第二十三話 「展開」
「事情を、説明して貰いたい」
と、私とヨギシ先輩の前で、腕組みした人間男子が良く通る声を発した。
ここは生徒会執務室。そしてこの人は生徒会執行部副会長を務める霧島明俊(きりしまあきとし)先輩。
引き締まった体躯に、180センチ近い長身。すらりと長い足に、落ち着きのある渋い声。眉が太いせいでちょっと濃いけ
れど、なかなかのハンサムで女子ファンは多い。
そんな副生徒会長の鋭い眼差しは、長机を挟んで向き合っている私…いえ、どちらかといえばヨギシ先輩の方へ集中的に注
がれている。
「…事情も何も…、部を新たに…設立したい…。それだけだ…」
「誤魔化すつもりか?新たな部?この時期に?その設立目的は何だ!?君が何を企んでいるのか聞かせろと言っている!」
苛立ったように語気を強めた副会長に、隣に座っている羊が小声で囁いた。
「アキトシ君…、そんな怖い顔したら、ヨギシ君もきっと話し辛いよぉ…」
副会長はコホンと咳払いして「そうだな…」と囁き返し、居住まいを正す。
こっちのおっとり…というよりどこかおどおどしている羊は、椎木巣貫(しぎすたかし)生徒会長。
他薦で生徒会長という重役を背負わされたムクムク巻き角羊さんは、本当に目立たない生徒会長だ。逆に、敏腕と評価され
ている副生徒会長の方が、知名度も高いし目立っている。
キリシマ副会長はため息をつくと、椅子を少し鳴らして立ち上がり、校庭を見下ろせる窓際に立った。
「簡潔に言うぞ。昼休み中に新聞部から俺とタカシの所へ話が来た。内容は…察しが付いてるだろう?ヨギシ」
私は身を硬くした。私に対しては今のところ何も無いけれど、ヨギシ先輩が部長に呼ばれたという事は本人の口から訊いて
いた。けれどまさか…、新聞部は生徒会にも先手を打って働きかけていたの?
…いえ、今朝貼って回った新聞に「報道部」って明記した以上、こっちの狙いは察しがつくでしょうし、これは予期して然
るべき行動…。「任せろ」って言っていたし、ヨギシ先輩は何らかの手を打っているはず…。
私がチラチラと横目で様子を窺う中、ヨギシ先輩が口を開いた。
「「ヨギシが報道部の設立を持ちかけてくるはずだが、断固突っぱねてくれ」…か?」
私は吃驚した。ヨギシ先輩がはっきり喋ったから…じゃない。その声が、口調が、新聞部長にあまりにもそっくりだったか
らだ。
副会長は窓の外を眺めながら、軽く顔を顰めて頷いた。
「相変わらず、似過ぎていて薄気味悪くなる特技だな…。当たりだ。一字一句違わずその通りの事を言ったよ彼。…そして…」
「「それなりの見返りは用意したいと思っている。だが、もし期待に応えてくれない場合は…」…そこで…、皆まで言わず…
退室…」
「全くその通りだ」
再び声真似をしたヨギシ先輩に、副会長は不快そうな表情で頷いた。…本当、気持ち悪いくらいそっくりな声と口調だわ…。
二度目はちゃんと観察したけれど、ヨギシ先輩は喉に手を当てながら喋っていた。喉仏を指で押して声を調節しているのか
しら?
何にせよ、相変わらず底知れない…。もしかしてこのひと忍者の末裔とかじゃないでしょうね?煙を残して消えたりとかは
さすがに…、いや、出来そうだわこの先輩なら。
「何なんだまったく…。内輪もめか?それを生徒会執行部まで持ち込む事も不快だが…」
副会長は厳しい表情で外を睨み、吐き捨てるように呟いた。
「思い上がりも甚だしい…!生徒会までどうこうできるつもりでいるのか新聞部は?えぇっ!?」
キッと振り向き、私達に鋭い視線を投げかける副会長。
「アキトシ君…、そんな怖い顔したら、きっと二人とも返事に困るよぉ…」
再び会長が控え目な声で囁き、副会長は咳払いする。
「元より新聞部の影響度は認識しているが…、特に昨年辺りからは全く持って目に余る横暴さだ…。自分達もまた我々同様一
介の生徒に過ぎないという事を忘れているのではないか?」
「全くその通りです!」
思わず同意してきっぱり言ってしまった私は、三人の視線を浴びて口を押さえる。
「…ほう?君は…いや、シンジョウ君というんだったな…。シンジョウ君は、新聞部のそういった気質に不満があると?」
副会長の探るような視線を受けながら、思わずでしゃばってしまった私は、ちらりとヨギシ先輩を見た。
…ん?「言え」?そういう目よね、これ?前髪でよく見えないけど…。
「はい。はっきり言わせて頂くなら、不満を通り越して耐え難いほどです!私は春に入部したばかりの駆け出しですが…」
それから私は、春からこれまでに知り、経験し、考えさせられた様々な事を、一気にまくし立てた。
発言する事になるとは思っていなかったから、要点を絞った話はできなかったけれど、募っていた不満をぶちまけるように
身を乗り出して。
「…だからこそ!私はヨギシ先輩の考えに賛同したんです!新聞部を同じ土俵でやりこめて、目を覚まさせたいんです!報道
のあるべき姿を取り戻すためにも…!歪なバランスを元に戻すためにも…!新聞部は理解しなくちゃいけないでしょう!?自
分達だって、報道される側と同じ「ただの部活」なんだって!部活に貴賎なんか無いんだって!」
いつの間にか立ち上がって声を大きくしていた私は、言うべき事を一通り口にした所で我に返った。
「あ…。す、済みません…」
気恥ずかしくなって会釈した私が、椅子に腰を降ろすと、
「これはまた…、ヨギシとは対照的に熱い女子だな…」
「でも、根っ子が熱いのはヨギシ君も一緒だと思うよぉ?」
副会長と会長は、ぼそぼそと囁きかわした後、興味深そうにこっちを見つめて来た。
「…おれが…言いたい事は…、今…この優秀な…後輩が…全て…言ってくれた…」
ヨギシ先輩はぼそぼそとそう言うと、少し身を乗り出した。
「…解る…だろう…?二人とも…。一年生の…シンジョウでさえ…こうして…歪んでいると…感じる程の…、新聞部の…体制
と…、他の部との…バランスの…、異常さが…。どこかで…誰かが…正さなければ…ならない…」
副会長はじっとヨギシ先輩を見て、小さくため息をついた。
さっきまでの苛立っている様子は見られず、むしろヨギシ先輩を案じているような表情すらしている。
「解らないなヨギシ…。君は新聞部の三年だ。甘い蜜を吸う気になれば、いくらでも味わえるだろう?なのにどうしてわざわ
ざその地位を蹴ってこんな真似をする?そこまでするメリットがどこにあると言うんだ?」
「…おれの代で…何とかしたい…。こいつらには…」
ヨギシ先輩はちらっと私に視線を飛ばし、それから会長達に顔を戻した。
「…まっとうな…新聞が書ける…、まっとうな…部活動を…、させてやりたい…」
…先輩…。
「…革命が…上手く行けば…、後輩共が…まっとうな新聞を…書けるように…なる…。これ以上のメリットは…、特に必要無
いし…、狙っても…いない…」
思いがけないヨギシ先輩の言葉で、私が胸を熱くしていると、
「後続の為に、頑張るつもりなの?」
羊会長は控え目な声で、ヨギシ先輩にそう訊ねた。
「…格好良く…言えば…そうだ…。だが…もういくつか…、理由はある…」
ヨークシャーテリアはそこで一度言葉を切ると、
「頑張ってるおれのダチをないがしろにして来た、調子こいてる勘違い共一同に、一泡吹かせてやりてえのさ」
そう一息にはっきりと言って、不敵にニヤリと口元を歪ませた。
燻っていた熱い炭が突如炎を上げたような…、そんなイメージを私は抱いた。
初めて見たけれど、たった今垣間見せたこれが、ヨギシ先輩の本性なのかもしれない。
「ん!結構ですぅ」
羊会長はにっこり微笑むと、副会長を見遣った。
「どうかな?ボクは認めても良いんじゃないかって思えるんだけれどぉ?」
「う〜ん…」
副会長は腕組みし、難しい顔で唸る。
「納得、できないかなぁ?」
「心情的には理解できんでもないが…、しかし部費はどうする?こんな半端な時期に立ち上げられても…」
あれ?副会長、ちょっとこっちになびき始めた?
微妙な態度の変化を感じさせた副会長に、羊さんは視線を手元の用紙…私達が用意してきた部員名簿を見ながら話しかける。
「この提出用部員名簿を見て思ってたんだけどね?新聞部から報道部に移る部員も居る事だし、新聞部の予算を頭割りで分配
すれば良いんじゃないかなぁ?」
「頭割り?」
眉をピクンと上げたやや濃い目のイケメンは、顎に手を当てて「なるほど、その手が…」と呟いた。
「十数年前になるけれどぉ、ボート部とカヌー部が分離した時も、確かそうしたはずだよ?生徒会誌に書いてあったと思う。
部活設立の時期については特に規則でも定められていないし、前例もいくつかあるもの、先生達も認めてくれるよきっと。今
回のケースに限るなら、新規設立は大問題って程じゃないと思うけれど?」
あらまぁ驚いた…。お飾り会長ってイメージが蔓延していて、私も少なからずそんな印象を抱いていたのに、実は結構切れ
者なんじゃないかしらこの会長?
会長の言葉に「仕方無いなぁ…」とでも言いたげな顔で頷いた副会長は、私達に向き直って咳払いした。
「…会長のお達しだ…。報道部の設立について、生徒会側で規制はしない」
やった!
思わず拳を握った私は、「ただし!」と副会長さんが続けたので、慌てて背筋を伸ばす。
「新聞部の顧問と部長及び副部長、そちらにきちんと話を通した上で、報道部の顧問を決めるように。部費については、部活
の分裂的な側面から、タカシが挙げた例外適用を先生方に提示するが、顧問が居なければ活動は認められない。これは決まり
だからな」
頷いたヨギシ先輩は、ちらりと私を見た。
ふふんっ!顧問なら実はもう見つけてあるのよねっ!しかも、理事長という立場上では校内最強クラスの顧問を!
報道部の顧問をどの先生に頼むかという件については、実は前々からもめていた。
何せ私達はお騒がせの反乱分子一同だ。立場の弱い先生に顧問を頼んで心労をかけるのは可哀相…とは、ヨギシ先輩が口に
した建前。
極端な話、圧力にも風評にも屈さない立場に居て、私達の行動の意味を汲んでくれる顧問が望ましかったのよね。
でも皆心当たりがなくて、困り切った私がイワクニ主将に愚痴ったら、
「顧問ねぇ…。なんなら理事長にちょっと相談してみようか?もしかしたら誰か紹介してくれるかもしれないし」
と、有り難い事を言ってくれた。
…そう。確かに「誰か紹介してくださるかも?」くらいには期待していたけれど…、まさか柔道部と兼任で顧問を引き受け
て下さるとは思わなかったわ…。
経営者でもある理事長は多忙だから、顧問らしい働きはできないとおっしゃっていたけれど、そこは問題無し。指揮ならヨ
ギシ先輩が執ってくれる。
という訳で、部活の設立さえ認められれば理事長が顧問になって下さる。
このまま職員会議で報道部設立申請が認められれば、これからは部室と予算を確保して本格的に活動できるわ!
私は新庄美里。星陵の一年生で、眼鏡が手放せない人間女子。所属は…報道部!
「ついに、かぁ…」
畳の上に正座した、いがぐり頭の人間男子は、感慨深そうに呟いた。
ここは柔道部の部室。放課後に時間を作って稽古中にお邪魔した私は、マネージャーのイヌイ君が用意してくれた麦茶を啜
りながら、イワクニ主将と向き合っていた。
「本当に大変なのはこれからだろうけれど、とにかく気をつけて」
「はい」
「俺も今朝読んだけどよぉ、報道部の新聞、面白かったぜ?」
頷いた私に、横合いであぐらをかき、柔道着の上を脱いでタオルで体を拭っていたアブクマ君が声をかけて来た。
…一応レディの前なんですけれど?デリカシーが無いっていうか何ていうか…。
「成績イマイチだった部活も、ちゃ〜んと頑張ったってトコが解る様になっててよ、悪ぃけど今まで読んでた新聞部の記事よ
り読み易いし面白ぇ」
「うん!僕もそう思った。親身になってる感じがして、凄く良かったと思うよ。前のスタイルより、今朝の方が好き!」
半裸になっている大きな熊の隣にちょこんと正座していたイヌイ君も、背中側で尻尾を立ててゆらゆら揺らし、微笑みなが
ら追従する。
前もってイワクニ主将から話をされていたというアブクマ君とイヌイ君は、革命決行については大して驚いていなかった。
考えてみれば、なるほどなぁって思う。アブクマ君は少し前から、時々私を気遣うような一言を投げかけてくれていたし…。
あれって、私がやろうとしている事を薄々察していたからだったんだ…。
「なぁシンジョウ。新聞部に不満持ってる部活もあるんだしよ、そういうトコに声かけて、報道部で独占取材とかやったらど
うなんだ?戦力差ひっくり返すにゃ、他の部の強力も必要なんだろ?」
アブクマ君がそう言って、イヌイ君もコクコク頷く。見ればイワクニ主将も…。
「ぼくらは確かに新聞部に頼って、来年の新入生を確保したい立場ではあるけれど…」
主将は柔らかく微笑んで、恥かしそうに頭を掻いた。
「見物人も殆ど来なかった定期戦…、君があんな風に記事にしてくれなかったら、全員抜きというアブクマの快挙やその後の
快進撃について、校内の殆どの生徒が知らないままだったはずだ。恩義と言うなら、新聞部そのものより君個人に恩が有る。
ぼくら柔道部、全面的に報道部へ協力するよ」
ああ、そうか…。三人とも、私が来る前に相談していたんだ…。報道部に協力しようって、話し合っていてくれたんだ…。
「俺らはホレ!アレだ。新聞部の取材全部拒否して、報道部の取材しか受けねぇって事にしても良いんだしよ」
アブクマ君がニヤニヤ笑いながら言って、イヌイ君も「そうだね」と頷く。けど…、
「ダメよ!」
私は即座に、アブクマ君に言い返していた。
「新聞部の取材は今までどおりに受けて!…というのもね?同じ部活についての記事で差を見せ付けなくちゃ、私達報道部の
実力が、第三者からは計り辛いのよ」
「…ん…、んん…?」
アブクマ君の顔が考え込むように顰められた。
「多くの部に、新聞部と報道部の双方から取材が入って、面倒をかけちゃう事になるけれど…、担当する部活が違うっていう
一種の「住み分け」なんかをしちゃったら、それこそ報道部は新聞部の支社みたいな物に過ぎないって認識されちゃうわ。徹
底的に争っている、そして内容でも勝ってるっていう事を見せるためにも、報道部の記事は新聞部の記事となるべくかぶって
いなければならないの」
「えっと…、キイチ…?つまり…何?」
「つまり報道部は、新聞部と比べられるような、中身がかぶった記事を意図的に書かなきゃいけないって事。読み手に比較し
て貰う事で勝ってるって証明しなきゃいけないんだって」
小声でひそひそと訊ねたアブクマ君に、イヌイ君が説明する。
「う〜ん…、この手なら新聞部を出し抜けると思ったんだけれどなぁ…」
イワクニ主将が残念そうに言い、私はお礼とお詫びを口にしながら微笑みかけた。
「「正々堂々と出し抜く」…ヨギシ先輩はそう言っていました」
「ははは!ヨギシらしい意見と言い回しだ!」
「ええ、…たぶん本当に何か企んでます」
笑い返しながら言葉を切った私は、上半身裸のアブクマ君を眺め、首を傾げる。
「…ところでアブクマ君…。またちょっと太った?」
「えっ!?」
鼻白む大きな熊の横で、イヌイ君が顔を顰めて頷いた。
「そう思うよねぇ?本格的な夏はこれからなのに、最近はもうアイスパクパク食べてるし、気をつけた方が良いって言ってる
んだけど…」
「アイスちょっと食ったぐれぇで変わりゃしねぇだろ?気のせいだよ、気のせい!」
う〜ん…、果たしてそうかしら…?
「シンジョウさん」
アブクマ君の言葉に疑問を感じていた私は、イワクニ主将の言葉で首を巡らせる。
「正直な所、まだ気になっているんだ…。君にヨギシを紹介した事は、本当に正しかったのか…。ぼくがした事は、もしかし
たらとんでもない間違いなんじゃないかって…」
「そんな事ありませんよ!」
即座に応じた私は、胸を張って続けた。
「自慢じゃないですけれど、私こう見えてすぐ突っ走るんです。ヨギシ先輩を紹介して貰えなかったら、手綱を取ってくれる
ひとも見つからないまま、孤軍奮闘短期玉砕していたかもしれません。…けれど今は、頼れる先輩がちゃ〜んと睨みを利かせ
てくれてますから、無駄死にしないで済みます!」
じっと見つめて来るイワクニ先輩に、私はとびっきりのウィンクを送る。
「大丈夫です。そう簡単に負けたりするもんですか!」
強がりでも虚勢でもない。私は今、心底そう思っている。きっと勝てる!革命は成功する!
イワクニ先輩が気に病まないよう、安心できるよう、私が大きく頷きかけると、横合いから「だはは!その通り!」と、笑
い声が上がった。
「シンジョウは負けやしねぇよ」
アブクマ君はニカッと笑って、私達は一斉に彼を見る。
「なんたって、シンジョウはシンジョウなんだからな!」
意味不明だった。
私とイヌイ君、そしてイワクニ主将は、きょとんとした顔で互いを確認しあい、それから小さく吹き出す。
アブクマ君の言葉は意味不明だったけれど、それでも何だか元気が出た。
「あら?」
昇降口で靴を履き変えた私は、暗くなった校庭をバックに立っているシェパードに気付いた。
「よう…」
昇降口の戸に背を預けていたオシタリ君は、低い声で挨拶してくる。
「応援団の練習、終わったの?」
「ああ…」
ぶっきらぼうに応じたオシタリ君は、「もう、帰んだろ?」と外に向かって顎をしゃくった。
「ええ。オシタリ君も何処か寄る用事がないなら、途中まで一緒に帰らない?」
「ああ…」
いつも不機嫌そうなシェパードは、いつも通りの仏頂面を外に向けつつ踵を返し、ドアを潜って出て行った。
身を翻した拍子に尻尾がふさっと揺れ、肩越しに後ろへ吊るして持った鞄が背中を叩いた。
結構背丈も有るし、体もがっしりしているからかしら?こういう颯爽とした歩き方が絵になる。
重量感溢れるアブクマ君やカバヤ先輩、ウシオ団長とはまた一味違う、凛々しさと精悍さ、逞しさが感じられて。
「旗手はどう?もう慣れて来た?」
「ぼちぼち」
言葉短く応じたオシタリ君に、横に並んだ私はさらに問いを重ねた。
「この間の日曜日、本番デビューだったんでしょう?相撲部の試合と重なってたのが残念だわぁ…。せっかくの晴れ舞台だっ
たのに」
「わざわざあんたが見に来るほど大した事はしてねえよ…。旗持って突っ立ってるだけだし…」
「いいえっ、物凄く大した事よ!一年生で旗手ってそうそう無いんだから!私も、次こそしっかり取材に行くからね!」
「…来たってしょうがねえのによ…」
ぶっきらぼうに吐き捨てるシェパード。…あれ?もしかしてちょっと照れてる?耳が寝ているんだけれど…。
あら?そういえば…。
「もしかして、今日は私の事を待っていてくれたの?」
私の問いに、しかしシェパードは答えない。
…けれど、聞くまでもなくそうなのよね…。今までこんな事なかったし、明らかに誰かを待ってる風だったし…。
きっと、私達の活動の事が気になって、話を聞きたくなったんでしょうね。
「報道部の事は、あまり心配して貰わなくても大丈夫よ?周りで騒いでいるのが大袈裟なだけで、実際にはそんなに大事件っ
て訳でも無いんだから。だから止めろとか、そういう事は言わないでね?」
そう言ってから、我ながらこれはまた言い訳めいた言葉を並べているなぁ…と思った私に、
「言わねえよ…」
オシタリ君は前を向いたまま、ぼそっと低い声で言った。
「あんたはあんたで考えての事なんだろうが?外野がどうこう言う問題じゃねえ…」
「…ええ。考えて考えて、悩んで悩んで、そして決めたわ。後悔なんてしていないし…」
オシタリ君の横顔から視線を外した私は、前を見据えてきっぱりと言い切った。
「これからだって、絶対にしない!」
「そうか」
オシタリ君が深く頷いたのが、前を向いていても衣擦れの気配で判った。
「「頑張れ」ぐれえしか、言う言葉が見つかんねえけどよ…」
シェパードは前を向いたままそう言うと、一度言葉を切って、少ししてから先を続けた。
「必要になったら頼れよな?団はいつだって中立だし、団長はあんたを気に入ってるから味方してくれる。おれだって…」
言葉の後半はだんだん声が小さくなって、消えていった。けれど、オシタリ君はまた少し間をあけた後、低い声ではっきり
言った。
「負けんなよ?おれ、あんたのこ…。あっ、あんたの新聞…好きなんだからよ…」
思いがけない励ましの言葉に、私は気の利いた返事もできず、
「…うん…」
ちょっと俯きながら、小さく頷いていた…。
「ただい…きゃっ!?」
「何やってんのミサトぉ〜っ!?」
寮の自室に入った私は、出し抜けに肉付きの良い大きな手で両肩を掴まれ、ガックンガックン前後に揺さぶられた。
「休み時間は毎回どっか行っちゃうし!お昼も気付けば居ないし!放課後は煙みたいに消えちゃうし!学校内探し回っても何
処にも居ないし!何アレどういう事ぉ〜っ!?新聞部分裂しちゃったのぉ〜っ!?何してどうなってなんのぉ〜!?」
ルームメイトのパンダっ娘は立て続けに質問を発し、私は頭を前後に揺られながら抗議する。
「ちょっ…と…!ユリカ…!落ち着い…て…ってば…!くく、首っ…!鞭打ちにな…っちゃう…!」
「あ、ごめん」
ユリカはピタッと手を止め、ほっと息をついた私は恨みがましい目つきで軽く睨む。
…それにしても、ずっと入り口で待ち構えていたのかしらこの娘?この取り乱し様…、やっぱり昨夜話さないでおいたのは
正解だったわ…。
事情はきちんと話すからとユリカを宥め、まずはテーブルにつこうと促した私は、あぐらをかいたユリカとテーブルを挟ん
で座り、かいつまんで事情を話した。
ユリカも有る程度は知っている、新聞部の横柄な態度と横暴な行為。
それを快く思っていなかった、私を含む新聞部内の数名。
諌める言葉も届かない上層部に対し、革命という実力行使で本来あるべき姿を訴える事にしたヨギシ先輩。
あるツテで先輩と接触し、その計画を知る事になった私が、参加を決意した経緯。
仲間達と人目を忍んで集い、練りに練った計画と、その実行…つまり今朝の事…。
それらの内、今言える部分については全て打ち明けた私を、ユリカは難しい顔をして見つめていた。
「ミサトぉ…、それって、結構ヤバい事なんじゃないのぉ?もう新聞部に戻れないんじゃないのぉ?その報道部って…、新聞
部に目の敵にされるんじゃないのぉ?」
「そうね。そうかもね」
頷く私は、至って冷静だった。
後悔は無い。未練も無い。あのまま新聞部に居続けても、きっと私はすっきりしなかった。
それに…、例えば革命の事を知らずに今まで過ごしていたとしても、活動が表面化したなら、きっと報道部に飛び込んで仲
間にして貰っていたに違いない。遅かれ早かれ、ヨギシ先輩が巻き起こす革命に必ず身を投じていたはずよ。
ユリカは眉根を寄せて心配そうな表情を浮かべ、上目遣いに私を見る。
「いろいろ…、嫌がらせされちゃうかも…?」
「まずそうでしょうね」
応じた私は、生徒会に行った後、新聞部長に呼び出されて行為の説明を迫られたヨギシ先輩の事を思う。
先輩はたった一人で…まぁ実際には新聞部内に潜んでいる革命の同志達も居たけれど、彼らが見守る前で戦った。
ヒステリックに喚き散らし、恫喝混じりに行為の撤回を求めた部長の言葉を、静かに受け流し、毅然とした態度で突っぱね
たらしい。
皆は見物だったと言っていた。きっと本当だろう。
話を聞いただけだけれど、目に浮かぶわ。あの先輩は、顔色を変えてキャンキャンまくし立てる部長を真っ直ぐ見返し、喋
らせるだけ喋らせて、たった一言「断わる」と応じたそうだ。
ヨギシ先輩は揺るがない。ヨギシ先輩は臆さない。ヨギシ先輩は怯まない。
あの先輩の下でなら、私達はどんな苦境にもめげず、誇り高く胸を張って活動できるはずだ。
ユリカはしばらく黙って、私の顔を窺った後、
「ミサトぉ…。なんかあんた、てんで堪えてないっぽいね?」
「ん?まぁ、そうね…。だってこれから、やりたい事をやるんだもの。例えキツくたって、困難だって、望んだ事をやれるん
だもの」
ユリカは口をへに字にし、むふーっと鼻から息を吹き出す。
「なんかさぁ、心配して損した気分」
やや不満げにユリカは唸った。
「当事者じゃないアタシがドキドキしながら待ってたってのにさぁ、ミサトってば、やっぱりミサトなんだもん」
「はい?」
アブクマ君みたいな事を言うのね?首を捻った私に、ユリカは口を尖らせて続けた。
「ちっとも弱ってる風じゃないの。不安そうじゃないの。どっからどう見てもいっつもど〜り。あんな事しでかしたってのに
落ち着いててさぁ、平然としててさぁ、まるっきりいつものミサトじゃん」
私は小さく笑う。…言われて見ればそうね。気負いは無いし不安も殆ど無い。ただ遣り甲斐だけは強く感じている。ワクワ
クしてるって言ってもいい。
「心配してくれてありがとうユリカ。でも私は大丈夫!やる気満々で、明日が待ち遠しくて、早く動き出したくてウズウズし
ているくらいよ!」
強がりではなく、本心からの意気込みを口にして微笑んだ私に、ユリカはようやく表情を緩めてくれた。
「ミサトがそんなにやる気なら、別に良いんだけどさぁ…。でも気をつけなよぉ?部の先輩達が行ってたけど、本気で誰かを
潰しに行く時の新聞部のタチの悪さって、半端じゃないって話だから。連中ってば根性ひん曲がってるから何でもやるって話
だから」
「…一応元新聞部なんだけれどね私…」
「あ!いやいやいやミサトがそうって言うんじゃなくてねっ!?」
「判ってるわよユリカ」
慌ててブンブン首を振ったユリカに、私は笑いかけた。
…けれど、この時の私はまだ、本当の意味での新聞部の怖さを知らなかったし、真剣に考えようともしていなかった。
その結果、自分の侮りと甘さのせいで、ユリカにまで多大な迷惑をかける事になってしまおうとは…。