第二十三話 「餅狐は海水浴場で欲情するか否か」

「海?」

「そう海だ」

並んで床に座り、ニュースを見ながら首を傾げたノゾムに、ボクは頷く。

「何でまた急に…」

餅狐はあまり乗り気ではなさそうだ。が、引き下がりはしない。

「特訓の成果が出ているかどうか、試す為だよ」

これを聞いたノゾムが表情を消す。そしてじりっとムッ尻を擦って間合いを取る。

やにわにバッと身を翻し、四つんばいになって逃げようとしたノゾムだったが、

「逃がすと思うか?」

「ひぎゃー!」

哀しいかなそこは鈍重な餅狐、あえなく尻尾を掴まれて悲鳴を上げる。

「いいかノゾム?ボク相手にいくらか自制が利くようになっても、不特定多数を相手に有効かどうかは判らない」

「完璧じゃないんだから実戦は早過ぎるよぉ!尻尾放してっ!」

「一理ある。が、今後の為にもデータが欲しいんだ。いわばこれは実戦そのものじゃなく、実戦形式の訓練だと思っていい」

「ぼくにとっては実戦そのものだよ!しかも何で海!?プールより人が多いじゃない!」

抗議するノゾムだが、海を選ぶにあたってボクだって頭を使ったんだ。このケースではプールよりも優れた点が確かにある。

「プールだとあまり良くない。限定された空間だから、勃起が露呈した時に移動先が無い」

「その時は帰ればいいよ!」

「敵前逃亡は銃殺刑だ」

「実戦じゃないって言ったじゃない!」

えぇい往生際が悪い餅狐だな…。

「と・に・か・く・だ!」

「ひにゅんっ!」

声を大きくしながら臀部の肉を鷲掴みにしてやったら、ノゾムは変な声を上げた。

「明日!決行!雨天中止!以上!」

断言したボクを尻越しに振り返り、何とも情けない表情をするノゾム。

「…そ、そう言えばぼく…、水着とか持ってな…」

「嘘だな」

「…ごめんなさい…」

目を吊り上げてやったら、ノゾムは嘘を認めて即座に謝る。素直で宜しい。

「中学校の競泳パンツはある…」

………。

まるっきり嘘でもなかったか。

「では訂正だ。明日!決行!雨天中止!海パン購入!その後海!以上!」

言い直したボクが尻尾から手を放すと、

「…雨降ればいいのに…」

餅狐は敵前逃亡に等しい気弱な発言をした。



バスを利用してアーケード経由で海に向かったボクらを、さんさんと照り付ける太陽と眩しい砂浜が出迎えた。

海の香りを嗅ぎ、潮騒を聞きながらシートを敷いたボクらは、四隅に荷物を置いて固定する。

保冷剤入りのバスケットにはノゾムお手製のサンドイッチが詰め込まれている。…なんだかんだで仕事はきっちりするんだ

よなコイツ。

乗り気でなかったノゾムも、混み合う海水浴場の熱気と騒がしさで自然と笑顔になった。

たぶん、チョイスした海パンが良かったんだろう。

ノゾムは膝まであるダボッとしたハーフパンツタイプを買った。ボクが持っていた物と似た形を勧めたんだが、ゆったりし

ている上にサポーター付きだからピコンッ!してもそうそうバレない。

しかし…、改めて思ったが東護は獣人比率がちょっと高めだよな?全人口の一割程度って言われてるが、ざっと見回しても

それより多い。獣人の家族連れなんかがかなり目に付くし、人間と獣人が混じったグループもちらほら…。

いや、もしかしたら他所から来ている分で増えているのかもしれないな。ここに限った事じゃなく、田舎じゃ差別なんかも

殆ど無い。だから行楽シーズンには地方に殺到するのかもしれない。

さすがにここまで田舎だと獣人お断りの海の家なんて無いし、多少遠くても遊ぶには気楽だろう。

「…どうだ?」

「え?」

海を眺めて尻尾をゆったり揺らしていたノゾムは、訊ねたボクの顔を見て首を傾げ、それから「あ…」と声を漏らした。

「今の所は大丈夫そう」

「それは何より。特訓の効果アリ、かな?」

だがまだ油断はできない。今は作業をしていたが、周りを見る余裕が出てきたらどうなるか…。

暑いだけでなく、実験の為にも早い所泳ぎたい。ボクらは早速軽く準備運動を始める。

やっぱり運動不足なのか、軽い柔軟運動をしただけでノゾムは早くも息を切らせていた。

が、どうやら乗り気になって来たようで、率先してビーチボールを手に波打ち際へ向かう。

ボクは少し遅れてノゾムの後を歩いて追い、夏の日差しでキラキラと波を輝かせる海を眺めた。

…海に泳ぎに来るのは、昨年のシーズン頭以来か…。

受験勉強もあったから、去年の夏休みはろくに遊ばなかった。それでも宇治夫妻が息抜きにと海水浴に連れて行ってくれた

んだが…、受験が失敗できないからあの頃はあまり余裕も無かったし、面倒に感じるばかりで有り難いとは思えなかったな…。

一応身元引受人になってくれている訳だし、ボクに嫌悪感を持たない数少ない親類な訳だし、日頃の感謝とお礼はきちんと

するべきなんだろう。…東護土産、何が良いかな…。

考え事をしながらゆっくり歩くボクのずっと前で、ノゾムは足を波に浸して尻尾を振っていた。

くるぶしがくすぐられ、足の下の砂が波に持って行かれるこそばゆい感触は、海に足を踏み入れる際の醍醐味だ。

静かにはしゃぐノゾムの横で、ボクも足を波にさらす。

「あんまり冷たくないね」

「うん」

ボクらは短く言葉を交わし、ゆっくり進み始める。

腰まで浸かる深さまで歩くと、急に冷やされた睾丸が縮み上がり、ブルッと来た。

けれどそれにもすぐ慣れる。太腿もふくらはぎも水温に順応して、冷たさが気にならなくなる。

「いくよー!」

ノゾムは明るい声を出し、ビーチボールをスマッシュ。

ボールは…、見事に明後日の方向へ…。

ボクの方に来るどころか、妙なスピンがかかって横へ逸れて行ったボールはノゾムに近い位置にチャプンと着水。

「ごめーん!」

ざぶざぶと水をかき分けてボールを追う餅狐。

しかし波と風に弄ばれるボールは、鈍足のノゾムをからかうように逃げて行く。

ボールとのろのろ追いかけっこをするノゾムを眺めながら、ボクは呆れ混じりの苦笑を浮かべていた。

必死にボールを追うノゾムは、動く度にいちいち贅肉がタプタプ揺れて、みっともないけれどユーモラスだ。

「今度こそ、いくよー!」

ようやくボールを捕まえたノゾムは、再びスマッシュして…、

「あー!?」

また、沖の方へ吹っ飛ばしていた…。



ばしゃばしゃと飛沫を上げ、波とボールと戯れる事一時間半。

途中で休みながらとはいえ、流石に疲れて来たボクらは、時間も時間だから昼食休憩に入る。

海から上がった体は、浮力が無くなった事と疲労でやけに重く感じられたが、これがまた心地良い。

笑いあいながらシートまで引き返して来ると、

「ちょっとトイレ行って来るね。先に食べてて」

ノゾムはバスケットを開けるなりそう言い残して、せかせかと歩き去った。どうやら相当つまっていたらしい。

別に急ぐ必要もないから、ぼくはバスケットから冷気が逃げないように蓋を閉めて、ノゾムを待つ事にした。

混み合う海水浴場には、様々な人種がひしめいている。

人間に各種獣人…、とにかく雑多だ。これが自然な風景なのかもしれないが、都会や国外の主要都市などではそうも行かな

いのが実情だったりする。

しばらく周りを眺めていたボクは、やがて異様な風体の二人組に目を止めた。

片方は人間。かなりの美形だ。モデルかと思うほどの…。

墨を溶いたような綺麗な黒髪で、そのルックスですれ違う女性の視線を、そしてその服装ですれ違う野郎共の視線を集めて

いる。

…というのも、黒いスラックスに長袖のワイシャツ、黒いベストというウェイターやボーイ風の服装、つまり夏の浜辺では

正気の沙汰と思えない格好をしているわけで…。

暑くないのか?上と下から炙られる砂浜ではぶっ倒れても不思議じゃない格好だが、本人は涼しい顔…というか無表情だ。

なお、注目を浴びているのはもう片方も同じだ。獣人であるそちらにも男女問わず視線を注いでいる。

そもそもボクも、まずこっちの獣人に目が行って、この二人に注目している。

ソイツは…、とにかくでかい。やたらでかい。どのくらいでかいって…、ブーちゃんよりでかい…!

呆気にとられてしまう程大きなその獣人は、金色の熊だった。強烈な日差しを反射して輝くその被毛は、まるで黄金のよう。

タンクトップに丈が極めて短いハーフパンツという事もあって、露出が多いから被毛の美しさが目立つ。

…ただしデブだ。高さだけじゃなく幅も半端じゃない。

人間の男は手ぶらだが、金色の熊の方は右手にフランクフルト、左手にソフトクリームという二刀流で、きょろきょろしな

がら交互にパクついている。

やがて、黒髪の男がさっと手を上げ、前の方を指し示した。

「ユウト。十一時の方向に味噌サザエの看板を確認」

「ナイス!良し行こう、み〜そさ〜ざえ〜!」

歩調を早めて歩き去る二人組。去って行く熊の尻では、ズボンの穴から出た金色の丸尻尾がピコピコ跳ねていた。

野郎二人が泳ぐ様子も無く浜辺で食べ歩き?…色んなヤツが居るもんだ…。

ツナサンドを囓りながら奇妙な二人組を見送ってしばし、ノゾムが上機嫌で戻って来る。

「あ〜、お腹ペコペコ〜!」

どすっとシートに腰を下ろし、玉子サンドを取ってかぶりついたノゾムは、満足げに目を細くしながら海を眺めた。

海に来てからというもの、いつになく表情が明るい。まるで昔のノゾムに戻ったように。…体型は戻らないが…。

外出があまり好きではなくなったと言っていたが、やっぱり来てみれば楽しいんだろう。

…問題は、一緒に出かける友達が居ないって事か…。

「どうしたの?黙り込んで」

「ん?いや、ちょっと考え事を…。平気そうじゃないか?」

ノゾムはボクに言われるまで意識していなかったのか、出っ腹の下にちょっと視線をやってから「うん…」と曖昧に頷いた。

「遊ぶ事に意識が逸れてるからかな?」

「なるほど。…それは利用できるな。ヤバそうな時は何か別の事に意識を向けるっていうのはアリだろう」

「あ〜…、そうかも」

「頭の中で九九とか、ルート読み上げるとか、年表思い出すとか」

「じゃあ今度やってみようか?」

ちょっとした小細工を思いつき、ボクとノゾムはその気になった。割と有効な気もするぞ、コレ?

確かブーちゃんも、体育の授業なんかでイヌイのセクシーポーズを不意打ちで見せられた時なんかは、余所事を考えて気を

逸らすって言ってたし…。



昼食後は趣を変え、浮き輪でぷかぷか遊泳してみた。

もっとも、体脂肪率がべらぼうに高いノゾムは浮き輪要らずだったが…。

「気持ちいいね…」

「ああ」

ゆったりと波に揺られながら海面に顔を出しているノゾムがしみじみ呟き、ボクは頷く。

のんびり、まったり、幸せな時間だ。

基本的に退屈が嫌いで、空いた時間も読書や勉強などで潰すボクだが、今日ばかりは時間が過ぎてゆくのをぼんやりと感じ

ているのが苦にならない。

ノゾムが時々話しかけて来て、ボクが応じる。

その繰り返しが長らく続いた後、額にあげていたゴーグルをおもむろに着用したノゾムが、チャプンと水音を立てて海中に

没した。

「…ノゾム?」

顔を起こしてそっちを見ると、ぶくぶくと泡が浮いて来てる。

その泡がこっちに近付いて来たと思ったら、ボクは足をトントンと手で叩かれ、下を向いた。…真下まで来たのか?結構潜

れるんだなコイツ。

やがてザバッと海面に顔を出したノゾムは、「ぷはーっ!」と息をついて鼻先を両手で拭った。

「前はもっと潜れた気がするんだけど、体が浮いちゃって潜水も一苦労。贅肉ついちゃったから?」

「その通りだな」

ボクが即答すると、ノゾムは「え〜?フォローは〜?」と顰め面になった。

「ボクのフォローは高いぞ?」

「おいくら万円?」

「鰻重」

「納得」

ノゾムは笑い、もう一度潜る。

そして今またボクの足に触れ…わっぷ!

ノゾムが掴んだ足をグイッと引っ張り、ボクは浮き輪の真ん中を抜けて海中に引っ張り込まれる。

塩水に染みる目を開ければ、頬を膨らましている餅狐の、してやったりという得意げな顔…。

…うりゃ!

膨らんでいる頬を両手で挟み、空気を追い出してやると、「がぼぼっ!?」とくぐもった音と声を漏らし、ノゾムは急浮上

した。

続いて海面に顔を出し、息継ぎしたボクは、ノゾムが息を整えている内にゴーグルをかけ、潜行する。

立ち泳ぎしている太い脚を捕捉したボクは、すいっと水を掻いて接近し、両足首を掴んでグイッとやる。

頭が海中に没する程度の沈み方だったが、どうやら息を吸い込む途中での不意打ちになったらしく、「えぼろばっぼ!」と、

水中に妙な声が響いた。

慌てて海面に顔を出し、咽せているらしいノゾムを腰の高さから見上げ、弛んだ脇腹をムニョっと、少し強めに掴んでやる。

ボクへの奇襲は高く付くぞノゾム?

おそらく、海面に顔を出したノゾムは、今大笑いの真っ最中だ。脇腹をムニムニくすぐられ、身を捩って暴れているが、ボ

クは的確に太腿や腰の脇などと指でつつき、ノゾムを弄って笑わせる。

程なく息が続かなくなったから浮上したボクは、体を抱えるように前のめりになり、ひぃひぃと笑いの余韻で乱れた息をし

ているノゾムに睨まれた。

「な、何て事するのミツル…!」

「目には目を、歯には歯を、…なんて甘い裁量はしないぞボクは?基本倍返し、気分によっては十倍返しだ」

「…それは、宇治さんちの家訓か何か?」

「いや、ボクの個人的な取り決めだな」

「むーっ!」

ノゾムは頬を膨らませたかと思えば、またもジャポンッと潜る。

ふっ…。その浮力抜群の肥満体で、シャープかつスリムなボクに水中戦を挑もうとは…、片腹痛いっ!

返り討ちにすべく海中に潜ったボクは、やや斜め下に向かう形で平泳ぎし、浮力と戦いながら接近して来る餅狐に、嘲り混

じりの笑みを送った。

よりディープに潜行っ!

必死に潜っているノゾムをよそに、体脂肪が少ないボクはすんなり餅狐より下へ…。

海面から1メートル潜るのも難しい肥満狐は、あっさり下に回り込まれて狼狽した。そこへ下から組み付き、「あなたもこっ

ちにおいでぇ…」的な幽霊アタックで引っ張る。

ボクの恨みがましい迫真の表情を目に留めたらしく、ノゾムはガボボッと大量に空気を吐いて大笑い。

ああこの馬鹿…。どうしてここまでボクの思い通りのリアクションをするんだか…。

慌てて浮上して行くノゾムのムッ尻をやや呆れて見送ったボクも、追いかけて浮上し、ノゾムのすぐ横に顔を出す。

「えーい!」

気の抜けた気合いの声い続いて、ノゾムはボクにおぶさる格好でのし掛かって来た。

ここはボリュームが優劣に影響する。息を吸ったばかりのボクは海中へザボン。組み付いたノゾムの得意げな顔が間近で笑っ

ていた。

これで勝ったつもりか…?笑止!

ボクはノゾムのもっちりボディに手を這わせ、脂肪越しにあばら骨を掴むつもりで、弛んだ両乳房の斜め下の辺りに指を食

い込ませた。

笑い混じりの悲鳴と共にごぼっと空気を吐き出すノゾム。そりゃそうだ。ないとは言っても全くない訳じゃない脇腹の筋肉

を強く刺激されれば、誰だってこうなる。

「やったなー!」

「ふはははは!その程度で我が軍に刃向かえるとでも思っていたのか!?勇者などと時代遅れな制度に頼る国は陣容も貧弱だ

な!笑止千万!」

魔王的セリフで挑発したボクは、しかし口上の一番良い所を口にする直前に餅狐にしがみつかれ、押し倒される格好で海中

へ…。ええい!この狐デロレン!

海中でもつれ合うボクらは、主にくすぐりを武器に覇権を争った。

けれどノゾムはやっぱり息が続かなくて、体力も無くて、無呼吸運動が文化部のボクにすら敵わない。じゃれ合いながらも

息を切らせて、程なくひぃひぃ言い始める。

「どうした?もう降参か?」

揃って海面に顔を出し、ボクにしがみついているノゾムにそう声をかけると、

「ちょ、ちょっと…!休憩…!」

と、餅狐は肩で息をしながら応じる。

長く海中に浸っていても、柔らかな贅肉に覆われたノゾムの体は温かい。

溜め込んでいたカロリーも、これでちょっとは発散できたんじゃないだろうか?

楽しく痩せられるならそれに越した事は無い。なるべくならイヌイみたいなハードな真似はしたくないからな。…打たれ弱

いんだから、ノゾムは…。

ふと思い出して首を巡らせれば、ボクが使っていた浮き輪は少し離れた所まで流れていた。…危ない危ない…。



午後三時。

夕暮れまでまだまだ時間があるものの、散々遊んで満足したボクらは、荷物を纏めて撤収する事にした。

今夜はノゾムも外出しない。体も動かした事だし、次は頭だ。

…今日こそ勝ち越ししてやるからな、エフェクトデリバリーTCGで…。

静かに闘志を燃やすボクは、上機嫌のノゾムと一緒に防風林の脇を抜け…、そして、白い車を目に留めて、思わず歩調を緩

めた。

それは、木々の間に乗り入れられたセダン。防風林に積もった砂にくっきりタイヤの跡を残して、バックで入ったんだろう

その車の、運転席に目を懲らす。

…誰も乗っていない…。

「どうかしたの?」

いつの間にか足を止めていたボクは、遅れた事に気付いて振り向いたノゾムに声をかけられ、ハッと我に返った。

「…あ…、いや…」

ちょっと動揺しているらしい。常は滑らかなボクの口からは、ろくな返事が出てこなかった。…乗り越えたつもりだったん

だが…。

ノゾムは怪訝そうにボクと、その視線が向いていたセダンを見遣る。

「知り合いでも居た?」

「そういう訳じゃ…」

事情を知っているノゾムに隠したって仕方ないから、ボクは顔を顰めて歩き出した。

「ボクの親も、最期はこういう風にセダンを停めてたからな」

吐き捨てたボクを、立ち止まって待っていたノゾムは怪訝そうな顔で見つめる。

「…え…?」

餅狐の口から漏れた声に、ボクは肩を竦めて見せた。

「防風林だったんだ。もっとも、冬の寂しい最中だったけどな」

ここまで言えば察しが付いただろうと思って、この話はここまでだという意思を込めてノゾムを見遣ったボクは、違和感に

気付く。

ノゾムは、戸惑っていた。ボクとセダンを交互に見て、「…え?…え?」と繰り返す。

…ん?

「知ってるんじゃ無かったのか?」

「え?あ…、う、うん…」

曖昧に頷いたノゾムは、少し間を空けてから「…ごめん…」と謝った。

「お父さんもお母さんも、あまり喋りたがらないから…、亡くなったとは聞いたけど…、経緯も、最期はどうだったのかも、

知らなかったんだ…。無神経だったね、ごめん…」

…そうか…。全部知っている訳でもないのか…。

考えてもみれば当たり前か…。ボクら家族という汚点について、体面を重んじるあのお偉い議員先生が吹聴して回るはずも

ない。家族にだって言いたくないだろう。

…いや、繋がりなんて無かった事にしたいぐらいだから、むしろノゾムにこそ話していなくて当然か…。

「知りたいか?」

「え?」

ボクの問いかけに、ノゾムはピクリと肩を震わせる。

「知りたいなら教えてやるよ。…お前の事あれこれ知ったんだ。こっちだけ黙ってるっていうのも公平じゃない」

「で、でも…」

ノゾムは戸惑いがちにボクの顔を覗って来た。

辛くないの?と、その目が問いかけている。話すのが苦痛なら黙っていていいのに、と…。

「ボクは元々ノゾムが全部知っている物だと思い込んでこれまで接していたんだ。今更知られる事に抵抗なんて無いし、もう

昔の事だから話すのだって何でもない。もっとも、全く知らないヤツ相手だったら、頼まれたって教えるのなんか御免だけれ

どな…」

肩を竦めながら応じたボクは、何でもない事だとアピールしながらも、動揺を隠す為か少し饒舌になっていた。

…親に未練はない。恋しいとも思わない。ボクだけ置いていったあの二人に、肉親の情なんてもう感じていない。

そして、恨んでも、憎んでもいない。「どうでもいい」から。

…だが…。

ボクはセダンをちらりと見遣る。

…だが…。弟を連れて行った事だけは許さない。

大人が自分の意思で何をしようが勝手だ。だが、それに年端もいかないアマルを巻き込んだ事だけは、絶対に許せない…。

ボクは視線を前に戻し、ノゾムを一瞥してから「行こう」と促した。