第三十四話 「運命は向こうからやって来る」
モニターの向こうで太った虎が、サイバーな雰囲気のバーで小さな立食テーブルを挟んで、青みがかった髪の人間女性と向き
合っている。
ブルーハワイみたいな色の飲み物を楽しみ…まぁ雰囲気だけなんだが…、とにかくくつろぎながら、ボクはフレンドのアラシ
さんとチャットで話をしていた。と言うのも、ノゾムが出先で雨に降られて帰宅が遅れ、なかなか冒険に出られないせい。
『運命かもしれません』
ボクの問いに対するアラシさんの回答が、モニターに表示される。ボクとノゾムは音声チャットだが、アラシさんはテキスト
形式だ。プライベートに立ち入り過ぎるのもなんだから理由を聞いた事は無いが、声を出し難いような環境に居るのかもしれな
い。壁が薄いアパートに住んでいるとか、家族に気を使っているとか。
なお、ボクの問いかけは「激レアアイテムってどうやったら取れるんでしょうね」という物。
特殊部隊のような迷彩服の上下に、防弾チョッキのようなベスト。武器はだいたいいつも刀。そんなアラシさんの装備はいつ
も、あまり凄くなさそうな軽装に見えるが、実は装着している全てが物凄いレアアイテム。出現率が低い敵や、物凄く強いヤツ
を倒すと低確率で手に入るらしい。…その低確率っていうのが、出現率も落とす確率も0.00何パーセントっていうレベルらしい
んだが…。
実力と時間と運があって初めて手に入るレア装備。…一応プレイヤーが売りに出す事もあるが、それにしたって高額だ。購入
できるだけの大金を稼ぐのにも労力と時間が必要になる。
『この血刀は、クエストの手伝いで討伐に行った先でたまたまレアエネミーが出現した事、低確率のドロップがたまたま当たっ
た事、討伐を手伝った報酬としてメンバーが譲ってくれた事、そういった事が重なって入手できただけです』
美人な人間女性は、立食テーブルに似つかわしくない一升瓶から、赤い雅な酒杯にお酒を注いでクイッと飲む。毎回思うんだ
が物理演算エンジンとかキャラクターの動作とか小物類とか、このゲームはスタッフの拘りが随所で深い…。
『端的に言えば、運です』
「運ですか…」
まぁ想定もしていたし、運ならどうしようもないなと、ボクは頷く。
『往々にして、運命は向こうからやって来ます』
サイバーな雰囲気のバーで日本風の酒器からお酒を飲んでいる美人は、そう続けた。
『良い運命も、悪い運命も、向こうから訪問して来る物です。どちらにしても、往々にして避けようがなく、身構えていない時
にこそ唐突に訪れる…。少なくとも、自分はそうでした』
何となく感じたのは、アラシさん…の中の本人の体験から来ている観念なのかなという事。アラシさんは男性らしいけれど、
何をしているどんな人なのかまでは知らない。ただ、ボクやノゾムよりも年上なのははっきりしている。仕事もしているし。
『来るときは来る物、来ない時は来ない物、運命もレアエネミーもレアドロップもそんな物なので、のんびり構えておいて、い
ざその時が来たら大いに驚いて喜べば良いと思います。できる事がたくさんあるゲームなので、タイガーさんも焦らずじっくり
遊ぶのが良いかと』
「それもそうですよね。今は焦っても手が届く範囲自体が狭くて、やれる事もまだまだ少ないんだし…」
そう、ボクもタイガーTもまだまだ駆け出し冒険者だ。長く遊んでいる内に向こうから転がり込む、か…。
っと、そう言えば…。
「話は変わるんですけど…」
ボクはノゾムから聞いた事…、プレイヤーが自分のキャラクターをどう見るかという話を思い出しながら質問してみた。プレ
イヤーは、操作するキャラクターをゲーム内の自分と見たり、理想のヒーローと見たりするとか、そういう話を。
今ボクが見ているキャラクターの「アラシ」は、アラシさんにとってどうなのかと訊いてみたら、彼女=彼は少し間を空けて
から…、
『運命、ですね』
と、答えた。理想の女性像とか言われても納得しただろうが、さっきの話から繋がっているような回答で少し面食らった。
『以前、唐突に訪れた運命。その形です』
はぁ~。ロマンティックな答えだな。でもあまり意外とは感じない。もしかしたら意中の相手か、上手く行かなかった相手…、
離別した相手っていう可能性もあるから、これ以上突っ込んだ話は聞き難くなってしまったが…。
『タイガーさんはどうなんですか?』
ボク自身に訊いているのかタイガーTを指しているのか判らない質問だが、どっちにしても答えは同じだ。
「最初はデザインが思い浮かばなくて、インパクトがある見た目の知り合いをモデルにしただけだったんですけれど、今は相棒
と見ています」
『いいですね、相棒。いい表現だと感じます』
そんなやり取りの最中に、ポ~ン、と軽やかなインターホンっぽい音が鳴って、モニターの上の端にノゾムのログイン通知が
表示される。
『ゴメンなさい!遅くなっちゃった!』
すぐさまパーティー加入した餅狐がボイスチャットで謝る。そしてバーの入り口からスレンダーな狐のガンマンが駆けこんで
来る。
「遅れたお詫びで一杯奢れよ」
無料だけど、まぁ雰囲気だ。
『体は乾いていますか?濡れているなら乾くまで待ちます』
『大丈夫です!エアコン強とサーキュレーターの強風で乾かしてますから!』
現在進行形か。そして部屋の湿度が凄い事になりそうだな。
「夕食は?お腹は減ってないか?」
『夕方にニンニク味噌ラーメン食べたから平気!』
なら汗も出ただろう。部屋の匂いも凄い事になりそうだな。
『ゴメン、でもありがとう。何だか心配されるのって新鮮…!』
独り暮らしだもんな、気遣われる事とかあまり無いんだろう。
『今日はアラシさんも8時までなんだし、早速出よう』
『了解』
「オーケー、今夜もよろしくお願いします!」
ボクは宇都宮充。基本操作だけはこなれてきたビギナーゲームプレイヤー。
そしてこっちはタイガーT。知略に長じた冷静沈着な冒険者だ。設定上は。
タイガーTが丸い体を捻って上半身を大きく右から左へ回しながらステッキを振ると、そこから放射状に青白い霧が広がって、
地面に氷を張らせる。
冷気に当てられた三頭身のサメみたいなモンスターは軽く仰け反った。ダメージの表示自体はとても小さい数字なんだが、怯
んで短時間の隙が生じた上に、足も氷に捕まって移動できなくなる。
そこに、青いロングヘアーを靡かせて、姿勢を低くしながら接近した美女が、日本刀で素早く居合い斬りを仕掛ける。
斬り付けから身を翻して、背中を向けて後ろに足を伸ばすと、蹴り上げられた三頭身のサメみたいなモンスターが、地上から
の連続銃撃に晒される。
ノゾムとは似ても似つかないスレンダーな狐が二丁拳銃で連射を浴びせると、無防備な所へ追撃を受けたちょっと可愛いサメ
は、落下する前に力尽きて消えた。
抜群のコンビネーションでボスを仕留めたボクらは…、え?タイガーTはダメージを出してない?いやいや貢献しているぞ!
アラシさんが攻撃し易いように動きを封じたりとか、ノゾムに射撃攻撃力補正の援護をかけたりとかだな…。
『リポップあるよ!注意して!』
え?
聞き慣れない単語に戸惑っていると、ボスが出現した部屋の中心点に、敵が出現する黒い球体状のエフェクトが…。あれ?普
通に出現する時のと違って、少し派手?何か黒い球体がパリパリ放電しているぞ?
『追加出現のレアエネミーです』
アラシさんが呟く。話はふたりから少し聞いていたが、レアエネミーの追加出現、初めて見た…!
さっきとは色違いのサメが、黒い球体をガチャンと割って出て来る。どんな強敵なんだコイツは…。
『色が違うだけだからさっきと同じ作戦で!』
『了解』
「了か…え!?色が違うだけ!?」
ボクが意表を突かれている間に、スタイリッシュ狐はハイジャンプから踏みつけキック、そのまま後方に飛びつつ空対地二丁
拳銃連射を開始。…なすすべもなくアウアウ言っているサメは、本当にさっきのと変わらない…。
時間にして一分もかからずにサメは成仏した。さっきのとまったく同じコンビネーションで葬られて。ボクに緊張感を味わわ
せるためにふたりが低火力武器にしていてもだ。
「勝ったけど、お金しか落とさないんだなコイツ…」
いや、三人で等分されてもボクにとっては大金なんだが、レアなんだよな?珍しい敵なのに、落とすのがお金だけっていうの
も何だか…。
サメが居なくなった地面を見つめるボクとタイガーTに、ノゾムが『アイテムはレアドロップで、大概はお金だけ落とすから
ね。こういうのも珍しくないよ』と言った。
『運命は向こうからやって来る物です。今回は縁が無かった、と』
達観した物言いでアラシさんが言って、三人で肩を竦めるジェスチャーをし合った。
…レアな敵が出ただけでこうなんだから、これ本当に何かアイテム出たらもっと興奮するだろうな…。
「ところで、今のヤツがアイテムを落とすとしたら、どんな物を落とすんだろう…?」
『え~と…、何でしたっけアラシさん?』
『確か、「サメザメとしたメガネ」ですね。水タイプと冷凍タイプのスペルの消費コストを抑えるアクセサリーだったはず』
はいそれ欲しい!タイガーTのためにあるような便利アイテム、しかも外見的にもだいぶオーケーな品じゃないか!…む~、
レアドロップかぁ…!良い物はやっぱり簡単には手に入らないんだろうな…!
「よし!とりあえずの目標は、ここのエリアひとりで突破できるようになって、サメと一対一で勝てるくらいの実力をつける事!
そうしたら空いた時間全部費やしてメガネを探す!」
『そんなに欲しいの!?』
『wwwwwwwwww』
「今日はもう終わりか?」
パソコンを落としてトイレに向かったら、歯磨きの支度をしていたシェパードが声をかけて来た。
「節度を守って、相手の都合にも合わせて、楽しまなくちゃな」
「…そういう所もクソ真面目だな」
「クソとは何だクソとは」
「まぁ、良い事だと思うぜ」
オシタリは何て言うか…態度や口調は前と変わらないのに、接し方が変わって来た気がする。適度につるめるようになったっ
て言えば良いのかな?
人当たりの良いアブクマに感化された所もあるんだろうが、良い変化だ。…いや、もしかしたら、イヌイの家に泊まっている
間に、礼儀作法やら何やらを見て思う所があったのかもしれない。何せオマワリさんの家庭だからな。
「あ、そうだ。歯磨き前に良い物飲まないか?」
「ん?」
「ゲームの長丁場用にカフェオレ買っておいたんだが、自分で思ってたほどやり過ぎてなくてさ。勿体ないし一本飲んでくれ」
「良いのか?そういう時が来たら飲めばいいじゃねぇか」
怪訝そうな顔のオシタリ。
…うん。実は夜更かししないから必要なくなったんじゃなくて、飲食しながらゲームできるほどボクに余裕がないだけだ。…
下手に片手と注意を離したらタイガーTが敵にブパシされて吹っ飛んで大転倒するから可哀そうで…。
「良いんだよ。それに乳製品だから鮮度は大事だ」
一日二日じゃそう変わらないけどな…。
「なら貰っとく」
「そうしろ」
冷蔵庫から円筒形の容器のカフェオレを取って来ると、シェパードは「高ぇヤツだよな、これ…」とまじまじ見つめた。
「気にするな。あ、でも二回あるか判らないボクの貴重な奢りなんだから、ちゃんと味わえよ?自分で言うのもなんだが、ボク
はどっちかと言えばケチな方だからな。…何だよ?」
オシタリは小さく笑いの息を零していた。
「…いや、ちょっと変わったよな。ウツノミヤ」
「ボクが?どう?」
「憎まれ口は変わってねぇのに、前よっか柔らかくなったっつぅか、つるみ易くなった気がする」
…なんだか、ボクがコイツに抱いてる印象と似たような事を言われているような…。
「そうかい?」
「そう思う」
「ふぅん」
ホモになった以外にも、ボクの中で何か変わってきたのかな…。
ふたりでテーブルを挟んで座って、テレビをつけてカフェオレを啜っていたら、オシタリが「あのよぉ」と、テレビの方を向
いたまま言った。
「パソコンとかに詳しいよな?」
「並程度だ。特別詳しいっていう訳じゃない。…どうしたんだ急に?」
「…図面書くのとか、設計とか…、大工の仕事でもよ…、パソコンとかタブレットとかいうのを使うらしいんだよ…」
あ。何となく察したぞ。
ゴモゴモ言うオシタリは、夏休み中にアブクマの家…つまり大工の家を短期間だが覗いた。正式にアルバイトとして雇われて
働いたわけじゃないが、ちょっとした手伝いをしたり、それで小遣いを貰ったりもしたらしい。
もしかしたら、将来の職業候補として大工が浮上したのかもしれない。…うん。ブーちゃんと一緒の職場で大工仕事…、頑丈
で馬力があるオシタリには向いているかもな。
「そういうの、今買ってもすぐは使いこなせないぞ」
「そうか…」
「だいたい、基本的な操作や使い方が判った上で、そういった専用の使い方をする物だ。いきなりはたぶん無理」
「なるほど…」
「それに、あまり言いたくないが…、そう安い物でもないからな」
「ああ、そいつは…」
オシタリは少し伏せ気味だった目線を上げた。
「そのぐらいは、使っても構わねぇって言われた…。無駄遣いじゃねぇなら良いんじゃねぇかってよ」
ん?誰にだ?…あ!
オシタリははっきり言わなかったが、ボクは勘付いた。
コイツの母親は、父親がオシタリあてに遺した遺産の管理人になってたんだ。ネグレクトも良い所の失格ママがお金を握って
いたせいで、オシタリは生活も切り詰めるほど…っていうかアルバイトをするほど切迫した状況になっていた。
それが、たぶん好転した。突っ込んで訊いて良いような事じゃないから問い詰めはしないが、おそらく、トラ先生が打ってく
れるって言っていた手が上手く行ったんだろう。
それで、だ。コイツにできたまともな遺産の管理人か後見人かが、必要ならパソコンぐらい買っても良いよと言ったんだな。
「判った。でもまぁ、とりあえずは買う物を選ぶ前に触ってみて、どんな物かを知るのがスタートだな。時間がある時にボクの
を使ってレクチャーしてやるから、カタログとかパンフレットとか電気屋で少し探してみろ。まずは慣れろ、それから選べ、だ」
「ああ」
素直に頷いたシェパードは…。
「…サンキューな…」
ちょっと間をあけてからポソポソッと礼を言った。
う~ん、変わったなぁ、本当に…。
「先生、今の時点での参加者リストできたので、プリントして来ました」
翌日の放課後、部活動前にロケット競争の名簿を渡すと、先生は「もう出したのかぁ」とメガネの端を摘まんでピントを合わ
せた。
「まだ先だから良かったんだが…、任せたせいで急がせたかなぁ?」
「いえ。追加は手間でも無いですし、一回出してみた方がレイアウトとか把握し易いので」
それに、申し込みを受けた時点で手書きですぐ書き足せるから、こうしてペーパーで手元にあった方が先生も便利だろう。
トラ先生はたっぷりした顎を引いて二度頷いてから、「うん、ありがとう」と眼鏡の奥の細い目を瞑っているように見えるほ
ど細くする。
…椅子に座っていると、ただでさえ立派な腹がさらにせり出して見えるな。ベルトにかかる肉の圧が凄そうだ…。前は不格好
だとか窮屈そうだなくらいにしか思っていなかったが、これは眼福って言えるんじゃないだろうか?
それはそうと、骨太な体格とはいえこれだけ腹が出ていると腰とかに負担がかかっているんじゃないか?いや、骨や関節どこ
ろか筋肉だってそうだろう。トラ先生が時々変なところを攣る理由がちょっと判った気がする…。
「ウツノミヤ、少し変わって来たなぁ」
「え?」
昨夜オシタリと話していた事を思い出して、ちょっとデジャヴなボク。
「プリントした方が私が使い易いと思ったんだろう?」
ん…、そこは気付かれるか。いや別に気付かれて困るような事じゃないし、あえて言わなかっただけで、隠してた訳でもない
んだが。
「ええまぁ」と曖昧に濁したら…。
「ありがとうなぁ」
トラ先生は頬を緩めて笑みを深くした。
「…あの…」
ボクは少し気になって質問する。
「ボクが変わったって、このリストの事で何か?」
「うん?ああ…」
先生は頬を指先でポリッと掻く。
「ウツノミヤは合理的で無駄が少ない子だ。判断も行動もなぁ。無駄を省く効率性がサボりや怠けに繋がらない、良い合理性だ」
褒められてる…と見ていいのかな?これは。
「だが今日は、後から確実に手直しするのに、ページの見本じゃなく全体をプリントした物をくれたなぁ。これは少し無駄にな
るとウツノミヤは思ったろう。だが私には便利だと思ったから、こうしてプリントしてくれた。…そういった、物事に余裕を設
けるようになった所が、変わったなぁと私には感じられた訳だ」
「…なるほど」
頷きながら、ボクは少なからず動揺していた。見た目に反して切れ者だとは感じていたんだが、ボクの予想を遥かに超えて先
生は鋭い…。これまで多くの教え子を世話して見送って来た経験は、そのまま観察眼にも繋がっているんだろうな。
「それはそれとしてだがぁ…。ウツノミヤ、張り切り過ぎてはいないかぁ?」
「え?」
「頑張ってくれるのは良いし、助かるんだが、文化祭までまだあるしなぁ。張り切り過ぎて疲れてしまわないように気をつけな
くちゃいけないぞぉ?」
「そうですね。気を付けます」
どちらかと言うと、ボクの頑張りというよりは、声掛けしたらたまたまトントン拍子に進んだだけだ。疲れるような事は特に
していない分、気遣われると何だか落ち着かないな…。評価された事は得なんだが…。
「うん。長丁場だ、少しのんびりやるくらいで丁度いいさ」
そう言って、先生は平手で額を拭う。…そろそろだいぶ過ごし易くなって来たんだが、先生ほどの肉付きだとまだ暑いのか…。
順調に準備が進む文化祭の出し物。
順調に集まるロケット競争参加者。
事が上手く転がって行くのは気持ちがいい。最初は仕方なく参加という気分だったんだが、それは言いっこなしだ。ちゃんと
貢献しているんだから。
「それで気分が良いから、僕を誘ったの?」
「気分云々はともかく、IT機器の買い物とかで相談できるのはキミかシンジョウぐらいしか居ないからな」
土曜日の午後、電化製品が並ぶ家電量販店の一角。
柔道部の練習は休み…だそうだが、ブーちゃんはイワクニ寮監と一緒に出掛けたらしい。二人きりが良いとかで。
珍しくひとりになっって暇そうだったイヌイに、丁度良いから付き合って貰ったボクは、あれこれ意見を出し合いながらオシ
タリ用のパソコンのパンフレットを手に取る。一緒に来て貰ったのは意見を聞きたいからだ。ボクひとりじゃ見落としもあるだ
ろうし、何より使っている機種を基準にして、良し悪しの判断にバイアスがかかっているかもしれないからな。
「図面とかのソフトを使うようになると、マシンパワーも大事になるんだろうけど…、最初は手ごろな所で良いよね?」
「最初から高性能でやれる事が多い物だと、戸惑うだろうしな。…と言うよりも、パソコンでできる事の多さが、既にアイツに
とってはテンヤワンヤになりかねないが…。デビューはタブレットにするっていう手もあるんだよな」
「だね。タブレットのタッチパネルで直感操作は良いかも。まず触った感じを覚えて、それと、おおまかにどういう物か知る事、
かな?」
「そう。…ところで大工もパソコンとか習熟する物なのか?」
「ある程度はそうみたい。サツキ君のお父さんの所でも、若い人たちは現場用の防水防塵耐圧のゴッツいスマートフォンに、水
平器とか角度計のアプリ入れて使ってるし、説明用の建物の設計図とかも今はパソコンで作るって。まぁ、特別な物だから、サ
ツキ君のお父さんはそれとは別に、最初に手作業で青図を作るそうだけど。必要じゃないけど家を建てる人には記念になる物だ
から、って」
「職人だなぁ…。ブーちゃんもゆくゆくはそういうの覚える必要があるのか」
「サツキ君はあんまり心配ないかも」
「なんで?」
イヌイは肩を竦めた。
「飲み込みが早いんだよね。コツを掴むのが上手いっていうか…。実は数学とかも、理屈を理解できると凄く理解が早い。柔道
が強いのも、運動力学を経験則から物凄い速さで学習してるせいじゃないかな」
まぁ確かに、勉強が嫌いなだけで、頭が悪い訳じゃないからなブーちゃんは…。
「ならオシタリよりよっぽど慣れるのが早いな。過不足ないマシンパワーのを選べば…。おっと、マシンパワーと言えば、だ」
ボクはカタログとパンフレットをチェックして、あのゲームに対応しているスペックかどうかを確かめる。…いや、他意は無
い。一緒にやろうとか考えてないし、目安としてアレが動くなら十分だろうと考えただけで…。
「あ。ウツノミヤ君最近ゲーム始めたんだって?」
「え?誰から聞いたんだ?って、オシタリか…」
別に隠している訳じゃないが、あえて言う事でもないから伝えていなかったんだが、元々あのシェパードと結構喋っていたイ
ヌイは、何気ない雑談からゲームの事を知ったらしい。
「凄くリアルでSF映画みたいなゲームだって言ってたよ。何ていうゲームなの?」
ボクがゲーム名を言ったら、「あ!詳しくないけど、名前は知ってるゲームだ!」とイヌイは尻尾を立てた。
「スペースオペラっぽい世界観で、冒険アクション物なんだっけ?」
「そうそう。ベタなようで最近のアニメっぽくもあるSFデザインでさ、やってみたらこれが面白い」
「どういう話なの?」
ボク自身もビギナーだから全体を把握している訳じゃないが、イヌイには説明書なんかに書いてある公式ストーリーラインを
簡単に話してやった。
いわゆる宇宙移民政策が必要になった未来の話。色んな星系にワープで調査船を送り込んで、人類が入植できる星を探してい
たら、住むのに適している星を見つけたけど文明の痕跡があった。けれど先住民族の姿は見えなくて…。というのが物語のバッ
クボーン。プレイヤーはその星を調べるために送り込まれた大規模調査船団の調査員のひとりで、本当に人類の入植が可能かど
うかを調べながら、先住民がどうして姿を消したのか足取りを追っていくっていうストーリー。
「面白い?遊びとしてっていうのもだけど、ストーリーとかはどう?」
「操作はちょっと難しい。…いや、ゲーム慣れしていたらそうでもないのかもしれないが、ボクはまだちょっと手間取るな…。
システムはそんなに複雑じゃないけど、キャラクターのステータスや装備やら何やらの組み合わせで個性が出るし、追加要素が
定期的にリリースされるから、やり込むプレイヤーも飽きが来ないらしい。話自体は、ボクはまだ序盤だけどそこそこ面白そう
に感じた。ちょっとミステリー要素もあるしな。何て言っても…、操作するキャラクターが細かくデザインできる所が凄くいい」
そう!自分でデザインしたキャラクターがな、愛着沸くんだよ!
「おっと!」
ファミレスの入り口から足早に狸の中年が出てきて、ボクは慌てて二歩早歩きになって避ける。後ろに続く誰かを振り返り、
話しかけながら出て来たから、こっちの方をまるで見てなかった。不注意だなぁ…。
「何から何まで済みませんネー!いや、補助制度があるなんて全く知らなかった、損する所だったよー!」
背はあまり高くないが丸々としている狸は、上機嫌で話していた。ボクとイヌイはそのまま進んで、ファミレスの旗の今季イ
チオシメニューを眺めて「これサツキ君好きそう」「間違いなく好きだな」などと言い交わして…。
「いえ、こちらこそ良い話ができました。お手伝いできて嬉しいですよ」
………。
振り返る。足を止めて。
狸が話している相手の後ろで、自動ドアが閉じる。
翻ったファミレスの旗の向こに、狸と話す相手の姿が垣間見える。
リスだ。
中肉中背でこれといった特徴が無い、三十代くらいの。
縞模様も、白い部分の面積も、黒縞の幅も、初めて見るタイプだ。
でも。
でもボクが。
ボクが気付かないはずがない。
気付かないはずがなかった。
声は同じだった。
記憶の中にある物と同じだった。
模様も色合いも違っていても、中身は同じだと、すぐに気付いた。
社交的で、人当たりが良さそうで、笑顔が好印象で…。
「ウツノミヤ君?」
イヌイの声が聞こえた。煩い心音と耳鳴りの向こうから。
リスがこっちを向いた。あっちはボクを見てもピンと来なかったらしく、一瞥した後でこっちが凝視してる事に気付いて、二
度見した。
それでも、判らなかったらしい。誰だろう?何処かで会ったかな?そんな顔をしている。
ああ、そうなんだろう。憶えていないんだろう。いちいち、憶えてなんか…!
気付けば、足は数歩引き返して、ボクはリスに歩み寄ろうとしていた。
「…志摩(しま)さん。お久しぶりです」
声をかけたボクに、リスは社交用の笑みを見せる。ボクが誰なんだかまだ気付いていいない事は、その曖昧な表情から察して
余りある。
そうなんだろう。判らないんだろう。有象無象の中の一人なんだろう。いちいち記憶に留めておかないんだろう。
自分が資金を持ち逃げしたせいで、滅茶苦茶になる家庭の事なんか顧みないように。
「お元気でしたか?」
ボクの声は自分でも気味が悪くなるほど平坦だった。自分自身の気持ちも感情も誤認しそうになるくらいに普通で、落ち着い
ていて、本当に何でもなく世間話をするように話しかけただけのようで…。
「お陰様で元気だよ。君も元気そうで何よりだよ。えぇと…」
微笑むリスはボクの顔をまじまじと見つめた。思い出せないようだから、ボクは伊達眼鏡の縁に指をかける。
「ミツルです」
眼鏡を外し、素顔を晒し、ボクはリスを見つめた。
シマの顔がゆっくりと、何かに気付いたように変化して、表情を消し、次いで強張った。
「宇都宮充です。その節は、父ともどもお世話になりました」
ボクが言い終えない内にシマは身を翻して駆け出した。置いてきぼりにされて戸惑う狸…おそらく次の被害者になるはずだっ
たおじさんの前を、ボクは駆け抜けて追いかける。
ああ、アラシさんは正しかった。
運命は、向こうからやって来る。