第一話 「担任」(前編)

「失礼しました」

職員室から出てきた小柄な猫は、お辞儀をしながらドアを閉めた。

「部活じゃなかったのか?イヌイ」

たまたま通り掛ったボクが声をかけると、クラスメートのイヌイは首を巡らせて、少し困ったような顔を見せた。

「うん。そろそろ行かなくちゃいけないんだけど…」

イヌイの手には、見覚えのある紙…。ボクも使ったネット使用の許可申請書だ。

…そういえばイヌイ、最新型のノート持っていたもんな…。

「ネットの申請かい?」

「うん。バタバタしてる内に後回しにしちゃってたから、今日こそはって思ったんだけど…。トラ先生、居ないんだ」

「居ない?」

今日は、化学部の活動は無い。職員室に居ないなら、何処に行っているんだろう?

「探して、渡して来ようか?」

ボクの申し出に、イヌイはちょっと迷っているような顔を見せた。

「どうせ暇だしな。真っ直ぐ帰るつもりだったから」

そう付け加えると、クリーム色の猫は耳を伏せて微笑みながら頭を下げた。

「ごめん。お願いしても良いかな?」

「任せてくれ。しっかり届けるから」

ボクはイヌイから用紙を受け取り、笑みを返した。

…もちろん、ただの善意からこんな酔狂な真似をしてる訳じゃない。

イヌイのボクに対する評価を上げる為の行為だ。

ついでに言うなら、忙しい友人の頼みを引き受けるできた生徒として、先生の評価も上げられる可能性がある。

ま、見た目通りのただ働きじゃあないって事。

「さぁ、急いで行った行った。寮監とブーちゃん、二人きりできっと寂しがってるぞ?マネージャー」

冗談めかしてそう言ってやったら、イヌイはクスクスと笑った。

「ごめんね?有り難う!」

手を振ってから足早に去って行ったイヌイに、ボクは軽く手を上げて応じた。

そして、その小柄な体が通路を曲がって見えなくなってから、預かった用紙に視線を落とした。

…さて…、何処に居るかな、あのデブ先生…。

でっぷり肥えた大柄な虎獣人の姿を求め、ボクは校内の探索を始めた。

ボクは宇都宮充(うつのみやみつる)。一年生で、伊達眼鏡が理知的な、化学部所属の狐の獣人。ちなみに学級委員だ。



あんなにデカいのに、何故こうも見つからないんだ?

校内をうろついて三十分程が経つと、いいかげん嫌になってきた。

一度職員室にも戻ってみたが、やっぱり帰ってなかった。

…軽い気持ちで引き受けたけど、これは結構面倒だな…。

が、投げ出すのは嫌だ。約束うんぬんって言うより、中途半端が嫌いなんだよボクは。

意地でも見つけ出して、この用紙を手渡してやるっ!

…そう言えば、屋上にはまだ行ってなかったな?

登り階段を見上げ、ボクは立ち止まる。

…イメージに合わないけど、念の為に行ってみるか…。



屋上の扉を押し開けたボクは、その場で固まった。

長ランにドカン姿の、目つきの鋭い一団が、そろってこっちに視線を向けている。

「お?どうしたウツノミヤ?」

大柄な焦げ茶色の牛が、ボクに気付いて歩み寄って来た。

ウシオ副寮監…。そうか、屋上は応援団の練習場所になってるのか。

「練習の邪魔をしてしまい、申し訳有りません」

頭を下げたボクに、応援団長の副寮監は片手を上げて笑みを浮かべて見せた。

「構わん。練習場所とはいえ、屋上は全校生徒の共有物だ。それに、ワシらも丁度休憩しとった所で…こら!あまりジロジロ

見るな!ただでさえお前らはいかつい見た目しとるんだから…」

副寮監は追い払うように手を振って、他の団員達の視線を散らせた。

…どうでも良いけれど、いかつい見た目とか、あなたが言いますか副寮監…。

…にしても、団長プラス副寮監。いかにも堅そうな肩書きを二つ背負っている上に、いかつい見た目(自覚はないのか?)

の大きな和牛…。

にも関わらず、ウシオ副寮監は結構気さくで寛容だ。

 点呼の折、飼い猫の面倒臭そうな生返事以下の返答しかしないボクのルームメイトの態度を目にしていても、不機嫌そうな

様子をチラリとも見せた事は無い。

常々声がデカい事と、誰彼構わずに応援団への入団を迫る事を除けば、紳士的と言っても良い。

「景色でも見に来たのか?」

「いえ、先生を探していて…」

ボクの返答に、ウシオ副寮監は腕組みをして首を傾げた。

「ふむ?先生?練習開始以降、屋上へは誰も来ていないが…、誰を探しているのだ?」

「ボクの担任の、トラ先生です」

和牛は「ああ」と頷くと、相好を崩した。

「なるほど。良い先生が担任に当たったな」

…良い先生なのか…?とは思ったけど、とりあえず追従して、笑みを浮かべて頷いておく。

「男気溢れる良い先生だ」

…男気…!?別人の事と勘違いしてはいませんか副寮監?

意味不明な見解を述べた副寮監は、ボクの困惑には気付いた様子も無く、顎をなでながら目を細めた。

「あの先生ならば…、そうだな、裏門の辺りには居なかったか?」

ウシオ副寮監は、ここからでは実習棟の影になって見えない、学校の裏門方向へ視線を向けた。

「はい?いえ、そっちはまだ…」

「なら、行ってみる事を勧める。先生は、たまにあの辺りに居らっしゃるからな」

「そうなんですか?」

「うむ。桜が咲いている間は、特に良く居る」

…ああ見えて、花が好きなんだろうか?

イメージとちょっと違うけど、まぁ人それぞれだしな…。せっかくの助言だし、行ってみよう。

「有り難うございます。貴重な休憩時間をお取りして、申し訳有りませんでした」

「がははは!そうかしこまるなウツノミヤ!」

ウシオ副寮監は豪快に笑うと、くるりと向き直り、団員達に号令をかけ始めた。

「さぁ、休憩終了だ!気を締め直せ!」

『おぉっす!』

応援団員達の大声を聞きながら、ボクは会釈してドアを閉めた。

多少むさくるしさは感じるけど、応援団は嫌いじゃない。

見事に統率された一団は、見ている者をも引き締めるからな。



学校の裏手に回って、裏門の方へ歩いて行くと、ウシオ団長の言った通り、目当ての先生の姿がそこにあった。

山へと続く道を彩る桜並木。もっとも、今はほとんどが葉桜になっている。

その桜の木、一番手前側の一本の下に、白衣を着た、まるっこい虎が居た。

木の幹に手を当てて、ぼんやりと桜を見上げている。

…あれ…?

違和感を覚えて、ボクは立ち止まった。

ここから見える先生の横顔は、なんだか…、妙な感じがした…。

眼鏡の奥に見える、先生の眠そうに細められた目は、どこか懐かしんでいるようで、そして…。

…なんだろう?…寂しそう…な…?

しばらく立ち尽くしたまま、桜の木の下で佇む不恰好な虎を眺めた後、ボクはかぶりを振った。

…いけないいけない…、用事を頼まれていたじゃないか…。

ボクは気を取り直して歩みを再開し、足早に裏門を抜け、先生の所へ向かう。

「トラ先生!」

歩み寄りながら声をかけると、でっぷり肥えた大きな虎は、ゆっくりとこっちに顔を向ける。

「んん〜?ウツノミヤ?」

トロンとした、眠そうな細い目が、ボクを見て少しだけ大きくなった。

寅大(とらひろし)先生。ボクらの担任で、化学部の顧問でもある。

覇気に欠けた顔つき。太い鼻梁に乗せた眼鏡の奥には眠たそうな細い眼。羽織っている白衣はよれよれ。

開いた白衣の前からは、ワイシャツのボタンが飛びそうな、ムッチリした腹が突き出ている。

でっぷり肥えたその大虎は、世の大半が虎獣人に抱くと思われる、精悍にして勇壮たるイメージを、その強烈なビジュアル

で粉微塵に粉砕する。

「どうした?今日は活動日じゃないぞぉ?」

間延びした口調でのんびりと言う先生に、ボクは首を横に振った。

「お寛ぎ中に済みません。用事があってお探ししていました」

トラ先生は「ん〜…?」と、訝しげに目を細める。

「実はイヌイから…」

ボクは言葉を切り、フワリと目の前を過ぎったソレを目で追った。

桜の、花びら。

僅かに残っていた桜の花が、風にあおられてチラリと舞い降りる。

…鬱陶しい…。

ボクと先生の間を舞い、ヒラっと地面に落ちて行く、薄桃色の花びら。

…ボクは、桜が嫌いだ。

父が好きだった桜が、大嫌いだ。

狂ったように咲いて、見る間に散ってゆく。…まるで…、

「イヌイが、どうしたぁ?」

トラ先生の声に、ボクは我に返った。

「…済みません。預かり物が…」

気持ちを切り替えたボクが、制服のポケットから取り出して差し出した用紙を、肥満虎は目を細めながら受け取った。

「あぁ〜…。インターネットの使用申請なぁ。イヌイも自分のパソコンを持ってるのかぁ」

「そのようです」

「今年は多いなぁ申し込み。最近の高校生は進んでるなぁ…。私も、そろそろ自分のパソコンを持とうか…」

「まだお持ちじゃないんですか?」

ちょっと驚きながら尋ねると、先生は「ん〜」と、当り前のように頷いた。恥かしがるでも、気まずそうでも無く。

…今時、PCを使えない教師って?…いや、これは偏見か、使えないわけが無い。

職場のパソコンは使っているんだろうし、これまで自前のPCが必要なかっただけだろう。

「ウツノミヤ。もし時間があるなら、ちょっと付き合ってくれんかぁ?許可証はすぐに出せるから」

「ええ。それは構いません」

「じゃあ、帰ったらイヌイに渡してくれるかぁ?」

頷いたボクから視線を外すと、先生は桜の木を見上げ、その幹を大きな手でポンと叩いた。

親しい誰かとの別れ際に、「またな」と挨拶でもしているように。

…この先生は、桜が好きなのかもしれない。だから、散るのを惜しんで寂しがっていたのか。

…でも…、ボクは桜が大嫌いだ…。



「ちょっと…待ってて…なぁ…?」

屈み込んで、机の引き出しをゴソゴソやっている虎のでかい尻を見ながら、ボクはパイプ椅子に座っている。

先生は下の段の引き出しを引っ掻き回しているんだが、時折苦しそうにふぅふぅ言っていた。

無理も無い。屈み込んだ姿勢の先生の腹には、締めたベルトがギリリと食い込んでる。

ベルトはベルトで、内側からの贅肉の圧力に圧されて、時折ギチィッと、「切れちゃいます」的悲鳴を上げている。

ここは化学準備室。化学部の活動の場でもある化学室に併設する、物置を兼ねた部屋なんだが…。

「…汚い…」

「んん〜?」

思わず呟いてしまったボクの声に反応し、トラ先生が首を巡らせた。

「いえ、何でもありません」

決して広いとは言えないスペースには、所狭しと棚が並び、そこにごちゃごちゃと瓶詰めの薬品類が押し込められている。

他には冷蔵庫や、ゴチャゴチャと物が置かれた実験机や、スチールデスクが一つ置いてある。

どうやらここはこの肥満虎の巣でもあるらしく、机には先生の私物なんかも入っていたりするらしい。らしいんだが…、

「やっぱり職員室なんじゃないですか?」

「いやぁ、昼休みにここで使ったのは確かなんだが…」

整理整頓にだらしないのか、ハンコがなかなか見つからない訳…。

視線を移せば、ゴチャゴチャした机の上で、チロチロと火を出しているアルコールランプ。

その上には、黒い液体の入った丸底フラスコ…。…これ、中身はコーヒーだったりする…。

「お?」

しばらくゴソゴソやった後、普段はだら〜っと垂れている太くて長い縞々の尻尾が、珍しい事にピコっと上向きに立った。

 …まともに機能する所は初めて見たけれど、一応ちゃんと動くんだな、あの尻尾…。

 ようやくのそ〜っと立ち上がった先生は、机の上のペン立てやら朱肉やらの小物をゴソゴソと退けて、ケースに収められた

ハンコを太い指で摘み、掲げて見せた。

「あったあった。上に…」

「それは良かったです」

…机の上かよ…。でもまぁ本当に良かった。これでやっと帰れる。

肘掛け椅子に窮屈そうに尻を押し込むと、大虎はさらさらっと許可証にサインして、ハンコを押した。

「待たせて悪かったなぁ。じゃあこれ、イヌイの分なぁ」

「はい。しっかり届けます」

ボクは差し出された許可証を受け取り、それに視線を落とす。…先生は見た目によらず達筆だ。字が美しい…。

ボクが許可証を鞄にしまっている間に、先生はアルコールランプの上で熱せられた丸底フラスコから、ビーカーにコーヒー

を注いでいた。

「丁度コーヒーも温まったし、どうだね?」

はっきり言うと、どうだもこうだもない。謹んで全力で辞退させて頂きたい。

「どの器具もちゃんと煮沸消毒してあるから、大丈夫だぞぉ?」

いや、そもそも煮沸消毒が必要な実験用器具にコーヒーいれないで下さい先生。

「…頂きます」

色々と思うところはある。本当は断りたかったが、しかしそれで先生の心証を悪くしたくない。

ボクの気も知らずに、肥満虎は幸せそうな顔で、これもまたビーカーに立ててあるスティックシュガーを束で引き抜き、先

端を千切ってざぁっと…。

…い、今…、十本ぐらい纏めて投入してなかったか…?

「ウツノミヤは、砂糖何本だぁ?ミルクはどうするね?」

「あ。砂糖は一本だけ頂けますか?ミルクは抜きで…。いや、ボクがやりますよ?」

「まぁまぁ、これだけだから私がやろう」

そうやり取りをしている間にも、先生は自分のコーヒーに粉のミルクをドバドバと混ぜ込んでいる。

…太る訳だよ…。

手が熱くならないよう、ハンカチでくるんでよこされたビーカーを、かなり恐る恐る受け取る。

ボクはゆっくりと、警戒しながらビーカーを口元へ近付けた。

…香りは…普通だ…。というか良い匂いだ。

試しに一口啜ってみると、…あれ?これ、結構良いコーヒーじゃないのか?

「ははは。まともなコーヒーで、意外だったかぁ?」

少々驚いているのは見透かされてしまったのか、トラ先生はほとんど目を瞑っているような顔で笑う。

「あ、いや、えぇと…。コーヒー、お好きなんですか?」

「好きな方に入るかなぁ。前はそれほどでも無かったが、身近にコーヒーにうるさいヤツが居てなぁ。…まぁ、一回冷めたの

を、こんな風に温め直して飲んでるのを見たら、たぶん怒るだろうが…」

「こんな風」…。この加熱方法が普通じゃないって事は、一応自覚しているんですね先生…。

「ところで、ウツノミヤ」

「はい?」

「休みの日とか、どうしてるんだぁ?例えば、趣味とかだが…」

「まだ街に不慣れなので、散歩と道の把握がてら、最近の休日はちょくちょく出かけてますが…。趣味っていうなら、読書で

しょうか?」

本当はマンウォッチングなんかも趣味だったりするが、とりあえず回答は無難な所に留めておく。

トラ先生はコーヒーを一口啜り、さらに尋ねて来る。

「ふぅん…。どんな本を読むんだぁ?」

「いろいろ読みますが、主に推理小説ですね。ミステリー物が昔から一番好きです」

いくらか興味を持ったのか、先生はふむふむと頷く。

…良い兆候だ。共通の話題を見つけて、少し親しくなれるかもしれない。

はっきり言って、自校の教師でなければなるべく近付きたくないタイプではあるものの、好感を持って貰えなければそれな

りに困る。

「どんな作家の本が好きなんだ?私が読んだ事のある本もあるかなぁ?」

「そうですね…」

ボクは少し考えた後、これまでに読んだ多数の本の中から、特に好きな作品の作者の名前を思い浮かべる。

「櫻和居成(おうにぎいなり)先生とか…」

「は!?」

ボクがその名前を口にした次の瞬間、太った虎は、珍しく大きな声を出した。

黒縁眼鏡の奥の目をまん丸く見開き、口をぽかんと開けている。

「ど、どうかしましたか?」

ちょっと驚きながら尋ねると、目と口を大きく開けていた肥満虎は、目を細く戻し、口をぱこんと閉じた。

…どうでも良いですが、普通に目が開くこともあるんですね先生…。

「あ、ああ…、いや…、珍しいと思ってなぁ…」

…ん?ちょっと動揺している?何故だろう?

「…その作家、亡くなって十年以上経つだろう?何でまたそんな古い作家の本を読んでるんだね?」

先生は手にしたビーカーに視線を向けながら、少し意外そうに尋ねて来た。

「良作に古いも新しいもありませんよ。それに、別に珍しくもないと思いますよ?僕らの世代でもファンは結構多いです」

実際、イヌイも櫻和居成の熱烈なファンだしな。

「そうなのかぁ。…良ければ教えて欲しいんだが、どんな所が好きなんだぁ?」

そう尋ねて来た先生に、ボクはその作家の長所を挙げる。

「そうですね…。第一に、手がけるジャンルの広さでしょうか?ミステリーから純愛小説まで…、まぁボクの場合後者は読み

ませんが…、とにかく作品の幅が広く、まったく畑違いの物でも、一貫して筆者の味が出ているのが素晴らしいです。それに

加えて、煌めくような機知に、巧みな表現。魅力的な登場人物の気の利いたやり取りに、印象の強いセリフ回し…。魅力を挙

げればきりがありません。おまけに、「やられた!」と思わせる痛快な記述トリックや作中の仕掛けは、同年代の作家の中で

も飛びぬけた巧さ。それと、なんて言っても文章が読みやすくて、すらすら読み進められるのが良いですね。ボクには、作品

によってはちょっと物足りないと感じられる事もありますが…」

…あ…。

ボクは口を閉じ、黙って話を聞いていた先生の顔を窺う。

ついつい夢中になって、一方的に喋り過ぎた…。もしかして、引かれてるんじゃ?

「物足りなく感じるのは、文章の大半が見慣れた物…、一般的に使われる語句で構成されてるせいじゃあないかなぁ?」

ボクの心配をよそに、先生は特に気分を害した様子もなく、のんびりとした口調でそう言った。

「そうかもしれません。語彙が豊富な作家だったはずなのに、どういう訳か後期の作品になればなるほど、使い慣らされた表

現が多くなって…」

「それはなぁ、常用外の表現を少なくするよう心掛けるようになっていったからなんだ」

…ん?

首を傾げたボクに、先生は微笑んで見せた。

「さっきウツノミヤも言ったなぁ。文章が読みやすい。と」

「はい…」

「その読みやすい文章という物を、あいつは生涯追求し続けたんだ。あいつが作家としてデビューした頃は、ちょうど若者の

活字離れがどうのと騒がれていた頃でなぁ…。「字ばかりだから難しそうだと敬遠されるのは勿体無い。なら読みやすくて楽

しめる物を自分で書いてみよう」と…、それが、高校在学中に処女作を書いたきっかけだった。最初は友達にだけ見せるつも

りだったらしいがなぁ」

へぇ…。知らなかった…。というより、かなりの数を読んではいたけれど、そこまでは気付かなかった。

…この先生、やけに詳しいな?それに、結構饒舌になってる?

おまけに「あいつ」とか、やけに親しげな調子で呼んでる。…これは…。

「もしかして、先生もオウニギ先生のファンだったんですか?」

「ん?んん〜…。まぁ、そうだなぁ…」

先生は目を細めて、微妙な表情で鼻の頭を擦った。

なるほど、それでさっき驚いていたのか…。

考えてみれば、二十代半ばで夭折したあの作家は、生きていれば先生と同年代のはずだ。

彼が活躍していた時期が、ちょうど高校、大学と、二十代前半に当たっていた先生方の世代こそ、愛読者は多いだろう。

逆に、自分達が若い頃の作家というイメージがあったから、ボクらの世代でも読まれているとは考え辛かったのかもしれない。

これはしめた…。予期せず簡単に共通の話題が見つかったぞ。

「ところで…、ウツノミヤの使っているパソコンは、どんななんだぁ?」

「はい。ボクは…、えっ?」

あ、あれ…?せっかく話題を見つけたのに、話が変わってしまった…。

「ん?どうした?」

「あ、いえ、なんでもありません…。ボクのはですね…」

肩すかしを食らったような気分のボクが、愛用のノートの名前を挙げると、

「あぁ、コマーシャルで見るなぁ…。確か、双子のチワワ姉妹タレントが出ている…」

と言いながら、先生はウンウン頷いた。

「使いやすいかね?」

「使い勝手は良い方だと思います。ちょっと大きいですけれど、結構軽いですし、画面は見やすいですし…」

「そうかぁ…」

トラ先生はたるんだ顎を手でさすりながら目を細める。

元々細い目が、もう瞑っているように見えるほど細くなっていた。

たぶん考え事をしているんだと思うが、居眠りしているようにさえ見えて、少々心配になる…。

「…パソコン、買うかなぁ…」

やがて、肥満虎は顎をなでながら、ぼそっとそう呟いた。

お?食いつけそうな新たな話題だ。

トラ先生は、思案するように眉根を寄せて続ける。

「あまり詳しくないから敬遠していたんだが、そろそろ買い時かもなぁ…。インターネットを始めるのも、なるべく早い方が

いいだろうし…。持ち運びできるノートパソコンなら、狭いアパートでもそれほど邪魔にならないだろうし…」

確かに、先生の歳を考えれば、早めに覚えておいた方が良いだろう。

「よろしければ、買いに行く前に一度、ボクのPCに触ってみませんか?」

「ふむ?」

小首を傾げた先生に、ボクは続けた。

「買ってから失敗したと思っても遅いですし、せっかくですから、最近のノートがどんなものか、ちょっと触ってみたらどう

でしょう?」

「んん〜…」

先生は鼻で唸りながら天井を見上げ、しばらく考え込んだ後、

「じゃあ、頼んでも良いかなぁ?」

と、少し恥かしそうに、頬をポリポリ掻きながら苦笑いした。

「もちろんです」

ボクは優等生の笑みで、先生に応じる。

しめしめ…、株を上げられそうな予感…!