第十三話 「オシタリの奇行」

大きな背中におぶられ、2メートル近い位置から床を見下ろしつつ、ボクは口を開く。

「悪いな、ブーちゃん…。疲れてるだろうに寮までずっと…」

ボクをおぶった大きな熊は、ふらつく様子も全く無い、力強い足取りで歩みながら、声を上げて豪快に笑った。

「ぬははははっ!気にすんな気にすんな!ホレ、ウッチーフレンダーだし、軽いモンだって!」

「スレンダーね」

寮のドアを押さえて僕らを通してくれたクリーム色の猫は、足早に追って来て横手に並ぶと、こっちを見上げて微苦笑する。

イヌイの手にはボクの荷物。何から何まで気遣われて、居心地が悪い程だ。

「あれ?俺今スレンダーって言わなかったか?」

「うん、一文字違い。惜しかった」

言い間違えて恥かしげに耳を寝せるブーちゃんと、微笑みながら頷くイヌイ。

…今のは「惜しい」の範疇に入れてしまうんだな?イヌイの場合…。寛容というか何と言うか…。

ふむ…、誉めれば上向きになるヤツも居るらしいし、今度試しにオシタリへの声がけも少し緩めてみようか?

ボクは宇都宮充。星陵の一年で化学部所属。伊達眼鏡がトレードマークの狐獣人。

林間学校中の不慮の事故により負傷し、療養中の身だ…。

「一応静かに歩いてるけどよ、足に響かねぇか?」

「平気だって。そもそも、一晩だけ安静にしたら歩いても良いって医者に言われているんだから」

そう。先生もアブクマもやけに気を使って来るが、本当は肩を借りるだけで十分。何せ踵に重心を置いたりすれば、右足を

ついても平気なんだから。

なのにこの大熊ときたら、

「悪化させちゃマズいだろ?親御さんから離れて暮らしてんだ、早く治して元気にしてねぇと心配かけちまうぞ?」

と、余計な気遣いまでしてくれた。

変に反論して突っ込まれても困るし、結構強引だったし、イヌイも強く勧めて来るから結局はおぶられて下校したが…、実

は道中かなり恥かしかった…。

危なげもなくのっしのっしと階段を登るアブクマの背にしがみ付き、ボクは少し後ろめたい気分になる。

妙な話だ。隠し事なんていくらでもあるし、誰にだってしているのに、アブクマにだけ後ろめたく感じるなんて…。

この気の良い古馴染みの熊は、ボクの家庭がどうなったのか知らない。

今もボクには実家があって、皆がそこで暮らしていると思い込んでいるはずだ。

ワイシャツ越しにもフカフカさを感じる広い背に、ボクは心の中で語りかける。

…居ないんだよ。キミが知っているボクの家族だった皆は、もう、誰一人残ってないんだよ、ブーちゃん…。



「ここで良いよ。着替えぐらいは一人でもできる」

寮の部屋に入った所で、ボクはアブクマにそう訴えた。

「着替えは寝室に置いてんだろ?せっかくだから連れてくって」

「有り難いが、そこまでして貰わなくても平気だ。それよりキミらも着替えた方が良い」

逞しく広い肩を、感謝を込めてポンポンと叩くと、ブーちゃんはピタッと動きを止める。

「…まさか…」

「ん?」

「…今まで気になってなかった…、気にしてなかった…、けど、まさか…」

「何だよ?」

硬い声音で呟くブーちゃんの背で、ボクは首を傾げた。

見れば、ドアのところに立ったままのイヌイも眉根を寄せ、ルームメイトの後頭部を眺めている。

「…俺…、ひょっとして相当汗臭ぇ…?」

山のような図体から発せられる、かなりか細い震え声。

どう答えたものか迷っていると、後ろでクリーム色の猫が「ん〜…」と唸った。

「ちょっとアレ…、切ったまま暖かいとこに出しっ放しにしてて悪くなりかけた西瓜みたいな臭いがするかも?」

イヌイ。的確だけどその表現はどうかと思う。

「…悪くなりかけた西瓜…」

大熊の耳がペタンと寝た。

「うん。えっと…、お台所の三角コーナーに放り込んだ、食べ終わって皮だけになった西瓜…あるよね?あれがしばらく経つ

と出し始める臭い?」

イヌイ。より判り易くなったが、わざわざ掘り下げる事は無いと思う。

「…西瓜の皮…」

大熊がカクンと項垂れた。

……………。

気まずくなるような会話は、ボクを降ろして部屋に帰ってからにしてくれ二人とも…。



「あ…。おかえり」

着替えてからリビングに戻ったボクは、ガタイの良いシェパードの姿を目にして声をかけた。

いつの間にか帰って来ていたオシタリは、ボクを横目でちらっと見て、「おう」と相変わらず無愛想な返事をする。

そんないつも通りの挨拶の直後、ボクはハッとした。

…しまった…。

携帯と一緒に保険証もテーブルの上に置きっ放しにしていた。…見られたかな?

それとなく様子を窺ってみたが、オシタリはテーブルに視線を向けもしない。ザックの中身を取り出す事に集中している。

…元々あまり注意力がある方でもないし、気付かなかったんだろうな…。

まぁ、こいつの頭じゃ見たところで何処が変わっているのか判らないかもしれないが。

ボクはテーブルに歩み寄り、保険証をそっとポケットに仕舞いこんだ。

「あのよ…、DVD、借りて来た…。ろくに歩き回れねえんじゃ暇だろ?」

無愛想に密度の高い毛が生えたようなルームメイトは、そう言って僕を驚か…。驚っ…。…!?!?!?

「…何だよ?変なツラしやがって…」

「何か悪い物でも食ったのかオシタリ!?それともあれか!?熱中症か!?高い所に行ったし酸欠か!?」

ボクが心底心配してそう声をかけたら、シェパードは露骨に顔を顰めた。

「どうしたんだキミ!?熱は!?どこか痛まないか!?その奇行は自覚できているか!?住所と名前言えるか!?年齢は!?

傷は浅いぞ!しっかりしろっ!」

「てめえこそしっかりしろ!…っんだよ…!珍しく気ぃ利かせてやれたと思や、気色悪ぃ心配しやがって…」

オシタリは吐き捨てるようにそう言うと、気味の悪い物でも見たような顔つきになって耳を伏せ、尻尾を尻の下に巻き込む。

「見たまんま健康だ。釘踏んだ程度でへばるてめえと違ってよ」

「…傷は深いぞ。がっくりしろ」

あまり心配させるな。キミが気を利かせるなんて真似、雪が降ってもおかしくない異常行動だぞオシタリ。

そんなやりとりを終えて、オシタリが取り出したるDVDは「人狼探偵」。シリーズの一作目にあたる映画だ。これはボク

もファンである故、櫻和居成の人気作品が映像化された物で…、って…。

「…見たじゃないか。この間」

「面白ぇんだから良いだろが。暇しねえだろ?」

無愛想極まりない投げやりな口調で応じるオシタリ。…そもそもそのシリーズ、ボクがキミに紹介してやったんじゃないか。

…まぁ、贅沢は言わないでおこう。気を遣うなんて真似をしてくれただけで、こいつにしては上出来だ。少々気味が悪いが。

そうか、学校での解散後こいつだけさっさと居なくなったが、帰りに商店街まで行ってDVDをレンタルしていたのか…。

てっきり応援団関係で連絡か何かが入ったのかと…。

「…他にもいくつか借りて来た。一週間レンタルだし、三本以上借りると安かったし…。…っんだよ…。薄気味悪ぃツラで笑

いやがって…。釘踏んで妙なツボでも刺激されたんじゃねえだろな?」

「キミも釘を踏め。健康サンダルの足ツボマッサージ程度じゃその脳は活性化しないだろうからな。いっそ剣山でも踏め」

この辺りはもういつも通りのやりとりに戻っていたが、このしばらく後の夕食前に、ボクを再び仰天させる、普段のオシタ

リらしからぬ爆弾発言があった。

「…食堂まで、肩貸してやるよ…」

と、思い切りそっぽを向きながら素っ気無い口調で。

…本当に大丈夫だろうか?我がルームメイトは。

実は脳内出血とかしてるんじゃないだろうな?

いや、期末テストも何とか無事に終わって夏休みも接近しているし…、それで他者に優しくなっているのか?



「風呂、入って良いのか?」

夕食を終えて部屋に戻ると、オシタリは開口一番ボクに問いかけて来た。

「医者が言うには、湯船には浸かっちゃいけないんだとさ。傷が濡れないようにビニール袋か何かで包んで、シャワーを浴び

るだけだな」

テーブルの傍に腰を下ろしながら応じたら、向き合って座ったシェパードが「いつまでだ?」と問いを重ねる。

「少なくとも今日明日の二日。明後日には傷口を処置して貰いに行くんだが、その時に許可が出れば、以後は普通に入浴可だ」

ボクが踏んだのは、雨ざらしになっていた朽ちかけの板にくっついていた錆釘だ。

本当に心配なのは傷の深さそのものより、何らかの感染症にかかったりしないかという事なんだが…。

ま、医者の話じゃその可能性は低いらしいし、余計な事まで喋ってさらに心配されてもちょっと気味が悪い。何よりそういっ

た話はオシタリには難しいかもしれないし、理解できるように説明してやるのも面倒だから黙っておこう。

「良かったじゃねえか。思ったより早く風呂入れそうで」

「全くだね。この時期、シャワーすら駄目だったら地獄だ」

そんなボクとオシタリの他愛ない会話を、ノックの音が妨げる。

あれ?点呼か?今日は随分早いな?一瞬そう思ったボクだったが、来客は寮監達じゃなかった。

ボクの返事に続いて開いたドアの向こうに立っていたのは、横幅が入り口とそう変わらない、黄色と黒の肥満体…。ボール

のようなデブデブ虎中年だ。

あれ?何でトラ先生が…ああ、心配して様子を見に来てくれたのか。

ずぼらなようでマメだなぁ…。アルコールランプとフラスコとビーカーでコーヒーを淹れる教師とは思えないマメさだ。

「調子はどうだぁ?ウツノミヤ」

「おかげさまで随分良いです。痛み止めが効いたのか、痛みも気になりません」

ボクが応じると、満足げにウンウン頷いたトラ先生は、

「これ差し入れなぁ」

と、右手に吊していたコンビニのビニール袋を差し出す。

立ったり座ったりがキツいボクに代わり、立ち上がったオシタリが代理で受け取ると、先生は「私が愛用している栄養剤な

んだけどなぁ」と言っ…、栄養剤?

袋の中を覗いたシェパードは、神妙な顔つきでボクを見ながら中身を一つ取り出す。

…CMで時々見る、二日酔いに効くっていうアレじゃないか…。ビックリするぐらい足の怪我と関係ないぞこれ?

「じゃあ、お大事に」

どんな意図でこれを持ち込んだのか一応尋ねてみるべきだろうかと迷っていると、先生は早くもドアの外に出てゆく。

「あ…、有り難うございました!」

反射的にお礼を言ったものの、本当に有り難いかといえばかなり微妙。…袋の大きさから見て十数本は入ってそうだぞ?ど

うしようアレ…。

先生を見送るつもりなのか、オシタリは袋を手にしたまま追って廊下に出て行く。

アイツ、相手によっては結構礼儀正しいんだよな、シンジョウとかトラ先生にはなおの事。

まぁ態度自体は素っ気無いし口調もぞんざいだから、礼儀正しいって言い方も正確じゃないが…。

何?好み?ひょっとしアイツ人見知りするタイプだとか?

そんな事を考えていたら、ボクの耳に先生とオシタリの声が入って来た。

あれ?防音なのに何でだ?…って、良く見るとドアが閉まり切ってないぞ?あぁ、サンダルが挟まってるし…。だらしない

なぁオシタリのヤツ、あんなふうに脱ぎ捨てて…。

「………が違うって、何か……な意味とか……すか?」

オシタリの常より押し殺したような低い声が、ドアの隙間から入って来た。どうやら出てすぐそこで先生と話をしているら

しい。

「………は同じっすよね?おれ……お袋の名前入っ……し…」

何の話をしているんだろう?口調は結構深刻そうだが…。

右足を酷使して立ち上がるのも面倒だったので、ボクは四つん這いになってドアの方へ少し寄る。

「世帯主ってトコ、アイツのには須藤ってヤツの名前が入ってた」

っ!?

…気付いて…いたのか…。アイツ…。やっぱり、出しっ放しにしていたボクの保険証は、見られていたんだ…。

「親の名字が違うんすか?それともあれ…、親じゃねえ…と…か…?」

そう言いながらもまるで自分が口にした言葉の内容に驚いたかのように、オシタリの声は途中から急に低く、小さくなった。

「…オシタリ」

「押忍?」

トラ先生の声が、少し小さいものの、こちらはいつも通りの穏やかな口調で流れて来た。

「例えばだが…、ん〜…、ウツノミヤが、芸能人の子供だったとする」

「そう…なんすか…?」

「いやぁ、例えばの話だよオシタリ。もしそうだったとして、オシタリはウツノミヤとの接し方を変えるかね?」

「…いや…、別に…」

「それじゃあ…、例えば大富豪のお坊ちゃんだったとする。それで態度を変えたりとかは、するかなぁ?」

「たぶん…変わんねえっす…。良く判んねえけど…」

「ふむ…」

少し間を開けてから、先生は殊更にゆっくり言った。

「オシタリはオシタリだし、ウツノミヤはウツノミヤだ。オシタリは今、ウツノミヤと友達同士だなぁ?」

「…押忍…」

微妙な間を開けてから、オシタリは返事をした。

「家がどうとかで変わる事の無い、友達なんだなぁ?」

「押忍」

「なら、そう気にしなくてもいい。ウツノミヤは良い子だ。友達として過ごすなら、それだけで十分じゃあないのかなぁ?」

「…押忍」

結局トラ先生は明確な返答をしなかったが、オシタリはそれ以上質問せず、「済んませんした。呼び止めて…」と、ボソボ

ソ呟いた。

ボクはほっとしつつ、元の位置まで這いずって戻る。

教師にも個人情報保護やら何やら色々義務がある事だし、まさか家庭の事まではばらされないだろうと思っていたが…、うっ

かり口でも滑らされたらどうしようかとドキドキしてしまった…。

 …だが…、オシタリは、先生のあの言葉で納得しただろうか?

間を置かずに戻ってきたオシタリは、「冷蔵庫入れとくぜ」とだけ声をかけて、差し入れを持ってキッチンルームへ入って

行った。

またドアにサンダルが挟まって少し開いていたが、指摘するのは止めておいた。

先生との話が聞こえていた事まで、勘ぐられそうな気がして…。



早々とシャワーを済ませて点呼も終わった後、ボクはオシタリを隣室にやって、アブクマとイヌイに声をかけさせた。

せっかくオシタリが借りて来てくれた事だし、皆でDVD鑑賞でもしようかと思って。

「小説が原作の映画だぁ?何か難しそうだなぁ…」

イヌイから説明を聞いたブーちゃんは、レンタル用のビニールケースに収まっている人狼探偵のディスクを手にとって眺め、

露骨に顔を顰めた。

「原作の小説、ケントも読んでたんだよ?」

ボクらには深い意味までは解らなかったイヌイの発言だが、アブクマはひどく驚いていた。

「嘘だろ!?あのケントが小説読んでたってのか!?」

…ああ、思いだしたぞ。ケントってアレだな、小学校の頃ブーちゃんといつもつるんでいた犬獣人か。

そういえばオシタリともちょっと似ていたかもしれないな。コイツほど無愛想じゃあなかったが、頭に血が昇り易いところ

とか、ちょいワルな雰囲気とかが。

…って…、ブーちゃんの話じゃ亡くなったんだったか、アイツも…。

「トラ先生もファンだそうだ」

ボクが付け足すと、アブクマは「先生もかぁ…」と呟き、分厚い胸の前でぶっとい腕を組み、何事か考えているような顔に

なる。

「…考えてみりゃよ、先生にゃ似合いそうだよな、本読んでんのも」

『どう似合う?』

ボクとオシタリの声が見事にかぶった。

トラ先生は教師ではあるものの、読書が似合うようには見えない。お世辞抜きに。

授業で教科書を開いている時も眺めている目は常より眠そうに細く、見ているとこっちが眠気を誘われる。

読書している姿よりは、何もせず部屋でだらだたぐぅたらしている様子の方が容易に想像できるくらいだ。実際休日は自堕

落極まりない食っちゃ寝ライフとかしているんだろう。あんなに太ってるんだからきっとそうだ。

ボクとオシタリから異口同音に問われ、イヌイからも物問いたげな視線を注がれたブーちゃんは、「あれ?俺変な事言って

るか?」と、腕組みしたまま首を傾げた。

横幅がとんでもなくある上に、首が短く見えるほど肩が盛り上がっているから、この熊があぐらをかいて腕組みをしている

と、巨大達磨が鎮座しているような風情がある。

どうでも良いが、トラ先生とアブクマ、どっちの方がフカフカだろう?

体格そのもので言うならアブクマの方がデカい。当然背中も広い。が、トラ先生の背中はアブクマより脂肪分が多くて沈み

込みが大きい。

野郎の背中という一点を覗けばどちらも上質のクッション。背中だけでは甲乙付け難かった。

まぁ、この季節はどちらも汗ばんでいてやや湿気っぽいんだが…。

…って、何を考えているんだボクは?

ボクが密かにランク付けで悩んでいるとは、おそらく夢にも思っていないだろうブーちゃんは、

「ねぇサツキ君。何でトラ先生に読書が似合いそうだなぁって思うの?」

と、イヌイに尋ねられると、困ったようにガリガリと後頭部を掻きながら口を開いた。

「いや…、トラ先生ってこう…、グテ〜っとしてるっつぅか、のんびりしてんの似合いそうだろ?部屋でゴロゴロしてんのと

かよ」

この意見には全員が揃って頷いた。と言うより、トラ先生は存在その物がグテ〜っとしている。エネルギッシュでアグレッ

シブなトラ先生なんて想像もつかない。もしもそうなったらもはやボクらの知る「トラ先生」という存在とは全くの別物と言

える。

「だからよ。畳の上でごろっと仰向けにでもなってさ、本読んでのんびりしてんのとか、イメージピッタリだと思わねぇか?

んで、眠くなったら本を顔に被せてよ、そのまんま高いびきで寝てんのとか…」

『あ〜…!』

ボクとオシタリとイヌイの口から、同時に納得の声が上がった。

なるほどそれは似合っている。って言うか似合い過ぎだ。

「ありそうだな、そいつは」

「だね。言われて見ればリアルに思い浮かんじゃう」

「凄いぞブーちゃん。大した想像力だ」

オシタリ、イヌイ、ボクが続けてそう言うと、アブクマは困ったように眉根を寄せた。

「いや、ウチの親父がそんなんだからよ…、先生も同じ具合に読みながら寝るんじゃねぇかなぁと…」

「おじさん本読むんだ?ちょっと意外…」

イヌイは驚いたように尻尾をピンと立てた。

ボクも意外だ。幼い頃の記憶にある何度か見たアブクマ父は、いつも「これぞガテン系」という格好をしている、ブーちゃ

んの製造元であるのも納得の強面親父だ。

読書が似合うどころの話じゃない。むしろ工具とドカ弁こそ似合いそうなおっさんだったんだが…。

確かあの時で既に四十過ぎ。最後に見てから五年は経つし、そろそろいい歳のはずだ。

けれどもまぁ、たぶん変わりなく元気にしているんだろうな、あの気風の良い熊親父は…。

「本読むったって、キイチとかウッチーが読んでるような小説とかじゃねぇぞ?建築関係のだよ」

『あ。納得』

ボクとイヌイの声が綺麗にハモり、一人だけアブクマ父を知らないオシタリが首を傾げる。

…どうでも良いが今日は良く声がかぶるなぁ。

「ところで、先に原作の説明をしておいてなんだが…、実はそれじゃない物を観ようかと思っているんだ。良いかな?」

「俺は何でも良いぜ?」

「僕も」

…せっかくだから、できればまだ観ていない物を鑑賞したいんだよな…。

ボクが希望を伝えると、アブクマとイヌイはすぐ頷き、オシタリは別のDVDディスクを袋から取り出す。

「こいつなんかどうだ?サスペンスのコーナーにあった。内容は知らねえが、名前カッコよかったから…」

オシタリはそう言いながらボクにディスクを差し出した。

…タイトルはおろか監督も主演も知らないぞこの映画?…まぁ良いか。

「ならこれにしようか?セットしてくれオシタリ」

「おう」

頷いたシェパードがボクからディスクを受け取って立ち上がると、

「どっこいしょっと…」

と、おっさん臭い呟きを漏らしつつ、体の左を下にして横臥し、頬杖をつくブーちゃん。

鑑賞姿勢なのかこれ?その姿はトドかセイウチか、岸辺にあがってひなたぼっこをする大型海洋哺乳類を連想させた。

どうでも良いが部屋主のボクらよりよっぽどくつろいだ格好だ。似つかわしいが。

次いで、横になった大熊の後ろにちょこんと座ったクリーム色の猫は、その脇腹に上体で覆い被さるようにし、俯せになる。

寝そべるアブクマに上体を預け、脱力させた手を前に投げ出しているその格好は、箱の縁に前足をかけて顔を出している子

猫を連想させる。

ボクの視線に気付いた二人は、揃って顔をこっちに向け、全く同じタイミングで首を捻った。

『何?』

いや、「何?」とかそういうのこっちの台詞だから、この場合。

いつもこんな具合にべったりなのか?と尋ねそうになったが、たぶん答えはイエスなんだろうと思い、結局ボクは「いや何

でも…」と言葉を濁した。

テーブルについたボクは右手側にモニターを見る位置。オシタリはボクの左隣、モニターのほぼ正面で頬杖をつく。ボクら

に限って言えばいつもの位置だ。

それぞれが思い思いの格好でモニターを眺める中、オシタリがタイトルの語感で選んだ映画が始まった。



…ところが、だ…。

オシタリが選んで来た映画は…、ぶっちゃけ面白く無かった。

チョイスした本人であるオシタリは、いつの間にか机に突っ伏して眠りこけている。

…やけに静かだと思ったらこの野郎…。額に油性ペンで「にく」とか書いてやろうか?

見ればブーちゃんも、頬杖をついていた腕をだらんと上へ伸ばし、頭を床につけて眠っていた。

彼らの様子にはボクより前に気付いていたのか、起きているイヌイは視線があうと微苦笑して見せた。

「二人とも疲れてたんだね。きっと」

「疲れていた?」

二人を起こさないよう気を遣い、声を潜めて囁いたイヌイに、ボクも小声で尋ねる。

「元気いっぱいだったじゃないか?」

「うん。でもサツキ君、昨夜からずっとテンション高かったから…」

「…オシタリもそんな雰囲気はあったな…」

…つまり、はしゃぎ疲れか…。子供かキミらは?

映画は相変わらずつまらない。というよりいまいち理解し辛く、入り込めない。

文化があまりにも違うせいか、イタリアとかあの辺りの映画には、時々やけに難解に感じられる物が混じっているんだよな。

まぁ、これはフランス映画らしいが。

案外これは、本当は単純な内容について、ボクが深く考え過ぎているだけなのかもしれない…。

「イヌイ。この映画面白いか?借りた本人は寝てる事だし、正直な意見を聞かせて欲しい」

「う〜ん…。ちょっと…難しい?かな?理解が?及ばないっていうか?」

珍しく歯切れが悪いな。返答が疑問符だらけだ。…しかしイヌイもか…。するとこれは単純に意味不明でつまらないだけな

のかもしれない。

考えてもみれば、単純なのが得意そうな単細胞二人は速攻で寝てしまっている訳だし。

「人狼探偵はいつ観るの?まさか今日じゃないよね?」

「今日二本連続はさすがに…。何せ観たがっていた本人が寝てるしな」

ボクは熟睡シェパードを横目で見ながら顔を顰める。

「実は、ボクはもう数回観たし、オシタリも一回観ているんだが、また観たくなったらしくてさ。一週間レンタルみたいだし、

良ければ持って行って部屋で観たらどうだ?あれならブーちゃんも面白がるかもしれないし…」

「有り難う。…ボクまだ映画版は観てないんだけど、良かった?」

「まずまず。少なくともファンを裏切らない出来にはなってると思う」

「へぇ。じゃあ明日にでも借りようかな?」

イヌイもこのサスペンスとは名ばかりの映画はあまり面白く感じられなかったらしい。ボクらはボリュームを落とした映画

をBGMに、好きな作家の話題で盛り上がった。

熟睡中の二人を起こしてしまわないよう気をつけ、小声でだったが。

そんな、同じ趣味を持つ者同士での、楽しいひと時の中での事だった。

イヌイが、櫻和居成の妙な情報についての話と、夏休みの過ごし方の提案について切り出したのは。