第二十九話 「寮友達との再会」(中編)
息の合い方が脅威。
ボクの第一印象はソレだった。
訪れたカラオケ店でのトップバッターは、イヌイとタヌキ。このふたりが…、
『えがおさくー!きみーとーつーながってーたいー!』
このように、のっけからデュエットでさくらんぼを熱唱しているんだが…、息ピッタリな上に、ちょっとアレンジされたノ
リノリの振り付きだ。
やけに上手い。揃って声のキーが高くて、それでいて無理なく安定している。
イヌイが小ぶりな尻を、タヌキがムッ尻をフリフリし、それぞれが細い尻尾と太い尻尾を立てて左右に揺する。
『もーいっかい!』
こっちに向かって揃って人差し指を立てるふたり。
…かわいいなオイ…。
しかし意外だ。イヌイはあまり賑やかな感じじゃないし、こういうのが得意とも好きとも思っていなかったんだが、ひとは
見かけによらない…。
弥が上にも盛り上がる中、アブクマだけが何故か硬い表情…。一体どうしたんだろう?
「…嘘だろ…。レベル高ぇじゃねぇか…。ここまですんのかよカラオケって…」
…何やら雰囲気に飲まれて呆然としているようだ。ビギナーにはショックだったらしい。このハイレベルなデュエットは…。
一曲歌い終えて、クマミヤがバスバスと、ボクがパンパンと拍手する中、タヌキはちょっと得意げに、イヌイは照れたよう
にそれぞれ笑う。
「キイチ…、お前もしかして結構カラオケとか来てんのか?」
戸惑っているアブクマの問いに、「来るようになったの最近だけどね」と、座るなりクマミヤに圧し掛かり気味にすり寄ら
れたイヌイが踏ん張りながら応じる。
「シロアン先輩と」
「先輩とかよ!」
声を大きくするアブクマ。何やら遺憾な表情だ。
「何で誘ってくれねぇんだよ!?」
「だって、サツキ君の昼寝中とかに出掛けてたから…」
「何で寝てる時に行くんだよ!?」
「稽古で疲れてるだろうから、起こすのもちょっと…」
「ってかシロアン先輩カラオケ行くのか!?」
「上手だよ?」
「お前いつからあのひととそんな仲良くなってんだよ!?」
「いいひとだよ?」
さらりさらりと応じ続けるイヌイと、愕然とするアブクマ。
「誘えよ俺も!」
「うん。今度からはそうする」
事も無く応じるイヌイ。…察してやれ。恋人が余所の誰かとカラオケに行っていて、それに誘われもしなかった上に、知ら
されなかった事でショックを受けているんだよソイツは…。
これじゃあ収まらないだろう。…と思ったが、デカい熊は顔を軽く顰めて耳を倒し、首の後ろをモソモソ掻く。
「そんなら良いけどよ…」
良いのか。
まぁ、キミらの問題だからどう決着しようが勝手だが…。もうアレか、こういう事で不信を覚えたりとか浮気を疑ったりと
か、そういう関係でもないって事か…。
続いて、クマミヤはビジュアル系バンドが歌うアニメの主題歌を、ボクはドラマの主題歌を、それぞれ歌う。
最近良く聴く知名度の高い歌だけに、盛り上げ役のタヌキも絡み易かったようで、備え付けのマラカスを両手に、キレのい
い動きを見せた。
…デブいくせに動きがいい。動けるデブとはこういう事か。ノゾムやトラ先生とはまるで別なデブだな…。
そして、やけに表情がかたいアブクマの番がやってきた。
モニターに表示されたのは、シーズンになる度にあちこちで流れる夏の歌のタイトル。確かにポップスだが…、十年ほど前
のヒットソングだ…。
…おい…。
どうした最近の曲は?最近の曲どこ行った?最近の曲を覚えて来たんじゃなかったのか?それともキミの感覚だと十年前は
最近なのかブーちゃん?
マイクを大きな手で握り締めるアブクマ。緊張気味なのか腕に力瘤が盛り上がっている…。マイクを握り潰しそうな勢いだ。
やめろよ壊すなよ勘弁しろよ。
そして歌い出すアブクマ。
…これは…、選曲ミスと言わざるを得ない。
アブクマの声は低くて太い。この高音の歌は少々合わない。
巨体から発せられる声量自体は十分なんだが、無理矢理声を張り上げるも、原曲よりキーがやや低い微妙な外れっぷり。…
落ち着かない歌だ…。
が、外れっぷりには気付かない振りをする大人のボクと、盛り上げ上手なタヌキは、間の手を入れる。…イヌイ、首を捻る
んじゃない。きょとんとするなクマミヤ。
カロリーばかりは二倍消費していそうな熱唱を終えて、拍手の中、席に戻るアブクマは…。やや顔を顰めている。
「…俺だけ下手くそかよ…」
気付いたのかブーちゃん…。
「いい声だったぞ。歌はまぁ、練習だな。不慣れなんだから仕方がない」
嘘にならない褒め方をしつつ、慰めるボク。我ながら穏やかになった物だ。
「だな。のっけから上手く行くわけねぇや。キイチと練習しとくぜ」
「そうそう。その意気だ」
もっとも、カラオケボックスで二人きりになった所でいかがわしい真似なんかして問題を起こしてくれるなよ?カラオケな
んて不純異性交遊の温床だからな。同性交遊だってちょちょいのちょいだ。
気を取り直したアブクマはコーラを啜り、一息ついてメニュー表を見遣る。
「ピザ食わねぇか?」
まだ食うのか?と言うか立ち直り早いなキミ。
「食うす」
即座に手を上げるクマミヤ。
しかし、二人は気付いていないが、イヌイとタヌキの目が若干冷たくなっている。
まぁ、キミらの問題だからどうこじれようが勝手だが…。
それからカラオケも数曲続くと、もはや諦めたのか、二曲目でアブクマは流れをぶった切る一曲を入れた。
兄弟船ときたか…。
それでこそだブーちゃん。いいぞもっと外せ。空気なんて知るか。…もはやボクも自棄だ。
なんだかんだで盛り上げ上手なタヌキは手拍子で皆を誘う。知っているだけにのってしまうボクら。
…アリなのか?この盛り上がり…。中高生が演歌で盛り上がるってどうなんだ?
気分が良くなったらしいアブクマは、マイクを置いて意気揚々とソファーに戻ると、ドシッと腰を下ろして気持ち良さそう
にドリンクを飲む。
「やっぱこういうのは慣れたモンが一番だな」
慣れてるのか。演歌に。
「親父さんとかの影響か?」
訊ねたボクに「まぁな」と応じるアブクマ。
「気分が良いと鼻歌混じりに歌ってっからよ。すっかり覚えちまった。…それと兄貴だな。子守唄まで演歌だったから…。まぁ
そっちも元を辿ってくと親父なんだろうが…」
顔を顰めるアブクマ。どうやら「何かおかしい」とは感じていたらしい。
「と…。ちょっと便所」
アブクマが席を立ち、もよおしてきたから「ボクも」と一緒に部屋を出る。
ドアを閉めて廊下に出ると、いくつもの部屋から響く、遠く聞こえるミュージックと声に包まれる、カラオケ店独特の空気
を味わった。
音量に慣れた事もあって、うるさいはずの店内はそれでもまろやかに静か。
「便所どっちだ?」
「奥だよ。ほら札がある」
キョロキョロするアブクマを促してトイレへ向かう。道すがら、熊は不思議がっているように店内を見回していた。
「音響とかに気ぃ遣ってんだろな。面白ぇ間取りだ」
「そうなのか?」
そういえば実家は大工…、こういう部分は気になるのか。
壁に設置された、柔らかな光で壁を照らすトーチ型の照明を見ては「間接照明か…」と唸ったり、廊下の突き当たりにドア
を設けるのを避けているとかどうとか、ボクには良く判らない所で「工夫してあんだなぁ…」と感心している。
「こんだけ入り組んでると、いざって時に避難が大変そうだけどな」
歩きながらそんな事を呟くアブクマに、ボクは「こういう建物も作るようになるのか?」と訊ねてみた。
「親父の会社はけっこうでけぇから、こういうのもやってるぜ?けどよ…」
アブクマは微笑して、照れているように鼻の頭を太い指で掻いた。
「俺が建ててえのは、「家」なんだ」
「家?」
おうむ返しに訊き返したボクに、アブクマは「おうよ!」と大きく頷く。
「スイートホームってヤツだ。自分の家、自分の部屋ってのは、ソイツにとって大事な財産で、拠り所だろ?そりゃあ俺はでっ
けぇ建物とかビルとか好きだけどよ。本当に造りてぇのは、そこで誰かが生活する家と部屋だ」
………。
「俺は、そういうモンを立派に拵えられる、立派な大工になりてぇ」
夢を語るアブクマを前に、ボクは…、彼を見直していた。
アブクマは、予想以上に色々と、しっかり考えていた。
いや、成績は良くないと思っているが、馬鹿だと思っていたわけじゃ決してない。それでも、コイツはボクが考えて思って
いた以上に大人だった。
「…ブーちゃんは、やっぱり親父さんが目標なのか?」
「ん?まぁ、そう…だなぁ…」
アブクマは一瞬考えてから頷いた。「あんまりしっかり考えてねぇけど、たぶんそうなんだろな」と。
「適当だし女好きだし話が判るようで判らねぇし、家に居る時はどうしようもねぇ親父だけどよ、やっぱ俺はあのひとを追っ
かけてんだろうな。俺ぁ頭も悪ぃし、褒められるような事なんて柔道始めてやっとできたぐれぇだけど…、認めて貰いてぇっ
てのはある。もうガキじゃねぇんだぞって」
………………。
アブクマの言葉は、ボクに色々考えさせる物だった。
父親の背を追う…。父親に認めて欲しい…。か…。ボクにはもう無縁な物だ。
…でも、父に憧れのような物を抱いていた時期は、確かにあったはずだ。父を好いていた頃は、確かにあったはずだ。今と
なっては、そんな気持ちなんて思い出せないが…。
奥まった場所にあるトイレのドアを開け、並んで便器の前に立ったボクらは、清潔なトイレ内で水音を反響させながら用を
足す。
ボクの頭の中は、なかなかに立て込んでいた。
成績で勝っていても、今のボクはひととしてアブクマに敵わない。
柔道で全国出場した猛者。将来を見据えて躍進する同い年。…テストの点数の差が何だというんだろう…?
ボクは何かできているか?
アブクマのように皆が認めるような何かをした訳でもなく、将来のビジョンは見えているようで、でも本当はかなり漠然と
していて…。
…ボクは、アブクマが羨ましい。
そうだ。アブクマが羨ましいんだ。
自覚した。
肩ひじ張って強がって、周りを欺いて生きてきて…。
同性愛者だった事も知らないまま過ごし、恋とも呼べない、叶ってはいけない思慕の情を親類に寄せて…。
優等生だなんだと自負した所で、それが空しい虚勢だって事は薄々判っていて…。
ボクは、アブクマが羨ましい…。自分と全く違う彼が、羨ましい…。
真っ直ぐ生きて、将来を見据えて、飾らずに自分をさらけ出せて、信頼できるパートナーが居て…。
学業の面で有利、優っている、そんな事がどうでもよくなる程の大仕事をやってのけて…。
「ウッチー?」
トイレに籠る声で、考え事に没頭していたボクはハッと我に返った。
見ればアブクマはもう手を洗い終えて、ジェットタオルで水気を切っていて、いつまでも便器の前から動かないボクを不思
議そうに見ていた。
急に意識されたジェットタオルの耳障りな音の中、いつの間にか用を足し終えていたボクは、ジッパーを上げて洗面台に向
かう。
「何か悩み事でもあんのか?」
そう尋ねてくるアブクマの顔を鏡越しに見ると、少し細めた目には気遣うような光…。
「いや…。別に…」
説明できる類の事じゃないし、言っても困らせるだけだ…。
ジェットタオルを使って水気を切り、先に立ってトイレを出たボクに、
「ウッチー、ちっと変わったか?」
後ろに続いたアブクマが、そんな事を言った。
「変わった?ボクが?」
心当たりがあって思わず立ち止まり、振り返ったボクの目に映ったのは、悩んでいるような困っているような熊の顰め面。
「あ〜…、その、上手く言えねぇんだけどよ…。何かこう、まったりした?」
「まったり?」
「…まったりは違うか…?えぇと、のんびり?…も違うな…。むむむ…!」
物凄く頭を使っているらしく、噛み付きそうな表情のアブクマ。怖いぞ顔が。
「あぁもう、アレだよ!やわっこくなったっつぅか、空気が落ち着いたっつぅか…、いや、落ち着いてたのは元々だがよ、こ
う…、余裕が?腹が座ったっつぅか…」
言葉を絞り出そうとするアブクマが、必死に並べる様々なキーワード…。
ボクは思った。
アブクマが口にしている事は、どれも正確じゃないが、そのどれもがかすっている…。
そう。ボクは変わったんだろう。薄々自覚はしていたが…。
ノゾムと再会した。
過去を見つめ直した。
自分の事が少し解った。
そして、今も自分を理解していく途中なんだ。
目を背け続けてきた事や、気付けなかった事…。それらを見据えて、演じるだけじゃなく、本当の自分をしっかり理解して
いくつもりになれて、気ばかり逸る面が薄れたから、まったりしたようにものんびりしたようにも、落ち着いたようにも腹が
座ったようにも感じられたのかもしれない。
…参ったな…。鈍いようで案外鋭いじゃないかブーちゃん…。
「まぁ、変わった事は確かだな」
言葉探しで四苦八苦しているアブクマに、ボクは笑いかけた。
ああ…、本当に羨ましいな…。頭じゃなく気持ちで相手の変化を感じ取れるキミが…。その感性はきっと、ボクみたいな頭
でっかちにはなかなか身につかないだろう…。
アブクマは一度口を閉じてへの字にしてから言った。「上手く言えねぇや…」と残念そうに。
ボクは応じる。「大丈夫だ。だいたい伝わってる」と、笑みを浮かべて…。
「…やっぱ何かあったのか?」
「まぁ…、色々な…。「何かあった」と一言で表せるのに、いざ説明しようとすると、これがなかなか…」
「言い難いなら言わなくていいぜ?お前が困ってねぇならそれで良いんだ」
アブクマは無理強いはしないと自分の態度を示し、その上で念を押してきた。
「ただな、手助けが要るなら言えよな?遠慮は無しだ。俺達はダチなんだからよ」
大熊の目は真剣で、ボクの瞳を真っ直ぐに見つめて来る。
…はぁ…。
本当にボクはどうしたんだろうな?「何でもない」「大丈夫だ」そう、いつだってはぐらかして、自分で納得できるように
頭の中身をこねくり回していたのに…。
「…助けは…、今は必要ない」
ボクの口が動く。冷静に平坦な言葉を吐いて。
「…けれど、知りたい事と…、知っておいて欲しい事がある」
ボクの口が動く。今度は少し勇気が要った。
「…ちょっとだけ話…、聞いてくれるか?」
ボクの口が動く。恥を忍んだ言葉なのに、言ってしまったらふっと楽になった…。
トイレから見て部屋と殆ど逆方向の位置には、自販機とソファーが置かれた休憩所があった。
腰を据えて話せる場所を探していて見つけたんだが、喫煙者と非喫煙者が一緒にカラオケに来てもいいようにだろうか、灰
皿が設置されている。
アブクマは座る前に携帯を取り出し、短くメールを打った。…たぶんイヌイに少し遅れる事を伝えたんだろう。
そして紙コップの自販機でアイスコーヒーを二つ買い、「ほれ」とボクに片方差し出した。
「有り難う」
応じたボクが受け取って座り、アブクマが隣に腰を下ろす。合成革張りのソファーがギシィッと抗議するように軋んで、ア
ブクマの尻の下が大きくへこんだ。
アブクマは、ボクを急かさなかった。だからコーヒーを口に含んで、飲み下したそれが食道を冷たく伝い落ちる感触を味わ
い、少し落ち着く猶予ができた。
無言のアブクマが、横でズルッとコーヒーを啜る。
自販機の音と、遠く聞こえる客達のカラオケが、ボクらの間にわだかまる沈黙を埋めた。
「少し前にな、気付いたんだ」
切り出したボクの声に、アブクマが頷く。
「ボクは、どうやらホモだったらしい」
再びの沈黙。ノーリアクションのアブクマは…、聞こえなかった訳じゃないらしい。ちらりと覗ったら、真っ直ぐ前に向け
られた目が大きくなっている。
「この夏休み中に気付いたんだ…」
ボクは少しずつ、ポツポツと、自分の中身を切り崩して判り易く並べて見せるように、アブクマに語った。
同性愛に偏見は無かった。前にアブクマ達に語ったあれは、嘘じゃない。
他人が何をしようと迷惑さえ被らなければいいという、無関心から来る寛容さ…。そう思えなくもないが、もしかしたら無
自覚にいくらか共感していて、偏見を抱かなかった部分もあるのかもしれない…。
性処理の頻度はたぶん少ない方だと思っていた。それはそれで特に困る事も無かったし、おかしいとも思わなかったが…、
実際には、オカズにする女性の際どい写真などにそれほど強く惹かれなかったからなんだろう。
それでも全く興奮しなかった訳ではない事を考えると、要するにボクは、極めてホモセクシャル寄りのバイセクシャルとい
う事になるのかもしれない。
…いや、ノゾムとの行為に興奮を覚えてしまって以降、さらに女性の裸に興奮を覚えなくなった…というより全く興味が抱
けなくなってしまった事を考えれば、もう完全にホモセクシャルと言って良いだろう。実際、もう女性とうんぬんとかそうい
う事を想像しても、ちっとも性的な昂ぶりが無いんだから…。
そうしてボクは、改めて自分の中の変化や、同性愛者である自分を分析、理解しながら、アブクマに事情を語った。
もっとも、ノゾムの事は伏せている。ボクが「そういう事をする近しい相手」と接するうちに自覚し、行為に及んで、自分
がホモだと確信した事だけ伝えた。
黙って聞いていたアブクマは、ボクの話が一区切りするのを待って、「そっか」と漏らした。
「まぁ…、アレだよな…。結構ビックリすんだろ?」
「うん…。まぁ…」
歯切れ悪く応じたボクに、
「俺もそうだった」
アブクマは背もたれを軋ませながら体重を預け、天井を仰いで、自分がどうだったか語り始めた。
「おかしいんじゃねぇか?俺はどうしちまったんだ?…とかな…、考えた。色々と…」
思い出しながら時々つっかかり、言葉を探して考え込み、アブクマは自分の体験を、心の動きをボクに打ち明ける。
判る。ボクがこの夏に直面した悩みだ。割り切ろうとしても引っかかって、すんなり飲み込めないあの感覚と、大っぴらに
相談できないもどかしさと、不安…。
ボクにはノゾムが居た。きっかけになったアイツが傍に居たから、同類が目の前に居る事で不安も堪える事ができたし、悩
みだって深刻にはならず、徐々に順応してきている。
…けれど、アブクマは一人だったんだ…。
自分とコイツの違いをつくづく思い知り、また羨ましさが首をもたげたが、ひとまず抑え込む。
「とにかくだ」
アブクマの話が終わってから、ボクは軽く肩を竦めた。
「そんな訳でボクも晴れて入学…、ホモ一年生って訳だ。その道のセンパイとして、アドバイスよろしく頼むぞ?」
ボクのシニカルな表情と物言いに、アブクマは一瞬きょとんとした後、二カッと歯を見せて笑った。そしてふと、思い出し
たように眉根を寄せる。
「ウッチーのきっかけになったヤツ…、お前はソイツに惚れてんのか?」
どんなヤツだとか、名前だとか、アブクマはそういう事を一切訊こうとはしなかった。伏せていたボクの気持ちを察したん
だろう。
「それはない」
ボクはきっぱりと否定した。
「言っておくが、照れの誤魔化しとかじゃなく、本当に違う」
囃し立てられてはかなわないからさっさと釘を刺して、ボクは先を続けた。
「恋の「好き」とは違うんだ。どちらかというと…、親友より一歩踏み込んだ、肉親の情に近い物があるかもしれない」
言ってしまってから、肉親の情っていう表現はストレート過ぎてまずかったかなと心配になったボクだが、アブクマは口を
挟まず、神妙な顔をしている。…変に勘繰られたりはしていないようだ。
「それに、例え恋だったとしても、その恋は報われちゃいけない」
ボクの言葉で、アブクマは「は?」と、少し戸惑ったような顔になった。
「…ソイツには、好きなヤツが居るんだ…。アイツは幸せにならなくちゃいけない。…だからボクは、その恋を応援する。例
えボクがあいつに惚れていたとしても、同じ事を考えただろう」
これは嘘じゃない。ボクが例えノゾムに恋をしてしまっていたとしても、アイツの恋を応援しただろう。
…ドウカさんはいいひとだ。それにアイツは、ボクと違って独りで生きていけるようなタマじゃない。支えてくれる、頼り
になる誰かが必要だ。
…そして、ボクじゃそういう役目は果たせない…。偽って強がっているだけのボクとじゃ、傷の舐め合いに終始するのが関
の山だ…。
「そっか」
アブクマが頷く。ボクの言葉を信用してくれたのか、「本当のところは…」とかほじくりかえされないのが有り難かった。
「けどな…、お前、イッコ見落としてるかもしんねぇぞ?」
「え?」
予想していなかった言葉にボクが耳を立てると、アブクマは大きく頷いた。
「「アイツは幸せになんなきゃ…」って、それだけじゃねぇだろ?ウッチーもよ、幸せにならなきゃなんねぇんだぜ?」
…不意打ちの一言だった。
言葉を返せないボクの横で、アブクマはむふーっと大きく鼻息をついて一拍入れ、突然何か決心したかのように「おっし!」
と、胸の前で右拳を左掌にバシンと叩き付ける。
「やるか!幸せへの第一歩!」
「は?」
妙な言葉と、何やら嫌な予感がする雰囲気で、ボクは眉根を寄せた。
「「は?」じゃねぇよ。幸せへの第一歩って言ったら…、恋人探しだぜ!」
…待て。
余計な真似をするな。
今は相談に乗るだけでいい。
まだそっと見守っていてくれ。
ビギナーにハイレベルな事を提案するな。
…と考えるボクだったが、不意打ちで口がパクパク動くだけ…。
「違うぜ?惚れた相手が居ると色々よぉ!…けど、そうそう気軽に相談できる事でもねぇからなぁ…。まずは休み明けに主将
とか当たってみて、らしい感じのヤツ探してみるか!」
落ち着けブーちゃん!あと落ち着けボク!
あわをくっているボクを他所に、アブクマは名案だとばかりに満足げにウンウン頷いて…。
「…そういや、ウッチーの好みのタイプってどんなだ?」
ええい話を聞け!いやボクも喋れていないが!