだよヨギシ?女子なんか連れて来て…」

プロレスラーみたいなガタイの良い人間男子…恐らくは三年生部員が歩み寄り、ヨギシ先輩にそう声をかけつつ、ちらちら

と私を盗み見る。

その顔が上気して見えるのは、激しい稽古のせいかしら?

「…後輩…。取材勉強…」

ヨークシャーテリアがぼそぼそと応じると、髪をほぼ剃って丸坊主にしているその先輩は、「おおーっ!?」と声を上げた。

「もしかして次の担当?うぉーっ!初の女性記者受け持ちかっ!」

「…いや…たまたまついて来ただけ…」

ヨギシ先輩がぼそぼそとそう言ったけれど、目の前のマッチョマンは聞いていないし、どよめいている部員達も当然囁きに

気付かない。

「ようこそ相撲部へ!えぇと…、お名前は女子!?」

「シンジョウです」

じりっと詰め寄るマッチョマンに気圧され、笑みを浮かべながらも少し後退りつつ、私は自分が一年生の新人部員である事、

「優秀な」ヨギシ先輩の取材手順を勉強させて貰いたくて同行した事などを、若干のヨイショを交えて説明した。

「嬉しいねぇ!女性記者に取材に来て貰えるなんて!野郎じゃなく!」

担当じゃないと言っているのに、私やヨギシ先輩の言葉はマッチョマンに届かない。

彼はすこぶる上機嫌でヨギシ先輩と私を稽古場奥に案内すると、座敷の上がりに座らせて、一年生部員に声をかけ、冷たい

麦茶を用意させた。

稽古場脇に小さな戸があるんだけれど、その奥が更衣室などになっているらしい。

もしかしたら冷蔵庫などが置かれているのか、そこから持ち出された麦茶はきーんと冷えていた。

お茶が運ばれて来てからは、一息入れているマッチョマン…主将さんとヨギシ先輩は何やら話をしていたけれど、ヨギシ先

輩の声が聞き取りづらいので話の内容は半分程度しか解らない。

どうやら県大会を前にした部員の調子を聞いていたようだ。

話に耳をそばだてていた私は、ふと気が付いて首を巡らせる。

…部員達の視線が、私に注がれていた…。

稽古をしていながらも注意が散漫になっているのが、素人の私にも何となく判る。

数名とまともに視線をぶつけてしまった私は、どんな顔をして良いか判らずに愛想笑いした。

すると、流石に相撲をしているだけあって揃いも揃って体格の良い男子達は、顔を緩ませて笑みを返してくれる。

…雰囲気は悪くないけれど…、私、稽古の邪魔になってるんじゃないかしら?

改めて確認してみたら、顔ぶれは殆どが人間。白い豚獣人が一人居るだけ。

なお、私のクラスに相撲部は居ない。その他の件での顔見知りが一人だけ居るには居るんだけれど…、今日は来ていないの

かしら?カバヤ先輩…。

部員数は、壁の名札を見るに十七名。マイナーな競技かと思っていたけれど、そこそこ居るのね…。

こうなると我が校の柔道部は異常な少なさだわ…。川向こうの柔道部が県下有数の強豪だからそっちに流れているとはいえ、

いくらなんでも絶滅危惧種過ぎよ…。

ヨギシ先輩と話を終えた主将さんは、私に不器用なウィンクを送ってきつつ、「今後もよろしくシンジョウ女史!」と言い

残して稽古に戻る。

ヨークシャーテリアは無言でそれを見送りつつ、音もなく麦茶を啜った。

「私、担当じゃないって言ってるのに…」

ぼやいたら、隣でヨギシ先輩が「ふぅ…」とため息をついた。

「…聞かないから…アイツ…ひとの話…」

ボソボソ声にもちょっと慣れてきたのかしら?今度は何とか聞き取れたわ。

「勘違いされないように、きちんと説明しないと…」

私が困りながらそう言ったら、ヨギシ先輩は稽古の様子を眺めながら、「…諦めた…」と囁く。

「諦めないで下さいよ…!」

イワクニ先輩は話をするように勧めてくれたけれど…、喋らない上に影みたいに静かで、掴み所がない…。

私はこっそり、気付かれないように横目で、縫いぐるみのような先輩の様子を窺った。

…ヨギシ先輩…、理解するには手こずりそうな相手ね…。