第九話 「早過ぎた終わりに」(後編)

校舎裏口正面にあるロータリーの中心になる円形の花壇。

その縁に先輩と並んで腰掛けた私は、昨夜のユリカの様子や彼女の考えている事を、ヒョウノ先輩に全て話した。

共感できるのか、それとも元々こんな事で動じないほど落ち着いているせいか、ヒョウノ先輩は驚いた風もなく、時々相づ

ちをうちながら私の話を聞いていた。

「…それでユリカは、先輩に負けた事…、というよりも、あの子の言葉で言うなら「負かしてあげられなかった」事を随分気

に病んでしまっているみたいで…」

「…なるほど…」

話が終わると、ヒョウノ先輩は顎を引きながら呟き、腕を組んで黙り込んでしまった。

沈黙はかなり長く、私は先輩が不快になってしまったのかもしれないと思い、不安になった。

「こういう事、本当は部外者の私が口出しすべき事ではないのかもしれませんが…、出過ぎた真似をして済みません…」

「いや、気にしないでくれ。わたしもそこまで気が回っていなかった。目の届かなかった事をこうして教えて貰えて、正直助

かった」

先輩は表情を変えないまま小さく二度頷き、そう答えてくれた。

良かった。どうやら考え込んで黙っていただけで、不愉快にさせてしまった訳では無いらしい。

「ユリカを元気付けてあげて貰えませんか?ルームメイトとはいえ、空手部でないどころか、運動部の経験が無い私が励まし

ても、根本的な解決にならないような気がして…」

ヒョウノ先輩は無言で頷くと、少し間をあけてから口を開いた。

「それで、ササハラに知られないよう、イワクニ君経由で連絡を取った訳か…。いや、君にはあの白黒阿呆のせいで迷惑をか

けたな…」

…しろくろあほう…。凄い言われかたよユリカ…。

「それで君は…、あぁ、その…なんだ…?ササハラの言う「お姉ちゃん」の事…。どんな人物か具体的には聞いていなかった

訳だな?」

何故か少し居心地悪そうに言ったヒョウノ先輩に、私は「ええ」と頷いた。

ユリカは「お姉ちゃん」の名前も言っていなかったし、人間なのか獣人なのかも判らない。

「あの白黒トンマめ、半端に話をするから事態がややこしくなっている…、シンジョウ君まで巻き込んで…」

…しろくろとんま…。愉快な言われようだわユリカ…。

先輩はため息をつくと、やにわに立ち上がり、キッと横手に視線を向けた。

「いつまでもコソコソしていないで…、いい加減に出て来い!」

ヒョウノ先輩の視線を追って首を巡らせた私は、裏玄関前の植え込みの葉っぱの上に、黒い二つの突起がちょこんと見えて

いる事に気付く。

半円の山形に見えるそれが、ピクンと動いた。…あら?耳が…。…え?耳?…みみっ!?

先輩がじっと視線を向け続けると、やがて観念したように植え込みの陰から立ち上がったのは…。

「ユリカ!?何でここに…」

植え込みの影に屈んで隠れていたらしいパンダっ娘は、もじもじっと太い体躯を揺する。

「そ、そのぉ…、ミサトと主将が話してるの、窓から見えたから…、気になって…」

両手を腰の後ろに回し、気まずそうな顔で視線を地面に彷徨わせながら、ユリカは耳をぺったり寝せてそう言った。

…これだけ目立つ白黒のおっきいのが、裏玄関から出て来て植え込みの影に隠れるまで、私は全く気付かなかったらしい…。

自覚は乏しかったけれど、やっぱりちょっと緊張していたのかしら?

私がちらりと視線を向けると、ヒョウノ先輩は眉間に深い皺を刻んでいる。

凛々しい整った顔は、顰めたり眉間に皺を寄せたりすると、途端に迫力と鋭さが増す…。

「友達にまで心配をかけて…。何をしているんだユリカ?」

そう声をかけられたユリカは、もじもじとしながら上目遣いに雌豹を見遣った。

…ヒョウノ先輩、直接顔をあわせている時は、ユリカの事を名前で呼ぶのね?

先輩は小さくため息をつくと、苛立ったように後頭部をワシワシと掻いた。

「…オレは怒ったりなんかしていないぞ?」

ユリカはピクンと耳を動かしつつ、ヒョウノ先輩の顔を覗った。

…「オレ」?先輩、今自分の事「オレ」って言った?

「ほ、ほんとに…?けどあたし…、あの時と同じ…、今度もまた負けちゃって…」

ユリカは耳を伏せたまま、おそるおそるといった様子で先輩に尋ねる。

「あの時と今回では中身が全然違う。ユリカは今度こそきちんと、全力で挑んで来たじゃないか。それで怒る訳ないだろう?」

「…ほんと?ほんとに怒ってない?」

指を胸の前でチョンチョンと突き合わせながら、大柄な体を縮めて上目遣いに雪豹を見つめるパンダ。

「本当だ。怒ってなんかいない。…だが、それでユリカが納得できないなら、オレが引退する前に負かせてみせろ。挑戦はい

つでも受けてやる」

そう言ったヒョウノ先輩は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて続けた。

「きっちり引導を渡して貰えれば、オレも安心して引退できるからな」

ユリカは徐々に顔を緩め、やがて、

「う、うんっ!頑張ってみる!」

と、ほっとしたような顔に微かな笑みを浮かべて返事を…って…、ん?

…あの時…?

…今回は…?

あの時って、ユリカの昔の話?近所のお姉ちゃんとのお別れの時の事よね?

先輩、今「あの時と今回では」って、まるで実際に知っている風な比較の仕方をして…。

それに、お互いに知っているような雰囲気の会話…。

あれ?あれれ?…まさか…。いや、でもそれなら…?

私は、自分が想定もしていなかった真実に辿り着いた事に気付いて、唖然とした。

ユリカがあそこまで落ち込んでいたのは、今回の大会でのヒョウノ先輩との試合に、お姉ちゃんとの別れを重ねてしまって

いたからじゃない。

当時のお姉ちゃんとの別れ、そのままの事を繰り返してしまったからだったんだ…!

そう、他でもないヒョウノ先輩こそが…、ユリカが言っていた…。

「先輩が…、「お姉ちゃん」だったんですね…?」

気まずそうにのろのろと歩み寄って来るユリカを見つめていたヒョウノ先輩は、私の言葉の「お姉ちゃん」の部分で顔を顰

めて、「つまりはその…、そういう事だ…」と呟いた。

「ああもう!お前の話が半端だから、シンジョウ君が微妙な位置から気を遣うはめになったんだぞユリカ!?」

「うっ…!い、いっぱいいっぱいだったから…、そう言えばソコのトコは話してなかったかもぉ?って、今さっき立ち聞きし

てる最中に気付いて…」

「こういう行為は「立ち聞き」じゃあなくて、「盗み聞き」というんだ「盗み聞き」と」

ヒョウノ先輩は不機嫌そうにユリカを叱り、恐らく盗み聞きが後ろめたかったんだろうユリカは、すっかり小さくなってし

まっている。

…ダメだわ。まだちょっと混乱してる…、少し情報を整理させて…。

「あ、あのですね先輩?それにユリカ?たぶん半分は理解できたと思うんですが、念のためにもうちょっと整理して事情を…」

ユリカを叱っていたヒョウノ先輩は、一度言葉を切ると、耳を寝せて少し気まずそうな顔になった。

「そうだな…。全部整理して話そう…」



ユリカの地元から引っ越していった「お姉ちゃん」ことヒョウノ先輩。

その引っ越し先がここ、星陵ヶ丘だった。

そして、ユリカが星陵に進学して来た理由は、もう一度ヒョウノ先輩と一緒に空手をしたかったから…。

状況は、そしてユリカの心情は、私が思っていた程単純じゃなかった。

先の大会でヒョウノ先輩と当たったのは、私や他の皆が考えていたような「不運」じゃなかった。

ユリカにとってはきっと、千載一遇の「好機」だったんだ。

何年も胸に秘め続けた、昔の過ちを精算できる好機…。

想いを遂げられなかったユリカの涙は、昨夜私が感じた物よりも、遙かに重いものだったんだ…。

けれど、結局それは、「お姉ちゃん」ことヒョウノ先輩とユリカの間に横たわる、身内の心情にも関わっている問題であっ

て…、極端な話、私が横から嘴を突っ込まなくとも、幼馴染みである二人の間でなら、近い内に…それこそ二日や三日で解決

してしまうような物であって…。

結局私は、「実はですねユリカは昔憧れていた「お姉ちゃん」と辛い別れ方をしてしまっていて先輩との試合にその別れを

重ねてしまっているんですよ実はかくかくしかじかでね?可哀相でしょう?「お姉ちゃん」の代わりに励ましてあげてくれま

せんか?」と…、そうと知らず、よりにもよって、他でもない本人に懇切丁寧に説明したあげくお願いしようとしていた訳…。

これは気まずい…!って言うか恥ずかしい…!

重々承知の事を「実は何を隠そう…」的に、さも詳しげに、しかも真実の中心からは微妙にずれた認識で語って聞かせる後

輩の隣に、ヒョウノ先輩はどんな気分で座っていたのかしら…!?

…知らなかったとはいえ、今回は思いっきりでしゃばったわね、私…。耳まで熱いっ!

「わたしが本人だと知らなかったせいで、つまり古馴染み同士の些細な問題だとユリカから知らされなかったせいで、君には

多大な迷惑をかけた…」

「ご、ごめんミサト…。あたしの説明不足だった…。あたしのために主将に直談判してくれるなんて思ってもなかったし…、

面倒かけちゃって、ごめん…」

ヒョウノ先輩は済まなそうに頭を下げ、ユリカもモジモジしながら謝って来る。

「い、良いんですよ先輩!気にしないでユリカ!ろくに下調べもせず、勝手に先走った私自身のミスな訳で…」

あ〜…。今回はきっと、少しばかり焦っていたのね、私…。

あんまりにも落ち込み方が酷いユリカの状態を目の当たりにして、早く何とかしなくちゃって、気ばかり急いて…。

情報収集と外堀埋めを怠らず、いつものように対処していれば、こんな恥をかかずに済んだし、ユリカにも他の元気付け方

ができていたはずなのに…。

「済まなかった。シンジョウ君…」

「ご、ゴメンねミサトぉ…」

「い、いえ。もう良いですから先輩…!ユリカも、ね?」

何度も何度も謝って来る雪豹とパンダに、私は耳まで真っ赤にしながら首を横に振り続けた…。

…恥ずかしい…。



ヒョウノ先輩とユリカと別れた私は、恥ずかしさがなかなか抜けないまま部室に行き、取材した記事の纏めを始めた。

文書作成用に用意してあるパソコンの前に座ったものの、あんな事があった直後だったから、なかなか集中できなかった。

努めて考えないようにしようとしているのに、何故か度々思い出して、その都度恥ずかしさに顔が熱くなる…。

納得の行く構成に纏められないまま、時間ばかりいたずらに過ぎて行く。

結局、二倍ぐらい時間と労力を費やして、それでもなお終わらなかった。

部活終了の時間が近付き、諦めた私はペンを置く。

…今日はダメね…。纏めは明日に持ち越しましょう…。



他の一年生部員と一緒に戸締まりを終えて、昇降口を出る頃には、辺りはかなり暗くなっていた。

夏が近付いて日が長くなったとは言っても、この時間じゃ無理もないか…。

ふと思いついて鞄から携帯を取り出し、チェックすると…、ランプが点滅してる…。

メールが届いていたみたい。えぇと…、ユリカからだわ。

 

ごめんねぇ…m(_ _)m

 

タイトルのない短い文面のメールに、私は微苦笑する。

すぐさま「気にしない気にしない」と返信した私は、自販機でココアでも買って行こうかと考えながら昇降口を出る。

この時間だと殆どの部活も終わっているから人影はまばら…どころじゃなく、近くには全然ない。

かなり離れたところを歩いてゆく数名が見える程度。

一人てくてくと校門を出た私は、

「よ。今帰りかい?」

と、不意に横手から声をかけられて足を止めた。

学校名が入ったプレートがついている、真四角で大きな石の門柱。

その脇に屈んでスポーツバッグをまさぐっていた灰色狼が、私の顔を見上げている。

「ミナカミ先輩…。お疲れ様です」

お辞儀した私に、「そっちもお疲れさん」と、笑みを浮かべて応じた狼は、バッグのジッパーを閉めて立ち上がる。

「新聞部も結構遅いんだなぁ?」

「大会シーズンはそれなりに遅いかもしれません」

「ああ。結果を載せる校内新聞の関係か」

「ええ」

何となく連れ立って歩きながら、私はミナカミ先輩の問いに答えた。

「この間のボート部の記事、おれも読ませて貰ったよ。入賞者紹介の見出し文、「水面の猛禽達」…いいじゃないかあれ。ク

ールで気に入った。ははは!チョビっとこっ恥かしかったけどさ、他の皆もまんざらでもないみたいだ」

「そうですか?」

水面を切り裂いて進むボートは、私の目には滑空する鷲のように映ったのよね…。

自分では率直なイメージをそのまま表現したつもりだったんだけど、思いの外喜んで貰えているのかしら?

「去年までの比喩じゃあ、せいぜい「あめんぼ」か「白鳥」だったけど、猛禽はかっこいいよな」

「白鳥も格好良いじゃないですか?綺麗ですし」

「でもなぁ、足でペダルを漕ぐ白鳥のボート、あるだろう?」

ユリカが乗りたいと言っていた、そして乗ろうと誘われた、あの子と私が一緒に乗ったら「傾」「斜」「沈」になりかねな

いアレの姿を思い出しながら、私は「ええ」と頷く。

「水場に居るおれ達からすると、白鳥って聞くとどうにもあれのイメージも頭に浮かんでくるんだよ。まぁ、外から見えてる

程楽じゃないって意味じゃあ、水面下で必死に足を動かしてる白鳥も、比喩としては合ってるけれどな」

ミナカミ先輩は機嫌良さそうにカラカラと笑う。

狼と聞けば、鋭く、精悍で、時として孤高というイメージすら思い浮かぶ。

けれど、ミナカミ先輩は明るくて気さくで、飾った所がなく、近付き難い雰囲気は一切無い。

ファンクラブが存在する程顔が良いのに、恵まれた容姿を鼻に掛ける事も、部活での優秀な成績をかざして驕る事も無い。

自然体のこの振る舞いこそが、人気の秘訣なのかもしれないわね…。

「正直、インタビューなんてかったるいと思ってたが、受けて良かったかもな」

インタビューした私を前にしながら、先輩は本音を覗かせた。

本人もそのつもりなく話しているからでしょうけれど、明るい口調にはちっとも嫌味な響きがない。

「おれは文才無いけれど、それでもあの記事、出来が良かったと思う」

先輩へのインタビューの時は、ユリカも連れて行って夕食をご馳走した。

ユリカはモジモジしてあまり喋らなかったし、私もボートの事と大会の事以外は殆ど話さなかったから、つまらなかったん

じゃないだろうか?

ふと感じたから、退屈じゃなかったかと訊いてみたら、

「いや、インタビューって、普通はきっとああいうものなんだろ?」

と、狼は肩を竦める。

「去年はさぁ、やれ「好みのタイプは?」とか「付き合ってる人は?」とか、部活の事はそこそこにして、ボートと全然関係

無い事ばっかり突っ込んで訊かれてなぁ、ぶっちゃけ辟易した」

「あ〜…。なるほど…」

人気のあるミナカミ先輩だけれど、浮いた話は一つもない。

アブクマ君曰く、「シゲさんは、野郎同士で馬鹿やってる方が気楽で楽しいんだとよ」との事だったけど、たぶんその通り

なんでしょうね。

けれど、皆はミナカミ先輩の恋愛事情が気になる訳で…。

先輩は、それが鬱陶しかったのかもしれない。だから個人取材やインタビューが好きじゃなかったんだ。

…こうして考えてみると、ミナカミ先輩の件といい、空手部との確執の件といい、気になる事が多い。

ひょっとしたら、新聞部の体制や在り方、そして対応や取材姿勢が問題で、取材に協力的じゃない部活や生徒も存在してい

るんじゃ…?

私がそんな事を考えていると、ミナカミ先輩は愉快そうに少し口元を弛ませたまま続ける。

「シンジョウにはそういう事全然訊かれなかったしなぁ。質問がボートの事だけに絞られていれば、取材を受けるのも結構気

楽なもんだ」

「それはまぁ、今回は「ボート部のミナカミ先輩」についての取材でしたから」

私がそう応じると、先輩は少し首を縮めて、くっくっと、可笑しそうに含み笑いを漏らした。

「結構面白いヤツだよなぁ、シンジョウは」

「はい?」

首を傾げた私に、笑みを浮かべたままの狼が興味深そうな視線を向ける。

「「今回は」って言ったけど、機会があれば「ボート部じゃないおれ」についても取材するのかい?」

「どうでしょうね?先輩がオーケーと言うなら、総力特集の提案をしてみますけれど?」

「あ〜…。それは全力で遠慮したいな…」

三角の耳をパタタッと動かした先輩は、ちょっと困っているような微苦笑を見せた。

表情豊かな狼に悪戯っぽく笑みを返しながら、私は口を開く。

「ご心配無く。今のところはそんなつもりもありませんから」

「それは良かった。ところで…」

先輩は一度言葉を切ると、私の顔をしげしげと眺めて来た。

「シンジョウはどうなんだ?付き合ってる男子とか居るの?」

私はちょっと意外に思いながら、先輩の顔を見返す。

色恋沙汰自体に興味が無いと思っていたけれど…、他人の恋愛については気になるのかしら?

「いいえ。居ません」

「恋愛経験は?」

「ありませんね」

「部活が恋人…、ってヤツかい?」

「う〜ん…。そういう事になるんでしょうか?今一番夢中になれるのは、確かに部活ですけれど」

「そうか。ようやく納得行った。なるほどなるほど…」

ミナカミ先輩はふむふむと頷くと、良く判らない事を言い出した。

「納得…ですか?何に?」

尋ねた私に、ミナカミ先輩は歯を見せて笑った。

「いやぁ、何て言うんだろうな?同じ匂いがするから、どうしてなのか気になってたんだ」

「匂い?」

訝しく思った私が首を傾げると、灰色狼は「あ、匂いって言ったのは比喩だ。印象ってやつかな」と付け加える。

「サトルさんやおれと同類の匂いがしたのさ。シンジョウは、夢中になれる物に集中して、のめり込んで、ギラギラするタイ

プだろ?」

少し考えた後、自覚があった私は「そうかもしれません」と頷いた。

「文化部にも居るんだな?シンジョウみたいなヤツ」

灰色狼はニンマリ笑って言う。

「やっぱり、シンジョウは面白いヤツだ」

「面白いって…、それ、褒めてますか?」

「う〜ん…、微妙かな?ま、褒めてると思ってくれて良い。少なくとも貶してるつもりは無いから」

快活に笑う狼につられて、私も小さく笑う。

ミナカミ先輩との会話は、ポンポン進んで心地良かった。

イヌイ君やアブクマ君と同じ、友達と話しているような気軽さがあって。

先輩だから気を遣ってはいるつもりだったけれど、緊張は全くしなかった。

…不思議なひと…。こういうところも魅力の一つなのかしら?



寮に戻ると、部屋では、ユリカがテーブル脇に正座して私を待っていた。

「メールでも返したけど、もう気にしないでってば…」

「でもぉ…」

耳を寝せて体を小さく縮めているユリカに、私は微苦笑しながら歩み寄った。

「ユリカは話が半分だった。私は勝手に先走った。お互い様の痛み分け。いいでしょそれで?」

私が脇に座ると、ユリカはちらっと上目遣いに横目で窺って来る。

「…怒ってない?」

「怒ってないわよ」

私の返事を聞くと、ユリカは安心したように、少し表情を緩ませた。…本当に子供みたい。変な所で可愛い…。

「かっこいい先輩ね?ヒョウノ先輩。さすがユリカの「お姉ちゃん」。男子なんかほっとかないんじゃない?」

「うん。本人は何も言わないけど、割と人気あるっぽいよぉ」

私が話題の方向を少し変えると、元気が出てきたらしいユリカは、ちょっと誇らしげな笑みを浮かべて頷く。

「やっぱりそうなんだ?」

「姐さん系っての?主将かっこいいからさぁ。年下のファンが居るっぽい。ウチのクラスにも何人か居るっしょ?」

「あれ?そうなの?」

…全く知らなかった…!

そういえば私…、星陵に来てからは、この新しい環境に慣れる事や、身近な友達の問題に意識を向け続けていたせいで、中

学の頃ほど学校内の噂を調べていないし、詳しくもない。

名物生徒も何人か名前は知っているけれど、他の生徒と同レベルの情報しか入手していないわ。

いけない!基礎中の基礎、周囲の噂と興味の調査があまりできていない!

記事にするにしろしないにしろ、情報としては握っておくべきなのにっ!

…う〜っ…!さっきミナカミ先輩と話した時に、名物生徒の知り合いが居ないか訊いておけばよかった!

リストアップしていた生徒の一人、マガキ先輩とは確実に親しいでしょうし…、ルームメイトなんだから…。

こうなったら、忙しく無さそうな時期を見計らって、イワクニ先輩に話を聞いてみようかしら?

私個人が受けている印象と見た目通りにやっぱり人徳があるのか、交友関係がやたらと広いみたいだし…。

…とりあえず…、今ユリカから聞けるところまでは聞いておきましょう。

「アタックされたりもしているの?脈がありそうな相手とか居る?」

身近な情報源から話を聞くべく、突っ込んで訊ねた私に、ユリカはフルフルと首を振って応じた。

「うんにゃ。男子空手部の一年生なんかからアタックされてたけど、今は部活に集中してるからねぇ。み〜んな相手にされて

ないっぽいよぉ」

「ふぅん…。大会が終わって引退したら、言い寄る下級生の誰かには、幸運な子が出るのかしらね?」

クスクスと笑った私に、ユリカは難しい顔になって腕組みをしながら「それもどぉなんかなぁ…?」と応じる。

「主将、ずっと片想いしてる相手が居るらしいからねぇ…」

「片想い?誰に?」

「判んない。噂だから、噂」

「噂かぁ…」

噂っていう物、どうも無視できない性分なのよねぇ私…。

鵜呑みにはしないけれど、噂になる以上何かしらの原因はあるはずな訳で…。

少し興味が湧いたかも。…あのヒョウノ先輩が片想い…。本当だとしたら、相手はどんなひとかしら?

「…まぁ、恋愛感情って物をイマイチ理解できてないから、その方面の調べ物や推理は苦手なのよねぇ…。だから中学時代は

本人への突撃取材に頼っていた訳で…」

独り言として呟いた私に、ユリカは伺うような視線を向けて来た。

「やっぱ、興味あるひととかまだ出来ない?」

「できないわね。って言うか、勝手に「できる」物なのかしら?」

「サツキとかイヌイ君とかどうなん?仲良いじゃん」

「いや、それは…」

…好意うんぬん以前に、実に返答に困る問い掛けだわ…。

私が口ごもったのを見て、ユリカは何故か「んふぅ〜…?」と、意味ありげに顔を緩ませた。

…まずい。この子誤解しかけてるかも…。

「ユリカ。念の為に言っておくけれど、誤魔化しとかじゃなく、あの二人は本当に対象外よ?付き合ってる相手がちゃんと居

るんだから」

「え!?」

驚いたユリカに、私は肩を竦めながら続ける。

「二人とも、私なんかじゃどうあがいたって勝ち目がないような、ステキな恋人が居るのよ。中学の頃からね」

ちょっと情報を与え過ぎたと悟った私は、慌てて、しかしそれとなくユリカに釘を刺す。

「…秘密よこれ?親しい友達でもあまり知らないんだから」

「う、うん…。意外〜。サツキもイヌイ君も恋人居るんだ…。ねね?どんな子?」

「ステキな子。それ以上はノーコメント」

「え?ちょ、ちょっとだけ!もうちょっとだけ詳しく!」

「だ〜め。あんまり勘ぐらないであげて」

にじり寄って懇願して来るユリカを、私は適当にあしらう。

いくらユリカ相手にでも、あの二人の本当の事、許可無く言える訳ないじゃない。ねぇ?