第三十三話 「二学期の始まり」

「…こうして、空気中の酸素と反応した鉄が、酸化鉄になる訳だがぁ…。これはつまり、身近な判り易い現象で言えば錆びると

いう事だなぁ。ここからは前に少し触れた所だが…」

 ゆったりと時間が流れる午後。教室には夏の残滓の熱がやや籠って、少し開けられた窓から熱が逃げて、代わりに風が吹き込

む。暑過ぎない程度にポカポカした良い塩梅…。

 黒板に記号を記している太った虎は、半袖ワイシャツの背中に楕円形の汗染みを浮き上がらせている。…やっぱり暑いのは堪

えるんだろうな、あの体型だと…。

「…それでだ。この化学反応は結構便利に使われているんだぞぉ。何だと思う?ヒントは、今の時期はあまり必要ないが、懐に

入れておくと寒さをしのげる品。…では…、イヌイ。何だと思う?」

 指名された猫は「はい」と席を立った。

「カイロですか?」

「正解。流石だなぁ」

「好きですから!というか、寒いのが苦手で…。えへへ…」

「うんうん。お世話になっている品に詳しいのは何よりだ。このメカニズムを知っていると事故防止にもつながる。安全に作ら

れているとはいえ、火傷なんかの事故が全くない訳じゃないからなぁ。さて、この酸化鉄からどんな事故が起きるかと言うと…」

 タイ…じゃない、トラ先生が酸化鉄が熱を発生させるメカニズムを詳しく説明して、出火などの事故がどうして起きるのかを

説明すると、教室のあちこちから軽く反応が上がった。

 使った事がある物と勉強している物が結びつくと、だいたいいつもこんな反応。トラ先生はこういう説明をよくするが、印象

に残る物は覚えやすいから、という事らしい。

 …少しずつ判って来たが、先生は教え方が上手い。興味の引き方も、覚えやすいように印象を深める話の仕方も、他の教師よ

りずっと。

 ボクは宇都宮充。クレバー伊達眼鏡の伊達狐。星陵高校一年生で、この教え方が巧みな先生が顧問をしている化学部員。

 二学期が始まって三日目。和やかに穏やかに、星稜の新学期は幕を開けた。…まぁ、新聞部と報道部の大騒動は別としてだ。

 

 放課後、二学期最初の部活動で、ボクは科学室に移動した。実はこれからしばらく活動が活発化する。というのも、文化祭に

は部として出し物をするからだ。

 ボクを含めて部員は十一名。化学が好きな生徒や、履歴書に部活動を書きたいけどキツいのは嫌だという生徒の合計人数だ。

ボクはまあ後者寄りだな。

 そんな面子で文化祭にやるのは…。

「ペットボトルロケットに9票かぁ…」

 部員のアンケートを捲りながら、トラ先生は空いた手で眼鏡の端を摘まみ、年寄り臭くピントを合わせる。

「色付きの水でレインボーロケット…。うん。これはできそうだし見栄えが良い。噴射が目立つ霧状になって長く滞空するよう

に調節…。うん。打ち込み甲斐がある目標だな。ホーミングロケット…?う~ん、誰だこれ書いたのは?難しいどころじゃない

し、何を狙うつもりなんだ?」

「予算を寄越さない教頭先生です!」

 部長のアライグマが挙手。そしてバギューンと指で撃つポーズ。

「教頭がひとりで決めた訳じゃないぞぉ?」

「判ってるけど代表で制裁を!天誅です!」

「う~ん…。気持ちは少し判るが、私に免じて勘弁してくれないかな?」

「判りました…」

 すごく残念そうだな部長。そんなに教頭が憎いのか。

「ペットボトルロケット以外で狙います!」

 判ってないじゃないか。何だその力強いガッツポーズ。

「他の何かでも狙わないで欲しいんだがなぁ…」

 困り顔のトラ先生。そこはもっと強く止めないとやりそうですよ部長は。

 そんなこんなで、メインはペットボトルロケット発射実験になった。

 生徒参加型の発射実験もやる。飛ばすロケット持ち込み自由という事で、宣伝したい部活にはデザインロケットの制作をもち

かけるという話も出た。

「参加者が少ないと寂しいから、みんなで知り合いに声をかけてくれ。私も他の先生を誘ったりしてみるからなぁ」

 先生がそう提案して、とりあえず声をかけて参加予約数を稼ぐ事から、ボクらの文化祭の準備は始まった。

 …宣伝か…。柔道部はもう十分知名度も上がったが、一応イヌイとブーちゃんにも話しておくか。

 それに、声をかければいくらか興味を持ちそうな先輩達もそこそこ思い浮かぶ…。

 よし、帰ったら寮の中で声を掛けて回るか。

 

 

「ぺっとぼとるろけっとぉ~?…あー!」

 ハーフパンツとランニングシャツ姿の大きな熊が、疑問の顔から一転して素っ頓狂な声を上げた。

「もしかして、ジュースのボトルに羽とかつけて、ミサイルみたいに飛ばすヤツか?」

「おや。知っていたんだな」

「おう。少し前にテレビで見たよなキイチ?」

「うん。面白かったよね、芸人さんのリアクション!」

 話を振られた小柄な猫が頷く。

「失敗して明後日の方向に吹っ飛んでった時の笑いとかな!」

「発射した方は頭を抱えてたけどね!」

 寮のアブクマとイヌイの部屋、胡坐をかいた熊が猫を抱っこする格好で、ラブラブカップルは笑い合う。

 既にパジャマ姿のイヌイに対し、アブクマは露出が多い格好で胸元をボリボリ掻いているが…。ブーちゃん、トラ先生よりオ

ジサンくさいぞ?いや、先生も自宅じゃこんな風なんだろうか?

「文化祭の出し物でやるんだよ。参加するなら宣伝にもなるかもな。アナウンスでロケット提供者と機体名読み上げるから」

「へー!面白そうだね?じゃあ、「柔道部入ろうよ号」とか…」

 露骨なネーミングだなイヌイ…。でもまぁ逆に清々しいか。入部してくれないかな~チラッチラッよりはずっと。

「そうだな…。面白そうだし俺達も混ざるか!」

 ノリが良いアブクマとイヌイは、ちょっと話を聞いただけでやる気になってくれた。

「作り方が判らなくても心配はしなくていいからな。デザインは自由だが、判らないなら作り方のレクチャーもする。ちゃんと

飛ぶようにこっちでチェックするし、気軽に参加してくれ」

 よし、これでまず参加者1チーム確保。

 

「へー、ボトルミサイルねぇ」

「ロケットですシゲ先輩」

 先輩方にも話を持って行ったら、灰色狼は面白がって切れ長の目を大きくした。

「発射台ってかさばったり重かったりすんのかい?」

「いえ。手動ポンプですからそれほどでもないはずです」

「じゃあさ」

 狼はテーブル越しに少し身を乗り出した。楽しい事を思いついた子供のような笑みが、整った顔を緩ませている。

「何発か川から打ち上げるのとか、どう?」

「…え?」

「ダブルスカル…ああ、二人乗りのボートの事な?それに打ち上げ要員を乗せて漕ぎ出して、川の中から上げる。ボトル回収し

なきゃだけど、数発だったらそんなに苦労しない。どうだろ?」

 ほ~…。水上競技者ならではの発想だな。可能かどうかは先生に確認しなくちゃいけないが、アイディア自体は面白いぞ。

「良いと思います。トラ先生に確認して、できるんだったら協力して貰えれば…」

「うん。ウチも顧問に確認しなきゃだけど、面白そうだ!」

 乗り気のシゲ先輩は、「アトラはどうだ?」と、机に向かって携帯を弄っていた虎の先輩を振り返る。

「応援団も一口噛んだら?宣伝になるかもよ」

「紳士とは、軽々に己を宣伝するものではない。行動により知らしめるものだ」

 お堅い応援団の先輩はそう言うと…。

「が、祭りに一肌脱がずして、何の応援団かと団長はおっしゃるだろう。そこで少し考えたが…」

 椅子に座ったまま体の向きを変えて、マガキ先輩はボクらの方を見る。

「発射の号令と言うかサインと言うか、そういった物に銅鑼声や太鼓が活用可能なら、団員数名を配置して協力するのはどうだ

ろうか?元より応援団は人手が必要な所を手伝う予定で居た。団長も許可してくれると思う。説明はこっちでやっても良いが…」

 聞いてないような態度で、ちゃんと話は聞いててくれたんだな先輩。

「判りました。ウシオ団長にもちょっと話してみます」

「第一声はそれが良いかもしれないな。点呼で顔も会わせるだろう。…ああ、それと…」

 マガキ先輩は少し目を泳がせた。

「…相撲部は…、うん…。宣伝したいかもしれん。友人にも今の話を伝えておこう…」

「シラトに?っていうかアトラ今さ、紳士は宣伝しないとかどうとか」

「相撲部員は紳士である以前に武人なので宣伝する事に何ら問題はない。むしろ武人が名乗りを上げる事に何の不思議があろう

か?いや無い」

 早口で反論するマガキ先輩。若干必死になっているような…。

「オーケーオーケー、いいじゃんマワシ締めたボトルとかさ」

 降参を示すように両手を軽く上げて、狼は苦笑い。

 とにかく、提案もされて、知り合いにも話をして貰える事になって、期待していた以上に実入りのある勧誘ができた。思いの

他調子良いな。

 

「うむ!それは面白そうだ!」

 点呼に来たタイミングで話をしてみると、ガタイも声もデカい牛の副寮監は、グッと身を乗り出して食いついてきた。

 この時点で初めて知ったオシタリは怪訝な顔。何で自分には話していないんだ?と顔に出ているが…。許せ。何回も話をする

のが面倒だからお前にはここで一緒にすればいいと思ったんだ。

「そうか、アトラが提案を!勿論ワシに異論はない!このままだと当日は手が空く団員が多くなる見込みだった、そちらに大人

数派遣しても良いな!ボトルが飛ぶ範囲内にひとが入るのも危なかろう?見張りや警備の意味でも団員は役に立てる!」

「そうだね。応援団が立っているだけでも皆は注意を払うし、安全圏の境界線に立って目印になって貰うのは、やる側にとって

も安心に繋がるんじゃないかな?」

 イワクニ寮監も賛成してくれて…、

「よし!柔道部ロケット、頑張って作るぞ…!」

 グッと拳を握り込む。やる気のご様子だ。…まぁ引退したら参加しちゃダメなんて話は無いだろう。寮監が手伝うなら二人も

心強いだろうし、せいぜい頑張って貰おう。

 あとは、シンジョウに連絡して友人連中にも話を回して貰うとするか。パンダ娘もこういうの好きそうだし、乗っかって来る

んじゃないかな。

 …さて、手は打ったし課題も片付いたし、今日やる事で残っているのは…。

 

 

「うん。タイガーT、その服はなかなか似合ってるぞ」

 新調した装備を早速着せて、PCモニターの向こうで太った虎を一回転させる。白を基調にしてイエローの蛍光ラインが走る

ロングコート風の防具は、実際に着てみせたら予想以上に見栄えが良い。白衣としてはサイバー過ぎるが…まぁ仕方ないだろう。

 いいぞ。また可愛く格好良くなったなタイガーT。

 オシタリがベッドルームに行った後は、ボクとタイガーTの憩いのひと時…ゲームの時間だ。PCのスペックは問題ないし、

新しく揃えたゲーム用の機器は調子がいい。直接顔を合わせていなくともノゾムとはボイスチャットでやり取りできるから、意

思疎通に不便は感じない。

 オンラインで繋がって、ノゾムとアラシさんに攻略を手伝って貰ったダンジョンは、予想したよりちょっと稼ぎが良かった。

本当は1ランク上の高性能なステッキを買おうと思っていたんだが、予定を変更してだいぶ上のランクの防具を奮発。性能も良

くなってダメージ軽減、タイガーTが痛い思いをする機会も少しは減るだろう。

 まだまだ脱ビギナーできないが、スキルの熟練度もそこそこ上がって来たし、貯えもそれなりになった。相変わらず使用頻度

が高いショートカットチャット
「助けて死んじゃう!」のお世話にはなり続けているものの、買い替えを繰り返している防具

類の性能アップや、タイガー
T本人のステータスアップ、ボクの上達もあり、力尽きる頻度自体は減っている。少しだが。確実

に。たぶん
。まぁ即死級の大ダメージはどうしようもないんだがな。

 とりあえず、白衣を思わせるコートは前を開けさせてっと…。うん。こうでなくちゃな。開いた前側から見える目立つお腹は

チャームポイントだ。ムチムチ丸々としていて可愛らしいし、同時に貫禄もある。

 インナー装備にも拘りたいが、ワイシャツ風の前合わせになっているインナーは、ショップのラインナップには無いんだよな。

このゲームのアイテムはS
Fチックなデザインが主流だし…。ボタンもついていてそれっぽい見た目になる、海賊っぽい船乗り

シャツとか、英国貴族風のゴシックインナーとか、前側を見るとワイシャツっぽい装備は非売品類にはあるらしいが、時期限定

のイベントで手に入る品だったり、レアドロップアイテムだったり、滅多に出現しない発掘装備品だったりと、手に入れるのは

簡単じゃないそうだ…。

 実はこのゲーム、ショップで手に入る既製品は、アイテム全体の種類から言えば一割にも満たない。希少な物や高性能な物は、

高難度ダンジョンから発掘したり、強力な敵キャラを倒したり、難しいミッションの報酬として手に入る物が殆どだ。そういっ

た貴重品はプレイヤー開く個人ショップを中心に取引されている。…ワイシャツ風のも…。

 例えば、ノゾムなんかはNPCを護る護衛ミッションや大量の敵から施設を護る防衛ミッションを中心にアイテムを稼ぐらし

いし、アラシさんは特別レアで強力なボスを賞金稼ぎか狩人みたいに狙ってアイテムを手に入れるそうだ。

 ビギナーのボクとタイガーTには、まだあまり縁が無い話だが…。ゆくゆくは上級者が使っている武器やオシャレ装備を手に

入れたい。

「頑張ろうな、タイガーT」

「また誰かと喋ってんのか?」

「うわビックリした!」

 イヤホンをつけている耳に後ろから生音声が届いて、椅子をガタつかせながら振り向いたボクは、ルームメイトの寝ぼけ顔を

確認した。…もう寝たと思っていたのに…。喉が渇いたのか?右手に茶のボトルを掴んでる。

「…今日は怪物にビームとか撃つゲームじゃねぇのか」

「いや、同じゲームだよ。シーンが違うだけで…」

 最初は馬鹿にされるかとも思ったんだが、オシタリはボクがゲームで遊んでいても何も言わなかった。というか興味が無さそ

うだった。なのに、起きて来たコイツはPCの画面をしげしげと見つめている。

「コレがビーム出してる奴か?」

「そうだよ」

 シェパードは黙る。…何だよその沈黙は?何か言いたいなら言えよ。

「…結構男前じゃねぇか」

「だろうっ!?」

 ッパァー!

「顔つきとか、落ち着いてる感じだしよ」

「キミもそう思うか!?」

「ガタイ良いし、貫禄もあるな。無駄にオラついてねぇ、余裕の貫禄だ」

「ボクもそう思ってる!」

「小さく映ってる時はよく見えなくて、もっとチャラついたヤツかと思ってたが、ドンと構えた良い男だな」

「何だオシタリ、キミ意外と見る目あるじゃないか!」

 ちょっと覗いて話しかけて来たシェパードは、ひとしきりタイガーTを褒めてから寝室に戻って行った。ふふふ…、男前だそ

うだぞ?良かったなタイガーT。

 クルクル回らせてみたり、ノシノシ歩かせてみたり、翻る白衣や弾む肉質を眺めていると、時間は驚くほど早く過ぎていく。

こんなに愛着が湧くなんて、ノゾムに付き合うつもりで始めた時には考えもしなかったな…。

 ノゾムが言うには、プレイヤーは操作するキャラクターを、ゲーム内の自分自身として見たり、理想のヒーローとみなしたり

して楽しむらしい。

 ボクの場合は後者寄りになるんだろうか?少なくとも自分の分身みたいには考えられないが、理想のヒーロー像かと言うと…。

う~ん、ちょっと違うな…。苦楽を共に冒険してきたせいか、相棒とかそういう感じかもしれない。

 特に効果とかは無いのに、イベントで手に入ったかき氷やアイスクリームとかを食べさせて、専用の仕草を眺めるのは楽しい

し、ちょっと良い目を見させてあげたいとも思う。

 景色が良い所や温泉スポットとかに行かせてあげたいし、そこでスクリーンショットを残してやりたいとも思う。

 …あれ?もしかして友人に何かする以上にタイガーTへの対応が良くないかボク?

 まあいい。どっちみち勉強に課題に睡眠と、ゲームに使える時間は限られているんだ。その間ぐらいは、楽しませて貰ってい

る分だけ良い目を見させてやらなくちゃ。

 さて、今日はここまで。そろそろボクも寝るとしよう…。

 

「ほ~…。それは良かった。随分声をかけてくれたんだなウツノミヤ」

 翌日の部活前、まだ皆が集まっていない時間帯、声掛けの成果を伝えたら、タイガーTによく似た…じゃない、タイガーTの

デザインの元であるトラ先生は、思った通り喜んで、細い目をさらに細めた。

「意外と交友関係ありました」

 自分で言ってから気付いたがその通りだ。思っていたより声をかけられる相手は多かった。

 …そう言えば、現実の知り合いよりネット上での知り合いの方が多いっていう若人の方が今は多いらしい。ボクもこれからは

ネットを介したゲームで知り合いが増えていくんだろうか?

「あ、先生そう言えば…」

 オンラインゲームとかはやった経験ありますか?と、ボクは聞いてみた。別に誘おうって訳じゃないんだが…、まぁ、単なる

興味だな。

「うん?オンラインのゲームか…」

 トラ先生は微妙な顔をした。詳しくない話題を振られて困惑してる感じがする。

「アナログだからなぁ私は…」

 そうだった。ノートパソコンも今年買ったばかり、自宅のインターネットも繋がったばかりだったっけ。職場でしかネットに

繋がらないとか、ボクから見ればかなり不自由な生活だ…。

「ただ、知り合いはやっているなぁ」

「へぇ、どんなゲームですか?」

「銃で異星人を撃ち殺すゲームだったなぁ…」

 題材的にはゲームに限らず映画や漫画でもありふれた物のような気もするけど、簡潔にそう説明されると字面が酷いな…。

「先生は、ゲームで遊ぶ事はどう思いますか?特にオンラインとか、学生には早いとか…」

 話を振る前に敵情視察、先生が否定的だったら話題にしない方が良いしな。

「いや。今のご時世、通信機器を活用した遊びや趣味は普通だろう。勿論、勉学に支障をきたさない程度でだが」

「それはそうですね。のめり込み過ぎは何だって良くない」

 そこは自分でも気を付けようと決めていた点だ。熱中し過ぎて適量を見誤っちゃいけない。

「顔も見えない遠くの誰かと、一緒に何かを楽しめるのは素晴らしい事だ。ただ、距離感だけは忘れてはいけない。メールでの

やり取りを含めて、先生達も気を付けている。相手の顔が見えないと判り難い事もあるし、勘違いする事も多いが、向き合って

いるのはモニターだけじゃない。通信している向こうにはひとが居るんだ。その事は常に忘れないようにしないといけないな」

 …今聞けて良かった。野良パーティーに参加した事はまだ無かったが、そういう所は気をつけなくちゃいけないな…。先生の

意見は忘れないでおこう…。

「そういった所にさえ気を配れば、ネットで接続するゲームに限らず、素晴らしいツールだと私は思う」

 先生はそう言うと、眼鏡の奥の目を細くした。

「例えば、遠く離れた友達とも気軽に楽しい時間を共有できる」

 あ。先生たぶん気付いたな…。

「はい。そういう所は凄いなって思います。ボクも節度を守って楽しんで行きます」

 先生はウンウンと、ただでさえ細い目をもっと細めて頷いた。

「さて、揃った事だし始めよう。各自席について…」

 部員も集まり今日の話し合いが始まった。

 ボトルロケットは単純に目立つ花形だが、日ごろの部活動の成果という事で、これまでにやってきた実験記録も発表する。判

り易く図解と写真入りで掲示する格好になるんだが、その表示方法やレイアウトについての相談も、今日のテーマの一つだ。

 応援団の協力や、シゲ先輩の提案の事も含めて、先生があっちの顧問と相談して調整してくれる事になり、展示する活動成果

についての意見交換が始まる。

 あれこれ意見を出す部員達の間を、スローリーにのっそりのっそりとトラ先生が歩き抜け、耳を傾ける。…実物はお腹の揺れ

もリアルだな。リアルタイガーT。

 クールビズ仕様になって気が付いたが、半袖ワイシャツから覗く腕は思ったより太い…って言うかどこも太いんだが、逞しく

見える。前腕が手首から肘にかけて太さを増していくラインを見ると、贅肉で太いだけじゃなく筋肉もついているんだなって思

えた。…そういえば学生時代はウェイトリフティングをやっていたんだったな。凄い馬鹿力だってアブクマも言っていたが…。

 腹肉はともかく、腰回りが全方向に太いのは重量挙げで鍛えた名残りなんだろう。若い頃はどんな姿だったのかな…。

 ワイシャツの生地はデップリした腹に内側から押されてパツンパツンだ。一番直径がある所なんか、ボタンの合わせ目が浅い

菱形に伸びてアンダーシャツが少し覗いている。下が素肌だったらヘソが見えているかも。

 尻の幅も気になる。ズボン自体が凄く太いんだが、それでもそのまま屈んだら尻が裂けそうだ。

 一学期とは意識の仕方が違うからだろうか?今更だけれど先生の体の厚みや幅に感心した。よくもまぁこんなに肉を溜め込め

る物だ…。ノゾムよりかなり大柄で全体的にボリュームがある。あんな風に揉んだり撫でたりしたらどんな感触かな?きっと手

触りは良いだろう…。

「ん?ウツノミヤ、私のズボンに何かついているか?」

 …しまった。先生がボクの視線に気付いて腰回りを確認し始める。

「先生、背中とか腋の汗染みが目立ちますよ」

 先輩がからかい、トラ先生は苦笑い。ナイスフォローだモブ先輩A。

「残暑が厳しくてなぁ。早く涼しくなって欲しいもんだ」

 襟の所を摘まんでちょっと浮かせながら、トラ先生は「年中春ならいいのにな」と笑った。

「そうしたら毎日花見をしながら酒を飲める」

「発言がおっさんくさいですー!」

 部員が突っ込んで、化学室にどっと笑いが零れた。

 花見ねぇ…。観るのは桜なんだろうけど、狂ったように咲いて景気よく散るあの花の良さが、ボクにはよく判らない。昔から、

日本人はみんな好きなんだよ的に聞かされるけど、何処が良いんだか。

 

 

 文化祭の準備は順調に進んだ。

 ボトルロケットに参加する部もそこそこ出て、割と本気で飛距離競争をする事になった。

 成果の発表についてはちょっと怪しい…。内容云々じゃなく、ロケットの方に注目が行き過ぎて化学室での展示にひとが来な

いんじゃないかっていう意味で怪しい。

 …まぁ、総合的に見て盛況ならそれで良いらしいんだが…。

「先生、参加者リストはボクが作りましょうか?」

 簡単で手間もかからないからそう提案したのは、部活の解散後の事。ちょっとした点数稼ぎのつもりで申し出ると、トラ先生

は「良いのか?」と眉を上げた。

「実験や発表に関係ない所ですから、ボクでもヘマをやる心配はありません」

 ボクはそろそろ気温も気にならなくなってきたんだが、先生はまだ暑いらしい。手の甲で横に額を拭いながら、「う~ん、そ

れじゃあ、頼んで良いかなぁ?」と目尻を下げた。

「はい、任せて下さい」

 それとなく、先生の腋を見る。背中の中心もだし、ベルトで締めつけられている腹の下側もなんだが、汗染みが気になる。こ

の肉量だから水分なんだか脂分なんだか判らないな…。

 そういえばノゾムの下っ腹…あの段が付いた下側の曲線周りは、汗をかいた後はひんやりしていて心地よかったな…。先生も

そうなんだろうか?

 などと考えつつ、視線を意識されないように自然に離す。

 夏休み中は毎日味わっていたが、しばらく触っていないと贅肉の手触りが懐かしくなるな…。秋の連休辺りにはまたノゾムに

ちょっかい出しに行ってみようか?

 …いやまぁ、アイツが意中の相手と一緒になってしまったら、ちょっかいをかけるのも良くないが…。

 なお、ブーちゃんは論外だ。あの肉はイヌイの物だからな。

 ふぅ…。名簿用のメモを見るともなく見ながら、何となくうら寂しい気分になる。

 まさかボクが、人肌恋しいとかそんな気持ちを味わうなんて、想像した事も無かった…。

「ウツノミヤ」

「はい」

 内心も思考も読まれないよう、完璧に何でもない風を装ってメモから顔を上げたボクを、

「ん~…。疲れてるのかぁ?」

 トラ先生はじっと見下ろした。

「え?そう見えますか?何で?」

「それはまぁ、溜息をついてたからなぁ」

 おっと!疲れとは別のため息だが、漏れちゃっていたのか!?注意しなくちゃいけないな、これは…。

「ウツノミヤは今回、随分頑張ってくれたからなぁ」

 そう言って、トラ先生は出っ張った腹が窮屈そうに少し体を曲げて、ボクに小声で囁いた。

「…少ぉし、サボったり手を抜いたりしたって、バチは当たらないぞぉ?他の部員にも働いて貰わなくちゃいけないしなぁ」

「…なるほど。了解です」

 おどけて敬礼の真似事をすると、先生はますます表情を緩めた。

 …あれ?何だろう…。

 思い返せば最近ずっとそうだったのかもしれないが、楽しくないか?最近の毎日…。