第二十話 「曖昧な距離感」(後編)
「美味かったなぁ、鰻…」
しみじみと呟いたボクの横で、ノゾムが小さく吹き出す。
夕食と入浴を終えたボクらは、面白そうな番組も無かったからDVDでアニメを観賞中。ノゾムが持っていた劇場版勇者デ
ロレン、プレミアムボックス仕様を。
物語は今、中盤に差し掛かり、クライマックスに向かって徐々に加速し始めた所だ。
「毎日鰻でも良いんだけどな、ボクは」
「それは栄養の偏り的にどうなんだろう?」
ボクはノゾムを見遣る。
この顎…。この胸…。この腹…。この尻…。この太腿…。栄養が何だって?
コーラを啜る餅狐は、「何?」と首を傾げた。
「いや…、そんなナリしてるヤツに栄養うんぬん言われるとは思ってもみなかったよ。餅狐」
「あ!ひどーい!」
ノゾムは怒ったような顔をして笑う。
「それにしても、ドウカさん知識豊富だなぁ…」
「でしょう?他にも丼物とか、麺類にも詳しいんだよ」
「へぇ…」
頷いたボクは、ふと思い出した。
ノゾムはドウカさんの事をボクにこう紹介した。「先生みたいなひと」と…。
…そうか…。そういう事か…!
ボクは思いついたばかりの事を吟味し、そして確信した。
ノゾム、料理人になりたいんだな!?そしてドウカさんは尊敬している料理人なのか!
高校に行かなかったのはきっと、調理師としての勉強をする為なんだろう。
昨日、高校進学をやめてまでやりたいと思っている事について訊いた時、コイツが言い難そうにしていたのは、もしかした
ら恥ずかしいと思っているからなのかもしれない。
男が料理なんて…っていう視野が狭いヤツも多いからな。実際にはシェフだって板前だって男ばかりなのに。
昨日今日とノゾムが披露したちょっとした料理は、あまり手が込んでいないようなのに確かに美味かった。料理人の卵だと
すればその事も不思議じゃない。
ノゾムはドウカさんとあの時間帯に会った事を不思議がっていたけれど、あのナイスミドルが料理人だとすれば、昼時に出
歩いているのは確かに珍しい事だろう。
ボクが物思いに耽り、ノゾムが熱中して画面に見入る中、映画はいよいよ最後の見せ場に入ろうとしていた。
盗賊団の脅威にさらされた寒村の住民達を成り行きで救う事になったデロレン一行が、村人達を先導して谷間の道を行く。
しかし村がもぬけの空になった事を察した盗賊団は、先回りして谷に布陣し、行く手を阻む。
追いつめられた一行の中で、村人達を守るように最前列へ進み出たのは、凛々しくも美しい若き雌狼。デロレンの護衛の一
人、騎士ウォルフィーナだった。
いかに剣の達人とはいえ盗賊は多勢で、守るべき村人も数が多い、とうてい一人でカバーできはしない状況だ。
同じく勇者の護衛である黒猫青年、魔導師カッツェルがその斜め後ろに立つものの、やはり多勢に無勢は否めない。
彼の本領は魔法による遠距離からの一方的な攻撃にあり、詠唱が必要な魔法は速射が利かない事もあって、距離を詰められ
ると持ち味は失われる。
さらに混戦状態に陥ったら、味方側への配慮から大技は使えない。
これは原作でも何度か指摘されていた、取り回しが不便な大砲と称される彼の弱点だ。
一触即発の睨み合いが続く中、おろおろと取り乱しながら逃げ道を探すデロレン。
いいぞ、それでこそデロレンだ。ちっとも勇者らしくない。
そんなデロレンの視線がやがて崖の上へ向くと、カメラが彼の顔に寄り、瞳がアップになって瞳孔が拡大する。
驚いている虹彩アップの表現に続いて切り替わったカメラは、崖を下から上へ舐めるように映して行き、崖の上にずいっと
姿を現す二つの影を捉え、ズームする。
「来た!」
ノゾムの弾んだ声。もう何度も見たんだろうに、それでも興奮できるらしい。
『あ、あれは…!』
デロレンの震える声。周りの村人やお供達、そして盗賊達も、崖上に現れた二人組を見上げる。
次いで対象に寄った画面は、瀟洒な革靴を履いた細い足と、その後ろに立つ頑丈そうな革のブーツを履いた太く大きな足を
写し、さらに上へスライド。
気品溢れる美しい細身の狐女性と、傍に控えるごつい熊男の姿が、足から頭にかけて焦らすようなカメラワークで映された。
…あれ?何だろうこの感覚は?デジャヴか?
見た映画だから場面に見覚えがあるのは当然なんだが、ちょっと違う。似たような何かを見たような感覚…?
でも、それが映像に対してなのか、シーンに対してなのかがいまいち判らない。
『ワイス嬢!』
『ボナパルト殿っ!』
デロレンとウォルフィーナの口から、驚き以上に親しみのこもった声が上がる。
旅装に身を包んだ狐の女性は、殺伐としたその雰囲気の中でも気品を失う事なく、柔らかくデロレンに微笑みかけた後、憂
いを込めた眼差しで谷間を見渡した。
時には生きる為に他者を害する必要性がある事を容認しながら、しかし弱者だけが虐げられる国の有り様を憂う彼女の目に、
盗賊と村人の関係はどう映るのか?
そこに、魔王と国々との存亡をかけた戦いのみならず、小国の紛争や内乱によって大半が乱れた状態にあるこの大陸の縮図
でも見出したのか、ワイス嬢の瞳は哀しげだ。
だが、一度しっかり瞼を閉じ、そして目を開けたその時には、その顔からは哀しみと迷いの色が消えている。
目前の事態に対処すべく、彼女は静かに口を開いた。
『ビッグ。デロレン殿に加勢して差し上げて…』
旅人のふりをしても隠しきれない、一国の長たる気品が滲む声で、ワイス嬢は忠実なる従者に命を下す。
『合点承知!』
力強く応じた大熊は、腰の後ろに挿していた鉈のような形状の武器に手を掛けた。
それは各種設定資料などでは大鉈とされ、原作本編内でも鉈と記述されているが、作中の世界で多く用いられている長剣と
同程度の長さを持ち、一般的な体格の成人の腰から足までにも及ぶ長さがある。
怪力の大熊は無骨で重々しいそれを軽々と引き抜くなり素早く一閃し、主に射かけられた数本の矢を纏めて斬り払う。
…それにしても…、何だろう?さっきから消えない、デジャヴっぽいこの感覚は?
「かっこいい…」
コーラのボトルを握り締め、うっとりした口調で呟くノゾム。…本当にビッグ将軍が好きなんだな…。
『お下がりを、姫さ…ああいやお嬢様!』
うっかり素性をばらしかけ、鋭く一瞥されて慌てながら訂正するビッグ。この辺りはお約束だ。
次いで大熊は崖から飛び降り、斜面を太い脚で踏み締めて滑走。
盗賊達から射かけられる矢を容易く切り払いながら距離を詰め、崖下のデロレン一行と合流する。
『微力ながら、このビッグバッグ・ボナパルト…、お嬢様の命、及び義によって助太刀致す!』
最前列に進み出て自分と並んだ大熊を、女騎士は頼もしげに一瞥し、「かたじけない!」と応じつつ盗賊達に視線を戻す。
援軍を得て不敵な笑みすら浮かべた雌狼の凛々しい顔がアップになり、次いであたふたと剣を取るデロレンと、その現金さ
に呆れ顔になっている黒猫が映された。
『愛しのワイス嬢が常に見ておられれば、デロレン殿は真面目に勇者をして下さるんですがね…』
「ワイスがずっと傍に居ればさぼれないのにね、デロレン」
ノゾムがそんな事を言いながらカッツェルの言葉に頷いている。
確かにその通りだと思うが、真面目に勇者をやっていたら、それはもうデロレンじゃなく、デロレンっていう名前の別の何
かだ。
そこからはクライマックスの大立ち回りだ。
ご贔屓の熊がデロレン一行と共に大暴れする画面に、ノゾムは熱い眼差しを注いでいる。
…まったく、意中の相手でも見るような目なんかしちゃって…。
既に一度観賞して成り行きを知っている事もあり、ボクは少し引いた視点で物語を楽しんでいるが、ノゾムはもうすっかり
のめり込んでいた。コーラを飲むのも忘れている。
…ん?デジャヴの正体って…もしかしてこれか?ビッグ将軍?
曖昧な感覚は、一度自覚したらそうとしか思えなくなって来た。
…そうだ。たぶんこの熊を見ていてデジャヴっぽい感覚が湧いてきたんだ…。
つい最近、ビッグ将軍っぽい何かを何処かで見たような気が…。
…あ…。
「ドウカさんってさ…」
ボクが口を開くと、ノゾムは食い入るように画面を見つめたまま、「うん」と、耳だけピクッと動かしながら応じる。
「ちょっとビッグ将軍に似ているよな」
「そうだねぇ」
画面では、ご贔屓の将軍が怪力を発揮して荷車を担ぎ上げ、火矢を持ち出そうとしていた盗賊共に投げつけて油壺を破壊、
爆発炎上させる派手な見せ場だった。
「おぉ〜!豪快っ!やっちゃえいけいけ!」
…ノゾムは大変喜んでおられる…。
ボクは考える。
ノゾムはドウカさんと居る間、ずっと口数が少なかった。それにちょっとオドオド対応していた。
でも嫌がっている訳じゃないし、嫌っている訳では当然無い。あの反応はむしろ…。
やがて物語はエンディングを迎え、スタッフロールが流れ始めた。
やっと一息ついて美味そうにコーラを飲み始めたノゾムに、ボクは訊いてみる。
「ノゾムさぁ」
「んー?」
「ドウカさんに惚れてる?」
ブバビュッ!
「ぎゃぁあああああああああっ!」
「なななななななななぁげほがほっ!なんっ!うぇほえほっ!」
コーラを吹きかけられたボクは目を押さえて転げ回り、気管に入ったらしいノゾムは激しく噎せ返る。
「何するんだノゾムっ!」
「なな何でそんな事っ!」
ボクとノゾムの声が被った。くそっ!反応を見るに正解したのは間違いないが、コーラ目潰しとは…やってくれるな餅狐っ!
「そそそそんな事ないよっ!ないからねっ!何言ってるのミツルっ!」
「嘘つけ!そこまでキョドってるのは当たったからだろう!」
手探りで布巾を取り、顔を拭いたボクに、ノゾムは盛大に取り乱しながら言いつのる。
「変な事言わないでよっ!お願いだから、ま、ままま間違ってもドウカさんにそんな事言わないでよっ!?」
コイツ…、その態度が「正解です」って何よりも雄弁に物語っている事に気付いてないのか…?
「あのなぁノゾム…?」
「な、なな何さっ!?」
じりっと間合いを離すノゾムは、怯えたように耳を伏せていた。
「ドウカさんと鰻を食っていたあの時な…、お前はボクら狐特有の愛情表現をしていたんだぞ?」
「えっ!?」
ノゾムは目を丸くし、それから視線を泳がせた。
「そ、そんな事は…」
「一目瞭然だった。ドウカさんは気付かなかったようだが、ボクにははっきり判ったよ…」
ボクは極力優しい口調になるよう心掛け、「だからさ…」と続ける。
「ここにはボクとお前しか居ないんだ。溜め込んでた物、吐き出しちゃえよ」
「………」
ノゾムはしばらく無言だったが、やがて観念したように頷いた。
「…内緒だよ?…誰にも…言わないでよ…?」
「ああ」
頷いたボクに、ノゾムはぽつりぽつりと、小さな声で話し始めた。
ほとんど一目惚れ…だそうだ。
ノゾムが家族と疎遠になっている事は、ドウカさんも知っているらしい。
流石に同性愛者だった事が原因で距離を置かれたとかそういう事までは伝えていないんだろうけれど…。
ドウカさんはノゾムが一人暮らしである事を知ってから、親身になって世話を焼いてくれているとか…。
元々中年親父キャラが好きなノゾムだからな、あのナイスミドルの素敵な人柄にコロッといって、どんどん惹かれて行った
んだろう。
再会したボクに極端な寂しがりの面を見せていた事からも、コイツが触れ合いや情に飢えている事は重々判っている。優し
くしてくれるドウカさんは、ノゾムにとって縋る事ができそうな数少ない相手だったんだ。
話し終えて項垂れているノゾムに、ボクは訊ねる。
「念のために確認しておくけれど、ドウカさんは…、その…、男色の気とかあるのか?」
「無いと思う…。たぶん普通…」
「結婚はしていないのか?」
「未婚だって…。何年か前に恋人に先立たれたって…、ドウカさんの職場のひとから聞いた…」
半分はまぁ、当然ながら明るい判断材料じゃないな。独身である事については、不幸中の幸いか…。
…そうか、恋人に先立たれているのか…。可哀相にドウカさん…。
「い、言わないでよね!?」
「言うもんか」
念を押すノゾムに即答したボクは、小さくため息をついた。
「告白する気はあるのか?」
「…わかんないよ…」
弱々しいノゾムの返答。…無理もない。成就する確率の低さと困難さを考えれば、思い切りも付き難いだろう…。
…これが他人の恋愛事だったら、ボクだって無責任にイケイケ説を持ち出す所だが…、他でもないノゾムの事だからな…。
おまけに同性愛だし…。
告白して玉砕したら、ノゾムは一気に拠り所を失ってしまう。そうなるのは少し怖いし、ちょっぴり可哀相だ。
「でも好きなんだな?」
「…好き…」
素直でよろしい。どうやら観念したついでに隠し立てする気も失せたようだ。…相手がボクだから、という事もあるんだろ
うけれど…。
「ずっと言わないでおくつもりか?」
「…関係が壊れちゃう事を考えると、それでもいいかなって思う…。声をかけて貰えるだけでも、幸せだし…」
やや後ろ向きではあるが、これはこれでちょっといじらしい…。
「はぁ〜…」
ボクはため息をついた。…困ったな…。こればかりはどう力になってやれば良いか判らない…。
黙り込んだボクが何か企んでいるとでも思ったんだろうか?ノゾムは身を乗り出して床に手をつき、
「な、内緒だよ?絶対言わないでよっ!?」
と、必死になって念を押して来た。
「言わないったら言わない。信用しろ」
「…うん…」
四つんばいのノゾムは小さく頷いて視線を落とし、
「…あ…。そういえばさっき言ってたよね?…あの…、ぼくがやってたっていう「狐特有の愛情表現」って、何?」
と訊ねてきた。
「あれは嘘。そんなの無い」
「…嘘?」
「ああ」
「…信用しろって、その口が言ったの?」
「方便レベルの嘘だから気にするなよ」
「何処が方便…」
引っかけられた事をようやく理解したノゾムは、怒ったように頬を膨らませたが、やがて疲れたようにため息をついて項垂
れた。
「なんかいいや、もう…。食ってかかるとはぐらかされて引っ張り回されて疲れる…」
流石ノゾム。判って来たじゃないか。
「ドウカさんはね…」
「うん」
「皆から尊敬されてるんだ…」
「うん」
「でも気さくだから、距離をおかれたりはしないし…」
「うん」
「頼りにされてるし…」
「うん」
「凄く慕われてて、好かれてる…」
「だろうな」
ベッドの上に並んで仰向けになり、天井を見上げながら、ボクはノゾムの言葉に相槌を打ち続ける。
誰にも言えなかったから溜まっていたんだろう。ドウカさんの話は長々と続いた。
今日もノゾムの希望で手を握っているが…、これで最後だ。明日からは別の布団で眠れるからな。
ノゾムの恋愛対象が判った事は、ボクにもプラスに働いている。
ノゾムが信用できない訳じゃないが、身の危険に対するイメージは頭の中からなかなか出ていかなかった。しかしもう心配
する事も無いんだ。何せボクとは全く似ていないドウカさんに惚れているんだから、ボクなんか眼中にないだろう。
ボクの裸を見て勃起というのは…、まぁはずみだ、はずみ。見慣れていないからだろう。
ノゾムは好きなひとの事を打ち明ける女子のように、延々とドウカさんの話を、そして自分の気持ちを口に出して行く。
一回認めてしまったら抵抗が無くなったのか、恥じらいながらもずっと喋っている。どうやらボクに聞いて欲しいようで…。
これまで曖昧だったノゾムとの距離感が、やっと掴めたような気がする。
…いや、気付いたらもう距離なんて全然無くて、ノゾムはボクにベッタリで、隙間なんか無くなっていた訳だが…。
求めていたんだろうな。自分を突き放した家族のかわりに、悩み事を打ち明けて洗いざらい話してしまえるような、縋れる
相手を…。
「ノゾム…」
「ん?」
ずっと聞くだけだったボクは、ノゾムの話を遮って、初めて口を開いた。
「悪い…、そろそろ寝よう…。続きは…いつでも聞くから…」
「あ…、ごめん…」
謝ったノゾムは、何故か小さく笑った。
「…何だよ?」
「ううん…。「いつでも聞く」って言われたのが、ちょっと嬉しくて…」
…その程度の事が…か…?
ボクは繋いだ手を少し強くキュッと握ってやり、「おやすみ…」と告げて目を閉じた。
「うん。おやすみ…」
応じたノゾムは、ずっと喋り続けていたのに、眠くなっていたボクより早く寝息を立て始めた。
…どうかしてるな、ボクは…。
こういうのも悪くないかなって、思え始めている…。
ボクは宇都宮充。伊達眼鏡がトレードマークの狐。ハンサムでクレバーだ。
あんなにも似ていたのにこんなにも変わってしまったノゾムは、凄く手のかかる弟のようになっていた…。
真夜中、ボクは意識を半分覚醒させた。
目を閉じたまま微睡みにしがみつくが、眠りに戻る事はできず、逆に意識はどんどんはっきりして来てしまう。
起きてしまったのは暑くてじゃない、むしろその逆…。冷房が寒い。
眠っている間に離れてしまったんだろう。ノゾムの手を握っていなかった。
今日はくっついて来ないのか…。そんな事をぼんやり考えたボクは、ふと、妙な音に気付いた。
押し殺した息のような音…、布が擦れるような微かな音…、何処から?
薄く目を開けると、カーテンを通した弱い光りで、青白く染まった室内の景色が浮き上がる。
その中に、ずんぐりした影がおぼろげに見えた。
ノゾム…か…?起きているのか…。
横になっていない。ノゾムはベッドサイドに屈んで何かやっているようだ。
…こっち向き…かな?暗い中、ノゾムの姿勢がかろうじて判る。屈んでいるというか…、どうやらベッド脇に膝をついて立っ
ているらしい。
押し殺した息はノゾムの物か。衣擦れのような音は…、何だろう?
半分寝ぼけた頭で考えたボクは、健全な男子が行うある行為を思い浮かべた。
…いや、まさかな…。
薄目を閉じて何とか眠ろうと試みるが、駄目だった。一度気になったら息づかいや衣擦れがとことん気になってしまって、
意識があっと言う間にしゃっきりする。
ああもう…。何してるんだよノゾム…。
もう一度薄く目を開けたボクは、今度はノゾムの姿をきちんと確認しにかかった。
そして、どうやら「まさか」の想像が「まさか」ではなかったらしいと察する。
…ノゾムは…、オナニーしているらしい…。
膝立ちになって股間に手を当て、一心不乱にソコを弄っている。
そして、その格好で見ているのは…、ボクの…、体…?
ショックを受けながらも確認すると、どうやら間違いなさそうだった。
何て事だ!ノゾムは…、ノゾムはボクをオカズにしてっ…!?
起きている事を悟られてはまずい!ボクは目を閉じて必死に寝たふりをする。
何かされるんじゃないかと、冷や汗が背中に滲んだ。
が、緊張の時間はあまり長く続かなかった。
いよいよ息が上がってきたノゾムは、どういう訳か立ち上がった。
何かされるのか!?そう心の中で身構えながらも寝たふりを続けていると、ノゾムはコソコソと部屋を出て行った。
薄く目を開けて確認すると、前屈みの人影は一度だけこっちを振り返り、そのままリビングへ…。
どうやら寝たふりはバレていないようだが…、どうする?ちょっと様子を見てみるか?
カチャッとドアが音を立てる事すら避けたかったのか、ドアは細く隙間をあけている…。
緊張で口の中が乾いたが、ボクはそろそろとベッドを降りた。
寝たふりを続けるにも、状況を確かめないと少々怖い…。信用するとは言ったものの、あんなもの見たらじっとしていられ
ないだろう?
しかし…、うわ…!おかずにされるって微妙な気分だな!例えが思い浮かばないくらい不快だ!
ただ勃起された所を見たのとは訳が違う。
性欲の対象として見られただけでなく、実際に性的行動にまで及ばれたっていう具体性が伴うせいでかなり衝撃的だ!
くそっ!ムカムカして来たぞ…!
信用できるって…、信用するって言い合ったのに…、こんな事するなんて…!
ボクが寝ている間にオカズにするなんて…!
ドウカさんが好きって言ったじゃないか!本当はどうでも良いのか?誰でも良いのか!?ボクでも構わないっていうのか!?
裏切られた気分になりながら、ノゾムが出て行ったドアの隙間から、リビングを覗く。
すると、もう限界が近かったのか、こっちに背を向けて床にぺたんと座ったノゾムは、声を殺して「うっ!うぅっ…!」と
呻きながら、太った体を小刻みに震わせていた。
…射精の瞬間か…。くそっ!腹が立つ…!気分悪い…!
しばらくそうして震えていたノゾムは、やがて脱力した。
さぞ良い気持ちで余韻に浸っているんだろう。
ボクに見られているとも知らず…、ボクの気も知らず…、いい気なもんだ…!
気を許していた自分の間抜けさに腹が立った。
同情した事が馬鹿みたいに感じられた。
とんだ道化だな、ボクは。
確かに襲いはしなかったが…、こんな真似っ…!
もう嫌だ。
我慢も限界だ。
約束なんてクソ食らえだ。
こんな場所、すぐにも出て行ってやる!