第十七話 「輝ける思い出」(後編)
浴室内に戻って早速シャワーで体を流し、汗を落としていると、しばらくしてからようやくノゾムが入って来た。
随分もたもた着替えていたな?そんなに恥ずかしいのか?
時間もあったから一通り体を流し終えたボクは、短い時間後ろに突っ立って待っていたノゾムに、「お待たせ」と声をかけ、
椅子から腰を浮かせつつ振り向く。
タオルを太い腰に巻いて前を押さえたノゾムは、俯いて顔を伏せ、無言で頷いた。
…え?タオルガード有り?ボクは全裸なのに?
ノゾムの腰を覆うタオルは、あまり余裕が無い。出っ張った腹の段の下、引っ張ってギリギリ結べる長さしかなくて、何と
か固結びした結び目が腰の脇で被毛と肉に食い込んでいる。
おい、痛くないのかその食い込み?ハムみたいだぞ?そこまでして隠すか。
退いたボクが面食らっていると、ノゾムは無言のまま、俯き加減でそそくさとシャワーに寄り、太い腿をぴちっと揃えて椅
子に座った。
何だこのガードの堅さは?まさか…、本当にブーちゃんクラスのアレなのか?
そろりと湯船に足を入れるも、ボクの視線はノゾムの側面に釘付けだ。
…しかし、脱いだら輪をかけて凄いな…。昔の面影がこれっぽっちも無いプヨり具合だ…。
手首に金属製のブレスレット…というかリングを填めているのは変わらないが、その手首の太さがまるで違う。垂れた胸や
突き出た腹の豊満な脂肪が、ちょっとした動きに合わせて揺れている。
肩もまん丸で首が極端に短くなって見える。顎肉もあるからなおさらだ。
脇腹まで肉で張ってぽよっとせり出していて、尻も幅広い。ボクには余裕があった椅子の上がかなり狭そうに見える。骨格
的には同じくらいのはずなのに…。
観察されている当のノゾムは、ちっとも視線を合わせて来ない。まるでこっちを見ないように努めているようだ。目はやや
下向きで、シャンプーなどのボトルが乗った鏡前の小さな棚辺りに固定されている。
「お先。あ〜、良い湯だ」
広い浴槽に胸まで浸かりつつ、半ば独り言、半ば会話のきっかけとして呟くボク。が、ノゾムは鼻の奥で「ん…」と声を発
しただけで、期待したような反応はない。
…あれ?空気悪い?何だこの緊張感?本当に嫌だったのか?そこまで嫌?ボク相手なのにか?
「広いなぁ風呂。毎日伸び伸びできるじゃないか」
「…ん…」
「綺麗だし。やっぱりマメなんだなぁ相変わらず」
「………ん…」
あれこれ話しかけてみるが、やっぱりノゾムは口を開かず、鼻で唸るばかり…。
のろのろした手つきで体を洗うが、時々手を滑らせてシャワーヘッドを落としそうになったり、シャンプーボトルを倒した
りしている。…何してるんだこいつ?
かなり経ってもノゾムの作業は終わらない。丁寧に洗っている…のもあるんだろうが、それ以前に遅々として進んでいない。
このままじゃやばい。風呂に浸かりながら語らうつもりだったが…、ノゾムが入るのを待っていたらボクがのぼせてしまう
ぞ?むむむ…。
…あ、そうだ。
思いついた事があり、ボクは湯船の中で腰を浮かせた。
動いた途端にノゾムの体がビクッと震えたような気がしたけれど…、たまたまか。
「ノゾム。背中流すよ」
「…ん…。…えっ!?」
さっきまでと同じように一度鼻の奥で返事をしたノゾムは、浴槽の縁を跨いだボクを見遣る。が、慌てたように視線を前に
戻した。
「い、いいいいいよっ!一人でやってるんだから、毎日っ!」
恥ずかしいのか、ノゾムは早口になっていた。
まぁ無理もない。子供の時分はともかく、この歳にもなると背中を流されるなんて、そうそう経験しないもんな。
「それはそうだろうけど…。ま、手伝いっていうかスキンシップさ。泊めて貰うささやかなお礼も含めて」
「い、いいってば!そこまでしてくれなくたって!」
頑なに遠慮するノゾムだが…、ボクは知っている。最初は確かにちょっと恥ずかしいが、背中を流して貰うのは結構気持ち
が良いものなんだ。これについては経験済みだから間違いない。イヌイなんか凄く上手だし。
「遠慮しない遠慮しない。ボクも寮では仲のいい連中と流しっこしてるんだぞ?騙されたと思って任せてみろ」
自信満々に言ったが、実際自信はある。何かと煩いあのオシタリも、ボクに背中を流されている間は大人しいんだ。気持ち
良いに決まっている。
なおも断ろうとするノゾムだが、脚をぴったり閉じたまま、しかも振り向こうとしない姿勢で固まっているせいで、正面切っ
ての拒絶にはなっていない。股間を見せないよう固執するあまり、背面のガードが甘いんだ。
ノゾムが動かないのを良い事に、壁際のラックに置かれていたスポンジを掴み、鼻歌交じりにボディーシャンプーを乗せ、
泡立て開始。
「ほんとに良いから!大丈夫だから!」
「問答無用!…それっ!」
必死さすら滲ませたノゾムの言葉を一蹴し、泡まみれのスポンジをふざけながら背中…というよりも首筋と背中の中間にベ
チョッと押し当てる。
甲高い「ひゃっ!」という声を上げたノゾムは、少し背筋を反らした。が、すぐさま背中を丸めて前屈みになる。
「ふっふっふっ…。抵抗できまい」
「何で悪役っぽいセリフ…」
耳元で囁いてやったら、ノゾムはボソボソと呟く。
「諦めて洗わせろ。恥ずかしい気持ちは判るけれど、結構気持ちが良いもんだから」
観念したのか、ノゾムはそれ以上反論も抵抗もしなかった。いや抵抗は最初から無いが。
泡立てたスポンジで湿った背中を撫で、泡まみれにしつつ、ボクはその肉付きに呆れ、感心すらした。
…ムニムニしてる…。案外手触りは悪くないが…、脂肪が分厚い上に、筋肉の感触がほとんど無い。ブーちゃんの下っ腹と
同じで、100パーセント脂肪だな。
「…く、くすぐったいよ…」
「そこは我慢だな。ま、すぐ慣れるさ」
身震いしたノゾムに応じ、ボクは続けて口を開く。
「覚えてるか?皆で海に行った後とかさ…、シャワー浴びながらこうやって、背中洗いあった」
「…うん…。毛の中に砂がざりざり入ってて…」
「そうそう。面白いぐらいに落ちて来て、タイルの溝に溜まったっけな」
「…そうだったね…。足下からすーっと線を引いて…」
ノゾムは少し顔を上げ、懐かしむように呟く。
「それでも、なかなか全部は落ちなくてさ…」
「うん。綺麗になったつもりで上がって、脱衣場に砂を零しておじさんに怒られた」
「で、洗い直し」
「させられたね。毎回」
くすくすと、息を漏らすように笑うノゾム。その体から、それまでの強ばりがすぅっと取れて行った。…よし、昔語り誘導
成功。
そのまま懐かしいあの頃の思い出話に花を咲かせ、ノゾムの声が明るくなるのを見計らって、ボクは洗う範囲を広げていく。
背骨中心に上下させるだけだった手を、その横方向にも動かし、脇腹のすぐ後ろまで洗ってやる。
ノゾムは次第にリラックスして来たようで、時々こそばゆそうに身震いしながらも、嫌がる素振りを見せなくなった。
…そろそろ良いか?もう充分に油断しているな?よしよし…。
シャワーヘッドを受け取って背中の泡を流してやると、丸みを帯びた背中を軽くぺちんと叩き、「はい終わり」と告げる。
「あ…。ありがと…」
「どういたしまして」
応じて湯船に戻ったボクは、ノゾムが頭を洗う様子を眺めながら、チャンスが来るのを待つ。
やがて、完全に泡を洗い落としたノゾムが、濡れてぺしょっとした毛から水滴を滴らせつつ立ち上がる。
顎をしゃくって横を空けるボクを見て、ノゾムは微苦笑し、湯船を跨ぎにかかった。何の疑いもなく。
…今だっ!
ノゾムの片足が浴槽の底を踏んだ瞬間、ボクは素早く手を動かした。
迅速に、正確に、腰に巻かれたタオルのキツそうな結び目を狙って。
正直な所を言えば、解けるかどうかは賭けだった。
予想以上にきつかった場合は解くのを諦め、ズリ下げにチャレンジしてお茶を濁すつもりだったが…、固結びされていたタ
オルの端は、まるで解き放たれるのを待っていたかのようにシュパッと軽やかに解けた。ノゾムの贅肉の内圧に負けて跳ねな
がら。
「あわぁーっ!?」
よほどびっくりしたのか、ノゾムは間抜けな悲鳴を上げて足を滑らせ、湯船に尻から着水する。…盛大な水しぶきを上げて、
ボクの顔面をびしょ濡れにしながら…。
「ぶふぁっ!げほっ!ははは、けふっ!び、びっくりし過ぎだろノゾム!凄いリアクションするなぁ!」
ざぼっと水を波立てながら身を起こしたノゾムに、ボクは咽せながら笑いかけた。
「ひ、酷いよミツル!…あっ!」
解けたタオルが漂うお湯をボクがさっと手で掻き、こぽこぽと浮上して来る空気の球を追い払うのと、ガードが解けた事に
気付いたノゾムが声を上げたのは、ほぼ同時だった。
慌てて動いたノゾムの手が、あぐらをかく格好で丸出しになっていた股間を瞬時に覆い隠す。…が、モノは見えた。しっか
りと。…うん。見えはしたんだが…。
ノゾムは完全に俯き、沈黙する。
そしてボクは今見たモノについて考える。
…結論から言うと、やや小さい。…かもしれない。
曖昧になってしまうのは、ノゾムのソレが正常な状態ではなかったからだ。
ノゾムのそれは、勃起していた。…何でだ?
ぴちょんっ…、と、静まりかえった浴室に、水滴が床を叩く音が、やけに大きく響いた。
ノゾムは身じろぎ一つせず、声も出さず、項垂れている。
ボクは何と言うべきか迷ってしまい、言葉も無く、ノゾムは俯いたまま一向に喋る素振りも見せないまま、長くて居心地の
悪い沈黙はしばらく続いた。
「…な、何だよ黙りこくって!背中流されるの、気持ち良いからな。それで勃ったか?ははは。は…」
声を無理矢理捻り出し、取り繕ったボクの空虚な笑いが浴室に反響する。ノゾムは無反応だ。
…ちょっと悪ふざけが過ぎたかな?何だか嫌に気まずいぞ?さっきまでの良い雰囲気は何処に行った?
…そんなに見られたくなかったのか…。いや、勃起した恥ずかしい所を見られたっていうのもあるか…?
あちゃ〜…。昔の気分でちょっかいを出したが、コイツ結構ナイーブになってる?…ここは何とか空気を軽くしなければ…。
「あ〜…、悪かったな?まあ、たまにはあるさそんな事も!それともアレか?ボクのスレンダーなボディに欲情でもしたか?
…って、それは無いか。ホモでもなければ。と言うかホモだったりして?ははははは!」
ジョークのつもりでボクがそう言った途端、ノゾムの体がビクンと震えた。
「…はは…。は…?…あれ…?」
どういう訳か、ボクのジョークで空気が軽くなるどころか、むしろ、かえって、余計に、雰囲気が重苦しくなった。
俯いたままのノゾムは、ふるふると小刻みに体を震わせている。
「…あれ…?あ…、あれ…?」
あれ?を繰り返すばかりのボクの前で、ノゾムはざばっと、水飛沫を上げて勢いよく立ち上がる。
「の、ノゾム!?」
湯船の縁を跨いだノゾムの顔を下から見上げる形になり、ボクはハッとした。
出入り口の方を向き、口元を引き結んで細められたノゾムの目…。その目尻に、大粒の涙が…。
まさか…?いやでも…。…え?…えっ!?
ボクが動揺している一瞬の隙に、ノゾムは湯船から残った片足を引き抜き、床に上がる。
「ま、待っ…!」
静止の声にも振り向かず、ノゾムはどたどたと脱衣場に出て行った。
ビシャッと勢いよく閉められた戸の音で、束の間ぽかんとしていたボクは我に返る。
「ノゾム!?ちょっと待って…!」
湯船から出て水を振り落としながら戸を開けると、ノゾムはろくに体も拭かず、乾燥もさせないまま、慌しく下着を穿こう
としていた。
その悲しそうな、悔しそうな、追いつめられたような横顔を見て、ボクは確信し、後悔した…。
…ノゾム…。まさか…本当に…?
一度は気後れしたものの、すぐさま頭を振って冷静さを取り戻したボクは、慌ただしくパンツに片足を通してずりあげよう
としているノゾムの手を掴んだ。
「ノゾム!悪かった!悪かったから落ち着け!」
ところが、動きを止めたものの、ノゾムはボクの方を見ようともしない。…どうしよう?
どう声をかけるべきか、どう対処すべきか、ボクが迷っている間に…、
「…うっ…、うっ…!うう…!」
ノゾムは呻くような声を漏らし、きつく瞑った目からポロポロと涙を零し始め、ぺたんと床に座り込んだ。
…まずい…!どうすれば良いんだ?アブクマイヌイ組の時は、当人達が結構落ち着いていて、こんな深刻な感じにはならな
かったし…。まさかこんな風に泣き出されるなんて…、ど、どうすれば良いんだこれ?
どうして良いか判らなかったボクは、手近な位置に干されていたバスタオルを取り、ノゾムの丸まった背にかけてやった。
そしてそのまましばらくの間、蹲って震えながら嗚咽を漏らすノゾムを、傍でぼんやりと見守っていた…。
十数分も泣いていただろうか、ようやく上体を起こしたノゾムは、顔を隠すように両手で覆い、しばらくしゃっくりを繰り
返していた。
「…悪かったよ…。ごめんノゾム…」
詫びの言葉を繰り返すしかないボクに、ノゾムは答えなかった。
が、かなり間を置いてから、「…そうだよ…」と、詫びに対する返答とは思えない言葉を口にした。
「ぼく…、そうなんだ…。そうらしいんだ…」
何についての言葉かという事は理解できた。一瞬後れてだが…。
…ノゾムは、同性愛者なんだ…。微妙な雰囲気になった場を誤魔化すために口にしたボクの冗談は、ずばり的中していたら
しい…。
「…そうか…」
短く応じたボクに、ノゾムは小さく頷いたっきり黙り込む。
沈黙に耐えかねたボクが、「らしい…って言うのは?」と蒸し返すと、ノゾムはしばし黙った後、ぽつぽつと語り始めた。
「…最初は…小学校の頃…。プールの授業で、クラスメートの裸を見てて、妙な気持ちになった…。好奇心みたいなもの…、
他人との違いを気にしてるだけ…、そう、初めは思ってたけど…」
鼻を啜り、つっかえつっかえ語るノゾムは、間を置いてから先を続けた。ひどく小さな声で、ボソボソと。
「違ってた…。ぼく…、いつからか…、クラスメートのおちんちんを見て、勃起するようになってきたんだ…」
そこから語られ始めた、途切れ途切れのノゾムの言葉を要約すると、どうやらコイツはある時期を境にして、男の裸に欲情
しているらしい事に気付いたそうだ。
本来なら性の目覚めで異性に興味がわき始める頃…、どういう訳か男友達に欲情している自分に気付く…。
正直、ぞっとした。
ぼくもそう性への関心が高い方じゃないが、ノゾムの心境は少し理解できた。
変化していく心と体…、ただでさえ戸惑いのある時期に、コイツは周りと自分の違いについて気付いた。焦っただろうし、
怖かったかもしれない。ボクだってそうなったらかなり悩んだだろう。
語っている相手が相手だからなのか、ノゾムの話は、ブーちゃんとイヌイから話を聞かされた時よりもずっと身近に感じら
れて、堪らない気分になった…。
「ニュースなんかで、同性間結婚の事とか見てたけど…、たぶん…、そういう事なんだろうって思った…。ぼくもそうなんだ
ろうって…」
「…うん…」
曖昧に頷いたボクに、ノゾムは俯いたまま自嘲するような笑みを浮かべ、囁くように言った。
「襲ったりとかは、しないから…。安心して…」
「…あ、ああ…。そう…?」
…返答し辛いな…。ノゾムがとっつき難いヤツになったと感じたついさっきの印象が、また蘇る。
…もしかして…、家族と上手く行っていないって、これが原因なのか?
男に欲情するって事が知られて、家に居られなくなったのか?それで、追い出される形で一人暮らしを…。
「気持ち悪い?」
出し抜けに耳に届いた声で、ボクは黙考を中断する。
ノゾムは俯き加減のまま首を捻り、上目遣いにボクの様子を窺っていた。
「気持ち悪い…よね…。当然…」
「いや、そんな事は全然思っていないぞ」
ボクの返答は早口になっていた。慰めたい気持ちもあって、早く返事をしたかったというのもあったからだが、しかしこれ
がノゾムの疑念を招いたらしい。
慌てた弁解と取ったのか、ノゾムは視線を下に向け、再び顔を伏せた。失望したように、哀しそうな顔で…。
「良いんだ…。本当は、気持ち悪いと思ってるでしょ?良いんだよ、無理しなくて…」
「無理なんかしてないぞ?知り合いにも…」
「ううん。良いんだ。気持ち悪いよね。それが普通だと思う…」
慌てて応じかけたボクの言葉を、ノゾムの陰気な声が遮った。
「ノゾム?あのな…」
「同情してくれなくて良いから…。自分でも普通と違うって判ってるし…。どうしようもないなぁって、もう諦めもついてる
し…」
ノゾムはボクの言葉を聞こうともせず、俯き加減で自嘲するような笑みを浮かべ、ボソボソと喋り続ける。
ノゾムにはまぁ、多少同情しているかもしれない。ただ、同性愛者について同情しているかどうかは判らない。特に何も感
じないというのが本音だ。迷惑さえかけられなければ、不純異性交遊だろうが不純同性交遊だろうが好きにしてくれ、という
のがボクの基本スタンスであって…。
「良いんだ…、もう…。普通じゃないんだって、判ってはいるんだ…」
「ノゾム。話を…」
「良いの。仕方ない事だし…」
とりつく島もない。ノゾムはボクに発言させる事もなく、「良いんだ」と繰り返す。
しばらくはかける言葉を探してみたが、何故だか、次第に腹が立ってきた。
ノゾムが何かに、誰かに似ているような気がしてムカムカして来た。
「あのな、ノゾム…」
「良いんだミツル。自覚してるから…。ぼくは異端で、周りからは理解できない存在だって…。ぼく自身、何でこうなのか…、
自分の事なのに理解できてないけど…、良いんだ、もう…」
「…良いんだ…。良いんだ…。って…、何が良いんだよ…?」
散々発言を中断させられたボクが、今度は逆に言葉を遮ると、ノゾムは「え?」と、顔を上げてボクを見た。
「…ミツル…?」
無言で腰を上げ、膝で立ったボクを、ノゾムは戸惑うように見つめて来る。
そしてその直後、ボクが怒っている事を察して怯えたような目つきになる。
そう。ボクは腹を立てていた。本気で怒っていた。ノゾムの言葉と態度はそれほど耐えかねる物だった。
ムカムカしてイライラした。
ノゾムがボクとも距離を置こうとしている事にムカついた。
ノゾムがボクの言葉を信用しようとしない事にイラついた。
そして何より悔しかった。悔しくて悲しかった。
…でも、何より腹が立ったのは、ノゾムの言動から姿が連想できるヤツが居たからだ。
結局は誰も信用できない。誰にも心を寄せられない。それで仕方がないって納得して諦めて、大人ぶって受け入れて…。
それって…、それって…!まるっきりボクじゃないかっ!
膝立ちになったボクの顔を、ノゾムは相変わらず、怯えたような目で見上げている。
その表情にまたイラッとした。怖がっていながらも、何故ボクが怒っているのか判らない…。そんな表情に腹が立った。
昔は兄弟と間違われるほど似ていたのに、今ではすっかり姿が違っているノゾムに、ボクは自分を重ねていた。
でも違う。ノゾムはボクと違う。コイツは諦めた後、「見返してやろう」とは思わなかったんだろう。だからボクは少し前
の自分を思い出して、腹が立っているんだ。
たった一人、家族から置いてけぼりにされたばかりの、あの頃の自分を思い出して…。
「「良い」「良い」って…、何も良くないじゃないか!」
声を大きくしたボクは、ノゾムを力任せに突き飛ばした。
突き飛ばしたとは言っても、柔らかい胸に当てた手に体重と力を込めて突くように押しただけだ。その程度でも、重いはず
のノゾムの体はあっさりひっくり返った。ただ肥っただけで筋力は無いらしい。
驚くほど簡単に仰向けに転んだノゾムは、後ろに落ちた、それまで背にかかっていたバスタオルの上に手を着いて身を起こ
し、声もなくボクを見つめる。
広げられた股ぐらでは、すっかり萎えて先端まで皮を被った子供のようなチンチンが、被毛の中に沈み込むようにして先っ
ぽだけ顔を出している。
「証明してやる…」
ボクは恫喝するように声を低め、ノゾムを睨み付けた。
「嘘じゃないって、証明してやるっ!」
そう叫ぶように言い放ったら、ノゾムはビクッと身を竦ませ、きつく目を閉じた。まるで落雷に怯える小さな子供のように。
縮こまったノゾムの肥った裸体を見下ろし、ボクはのし掛かるように覆い被さる。
むにゅっと柔らかい胸に左手を着く格好で押さえつけ、右手をその股間にあてがう。
「ひぁっ!?」
ノゾムの口から甲高い声が漏れたのと、肥った体がビクンと震えたのと、ボクの手がすっかり萎えて縮こまった陰茎に触れ
たのは同時だった。
「見てろ!平気なんだよこんなの!何でもないだろ同性愛なんて!」
くにゃくにゃの柔らかい肉棒を、睾丸ごと鷲掴みにしてこねるように弄る。
身悶えするノゾムはボクの左手を片手で掴み、もう一方の手で股間を弄る手を止めようとするが、抵抗は弱々しかった。
おそらくだけれど、ノゾムは平均的な高校生と比べて、体力がない方だろう。それもかなり。
押さえつけるのは楽だったし、抵抗なんて苦にならない。
「い…、ひぃっ!や、やめ…て!ミツルっ!やめ…」
止めない!止めてなんかやらない!
良いとか言って、お利口ぶって、諦めたふりして…、そんな良い子ちゃんな、優等生な、癪に障る態度を、根っ子から変え
てやる!
湿り気を帯びたままの股間は生ぬるかった。その温度と湿り気を全く気にせず、ボクはノゾムのソコを弄くり回す。
緊張からか、恐怖からか、驚いたせいなのか、平均よりもやや小さい逸物は、被毛と肉に隠れようとするように、すっかり
縮こまっていた。
哀れなほどに小さくなったそれを容赦なく弄る。もっとも、オナニーする時とは勝手が違うから、上手く、気持ちよく刺激
してやる事なんてできていなかった。
…いや、そんな気は元々無かったかもしれない。気持ちよくしてやろうだなんて、思っていなかったかも…。
ノゾムと重なって見えた、少し前の自分の姿…。見たくない、思いだしたくない、以前の姿を突き付けられて、全力で否定
したくて、必死になってノゾムを弄っただけだ。
ただ単に、目の前の鬱陶しくて腹が立つ虚像を消したかっただけだろう。
そう、ボクは口で言う事とは全く別の事で、勝手に腹を立てて…。勝手に…。…こんな真似を…。
カッと頭に昇った血は次第に下がって、熱が抜けて、少しずつ冷静になって来たボクは…。
「…して…!ひっく…!も…、許し…てぇ…!」
そんな、蚊の鳴くような声に気付いて動きを止めた。
ノゾムはいつの間にか両手を顔に持って行き、顔面を覆ってすすり泣いていた。太った体をふるふると、小刻みに震わせな
がら…。
「ごめん…なさ…!ひっく!ごめ…!もう…、やめて…!許して…!」
サーッと、顔から血の気が引いた。
今更ながら、逆上してやってしまった行為の異常さに気が付いた。
気持ちよくなんか、当然無かったんだろう…。可哀相な程縮んで小さくなったノゾムの、ふにゃふにゃのチンチンから手を
離し、ボクは身を退けた。
それでもノゾムは起き上がろうとせず、仰向けのまま顔を覆って、棒のように身を固めながらふるふると震え、さめざめと
泣き続けた。
…何が証明だ…。何が嘘じゃないって証明する、だ…。まるっきり嘘じゃないか…。
ボクは単に、勝手に、以前の自分の姿を重ねて苛立って、それで意地になっただけだ。
カッとして、あんな真似して、何が証明だ…。
ノゾムからすれば、触れて欲しくない敏感な領域に土足で踏み込まれた挙げ句、無理矢理蹂躙されて、いたずらに弄られて、
晒し者にされたような気分だろう…。お前ホモなんだろう?ホモなんだろう?って、念を押されながら苛められただけじゃな
いか…。
…最低だ…、ボクは…。
歯を食いしばり、ボクは声を絞り出した。
「ごめん…。ノゾム…」
いたたまれない気分になった…。済まなくて済まなくて、申し訳なくて…、ノゾムの顔を見られなくなった…。
ボクは体が濡れたまま籠の中の衣類を取って、パンツとズボンを穿き、シャツに袖を通し、靴下を握って脱衣場を出る。
ノゾムが顔を動かしたような気がしたけれど、そっちは見なかった。見る事ができなかった。
ただ、戸を開けて潜る寸前に、「…ごめん…」と、一言だけ残した。
濡れた体に衣類を身に付けた気持ち悪さも、今はどうでも良かった。床に残る濡れた足跡すら気にしている余裕は無い。
過剰な冷房で冷えたリビングの空気が、ボクの体を急激に冷やす。
しでかしてしまった事を悔やみながら、部屋の隅に置いていたバッグを掴む。
…もう、ここには居られない…。ノゾムとあわす顔が無い…。きちんと詫びる勇気すら、今のボクには無かった。
大きな荷物を引っ張り上げて足早にリビングの出口…玄関の方へと向かったボクは、ドアを押し開けたその時、荷物を持っ
た手を後方に引かれて立ち止まる。
反射的に振り向けば、ボクの腕を両手で掴んだノゾムが、全裸のままそこに立っていた。
さっきとは、引き止める側と引き止められる側が逆になって、リビングの入り口で固まる…。
水滴がフローリングの床に落ち、パタッ…パタッ…と、小さく音を上げた。
「…済まなかった…」
ぼそぼそと詫びたボクに、ノゾムは口を引き結び、やや俯いたまま、ブンブンと首を横に振る。
「…もう行くから…。邪魔したな…」
そう告げてもノゾムは手を放してくれなかった。それどころか、手首を握って来る両手に一層力が籠もった。
「ノゾム…。ごめん…。もう二度とやらない。二度と会いに来ないから…、許してくれ…」
黙って首を横に振るノゾムは、一言も発しないまま、しかし頑としてボクの腕を放さない。いや、放さないどころか引っ張
る。弱々しくだったが…。
ノゾムがどうしたいのか解らなかったボクは、少しして、掴まれた手首がじわじわ熱くなって来た頃、ようやく声を聞いた。
「…居て…」
「え?」
「…行かな……で…」
俯いたノゾムはしゃくり上げながら、弱々しい声で囁く。
ここに居てくれ。行かないでくれ。と…。
…ノゾム…。ボクはあんな事までしたのに…、どうしてそこまで…?