第三十一話 「繋がりのカタチ」
ドアロックを解除して「ただいま」とかけたボクの声は、若干の後ろめたさを覚えてか、少し小さめだった。
マンションのノゾムの部屋…、省エネ度外視で玄関まで空気が冷えているのは、肥満体なせいで暑がりな部屋主がしばらく
前に帰って来ていた事を意味する。
時刻は午後八時半。ボクは…、まぁ楽しい一日だったと言える。精神的に疲れるような事はいくつかあったが…。
ノゾムはどうだっただろうか?ドウカさんと上手い具合に楽しく過ごせたんだろうか?
ドアが開けっ放しのリビングからテレビの音が聞こえるものの、返事がない。
嫌な予感がして、そのまま短い間玄関に突っ立っていたボクは、いつまでもそうしている訳にもいかないから意を決して靴
を脱ぐ。
「…ノゾム?」
声をかけながら部屋を覗くと…、居ない。
テレビの大画面には世界の面白珍しい国や自然を紹介する番組が映し出され、リポーターが塔のような形をした珍妙な岩だ
らけの景色をバックに、どーでしょーこれ?と喋っているが、語りかけるべき相手が部屋に居ない。ただ映されているだけの
奇岩風景が何だか勿体ない。
…いや、カッパドキアはいい。この際どうでも。
テーブルの上には大手家電量販店のビニール袋。横には大きな厚紙の手提げ袋。…帰ってきてそのままにされているようで
はあるものの…、部屋のこの冷え具合からすると、少なくとも五分や十分前に帰って来た訳じゃないだろう?ノゾムは何処だ?
テーブル脇で袋類を眺めながら不思議がっていると、横手でドアが開き、「あ」と馴染みの声が耳を打つ。
「おかえりミツル」
湯上がりホコホコな餅狐が、過剰に肥えたプヨプヨの体にトランクス一枚という格好でリビングに入って来る。
「ただいま」
と応じながら様子を窺うが…、機嫌が良い?ノゾムの尻では、薄く湿り気を帯びている尻尾がフワフワ左右に踊っている。
「…どうだった?ドウカさんとのデートは」
これなら安心だと思って訊ねたボクは、
「デートじゃないよっ!酷いよミツル!」
ノゾムが途端に怒ったので面食らった。何だ?やっぱり駄目だったんだろうか?何かやらかしてしまったのか?ピコンか?
ピコンしたのか?
「あのねぇっ!いきなりなんて酷いじゃないか!前もって言っててくれれば良かったのに、準備に時間取られてドウカさんを
待たせちゃったよ!それに!欲しい物とか別になかったから買い物苦労したんだから!道中物凄く考え込んだんだから!これ
見てよ!これっ!」
一息にまくし立てながら、鼻息荒く肉揺れ激しくボテボテとテーブルに歩み寄ったノゾムは、ビニール袋を持ち上げて口を
広げ、ずいっとボクに中身を見せる。
見た途端に「うわぁ…」と思わず声が漏れた。
…乾電池…。それも各種大量に…。ボタン電池まで…。
乾電池がぎっしり詰まった袋は流石に重いのか、体重と体積ばかりで体力が無いノゾムは、腕をプルプルさせてふぅふぅ言
いながらテーブルに袋を戻す。
「困った挙句にどうでも良い物こんなに買い込んじゃったんだからっ!」
「…非常用に準備しておきたいのとか、リモコン用とか、その他諸々の言い訳を四苦八苦しながら捻り出して買った訳か」
「見てたのっ!?」
尻尾をボフッと太くして目を剥くノゾム。…お前…。
「見てない。勘違いするなよ?別に観察するためにデートをセッティングした訳じゃないからな?」
「…やりかねないって、今かなり思ってるよ…」
遺憾ながらボクはあまり信用されていないらしい。
「判る!?重いんだからねこれ!」
「良かったじゃないか?運動できて」
こんな事で怒っている辺り、どうやらドウカさんとの間で何かまずい事が起きた訳じゃなさそうだと察し、ボクの皮肉が調
子よくなってくる。が、
「…ぼく殆ど持ってないから…。持って歩いてくれたのはドウカさん…」
…御免なさいドウカさん…。
「とにかく!不意打ちはもう止めてよね!駄目!ゼッタイ!」
プンスカしているノゾムに、
「で、楽しかったのか?」
ボクは大切な事を尋ねた。
返事は無かった。
ノゾムは少し俯いて、せわしなく尻尾を振って、はにかみ笑いを浮かべている。
…そうか。良かった。
「さて、それじゃあお互いの一日の報告会といこうか?」
気を取り直したボクが反省していないように見えたのか、何やら不満げな顔のノゾムだったが、それでも頷き、冷蔵庫へ飲
み物を取りに行く。
「あ、先にお風呂する?」
「いや、銭湯行ったからいい」
後で汗をかいてシャワーだけ浴びる事になるかもしれないが。お互いに。
「アイスコーヒーでいい?」
「ああ」
先にソファーに座り、ノゾムが戻るのを待つボクは、テーブル脇の手提げ袋が気になった。が、覗く前に餅狐が戻ってきて
しまう。
…こんな時ばかり動けるデブになる餅狐…。いや、ちょっと浮かれているのか?何だかんだで楽しかったんだろう、いそい
そとアイスコーヒーをテーブルに置いたノゾムは、すぐさまボクの隣に腰を下ろして、促す前に今日の出来事を話し始めた。
「…で、夕ご飯の後に送って貰っちゃった」
遠くまで足を伸ばして、買い物をして、食事をして、…ただそれだけの、ノゾムとドウカさんの一日…。
だが、ノゾムは話している間ずっと嬉しそうだった。好きなひとと一緒に居るだけで、何の変哲もない買い物でもそんなに
嬉しい気持ちになれるのか…。
何となく想像がつく。こいつはきっと、上がってしまってモジモジしながら、そわそわと買い物して回ったんだろうな…。
「ミツルはどうだったの?楽しかった?」
「まぁまぁかな」
そう応じたボクは、さてどこから切り出そうかと考える。
一番重要な所だし、ホモである事を打ち明けた所からまず伝えるべきか?極端な話、そこだけ伝えれば後の事はわざわざ聞
かせる必要もないような…。
…いや、順を追って話さないと混乱するか…。
結局ボクは、集まったメンバー…寮仲間とその後輩達の事を簡単に説明してから本題に入った。
…途中でノゾムが耳をピククッと小刻みに震わせたから、誰かの名前に反応したように思えて「知ってるヤツが居るのか?」
と訊いてみたんだが、「ひと違いっぽい」と短く応じただけ。まぁ地元民だし、何かの折に誰かの名前を見るか聞くかしてい
ても不思議じゃないか。アブクマなんて有名人だしな。
アブクマの後輩達がホモだった事を説明する下りになると、ノゾムは流石にポカンとした。「最近の子は堂々と認めちゃう
ものなんだね…」と。…おい。いっこ下だぞあいつら。
が、そこからさらに話が進むと、ポカンとするどころじゃなくなった。
「…カミングアウトしたんだ…?」
呆然としているノゾムに、「したんだ」と頷くボク。
「何だその「不用心だな…」って顔は?さっきも言ったが全員ホモなんだ。言っても問題ないだろ?」
「いやそれは…、そうかもだけど…」
ノゾムは言う。「この間までノンケだったのに…、カミングアウト…」と…。
「事実だ。受け止めないでどうする。そもそもボクをホモにしたヤツが文句を言うのか?」
「違うよ。ぼくとの事はただのきっかけだよ。元々ミツルに素質あったんだよ。覚醒しただけだよ」
「きっかけとか素質とか覚醒とか大仰な言葉で事の根元をぼかすな!」
…ま、ノゾムがきっかけになったのは事実だが…。
とにもかくにも、カミングアウトも含めて特に問題が無かっ…、いや、彼氏探しとか余計な事は伏せておいて…、特に問題
が無かった事を説明し終えて、遅れて来る友人に合わせてまた皆で会う約束をした事まで話したボクは、
「ま、何はともあれ二学期が始まっても大丈夫そうだ」
そう締め括ってからハッとした。
ノゾムの顔が、ほんの少し曇った。見慣れていないと判らない程度の小さな変化だったが…。
夏休みの残りは、どんどん少なくなっている。
季節は変わって、ボクらが一緒に過ごす時間は、もうじき終わってしまう。
そうしてまた、それぞれの生活が再開されるんだ…。
でも、離れ離れになってもボクは独りじゃない。つっけんどんだが同室のヤツも居るし、周りにお仲間がいる。
…いや、確かに独り身ではあるものの、無自覚だった性的嗜好が明らかになったばかりの戸惑いが大きい段階だから、切実
にパートナーが欲しいとか、誰が好きだとか、そういった所まで意識が進まない。つまり「まだ居なくても平気」って言うべ
きか。だから独り身も精神的には苦にならないんだが…。
でも、ノゾムは独りなんだ。
独り身なだけじゃない。…周りにお仲間も居なければ、誰も相談できる相手が居ない、完全に孤立した状況…。
それはまぁ、ボクだって電話はするさ。連絡は取る。
…でも、ボクはホモになったばかりで何かアドバイスできる訳じゃないし、何より届けられるのは声だけで、ボクはともか
く変化に乏しい生活をしているノゾムには、一緒に過ごしているからこそ話題にできるような、他愛のない細かな出来事しか
喋るべき事がない。頻繁にかけても話す事が少ないと、共有できる事がないと、今みたいなやりとりはできないだろう…。
「あ、そうだ!」
ボクの物思いは唐突に遮られた。どこか取り繕ったようなノゾムの声と、わざとらしくポンと手を打った音で。
「さっき話した買い物でね、ミツルにもお土産買って来たんだ」
そう言って少し腰を上げたノゾムは、テーブル脇に置きっぱなしにされていた家電量販店の手提げ袋を取り、中からカラフ
ルなパッケージを取り出した。
「…何だこれ?ソフト?…何だか見覚えが…」
立てた両手の掌で左右からパッケージを挟み、タイトルとキャラクターが描かれた箱の正面をボクに向け、捻るように繰り
返し左右へ傾かせ、ついでに小躍りするように肥えた体を揺する餅狐。
「あ。これノゾムが時々夜中にやっているパソコンのゲームか?」
「ピンポーン!その通り!」
ノゾムの話では、PCや家庭用ゲーム機、携帯ゲーム機など、複数の機器から同一のプラットフォームに接続され、一緒に
遊べるオンラインゲームらしい。これはそのPC版ソフトだとか…。
「基本無料だから気軽に遊べるよ!」
いや、土産って持ち出されたところで悪いけど、ボクはそういう物にあまり興味が…。
そう断ろうとしたボクは、ノゾムの目に気が付いた。
パッケージを見下ろして説明を続けるノゾムの目には、緊張しているような、祈っているような、切実にも見える光が窺え
る…。
「これなら、ミツルが寮に帰っても一緒に遊べるもんね!」
その言葉で、ボクは視線をパッケージの表面に落とした。
繋がりを維持したくて、ノゾムなりに考えた…。その答えが、このささやかな共通の話題作りか…。
「ボクはそういうのに疎いぞ?戦記物や運営物のシミュレーションを除くと、ろくにゲームをした事がないからな」
その返事で、ノゾムの尻尾がへなっと垂れた。が、
「…それでも楽しめるゲームか?」
そう続けるなりビンッと立ち、左右にふっさふっさ揺れる。
「大丈夫!最初はそんなに難しくないから!」
それからしばらくは、パッケージに入っていたマニュアルを読みつつ、ノゾムからレクチャーを受ける事になった。
自分の分身となるキャラクターを操り、怪物と戦ったり依頼を達成したりするのが主な目的で、ストーリーは一応あるもの
の、楽しみのメインはアイテム収集やキャラクターの育成などのやり込み要素にあるらしい。
なお、敵との戦いはアクションだそうな。…やや不安だ…。
「説明書を読むより、チュートリアルの方が判り易いんだよね」
そう言うノゾムは概要だけ説明すると、早速ノートパソコンを取り出して、プレーヤー登録作業に入った。
メーカー発行のID取得とプレイ登録に必要なのはボクのメールアドレス。ソフト自体はノゾムのパソコンにダウンロード
済みだから必要ない。
なお、ゲームプレイ用のデータを公式サイトからダウンロードする事もできるそうで、パッケージを買うメリットは購入特
典アイテムと、本来課金が必要な部分をちょっとお得に楽しめるチケットが入っている事だけ。
「IDとパスがあれば何処でも遊べるんだ。ネットカフェでも他人のパソコンやゲーム機でも。ミツルのパソコンにもこのソ
フトをインストールすればすぐにプレイできるよ」
ノゾムのてきぱきしたガイドで認証が終了したら、綺麗なCGのオープニング映像が始まった。…これを見ている分にはア
クション映画のようで面白そうなゲームだが…。
映像を堪能したら、次は接続するサーバーを選んで、自分が操作するキャラクターの作成だ。
キャラクターデザインの自由度はかなり高く、獣人に人間にロボと、まるっきり別の生き物のような作り方もできる。さら
に身長や体型、毛色や肌色目の色、さらに瞳孔の形など、細やかな所まで調整可能。
ノゾムのレクチャーを受けながら、とりあえず自分に似せて作ってみる。
…グッド。なかなかハンサムだ。元が良いからな。
おお凄いぞ、ちゃんと尻尾が動いているじゃないか?良く見れば瞬きもしているし、耳も動かしている!
「眼鏡も付けられるよ?」
「よしやろう」
出来栄えが良かったから乗り気になって来たボクは、ここでふと気が付いた。
…このキャラが怪物と戦う訳か…。
派手なアクションを見せて、時にはやり返されて、酷い目に遭わされて…。
「悪いやっぱりやり直す」
「えーっ!?」
デザイン調整にかなり時間をかけていたせいもあって、ノゾムから非難の声が上がった。
「何で!?せっかく上手く作れたのに!」
「だって痛そうじゃないか」
「痛そう!?痛そうってなに!?意味判んないよ!?」
「判れ。自分の顔をしたのが画面の中で殴られたり蹴られたり踏まれたりどつかれたりするんだろう?どんなマゾがそんな事
を望むんだ?参考までに聞くが、ノゾムのキャラは自分にそっくりか?」
「…い、いや…、ちょっとは似てる…かな…?そっくりでは…ない…かも…?」
何故か口ごもるノゾム。
「とにかく、ボクの顔が殴られるのは嫌だ。リターンキー、リターンキー…」
「あー!」
さくっと作成開始画面まで戻るボクと、惜しむ声を上げるノゾム。
…さて、ボクの顔じゃない何かを作るとしようか…。とりあえず、誰かを元にデザインするのはイメージが固まり易くて楽
なのが判った。
…ブーちゃんなんてどうだろうか?彼を元にすれば見るからに強そうなキャラが出来上がるだろう。
オシタリはどうだ?アイツの顔ならどんなに殴られても蹴られても引っ叩かれても踏まれてもどつかれても痛くも痒くもな
いな。
…しかしちょっと問題がある。
このゲームには「職業」がある。つまり戦士とか僧侶とか魔法使いとか遊び人とか、ああいう具合の物だな。
それで戦い方や動かし方が変わって来るらしいんだが…、ボクがやりたいのはいわゆる魔法使いだ。
しかしアブクマもオシタリもそういう「キャラ」じゃない。戦士とか武闘家とか不良とかそんな感じだ。
これは由々しき問題だ。クレバーなオシタリなんか見たくないし、頭脳派のブーちゃんなんか気味が悪いぞ。
腕組みをしてしばらくウンウン唸りながら考えるボク。目で急かし続けるノゾム。
「…そうだ」
格好の「元」を思い付いたボクは、再度キャラクター作成を開始する。
獣人ベースで…、男性…。背は高くて…。
「お?縞々…。結構大柄?」
ノゾムが興味深そうに横から覗く。
「太いね。がっしり系?ん?もっと太くするの?太…、ふ…と…」
ノゾムの眉根が寄る。それはそうだろう、このヴィジュアルはインパクトがあるからな。
やがて、画面の中で形が整ったのは…、
「虎?しかもかなりふとっちょ…」
自分の事を棚に上げたノゾムの感想通り、大柄で丸々肥えた虎獣人だ。
ボクサーブリーフに似たアンダーウェアのみを着用している虎は、縞模様の無い体の前面…、せり出た胸とまん丸く膨れた
腹の白い部分がやけに広く見える。
「虎っぽくない…」
またも自分の事を棚に上げた感想を漏らすノゾム。狐らしさが欠片も無いヤツが何を言うか。
「実在するんだよこういうひとが」
「え!?嘘っ!?」
嘘とまで言うか餅狐が。星陵に帰ったら写真を取って送り付けてやろう。
「眼鏡はどこで選ぶんだ?」
「え?えぇと、フェイスタイプの所でアクセサリーを…」
なるほど、バイザーや眼帯、ピアスつきとか、色々選べるようになっているのか。よし、眼鏡装着完了。最初に着用する衣
服もある程度選べるんだが…。
「…これなんかどうだろうな…?」
選択できる長い外套を、白いカラーに変えてみたら…、思った通りだ。白衣に見えなくもない。
「次は声のタイプを選んで…、あ、サンプル聞けるから、そこのスピーカーマーク」
声は口調やセリフを選べるだけでなく、ピッチなんかも変更できる。低めにして…。よし、こんな具合だろう。
「完成だ」
「…前衛職じゃないんだ…」
「こう見えてクレバーなのさ」
「名前が「タイガーT」って…」
「いいじゃないか。シンプルで判り易いだろ?」
これは、魔法使いトラ先生。つまりタイガーティーチャー、略してタイガーTという命名。
プロローグが流れ終わったら、いよいよ実際に操作開始だ。
「おー、動く動く!」
コントローラーのスティックをグリグリすると、トラ先生が円を描いてグルグルと走る走る…。服の裾がちゃんと靡いたり
するのが凄いな。
…ん?いや待て。この動きは服の揺れだけじゃない…?
腹が…!太鼓腹が弾んでる…!?耳や尻尾にも驚かされたが、どんな拘り具合だこのゲーム!?
唖然としながらも細かな動きが面白くてしばらく走らせたが、このままグルグル走らせ続けて先生がバターになったり急な
運動でぶっ倒れたら困るので、ノゾムの指示に従ってゲームを進めにかかる。
「ここで仕事を受けるんだけど、最初のこれがチュートリアルを兼ねてるから…」
「なるほど、練習ステージだな?」
そうして始まった記念すべき最初の仕事で…、
「トラ先生ぇえええええっ!?」
雑魚敵に真正面からぶん殴られ、速攻で転倒するタイガーT。
派手に錐もみしながら地面に倒れ、ばゆんと弾む肥満虎の姿は、想像を超えて痛々しい!…というか、こんな時にも揺れる
脂肪…。どれだけリアルさに拘っているんだ開発元…?
「あ、「T」ってティーチャーって意味だったんだ…」
「そうだよ!それはそうとノゾム!出ないぞ魔法!」
「だって入力してから発動までちょっとタイムラグがあるんだもん…。今のは出る前に潰されちゃったんだ」
「つぶされ…?どういう意味…、あ」
むっくり起き上がるトラ先生。よし!傷は浅いぞ!しっかりしろ!
「っておい!起き上がった所ですぐさま殴られたぞ!?ブパシッて酷い音がしたぞ!何で待っていないんだ!?ダウンしたん
だぞこっちは!?酷いじゃないか!先生が可哀想だろう!」
「そんなボクシングじゃあるまいし…。とにかく、間合いを取って動かないと。こういう所があまり初心者向けじゃないんだ
よね、この職って」
「情報が遅い!そういうマメ知識は職業を選ぶ段階で教えてくれ!あ!またブパシ!」
あたふた操作するボク。どすどす走って敵と距離を取るトラ先生。ロックオンがどうとかアドバイスをくれるノゾム。もは
や余裕なし…!
二十分ほどかけて何とかかんとかステージクリアはできたものの…、トラ先生モデルは失敗だったか…。憎らしい相手でも
ないから、殴られたり転倒したりする様が見ていて痛々しい…!しかも怪物と戦わせるのが不安過ぎる…!
「じゃあ慣れた所で…」
「慣れてないぞ」
「ぼくも繋ぐね」
「抗議は無視か」
「一緒にやろう」
「落ち着け少し」
「大丈夫大丈夫」
餅狐はノートパソコンを持ち上げると、デスクトップの傍へ移動。どうやら本当に一緒にやる気らしい…。
「サポートするからね」
こちらのレベルに合わせて装備を調節するノゾム。あれか、本当は一緒にやりたくてボクに性急な仕込みをやってたわけか。
「あ、フレンドもオンしてる。折角だから誘ってみようか?職が多い方がパーティーに慣れるのも早いから…」
「ちょっと待て。忘れているかもしれないが、ボクは超初心者でトラ先生も超駆け出しだぞ」
「大丈夫大丈夫」
…意見を聞け。頼むから。
それからボクがトラ先生で今更街中探検をしている間に、ノゾムのキャラクターが出現した。
餅狐のキャラは…、本人とは似ても似つかないスレンダーな狐だった…。
「声をかけたフレンド、いま探索終盤なんだって。もうちょっとしたら移動できるから、後から合流するってさ。それじゃあ
早速Go!」
そこからは、さっきとは打って変わって快適になった。
ノゾムのキャラクターはガンマンだった。ライフルで遠くから狙撃したり、足止めしたり、近くに寄ったらスタイリッシュ
な二丁拳銃アクションと、なかなかテクニカルに動き回る。操作者とはまるっきり違う機敏さだ。
太い指がコントローラーを叩く音がやけに軽妙…。コイツ、きっとやり込んでる…。
「ガンマンも良いな…」
「職は変えられるから、ある程度進んだらやってみたら?」
ボクは少し考えてみる。
二丁拳銃で華麗に機敏に立ち回るトラ先生…。
…やっぱりいいや。イメージと合わない。
ノゾムが敵の動きをコントロールしてくれるおかげで、さっきと違って敵に囲まれたり詰め寄られたりといった状況になり
難い。今回のトラ先生はあまりブパシされなかった。
「あ、フレンドから連絡。到着だって」
ノゾムがそう言ったのは、丁度ステージをクリアした直後の事だった。
おい。ボクは初心者だぞ?いきなり知り合いに引き合わせるとか…、いやもう今更だが…。
街に戻ったトラ先生と偽狐を待っていたのは、人間女性タイプのキャラクターだった。
かなりの美人だ。…まぁゲームだから顔の造形は好みにできるが…。
細身で華奢な人間女性だが、軍人か特殊部隊のようなコンバットスーツやベスト類で身を固めた姿はなかなかに勇ましい。
青みがかった髪は背中の真ん中まで届く長さ。…動作に合わせてやっぱり髪が揺れている…、アクションの凝り方につくづ
く感心させられるな…。
「ぼくのフレンドの嵐(あらし)さん。上手いし礼儀正しいし面白いひとだよ」
ノゾムのそんな説明に続いて、画面の中のチャットウィンドウに嵐というキャラのコメントが表示される。
『嵐です。よろしく』
ノゾムに促され、ボクもキーボードを叩いて挨拶を返した。
「女のひとか…。こういうのはプラモのように男の子特有の遊びだと思ってたんだが…」
「ん?いや女性ゲーマーも居るよ結構」
ジョセイゲェマァ…。どこぞのアイドルがゲームマニアだとかいう特集で単語としては知っていたが、音声で聞くのは初め
てだ…。
「そうか、居るのか」
「それと、嵐さんは男の人だよ?」
…へ?
「でも女のキャラ…」
「女性キャラ使ってる男のひと、多いよ?」
「そ、そうなのか…?」
いちいち気になるボクだが、これはこういう物に不慣れなせいか…。
「…ところで、チャットで会話するのは、戦ってる最中はキツくないか?」
「ショートカットにメッセージ登録できるし、打ち合わせは普通トライする前に済ませるからね。戦闘中にチャットをしなく
ちゃいけなくなる事ってあんまり無いよ」
ノゾムはそう言いながら、嵐さんに初心者護衛ミッションだとか何とか説明する。…まぁ間違ってはいないが…。
『それなら武装を調整しよう』
『お願いします。あ、あと低レベルの湧きが良いのって何処でしたっけ?』
『序盤なら森林防衛か、岩窟探査か』
『岩窟まだなんです』
『そういう事ならレベル上げしつつ森林抜けが良いかもしれない』
『ですね。そうしましょうか』
さくさく進む打ち合わせ。ちんぷんかんぷんなボクは、その間に教わったばかりのショートカットに登録されている既存メッ
セージを確認する。
「…「助けて死んじゃう!」…っていうメッセージが凄いな…」
「危機感バッチリだよね」
使う機会が来ない事を祈ろう。
そして、いわゆる第二エリアを目指す行軍が始まった。
中盤を過ぎた辺りの敵に対しては、どうやらトラ先生はまだ分が悪いらしく、下手にブパシされると一気に体力が無くなっ
てしまう。
しかし、慣れているふたりのおかげでブパシ数は少ない。
偽狐はトラ先生の傍に寄る敵に銃撃して注意を引いてくれるし、何より…。
「うわ…!」
ブパシ寸前まで迫った敵が、トラ先生の前で宙に浮きあがる。
日本刀に似た反りのある剣を手にして滑り込んだ青髪の女性が、下から上へ掬い上げるように斬り付けて敵を宙に巻き上げ、
トラ先生を窮地から救っていた。
さらに嵐さんは、長い髪をなびかせて振り向きざまに敵を斬り伏せる。
一方で、先に宙へ浮かされた相手は、ノゾムの二丁拳銃集中射撃で落ちて来る前に消え去る。
抜群のコンビネーション…。何と言うか落ち着いて見ているなぁ二人とも…。援護が手慣れている…。
それにしても、女性と細身の狐に守られる二倍以上ある大虎…、この構図は少々情けない…。
ま、まぁ初心者だしレベルが低いんだから仕方がない!とりあえずショートカットでお礼を…。
『助けて死んじゃう!』
あ。押すキーを間違えた。
「うにゅはははははははははははは!」
『wwwwwwwwwwwwwwww』
声を上げて笑うノゾムと、どうやら笑っているらしい嵐さん。
ちょっと顔が熱くなったが…、
「なかなか面白いな」
「でしょ!?」
素直なボクの感想で、ノゾムは顔を輝かせた。
うん。これなら確かに、離れていても一緒に楽しめるかな…!
ボクは宇都宮充。化学部に所属する星陵高校一年生。伊達眼鏡がトレードマークのクレバーな狐だ。
…ショートカットキーはあとで精査しておく。