第六話 「隣の二人」
ボクらの私室でもある、第二男子寮103号室で、座卓についたボクは大きなため息をついた。
教科書や参考書、筆記用具を広げた座卓を挟んで座っているのは、我がルームメイトのシェパード。
常から不機嫌そうな顔をしているが、今は本当に不機嫌だ。…不機嫌なのはボクもだがな…!
…落ち着けボク、冷静に行こう…。まずは自己紹介して落ち着くんだ…。
ボクは宇都宮充。星陵高校一年の狐獣人で化学部所属。伊達眼鏡が知的な顔を飾る、クールな学級委員だ。
…そう…、クールに、クールに行くんだミツル…。
話は、二時間程前までさかのぼる…。
「数学を教えろ?」
ルームメイトの唐突な申し出に、机についていたボクは振り返り、目を丸くした。
オシタリは不機嫌そうに口を引き結んだまま、無言で頷く。
夕食後、今日発売だったお気に入り作家の新書を開こうとしていたボクに、「…数学、教えてくれ…」と、オシタリはモゴ
モゴと言ってきたのだ。
「いつもいつも唐突だな…。どういう風の吹き回しだ?何があった?」
聞き返したボクから目を逸らし、シェパードは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。
「別に何だって良いだろ…」
「今から期末テストに備えておくのか?それとも、中間テストの結果を知ったシンジョウに心配でもされたか?」
「か、関係ねえだろ…!…待てオイ。てめえ、何でシンジョウがオレのテスト結果知ってる事を…」
…おっと口が滑った…。が、隠しても仕方ないな。
「シンジョウから一言いわれていたんだよ。キミの事よろしく、ってな」
シンジョウにテスト結果を聞かれた際、オシタリは正直に白状したらしい。
ボーダーギリギリクリアの危なっかしい成績を聞いて彼女も心配になったのか、先日校内で顔をあわせた時に一言、よろし
く頼む旨言われていた訳だ。
「あの子やイヌイ相手には強く出ないなオシタリ?小さいものや女の子に弱いタイプか?」
ちょっとからかってやったら、オシタリは音を立てて舌打ちする。
「うるせえ…!んなこたぁ今関係ねえだろ!」
「まぁな。だが、せめて唐突に脳の手当てをするつもりになった理由ぐらいは聞かせてくれ」
「…てめえに関係ねえ事だ」
…ほほぉう…。関係ない、ねぇ…。そういう態度に出るのかオシタリよ…。
「なら断る」
ハードカバーの新書を開いたボクを、オシタリはギロっと睨んだ。
「時間は限られている。頼みはしても理由は話さない自分勝手なルームメイトの気紛れに付き合ってやる義務も義理も無い。
そういうわけで、ボクは有意義に読書をして過ごす事にしよう」
「てめえ…」
そんな風に睨んだってダメな物はダメだぞオシタリ。
元不良のオシタリは確かにケンカっぱやいが、不当な暴力を振るうタイプじゃない。
最近ではその事が判っているから、ボクはオシタリを適度にからかい、時には躾をするように焦らす。
ボクが本の冒頭部分を読んでいると、やがて根負けしたオシタリは、そっぽを向いてボソボソ話し始めた。
「…団長が…、団の活動やるだけじゃダメだってよ…。勉強も人並みにできねえと、生徒引っ張れねえ、ついてこねえって…」
「…ふぅん、副寮監に言われたのか」
ボクが本を閉じると、オシタリは自分の机につき、頬杖をついてソッポを向きながらボソボソと話をし始めた。
先日応援団に入ったオシタリは、反抗的かつぞんざいな態度こそなかなか直らないものの、寮監達にはあの微妙な敬語で話
すようになった。どうやらウシオ副寮監の指導の成果が出始めているらしい。
話を聞いてみると、ようするに、応援の際には生徒の纏め役として前に立つ応援団員が、学生の本分である勉学をおろそか
にするのは本末転倒なのだと、ウシオ副寮監に諭されたらしい。
…確かに、オシタリレベルの阿呆に率いられていると考えると、気合が入るどころか応援する気が萎えるな…。
ボクは視線を天井に向けて、焦げ茶色の大柄な牛獣人の顔を思い浮かべる。
…副寮監、声と体がでかい単細胞に見えて、テストでは常に高得点を獲っているらしい。
イワクニ寮監の話によれば、毎回のテストで十位以内に入っているほど成績が良いそうだ。ひとは見かけによらないと言う
か何と言うか…。
「判った。勉強見てやろうじゃないか」
ボクが頷くと、オシタリは少し意外そうに眉を上げた。
思っていたよりもあっさり引き受けられたものだから、驚きでもしたのかオシタリよ?
本当はもう少し焦らしてやっても良かったんだが、本人がせっかくやる気になっている事だし、気が変わる前に引き受ける
べきだと思ったんだ。
勉強を見てやるのは隣の二人やシンジョウとも約束している事だし、トラ先生にもそれとなくアピールしている。
つまり、オシタリの成績が上がればボクの株も上がる訳だ。
それに、今の時期からやっておくのは悪くない。期末前にいくらかでも積み重ねて余裕を作っておけば、ボクも自分の勉強
に集中できる。
これを期に、オシタリにも予習復習をする癖がつくと有り難いんだが…。
そんな事を考えながら、ボクは筆記用具と教科書類を、いつもオシタリの勉強を見てやる時はそうしているように、座卓の
上に広げた。
…そして、勉強開始から二時間以上が経った訳だが…。
「何で解らないっ!?」
「解んねぇモンは解んねぇんだよ…」
「良いから解れっ!解っておけ!」
「解るか!」
毎度の事ながら、こいつの頭の程度には驚かされる…!
「これ中学で習った部分だろう!入試で出なかったか!?」
「…そ、そうだったか…?…覚えてねえよンなもん…」
「忘れたのか!?たった三ヶ月程度前の事を!?」
「う、うるせえな!」
「覚えておけ!その脳みそにマイナーなネコの名前を詰め込む余裕があるなら、そこに数式の一つでも捻じ込め!」
シェパードは耳を倒して口をへの字にする。そんな顔したってダメだぞオシタリ。
「…だ、だいたい…、こんなの世の中に出て使うのか?役に立たねえんじゃねえのか…?」
「先の事を考えるのはキミにしてはまぁ感心だ。が、現実を見ろ。社会に出て使うかどうかはともかく、ボクらは今正に使う
だろう!社会に出てうんぬん言う前に、無事出られるように今覚えろ!」
ボクがそう言ってやると、オシタリは反論できなくなったか、「ぐぅ…!」と唸る。
「そもそも、社会に出ても使わないとか、覚えてもしょうがないとかいうセリフは、完全に覚えてから口にするべきだ。身に
つけても無いヤツが言ったところで、ボクには負け犬の遠吠えにしか聞こえないね」
これはトドメになったか、オシタリは反論する気を無くしたようで、シャープペンの尻で鼻を掻きながら「くそっ…!」と、
不機嫌さ丸出しに低く呟く。
「ほらコレ、解説載ってる」
ボクが参考書を差し出し、問題の数式の解説をトントンと指で示してやると、オシタリは口元をモゴモゴ動かしながら暗記
を始める。
態度は誉められた物じゃないが、根は結構素直なんだよなこのワンコ。…いや、単純というべきか。
少し従順になったオシタリに、ボクは参考書の解説内容を噛み砕いて説明してやりながら思う。
…オシタリが好きな番組内でやっている、できの悪いペットを躾するっていうコーナー…。あれの調教師って、今のボクの
ような気分でやっているんだろうか?
そうしてしばらく経った頃、ドアがノックされてボクは顔を上げた。
オシタリに至ってはそれまでのあぐらをかいて頬杖をつくというだらしない格好を正し、背筋を伸ばす。
返事に応じてドアを開け、顔を覗かせたのは、いがぐり頭の少し背が低い人間の男子と、極めて大柄な焦げ茶色の牛獣人。
「お邪魔するよ。ウツノミヤ、オシタリ、居るな?」
「はい。ご苦労様です」
「押忍」
口々に返事をすると。寮監はボードにチェックを入れ、それからボクらの様子を見て口元を綻ばせた。
「熱心だな。もう期末に備えているのかい?」
人の良さそうな笑みを浮かべて尋ねてきたイワクニ寮監に、ボクは思わず小さく吹き出してしまいながら応じた。
「結果的にはそうなるかもしれませんが、今日はオシタリが自分から勉強したいと言い出したんですよ」
これを聞いたウシオ副寮監が、口元を少し緩めて眉を上げた。
「ほう!感心だなオシタリ!早速実践する事にしたのか?」
「…そ、そんなんじゃ…ねっすよ…」
低い声でボソボソと応じたオシタリをチラッと見遣り、ボクは口を開いた。
「どういう風の吹き回しかと思いましたが、副寮監の指導のおかげですね?これまでになく真面目にやっていますよ。感心な
心掛けです」
オシタリは意外そうに少し目を大きくして、無言でボクを見つめる。
「ボクがどれだけ言っても「うるせえ」一点張りだったのが、自発的に勉強する気になったみたいで、かなり驚いています。
一体どんな魔法を使ったんですか?」
ウシオ副寮監は目を丸くした後、まんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。
「ワシは何もしとらん。応援団員のあるべき姿を話して聞かせただけだ。ほんのちょっとばかりな」
グッドのサインでも作るようにして、親指と人差し指の先に隙間を開けた手を顔の横に上げ、大柄な牛はニィッと笑う。
「お邪魔したね。勉強頑張って」
「根を詰め過ぎんようにな」
寮監達が部屋を出て行った後、ボクはじっとこっちを見つめているオシタリを見遣った。
「何だよ?ボクの顔に何かついているのか?」
「…いや、何でもねえ…」
尋ねると、オシタリはボクから目を逸らした。
おそらく、寮監達の前でオシタリを誉めるような発言をしたボクの態度を訝っているんだろう。
勿論ボクなりの打算が有っての事だ。
つまり、オシタリの勉強を見てやっているという寮監達へのアピールと、フォローする発言をする事でのオシタリ自身への
恩の押し付けが目的。
まぁ、出来が悪いのはともかく、今日のオシタリは、その姿勢の方は評価できる。
少しぐらい誉めてやっても良いと思う程度には。
それからしばし、時に反抗的になるオシタリをからかい、なだめ、手玉にとり、勉強を見てやったボクは、
「…あ…」
壁に目をやり、口を開けた。…調子に乗って大事な事を忘れていた…。
声を漏らしたボクを、ノートから視線を上げたオシタリが見つめる。
「何だ?」
「十時半回ってる…!」
ボクは時計を見ながら応じた。…やばい!
「風呂行くぞ!時間が無い!」
「何だよ急に?」
胡乱げに目を細めたルームメイトに、ボクは苛立った声を上げる。
「入浴は午後十一時までだろう!一時中断!急ぐぞ!」
寮則すらろくに覚えていなかったらしいオシタリは、「そうだったか?」と呟きながら腰を浮かせる。
「覚えろ!寝泊りしている寮の規則ぐらい!警備員がボイラー止めて回るんだから!急げ急げ!」
慌しく入浴準備を済ませ、ボクは慌てて、オシタリはのたくたと部屋を出た。
誰も居ない脱衣場に入って、大急ぎで服を脱ぐ。
「ほら急げ!あと15分だぞ!?」
「判ってるって、うるせえな…!」
オシタリはぶつくさ言いながらも、具体的な残り時間を耳にしてようやくその気になったか、少し急いで服を脱ぎ始めた。
一緒くたに脱いだトレーナーとティーシャツの下から、シェパード特有のモサモサのこわい毛に覆われた上半身が現れる。
体力を使うバイトをしていたせいなのか、元もとの体質もあるのか、オシタリは結構ガタイが良い。
無駄な肉が殆どついていない、筋肉質で締った体付きをしていて、二の腕なんかは毛皮の上から筋肉の隆起が判る程太い。
対してボクは、フサフサの毛のせいで標準体型に見えるが、実は極端に細身だ。
ボクは生来肉が付き難い体質らしく、運動しても食べても、筋肉も贅肉も標準以下程度にしか付かず、またそれ以下にも落
ちない。
実際、インドア派な上に、受験勉強に集中してただでさえ少ない外出が減った昨年末からの数ヶ月でも、ボクは体重も体型
も全く変わらなかった。
たぶん、食っちゃ寝して過ごした所でブーちゃんや…、間違ってもトラ先生のような体型になる事はまず無いだろう…。
もっとも、それでも運動が苦手とか、スタミナが無いとか、体が弱いとかそんな事も無いから、この体を問題なく動かして
維持する程度の脂肪と筋肉は、どうやら今の状態でも賄えているらしい。
必要な分だけ肉がつき、それを勝手に維持する体…。
意図しているわけじゃないが、無駄が嫌いなボクの性格を反映しているような体質だと言える。
…なお、ボクの股間にある男のシンボルは標準だ。過不足無しの標準サイズ。
オシタリのは…。うん。太さはほぼ同じだ。…ちょっと…、ちょっとだけボクのより長さがあるかもしれないが…。
うん…。ほんのちょっとだけな…。問題にならない程度の差だけ…。
おまけに、生意気な事に完全に剥けている。…ボクも剥け癖がついたのは割と最近なのに…。
…っと。急がなくちゃならないんだったな…。
トレードマークの伊達眼鏡をケースにしまって、畳んでかごに収めた服の上に置いたボクは、タオルを手に浴室のドアに歩
み寄った。
少し遅れて着替え終わったオシタリも、すぐ後ろからついて来る。
…って…、ん?水音?それに何か声が…、この時間に?
疑問に思いながらドアを引き開けると、浴室に漂う湯煙の向こうに、茶色い大きな影が見えた。
目を凝らすと、湯煙に溶け込むような体色の小柄な影も見える。
湯船に浸かっているのは、隣室の二人だった。
「あ。キミらもまだだったのか…」
ボクらの他にも居るとは思っていなかったが、この二人も遅くなったクチらしい。
急いでいて衣類かごなんかにも注意を向けなかったせいで、先客が居た事には全然気付けなかった。
…そういえば、風呂で一緒になるのは初めてだな…。もっとも、オシタリと一緒に風呂に来る事も稀だが。
湯船のへりに腕と顎を乗せたクリーム色の猫が、ボクらの方を見ながら頷いた。
「うん。ちょっと熱中して、時間を忘れてて…」
「そうか。こっちも同じだよ。宿題を片付けながら勉強を教えてやってたんだけれど、オシタリの物覚えがそれはもう悪くて
悪くて…」
ため息をつきながら肩を竦めたボクの顔を、イヌイとアブクマは不思議そうな顔で見つめていた。
…ああ。眼鏡してない顔なんて、そんなに見せた事無かったからな…。
オシタリの方はというと、二人に声をかける事も無くさっさと椅子に座ってシャワーコックを捻り、体を流し始めた。
さて…、時間がない事だし、ボクもぼやぼやしていられない。手早く体を洗わないと…。
オシタリと並んで椅子に座ったボクは、熱いシャワーで全身を洗い流す。
体を覆うフサフサの豊富な被毛が、湯を吸った事で体のラインに沿ってぺたりと寝る。
あ〜…、気持ち良い〜…。
…ボディーシャンプーの泡塗れになりながら体を擦っていたボクは、ふとある事が気になった。
ボクとオシタリはたまたまでもない限り入浴が一緒になる事は無いが、ブーちゃん達はどうなんだろう?
ボクらが入って来た時から、心なしか硬い表情を浮かべて黙っている友人に訊いてみるべく、ボクは手を休めないまま首だ
け振り返る。
「ところでさ…」
ボクの視線の先で、湯船から出ようとしていたイヌイがピタッと動きを止めた。
何故か片足を踏み出した姿勢のまま固まっているクリーム色の猫の姿を見て、ボクは違和感を覚えた。
えらく小柄で細身の身体は、濡れそぼった毛が寝ている事で、普段より一層細く小さく見える。
…いや、違和感はソコじゃない…。ボクはイヌイの顔から徐々に視線を下げていく。
全身の毛が、逆立った。
何と言うべきか、今のボクの心の内を表現するなら…。そう、驚愕。その一言に尽きる。
ボクが振り返ったまま、言葉を切ったきりでいると、隣でオシタリも振り向いた。
オシタリも驚いたんだろう、イヌイの裸体から目を離せないで居るボクの耳に、小さく息を飲む音が届いた。
湯船に浸かっていたアブクマが、慌てた様子で勢い良くザバッと立ち上がった。
大量の湯をモサモサの被毛から滴らせながら、アブクマはボクらの視線からイヌイを隠すように、その前に立つ。
「イヌイ…、き…、キミ…!」
ボクは目を丸くしながら声を漏らし、しかし二の句が継げなくなった。それほどまでにボクが受けた衝撃はデカかったのだ…。
絶句しているボクの横で、
「…で…、でけえな…!」
オシタリは相当驚いている様子で、掠れ声で呟いた。
…そう。イヌイの股間には、可愛い顔と小柄な体付きとは不釣り合いな、暴力的なサイズの逸物がぶら下がっていたのだ…!
アブクマが前に立ったせいで、見えていたのは短い時間だったが、太さも長さも、おそらく並のサイズを大きく上回っている!
オシタリとボクのを比較していたようなレベルじゃない、圧倒的な開きが、ボクらの逸物の間にはあった…。
「もうすっかり大人のチンポじゃないか…」
つい今目にしたばかりの、すでに皮が完全に剥けていて、薄ピンクの亀頭を晒していたイヌイの逸物が目に焼き付いたまま、
ボクは思わず呟いていた。
「体と顔に似合わねえでかさだな…」
頷きながらオシタリが発した言葉は、ボクと同じ意見だった。…さすがのオシタリも、ちょっと声が震えているような気が
する…。
アブクマとイヌイはぽかんと口を開け、首を巡らせて顔を見合わせた。
…って、何でイヌイを庇うような立ち位置に来たんだブーちゃんは?
…もしかしてイヌイ、アソコがデカい事を気にしてるのか?…ボクとしては正直悔しいぐらい羨ましいんだが…。
「それにしても…」
ボクはイヌイの前に目隠しのように立っている巨漢に視線を向ける。
濃い茶色の長い被毛に覆われた、クラスメートの見上げるような巨体。
重機を思わせるとんでもない馬鹿力から察せられる通り、搭載している筋肉の量は半端なものじゃないはずだが…、見た目
はえらくデブい…。
ついた脂肪でせり出した胸は垂れ気味だし、大きくせり出した腹はポンポンの太鼓腹だ。
思い起こせば、腹なんかは歩くだけでゆさゆさ揺れてるのがシャツの上からでも判るしな…。
…顔もおっさん臭いが、体型も相当アレだなブーちゃん…。
まぁ、同じ肥満でも体脂肪率はトラ先生程じゃないはずだ。…あっちはモロに中の中、内臓周りまでみっちり脂肪だろうから…。
…まぁ、体型は…、た、体型はこの際良いとして…だな…!
「ブーちゃんは…、その…、可愛いチンポして…るな…。ぷふっ!」
い、いけない…!ついつい笑いがっ…!
「二人とも…、っぷ!見た目と…正反対じゃないか…!」
ボクは慌てて口元を押さえたが、なおも込み上げてくる笑いが堪えきれない…!
大きな熊の出っ腹の下、太い両腿の付け根には、その巨体とは裏腹に、えらく控えめなサイズの「おちんちん」がついていた。
完全に皮を被ったソレは、股ぐらで三角に張った肉と長い被毛に埋もれるようにして、ちまっと顔を覗かせている。
ブーちゃんは顔を引き攣らせると、慌てた様子で両手を股間に伸ばしてソレを覆い隠し、無言で俯いた。
「わ、笑うこと無いじゃない二人とも!」
珍しく、怒ったように頬を膨らませるイヌイと、俯いたまま固まってしまったブーちゃんに、ボクは笑いを噛み殺しながら
謝った。
「い、いや悪い…!その、ギャップが凄くて…!」
そう。別に馬鹿にしてるとかそういうんじゃ無い。
あの性格にあの顔、おまけに度を超して体格が良い同級生が、まさかこんな可愛らしいサイズのをぶら下げているなんて想
像もしていなかったから、驚き混じりの笑いの発作が起こってしまっただけだ。
オシタリもボク同様に笑いを堪え、小刻みに肩を震わせている。
「だ、だってよ…!その図体でソレ…!」
口をかたく引き結び、笑声が漏れるのを堪えているシェパードは、しかし頬がヒクヒクして、目が思いっきり笑っている。
「ちっちゃくて可愛いくて良いじゃない!」
イヌイが怒っているようにツンとした顔で言う。
が、このフォローになっていないフォローに、俯いたままのアブクマが「う…!」と呻いた。
「きっちゃん…。もう良いから、何も言わないで…。俺、何か泣けてきそう…」
「あ。ご、ごめんさっちゃん…!」
でかい図体を縮めて前屈みになり、俯いたまま肩を震わせた大きな熊に、小さな猫が慌てて謝る。
…悪意が無い分、なおキッツいよな今の…。
アブクマは少しだけ顔を上げ、ボクらを上目遣いにじっと見てきた。
「…こ、この事は…、だ…誰にも…」
目をウルウルさせながら拝むように両手を合わせ、懇願してくるブーちゃん。
…涙目になってるの、コレたぶんイヌイの悪意のない発言が心に突き刺さったせいだな…。
「判ったよ。これで貸し三つな?ブーちゃん」
「黙っといてやるよ。…気が向く内は」
ボクとオシタリは笑いを堪えながらそう応じたが、アブクマはしばらく縮こまったままだった。
色々あって慌ただしかった入浴が済み、部屋に戻ったボクらは、さっき半端な所で中断していた問題に取りかかった。…が…。
「さっきやり方は覚えただろう!?」
「ちょっとやっただけで覚えられっかあんなモン!」
「良いから一回で覚えろっ!覚えておけ!二度も説明させるなっ!」
「あんなワケわかんねえモン、てめぇの判り辛ぇ説明一回で覚えられる訳ねえだろが!」
…むっかぁ〜!
クールさを維持するのもついに限界に来たボクは、教科書を閉じてバンッとテーブルに置いた。
オシタリを伴い、ボクは部屋を出て隣室に向かった。
イヌイからも一言いって貰おう。オシタリは、ボクよりも彼が言った方が幾分か素直に聞くからな。
ついでに、ボク自身の教え方にも本当に問題が無いのか判らない。
昨年ずっとアブクマの勉強を見てやっていたらしいイヌイの教え方は、参考にできるかもしれないし。
少々苛立っていたボクは、ノックもせずにドアノブを掴み、引き開けた。
「もう限界だ!イヌイ!悪いけどこの脳細胞が死滅しかかってるバカ犬に素因数分解を…」
ドアの向こうの光景を目にしたボクは、言葉を切り、ドアを引き開けたその格好のまま硬直した。
ボクのすぐ後ろで、同じ光景を見たはずのオシタリも、確実に硬直している事だろう。
腰を曲げて身を屈めたアブクマと、背伸びしたイヌイが、…えぇと…、抱き合って…、その…、キスを…。
抱き締めていたイヌイをバッと放したアブクマは、足早にドスドスと歩いて来ると、ボクとオシタリの腕をがっしと掴みグ
イッと引っ張った。
ボクはともかく、結構重いオシタリまでも軽々と部屋の中に引き入れると、アブクマは廊下を素早く見回し、それからドア
を閉じる。
閉ざしたドアに背を預け、はぁはぁと荒い息を吐きながら、大きな熊は硬直しているボクらを上目遣いに見た。
「見た…か…?」
「…え、えぇと…。…うん…見た…」
「…あ…ああ…」
かなりの衝撃を受けているボクとオシタリは、アブクマの問いに、戸惑いながら頷いた。
「…とまぁ、そういう訳だ…」
結構長くなった話を終えたアブクマは、テーブルの上の湯飲みを掴み、もう温くなっている茶を一息に飲み干した。
並んでいるイヌイとアブクマに向き合って、ボクとオシタリが座っている。
驚きは相当なもので…、すぐには…、言葉が出て来なかった…。
あれから、ボクとオシタリは座卓につかされて、アブクマから事情を聞かされた。
アブクマとイヌイは、男同士ながらもつきあっている、恋人同士なのだという事を…。
「事情は…、判った…。うん。判ったと思う…。まだ少し混乱はしているが…」
ボクは何とかそう言って、気を落ち着かせる為に湯飲みを手に取った。
黙りこくったままのオシタリは、静かにコーヒーを啜っている。
その顔には表情らしい物が浮かんでいないので、アブクマの話を聞いて何を感じているかは良く判らない。
「…同性愛か…。知識としてはあったが、さすがにあの光景を間近で見ると、驚くな…」
呟いたボクは、実は二人の関係や行為そのものよりも、実際に自分が目にしたという事の方でビックリしている。
…そうそう無いだろう?他人のキスシーンを目撃するなんて…。…ボクはまだキスの経験は無いし…。
「…軽蔑したか?」
落ち着いた、静かな口調で尋ねてきたアブクマの顔には、表情が浮かんでいない。
短い沈黙の後、ボクはふぅっと息を漏らし、微苦笑した。
「軽蔑なんてしやしないさ。さすがにいきなり理解しろと言われても難しいが、それも個性なんだろう?好みなんて千差万別だ」
ボクは肩を竦めて旧友に笑いかける。
まだ驚きは去っていないし、本当に実感しているかと訊かれれば怪しいが、とりあえずはこれも本音だ。
自分でもちょっとばかり不思議だが、あまりにもビックリし過ぎたせいか、男同士のキスを見たにも関わらず、不快感が沸
いてこない。
「安心しなって、誰にも言わない」
無言のまま、少し意外そうに眉を上げたアブクマに、ボクはニヤッと笑いかけた。
「…ただし、秘密にしておく交換条件が一つ…」
身構えたアブクマに、ボクは笑みを浮かべながら続けた。
「その内、二人の馴れ初めを聞かせて貰おうかな?今後の参考までにね」
一度身を硬くしていたアブクマは、驚いたように目を丸くし、次いでほっと息を吐き出しながら微笑んだ。
「…ありがとよ、ウッチー…」
身を硬くしていたイヌイも、少しは緊張が緩んだか、表情を和らげて肩の力を抜いた。
「オレも、誰にも言わねえよ」
ずっと黙っていたオシタリは、ボソリとそう言いながらカップをテーブルに置き、
「…ただ、一つ聞いときてぇ…」
少し眉を上げて、イヌイの顔を不思議そうに見遣った。
「…こいつの何処が気に入ったんだイヌイ?もしかしてデブ専なのか?」
…おい、オシタリ…。
機嫌を悪くするか困るかするんじゃないかと思ったが、イヌイとアブクマは顔を見合わせ、次いで同時に吹き出した。
「どうなのかな?僕、サツキ君以外の人を好きになった事なんてないから、良く判らない」
可笑しそうに笑いながら応じたイヌイは、何かに気付いたように唐突に笑いを収めた。
そして少しの間何か考え込み、やがて目を丸くして、それから困惑混じりの微苦笑を浮かべる。
「…改めて言われてみれば、ポッチャリ好きかも?」
「…なるほど…。っつぅか、アブクマはポッチャリなんてもんじゃねえけどな」
オシタリは微かな笑みを浮かべて呟くと、アブクマに向かって空になったカップを持ち上げ、軽く揺すって見せた。
「お代わりねえのかよ?」
「何でエラそーなんだよ…」
不満げに応じたアブクマに、オシタリはニヤリと笑って見せた。
「それで秘密が漏れねえなら、安いもんだと思うぜ?」
「…この野郎…!」
悔しげな顔をしながらオシタリのカップを受け取ったアブクマに、ボクも湯飲みを差し出した。
「あ、ボクもお代わり頼む」
ブーちゃんは何か言いたそうに口を開いたが、結局は何も言わずにため息を漏らし、大人しく湯飲みを受け取って立ち上がる。
大きな熊がキッチンに入ると、イヌイは居住まいを正して、ボクらにペコっと頭を下げた。
「ありがとう。二人とも…」
ボクは安心させるよう、笑みを浮かべて頷いた。
「気にするなよイヌイ。他人の恋愛を暴き立てるような趣味は無い。面倒事に発展しかねないからな」
そう、余計なトラブルは起こさないに限る。
「イヌイにも、あのデブにも、借りがあるからな…」
オシタリも二人の関係にどうこう口を挟むつもりは無いらしく、ぼそっとそう呟いていた。
この二人が付き合っていようがホモだろうがバイだろうが、ボク自身に害が及ばない限りは何ら問題ない。
他人の趣味にどうこう言うつもりは無い。こっちは構わないから好きにやってくれってとこだ。
まぁ、どういう心理から男同士で恋心が芽生えるのかは、少々理解に苦しむが…。同性愛者か…。同性で付き合うっていう
のはどんな感じのものなんだ?
…せっかく貴重な実物が居るんだ、今度詳しく聞いてみるかな?
「…ところで、どっちから告白して付き合いだしたんだ?」
ボクが問いかけると、イヌイはキッチンへ視線を向けた。
イヌイからの無言の回答で、ボクとオシタリは揃って目を丸くし、次いで声を殺して笑い出した。
キミは本当に、何から何まで意外だな、ブーちゃん…!