第十話 「ちょっとした遠出」

ボクは宇都宮充。クールに決まった伊達眼鏡がトレードマークの狐獣人。星陵の一年生で、化学部に所属している。

そんなボクは今、いつものメンバーと一緒に屋上で昼休みを満喫していた。

「では第三問。世界初の有人宇宙飛行を成し遂げた人物は?」

豆乳を啜りながらボクが出題すると、ガタイは良いが人相の悪いシェパードと、フグ提灯のように丸々太った大熊猫娘が、

揃って首を傾げる。

ボクは時々こうしてオシタリにテストと関係のない問題を出す。脳と知識に遊びを作る為だ。

ちなみにこれは子供向け雑学集からの出題だが、一見無駄な知識も実は何処で役に立つか判らないので馬鹿にはできない。

何かについて覚える際に予備知識として役立つ場合もあるし、何かに関連する事として記憶された物なら、ど忘れした何かを

思い出す際の呼び水にもなる事だってある。

事実、学年トップの成績保持者であるイヌイなんかは、物凄い雑学王だ。…時々妙な事を知らなかったりもするが…。

「ヒント、地球は青かった」

ボクのヒントを聞き、オシタリとササハラは『む〜…』と唸る。

「あー…、う…?ん…、んー、アイツだ…。ええと…何だ?」

「リンってゆぅよね確か?…リン…、リン…」

しばし唸った後、二人は全く同時に『あ!』と声を上げた。

「サッカリンだろ?」

「マーガリンだよねぇ!」

…面白過ぎるぞ二人とも。

「残念、どっちも不正解だ」

「なら間を取ってダージリン?」

「違う。そもそもそれは何と何の間なんだササハラ?」

「なら縮めてダーリン」

「当然不正解。縮めるとかそういう方面から答えを模索するな駄目犬。縮めて駄犬。正解はガガーリンだ」

「あぁ〜っ!惜っしい〜っ!」

惜しいか、そうか。そう思うならボクからは何も言うまい。

「紙一重か…」

お前の基準では紙の厚さは一体何光年単位なんだドブシェパード?

「オシタリ君、ピーナツサンド一ついる?」

屋上の手すりに寄り掛かっているクリーム色の猫が声をかけて来ると、オシタリは「貰う」と応じながら立ち上がり、そっ

ちへ歩いて行った。

傍に行った際にイヌイの隣のブーちゃんに何か言われたのか、何やら悪態をついている。

…平和だ…。

季節柄仕方ないとはいえ、雨期特有の鉛色の雲が空一面を覆ってさえいなければ、文句のつけようもない平和な昼休みだ。

が、シンジョウだけが、この憩いの一時を皆と共有していない。

恐らく先輩達と今後についての話をしながら飯を食っているんだろう。

忙しいのは判るが…、あんな事があったばかりだというのに、まだやり続けるつもりらしい。

アイツの辞書には「逃げる」とか「投げ出す」という文字は無いのかね?

…剛胆と言うか何と言うか…。まったく感心するよ。立ち止まらないお強い女。

……………。

…アイツのような気概があれば…、ボクの父もあんな真似はしなかっただろうか…?

…ボクはまだ、家族と暮らしていただろうか…?

「ウッチー?」

辺りを憚るような潜めた声をかけられ、ボクは手元に落としていた視線を上げる。

太り過ぎて頬まで丸々と張ったパンダは、ボクの目を窺うように覗き込んだ。

「どったん?急に元気無くなったっぽいけど…、お腹痛い?」

「いやそうじゃない。ちょっと考え事をしていただけさ」

ササハラは「ふぅん」と鼻を鳴らすと、にへ〜っと顔を緩ませた。

「困り事ならおねーさんに相談してみなさい?」

「何がおねーさんだよ…」

「んふ〜っ!あたしねぇ、明日で16歳なんだなぁ!」

…それでおねーさん面してみたくなったのか…。

「それはおめでとう。…数学の問題集かメリケンサックでもプレゼントしようか?」

「うわぁ…どっちもいらなぁい…」

「それは残念だ。ならグレードを落として、昼飯のおかずに…そうだな、学食で売ってる極太ポークソーセージでもプレゼン

トしようか?」

「うはっ!やりぃっ!」

ポッテリと厚い手を胸の前でパンと合わせ、耳を寝せながら嬉しそうに笑うササハラ。

シンジョウもシンジョウだが、ササハラもササハラだ。あんな事があったばかりなのに、もうすっかり元気になっている。

まったく、女子連中の底抜けバイタリティには、ほとほと呆れ、感心すらさせられるな…。



放課後、部活も無かったボクは、本日発売の新刊を求め、商店街の書店へ足を伸ばした。

本日の目当ては、密かに支持していたちょっと前までマイナーだった作家の新作。

…だったんだが、作品の一つがドラマ化された事で、にわかファンが急増したらしく、どこも品切れだ。

商店街の大型店舗二件を回り終え、駅前の小さな書店二つも覗いてみたが、一冊も無い。

たぶん版数が少なかったんだろうが…、正直困った。学生であるボクは授業もあるので、当然ながら夕方まで書店には行け

ない。その間にこうして売り切れてしまったらアウトだ。

…くそっ…。予約しておくべきだったか…。

このまま引き返すのも悔しい。ちょっと足を伸ばして川向こうに行ってみようか?

バスを利用するかどうか悩みながら、駅前ロータリーへ足を向けたボクは、斜め前方からこっちを見ている者が居る事に気

付いた。

ボクを目に止めて足も止めたといったところか、体は横向きのまま首だけをこっちに巡らせているのは、中性的と表現でき

るほど綺麗に整った、超美形の狐だった。

紺色の着物姿の狐の腕には、白い仔猫が抱かれている。

その小さな顔が、主人の視線を追うようにしてこっちに向いた。

「みぃ〜っ」

高い、そして幼い声が、駅前を行き交う車の音の隙間を縫ってボクの耳に届く。

「あっ…」

小さく声を漏らした狐の腕から飛び降りた白猫は、ボクの所へトトトッと駆けて来た。そして顔を見上げ、一声「みぃ」と

鳴くと、ゴロゴロと喉を鳴らしながら足に頬ずりする。

「元気そうだな二号」

仔猫を見下ろしながら呟いたボクは、下向きにした視界の上端に雪駄と足袋を履いた足を捉え、顔を上げる。

ユニセクシャルな狐の顔が、ボクに品の良い笑みを向けていた。

「お久しぶりですね、確か…ウツノミヤさん?」

神座(さくら)さん。この辺りにある古くからの名家の当主で、何でも大地主で資産家らしい。この二号…もといユキマル

の飼い主だ。そしてボクらの担任のトラ先生と馴染みでもある。

関係までは良く知らないが、彼が先生の事を「ヒロさん」と名前…しかも略称で呼んでいる事から、相当親しい事は察せら

れる。

「はい。その節はお世話になりました。サクラさん」

会釈しつつ無難な返事をしたボクは、少し驚いていた。

皆で一度会っただけなのに、その中の一人であるボクの名前まで覚えていたのか…。

サクラさんは一人じゃなかった。歩み寄って来た彼の少し後ろには、ずんぐりとした若い男が立っている。

前回見た黒服達とは違う。甚平…と言うんだったか?薄手の和服に膝上までの下穿きを纏うその男は、黒褐色の猪だった。

背はたぶん170センチ強。だが、全体的なボリュームは相当な物だ。肥満していて。

本家本元、何せ猪獣人なのだから当然の猪首は、筋骨逞しい肩から頭までがなだやかな山型のラインを描いて一続きになっ

ていて、首が存在していないようにも見える。

腕も脚も異様なほど太く、足も相当でかい。そのでかい足につっかけたビーチサンダルはカラフルなイエロー&オレンジ。

全体から見てそこだけ嫌に浮いていた。

腹がぼっこり前にせり出している結構なおデブだが、何か激しいスポーツでもやっているんだろうか?胸は分厚くて肩や腕

は筋肉で盛り上がっていた。

その姿をちょっと観察したボクは、ビルを壊す時などに使われるクレーンに付いた鉄球…、アレを連想した。硬くて重くて

丸い…、比喩はちょっと大袈裟だがそんなイメージ。

スラリとした細身のサクラさんと並んでいると、その極端に固太りした体型は一層際立って見える。

猪特有の厳つい顔と衣類のせいか若干おっさんくさいが、二十歳までいっていないだろう。歳はたぶんボクらより少し上く

らいかもしれない。

8の字を描くようにボクの足をスルスルと擦りながらグルグル回っているユキマルを見下ろし、厳ついデブ猪は不満げに大

きな鼻を鳴らした。

「なんでぇなんでぇユキマル。俺っちにはさっぱり懐かねぇくせによ。やっぱ顔なのかぁ?」

「大きいひとがちょっと苦手なだけなんですよねぇ、ユキマル」

クスクスと笑うサクラさんに、猪は納得行かないような顰め面を向けた。

「俺っちとコセイさんじゃあ、そうタッパ違わねぇような…?」

「背は変わらなくとも体積は大違いですよ。イノタ君は私と違って逞しいですからね」

イノタっていうのかこの猪。…名前?それとも名字だろうか?まぁどうでも良いんだが。

「あぁ失礼しました。こちら神原猪太(かんばらいのた)君。家ぐるみで付き合いをしている遠方の知り合いの次男さんで、

高校三年生です。学校の創立記念日と日曜が続いた二連休を利用して、わざわざ我が家に遊びに来てくれていたんですよ」

別に欲しくも無い説明まで加えてデブ猪を紹介してくれる、相変わらず微笑したままのサクラさん。マメって言うか何て言

うか…。

「武者修行って言って貰えねぇすか?」

「食っちゃ寝してユキマルと追いかけっこするのが…ですか?そんなだと一層お腹が出て来てしまいますよ?何せこの半年で

二割も増量したと兄君からお伺いして…」

「そうチクチクつつかねぇで貰えませんかね?せっかく家離れて煩ぇ兄貴から解放されてんのに…。ユウヒさんだってそうだ

し、ジンノ一家だってあんな太ってても皆一流じゃねぇすか?このぐらいは問題ねぇっすよ」

不満げな猪に微苦笑を向けたサクラさんは、あっちのカンバラさんとやらにも同じようにボクの事を丁寧に説明する。

「へぇ、ニコ下かぁ。どぉもどぉも、俺っちイノタ。ヨロシク」

猪は厳つい顔を緩めて太い腕を伸ばし、ボクに握手を求めて来た。

無視するのも失礼なので仕方なく応じたボクがごつくて分厚い手を握り返すと、猪はニコニコしながら軽く上下にシェイク

する。

「しっかし何でまぁ狐ってなぁ色男ばっかなんだろねぇ。羨ましくて仕方ねぇやね」

ふふん…。判ってらっしゃる!

カンバラさんはボクの手を放しながら、「俺っちなんてこんなだぜぇ?」と、両頬を手でぶに〜っと押し、笑える顔を作っ

て見せた。…不覚にもちょっと吹いてしまった…。

この丸い猪は、その強面に反して結構気さくで社交的なようだ。おまけに剽軽者でもあるらしい。我がルームメイトにも見

習って欲しい部分が多々ある。

「イノタ君も恰好良いじゃないですか。見るからに強そうで頼り甲斐がありそうで頼もしくて。クラスの女の子などは放って

おかないんじゃないですか?」

「そりゃ無い無い。そもそもウチ男子校だから。クラスの女って担任のオバハンセンセしか居ねぇから。…っつぅかコセイさ

ん、相変わらず「恰好良い」の価値観がおかしぃやね…」

…あれか?トラ先生の事を「良いですねぇ、男前の先生が担任で」とボクらに言っていたのは、お世辞とかじゃなく本気だっ

たと?

当のサクラさんは駅前の時計塔を見遣り、「ん?」と首を傾げる。

「あぁ…。イノタ君、そろそろ行かないといけませんね…。電車が来ます」

「え?まだ土産モン買ってな…」

反論しかけたカンバラさんの太い腕を掴んだサクラさんは、

「お引き留めして済みませんでした。お暇な時にでもまた遊びにいらして下さい」

と、微笑みながらボクに会釈し、ひっくり返ってボクの靴にじゃれついているユキマルに声をかけた。

ユキマルは「にぃ〜」と返事をしつつ、歩き出したサクラさん達の後をトコトコついて行く。

「駅ん中でも土産売ってましたっけ?」

「大丈夫ですよ。ほらほらユキマル、何処へ行くつもりですか?」

二人と一匹が賑やかに駅へ向かう様子を見送り、ボクはバス停に向かった。

サクラさんはカンバラさんの家を遠方と言っていた。電車で帰る彼を送りに来たんだろうな。

そんな事を考えながら歩き出したボクは、ちょっとした引っかかりを感じていた。

…はて、カンバラねぇ…。何処かで聞いたような聞いていないような…。



無かった。

奮発してバスを利用し、川向こうの駅前まで出向きながらも、ボクは見事に空振りしてしまった。

くそっ!人気作家になった途端に手に入りにくくなるなんて!初版数増やせよ出版社!これまでと同じ版数だったら余裕で

売り切れする事ぐらい見越せよ!

えぇい…!癪だからこのまま商店街方面へ行ってみようか?

幸いにも駅前からアーケードが続いているし、書店の一つや二つ、迷う程込み入った道に入らなくとも見つかるだろう。

錆の浮いた看板を入念にチェックし、書店の名前と位置を確認したボクは、アーケードには一つしか無い事に落胆しながら

も歩き出した。

…これから行く書店も空振り率が高いだろう事を考えると、足取りも重くなるなぁ…。



…おかしい…。

アーケードに足を踏み入れてから十数分後、頭の中に叩き込んだ書店への略図を思い浮かべながら、ボクは周囲を見回した。

無いぞ?確かこの辺のはずなんだが…。えぇと…、アーケード奥へ向かって進行方向右側、乾物店の並びだろう?それで…、

ゲームセンターの斜め向かい辺りで…、むむ…?他の店は記憶した通りの配置だが、書店が…。

ボクはキョロキョロしながら途方に暮れる。再確認しようにも、不親切極まりない事に、見える範囲には看板も無い。

…土地勘も無いから無闇に探し回ったら迷う可能性もある。あまり遅くなっても困るし、癪だが今日は諦めるか…。

遠出した挙げ句収穫無しとはな…。落胆と軽いムカつきを胸に抱えながら引き返そうとしたボクは、ゲームセンター前のク

レーンゲーム機前で肩を並べている、そこそこ大柄な二人に目を止めた。

それは、似ているような似ていないような、妙な二人組だった。

片方は白い犬だ。モサモサと毛が多い上に体格が良い…っていうよりやや太目だな。フサフサの尻尾を左右に揺すってる尻

がやけにでかい。

…この犬種は…、確かサモエドとか言ったっけ?

もう一方は黒猫だ。同じくモサモサした毛に覆われていて固太りしている。種がかなり違うんだろう、イヌイとは顔つきか

ら体付きから骨格レベルでまるっきり違うな、かなり骨太だ。

…あれ?このモサモサ黒猫どこかで見たような…?

170ちょっと程度の身長、太目の体型、モサモサの毛と、見た目は似通っているその二人は、物凄く対照的だった。

違いが如実なのは毛色と種族についてもそうだが、何より表情や雰囲気が。

ガタイの良い骨太黒猫は口数が少なくて表情に乏しく、むっくり白犬は終始明るい表情を浮かべていて、とにかく良く喋っ

ている。ほぼ一方的に。

店前の箱形筐体、クレーンゲームにトライしている白犬は、学生服姿の虎猫を難なくゲットし、ガッツポーズを取る。

へぇ、やるもんだ。あれって確か最近寮監達が夢中になっているスクールアニマルとか何とかいうシリーズ物の景品キャッ

チャーだよな?何日もトライし続けてようやく4体目をゲットしたとか聞いたんだが…。

ちょっと感心したボクは、次いで眉根を寄せた。

…サモエドの脇…、ビニール袋に入っているのは…十数体の人形?

ボクが驚いている間にも、サモエドは新たにランニングシャツと短パンにタスキを身につけた駅伝スタイルの兎を吊り上げ

ている。

「…でさぁ、トッシーが言う訳よ、「もっとオシャレに気を遣えば良いのに」とかってさぁ。元が元だからお洒落したって仕

方ねーじゃん。な?」

「そうだね」

「…いやネコヤマ…、形だけでも否定してくんないかな今んトコ?」

喋り続けながらも、ぼってりしたサモエドの器用そうに見えない手は、正確な操作でクレーンを動かし、次の人形を捕獲し

ている。

何だアイツ?クレーンゲームのプロ?

投入していたコインが尽きたのか、クレーン達者なサモエドは体をほぐすようにして身を捻った。

その拍子に、ボクと目があう。

サモエドは一瞬「ん?」と、眉根を寄せて訝しげな顔になると、次いで突然こっちに体ごと向き直り、のしのしと数歩進ん

で来る。

「何か用?」

目を逸らしたけれど後の祭り、サモエドはボクが身を翻す前に声をかけてきて、黒猫も振り向いてボクを見ていた。

「ああいや、どうも済みません。上手だなぁと感心して…。失礼しました」

やばい。体格の良いこの二人にからまれでもしたら厄介だ。

さっさと立ち去ろうと考えたボクに、訝しげな目を向けていた黒猫が話しかけて来た。

「キミ、陽明の生徒じゃないね?確か…定期戦で向こうの柔道部の応援に来ていた」

…あれ?どこかで見たような気がすると思ったら…、この黒猫、柔道部関係者か?

そういえば、ブーちゃんと試合した中に黒猫が居たような…。

ああ、そうだ。たぶんあの選手だ。

ブーちゃんの巨体と比べて見ていたから、あの時は体格が良いようにも感じていなかった。その上、柔道着姿と制服姿では

ガラッと印象が変わるせいだろうか?ヒントが出るまで全く思い出せなかった。

「ええ、知り合いの応援に行っていま…」

「なんだ星陵の子だったのか。どうりで見たこと無い顔だと思った。何年生?」

ボクの言葉を遮り、サモエドが興味深そうに言った。

「一年生です」

「へぇ。んで?何でまたわざわざこっち側まで?川向こうからこっちまで迷子中?…って訳ないよなやっぱ。あはははっ!」

快活に笑う犬と無表情な黒猫からは、悪意のような物は感じられない。「オレらのシマで他校生が何してやがる!?」…な

んて因縁を付けられる事は無さそうだ。

売り切れの本を探してこっちまで探しに来たのだと、おおまかに事情を説明したボクは、

「案内板を頼りに書店を探していました。この辺りだと思うんですが見つからなくて」

と、ウロウロしていた現状について仔細を語る。

「ああ、それならホラ、そこの店」

サモエドは太いせいで短く見える人差し指をピッとボクの後方に向けた。

首を巡らせたボクが百円均一ショップを見遣ると、

「あそこが本屋だったんだけどさぁ、ちょっと前に潰れちまって、今は百均になってんだよね」

「え?」

「もう駅前の本屋を覗いたんなら、他にはこの近くには無いなぁ。ちょっと歩けば小さい店があるけど…」

サモエドは気の毒そうに耳を後ろに倒し、ボクを見つめた。表情がコロコロと変わる上に、顔の作り自体が柔和で明るそう

だ。端的に言えば人の良さそうな顔をしていると表現できる。

「エド。案内してあげたらどうだい?」

ボクがどうしようか悩んでいると、口数の少ない黒猫がそんな事を言い出した。

「あの書店なら帰り道の途中だろう?」

「そうだけど…」

少し躊躇うような素振りを見せたサモエドに、黒猫は続けた。

「オレの方はもう良いよ。こんなに取って貰えれば十分だから」

「そっか?それで足りる?」

「十分。代金、渡しておくよ」

「毎度あり。ははっ!久々だから張り切っちったい!」

どうやらサモエドは黒猫の代理で人形捕獲をしていたらしい。黒猫からお札と小銭を受け取ったサモエドは、「そんじゃあ」

とボクに向き直って、ニカッと開けっぴろげな笑みを見せた。

「帰る途中にある店だからさ、良ければ案内してやろっか?」



帰るついでだからと書店までの案内を買って出てくれたムクムクの犬…サモエドは、エドと言うらしい。

「ま、エドワウとかムクムクとか副会長とか、皆好き勝手に呼ぶけどさ」

鈍重そうな見た目とは裏腹に快活に良く喋る白犬は、ボクを案内しながら、時折すれ違う相手…陽明の生徒から会釈された

り挨拶されたりしていた。

その都度挨拶を返すエドさんのずんぐりした姿を眺めながら、ボクは不思議になる。

このひと顔が広いのか?陽明内の有名人なんだろうか?

アーケードから脇に入った道を曲がる事四度。ここまで来ると辺りはもう裏通りと言った風情で、民家ばかりで店が無い。

人通りも徐々に少なくなっている。だが、寂しい雰囲気を全く感じないのは、喋り続けている白犬のせいだろう。

オシタリぐらい無口なのも困り者だが、こんなひとと寮が同室だったら疲れるかもしれない。

「…で、ウツノミヤ君は部活とか何かやってんのかい?」

「一応化学部に」

「ほぉほぉ文化部か。イメージに合ってるなぁ。君頭良さそうだし」

ほほう…。なかなかに見る目が確かな御仁じゃないか。

ところで、エドさんは何かやっているんだろうか?さっき挙げた呼び名の中に副会長っていうのがあったが…。

その事を尋ねてみようかと、「あの…」と口を開いたボクは、

「着いたぞ。ここ」

突然足を止めたエドさんの声に、質問を遮られた。

首を捻って横の細い通りを見遣る白犬の視線を追うと、物凄くボロい木造の書店が細い通路の先にキュッと縮こまっていた。

…これは判りづらい…。

一見期待できそうにないが、間違いなく穴場だろう。もしかすると…。



二冊だけだが、雑に積まれた新刊コーナーにあったその本を手に取り、

「あった…!」

と、思わず声に出して呟いたボクに、くっついて来たエドさんは「そりゃあよかった」と笑いかける。

実は、ここまで来ればもう十分だからと、店の前でお礼を言って別れようとしたんだが…、

「帰り道で迷うかもしれないから。判り辛いだろこの辺の道?」

と、エドさんは帰りもアーケードへ戻るまで案内すると言ってくれた上、店内まで付き添ってくれた。

結構いいひとだ。若干騒々しいが。

「遠出までして空振りすると切ないもんな。収穫あって良かったじゃん」

「全くです。お陰様でそうならずに済みました。有り難う御座います」

お辞儀したボクに、サモエドは「なんのなんの」と、耳を寝せて照れ笑いを返し来た。

いそいそと会計を済ませ、終始喋り続けの案内を受けてアーケードまで戻ったボクに、エドさんは、

「ここまで来ればオッケーだよな?」

と、足を止めて向き直った。

「はい、もう大丈夫です。本当に助かりました」

丁寧にお辞儀したボクに、むっくりサモエドが笑みを深める。

「んじゃ俺あっちだから。だいぶ暗くなって来たし、道中気を付けて帰んなよ?」

駅とは逆方向を指し示したサモエドは、片手を挙げて挨拶し、ボクは再び深いお辞儀でそれに応じる。

歩き去って行くむっくりした後ろ姿を少し離れるまで見送り、踵を返して足を踏み出したボクは、ふと思い出した。

…何やってるひとなのか、聞きそびれたな…。



翌日の放課後、分厚い眼鏡をかけた人間女子は、

「そのひと、陽明の副生徒会長さんじゃないかしら?」

自販機の前で野菜ジュースを啜りながらそう言った。

目の下にクマが浮いている疲労の色が濃い顔は、包帯でぐるぐる巻きになった右手と相まって痛々しい。

「副生徒会長?」

「ええ。ムクムクした白犬でしょ?たぶんそうよ。私もそう詳しくはないけれど、相当な人気者みたいね。敏腕生徒会長と人

望の副会長…、双璧を為す陽明生徒会執行部のトップね。こっちで言うところの名物生徒よ」

さすがはシンジョウ、もしやと思って訊いてみたんだが、あっちの学校の著名人も知っているのか。

納得行った。道中で頻繁に挨拶されたりしていたのはそのせいか。

「柔道部の黒猫の方は、ネコヤマ先輩っていう県下トップレベルの選手よ。今年は何と全国出場。こっちも相当な有名人ね」

「なるほどな」

疑問が解けてスッキリしたボクは、改めてシンジョウの顔色を窺う。

「…だいぶ、キツそうだな」

「キツいわね。かなり」

否定する事もなくあっさり頷いたシンジョウは、「けれどね」と微かな笑みを浮かべた。

「キツいけど、辛いとは思わないのよ」

「あんな目にあったのにか?」

「そうね…。巻き添えにしちゃったユリカには済まないと思うけれど…」

一度目を伏せて言葉を切ったシンジョウは、それほど大きくは無いのにはっきりとした口調で言った。

「もうね、意地でも立ち止まるもんですかって、かえってやる気が出てきたわ」

シンジョウが自分を鼓舞している訳でも、強がりを言っている訳でもない事が、ボクには何故か判った。

「断固、徹底抗戦あるのみよ」

決意に満ちた言葉を静かに吐き出したシンジョウに、ボクは肩を竦めて見せた。

「…つくづくコワい女だ。キミを敵に回してしまった連中に、ほんの少しだけ同情するよ」

「あら、仲間には優しいのよ?これでも」

「それが事実である事を願う」

クスクスと笑うシンジョウに、ボクはニヤリと笑い返した。

こいつは大丈夫だろう。

手折るには、困難極まるお強い女…。可愛げは無いが根性はある。

心配すべきはシンジョウがどうこうって事についてじゃないな。

本当に心配なのは、こいつにまた何かあった時、今回は何とか堪えたオシタリとアブクマが、また我慢できるかどうかとい

う事だ。

ブーちゃんはあれ以来ずっとむっつりしてるし、オシタリに至っては口数が増えるという異常現象が発生しているからな…。

「あ〜あ、楽しいばかりじゃ済まないものねぇ…。無事に入学できて、新聞部に入って、後は充実した三年間を過ごすだけだ

と思っていたのに、予定とは随分違う方向へ、それも随分遠くまで来たものだわ」

嘆息したシンジョウに、ボクは肩を竦める。

「何を言うんだか。欲しい物を手に入れるための、ちょっとした遠出だろう?」

「他人事みたいに軽く言ってくれるわね?」

「他人事だからな」

ボクの返答のどこが面白かったのか、

「でもまあ…、必要な遠回りである事には違いないわ」

シンジョウはクスッと笑ってそう言った。