第二十六話 「毒餌」

「仲良く停学とは、なかなか皮肉だな」

 狐はそう言ってパックのジュースにストローを刺して、音を立てずに啜った。

 昼休みの屋上、私達の上には曇天が広がっている。眺める日本海は色が濃過ぎる冷たい紺。どうにも浮かない気持ちを代弁

するような景色だった。

 私は新庄美里。引ったくりにあって怪我をした挙句に大事なデータを失って、そして…、大切な友人を停学の憂き目に遭わ

せてしまった報道部員…。

 ユリカは暴力行為による一週間の停学処分になった。

 引ったくり犯だった彼は…、最初は黙秘していたけれど、結局口を割って犯行を認め、こちらもとりあえず停学処分になっ

た。ただ、USBメモリーについては知らないの一点張りで、新聞部の関与については最後まで否定したそうだ。

 つまり認めたのは私のバッグをひったくった事だけ。それも、同じクラスの女子だと気付いて、怖くなってバッグを放り出

して逃げた、との話…。

 私からバッグを奪ったクラスメートは帰宅部だった。

 部活動に所属していない彼は、認めてはいないけれど新聞部の依頼で動いていた…。記事に取り上げて貰いたい立場にもな

い彼への見返りが何だったのか、想像するだけで黒過ぎる…。

「男だな、ユリカのヤツ」

 呟いたのは重機みたいな大きくて太い熊。…女の子よユリカは。

 アブクマ君は何を思うのか、珍しく食事が進んでいない。手の特大お握りは食べかけのまま。

「ああ。見上げた男だぜ」

 頷いたのはシェパード。…女の子ですってばユリカは。

 オシタリ君は怒っている様子で、勢い良く焼きそばパンを食い千切る。

「馬鹿な真似をしたもんだよ」

 肩を竦めたのはウツノミヤ君。

「ああ!?んだとゴラァッ!」

「ちょ、ちょっとオシタリ君!」

 オシタリ君がウツノミヤ君の胸倉を掴んで、私は慌てて止めに入った。けど…。

「僕だったら、もっと上手く、徹底的にやった」

 狐は据わった目で静かに呟いた。態度とは裏腹に、彼も内心怒っているみたい。

「…ちっ!」

 オシタリ君は舌打ちをして、ウツノミヤ君を乱暴に放す。

「なぁシンジョウ」

 アブクマ君は厳つい顔を顰めて私に目を向けた。

「犯人が判ったって、これで安心って訳じゃねぇんだろ?」

「え?」

 見返した私に、アブクマ君は「おい…」と少し呆れた顔になって、はだけている制服の間からティーシャツ越しにお腹をボ

リボリ掻く。…呆れかえってるおじさんみたいな仕草ね…。

「尻尾切って終わりだろ?ありゃあ」

「尻尾切り?」

「だからよぉ、使ったヤツは新聞部で、ソイツは痛くも痒くもねぇだろ?じゃあまた他のヤツ使って似たような真似ができん

じゃねぇのか?」

「…あ…」

 言われて気付く。そう、「大元」はそのままなんだ…。

「よく気が付くわね、そういうの…」

「そりゃあ中学ん時は色々あったからよ。夜討ち朝駆けなんとやら、だっけか?頭数揃えたり不意打ちしたり、色んなヤツと

遣り合ってんだ、嫌でも気になるぜ」

 何とも複雑そうなアブクマ君。踏んだ場数は不本意な物なのよね…。

「だからよ、他の生徒も一緒に居る朝は良いけどな、放課後は絶対に独りで帰ろうとすんなよ?ボディーガードしてくれるは

ずだったユリカは停学食らっちまったからな…」

 アブクマ君はそう言って、分厚い胸をドンと叩いた。

「部活が終わんの待てそうなら俺らと一緒に動こうぜ?任しとけ。幅も厚みも重みも並の三倍だ、バイクで突っ込まれたって

へっちゃらだからよ」

「そうだぜ」

 同意したのはオシタリ君。

「団長もアンタを心配してた。声をかけてくれりゃあ断り入れて、団の応援を抜けさして貰う。安心しろ、何が来たって返り

討ちだ。アンタは絶対に護っ…て…、…や…」

 途中で失速したシェパードは、何故かそっぽを向いて小声になっちゃって、最後の方は聞き取れなくなった。

「襲撃前提の話で不安を煽らないように」

 サクッと突っ込んだウツノミヤ君は、「とはいえ集団下校には賛成だ。「終わった」と思い込むのが一番危ない」と頷いた。

「その点では、このふたりのどちらかと一緒に下校できれば安心だな」

「あら。意外と気にしてくれてるんだ?」

 皮肉を言った私に、

「当然だ。「友達」…だろう?」

 ニヤリとからかうような笑みを向けてくる狐。今はこの変に優しくしない態度に救われる気分だわ…。

「…にしても、キイチ遅ぇな…」

 アブクマ君がドアを見る。イヌイ君は学食に行く前にアブクマ君と離れたらしい。忘れ物をして教室に戻ったそうだけど…。

「チャリでひったくられてなきゃ良いがな」

 シェパードが冗談めかしてフフンと鼻を鳴らし…。

「学校ん中でかよ?だとしたらすげぇチャリ上手だな!モトクロッサーか?ぬはははは!」

 大熊が笑い…。

「………」

「………」

 顔を見合わせて黙り込む二頭。…自分達の発言で急に不安になるとかどんだけ可愛いのよ…。

「ちょっとキイチ探してくる」

「俺も行く」

 二頭が歩き出そうとしたその時…。

「シンジョウさん!」

 ドアを勢い良く開けて、小柄な猫が屋上に飛び出してきた。

「無事かイヌイ!?」

「何も取られてねぇかキイチ!?」

「…え?」

 吠えるシェパード。ドスドス駆け寄って行く熊。困惑するイヌイ君に、「無視していい。それで、何があったんだ?」とウ

ツノミヤ君が声をかけた。

「貴方が慌てるぐらいだから、よっぽどの事でしょう?」

 私も追従すると、学食には寄って来なかったのか、手ぶらのイヌイ君は小走りに近付いてきて、息を切らせながら言った。

「新聞部が!もう野球部の特集記事を発表してる!」

「なんですって!?」

 私は思わず大きな声を出していた。

 発表スパンが短い!一昨日サッカー部の特集を発表したばかりなのに!やっぱり頭数の差は大きいわね…。



「ちょっと…、ちょっとゴメンなさい…!」

 先輩達がひしめく廊下、屋上から一番近い掲示ポイントに移動した私は、貼り出されたばかりの特集記事を見つけた。

 遠目だからはっきり見えないけれど…、メインビジュアルはこの間の練習試合で四番が弾丸ライナーを放った、会心の一枚。

…くっ!新聞部め、悔しいけど良い写真撮ってるじゃない…!

 それで記事は?中身はどうなの?

 ざわつく先輩達の後ろ、ぴょこぴょこ飛び跳ねる私は…。

「シンジョウ、肩車するか?」

「やめて晒し者になるから!って言うか私はこれでも女子でスカート穿いてるのよ!?」

 アブクマ君の提案を即座に却下。でも、密集してて近づけないし、踏み台か何か…、ああもう!他の場所に移動しようかし

ら?一刻も早く確認したいのに!

「ふむ。お困りかな?」

「どうやらそうらしい」

 聞き覚えのある声で振り向くと、後ろにはでっぷりした河馬と逞しい牛の大柄コンビ。学食への買い出し帰りだったのか、

特大お結びとパン類がゴロゴロ入った袋を抱えている。

「カバヤ先輩…。ウシオ団長…」

 周囲で気付いた何人かがざわついたのも無理はない。アブクマ君含め、星陵BIGスリーがここに集結していた。小山のよ

うな巨漢が三頭も居るせいで、周りの生徒が縮小されたように見える…。

「やあシンジョウ君。災難だったそうだが…、思ったより元気そうだ」

 カバヤ先輩は私の手の包帯を見て…、

「記者にとって筆を取る手は大事だと言うのに…。まったく、困った生徒も居たものだ…」

 自分の膝の事もあるからだろう、鎮痛な表情を垣間見せた。

「あそこに貼り出された、新聞部の新しい記事が気になってるんです」

 縮小度合いが一際甚だしい小柄なイヌイ君が、ウシオ団長を見上げて訴える。

 それで事態を察したようで、カバヤ先輩とウシオ団長は顔を見合わせるなり頷きあった。

「どれ、儂らもちょいと拝見させて貰おうか」

「うむ!それがいい!」

 カバヤ先輩とウシオ団長は、三年生の人ごみへ歩きながらミチィッと圧迫アタック。

「おいおいウシオ!詰めんなって!」

「ちょ、腹ボンバーやめろカバヤ!」

 笑いながら場所を譲る三年生、隙間ができた所で、先輩達はちらっと私達を振り返った。

「ついて来いってよ」

 オシタリ君が小声で言って私を促す。アブクマ君はウシオ団長に続いて脇を固めて、隙間にひとが入らないようにキープ。

オシタリ君もカバヤ先輩の後ろに入って同じく人混みガード。あ…、有り難い!頼もしい!

 先輩達の厚意と仲間の手助けでボードのすぐ傍まで移動できた私は、大男二人の間から記事を見上げた。

「ふぅ~む、立派な物だな。フルカラーの大判プリントか」

 感心するカバヤ先輩が「相撲部も一度で構わんから四月頭の新入生争奪戦の折にでもこんな記事で紹介されてみたいものだ」

と小声で呟く。一息かつ早口だったのは深刻で切実な本音だったからだろう。…来年も私が記事を書ける状況に居られたら善

処します…。

 それはさておき、記事の中身は…。

 野球部のメンバー、補欠に至るまでの詳細な部員紹介。これまでの活躍を、中学時代まで遡って列記して…。

 嘘でしょ!?レイアウトとかは判らないけど、この内容ってヨギシ先輩が言ってた通りじゃない!?

 …いえ、でもこれ、おかしい。この記事は…。

「…これは…、どういう…事だ?」

 ウシオ団長が呟いた。悩むような顔の大牛は戸惑いの色が隠せていなかった。

 応援団は吹奏楽部と共に野球部との繋がりが深い。部員の情報にも詳しい団長は、この特集のおかしな点に一目で気付いた

みたい。

「…何だこの記事?」

 記事を見た三年生の中でも、何人かおかしい点に気付いたひとが居るみたい。疑問の声の主を探してみると、そこには無骨

な顔に難しい表情を浮かべた紀州犬の姿。この特集のメインビジュアルに据えられてる野球部三年生のスラッガーだ。

 自分達が大々的に紹介されているのに、ちっとも嬉しそうじゃなかった…。


 その騒ぎは、学校のあちこちでポツポツと発生した。

 そして、あっという間に広まった。

 新聞部は慌てて特集記事を回収し、五時限目が終わった頃には各ボードに大きな空白地帯が生まれた。


 放課後の校舎裏。私は裏庭のベンチに腰掛ける。

 隣には無表情なヨークシャーテリア。

「「正々堂々と出し抜く」か…。やってくれましたね」

 私の言葉にヨギシ先輩は返事をしない。

 新聞部の評判は、たった一日でガタガタになった。

 手の込んだ野球部特集は、酷い中身だった。

 レギュラーや目立つ選手の経歴や活躍は正しかった。けれど、そうでない部員達のプロフィールや経歴、活躍の情報は、四

割嘘っぱちだった。

 「私から奪った記事データ」をそのまま流用して作られたと思われる特集が、ね…。

「「ここ」…。この場所で何度も打ち合わせするところから既に仕込んであったんですね。話の中身を「誰か」が聞き易いよ

うに」

「………」

「あの時、USBメモリーをプラプラさせてなかなか渡さなかったのも、「見せびらかす」ためだったんでしょう?」

「………」

「何故「私」だったのか…。それは、報道部で唯一の女子だから」

「………」

「新聞部はまんまと、私という「毒餌」に食いついた…」

 そう。全部ヨギシ先輩の計画通りだったんだ。

 一年生の女子部員に重要なデータを渡す。それを何日も前から印象付けておいて、奪わせたのはトラップデータ。

 一見してバレないようにきっちり纏めながら、故意に嘘の情報を盛り込んだデータ…。裏付け取材もしないで鵜呑みにした

新聞部は、結果としてあまりにもお粗末な自爆を遂げた。最近の、ネットからデマを拾って裏付けもせずに発信しちゃう、報

道なのかバラエティなのか判らないテレビ番組みたいにね。

「…恨んで…いい…」

 ヨギシ先輩が口を開いた。

「お前を…餌にした…。これは…事実だ…」

「そう。事実です」

 頷く私は、先輩にきっぱり言ってやった。

 …前々から気に食わなかったんだ…!

「でも…、それは先輩が私を「それでへこたれるタマじゃない」って評価していたから。実際に腕を買ってくれているからこ

そ。…でしょう?」

 ヨギシ先輩は前髪の隙間から私の顔を覗った。意外そうに丸くした双眸で。

 ふん!どうだ!ざまあみろ!

「こう見えて、評価して貰ってる事くらい理解してますからね!こう見えて、先輩の事を尊敬してるんですからね!そうでな

きゃ革命になんか参加してません!だから、さあ!」

 私は胸を張る。

「今までどおり命令して下さい!約束通り野球部の特集手伝わせて下さい!今更降りようだなんて考えてませんからね!」

 先輩はまじまじと私を見てから、小さくため息をついた。

「…バレたら愛想を尽かされると思っていたんだがな…」

 ボソボソと、でもしっかりした口調になって囁く先輩に、私は「まさか」と肩を竦めた。

「敵を欺くにはまず味方から。予め知らされていたとしても上手い芝居ができたとは思えませんし、先輩の判断は間違ってい

なかったと思います。私の方が知らなかったからこそ、あの時の、迫真の演技で重要そうに見えるデータを渡すっていう芝居

も成り立ってたんでしょうし」

「怒っていないのか?」

「それはもちろん怒ってますよ?ユリカはとばっちりで停学じゃないですか」

「…彼女には悪い事をした。埋め合わせをしなければならないな」

「そうしてあげて下さい。甘い物が好物です」

「参考にする」

「是非」

「それと、埋め合わせはお前にもだ、シンジョウ」

 そうして、ヨークシャーテリアはフッと、本当に微かな微苦笑を浮かべた。

「期待以上で予想外…。恐ろしい後輩だな、お前は」

 …ずるい。

 本当はもっと言いたい事があったのに、先輩が珍しく年頃の男の子の顔で笑うものだから、毒気が抜かれちゃった…。





「ただいま」

 部屋に戻った私は、珍しく真面目に机に向かっているルームメートの背中を見つけた。

「おかえりー…」

 元気の無い声で応じたユリカは、停学明けまでに用意しなければいけない反省文と睨めっこ中。

「帰り、今日は大丈夫だった?」

「うん。先輩が送ってくれたから」

 首を巡らせて振り返り心配するユリカに、私はことさら大きく頷きかける。

 今日は活動に参加しないで帰るように言われたんだけれど、下校はカバヤ先輩が付き添ってくれた。膝のリハビリに歩かな

きゃいけないし、引退した身で暇だからって。

 遅くまで残る時はアブクマ君やイヌイ君にオシタリ君…、時間が合う友達と帰る事にしたけれど、早く出る時はカバヤ先輩

が護衛を引き受けてくれる事になった。ヨギシ先輩が頼んでくれたらしいけれど、カバヤ先輩もこれを快諾してくれたそうだ。

ヒョウノ先輩からも打診があった、って…。

 つくづく、世の中は不幸や理不尽に満ち溢れてるけど…、捨てた物じゃない…。

 私は帰り道の途中で、カバヤ先輩にちょっとしたお礼をしながら買った物をテーブルに置く。

「カスタードプリン買って来たわよ」

「え!?食べる~!」

 反応が良いパンダ。何だかんだで、一夜明けたら少しは元気が出てきたみたい…。

 夕べのユリカは本当に酷い状態だった。

 彼女自身滅多に激怒しないらしいけれど、熱が去って落ち着いた後は、自分がしでかした事に慄いていた。

 校則を犯した事じゃない。部の仲間に迷惑がかかるかもしれない、という事に…。

 空手部の活動自体が連帯責任で凍結されたりして、ヒョウノ先輩の全国大会出場がフイになるんじゃないかと気が気じゃな

かった。

 けれど、先生方は事情を汲んでくれて、ユリカが個人で罰せられただけで済んだ。空手部には責が及ばないという事になっ

たって、真っ先にメールで連絡してある。

 ちなみに、空手部からの処分は二週間の部活動参加禁止。…だったけど、ヒョウノ先輩はユリカを褒めていた。それでこそ

自分の妹分だ、って…!

 テーブルについて正座したユリカの前に、買って来たプリンを袋から出して置いた私は…、

「…んぁ?」

 横に立って、ユリカの頭をギュッと抱き締めた。

「有り難うユリカ…。私のために怒ってくれて…。そしてゴメンね…。巻き込んじゃって…」

「ど、どぉしたのぉ?改まっちゃって…」

 戸惑うユリカに、私は何度も何度もお礼を言って謝った。

 ユリカがやった事は事件解決の決め手にはならなかった。犯人は黙秘して、新聞部の悪事は表に出なかった。

 けれど、そんな事じゃないのよ。

 私にとって大切なのは、滅多に怒らないユリカが私のために本気で激怒したという点…。

 有り難う…。御免なさい…。私の大事な大事な親友…。


「ヒョウノ先輩が褒めてたわ」

「あ。メール来たよ」

「え?何て?」

「「よくやった」って」

「…ホント裏表無いわよねあの先輩…」

「サツキとオシタリからも来たよ」

「へぇ。何て?」

「どっちも「よくやった」って」

「…あのふたりはホントにもう…」

 プリンをつつきながら会話して、私はヨギシ先輩との話を聞かせた。埋め合わせをするっていう話と、甘い物が好きだって

伝えた事を。

「え~!それ期待しちゃってオッケー!?停学にもなってみるモンだね!」

 ビックリするほどゲンキンに喜ぶパンダ。…まぁ、これでこそユリカよね!

「思いっきり期待しましょう。バチは当たらないわ!」

 勿論、焚きつけ気味に乗っかっておいた。





 満を持して報道部が発表した野球部の特集は、先の新聞部版とは大違いの好評を得られた。どれだけの労力を継ぎ込んだの

か、ヨギシ先輩は全部員の中学時代の写真まで集めて、どの選手とどの選手は同じ学校でどんな関係だったとか、野球を始め

たきっかけや、目標とする野球選手や、部内でライバル視している相手だとか、プレーや戦績に縛られない、選手の「ひとと

なり」を前面に打ち出した特集を構築して見せた。

 ウチの野球部は強くて有名だけど、全部の生徒が野球に詳しい訳じゃないし、勿論興味がない生徒や、野球の事を全然知ら

ない生徒も居る。

 この特集には、そんな生徒でも面白く感じられる工夫が凝らしてあった。

 目玉は何と言っても、各部員とマネージャー、顧問にコーチ、「野球部」を成り立たせる全員の欄に設けられた、「ここだ

けの話」という項目。

 こっそり教えて貰った、本当にやりたかったポジションなどの裏話、先生に黙っていた失敗や悪戯、隣で着替えていると思

わず涙するほどキツい体臭の先輩が居る事などが並ぶこの欄は、ポジションや戦績、経歴だけでは判らない「人柄」を読者に

印象付ける。

 貼り出した日の放課後、練習開始前に報道部の部室を訪ねて来てくれた野球部のキャプテンは、「あんなに楽しくて嬉しい

特集を作って貰えたのは初めてだ」と、大喜びしていた部員達の代表として感謝の言葉を伝えに来てくれた。

 記者冥利に尽きるわ…!



 そして、特集合戦で私達が圧勝したその週末、埋め合わせとしてヨギシ先輩が私達を連れて行ってくれたのは、川向こうに

ある和菓子メインのカフェだった。

 学校で評判だし、カバヤ先輩も名前を口にしていたから私も知ってるお店だった。前にアブクマ君もここの茶饅頭をお裾分

けしてくれたし…。

 けれど、中に入るのは今日が初めて。先輩ったら意外とオシャレな店を知ってるのね…。いや、記者は歩いてナンボだもの、

地元の店に詳しくても不思議じゃないのかも…。

「お姉ちゃんも和菓子の有名なお店だって言ってたなぁ。和風の傘が並んでるって」

 ユリカは巨大番傘が席に立つ屋外ブースをしげしげと見回す。オープンカフェ仕様の席には結構ひとが多い。繁盛してるみ

たいね。

 オープンカフェ地帯を歩いて正面口に向かうと、そこから…。

「お?」

 のそぉっと、ユリカよりも大きな真っ白い巨体が、暖簾を分けて顔を出した。

「ちわーっす!ヨギっさん!ジャーナリストさんも!」

 前をはだけてジャージを羽織り、踵を潰したシューズをつっかけたラフな格好。やや癖があってあちこち跳ねたモッサモサ

の被毛。やたらフレンドリーで開けっ広げな笑顔。バナナの房みたいな手を広げて朗らかに笑ったのは、縦横斜め全方位に特

大のグレートピレニーズ…陽明相撲部のエース選手だった。

 その後ろから出てきたのは、引き締まった体つきをした背が高い人間の男子。…ちょっと濃い目の顔だけど結構男前。この

精悍な顔には見覚えがある。あのひとも確か陽明商業の相撲部の先輩ね。

「ちわす。毎度有り難うございます、ヨギシ先輩」

 会釈した長身の男子にヨギシ先輩が頷き返す。

「…「まいどあり」…とは言うが…、今日は…珍しく…、店員側では…ないんだな…」

「あ…。つい癖で…!」

 長身の先輩は苦笑いして頭を掻いた。

「今日はコイツに付き合って、客側です」

「…稽古は…休み…か…?」

 訊ねたヨギシ先輩に「おうよ。急にだぜぃ」と頷く白い巨漢。

「てっつぁ…主将が稽古場使うからって、尻蹴っ飛ばされて追い出されちまったぜぃ」

「テツオが…?全国…前に…、部員を…追い出して…?」

 ヨギシ先輩の声が胡乱げに小さくなると、長身の先輩がフォローする。

「追い出すっていうかですね…。蹴飛ばされたのは、コイツが「稽古させれ~」ってしつこく食い下がるからで…」

 長身の先輩が呆れ顔になって肘で脇腹をつつくと、グレートピレニーズは「だって気になるじゃん?」と首の後ろで腕を組

んだ。

「アレ、ぜってーイナガワと秘密特訓だぜぃ?マシバまで取られちまったし…」

「雑用係で必要なんだよきっと。妬くなって」

「涼しー顔してっけど、お前さんもサメに取られてんじゃん?」

「…そーね…」

 どんより顔を暗くする長身の先輩。…会話内容がいまいちよく判らないわ…。

「それはそーと、両手に花じゃん先輩!すみに置けねーなー!でへぇ~!」

 肘でグイグイ押されたヨギシ先輩が、押された分だけ移動させられてく。尋常じゃない体格差と腕力差のなせる業ね…。

 首を傾げているユリカへ、陽明相撲部の人達だって私が小声で教えている間に、白い巨犬と精悍な顔の先輩は手を振って立

ち去った。

「暇潰しに映画行こーぜぃ。たまにはマトモなヤツ…」

「そーね」

 ふたりの背中を見送った私は、カバヤ先輩のお宅で交わした会話を思い返す。

「…「勝ち逃げ」、か…」

「え?」

 呟きを聞き咎めてユリカが首を捻った。

「ううん。独り言」

 軽く頭を振った私は、歩き出したヨギシ先輩を追いかけてお店の中へ。暖簾を潜って店内に入ると…、

「あ!待ってたよヨギシ!」

 背の低い…そう、私より背が低い狸が笑顔で出迎えてくれた。

 エプロン姿のちっちゃかわいいその狸は、身長は無いけど丸々太っていて縫い包みみたいなフォルム。なつっこい笑顔をヨ

ギシ先輩に向ける。

「…連絡…していた…後輩達です…」

「うん!で、どっちが記者だよ?」

「眼鏡の…方です…」

「だと思ったよ!」

 私とユリカがそれぞれ名乗って挨拶すると、「ご丁寧にどうもだよ!」と狸さんは朗らかに笑った。キビキビハキハキして

いて元気がいいひとね…。次いで、ヨギシ先輩が狸さんを私達に紹介してくれる。

「…このひとは…、写真部の…先輩…」

「小玉日々輝(こだまひびき)だよ。ヨロシク!」

 ヨギシ先輩の先輩…つまり、星陵のOBなのね。

 …ん?「小玉」?

 引っ掛かりを覚えた私の横で、ジャイアントパンダが「え?「写真部」?」と疑問の声を漏らした。

「写真部なんて、星陵にないよねぇ…?」

 ユリカが不思議そうな顔で首を捻り、私に小声で確認すると、コダマ先輩が「うん。無くなったよ」と頷いた。

「去年まではあったんだけどナ。コイツから聞いてないんだよ?」

 コダマ先輩はヨギシ先輩に目を向ける。

「ふたりだけの星陵最後の写真部だったんだよ。でまぁ、人数不足で新聞部に統合されちゃったんだよ。実質廃部だよ」

 …え?あれ?え!?

「ちょっと待って下さい!」

 私は思わず声を大きくしていた。

「小玉…、まさか…?新聞部じゃないけど…、写真で、狸で、小玉…!?」

 私は目の前の背が低い先輩をじっと見つめた。

 大柄でもないし、かなり童顔で年上に見えないくらいだけど…、でも確かに、顔立ちに少し似た所があるような気がする…。

「もしかして…、小玉彼出(こだまかなで)先生のご家族ですか!?」

 私が星陵にやって来た理由…。憧れのジャーナリスト…。世界を股にかける写真家であり報道者…。

「うん。まあ家族じゃないけど親戚、叔父さんだよ」

 コダマ先輩はあっさりと頷いて笑った。

「名前の通り、彼方に出てってなかなか帰ってこないけどナ。あはははは!」

 こんな…、こんな形で手がかりが見つかるなんて…!


 コダマ先輩は大学一年生。去年まで星陵に在学していたそうだ。

 この和菓子屋さんの長男で、休みの日や講義が無い時間はお店の手伝いをしているそうで、その合間を縫って写真の勉強を

続けているらしい。

 お店に置いてあるパンフレット類は全て先輩が自作した物で、写真がふんだんに使われたメニュー表なんかもお手製なんだ

とか…。

「本当に好きな被写体は風景なんだけどナ」

 そう言って笑うコダマ先輩は、お店の手伝いをする傍ら、がっつくように質問を繰り返す私に嫌な顔一つしないで付き合っ

てくれた。

 案内された四人掛けテーブルの上には、あんみつに白玉ぜんざい、具が違う各種大福十数個、おはぎや葛餅などが所狭しと

並んでいる。

 その九割は、「遠慮しないでガーっと行っちゃいましょう」と私が焚きつけたユリカによるオーダー。心なしかヨギシ先輩

の顔色が悪いけど気にはしない。あえて。

 コダマ先輩の話にはとても興味があったけれど、あんまり声をかけてもお手伝いの邪魔になっちゃう。近い内にゆっくりお

話しをうかがわせて貰う約束をして、今日の所は引き下がる事にした。

「はぁ~…。諦めかけてたのに…!」

 雅な漆塗りの匙で餡蜜を掻きまわしながら、私は夢見心地だった。その横でユリカは大福を口いっぱいに詰め込んでいた。

 図書室の蔵書はたっぷりあるのに、新聞部には不自然なくらい痕跡が無かった。

 やっと判ったわ。それは、小玉彼出先生がそもそも新聞部じゃなかったから…!

 星陵に来た甲斐があった!憧れの記者の事が、その私生活や横顔が、判るかもしれない…!





 ふぅふぅ言いながら部屋に転がり込んだユリカは、そのまま床へ寝転がって、真ん丸く膨れたお腹を押さえる。

「ぐるじぃ~…!おながぐるじぃ~…!もう入んないぃ~…!」

 甘味処で満腹になるまで食べる子なんて初めて見たわ…。

 そして、ヨギシ先輩の青ざめた顔も初めて見たわ…。

 携帯の画面を見た私は、今日入手したばかりのコダマ先輩のアドレスを確認する。

 今からが忙しい時期…。攻勢に出る報道部の正念場…。個人的な事に時間を割いている余裕はあまり無いけれど、落ち着い

たら…!

「ミサトぉ~?何かものすご~く機嫌よくないぃ?」

 苦しそうに喘ぎながら訊ねてきたユリカに、私は浮かれ気味の声で「まぁね!」と応じて、彼女の傍らに腰を下ろした。

「機嫌いいならちょっとお腹撫でてぇ~…。生まれるぅ~…」

「生まれるとしたら口から大福とかだからそれは我慢してね?」

 ポッコリ膨れたお腹を撫でてやりながら、私はユリカに問われて、ポツポツと説明した。

 私が星陵に来たかった最大の理由…。フリージャーナリスト、カナデ・コダマ…。

 忘れもしない。あの熊みたいに大きな狸のおじさんは、小さかった私の頭を撫でて微笑みながらこう言った。

「「世界はきっと残酷で、けれど捨てた物じゃない」…」

 小さかった私には、どれだけの物を見てどれだけの事を知ってどれだけの国を渡ってきたのか定かではない彼の、その言葉

の意味も価値も重みも理解できなかったけれど…、今はちょっと判る。

 貧困を、紛争を、災害を、病を、渦中に飛び込んで見つめ続け、訴え続けてなお、あのひとは言うんだ。

「…そう。捨てた物じゃない…!」

 それを証明するのが記者の仕事だと、先生は言った。

 この革命は、報道部の闘いは、きっとそれを証明できる。

 そして私の周りの仲間達は、私にそれを証明してくれてる。

 そう。不運に見舞われたって、しんどくたって、捨てたものじゃない!