第五話 「応援団」

「応援団?」

午後十時。点呼も入浴も終わってくつろいでいたボクは、読みかけの文庫本から顔を上げてルームメイトの顔を見遣った。

部屋の中央にある低いテーブルに背を預け、PC(ボクの私物だ)の画面に表示されているテレビ番組を眺めているシェパー

ドは、甘口の缶コーヒーを啜りながらこう言ったのだ。

「応援団ってのは、なんだ?」

なんだ?って言われても…、あまりにも漠然としていて、それだけでは何を訊きたいのか判らない。

たまに自分から口を開いたかと思えば、唐突に妙な質問をしてきたものだ。

「応援団は応援団だろう?」

要領を得ない質問に、それでも一応投げやりながらも答えてやると、オシタリはようやくこっちを振り返った。

「だからよ…。応援団ってなどういったもんで、どういう事してんだよ?」

「応援団の活動内容の事なら、副寮監に訊けば良いじゃないか」

この寮の副寮監は応援団長だ。至極当然と思われるボクの提案に、オシタリは顔を顰めた。

「下手にンな事訊きゃあ、入団しろとかなんとかしつこく勧誘されるじゃねえか」

ボクは声も体もでかい三年生の牛の顔を思い浮かべ、大きく頷いた。…それはもっともだ…。

「応援団は応援するものだろう?それだけじゃないか」

「そっちだけじゃなくてよ、他にも何かあんだろうが?」

オシタリはコーヒーを啜りながら言う。

「ああ、別の活動の事か?あいにくそっちは詳しく知らないな…」

「そうか…」

シェパードは頷くと、再びテレビを見始めた。どうやら彼的にはこれで話は終わりらしい。

訊くだけ訊いておいて何の説明も無しか…。相変わらずだが、それはないんじゃないかオシタリよ?

ちなみに、彼が見ているのは動物のクイズ番組で、今日はネコ特集らしい。

今は首周りにモサっと毛が…、いや、どこもかしこもモサっとして、特に尻尾が凄い事になっている独特な風貌のネコが画

面に大映しになっている。

何と言うネコなのかボクは知らなかったが、オシタリによるとソマリというネコだそうだ。

…この間テレビに出ていた手足が短いネコの名(確かマンチカンといった)も知っていたが…、気の毒な脳みそが頭蓋骨に

収まっている割に妙な事に詳しい…。

まあ、それはともかく…。

「応援団に興味があるのか?」

「ねえよ」

無愛想に応じる我がルームメイトだが…、はて?

「興味が無いなら何故そんな事を訊くんだ?」

「…別に良いだろ…」

オシタリは子ネコ達が戯れている画面に見入ったまま、ぼそっと応じた。

…どうでも良いが、微妙に顔が緩んでいるぞオシタリ。

ボクは宇都宮充。星陵高校一年の狐獣人。化学部所属。

最近ではこの無愛想なルームメイトとも意思疎通が可能になった、伊達眼鏡がクレバーな学級委員だ。



「応援団?」

翌朝の教室で、隣室の寮生でありクラスメイトの小柄な猫獣人は、ボクに話を振られると首を傾げた。

昨夜のボクと同じリアクションなのがちょっとおかしい。

ホームルームまでは時間があり、オシタリはまだ登校してきていない。それで、ちょっと訊いてみたんだが…。

「キミには何か言って無かったか?」

席につきながら重ねて尋ねるボクに、イヌイは鞄から机に筆記用具と教科書を移しつつフルルッと首を横に振る。

「ううん、これといっては何も…」

無愛想に毛と手足と尻尾が生えたような生き物のオシタリだが、イヌイには気を許している節がある。

というよりも彼にだけは寛容というか、むしろ甘い。買い物に付き合うし、何か話しかけられれば結構素直に返事をする。

…ボクやブーちゃんと大きく扱いが違うのは何故だろうか?小さい上に顔つきが幼くて可愛らしいからか?疑問だ…。

まぁそれは置いておくとして…。そんな訳だから、イヌイにも同じ事を訊いているかもしれないと思ったんだが…。

「応援団に興味があるのかな?」

「たぶん…。本人は「ねえよ」と言っていたけれどな」

「そういう事なら、ウシオ副寮監に訊いてみればいいのにね?」

「勧誘されるから嫌だそうだ」

「…ああ…、なるほど…」

イヌイは納得したように小さく頷いた。

「それじゃあ、別に入団したいって訳でもないのかな?」

「どうだろう?素直じゃないからなぁ、アイツ…」

呟いたボクは、イヌイが動かした視線を追って教室の前のドアに目を向ける。

クラス一、いや校内一デカい生徒…、鴨居に頭をぶつけそうな程の巨漢が手洗いから戻り、のっそりと教室に入って来る所

だった。

オシタリの姿はまだない。一応彼にも訊いてみようか…。

「応援団?いや、聞いてねぇけど…」

大柄な熊はボクの話を聞くと、腕組みをしながら首を傾げて応じた。

オシタリのぞんざいな態度にも頓着せず、ブーちゃんはなにかとアイツをかまう。

だからボクより先に話を聞き出しているかもしれないと思ったんだが…。

「オシタリのヤツ、応援団に入りてぇのか?」

「口にはしないがそうかもな。でもあのワンコロ素直じゃないからさ…」

アブクマは「ふぅん…」と目を細めると、ボクとイヌイの間の席に腰を下ろした。ギシィッと、苦しげな呻き声を椅子に上

げさせながら。

「…そういやぁ定期戦の時、団長とシンジョウと一緒に応援に来てくれたっけなぁ。あん時何かあったのか?」

大熊がそう呟いて、ボクとイヌイは顔を見合わせる。

そう言えばそうだ。すっかり忘れていたけれど、あれは珍しい組み合わせだったな…。

「シンジョウさんなら、何か聞いてるかも?」

「そうかもしれないな…」

ボクとイヌイがそう言葉を交わすと、アブクマは首を傾げながら口を開いた。

「気になんのかウッチー、キイチ?」

「それはまぁ。だってあの何事にも無関心なオシタリがだぞ?気にならない方がおかしいだろう?」

アブクマは眼を細めて「う〜ん…」と唸った後、「アイツの事はほっといてやれよ」と、意外な事を言い出した。

「何で?サツキ君」

イヌイの問いに、アブクマは頭をガリガリと掻いて軽く顔を顰めた。

「あの性格だろ?本当に応援団に興味持ってんなら、あんま嗅ぎ回られたくねぇだろうと思ってよ。それに…」

大熊は一度口を閉じると、言葉を探しているように少し視線を上に向けた。

「あ〜、何て言や良いんだ?その、アイツは大事な事は自分で決めれるヤツだしよ。…家の環境がああでも、こうやって自分

の来てぇトコにちゃんと来てんだから…」

アブクマは辺りをはばかって、小声でそう言った。

言われてみれば確かにそうだ。行動力というか自立心というか、そういった点で考えるなら、確かにオシタリは優れている。

…ただ、協調性や社交性など、大いに不足している部分もかなりあるが…。

「問題は、素直になれるかどうかという一点、か…」

「だな。まぁ、本当にやりてぇ事なら、ほっといても動くだろ」

大きな熊はそう言いながらボクに頷き返した。

いつもオシタリにちょっかいをかけるブーちゃんだが、今回は珍しく放置推奨らしい。

まぁ、口ぶりからするとオシタリの行動力を評価し、認めているようだが…。

「そんでも気になるってんなら、シンジョウに話聞いて来るけどよ」

ボクは少し迷った後、首を横に振った。

「いいよ。その気になったら自分で行く」

イヌイもとりあえずはアブクマの意見に同意したらしく、「そうだね」と、小さく頷いていた。

話の区切りがつくと、ちょうどオシタリが教室の後ろのドアから入って来たので、ぼくらは話題を別のもの、極々他愛のな

い物に変えた。

それから間もなく担任の肥満虎がやって来てホームルームが始まった頃には、ボクの頭は授業用に切り替わり、ルームメイ

トの奇妙な行動の事は、一旦頭の隅に押しやられた。



その日の昼休みの事だ。食堂から教室に戻る途中のボクが、階段の踊り場でオシタリとシンジョウ、それと彼女のルームメ

イトのジャイアントパンダが話をしているのを見かけたのは。

このメンツで何を話しているのかは少しだけ気になったが、そのまま歩き過ぎるつもりで、階段を登りながら軽く手を上げ

て挨拶すると、

「あ、ウツノミヤ君。ちょうど良かったわ」

と、シンジョウがボクを呼び止めた。

「応援団について詳しくないかしら?」

ああ、やっぱりその質問か…。

「ソイツにはもう訊いた」

答えようとボクが口を開きかけると、オシタリが先にそう応じた。

「そんなあちこちで聞いて歩いてどうするつもりだオシタリ?」

「あちこちでなんか聞いてねえ。てめえと、この二人にしか聞いてねえよ」

不機嫌そうに言うオシタリに、ボクは肩を竦める。

…ブーちゃんは放っておけって言うが…、こういう行動を取られるとさすがに気になるな…。

応援団に入りたいのか?そう尋ねようと口を開きかけたその時、傍らのパンダが「ねね」と口を挟んで来た。

「ウッチーって細いけど、何か体型維持のコツとかあるん?」

「元々こういう体付きで、太らない体質なんだ。…って何で「ウッチー」?」

普通に昔のあだ名で呼んできたパンダの顔を見上げると、ササハラは「あり?」と首を傾げた。

「サツキがそう呼んでたから。違ってたっけ?」

「いや、あってる。あってるけどさ…」

「アタシもウッチーって呼んじゃ駄目かなぁ?」

「…駄目って言うか…、何て言うか…」

…なんだか…こそばゆいんだが…。何でそんなに親しくもないのに距離を詰めて来るんだこのパンダ?

オシタリのようにコミュニケーションが取り難いタイプも扱いに困るが…、どうも苦手だな、こういうタイプも…。

関係ないが、横合いからこの様子を眺めているオシタリが、口元を歪めてニヤリと笑っているのが何かむかつく…。

「…とにかく、ボクが知っている事は全部話した」

話題の変更も兼ね、咳払いしてそう言ったボクは、オシタリに視線を向ける。

「遊びに混じりたいのに、素直になれないで遠目に見てる子供じゃあるまいし、行動を起こしたらどうだオシタリ?」

「んだと、てめえっ!?」

ボクのささやかな反撃は功を奏し、オシタリは牙を剥き出しにして唸る。

「ま、素直になれないならいつでも相談しろ。ルームメイトのよしみで、一緒に申し込みに行ってやるからさ」

「けっ!余計なお世話だ!」

不機嫌さを隠そうともしないオシタリと、女子二人に手を上げて挨拶し、ボクは階段を登って離れる。

…ああいう風に顔に感情が出る所は素直とも言えるんだが、なんでああも捻くれてるんだ?

…ま、ここまでねじくれたボクが言うのもなんだがな…。…あ、そうだ。

階段を登っている途中で、ふとある事を思いついたボクは、そのまま教室に戻らず寄り道して行く事にした。



「応援団?」

でっぷり肥えた虎は、モソモソとおにぎりを咀嚼していた口を休めて口を開いた。…どうでも良いが何故皆同じリアクショ

ンなんだ?

「どうしたんだぁ?急にそんな事」

向かいあってパイプ椅子に座ったボクは、先生に勧められたコーヒーを頂きながら、オシタリが応援団に興味を持っている

らしい事を説明する。

ボクには自分で思っていた以上に適応力があったようで、最近では散らかったこの部屋にも、ビーカーに入ったコーヒーを

出されるのにも、もうすっかり慣れた。

ここは化学準備室。別名虎の巣。トラ先生は多くの場合、昼休みはここで休憩している。

今年で三十七歳になるこの先生、ここの教師の中では比較的若い方なんだが…、体型のせいなのか、それともいつも眠たげ

な顔でのそのそ動いて活力が欠けて見えるせいか、他の先生方と比べるとだいぶ老けて見える。

肘掛けつきの椅子に窮屈そうにでかい尻を押し込んだ虎、その脇の机の上には大きなコンビニ袋が置いてある。

先生はアルコールランプで熱したお湯を、カップ麺に注ぎながら首を傾げた。

「…そう言えば、定期戦の時もウシオと一緒に来ていたなぁ」

「妙な組み合わせです。寮内でも特に話をしていないし、…というよりもオシタリが何も喋らないだけですが…、とにかく、

そう親しくもなさそうなのに…」

そう言いながら、ボクはふと思った。

オシタリが応援団の事を知りたがっているのは、応援団に入りたいからじゃなく…、もしや、応援団に睨まれるような事を

して、マークされているから…?

例えば、定期戦中に何か問題を起こしたせいで、ウシオ副寮監に監視されながら行動していた?

…いや、まさかな…。オシタリはこの学校に留まりたがっている。ヤバい真似はしないはずだ。

さらに定期戦当日は、あのしっかり者のシンジョウが同行していた様子だった。何か馬鹿をやったとは考えにくい。

「応援団かぁ…。まぁ、応援するのがメインだなぁ。他の事については、そうだなぁ…」

肥満虎は言葉を切ると、カップ麺の蓋を外してフーフー息を吹きかける。…まだ早いです先生。

「ウチの応援団も陽明も、風紀委員会の行動を補っている部分が大きいかなぁ?」

…なるほど…。そう説明すればオシタリも理解できるだろうか?

ボクがそう考えている間に、先生はカップ麺を箸でかき混ぜ始める。…いやだからまだ早いです先生。

さすがに見かねて、まだ二分も経っていない事を告げると、肥満虎は眼鏡の奥の目を少し大きくしてから、残念そうに蓋を

戻した。

「オシタリが応援団なぁ…。うん。案外ピッタリかもしれんなぁ」

へ?いや向いてないでしょう明らかに?

「社交性皆無のアイツがですか?そうは思えませんが…」

そう応じたボクに、先生は目を細めて微笑んだ。

「人付き合いが苦手だからこそだよ。応援団は他の部活動とはかなり違う。全員が一丸になって、他の部の競技者を応援する

のがメインだ。これは判るなぁ?」

先生に頷きながらボクは考える。確かにそうだ。が、だからこそオシタリには向いていないと思うんだが…。

「良く縁の下の力持ちと言われたりするが…、応援団は団員達がしっかりと纏まって初めて上手く機能する。縦の繋がり、横

の繋がり、どっちも重んじる集団だ」

「それは判ります。だからこそオシタリはピッタリなんかじゃ…」

「いやいや、オシタリが応援団にとってピッタリって言うんじゃない」

先生はカップ麺の蓋を再び開けながら続ける。…まだちょっと早いとは思うが、そろそろ良いだろうから止めないが…。

「応援団が、オシタリにとってピッタリだと思うんだなぁ」

同じ意味じゃないのか?一瞬そう思ったボクは、カップ麺をハフハフ啜り込み始めた担任を眺めながら「いや、そうじゃな

い」と考え直す。

応援団員を務めるには、オシタリには欠けた部分が多い。多過ぎる。なのにオシタリにとって応援団がピッタリ…?

…あっ…!

「応援団に所属する事で、オシタリの方が学べる事が多い?」

「うん。私はそう思うなぁ」

ボクの言葉を聞いた先生は、眠たげな目をなお細めて、ボクが理解を示した事を喜んでいるように笑みを浮かべた。

「応援団の活動から学んで、オシタリに社交性が身につくかもしれないと…」

「かもしれないなぁ。何せあのウシオが…、っと…」

先生は言葉を切ると、カップ麺に液体スープを入れてかき混ぜ始めた。…入れ忘れてたのか…。一口食べた時点で気付いて

下さい先生…。

「色々と学べそうな部活を選ぶ。これも部活の選択基準の一つだと、私は思うなぁ」

「確かにそうかもしれません。良い成績を残せそう。向いていそう。そういう風な判断で選ぶ生徒は多いでしょうけれど…」

ボクがそう応じると、先生はカップ麺をゾゾ〜っと啜ってから再び口を開いた。

「それもまぁ選択の基準にはなるなぁ。だが、自分が本当にそれをやりたいかどうか、そして得る物が大きいかどうかも大事

だと私は思う。向いていなくたって良いんだ。興味を持ったらまずやってみて、続けられそうならソコに決めるというのも一

つだろう。…本来仮入部期間というのは、そうやって確認する為にあるんだからなぁ」

間延びした口調でそう話すと、先生は机の上からおにぎりを掴み上げ、カップ麺のスープをつゆ代わりにしてパクつき始めた。

確かに、理想論で言えばそうだ。才能の有る無しだけで選ぶのが今の主流だが…。

実際、ボクの身近には、あまり強くもないらしいのに、ずっと廃部寸前の柔道部を支え続けて来たイワクニ寮監も居る。

正直な所、完全に納得できた訳じゃないが、先生の意見はそれなりに理解できる。

下手でも良い。興味が持てて、得る物があるなら、向いてなくたってやる価値はある…。

本来部活っていうのはそういう物なのかもしれない。

…まぁ、先生へのゴマすり目的で化学部に所属しているボクがどうこう言えたものじゃないな。

「オシタリにやる気があるなら、ウシオは大歓迎だろう。オシタリはホネがある。ウシオは、今年の団員は軟弱なヤツが多い

とか嘆いていたからなぁ」

おにぎりを二つペロリと胃に収めた大虎は、豚カルビ弁当の蓋を開けながらそう言った。

「でも、あのオシタリが素直に「入りたい」って言えるでしょうか…」

「それはオシタリ次第だなぁ。本当にやりたいなら自分から言い出すだろうから、そっとしておいてやればいい。オシタリは

大事な事からは逃げない。そういう子だろう?」

確かにそうだが…。…先生もアブクマと同意見か。なら、やっぱり今回は放っておく方が良いかな…。

「そういえば、先生は学生時代に何か部活をしてらっしゃったんですか?」

ボクの問いに、肥満虎はムグムグと米を咀嚼しながら頷いた。

「中学までは何もしてなかったなぁ。高校からウェイトリフティングをやった」

…意外だ…、運動部だったのかこのひと…。丸々と肥えたその体を、ボクは思わずまじまじと眺めてしまった。

「ははは。まぁ、鍛えた筋肉も今じゃすっかり贅肉になって、見る影もなくなってしまったけれどもなぁ」

ボクの視線に気付いたか、先生はそう良いながら苦笑いを浮かべ、ポンと軽く腹を叩いた。

弛んで突き出た腹がタプンと揺れたのが、ボタンが飛びそうに引き伸ばされたワイシャツ越しにはっきりと判った。

「大学を出てほんの数年でこんな体型になったもんだから、同窓会で久々に会った連中には、そりゃあもう驚かれたなぁ」

「そ、そうですか…」

この口ぶりだと、この度を越した太り具合は昔からという訳じゃないらしい。学生だった頃はもうちょっと締った体をして

いたのか…?

若かりし頃の先生の姿を想像しようと苦心しているボクの前で、弁当を食べ終えた肥満虎はコンビニの袋から特盛りミート

ソースを取り出す。

…食い過ぎです先生。

断言して良い。この肥満虎は間違いなくこの摂取カロリー程は体を動かしていないはずだ。これでは太る訳だ。

それからしばらくの間、部活でやる実験の事などについて話した後、次の授業が化学室である先生を残して、ボクは準備室

を出た。

腹が膨れたせいか、いつにも増して眠たげな目をしていたが…、午後の授業、大丈夫なんだろうかあの先生?

「あ」

廊下を歩き出そうとしたボクは、思わず声を漏らし、向こうから歩いて来ていた見知った顔を眺める。

「…センセー…居たか?」

無愛想なシェパードは、準備室のドア前に立つボクに声をかけてきた。

「ああ、まだ中に居る」

ボクが応じると、オシタリはドアを見つめた後、躊躇いがちにノックした。

先生の返事を待ってオシタリが中に入って行った後、ボクはドアに顔を寄せて耳をピンと立てる。

盗み聞きは趣味が悪い?…しかし、アイツがトラ先生に会いに来た用事…、実に興味があるじゃないか?

耳をピクピク動かしながら聞き耳を立てていると、微かに中の会話が聞こえて来た。

「…センセー…、あの…さ…、部活入る時に出す紙…ねえすか…?」

「ん〜?入部希望書かぁ?ちょっと待っててなぁ…、確かこの辺に…」

しばしの間、スチールデスクの引き出しを開け閉めする音を聴きながら、ボクはちょっと驚いていた。

…微妙に敬語っぽい…?寮監達にさえぞんざいな口調で話す、あのオシタリが…!?

「…あぁ、あったあった。それじゃあコレなぁ」

「…どうもっす…」

「ウチに入ってくれる…って訳じゃあなさそうだなぁ?」

「…あぁ、その…悪いすけど…」

「ははは、良い良い。興味のある事をやりなさい」

「…おす…」

「今コーヒー淹れたんだが、時間があるならどうだぁ?」

オシタリはしばし沈黙していたが、やがて「…悪ぃす…」と返事をした。

そっとドアから離れたボクは、準備室のドアをまじまじと見つめる。

…聞き間違いじゃない…。オシタリは敬語っぽい微妙な言葉遣いで喋っていた!

一体どんな手でアレを懐柔したんだあの先生!?

それとも、保証人になってくれたから、オシタリなりに敬意を払っているって事なんだろうか?



またお節介をやかなければならないかと、一時は危惧していたが、事態は結構あっさりと動いた事が、その夜判った。

夕食をとる寮生で混み合った寮食で、大柄な牛が大声を上げたから。

「おお!本当かオシタリ!?入団してくれるのか!?」

カウンターに並んでいたボクとイヌイ、アブクマは、食堂の入り口で声を上げたウシオ副寮監と、その前でポケットに手を

突っ込んでそっぽを向いているオシタリを眺める。

どうやら、副寮監が食事を終えて出て行く所を捕まえて、入部希望書(入団希望になるのか?)を手渡したらしい。

「がははは!大歓迎だぞオシタリ!飯を食ったらワシの部屋に来い、入団を決める前に、団の事を色々話してやろう!」

上機嫌で笑うウシオ副寮監にペコリと一礼すると、オシタリはボクらの後ろに並んだ。

「…なんだよ?」

ボクらの視線を受けて、不機嫌そうに顔を顰めたオシタリに、イヌイが微笑みかけた。

「卒業を目指す以外にやりたいこと、見つかったんだね?」

「…まあな…」

「良いんじゃねぇか応援団?お前にゃあなかなか似合ってると思うぜ?」

「…うるせえ…!」

笑いながら声をかけたアブクマに、無愛想に短く応じて、オシタリはそっぽを向いた。

恥ずかしがっているらしいルームメイトの仏頂面は、普段とは違って、年相応の小生意気なガキのものに見えた。

何にせよ、今回は面倒臭い真似はせずに済んだ。

ま、せいぜい頑張れオシタリ。上手く行けばキミの対人作法の欠損も改善されるかもしれないぞ?ウシオ副寮監にみっちり

しごいて貰え。

…そういえば…。

「前進んでんぞウッチー。どうかしたのか?」

食堂の入り口に視線を向け、考え込んでいたボクに、ブーちゃんが声をかけてきた。

「いや、何でも…」

促されたボクは、前の寮生の後に詰めながら応じる。

途中で話が変わってしまって中断したが…、先生がちょっと気になる事を言っていた。

オシタリにも社交性が身につくかもかもしれないのかと尋ねたボクに、先生は「何せあのウシオが…」と言いかけた。

あの続き…、副寮監が何と言おうとしたんだろうか…?

まぁ、その後先生も何も言わなかった事だし、たぶん、さほど重要な事でもなかったんだろう…。