第十六話 「輝ける思い出」(中編)
ショッピングモールからバスで直通できる便利な位置に建てられたマンションを、ボクはノゾムと並んで見上げる。
熊のエンブレムが目印の賃貸物件、ベアパレス23。記憶には全く無いから、ボクが居た頃はまだ無かったはず…。
ノゾムはここに部屋を借りているそうだ。…もっとも、借り手の名義は当然親になっているらしいが。
エントランスを抜けてエレベーターで上がる途中でも、ノゾムははしゃいでいるように終始喋り続けた。
もしかしたら、家族から遠ざけられてしまったせいでごく普通の会話にすら飢えているのかもしれない。
「どうぞどうぞ、遠慮無く上がって!」
やがて辿り着いた最上階の部屋で、ノゾムはドアを開けて玄関に踏み入り、手招きしてボクを誘った。
「お邪魔します」
断りを入れ、促されるまま上がったボクがまず通されたのは、きちんと片付いて広々としたリビングだった。
床面積そのものもかなり広いが、家具が必要な分だけしか置かれていない上に、小物類もきちんと収納されているせいで空
間がやたらと広い。
ここ、かなり良い部屋なんじゃないか?リビングだけでこれって…いくら何でも広過ぎだろう?星陵の寮もかなり豪華だが、
あの二人部屋が寝室キッチン込みですっぽり収まるぞ?普通はどんな輩が借りるんだ?
お…?何だ?あの壁掛けテレビ!?大病院の待合室にあるようなサイズじゃないか!?
良く見れば、そのすぐ傍にはブルーレイレコーダーと、ブルーレイやDVDなどのディスクを納めた大型ラック。かなり数
があるが、どういうのを見るんだコイツ?あとで品揃えを見せて貰おう…。
広いフローリングの中央には黒光りする木製のローテーブル。これも高そうだな…。色を揃えたのか、落ち着いたグレーの
クッションと布張りソファーが高級そうなテーブルを囲んでいた。
レースのカーテンが引かれた窓からは、あの頃とは少し姿を変えた東護の街並みが遠くまで見渡せる上に、星陵とは違う懐
かしいマリンブルーの海が眺められた。
高い位置にあるおかげで見晴らしが非常に良い。あれは駅か?あっちは旧商店街?東護小は何処だろう?これも後で確認し
よう…。
空調が効きすぎているのか?少々肌寒く感じるが…、まぁ、炎天下から涼しい室内に入ったばかりだからかもしれない。
整理整頓された清潔な部屋の様子からは住人の几帳面さが窺える。あの頃より太ってしまってはいるが、どうやら綺麗好き
な所は変わっていないらしいな、ノゾム。
「随分良い部屋じゃないか?男の一人暮らしにしては小綺麗だし」
感心して、そしてこんな所で一人暮らしできるのが若干羨ましくて漏らしたボクに、ノゾムは苦笑いを向ける。
「えへへ…!ここだけはまあきちんと…。寝室はそうでもないんだ。本棚とかプラモデルの棚で…」
ま、趣味の部屋や寝室ぐらいは少し散らかっているのが普通だろう。
ボクに座るよう促したノゾムは、いそいそとキッチンらしき部屋に入って行き、コーラのボトルとコップ、そしてスナック
菓子を持って来た。
「…今ハンバーガー食ったばかりじゃないか?なのにスナック菓子って…。コーラも飲んだばかりだし…」
部屋の隅に荷物を置きながらそう発したボクに、丸い狐は小さく首を傾げる。
「あ、コーラあまり好きじゃない?他のがいいかな?」
そうじゃない。そうじゃないだろノゾム…。
ずれた返答をよこしたノゾムは、肉がついた丸い尻を揺すって再びキッチンへ行き、今度はジュースとチョコクッキーを持っ
て来た。…あの赤い缶は桃のジュースだな…。凄く甘いヤツ…。
ノゾムがここまでまん丸くなった理由が何となく解って、ボクは席に着きながらも、改めてそのむっちりした二の腕や尻、
西瓜でも丸飲みにしたようにせり出した腹をまじまじと見る。
…ああノゾム…。トラ先生を縮めたような体型になってしまって…。しかも筋肉質って訳でもないから全身たぷたぷのぷよ
ぷよじゃないか…。
ボクが何を考えているかも知らず、ジュースをそれぞれのコップに注ぎながらノゾムは口を開く。
「宇治のおじさんの家から学校に行ってるの?」
「いや、離れた所の学校だから、寮に入ってる」
「へぇ〜!そうかぁ、寮生活かぁ、それじゃあ大人びるわけだよね」
…いや、そういう事を一人暮らししているお前に言われてもさ…、ちょっと微妙な気分だぞ?
「ノゾムこそどうなんだ?一人暮らしだと何かと大変じゃないか?高校に行くにも。あ、高校はこの近くにあったか?ちょっ
とうろ覚えだな…」
そう言いながら地理の記憶を手繰っていると、ノゾムが少し言い辛そうにポツリと漏らす。
「…高校…、行ってないんだ…。ぼく…」
「え?」
何度も何度も予想外の言葉を返して来るノゾムに、ボクはまたしても面食らった。
「え…、えっと…ね…?将来やりたい事があって…ね…?それで…、そのための勉強は普通の高校に通いながらだとちょっと
難しくて…。一般教養よりも、専門の技術とか知識とかの方が必要で…」
口ごもるノゾムの言葉で、ボクは納得した。
…なるほど、将来就きたいと思っているその職業には、専門的な技能が要求されるのか。じゃあ高校生じゃなく技術専門学
校生ってわけだな。
ノゾムが成績の面で高校進学を諦めるなんて事はありえない。コイツは決して馬鹿じゃない。…というよりも、コイツが馬
鹿と言えるレベルならボクも馬鹿って事になる。そしてオシタリなんか虫以下だ。
将来についてよく考えて、高校進学よりも専門技術や知識の習得が重要だと考えたんだろう。
立派なものじゃないか?あえて専門学校を選ぶなんてなかなかできる選択じゃないぞ。目指した仕事に就けなかった場合、
他の道を選ぶにしたって学歴に高校の名前を入れられない。ノゾムの事だ、そういったリスクについて考えなかった訳がない。
「で、そうまでして将来何をしたいんだ?」
ボクのそんな質問に、しかし少し口ごもり気味だったノゾムは、俯いてしまって答えない。
ん?あまり言いたくない職業なのか?
「ああ、恥ずかしいとかなら言わなくてもいいから」
そんなボクの言葉にも、ノゾムは無言だった。
…言ってから思ったが、もしかして本当に「恥ずかしい」のか?「恥かしい系の仕事」なのか?ノゾムが目指してるのって。
嫌なら無理に聞き出す気はないものの、ちょっと気になるな…。
「あ〜…、あ、そうそう。結構経つから趣味とかも変わってるのか?」
ノゾムが黙り込んでしまったので、ボクは珍しく気配りを発揮し、別の話題を振ってみた。
これを幸いと感じたか、ノゾムはすぐに食いついて来る。
「ううん。あんまり変わってない。今でもアニメとか漫画が好きだし、プラモも変わらず…、ほら、さっき寝室は綺麗じゃな
いって言ったよね?プラモ飾ってるから…」
「ああなるほど…」
「それにほら、あれ…」
ノゾムが視線を向けたのは、パッケージ入りのディスクが納まったラック。…ん?良く見たらデロレンがあるじゃないか?
「見ての通りほとんど…って、あ。見えない?」
「いや、ちゃんと見えるよ」
「そんなに目が悪くなった訳でもないんだ?」
窺うようなノゾムを見返し、ボクはふと気付いて眼鏡のつるに指で触れる。
「…あ。これ伊達眼鏡だから。視力は両方1.8」
「へぇ、てっきり悪くなったんだと…。1.8ってぼくよりずっと良いね。…あ、それで、あれは見て判る通り殆どアニメ。
ちょっと映画なんかも混じるけど大半は和製の…」
何だかノゾム、急に生き生きして話し始めたな?普段は大人しいのに趣味の事になると急に饒舌になるヤツとかたまに居る
が…、そういえばコイツにも昔からそういう所があったかもしれない。
目論見通りに当たり障りのない話題にシフトして、ボクはひとまずホッとする。
…しかし…、なんで数年ぶりに会ったら地雷だらけになってるんだよコイツ…。
そこからボクは、知っている範囲で適当に応じながら、最近見ているテレビ番組などの話に付き合った。
その間にもノゾムはひっきりなしに菓子に手を伸ばし、口元に運んでいる。
その様子を観察しながら、ボクは黒雲にも似た物が胸の中に広がって行くのを感じていた。
これは…、不安…だろうか?
久しぶりに会ったノゾムは、ぱっと見て本人だと判らないぐらいに太ってしまっていた。あの頃とは似ても似つかない程…。
なのに言動は以前と変わっていないようで…、それでも所々であの頃には想像もできなかったような表情を見せて…。変わっ
ていないのか。変わっているのか。少し変わったのか。大きく変わったのか。判断がつかない。
…それとも、ボクが変わったせいでノゾムも変わって見えるのか?あの頃には気付けなかった事に、成長した今では気付け
るようになったせいで…。
そんな風にいまいちノゾムの事が判らなくて、足が地に着いていないような、中途半端で宙ぶらりんな落ち着かない気分に
なる。
成長したのとは全く別の要素で太くなったノゾムの指が口元へ菓子を送り込む様子を眺めながら、適当に会話をこなしつつ、
ボクは次第に疑念を募らせて行った。
…ノゾムがこんなに太ったの、何か理由があるんじゃないのか?
親と上手く行っていないって、どの程度上手くいっていないんだ?
…そして…、もしかしてノゾム…、
「どうしたの?」
「え?」
ボクははっとしてノゾムの顔を見返した。
束の間考え事に集中し、返事が途切れてしまっていたらしい。ノゾムはボクの目をじっと見つめていた。
その目の底に光る、窺うような、不安を湛えているような、薄いが確かに暗い色に、ボクは何故か怯えに近い物を覚えた。
「…あの…。もしかしてつまらない…かな…?」
「いや、ちょっとシーンを思い出していただけさ。うろ覚えなんだあの辺り」
「…そう?」
納得したのか、ノゾムの目の奥からひやっとした嫌な色が消える。この機を逃さず、ぼくは続けて尋ねた。
「あ。デロレンのキャラ誰が好き?アニメオリジナルキャラも含めて」
「ビッグバッグ・ボナパルト!」
即答するノゾム。
「ビッグ将軍か。渋いトコ攻めて来るなぁ…」
ぼくは白い熊男の顔を思い浮かべて頷いた。デロレンパーティーじゃないが、重要な役割を演じるキャラクターだ。あんま
り人気は無いと思うが…、あれ?
「そういえばノゾムは、昔からおっさんキャラが好きだったっけ」
「おっさんじゃなくて、豪快なキャラが好きなの!」
そう反論するノゾムの目からは、さっきの暗い光はもう消えている。
何だろう?何だか判らないが、ノゾムの言動の節々から、何となく危うい感じがする…。
会話を再開し、脂っこいスナック菓子をまた口に放り込み始めたノゾムに適度な相槌を打ちながらも、ボクは疑念を膨らま
せて行った。
以前はこんなんじゃなかった。むしろ食が細い方で、あまりスナック菓子類も好まなかったはずなのに…。
さっきはそこまで考えが及んだ所で中断したが…、もしかしてノゾム、過食症ってヤツじゃないのか?ストレスとかで罹るっ
ていう…。
ひょっとしてコイツ、心を病んだりしているんじゃないだろうか…?
かつての面影もない程ぶくぶく膨れてしまったノゾムを見ながら、ボクは平静を装いつつも動揺していた。そして動揺の振
れ幅は徐々に大きくなって行く…。
体型の劇的な変化に、家族との別居…。
それに、普通高校進学を諦めてまで目指したい物…。
この数年の間に、ノゾムに一体何があったんだろう?
「あ、そうだ。お夕飯どうしよう?せっかくだから何か取ろうか?」
ノゾムは唐突にそう言って、名案だと言わんばかりに顔を綻ばせる。
「え?別にいいって、そんな改まって…。いつもはどうしているんだ?」
動揺をひとまず胸の隅に押しやり、ボクは問い返す。
「外食とか自炊とかだけど…」
「へぇ、自分で飯作るんだ?大した物じゃないか」
「そんな大した事ないよ。作れるのなんて簡単な物ばかりだし…、半分以上は外食とかコンビニのお弁当で済ませてるし…」
ボクが少し感心したら、ノゾムは照れているように耳を伏せて、胸元で太い指をチョンチョンとつつき合わせる。いかにも
子供っぽい仕草だが、ころころと太った今のコイツには似付かわしく見えるから不思議だ。
「ちなみに今日はどうするつもりだったんだ?」
「え?今日は…」
ノゾムは一度言葉を切ると、キッチンの方を見遣りながら呟く。
「この間安売りで買った鶏の腿肉がまだかなりあるから、チキンステーキでもしようかと…」
「ほーほー…。それ、二人分作れるくらいはあるのか?」
「うん。五食分くらいあるから平気だけど…」
「じゃあそれをご馳走になろう」
ノゾムは「そんなのでいいの?」とボクを見る。
「そんなのだから良いんだよ。多少は手伝えるじゃないか。泊めて貰う上にご馳走になるばかりじゃ悪いからな。できるだけ
手伝うよ。あと皿洗いは全面的に任せろ」
ノゾムは微苦笑して、「そんなに気を遣わなくても…」と言うが、それじゃあボクが落ち着かない。ブーちゃんの家に泊め
て貰うつもりだった時から決めていたが、宿泊代として出来る限りは働かないとな。
結局は押し切る形で了解を取り付けた。
遠慮してはいたが、ノゾムもちょっと嬉しそうだった。一人暮らしだから、手伝う奴が居るっていう少しの変化も新鮮なの
かもしれない。
…そうだ。これを期に炊事を教えて貰おうか?卒業後に進学して一人暮らしになった際、料理を一通り身に付けていれば何
かと便利だろう。食費の節約にもなるし。
その事についてついでに相談してみたら、ノゾムは自信無さそうにしながらも首を縦に振ってくれた。「本当に簡単な物し
か作れないよ?」と念を押しながらだったが。
…はて?安売りで買った?ここまでにかいつまんで聞いた話によれば、生活費諸々は親から貰っているから、金には困って
いないだろう?…性格なのかなぁこういう所は…。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
空になった皿の前で頭を下げたボクに、ノゾムは嬉しそうな笑顔で応じる。
「あー、美味かった。正直言うと、ここまでは期待してなかった」
ノゾムが作ったチキンステーキは、単純な料理のくせに予想外の美味さだった。
解凍した鶏肉を、表も裏も竹串でグサグサ刺し、そこに塩胡椒をまぶして揉むように適量すり込む。あとはオーブンで脂を
落としながら皮が飴色になるまで焼き、ブラックペッパーを振りかけたら完成。シンプルなのにどうしてこう絶妙な味が出る
んだろう?
「焼き鳥だって美味しいけど、そう手間がかかってる訳じゃないでしょ?手間がかからなくても美味しいのが鶏肉だから」
というのがノゾムの弁。そういう物なのか?まぁ納得しておこう…。
ちなみにボクがやったのはレタスを洗うのと、ご飯を盛る作業だけ。
むしろレタス洗いに手間取ってしまって、手伝うはずが足を引っ張ったんじゃないかと…。事実、六時半には飯が食えるは
ずだったのに、皿がテーブルに並んだのは七時過ぎだった。
しかし、こんなコロコロテプテプに肥えたんだからさぞ飯も食うのかと思ったら、食事の量は思いの外普通だった。ここに
来る途中でハンバーガーを食った事もあって、ボクの分は少な目にして貰ったんだが、ノゾムの分もそれとほぼ同量。
…これはあれか?スナック菓子なんかの間食肥りなのかやっぱり?
「さぁて片付け片付け。あ、ノゾムは座ってろよ。ボク一人でもやれるから」
「え?でもそれじゃ申し訳ないよ…」
立ち上がろうとしたノゾムだが、ボクは片手を上げてそれを制する。
「いいから。夏休み中ずっと居候させて貰うんだから、ボクにも少しは仕事よこせ」
言っておくが、仕事したいのは義理とか恩返しとかそういう物とは別で、ボクの性格的な物に起因する。
…気持ち悪くて落ち着かないんだよ、ただで世話になりっ放しというのは…。
金を払って泊まっているなら正当な対価としてふんぞり返る所だが、無償で泊めて貰って飯を食わせて貰う以上、動かない
と気分が良くない。
「じゃあぼくはお風呂洗って来るね」
「ああ、それもボクがやるから…」
皿を運びながら振り向いたら、ノゾムは苦笑いしていた。
「ミツル、ぼくも働かないと落ち着かないよ」
…この辺りは、やっぱり親類なんだなぁって、本当に思う。
「あ、お皿の片付け位置が判らなかったらそのまま置いてて。ぼくが片付けるから…」
「大丈夫。出す時に覚えた」
ボクが即答すると、「さっすがぁ〜…」と言い残して、ノゾムは奥に引っ込んで行った。
さて、てきぱきやろうか。
丁寧に拭った皿を戸棚にしまってリビングに戻ると、どうやら風呂掃除も丁度終わったらしいノゾムが、タオルで手を拭い
ながら部屋に入って来た。
着替えたらしく、生地が薄い緑色の短パンを穿いている。体操着のような…って言うか体操着だろうなこれ。中学の時のか
もしれない。
反面、オレンジ色の半袖ティーシャツは、背中に炎を纏う龍がプリントされていてやけに勇ましい。
「今お湯張ってるから、もう少しで入れるよ。終わったらメロディーが鳴るからお先にどうぞ」
「いや、先にノゾムが入れよ。ボク居候なんだから」
のそっと腰を下ろしたノゾムに倣って、ボクも座卓につく。
「そういうの気にしなくて良いよ。それにぼく、今じゃ随分汗っかきになったから…、それに結構長湯だし…、できれば先に
入って欲しいかも…」
…汗っかきになったのか…。そりゃまあこの体だもんな。一体何処に行ってしまったんだ?スリムだった頃のノゾムよ。
…ああ、埋まってるのか。肉に。
「そうして欲しいって事なら従うよ。先に頂こうか…」
ボクが不承不承頷くと、ノゾムは大きく頷いた。
この頷いた時にできる、首が埋もれる二重顎…、狐を止めた感じがする…。
何でこうここ数ヶ月の間にステレオタイプイメージクラッシャーと二人も遭遇してるんだボクは?今年はそういう年なのか?
厄年ならぬ肥年?おみくじにはそれらしい事は何一つ書かれていなかったぞ?
「あ。コーヒーゼリーとかプリンとか冷えてるけど、デザート何がいい?」
…それ以上膨れるつもりかノゾム…?前言撤回だ。やっぱり食が太くなっている。
ハンバーガーに軽めの夕食と来れば、腹はもういっぱいだ。
そんな訳でデザートを辞退したボクは、甘い物は別腹という言葉を体現するように、さも美味そうにプリンを食うノゾムを
しばらくぼーっと眺め、風呂の支度ができるのを待つ。
変わったなぁノゾム…。できればこれ以上変わらないで欲しいんだが…。
「へぇ…」
浴室を見回したボクは、まず嘆息した。
さすがに寮の風呂ほどじゃないが、結構広々としている。
ぱっと見た間取りからも窺えたが、良い部屋なんだなぁここ…。
まぁ、金出してるのが議員様…いわゆる殿上人であるノゾムの親なんだから、高い部屋でも不思議じゃないが…。十五歳の
ガキがこういう部屋で一人暮らしって、世間的にはどうなんだ?富豪の息子とかそういうのだけなんだろうな。
壁に掛けられたシャワーに歩み寄るボクは、その洗い場の広さにも満足した。広々として開放感がある。おまけにどこもか
しこもピッカピカで清潔。ノゾムの綺麗好きな面がここからも窺える、実に快適な浴室だ。
浴槽もでかいな。2メートル近い上に極太のアブクマでも、足をゆうゆう伸ばして浸かれるだろう。
さて、後がつかえている事だし、ぱっぱと済ませないとな。
シャンプーはこれか。…へぇ…。良いの使ってるなぁノゾム…。…あれ?
手にとってみたボクは、シャンプーボトルがやけに軽い事に気付いた。…軽いって言うか…、すっかり空だなこれは。
仕方がないので脱衣場に引き返し、かけてあったバスタオルを腰に巻いたボクは、申し訳ないがノゾムを呼んだ。
「ノゾムー。悪いけどシャンプー無いかな?」
「あっ!」
リビングから流れてくるテレビの音声やら激しい金属的な音に混じり、高く跳ねたノゾムの声が聞こえた。
…ロボットアニメでも見てるのか?ビヒューンって、非常にビームっぽい音がするぞ?
ドタドタと駆け回る足音に混じり、「ちょっと待ってー!」というノゾムの声。次いで「あれ?午前中に買って来たのに…」
とか「何処にやったっけ?」などという独り言が聞こえて来る。
…っていうか、何だこの重い足音は?何キロあるんだアイツ?何処に行ったんだスリムだった頃のノゾムよ。
…判ってる。埋もれてるんだな。肉に。
「ごめんごめん!詰め替え用買ってきたのに忘れて…」
ややあって、口を切った詰め替え用のポリ袋を手に脱衣場へ入ってきたノゾムは、ボクを見るなりハッとしたような顔にな
り、言葉を切った。
「悪いな、くつろいでる所を」
「う、ううん…!あの…、その…、す、すぐ補充するから…!」
困っているように視線を足下に逸らして俯いたノゾムは、せかせかとボクの脇を抜けて浴室に入った。
何だよ照れ屋だな。兄弟みたいに育ったんだ、今更裸を見て恥ずかしがるような事もないだろうに…。って、中身入れるだ
けなんだからボクに渡せばそれで済むだろう?
屈み込んだノゾムの、昔の姿からは想像もつかない程ボリュームが出ている丸い背中を眺め、ボクは手持ち無沙汰で作業を
見守る。
…あ、袋落とした。…あ、ボトル倒した。…あ、こぼした。
何でこんなにワタワタしてるんだコイツ!?シャンプーの補充はそんなに難易度の高い作業か!?
悪戦苦闘の末、シャンプーで手をべたべたにしながらようやく補充を終えたノゾムは、「お、お待たせ…」と上ずった声で
言い、そそくさとボクの横を通り抜けようとする。
その手が、バスタオルを結ばずに巻いただけで押さえていたボクの腰に触れ、はらりと払い落とす。
「あ」
「あっ!ご、ごめん!」
その時、タオルを拾おうと屈み込んだボクと、同じく拾おうとしたノゾムの頭が、ゴツンと音を立てて衝突した。
「いっつ!」
「いだっ!」
同時に声を上げ、ボクはぺたっと尻餅をつき、ノゾムはどすっと尻餅をつく。
「痛…!だ、大丈夫!?ガツッて音がしたけど舌とか噛まなかった!?」
「ぐ〜…!無事…!歯が噛み合っただけ…!ノゾム…石頭だなぁ…!」
いや、石頭じゃなく、この威力は体重のせいか?やけに重いぞお前の頭突き!ふらふらしたぞおい!
額の少し上を押さえ、顔を顰めて痛みを堪えるボクは、ふと、ノゾムの視線に気が付いた。
丸出しになったボクの股間に、ノゾムの視線が注がれている。
ボクのは平均的なサイズだと思うんだが、何でそんなにガン見してるんだよ?
「そんなにまじまじ見るなよ」
「え?あっ!ご、ごめんっ!」
我に返ったノゾムは慌てた様子で顔を逸らす。
…もしかしてノゾム、自分のナニに自信が無いタイプか?ブーちゃんのように…。
そんな事を思いついた途端、好奇心がむくむくと膨れて来た。
ふふぅん…?そうかそうか、自信が無くて恥ずかしいのか…。ここは思い切り自慢…じゃない、ノゾムにちょっとしたアド
バイスでもしてやろうかなぁ…。
「思ったより広いんだな、風呂」
「え?う、うん…。そうかも…ね…」
何気ない調子でボクが言うと、ノゾムはそう応じて腰を上げる。
そして「ごゆっくり…」と言い残し、そそくさと出て行こうとするが…。ボクはその肉付きが良いプニプニの手首を、がっ
しりと、しっかりと、逃がさないよう捕まえる。
「な、何?」
振り向いたノゾムに、ボクは自然な笑みを作りながら先を続ける。
「浴槽は充分に広い。一緒に入れるだろう?」
「え?い、いいいいいよっ!一人で伸び伸び使って…!」
「久々じゃないか、一緒に入ろう」
「で、でもぼくっ…!あ、ああそうそう!DVD見てるからっ…!」
「背中ぐらい流すからさ」
「あの…、ミツル?ボクは…」
「子供の時以来だなぁ!何年ぶりだろう?ほんっとーに久しぶりだ!」
強引に話を進めながら、ボクは「さあ、さっさと脱いだ脱いだ!」とノゾムを煽る。
自慢じゃないがひとを見る目にはちょっと自信がある。
昔はもっと積極性もあったんだが、どういう訳か今のノゾムは受け身寄りな性格になっている…。つまり、強引な促しや誘
いには弱いと踏んだ!
そしてどうやらその予想は的中したのか、ノゾムはしぶしぶながらティーシャツに手をかけた。よしっ!本当に押しに弱い
らしい。今のノゾムをようやく一つ把握だな。
ティーシャツの下から現れたのは、むっちりと肉がついて丸く張った上半身。胸なんか力士のようにやや垂れた乳になって
いて、その下には鳩尾辺りからせり出した丸い腹。
臍のすぐ下まで引っ張り上げられた短パンはゴムが伸びて、引っ張られた縮み皺が大きくなっている。
プヨンプヨンの体が恥ずかしいのか、ノゾムはボクに背中を向ける。
ま、ここまで来たら「やっぱり止める」とか言い出さないだろう。「先に入ってるから」と言い残し、ボクは一足早く浴室
に戻った。
どんな感じだろうな?まさかブーちゃんサイズって事はないだろうが…。
まぁ、本当に重症のようなら優しく慰めて、元気付けてやるか。