第二十七話 「発覚」

「やっと停学終わる~!」

 伸びをするジャイアントパンダ。ただし床の上で仰向けの状態で。

 日曜の午前。明日から登校できるユリカは朝からご機嫌だった。

 反省文もちゃんと書き終わったし、先に空手部顧問の先生に見て貰って、内容の方も太鼓判を押して貰えたそうだ。

 けれど、晴れて自由の身…とはいかない。空手部から言い渡されている謹慎期間はまだ残っているのよね…。部活の練習に

復帰できるのはもうちょっと先になる。

「ごめんなさいユリカ。不自由したわね…」

「あたしの勝手だったんだから、気にしない気にしない~!」

「…それはそうと、ソコ、ちょっと退いてくれる?」

 寮生共有備品の掃除機を借りてきて清掃中の私は、掃除機のヘッドでユリカの太い脚をズイズイ押す。

「あいよぉ」

 ゴロンゴロンと横に二回転してパンダが位置を変え、その跡を掃除機で吸う。

「ユリカ、ポテチ屑落とし過ぎよ」

「ごめぇ~ん」

「あら?ちょっと、ココ何か零さなかった?」

「チョコかもごめぇ~ん」

 いつもの調子でやり取りしながら、私はテーブルを見遣る。

「ユリカ、テーブルを端の方に移動させて貰っていい?せっかくだからカーペットの下も掃除機を…。あ」

 目を向けた途端、テーブルの上に置いてあったユリカの携帯がウィィム、ウィィム、と振動し始めた。

「着信してるわよ?」

「え~?誰~?」

 ダラダラゴロゴロしているパンダは、のろのろと億劫そうに床に手をつき…、

「「S」って表示が…」

 ガバッと起き上がるなり四つん這いでテーブルに突進、振動する精密機器が壊れそうな勢いで掴み取る。

「もっ、もしもしぃっ!?」

 …声、裏返ってるわよユリカ?「S」って?誰からの電話なのかしら?

「はい居ますよぉ!…え?」

 一瞬止まったユリカは、ドタドタッと窓際に寄って外を見て、それから振り向いてドアを見て、

「そ、そんないきなりっ!?」

 と、声を上ずらせた。…どうしたのかしら?

「ちょ、ちょっと!ちょっと待って!…いや迷惑だとか嫌だとかじゃなくっ!」

 悲鳴に近い声を上げたユリカは、通話が終わったのか、携帯を掴んだ手を下ろしながら私の方を見て…。

「そそそそ掃除機!ミサト掃除機貸してぇええええええええっ!」

「え、ええ…」

 詰め寄るユリカに戸惑いながら、私は言われるがままバトンタッチ。

 パンダは何故か、滝のような汗をかいていた。


 二分後。部屋のドアがノックで軽やかに鳴った。

「はいはいはいはいはいぃっ!」

 荒々しく大急ぎでかけていた掃除機を放り出し、ズドドドドッとドアに駆け寄ったジャイアントパンダがノブを掴む。…一

切説明が無いんだけど、誰が来たの?

「よ。お邪魔」

 開かれたドアの向こうには、山のように群がる女子達と、にこやかスマイルを浮かべるボート部のイケメン狼。

「え?シゲ先輩?こんにちは…」

 意外な訪問者に少しビックリしながら挨拶を返した私は、全身の肌が粟立った。

 シゲ先輩の後ろに居並ぶ寮の皆から、殺気に近いオーラが漂って来る…!

 星陵一の人気男子が女子の部屋を訪れる。何故?何の用で?何があったの?憎い…。憎い…!憎い!憎いっ!!!

 …そんな負のオーラに気圧されて、思わず仰け反りながら後ずさった私だったけれど、

「これ、差し入れな」

 やっぱり鈍感なのか、シゲ先輩は全く気付いていない様子でケーキ屋の袋を上げて見せた。

 流石のユリカも廊下から雪崩れ込む黒いオーラに圧倒されている。

「上がってもいいか?」

 誰も動かない中で、シゲ先輩だけはマイペースだった…。


 おそらく、皆まだ廊下に居る…。耳をそばだてている…。

 隙間から寮生達の黒い敵意が滲んでくるような錯覚に襲われ、何度かドアを確認する私。

 着席したシゲ先輩は紺のスラックスにマリンブルーのサマーセーターという装いで、しなやかに鍛え込んだ肢体のラインが

判り易い。

 イケメンでスタイルもいい狼は、ついさっきまで太ったパンダっ娘が大の字になっていた場所に座って、「気を使わなくて

いいんだぞ~?」と、キッチンのユリカに呼びかけた。

 ジャイアントパンダは…冷蔵庫をゴットンゴットン引っ掻き回している。

「お待たせしましたっ!」

 キチンと正座したユリカは麦茶のグラスが並んだ御盆をテーブルに置いた。

 …勢い余って注ぎ過ぎたのか、一つからは盛大に零れてる。ブルーベリーケーキに麦茶を合わせて来るあたり、冷静さを完

全に失ってるわね…。

「で、どう?」

 シゲ先輩はユリカの顔を窺う。

 一足早い停学明け祝いを兼ねたお見舞いという話だけれど、唐突だわ…。贈り物なんか持ってくるから皆の敵意が半端じゃ

ない…。

「え、えええ大丈夫ですっ!」

 緊張気味のユリカは…何故か、私の方を気にしていた。

「そっか」

 シゲ先輩は目を細めて頷いて、「電話でも言ったけどさ」と続けた。

「よくやったよホント。先生には怒られただろうけど、おれは褒める!」

 へぇ、ユリカと電話とかしてたんだ?知らなかったけれど、意外と親しいかったのね。

 …などと考えてる私を、ユリカは過剰にチラチラと、落ち着き無い…というよりも挙動不審に窺ってくる。

 …何よ?あ、大丈夫だからね?私はやきもちとか無いから。

 シゲ先輩はユリカの妙な様子に、ここでやっと気付いたらしい。

「何?何か問題あった?」

 問題と言うより、女子寮の部屋に貴方が来る事が世間的には大事件なんですけどね…。

 シゲ先輩はユリカを見つめて、それから私を見て、「あれ?」と首を傾げた。

「もしかして、シンジョウにも言ってないのか?」

 狼は尖った耳をピコンと立てた。

「おれ達がつきあってる事」

 ええ。聞いてませんでし………。

 …………………。

 ……………………………………。

 ………………………………………………………。

「聞いてないわよユリカっ!?」

 思わず大声を上げる私。

 ビクンと毛を逆立てて真ん丸になるユリカ。

「だ、だだだだってこういうのってちょっとその言い難いっていうか言うべき事かどうかもちょっとアレだしちょっとね!?」

「落ち着きなさい!いつから!?いつからなの!?どっちから!?どっちからなの!?どこまで!?どこまで進んでるの!?

馴れ初めは!?告白はどっちから!?交際の進行段階は今どこ!?」

「ちょ!?ミサト目と顔と声が怖いよぉ!?何そのメモ!?何書く気なの!?」

「決まってるでしょう!ナニからナニまでよ!さあ腰を据えて落ち着いて話を聞かせて貰いましょうか!」

「ササハラもだが、シンジョウも落ち着けよ」

 落ち着き過ぎなシゲ先輩にたしなめられて、私はハッと我に返り、コホンと咳払い…。いけないいけない、一瞬悪い虫が騒

いでたわ…。

「そっか。ササハラはまだシンジョウにも話してなかったのか」

 狼はそう言うと、私に体ごと向き直って、

「交際してるんだよ。おれ達」

 さらっと、照れもなく言った。

 「水上先輩の熱愛(?)発覚!」…そんな見出しが脳裏で踊ったけれど…、今学期最大のビッグニュースじゃないのコレ…?


 シゲ先輩が語ったところによると、たまたま帰り道の途中で一緒になった時に、ユリカに交際相手や好きな相手が居るかど

うか訊かれて、どっちも居ないって答えたら告白されたらしい。

 シゲ先輩の事だから、かなり大雑把に端折られた話になってるんでしょうけど…。

 …ちょっとライト過ぎないですか交際の始まりが?

 それから、メールや電話でやり取りしたり、時々一緒に帰ったりするお付き合いが始まったそうだ。

 …ちょっと清過ぎはしませんか交際の中身が?

 それでまぁ、ふたりの中では交際中の恋人同士っていう事になっているみたい。

 基本的に評判を気にしないシゲ先輩も「騒がれると面倒くさい」っていう意識はあるようで、秘密の交際にしているらしい

けれど…。

「いえ…、あの…、ちょっと良いですか?」

 私は困惑しながら挙手して、先輩に話を振る。

「伺った話を客観的に受け入れると、それって「普通の友達」と変わらないと思うんですけど…」

「え?そうなのか?」

「え?そうなの?」

 …この狼とパンダは揃ってダメな感じだ…。

「えぇとまず…。デートとかは?」

「え?時々一緒に学校から帰ってるよ?」

 ユリカがアウト。

「何処かに寄ったりとかは?」

「分かれ道まで店とかもないからな」

 シゲ先輩もアウト。

「あのですね…。あの…。何と言いますか…」

 眼鏡を外して眉間を揉む。説明しようとしたら頭痛がしてきた私に、

「シンジョウはどういう付き合い方してるんだ?」

 と、シゲ先輩が訊ねてくる。

「私?私は…。って、そもそも恋人居ませんから」

「え?」

 シゲ先輩が目を丸くした。

「え?」

「え?」

 私とユリカも先輩を見る。

「え?付き合ってるんだろう?」

「え?誰とです?」

「え?付き合ってる子居たのミサト?」

「え?」

「え?」

「え?」

 卓上にクエスチョンマークが乱れ飛ぶ。

「あれ?もしかしておれの勘違い?」

 首を傾げる狼。

「何でそう思ったんですか?私は交際するどころか意中の相手も居ないのに…。っていうか、誰と交際してると思っていたん

です?」

「カバヤさん」

 ブフゥッ!と肺の中の空気がジェットの如く噴出した。

「げふっ!げふぅっ!…えっ!?何で!?何でそんな!?」

「ウシオ寮監も認めるマブダチだし、相撲の選手っていう無茶苦茶大和男児なポジだし、話は判るし大人だし紳士的だし、ハ

ンサムだろ?タフなシンジョウと吊り合って見えるし」

「…基本的に私はカバヤ先輩に好意的ですけれど、「ハンサム」という点にはちょっと疑問が…」

「そうか?」

「「男前」だとは感じていますが…」

「ああその表現だな。ハンサムって言うとちょっと軽い感じでチャラいよな」

 いやそうじゃない。そうじゃないんだけど、色々ともういいです…。

「それに、喋ってるとこ何回か見たけど凄ぇ親しい感じだったし、ふたりとも楽しそうに笑ってたから、てっきり…」

 い、いやそれはまぁ、良くして貰ってはいますけれどね…。けれどカバヤ先輩は誰にでも親切で優しいだけで、私にだけ特

別って訳じゃないわ。

「カバヤ先輩は交際しているひとがちゃんと居ますから…」

「へぇ、誰?おれも知ってるひとかな?」

 …団長とかイワクニ主将からその手の話をされてなかったのかしら…。

「ヒョウノ先輩ですよ。空手部の」

 私が視線を向けると、ユリカもコクコク頷いた。

「マジで?何か仲悪そうな印象あったんだけど…。だってヒョウノ先輩、学校でカバヤ先輩殴ったとかで騒ぎになった事あっ

たろう?じゃあ、あれって結局何だったんだ?」

 困惑顔のシゲ先輩に、私とユリカはカバヤ先輩とヒョウノ先輩の、傍から見れば誤解されても仕方がない想い合いについて、

ケーキを頂きながら説明した。

「それは…。どっちも男だな…!」

 それがシゲ先輩の感想。…どうしてこのひと達は褒め言葉が女性に対しても「男前」だったり「男らしい」だったりするの

よ…。ちょっと性差を吟味した相応しい言葉選びをして欲しいわ…。

 とりあえず、当面の問題はシゲ先輩が帰った後、寮の皆になんて説明するかっていう事なんだけど…。

「シゲ先輩」

「うん?」

「ボートの事でちょっと取材させて貰って良いですか?形だけ」

「え?今?何で?」

 私達の身の安全と平和な寮生活のためにも、既成事実を作って「取材でした」という話にするためですよ…。


「ふぅ…」

 シゲ先輩を玄関まで見送って、二十分ぐらいかかってやっと部屋に戻って来た私はすぐにへたり込んで、空のお皿やグラス

が乗ったままのテーブルに突っ伏した。

 後ろではユリカがぐったりとうつ伏せになっている。

 寮の皆様の敵意に塗れた視線と追及を、私はでっちあげた説明でやり過ごした。

 取材の予約を取っていたけれども約束した日にシゲ先輩の用事が入って都合がつかなくなってしまったら先輩は取材の日取

りを前倒しにして対応してくれた上にお詫びのケーキを持ってわざわざこちらまで出向いてくれたありがたいことです。

 …とまぁ、こんな感じで、なるべく丁寧に…。

 何も無かったのだと上手く騙されてくれた皆から、殺気めいた黒いオーラが一斉に抜けていった時には心底ホッとしたわ。

危うく寮生全員が敵に回るところだったもの。

 …実際のところユリカと先輩はまだ「何も無い」に等しい状態だから、まるっきり嘘でもないというのが何となく物悲しい

わね…。

 まぁ、何はともあれ…。

「ユリカ?」

「うん~…。迷惑かけてごめん~…」

 うつ伏せに突っ伏したままのパンダがくぐもった声で応じる。

 私はその傍に這って行って、

「おめでとう!」

 上から被さるようにユリカの頭を抱く。

「いだぁ!鼻!鼻低くなるっ!」

 慌てて身を起こして、足を投げ出す格好で座り直したユリカを、私は膝立ちになって改めて抱き締めた。

「交際の進捗はどうあれ、シゲ先輩を射止める大金星!やったわね!」

 ユリカにとってのシゲ先輩は、他の多くの女子と同じく憧れのひとだった。…たぶん前世から狼が好き、とかココアと似た

ようなこと言ってたけど…。

 私は親友の頭を胸に抱き、ぎゅぅ~っとキツくハグしてから放す。

 パンダはパチパチ瞬きして、それからニヘラ~っと顔を緩ませて、

「ありがと…!」

 恥かしそうに体を小さくして、可愛くお礼を言った。



 そして、もし発覚したら学校中の女子を揺るがすだろう大事件は伏せられたまま、新聞部と報道部の特集合戦は続き、一学

期の残りがみるみる減って…。



「終了…!」

 今学期最後の校内美化活動の記事を纏め終えて、上書き保存した私は、メッセージウィンドウが出るなり大きく反って背伸

びした。

 報道部の部室のあちこちで、部員達は開放感がある明るい表情。

 夏休みまであと一週間、今学期最後の記事ができあがる…。

 といっても、私達の活動はまだまだ終わらない。全国大会に出場した部活の取材もあるし、夏休みは練習試合も多いしね。

手が回らないところには各部にお願いして資料写真を貰わなくちゃいけないけれど…、幸いにも、総体全国大会の会場へ報道

部も数人送り込める事になったの!

 部費は新聞部と人数比で分けてあるから潤沢とは言えないけれど、顧問である理事長は柔道部顧問も兼務してるから、引率

で現地に行くのよね。私達もその監督下で取材をこなせるっていうわけ。

 そして、柔道部、空手部、ボート部の担当者として、私も遠征組に抜擢された。

 …いえ、やらせて頂けるのは光栄なんですけどね…。

 私は新庄美里。何だかんだで生まれて初めての北街道行きを前に眼鏡を新調する事を検討している報道部員…。

 決勝の日付が違うからって、私一人に取材予定詰め込みすぎでしょヨギシ先輩!?


「シゲが…構わないと…言って…くれたら…、ボートは…、俺が…やろう…」

 部長席のヨークシャーテリアに直談判したら、割とあっさり承諾してくれた。

「…意外とすんなりですね…?」

「一応…、お前には…、負い目がある…からな…」

「…意外と殊勝ですね…?」

「実際の…ところ…。ボート競技…会場は…、遠い…。空手の…個人戦取材の…翌日移動は…、強行軍に…なる…。柔道と…

空手は…、心情的に…外れたくは…ないだろう…」

「そこはまぁそうです」

 ちらりと見たデスクのノートには、膨大な量の注釈が入った記事レイアウト構想の略図。全国大会特集は部毎に別々、大判

で作る。それぞれ詳細に記録を纏めた大物だ。

 ヨギシ先輩は総括を担当するから全国大会取材では担当を持たずにフリーになるって宣言してたけど、実際は、担当の掛け

持ちが難しくなる場所に入るためでもあったんだろう。

「安心…しろ…」

 ヨギシ先輩はニヤリと笑う。

「シゲは…我侭を…言わない…。お前の都合を…判って…くれる…」

「…じゃあ、ついでなんですけど」

 私の方は我侭を言わせて貰う事にした。

「空手が終わってからユリカがボートの応援に行く予定です。良かったら一緒に回ってあげてください」

「…構わない…が…」

 何故ユリカが?というヨギシ先輩の疑問の顔に、私は答えをあげられない。…秘密だもの…!













「自信の程はいかが?」

 私の問いに、スクワットを繰り返す大熊が「へっ!」と笑う。

「自信も何も、行くからにゃあやれるだけやる!そんだけだ!」

 やる気満々のアブクマ君は柔道着の下だけの格好。汗だくになってトレーニングに勤しんでいる。

 練習終了後、筋肉を冷やし過ぎない程度のクールダウンにはスクワットぐらいの運動が丁度良いっていうんだから、どこま

でも常識外れにパワフルよねぇ…。

 夕暮れに染まりつつある外では虫の声。静かなのは、夏休みで生徒が少ないから。

 八月に入って全国大会は目と鼻の先。目標に向けてアブクマ君達が鍛え込んできたように、私達報道部も新聞部との存続を

かけた勝負の追い込みで、活動を続けている。

 決着は休み明け。休み中の部活動や大会を纏めた記事の一斉公開を経て、生徒達の評価が高かった部が存続できる…。

 一息ついたアブクマ君は、イヌイ君から受け取ったタオルで腋や顔を…順番が逆よ!…拭って、耳を寝かせて笑う。

「先輩達にもアップ手伝って貰える事になったしな!気合も入るってもんよ!」

「イイノ君とも久しぶりなんでしょう?つもる話もあるんじゃない?お互いに」

 全国大会へ挑む柔道部は、現地入り直前に「醒山」という有名なスポーツ校で最終調整の練習をさせて貰える事になった。

そこには東護中から柔道部員…アブクマ君の親友と先輩が進学している。

「いよいよ週末だ。今から楽しみだぜ、…飛行機!」

「ヒコーキ?」

 素っ頓狂な声を上げた私に、ストレッチを終えたイワクニ主将が笑い混じりに言う。

「アブクマはまずソコらしいよ。あんな大きさのものが空を飛ぶのが不思議で仕方なかった、ってさ」

 子供らしいというか何というか…。

「だってすげぇじゃねぇすか!?俺みてぇなデブが乗ってもちゃんと飛ぶ鉄の塊なんてよぉ!人類のハイテクだ!」

 …ホント、興奮するアブクマ君は、体は大きいのに子供みたいに嬉しそうで、こっちまで笑顔になる。

「中でサツキ君がはしゃぎ過ぎたら落っこちるかもしれないから、行儀良く乗ってよね?」

 イヌイ君が冗談めかして笑う。と…。

「……………え?…なにそれ…?」

 大きな熊は口調まで変わってサーッと顔色を失った。…子供か…。


「…よう」

 今日の活動を終えて昇降口に出た私に、待ってくれていたシェパードが軽く手を上げる。

「あ、待たせちゃった?」

「いや。…今日はもう引き上げられんのか?」

「ええ」

 あの引ったくり事件以降、私は必ず誰かと一緒に帰る。昼間の早い時間や人通りが多い時は別だけれど、夕暮れは絶対に一

人歩きしない。…そうしないと皆が心配するのよ…。それは夏休みに入った後でも同じ。何せ私達同様、新聞部もいまだ活動

中なんだから。

 今日の当番はオシタリ君。応援団の練習が終わってから待機していて、私が帰るのに時間を合わせてここに来てくれている。

 背の高いガッシリしたシェパードと一緒に、私は影法師を引き摺って校門へ向かう。背丈が違うから、伸びた影の長さはさ

らに差があった。

「ウツノミヤ君は今頃夏休みを満喫中でしょうね」

 校門を出たところで私が言うと、「たぶんな」とオシタリ君は頷いた。

「アイツが居ねぇと部屋が広くて快適だぜ」

 また憎まれ口を…。

「全国大会が終わったら東護を案内するわね?夏休みの残り、集中して満喫しちゃいましょう!」

 笑いかけた私に、「お、おお…」と曖昧な返事のオシタリ君。

 オシタリ君はお母さんと上手く行っていない。…っていうかネグレクトされてる感じ…。休みだからって家に帰るわけじゃ

なく、むしろ寮以外に居場所が無いような状態。

 だから、見かねたアブクマ君達が東護への里帰りに誘ってる。滞在中はイヌイ君とアブクマ君の家に半々の日程で泊めて貰

うんだって。

「…なぁ。休みが終わって、二学期になって、新聞部と報道部のどっちかが残って…、もしも報道部が残れねぇってなったら、

アンタはどうするんだ?」

 横目で見たら、「万が一って、あるだろ」とシェパードは神妙な顔で続ける。

「そうね。負けるつもりは無いけれど、「つもり」が無くたって勝てない時は勝てないものね。…そうなったら活動はできな

くなるわね」

「何か、やる事はあんのか?」

「やる事、かぁ…」

 個人的に時間を割きたい事はいろいろある。小玉彼出先生の事、コダマ先輩から聞ける話はまだまだたくさんあるし、私が

見ていない写真集や書籍も先輩から借りてみたい…。

 ユリカの応援に出るのもいいな。練習試合結構多いし、行けば喜んでくれるし…。

 しばらく友達と遊びに出たりしていないし、女子高生らしく遊んでみるのもいいかもしれない。お洒落なお店を探してみた

り、可愛い服を探してみたり…。

「…それはそれで色々とありそう」

「色々?」

 聞き返したオシタリ君に、「そう、色々」と私は笑いかける。

「何なら、恋人を探して、恋愛してみるのもいいかも?」

「…は…?」

 シェパードが立ち止まって目をまん丸にした。

「付き合ってねぇのかよ?」

「え?誰が?…私!?」

「ああ」

「誰と!?」

 あれ!?なにかしらこのデジャヴ!?

「だから…、ヨギシさんと付き合ってたんじゃねぇのか?アンタ…」

 完全に不意打ちされて、私まで目が真ん丸になった。

「…いえ、確かに尊敬はしてるし、一緒に行動する事は多いけれど…。そういう関係じゃないわよ?…って言うか、私もひと

の事をとやかく言えたものじゃないけれど、あのひと恋愛とか眼中に無さそうだし…」

「そうなのかよ!?」

 オシタリ君は驚き顔。

「てっきり…、「そう」だと思い込んでたぜ…」

「まぁ、遠目に見ると仲が良さそうに見えるかもだけど…。先輩と私の関係って、谷に子供を突き落とすライオンの親子的な

ものだから」

「そりゃあ…、スパルタだな…」

「それはもうスパルタよ」

 気を取り直して歩き出し、少し経ってからシェパードは言った。

「…さっきはああ言ったけど、アンタは負けねぇよ」

「え?」

 見上げたオシタリ君の横顔は、こっちを向こうとしなかった。

「アンタは負けねぇ。…アンタが負けるトコなんて、想像もつかねぇ」

「…ありがとう」

 前に向き直った私に、

「でも、新聞部に勝った後、もしも…」

 オシタリ君は何か言いかけて、黙った。

「もしも、何?」

「…何でもねぇ…」

 ぶっきらぼうにそう言ったシェパードは…。

「あとひと踏ん張りだな」

「ええ…」

 何となく歯切れが悪い形で、私達の会話が途切れた。

 無言の私達と影法師は、薄暗さが増してゆく帰り道を、虫達の声の中、ゆっくり、ゆっくり、歩いて行った。