第二十五話 「強奪」

「…サ…」

 う…ん…。

「……サト…」

 声…。

「…ミサ…」

 私を…呼んでる…?

「ミサトってば~!」

 頭がグラグラして、揺れてフラついて、慌てて手を前に出そうとした私は、既に自分が突っ伏していた事に気が付いた。

「…ふあ…?」

 こみ上げてきた欠伸に口を開けさせられた私の顔を、パジャマ姿のジャイアントパンダが横から覗き込む。

「ちょっと~、まだ起きてんの?ってか寝てたけど」

 デスクの上に放り出していた充電中の携帯は、AM02:12の表示…。

「いつの間に寝ちゃってたのかしら…」

 目の前にはプリントアウトした記事原稿の拡大版。読み上げでミスチェックをしてたんだけれど、途中で力尽きたのね…。

「はい!今夜はもう終わり!」

 ユリカは肉付きが良い手をパンパン叩いて、子供に言い聞かせる幼稚園の先生みたいに、目を閉じて胸を張った。

「真面目なのもコケコッコーだけど、休む時は休む!明日の体育持久走だよ?そ~んな根詰めて肩肘張って背中丸めてたら、

短距離走で終わっちゃうんだから!」

 ジョークを交えて諭したユリカは、厚い手で私の両肩を後ろから掴んだ。

「ほ~ら、こってるこってる!まるでオバアチャンだぞお若いの!」

 グイグイ肩を揉むユリカに、私は苦笑いしながら「判ったわよ…」と応じて、素直に寝る事にした。

 はあ~…。人手不足で皆忙しいから、チェックと訂正にかける手間をなるべく少なくしたいのよね…。

 とはいえ、自分の記事チェックにばかり時間をかけてもいられない。明後日にはヨギシ先輩から野球部のデータが来るんだ

から、ちゃんと終わらせて時間を確保しないと…。

 伸びをして立ち上がり、洗面所で歯磨きして、布団に潜り込んだ私は…。

「すか~…、ぴ~…」

 すぐに夢の世界へ帰って行ったユリカの寝息を十数秒聞いた後、ずぶずぶと、心地良い眠りに浸かっていった。





「…顔色が…悪いな…」

「ふぁい?」

 返事をしようとして…いけない…生あくびが混じった私を、ヨークシャーテリアは顔を覆う長い毛の中から見つめた。

 持久走の疲れもあるわねこれ…。スタミナには結構自信あったのに、疲労が溜まってるのかしら…。放課後になってから妙

に体が重くて、頭まで鈍くなってるわ…。

 私は今日も、校舎すぐ裏手にある、裏庭の植え込みを背負うベンチで、ヨギシ先輩と進捗の報告をし合っている。

「…声にも…、元気が…ない…」

 貴方には言われたくないですけどね…。

「寝付けなくて夜更かしになってしまったんです」

「睡眠不足は…、出来栄えの…質を…悪くしがちだ…」

 確かに、頭の動きが本調子じゃないと効率も悪いし…。

「寝る前に…温めたココアでも…飲め…。安眠を…助ける…。体温の変化は…眠気を呼ぶ…」

「へぇ~、そうなんですか?」

 私はちょっと意外になった。ヨギシ先輩、体調の心配をしてくれてるんだ?

「…お前の…ルームメイトに…頼んで…、分けて…貰えば…いい…」

「そうしてみます」

 一つ勉強になったわ…。

「とにかく…、帰ったら…早めに休め…。明日は…野球部の資料を…渡す…」

「はい…」

 欠伸を噛み殺して立ち上がり、先輩と別れて校内に戻った私は…。

「…ちょっと待って」

 素早く振り返った。

 そこにもうヨークシャーテリアは居なかったけど…。

「…何でココアの話でユリカが出て来るの…?」

 先輩の情報網の範囲と情報の正確さは理解してるつもりだけど…、あのひと、ユリカの好きな飲み物まで把握してるってい

うの…!?





「ミサトぉー!」

 ビクッと身を起こした私は、左右を素早く見てからホッとした。

 寮の部屋だ…。授業中じゃなかった…。

 ひとまず安心している私の肩が、ガシッと掴まれた。

「キャッ!?」

 椅子がグンッて後ろに引かれて、そのまま180度旋回して、眩暈を覚えた私は、力技で振り向かせたジャイアントパンダ

と目が合う。ユリカが中腰になっているから目線の高さも一緒だった。

「だ~め~で~しょぉ~!?今日ずっと上の空!どこ吹く風!馬の耳に念仏!」

 プンスカしていたユリカは、

「ああ、ゴメン…。何の話してたっけ?」

 私の返事できょとんとして、それからグッと顔を顰める。

「してないよ話なんて…、日中からそうだったって話。ミサトはさっきまでプリント読んでて…」

「え?…ああ、話の途中で寝たわけじゃないのね…。プリント…、あれ?何読んでたんだっけ…」

 呟いてから、私は失敗に気付いた。パンダの表情がみるみる硬くなる。

「ミサト!今日はもうダメ!自分が何してたかまで全部トんでるなんて、ヤバヤバ過ぎて大ヤバだよ!?」

 ユリカの手が私の両肩を掴む。

「まずお風呂してきなよ?今日は休まなきゃダメ!ね!?いい加減にしないと体壊しちゃうよ?寝不足は健康と美容の大敵な

んだから!」

 ガックンガックン揺さぶられた私は、逆らう気になれなかった。

 ユリカが本気で心配してる…。これ、傍目に見ても危なっかしいって事よね…。

「大丈夫?やっぱりついてく?」

 ソワソワと心配するユリカの申し出を断って、私は寮の浴室に向かった。

 温度高めでシャワーを浴びて、しっかり泡立てて全身を流す。

 湯船で居眠りしちゃいそうだから、浸かるのは短時間。

 それでも、体中の皮膚が温められて血行が良くなったのか、頭が少ししゃっきりした。

 脳みそをしっかりさせるためにクールドライヤーでしっかり髪を乾かして部屋に戻ったら、ユリカが「おかえりー」とキッ

チンから顔を出した。

「はい飲んで!」

 パンダが押し付けてきたのはマグカップ。中身は…、ああ、ヨギシ先輩からも、ホットココアは安眠の助けになるって言わ

れてたわね…。

 吹いて冷ますほどではない熱さのココアを、私はユリカと一緒に座って飲む。

 お腹の中から温まる。甘くて苦いココアの味…。

 …そういえば、以前ユリカに、どうしてココアがそんなに好きなの?と聞いた事があったわね…。小さな頃から大好きで、

きっかけも何もはっきり判らないらしくて、前世から好きだったんじゃない?みたいに言ってたっけ…。

「…ふぅ…」

 飲み終わって一息ついた私に、パンダっ娘は顰めっ面で「ミサトは頑張り屋だけど」と忠告する。

「頑張り過ぎてもダメ。新聞部との対決は始まったばっかで、先はまだまだ長いでしょ?今からそんなんじゃ闘い抜けなくな

るよ?」

 ごもっともです…。そうよね、ユリカみたいに部活で大会に挑む皆は、本番までの長い時間、練習と休息で自分を保たせた

上で決戦に臨むんだもの。コンディション管理やペース配分については、私なんかよりずっと精通してる。

「という訳でぇ…、今日は早く寝る!しっかり寝る!いい?嫌って言ってもダメ!いい?」

 特大マグカップのココアをグビグビッと飲み干したユリカは、私にビシッと太い指をつきつけた。

「判ったわよ、そうする…」

 私は苦笑して頷いた。逆らう気なんか全く湧かなかった。ここまで心配されるんだから、客観的にダメダメな状態なんだろ

うなって理解できるもの。

 それから私は歯磨きして、ユリカと洗面台を代わって、机の上を片付けた。

 …チェックがちょっと甘い所がある。でも、今の頭じゃろくな推敲ができないわ。さあ、開き直りましょう!

 きっぱり諦めてプリントを束に纏め、振り返った私は…。

「わっ…」

 急にガバッと抱きつかれて、声と息を漏らした。

 背中に回ったのは黒い太腕。フカフカ柔らかいパンダの体が、私を包み込むように抱き締める。私の貧相な胸に特大カップ

の胸が押し当てられて、窪んだ腹部にはムッチリしたユリカのお腹が凹みを埋めるように密着した。

 そのままユリカは私をキュッと締め付けるように力を込める。大きくて柔らかいマシュマロみたいなパンダの体に、私は浅

く沈みこんだ。

「ミサト、心配してんだからね?新聞部と対決する前に、体壊しちゃダメなんだからね?何たって相手は新聞部なんだから…。

同じ学校なんだから…」

 耳元で変な事を囁くユリカの背中を、私はポンポンと降参するように叩く。

「うん…。ゴメン、有り難う…」

 すると、ユリカはそのまま背中を反らして、私をお腹に乗せる格好でグイッと持ち上げた。

「あ、ちょ、ユリカ!?」

 ベアハッグならぬパンダハッグ。ビックリしている私を、ユリカはそのまま二段ベッドの下の段…彼女の寝床に引っ張り込

んだ。

「今日は一緒に寝る!大丈夫だからね?うなされるような怖い夢も、大変な夢も、ヤバイ夢も、心配無いんだからね?」

 ………。

 知らなかった…。私、うなされてたんだ…。

 ユリカは「だから」と、奥に詰めながらシーツをポンポンと叩いた。横になれ、って。

「何も心配しないで寝ていいからね?悪夢とかナイトメアとか怖い夢とか出たら、あたしがぶっ飛ばしてあげるから!」

 ムフーッと鼻息をつくユリカ。言っている内容とは裏腹に大真面目なその顔がおかしくて、そして何とも頼もしくて、私は

小さく吹き出してしまう。

「じゃあ、何か出たらお願いするわね」

「オッケー任して!」

 力瘤を作ってポンポン叩き、ニカッと笑ったユリカと並んで、私は身を横たえた。

 ユリカは女の子だけど大きいし、幅もあるし、ベッドは狭くてくっついて寝る格好になった。

 パンダっ娘は私を抱っこするように腕を回していて、私はフカフカしたユリカのお腹と胸の感触と暖かさを感じながら、太

くて安定している腕枕で、す~っと、意識が遠のいて行って…。





「…顔色が…良く…なったな…」

「それはどうも」

 すっかり定着した裏庭での打ち合わせ、ヨギシ先輩は開口一番私の顔つきに言及した。…昨日はどれだけ酷い顔だったのか

しら…。

 放課後になってすぐ、部活が始まったばかりの時間だから、吹奏楽部の音出しもまだまだ勢いがある。

「前々から…話していた…、野球部の…記事の…データだ…」

 ヨークシャーテリアが制服の内ポケットから取り出したのは、青い半透明のUSBメモリー。括りつけてある短い紐を摘ん

だ先輩は、私の目の前でそれを揺らす。

「…各部員の…活躍を…レギュラー…、補欠…、問わず…網羅して…ある…。一年生も…中学時代の…活躍を…付記した…。

マネージャーも…同様…」

「なるほど…。スポットを主力選手だけでなく、部全体に当てる特集ですね?秋も見据えた次期主力の顔も知って貰う形…」

 ヨギシ先輩がフッと笑った。珍しく。

「…だいぶ…察しがよく…、記者らしく…、なってきたな…。それでこそだ…」

 私は思わず空を見上げた。

 雲が薄く広がる空…。これは、本当に雨が降るかもしれないわね…。

「お預かりします」

 手を伸ばした私の前で、メモリーがふわっと上に逃れた。

「………」

 もう一度手を伸ばしたら、またも先輩はメモリーを引いた。

「…ちょっと先輩?」

「…大事な…資料だ…。託しても…いいな…?」

 う…!?ここでそうプレッシャーをかけに来ますか…!?

 見せびらかすようにメモリーをフラフラ揺らす先輩に、私は「はい!」と大声で返事をする。

 大物だけど、こなさなくちゃ記者じゃない!

 そして私は、掌に落とされた青いUSBメモリーを見つめる。

 必ずやり遂げてみせるんだから!



 預かったメモリーを鞄にしまって、私は足早に寮への帰路を歩いた。

 大事な中身が入っている事もあるけれど、ヨギシ先輩が全力投球する記事…、個人的な興味もある。

 あのひとの記事は本当に「面白い」。紙面のスペースにあわせて、短く簡潔に仕上げても判り易くて興味を引くし、長文を

手がけても最後まで飽きずに一気読みさせる。

 語彙が豊富とか、珍しい難読熟語で目を引くとか、そういうんじゃないのよね。そういう記事も書けるけれど、あえてそう

しないのが先輩のスタイル。むしろ判り易くて馴染み深い単語を多用して、読み易い文体で文章構築する…、あの手腕がとに

かく凄い。使い慣れた、聞き慣れた、見慣れた表現や言葉を駆使して、時には目から鱗な使い方をする。魔法使いかしら。

 足が急ぐ。気が急く。

 早く中を見たいと、そればかり考えていた私は…。

 グンッ…。

 バッグが浮き上がって、左手が引っ張られた。

 あ。と思ったその時、私は開いた指から出て行くバッグの持ち手を見つめていた。

 バッグを、男の手が掴んでいる。

 自転車に乗った男が掴んでいる。

 私を追い抜きざまに掴んでいる。

 先輩から預かったデータが入ったバッグを、掴んで…。

「ダメッ!」

 無情にもバッグは私の手から離れた。

 必死になって手を伸ばして、飛びつくように自転車に手を伸ばして、とにかく掴もうと手を伸ばして…。

 けれど、私の手は奪われたバッグに届かなかった。空ぶった手は男の腰…、ペダルを漕いで曲げた脚の付け根でポケットの

辺りに触れた。

 必死になって掴もうとした私の手は、プチンとか細い音を立てて何かを千切ったけど、それだけだった。

 自転車はバッグを奪うためにほんの少しの間減速していただけ。すぐにスピードを取り戻して、伸ばした私の手が届かない

先へ行ってしまう。

「うっ!」

 ヘッドスライディングするように地面に突っ伏した私が顔を上げた時には、自転車はすぐ先の角を曲がっていた。

「ドロボー!」

 運悪く、ここは夕暮れもまだ遠い住宅地の路地。人通りはまったく無いけれど声の限りに叫んで、すぐに立ち上がろうとし

た私は…。

「っつ!」

 ついた手がズキンと痛んで、バランスを崩して跪いた。

 掌はジンジン痛いけど、ただの擦り傷。でも…、ああ、何てミス!手首を挫いてる…!

 痛みに震えた私の手から、ポロリと落ちたのは、丸い円盤型のキーホルダー。何の冗談かピースマークが彫られている金属

製の物。

 手首を押さえて、歯を食い縛って立ち上がった私は、自転車の後を追って角を曲がり、分かれ道が無いその直線を走って、

丁字路の左右に目を走らせて…。

 そこでばったり、虎とシェパードの二人組みの背中を目にした。

「ん?」

 足音を聞いて振り返った屈強な虎は、私から慌てている様子を見て取ったのか、胡乱げな顔になる。応援団のマガキ先輩だ。

「アンタ…。どうした?そんな急いで」

 同じく応援団のオシタリ君も不思議そうな顔。ふたりで何処かに用足しに行っていたのか、オシタリ君は風呂敷に包んで纏

めたポールを抱えてる。

「ひ、ひったくられたの!バッグが…!自転車の男に!」

「ああんっ!?」

 目を大きくしたオシタリ君は、すぐさま鋭い顔つきになった。その横で…。

「今追い抜いていった自転車か!オシタリ!お前は少女についておけ!」

 虎が振り向き様にグンと身を屈めると、刹那、ゴムの靴底をバリリッと鳴らして、弾けるようなスピードで飛び出した。

 大柄で筋肉質、機敏そうにはとても見えない骨太でマッチョな体型なのに、マガキ先輩は陸上部の短距離選手も顔負けのダッ

シュを見せた。フォームは洗練されていない…って言うよりも、四つん這いになれそうな異様な前傾姿勢、まるで野生の肉食

獣…。物凄い速さで遠ざかって行くマガキ先輩は、それこそ自転車にも追いつけそうなスピードだった。

「…?おい!アンタ、怪我してんのか!?」

 私がおさえた手首を見て、グルルッ…と、鼻面に皺を寄せたオシタリ君が唸った。

「ちょっと捻っただけ。大丈夫…」

 痛みを堪えて、なるべく急ぎ足で、マガキ先輩の後を追って歩き出した私達は…。

「これは君のバッグか?」

 300メートルほど歩いた先で、軽く息を乱したマガキ先輩と合流した。

 ここから先は運悪く十字路で、それぞれの先は路地が複雑に絡む古い住宅街。追跡よりも物品の安全を優先して止まった虎

が示しているのは、路肩の電柱脇に落ちている、中身を引っ張り出された私のバッグ…。

 手首の痛みも忘れて飛び付いた。

 散乱したノートや教科書、小物類の中には…無い!中にも…、何処にも無い!確認し、何度も何度も周囲を見回した私は、

最悪の予感が現実になった事を知って慄いた。

 …メモリーが…、先輩から預かったメモリーが、何処にも無い…!





 上は紺色パーカーで、下も普通の紺色パンツ。

 どこでも手に入りそうな衣類で固めた私服姿で、自転車もママチャリ。

 顔を合わせようとしなかったし、ニット帽を被ってたから髪型は判らないけど、襟足から考えればたぶん黒髪だった。

 洗い物で使うようなピンクのゴム手袋を嵌めてたけど、それも珍しいものじゃない。

 財布や学生証は無事。無くなった物はない。メモリーだけが…、メモリーだけが無い…。

「…さて、どうした物か…」

 逞しい大牛が難しい顔で腕を組む。

 私の証言を纏めたマガキ先輩が、ウシオ団長の目の前にノートを置いた。

 その横には、私がどさくさ紛れに犯人の腰からむしった、ピースマークが刻まれたコイン型キーホルダー。これも特別な物

じゃなくて、清涼飲料の販促キャンペーンのオマケらしい。見覚えがあるような無いようなありふれた品だった。

 マガキ先輩とオシタリ君に付き添われて、応援団の団長室に案内された私は、被害の状況を訊かれている。

 一瞬の事だったから見間違いも見逃しもあるけれど、マガキ先輩とオシタリ君の証言もあって、確実なところだけ抜き出し

た情報が纏められた。

 今日は用具整理の日で、近くの小学校の催しに貸していた器具類を引き上げていたそうだけれど、応援団は作業を中断して

犯人探しに駆け回ってくれてる。

「犯人の逃走方向、シンジョウ君…ひいては報道部が置かれている状況、持ち去られたのがUSBメモリーという事を考えれ

ば、新聞部の「仕事」でしょう。奪ったUSBメモリーは新聞部に渡るはずです」

 マガキ先輩は淡々とウシオ団長に訴えた。けれど…。

「状況的にそう見えても、簡単には行かん。実行犯は新聞部員ではないだろうな」

 ウシオ団長はちらりと、頷いていた私を見た。

 同感だった。犯人として真っ先に疑われる状況で、何の備えもしてないはずが無いのよ。たぶんだけど、新聞部側では…。

「正規部員は、全員アリバイを作っているでしょうね…」

「そう思う。その上で部員以外を使っとると考えるべきだな」

「USBメモリーについても、「その物」は探すだけ無駄でしょうね。ガワは証拠品その物ですから、中身だけ別の物に移す

はず…」

 ウシオ団長が私を見つめる。「存外冷静だな?」と。

「ショックが大き過ぎて、混乱するのを通り越してます…」

「そうか…」

 ウシオ団長が言葉を切って、ノックされたドアに目を向けた。

「オシタリです!」

 威勢の良いシェパードの声。

「おお、御苦労」

「失礼します!連れてき…ご案内しました!」

 ドアを開けて姿を見せたオシタリ君の後ろには…。

「ヨギシ先輩…」

 私は立ち上がってヨークシャーテリアに頭を下げた。

「済みません…。済みません先輩…!」

「…気に…、するな…。あれは…コピーだ…、データは…部室の…PCにも…ある…」

 ツカツカと団長のデスク前に進んだヨギシ先輩は、ウシオ団長に頭を下げる。

「後輩が世話になった。面倒をかけて済まない、ウシオ」

 はっきりと言ったヨークシャーテリアに、大柄な雄牛はかぶりを振って応じる。

「…ふぅ…。礼を言われるような事は何もできとらんわ。腹立たしい事に…」

「それでも感謝する。そして詫びる。元はといえば俺が主導した分裂騒動が発端だ」

 ヨギシ先輩は私に目を戻して、「気にするな」と繰り返した。

「…いくらでも…取戻しは…きく…」

 私の肩にポンと手を置いて、ヨークシャーテリアは囁いた。

「…悪事には…悪事が返る…ものだ…。報いは…必ず…ある…」





「…痛い?」

「ううん、今はそれほどでもないわ」

 病院から戻った寮の玄関、付き添ってくれたユリカは耳を伏せていた。

 ユリカだけじゃない。オシタリ君が事情を話して、アブクマ君、イヌイ君も病院と寮の間の道中をボディーガードとして同

行してくれた。

 アブクマ君は激怒していた。イヌイ君は静かに怒ってた。

 擦り傷と捻挫なんだけれど、包帯とテーピングで見た目だけはかなり重傷。

 ユリカは元気がない。心配かけ通しだもの、そうよね…、元気もなくなるわよね…。

 あれだけ心配されてたのに、私は不用心にあんな…。

 ………。

「ミサト、どしたの?」

 階段の途中で立ち止まった私の顔を、ユリカが心配そうに横から覗く。「痛い?」と。

 …そうだ。心配されてた。昨日だってユリカは…。

「「相手は新聞部なんだから」、「同じ学校なんだから」…」

 私は、昨日ユリカが囁いた言葉をそのまま繰り返す。

「…何てマヌケなのかしら、私は…!」

 ボーっとしてた。やっぱりダメダメだった。「新聞部」、「同じ学校」、だから、いつでもどこでも狙われる…。ユリカは

そう心配していたのに、判り易い忠告だったのに、私は…!私はおめおめとっ…!

「ミサト…。部屋に戻ろう?今日はもう休もう?ね?」

 ユリカが私の肩に手を回す。

 もう顔を覗き込んでは来ない。

 震える肩にも、悔し涙にも、気付いているはずのユリカは、あえて見ないふりをしてくれていた…。



「キーホルダーかぁ…」

 ユリカは携帯を見つめながら唸った。

 彼女の携帯には私が犯人から千切り取ったキーホルダーの画像を転送してある。現物は、ウシオ団長とヨギシ先輩に付き添っ

て貰って生徒指導の先生に状況報告に行く際に、先生に預かって貰ったから、手元にある手掛かりは数点の画像だけ。

「ジュースのボトルにオマケでついていた物らしいわね。単品で販売はされてないとか…」

「何かソレ曖昧だよねぇ…。ヒットしたとか、いっぱい作られたとか、そういう評判にならないヤツじゃん」

 そうなのよねぇ…。こういった品って、例えばワールドカップやオリンピックの開催記念ボトルみたいな感じで一定期間だ

けの生産だけど、全国どこでも手に入るぐらいには出回ってる。延々と生産はされないけれど、誰が持っていてもおかしくな

いし、部屋の机の引き出しとかにこういった物が何個か入ってたりするかもしれない。…私の机にも有名映画公開記念のタイ

アップボトルキャップが入っているし…。

「しかもさぁ、よりによってこんな地味な…、ん~…?」

 ユリカは携帯を上に持ち上げて下から覗いたり、首を傾けて横から見たりする。

「何してるのユリカ?」

「あのさぁ、これって裏は無地だった?」

「え?ええ、そうよ。無地っていうか、小さな文字が彫ってあっただけ」

 そう、裏面はジュースのメーカーの名前と、西暦が記されたシンプルなデザインだった。

「…同じのかどうか判らないけど、どっかで見たような…。う~ん、何処でもありそうなキーホルダーだもんねぇ…」

「私もよ。見た事があるようなないような…」

 辿るには頼りない手がかり。

 不幸中の幸いで、記事用データのオリジナルはこっちにある。二度とこんな事にならないように気をつけなきゃ…。



 翌日、学校は騒ぎになってた。

 応援団が大々的に犯人探しをしたし、引ったくりは噂になったらしい。

 ウシオ団長がこっそりメールで教えてくれたけれど、やっぱり新聞部員全員には事件が起きた時刻のアリバイがあった。取

材中で他の部の部員と会っていたり、そうでない部員も先生が居た部室内に揃ってたり、職員室なんかに顔を出していたりし

て、第三者の目に触れるようになっていた。

 …直接出向いて確認したウシオ団長に「潔白」を突きつけた新聞部長が、どんな嫌みったらしい顔をしていたのか考えたら、

団長に申し訳ないし、自分のミスに腹も立つ…。

 友達も皆心配してくれた。財布とかが無事だったのは幸いだった、って笑って返したけど。…弱音なんて吐くもんですか!

 ユリカは警戒心丸出しで、何処へ行くにもついてきた。今日は部活を休んで私に付き添いするって言ってきかない。…ヒョ

ウノ先輩の許可も取ってあるそうな…。

「じゃ、まず病院ね!」

 帰りのホームルームが終わるなり、ユリカは手早く荷物をひっ掴んで言った。

「病院行って!帰りは何か美味しい物食べて来よっ!食べて栄養つけて怪我を治して元気元気!」

「ちょっと落ち着いてユリカ」

 励まそうとして変なテンションになっている友人へ苦笑いを向ける。

「あ、荷物あたし持つから!任して!」

「大丈夫よバッグくらい…」

 遠慮してバッグを腋に抱えた私は…。

「…ユリカ?」

 ジャイアントパンダが押し黙って、教室の前の方を見ている事に気付いた。

 視線の先にはクラスメートの人間男子。お調子者で明るい彼も、今日は教室の雰囲気に呑まれてか随分静かだった。

 ユリカはのろのろと荷物を纏めてる彼の机の辺り…腰の辺り?を見つめてる。…あら?携帯のストラップが二頭身のキャラ

クターキーホルダー。意外と可愛らしい趣味をしてるのね。

 …ん?…前からあんなの付けてたかしら?

 初めて見る気がして、違和感があって、胸の中が軽くザワついた私の耳に…。

「お前か」

 低い、低い、地を這うような声が届いた。

 大きくないその声に、帰り支度でザワついていた教室が徐々に静まる。

 声の出所は…。

「お前がやったのか」

 振り向いた男子がガタンと、椅子をひっくり返して立ち上がった。

 その目が映すのは、全身の毛を逆立てて、マズルに、眉間に、深い皺を無数に刻んだジャイアントパンダ。

 肌が粟立った。

 初めて見るユリカの顔がそこにあった。

 ドシッとその足が踏み出されて、男子生徒が首を横に振る。

 怯えきった目、焦りの表情、真新しい、ポケットからぶら下がって揺れる、それまで付けていなかったキャラ物の携帯スト

ラップ…。

 キーホルダーじゃなかった。私が腰の辺りから毟り取ったアレは、携帯ストラップだったんだ。気のせいじゃなく、見覚え

は確かにあったんだ。この教室内で…。

 彼が…、昨日の引ったくり…!?

「お前がミサトに怪我させたのか」

 地を這うような低い声を漏らして、ユリカが詰め寄る。前に進んだ彼女の顔は私の位置から見えなくなった。

 男子生徒の頬を冷や汗が伝った。教室内にはもうおしゃべりしてる生徒は居ない。

 いけない。

 本能的に危険を感じて、ユリカを止めようと足を出して…。

「お前が…、ミサトを泣かせたのか」

 男子生徒は仰け反り過ぎてバランスを崩したのか、足を浮かせて椅子に当て、ガタンと大きく鳴らす。

 たぶんそれが、きっとそれでもギリギリで自制していたユリカを刺激してしまった。

 上履きの底が床を擦る音を置き去りに、太くて大きな体が一足跳びに2メートル近い距離を縮めた。

 まるでコマ落としのように男子生徒へ接近しながら、拳を固めた黒い腕が唸った。

「ダメェーッ!」

 私の悲鳴を掻き消して、お腹の底に響くような鈍くて重い音が響く。

 横っ面に正拳を叩き込まれた男子生徒は、机や椅子を薙ぎ倒しながら、突き飛ばされたように吹っ飛んだ。

 教室が震える。女子達が悲鳴を上げる中、ユリカは倒れ込んだ男子生徒に向かって、邪魔な椅子や机をガゴン、ガチャン、

と乱暴に蹴散らしながら歩み寄る。

「お前が…!」

 白目を剥いている男子を見下ろして、床に転がるその頭を見つめて、前屈みになったユリカが腕を振り上げた。

 その拳は空手家が瓦を割る時の様に下を向いていて…。

 後先を考えてない!完全に頭に血が上ってる!

「ダメよユリカ!」

 気付けば私は、ユリカの腰にタックルするように後ろから抱きついていた。

 ジャイアントパンダはビクともしなかったけど、振り下ろされる前に拳が静止する。

 捕まえた腰から、触れた体から、私の胸に振動が伝わって来る。激怒を訴える、喉の奥が震わされた唸り声が。

 振り下ろす寸前で拳を止めたまま、見下ろすユリカの目は、自分の腰を見ていた。

 腰に回った、包帯が巻かれた私の手を…。

「ダメよ…。やめてユリカ…!こんな事をしたら…!」

 ゆっくりと、振り上げられていた腕が脇に下りた。

 私は…新庄美里…。星陵の一年生…。

 あの、明るくてドジッ娘で気のいいユリカが激高する姿を初めて見た、彼女のルームメイト…。