第三話 「定期戦取材」(後編)

女子空手部の試合後、時間も押しているから大急ぎでユリカ以外のメンバーの話を聞いて、柔道場へ向かおうとした私達は、

校舎の裏側を駆けていた。

「あのむっくりした女子、強ぇんだな?」

「そうね。自慢のルームメイトだわ…!」

小走りのまま話しかけてきたオシタリ君に、私も走りながら応じる。

彼は約束通りちゃんと荷物持ちをしてくれている。…悪ぶってる割には結構律儀…。

角を曲がって、柔道場が遠くに見えたそこで、少し前を走っていたオシタリ君は、急に足を止めた。

「どうか…」

どうかしたの?そう声をかけようとした私は、オシタリ君の視線の先、建物で日陰になっているコンクリートのたたきの上

に、円になって屈み込んでいる男子生徒達の姿に気付く。

あっちも私達には気付いていたらしく、こっちに視線を向けて…、

「て、てめぇ…!?」

…って、いきなり何!?生徒の一人、目つきの悪い虎猫が、ザッと立ち上がってこっちを睨んで来た。

「…あぁ…、見覚えがあると思えば…、あん時のか…」

オシタリ君はぼそっと呟く。

「今日は一人か?」

「女連れとは良いご身分だなぁ?」

他の生徒達も険悪な気配を発散させながら立ち上がり、ゆっくりと歩み寄って来る。

「こいつは関係ねぇ。オレらみてぇなクズとは違う、まっとうな生徒だ」

シェパードは口の端をギィッと吊り上げ、険呑な笑みを浮かべて、六人もの相手を睨みつけた。

「シンジョウ、引っ返せ。こいつらはオレに用事があるだけだ」

「え?」

問い返す私をちらっと横目で見ると、オシタリ君は少し済まなそうに目を細めて、担いでいた鞄を差し出した。

「オレのせいで、あんたにまでとばっちり食らわす訳にはいかねぇんだよ」

私はこの時になって、相手生徒達が何者なのかに思い至った。

この生徒達はきっと、イヌイ君をカツアゲした生徒達…。そして、彼を助け出したオシタリ君を、後日待ち伏せしていたっ

ていう一団に違いない!

アブクマ君にのされたって聞いていたけれど、懲りてないの!?

そうだ!アブクマ君はすぐそこに…。って、…だ、ダメよ!彼はこれから試合じゃない!?

そもそも、ただでさえ傾いてる柔道部を、トラブルなんかに巻き込めない!

「騒ぎになったらやべぇ。デブグマには声かけんなよ?」

私の葛藤を見透かしたように、オシタリ君はゆっくりと、噛んで含めるように言った。

「ボンクラ6匹程度、何でもねぇ。だから行け、早く…!」

低い声で急かすオシタリ君。でも、一人だけ残してなんて…!私は…!

じりじりと迫ってくる六人の生徒達。

荷物を足元に置いて、私を乱暴に後ろへ押し、迎え撃つように踏み出しながら、牙をむき出しにしたシェパードが、両手を

組んでゴキゴキッと指関節を鳴らす。

どうしたら?どうしたら良い?落ち着いて考えなさい、新庄美里!

大声で助けを呼ぶのはどうかしら?もしかしたら、柔道場の誰かが気付いてくれるかもしれない。

期待を込めて道場を見遣った瞬間、場内から、遠い歓声が聞こえてきた。

始まっちゃったの!?こうなったら、声を上げても気付いて貰えないかも!?

何とか穏便に済ませる手段を考えている間にも、詰め寄る生徒達とオシタリ君は距離をジリジリ縮めて、もう一触即発の状

態になっている。

ど、どうしよう…!

助けを求めるような想いで、連中の向こう側、柔道場の方へ視線を飛ばした私は、そこに、今日の暑さの中でも黒ずくめの、

大柄な人影を見た。

ちょうど校庭側から道場へ向かってゆく途中だったその大柄な人影は、まるで私の祈りが届いたかのように、不意にこっち

を向いた。

「覚悟はできてんだろうな?おう犬っころ!」

「何の覚悟だ?てめぇらがヤワ過ぎてガッカリする覚悟か?」

恫喝に挑発で返したオシタリ君は、ピタッと動きを止めた。

連中の向こうから、のっしのっしと歩いて来る、大柄な牛に気付いて。

「なんだぁ?今頃ビビったか?あぁ!?」

それに気付いていない生徒達は、決まり悪そうな顔をしたオシタリ君に、からかうような脅すような言葉を浴びせる。

「何やら穏やかでない様子だな?何事だオシタリ?」

その声が響いてからやっと、連中は背後に歩み寄っていた大牛の存在に気付き、振り返った。

「…あ…!」

我らが応援団長の顔を見上げた生徒達が、一様に凍りつく。

「う、ウシオ…シンイチ…!?」

「ふむ。ワシを知っとるのか、陽明の新入生達」

頭一つは高い位置から生徒達の顔を見下ろしているのは、応援団の特製学ランを纏った大きな牛。

星陵の応援団を束ねる巨漢の和牛、潮芯一団長は、相手の中の一人に目を止めた。

「…いや、見知った顔がある…。少なくともお前は二年だったな?昨年騒ぎを起こしてくれた事は、よっく覚えとるぞ?」

ウシオ団長の瞳が、ギロリと虎猫に据えられた。

「状況を教えて貰いたいが…」

ウシオ団長は険しさを消した目を私に向けて、そう言った。

「あ、は、はい!えぇと…」

私は、自分が新聞部である事。オシタリ君と私が、空手と柔道の試合を応援、取材するためにここへ来ていた事。そして…、

「ふむ…、カツアゲ、な…。間違いないかオシタリ?」

おそらく連中がキイチ君をカツアゲしようとした生徒達であり、彼を救出したオシタリ君を逆恨みしているのだと私が説明

すると、目を少し鋭くした団長が、低い声でオシタリ君に尋ねた。

「イヌイは何もやってねぇぞ!あいつはただの被害者だぜ!」

噛み付きそうな顔をして、どこか必死な様子で声を発したオシタリ君に、

「ふむ。それは肯定と取って構わんな?」

ウシオ団長は顎を引いて頷きながら呟いた。

「新聞部の女子、済まんがこいつらの写真を撮ってくれんか?」

急にそんな事を言い出したウシオ団長に、私は戸惑いながら目で問う。

「今日は選手達の華の舞台、生徒達も楽しみにしていた大イベント、めでたい定期戦だ。事を大きくして水をさしたくはない

んでな。「処理」については、また後日にしたい。で、とりあえずこいつらの写真だけ撮ってくれんか?」

促された私がカメラを取り出すと、連中は首を巡らせたり、壁側に後ずさったりし始める。そこで…、

「いじくらしぃわ!大人しゅうしとれいっ!!!」

肌が震え、お腹にビリビリ響く物凄い怒鳴り声が、団長の口から発せられた。

連中はビクっと身を竦めて凍りつき、私は勿論、オシタリ君も毛を逆立てて固まっている。

「さ、済まんがささっと頼むぞ?柔道の試合、もう始まっとるようだし…」

ウシオ団長は、陽明の生徒達を一喝した時の厳しい顔つきをコロっと変え、私に笑いかけた。

…団長は紳士だってイヌイ君から聞いていたけれど…、怒らせない方が良さそうな先輩ね…。

六名の顔が判るよう、私が写真を撮ると、ウシオ団長は私達を手招きした。

「では行こう。急がんと終わってしまうぞ?…ほれ、道を空けんか?」

そしてギロリと連中を睨みつけて、揃って身震いさせた。

私は壁際に寄った連中をおそるおそる迂回し、オシタリ君は仏頂面で連中を一瞥しながらついて来る。

「…納得行かんか?」

硬直している連中から十分に離れ、柔道場とのちょうど中間辺りにさしかかると、先頭を歩きながら、団長はおもむろに口

を開いた。

「何かあった事は察しが付くが、今は堪えろオシタリ。一部の生徒の起こした騒ぎで、今日と言う日を楽しみにしていた選手

や、無関係な生徒達の興を殺ぐ訳には行かんのだ」

「ふん…。裏方らしいゴリッパなセリフだぜ…」

「がははは!その通り!裏方に徹する者も、場合によっては必要なのだ」

挑発的ともとれる、不機嫌そうなオシタリ君の返答に、ウシオ団長は気を悪くした様子も無く、面白そうに笑って応じていた。



「あ〜…。もう始まってるんじゃねぇか?」

「仕方ないじゃない?あんな事があるなんて予想もしてなかったもの…」

「こら、静かにせんか二人とも…。幸い、まだ始まったばかりのようだ」

ウシオ団長の言うとおり、たった今一試合目が終わったところみたい。

これはまぁ、間に合った部類に入れて良いかしら?

こっち側の柔道部の応援席には、オシタリ君のルームメイトの狐、ウツノミヤ君と、柔道部顧問になっている理事長先生のみ。

選手控えにはイワクニ先輩一人だけ。

救護担当という事でなのか、イヌイ君がその少し後ろに、救急箱を横に置いてキチっと正座している。

こっちの団体戦は勝ち抜き方式。先鋒はアブクマ君で、大将がイワクニ先輩。

なんでも、先鋒のアブクマ君が一人で全員抜きして、柔道部をアピールするのが目的らしいわね。

「できんのかそんな事?」

オシタリ君の呟きに、私はカメラを構えながら応じた。

「ま、見てなさいよ。惜しくも優勝は逃したけれど、昨年の中体連準優勝者よ?やる時はやるんだから、アブクマ君は…!」



結局、アブクマ君は一人で全勝してのけた。

途中で応援に来た、彼らの担任のトラ先生も、イワクニ先輩の幼馴染であるボート部のミナカミ先輩も、私達と一緒に、惜

しみない拍手と笑顔で健闘を讃えた。

無言だったけれど、真剣に試合を見つめていたオシタリ君に、

「どうだ?頑張っている誰かを応援するというのも、悪くないだろう?」

と、ウシオ団長は笑みを浮かべながら言った。

「…かもな…」

そうぶっきらぼうに応じたオシタリ君は、頷いてしまった事が気に食わなかったかのように、ちょっと顔をしかめていた。



「格好良かったわよ、ユリカ!」

「えへへ〜!そう?そうっ!?」

寮の部屋に帰って来たパンダっ娘は、笑顔で迎えた私に、頭を掻きながら嬉しそうに笑みを返した。

「本当に格好良かったわ!私が男子だったら惚れてるところよ?」

「んっはぁ〜!照れるってばぁ!でも嬉しぃ〜っ!」

ユリカは照れ笑いを浮かべながら、手放しに誉める私をムギュっと抱きしめた。

「ちょっとユリカ!それやめなさいってば…!」

私は柔らかいユリカの体の感触を味わいながら、「本当に胸だけは羨ましいなぁ…」などと考えつつ、苦笑いした。

「後でで良いから、勝利者インタビューさせてよね?あと、他の選手の試合の感想とか聞かせてくれると助かるわ。記事を書

く参考にしたいの」

回した手で背中をポンポンと叩くと、ユリカは身を離しながら頷いた。

「うん。いいよぉ!良かったぁ、すぐにって言われなくて。もうお腹ぺっこぺこでさぁ…」

テーブル脇のマイクッションにボフッと腰をおろしたユリカを見ながら、私は小さく吹きだした。

だってユリカったら、相手校の主将を破った事を誇るより、食欲のほうが優先しちゃってるんだもの…。

テーブルに頬杖をついて、時計を眺めていたユリカは、急に口を開いた。

「…あ、ところでさぁ?ミサト、ボート部の試合とか見た?」

「え?ううん。私の担当じゃないから行かなかったわ。何で?」

ユリカは「ん〜…」と目を細め、弛んだ笑みを浮かべると、

「二年のミナカミ先輩、かぁっこいいっしょお〜?写真とかあるなら、試合してる場面、見たかったなぁって…」

「もしかして、ユリカもミナカミ先輩のファン?」

「まぁね。ってより、ウチのクラスの大半がそうっしょ?」

「…言われて見ればそうね…。そうだ。取材に行った先輩から、画像データ貰って来てあげよっか?」

「ホント!?」

ガバッと身を起こしたユリカに、私は笑いながら頷いた。

「やぁ〜りぃっ!うはぁ〜!あんがとぉミサトぉ!」

立ち上がったパンダっ娘は、私をぎゅぅっと抱きしめた。

「ちょっと!?ユリカまた…!」

ふくよかなユリカの体に半分埋没しながら、私は抗議の声を上げた。

妙な誤解されたら困るから、その嬉しいときに抱きつくクセは直しなさいって、何回も言ってるのに…。



「ミサトぉ〜、応援団の先輩が来てるわよぉ〜?」

数日後のホームルーム後、教室の後ろのドアの所でユリカが声を張り上げ、鞄に荷物を詰め込んでいた私は振り返った。

応援団員?何かしら?

「うん、今行く!」

大急ぎで荷物を纏め、不思議そうな顔をしているユリカの脇を抜けて廊下に出ると、

「あら?オシタリ君?」

何故か、団服姿の虎と一緒に、ポケットに手を突っ込んだシェパードが立っていた。

私にマガキと名乗ったその二年生の応援団員は、怖い顔とは対照的に、実に丁寧にお辞儀すると、

「シンジョウさん、だな?団長が貴女に用事があるそうだ。手間を取らせて済まないが、団室まで同行願えるか?」

と、用件を語った。

「はい、解りました。…けれど、どんな御用なんでしょうか?」

「君達と団長の間だけに留めたい内密の話だと…。申し訳ないが、自分も詳細は聞かされていない」

キビキビと答える虎獣人に頷き、私はオシタリ君に視線を向けた。

不機嫌そうにしているシェパードは、私の視線を受けると、小さく顎を引いて頷いた。

…やっぱり、あの件に関わる事かしら…?



革張りのソファーにテーブル。正面の壁には校章が描かれた旗。

まるでどこかの事務所の応接室のような間取りのこの部屋は、応援団の部室…、つまり団室の一番奥にある部屋、団長室だ。

虎の先輩は私とオシタリ君を部屋に通すと、ドアを閉めて出て行った。

団長室には先客が居た。私達を呼んだウシオ団長の他に、八名の生徒が居る。八人全員、陽明の生徒だ。

パイプ椅子に腰掛けさせられた六名は、忘れもしない、定期戦の時にオシタリ君に絡んだ、あの連中だ。

その両脇に立つ残る二名は、あっちの応援団員らしい。

片方は恐らく二年生以上。長ランにドカンというデザインの団服を着込んだ、精悍な顔立ちのシベリアンハスキー。

そして、もう片方は…。

「ん?」

そのえらく体格がいい灰色熊を目にして、オシタリ君は訝しげに眉根を寄せた。

部屋に入った私とオシタリ君を、少し目を大きくして見つめていた、ムクっと太ったとても大きな灰色熊が軽く会釈する。

間違いない。彼、あの日に球場でコーギーを医務室に運んでいたグリズリーだ。

一年生だとまだ団服の着用が認められてないから、普通の学生服に腕章だけをはめている。

「済まんな二人とも。話はまぁ、気付いとると思うが…」

ハスキーと向かい合う形で立っていたウシオ団長が口を開いて、私とオシタリ君はそちらに視線を移した。

私達の視線が移ったのを確認して、ハスキーが口を開く。

「この六名の行いについては、こちらで厳重な「指導」をさせて貰う事とした。オシタリ君に、シンジョウさんと言うそうだ

ね?二人には、我々の目が行き届かなかった事で迷惑をかけてしまい、申し訳なかった」

深々と頭を下げたハスキーに、オシタリ君は戸惑ったように口を開く。

「ちょっと待て。何だってそっちの応援団と、こっちの団長が、俺達の件に関わって来るんだよ?」

「オシタリ、お前も言っていただろう?ワシらは裏方だ。生徒間のトラブルも処理する裏方…、そういう事だ」

ウシオ団長は顎を引いて頷き、オシタリ君に応じた。

「納得行かんかもしれんが、一般の生徒同士でのゴタゴタを見逃す訳には行かんのでな」

「それに、被害は君達やその友人だけではなかった。この春からカツアゲの被害が続いていたのだが、全てこいつらの仕業だっ

たらしい」

団長に続いて口を開いたハスキーは、一度言葉を切ると、パイプ椅子に座らされたままの六人を、ジロリと睨んだ。

「…今後、二度とあのような真似をしないよう、身と心にしっかりと「指導」しておく。この通り、本当に済まなかった…」

再び頭を下げるハスキー。六人を挟んで反対側に立つグリズリーも、ビシっと姿勢を正して頭を垂れた。

「おい、やめてくれ…!あんたらが悪ぃ訳じゃねぇだろが…!」

「そうです!私はその、被害にはあっていませんし…。お願いですから、顔を上げて下さい!」

私とオシタリ君がちょっと慌てながら口を開くと、ハスキー先輩とグリズリー君は揃って顔を上げた。

「有り難い言葉だが、我らの不徳と気の弛みが引き起こした事件だ。ウチの団長に代わり、この通り詫びさせて貰う…」

「だから…、もう良いって言ってんだろうが…!」

再び頭を下げる二人を交互に見遣り、シェパードは困っているような呆れているような様子で言った。

それから、話の大筋を聞かされて理解したけれど、ウシオ団長は、あっち側の応援団が彼らの処分を決めた事を説明する為

に、私達を呼んでくれたらしい。

あちらの学校の事だし、あまり大事にはしたくなかったから、それでカンベンしてくれと、頭まで下げられてしまった。

なお、被害にあったイヌイ君には先に話をしたらしいけれど、

「キイチがまた何かされちゃかなわねぇから俺も行く!…ついでに、あの野郎ども…、どうやら殴られ足りなかったみてぇだ

から、今度はグゥの音も出ねぇぐれぇブン殴ってやる!」

と、話を耳にしたサツキ君がいきりたってしまったらしい。

イヌイ君はそれを宥める事になって、会わせるのは断念したそうだ。

「本来ならばこちらも団長が来るはずだったのだが、生憎急用が入ってしまい、自分が代理を務める事になった。…コイツが

クラスメートなものでね…」

ハスキー先輩がギロリと睨むと、虎猫は顔を引き攣らせて震え上がった。

さすがは応援団の中堅所…、不良でも睨まれただけで萎縮するのね…。



引き立てられる罪人達のように、ハスキー先輩に連れられて、六人はぞろぞろと外に出た。

「では、失礼します」

「手間をかけさせた。気をつけて帰ってくれ」

腰の後ろで手を組み、足を肩幅に開いて深々とお辞儀するハスキー先輩とグリズリー君。

ウシオ団長や他の団員達に見送られるハスキー先輩は、六人を鋭い目で見遣って促し、踵を返して颯爽と歩き出す。

かっこいいわねぇ、応援団って…。

最後尾につこうと、踵を返しかけていたグリズリー君は、思い直したように足を止めると、足早に私達に歩み寄って来た。

「この間は、ありがとう。助かった」

低めの落ち着いた声でそう言った灰色熊は、改めて間近で見ると、本当に大きい…。

襟章で判別しなければ、とても私達とおなじ歳だなんて思えない。

上背はたぶんアブクマ君と同じ位。体型もよく似ているけれど、こっちの方がちょっと太めかしら?

灰色のモサモサした被毛に包まれたグリズリーは、向き合うだけで気圧されそうなボリュームだけれど、体と比べて小さめ

の目は、なんだかとても優しげに見える。

「…何とも無かったか?アイツ…」

ぼそっと尋ねたシェパードに、グリズリーは口元に僅かな笑みを浮かべて頷いた。

「ん。熱中症だったらしい。翌日には元気になっていた」

「そうか…」

オシタリ君はそっけなく頷いたけれど、口の端がほんのちょっぴり上がっていた。

思うに、オシタリ君は小さいものや弱いものに優しいのではないだろうか?

イヌイ君といい、あのコーギー君といい、小柄で愛らしくて弱々しい雰囲気がある。

「それじゃあ…」

「…あ…、なぁ…?」

ペコっとお辞儀をして振り向きかけたグリズリー君を、オシタリ君は、ちょっと躊躇いがちに呼び止めた。

振り返る途中の姿勢で、こっちに視線を戻した灰色熊の顔を、シェパードはじっと見上げる。

「応援団ってのは…、面白ぇもんなのか?」

グリズリー君は少しの間黙っていたけれど、やがて、首を横に振った。

「面白いかどうか、俺もまだ良く判らない…」

考え込んでいるように、ゆっくりと言葉を吐いた灰色熊は、

「正直言うとかなり辛いし、まだ入ったばっかりなのに、何回も止めたいって思ったな…」

口の端を上げて、小さな目を細くして、どこか恥かしげに見える笑みを浮かべた。

「…でも、ぶっ倒れるまで頑張って、真剣に応援してるヤツを間近で見たら、俺、まだまだ頑張らなきゃって思えてきた。頑

張って頑張って、続けて行ったら、いつかは先輩みたいな、堂々とした、立派な男になれるんじゃないかって思う。…そうな

れたら、俺…」

言葉を途中で切ると、グリズリー君は何故かモジモジしながら俯いた。

「…立派な男に…」

オシタリ君は何事か考え込んでいるように、ボソっと呟く。

「おいガク!何してる?急げ!」

唐突にハスキー先輩の声が響き、グリズリー君は慌てて首を巡らせた。

見れば、ハスキー先輩率いる一行は、かなり先まで行ってしまっていた。

「お、押忍っ!済んません!…じゃあ、これで…」

軽く会釈したグリズリー君に、オシタリ君は顎を引いて頷いた。

「引き止めて悪かった。ありがとよ」

笑みを浮かべた灰色熊は、その場で回れ右すると、太った体を揺すってドスドスと駆けて行った。

「立派な男…、か…」

腕組みをしながら呟いたオシタリ君を、周囲の団員達がじっと見つめていた。

その中で、口元に笑みを浮かべながらずっと黙っていたウシオ団長が、団員達を見回して口を開いた。

「この一件については、詮索は無用だ。団内外を問わず口外する事も禁じる。良いな?」

『押忍っ!』

揃って返事をした団員達に、ウシオ団長は手をパンパンと叩きながら続けた。

「では、十分後に屋上集合!今日は定期戦での問題点を洗い直すぞ!」

号令に従い、キビキビと準備を始める団員達から視線を外すと、ウシオ団長は私達に笑いかけた。

「さて、用件は終わりだ。時間を取らせて悪かったな、二人とも」

「いいえ。団外秘にする事を、わざわざ顛末まで見せていただき、有り難うございました」

ペコっとお辞儀した私の横で、オシタリ君も軽く会釈した。

「頻発していたカツアゲの件、先生方にはこちらから解決した旨を伝えておこう。被害にあった者については、あちらの団で

調べ、詫びに回るそうだ。こちらで動くべき事は、もう無い」

そう言ったウシオ先輩は、私の顔を見下ろしながら、丈夫そうな歯を見せて笑った。

「解ってくれるとは思うが…」

「ええ。記事にはしませんので、安心してください」

私が言葉を先取りして微笑むと、団長は笑みを深くした。

「察しが早くて助かる。疼くもんもあるだろうが、堪えてくれ」

そして、大きな牛は黙ったままのオシタリ君に視線を向けて、意味ありげに笑った。

「団は、いつも屋上で練習しとる。見学は自由だ」

無言のまま自分を見上げたシェパードに、団長はくるりと背中を向ける。

「聞きたい事があれば、寮でワシに声をかけても良い。では、ワシもそろそろ行くからな」

「…うす…」

「有り難うございました」

立ち去る団長の背中に、私達は口々に声をかけた。

ちらっと横を見ると、オシタリ君は何かを考え込んでいるようだった。

何を考えているかは何となく解ったけれど、見られている事にも気付かずに思案している、彼の精悍な横顔を、私はただ黙っ

て、微笑んだまま見つめていた。