第十話 「二号」
僕は乾樹市。星陵ヶ丘高校一年。クリーム色の猫獣人で、柔道部のマネージャーをしてる。
今日は日曜日。昨日練習試合があったから、体を休めようって事で部活もお休み。
朝ごはんを済ませた僕は、本屋さんに行くために寮を出た。
何かと忙しくて読む時間も取れそうに無かったから、先週頭に発売になったお気に入りの作家の本、まだ買ってなかったん
だよね…。
昨日の夕方から今朝まで降り続いていた雨も、ついさっきタイミング良く上がった。
空はまだどんよりしてるし、風もかなり湿っぽいけれど、またすぐに降り出しそうな気配は無い。
でも、日本海から吹く雨上がりの風は、今の時期でも結構冷たい。…ちょっと冷えるなぁ…。
寮の門を出て歩道を歩き出した僕は、水溜りを避けながら先に視線を向けて、そして…、
「ん…?なんだろ…?」
空き地の入り口を覆う鉄線の下、白っぽい小さな何かを見つけて足を止めた。
歩み寄った僕を、逃げる事もなく震えながら見上げて来るのは、小さな小さな、白い仔猫だった。
「拾った?」
「うん。すぐソコで…」
隣室の上がり口。クラスメートでもある眼鏡をかけた狐のウツノミヤ君は、僕が腕に抱いたタオルを覗き込んだ。
その中で震えている小さな仔猫を目にすると、ウツノミヤ君は「ふん…」と思案するような顔になる。
「どうしよう?僕、生き物の子供の事とか良く解らないし…、暖めてあげてれば元気になるのかな?」
「どうだろう?ブーちゃんはどうした?」
「え?えっと、サツキ君は…」
狐の言葉で、僕は数分前の光景を思い出す。
「…気をつけして、背中を曲げねぇで、足元を見る…」
寝室から荷物を取ってきた僕は、パソコン兼テレビの前に立ってブツブツ言ってる大きな熊の背中を見た。
気をつけをした熊は、ゆっくり首を曲げて下を見た。
「………」
しばしの沈黙。熊の太い首が、広い肩が、心なしかプルプル震えて…。
「ぬがぁああああああああああああああああああああああああああああっ!」
頭を抱えたサツキ君が突然絶叫して、僕はビックリして全身の毛を逆立てる!
「ど、どうしたのサツキ君!?」
僕の声に反応してピクっと丸い耳を動かしたサツキ君は、とても深刻そうな表情を浮かべていた。
「キイチ…。ちょっと気をつけして、背骨曲げねぇで足元見てみろ?」
「え?う、うん…」
訳が分からないながらも僕は言われるままに気をつけして、下を向いてみた。
何か変わった見え方でもするのかな?それとも、バランス感覚のテストか何か?
足元を見た僕は、特に何も感じられずに首を捻った。
バランス取るのが難しくなる訳でもないし、何の意味があるんだろうこのポーズ?
「どうだ?爪先見えるか?」
「うん。見えるけど、別に変わった見え方はしないよ?何かのテストなのこれ?」
顔を上げて尋ねると、サツキ君はガックリと肩を落とした。
「…見えんのか…。普通に…」
「え?う、うん…。何なのこれ?」
首を傾げた僕に、サツキ君は項垂れたまま応じた。
「その体勢でな…、爪先が腹に隠れて見えねぇヤツは、肥満なんだってよ…」
…それは…まぁ…、そう…かもね…。
「ちょっと気分転換に行って来る…」
「あ。うん…。僕も出かけるから、鍵かけておくからね?」
サツキ君は壁際の棚から自分の鍵を取ると、半開きにした口から「はぁぁああああああああ…」と長く息を吐き出しつつ、
しょぼくれた様子でのそのそと部屋を出て行った。
………。
僕は携帯を取り出して、登録してある携帯の番号を呼び出した。
『おはよう、キイチ兄ぃ!』
呼び出し音二回目の後、低めの、でも元気な声が電波に乗って遠くから飛んで来た。
「おはようダイちゃん。キイチです」
『えへへ!やだなぁキイチ兄ぃ、かしこまって名乗らなくても、表示されるから判るぞ?』
「あ、そうだったね…。参ったなぁ…、後から買った君の方が携帯に慣れてるなんて…。ところで、ちょっとその場で気をつ
けしてみてくれる?」
『ん?なんでだ?』
「良いからやってみて。でもって、背骨を曲げないようにして、足元を見てくれる?」
『うん。…こんな感じかな…』
「その状態で爪先見える?」
『え?見えないけど?腹で』
「…そう…。あ。ジュンペー君にも今度やって貰ってみて、後で結果聞かせて?」
…僕の周りには爪先となかなか会えないひとが、少なくとも二人居た…。
「…五分ぐらい前までは部屋で、そのぉ…。そう!ストレッチしてたんだけど、戻って来たら居なくなってた」
…考えてみればちょっと凹んでたし、走りにでもいったのかなぁ…。
「う〜ん…。ボクもこの手の事にはあまり詳しく…、あ」
ウツノミヤ君は言葉を切ると、「ソコに座って待っててくれ」と言い残して、寝室へ向かった。
お言葉に甘えてお邪魔した僕は、テーブルの脇に座って、腕の中の仔猫に視線を落とす。
目を閉じている小さな仔猫は、相変わらずプルプルと小刻みに震えてる…。
頼りなくて、柔らかくて、ほんのり温かい…。苦しいの?寒いの?どうしたら良いのか、訊ければ良いのに…。
仔猫を見つめていた僕は、弾かれたように顔を上げた。寝室から何か言い争うような声が聞こえて来て。
「ガンガン怒鳴んじゃねえ…!休みだろうが今日は…!」
「良いから来い。急ぎの用事だ!」
引き返して来たウツノミヤ君の後ろには、半袖ティーシャツとトランクスだけ身につけたシェパードの姿。
寝起きなんだろうオシタリ君の体のあちこちで、硬めの毛がピンピン跳ねてる。
「キミは猫に詳しいだろ?ちょっと見てくれ」
「あぁん…?」
寝ぼけ眼のまま頭をガリガリ掻き、面倒臭そうにウツノミヤ君が指差す方向、つまり僕の方に視線を向けたシェパードは、
僕が居る事にようやく気付いたのか、訝るように片眉を上げる。
「イヌイがどうしたってんだよ…?いつも通りじゃねえか…」
「頭だけじゃ飽き足らず目まで悪くなったのか?抱いている物を良く見ろ!」
オシタリ君は不機嫌そうに鼻を鳴らしたけれど、口じゃ勝てないと思ったのか、言い返さずに僕の腕の中、仔猫に視線を向
ける。
「…弟…?」
「寝過ぎで脳に蛆でも湧いたのかっ!?」
首を傾げて呟いたオシタリ君の肩に、ウツノミヤ君がビシッとチョップでつっこむ。
「外で蹲って震えていたのを、イヌイが連れて来たんだ。暖めても震えが止まらないから、どうしたら良いのか考えているん
だよ!こういう時こそキミの無駄な猫知識を役立たせろ!」
一息にまくし立てられ、うるさそうに耳を倒して顔を顰めたオシタリ君は、屈み込んで僕の腕の中の仔猫にそっと触れる。
「…体温は、ちょっと低いか…」
「え?僕と変わらないぐらいだけど…」
「猫ってな体温が高えんだよ。コイツは少し冷えてる」
オシタリ君はそう言うと、タオルを上にかけるようにして仔猫を覆った。
「ちょっとこのまま抱いとけ」
オシタリ君はそう言って立ち上がると、足早にキッチンに入って行った。
「…何だかんだ言って、こういう場合は頼りになるな…」
オシタリ君の姿が見えなくなってから、ウツノミヤ君はぼそっとそう呟いていた。
平らな小皿にあけられた暖めた牛乳を、仔猫はピチャピチャと舐めている。
「本当は牛乳じゃ薄いんだよ。猫用ミルクが良いんだが…、このぐれえまで育ってりゃ問題ねえだろ…」
床に胡坐をかいて腕組みをしたオシタリ君は、夢中になって牛乳を舐めている仔猫の様子を見守りながら呟いた。
「牛乳飲ませれば治るのか?」
「治るも何も、たぶん異常はねえよ」
ウツノミヤ君の問いにぶっきらぼうに応じると、シェパードは仔猫をじっと見つめながら続けた。
「この時期は一回にそう多く食えねえし、食ったもんはほとんどが成長に回るからな。だから、ちょっと食わねえだけですぐ
弱っちまう。体温が下がったのと腹が減ったので弱ってただけだろうよ」
オシタリ君の見立てだと、この仔猫、生後四、五ヶ月だろうって。
毛は雪みたいな白でポワポワ。頭と頬にうっすらと灰色のラインが入っている。薄茶色の目はクリっと大きく丸くて可愛ら
しい。
僕らが見守る中、最初は弱々しく牛乳を舐めていた仔猫は、いくらか元気を取り戻したみたいで、一心不乱にお皿を舐めて
いる。
「…飼い猫だな、こいつ…」
オシタリ君が呟き、僕とウツノミヤ君は彼の顔を見た。
「オレ達をほとんど警戒してねえし、皿から飲むのに慣れてる」
「言われて見ればそうだな…。仔猫だから警戒心が薄いって事は無いのか?」
「生まれたてならともかく、ここまで育っててひとに無警戒な野良猫なんぞ居ねえよ。そんなんじゃ外敵が居る屋外じゃ生き
られねえ。普通なら親が警戒するように仕込む。親が居ねえなら、ここまで育つ前にまず死んじまうしな」
オシタリ君の答えを聞いたウツノミヤ君は「なるほど…」と少し感心したように頷く。
よっぽどお腹が空いてたのか、仔猫はお皿を綺麗に舐めて、1滴残らず牛乳を飲むと、改めて僕らを眺め回した。
…確かに、オドオドしてるような仕草は見られない。ひとに馴れてる感じ…。
試しにちょっと手を出してみたら、仔猫は僕の指先をフンフン嗅いで、それから頬をこすりつけてきた。ゴロゴロ言いながら。
そっと脇の下に手を入れて抱き上げてみたけれど、嫌がる素振りも見せない。本当に大人しいものだった。
「はい。恩人のお兄ちゃんに感謝するんだよ?」
オシタリ君の前に下ろしてあげたら、仔猫は彼の顔を見上げて、立てたしっぽをプルプルっと揺らした。
そして、オシタリ君の脚に登って、そこでペタッと伏せる。
「………」
無言で仔猫を見下ろすオシタリ君は、口元をちょっとだけ弛ませていた。
「さて、無事が確認できたところで、次の問題だ」
しばらく黙っていたウツノミヤ君は、僕に視線を向けて続ける。
「飼い猫らしい事は判ったが、首輪も無いし、他に身元が判る物も無い。どうする?」
「う〜ん…。保護団体の方に訊いてみるか、この近所で訊いて回ってみるか、かな…」
僕はオシタリ君の脚の上に目を向けた。
背中を撫でられた仔猫は、シェパードの手にじゃれ付いて甘噛みしたりネコキックしたりしてる。…楽しそう…。どっちも…。
「少々手間だが、それしかないだろうな。もっとも、ボクなら元居た所に置いて来るけれども。…いや、そもそも関わらない
かな」
…ドライ…!
オシタリ君が責めるような目でウツノミヤ君を見遣ると同時に、ドアがノックされた。
振り向くと、少し空いていたドアを引き開けて、大きな熊が顔を覗かせている。
「声聞こえたからもしかしてと思ったんだけどよ。出かけんじゃなかったのかキイチ?」
ジョギングにでも行くつもりだったのか、紺色のジャージ姿のサツキ君は、不思議そうな顔で僕らを眺め、仔猫に気付いて
首を傾げる。
「どうしたんだ?その猫…」
「実はね、さっき出かけようとした時に…」
のそっと部屋に上がり込んだサツキ君は、僕が手短に説明すると、納得して頷いた。
「そんで引き返して来たのか。…ふぅん…」
サツキ君はオシタリ君の脚の上の仔猫をしげしげと眺める。
「おい。どっかで見た覚えとか、ねえか?」
オシタリ君が仔猫の両脇に手を入れて、ひょいっと抱き上げて見せると、サツキ君は目を細めてじっと仔猫を見つめる。
「…ああ、そうか…!どっかで見たような気がすると思ったら…」
え!?もしかして知ってる!?
期待が込もった僕らの視線を受けながら、サツキ君はニンマリと笑った。
「キイチと似てんだなぁ、コイツ」
「へ?」
僕が首を傾げると、オシタリ君とウツノミヤ君は僕と仔猫を見比べて、『確かに…』と、声まで揃えて頷く。
「円らな目とか、体の色とかがらとか…、言われてみれば確かに似てるかもな」
「そうかなぁ…?」
首を捻ったままの僕の隣で、サツキ君は笑顔のままウンウン頷いている。
「ぬははっ!可愛いなぁ〜、キイチ二号っ!」
「ちょっとサツキ君!変な名前つけないでよ!」
「なぁ、俺にもちょこっと抱かしてくれよ、オシタリ」
僕の抗議を無視したサツキ君は、デレデレな笑みを浮べながら、オシタリ君が抱っこしている仔猫に手を差し出す。
オシタリ君が手を伸ばして、仔猫をサツキ君に渡したその時…。
「ふしゃーっ!」
バリッ!
「いっでぇええええええええええっ!?」
サツキ君が、鼻を押さえて後ろにひっくり返った!
一瞬だった。手渡されそうになった仔猫の右前足が閃いて、サツキ君の鼻を一撃したのは!うっあ…、痛そう…!
全身の毛を逆立てた仔猫は、サツキ君の手から逃れて床にシタッと着地する。
これまでずっと大人しかったのに、急にどうしたんだろう?
「しゃーっ!」
仔猫は全身の毛をブワっと逆立て、太くした尻尾をピンッと立てて、牙を剥いて威嚇する。仰向けにひっくり返ってるサツ
キ君を…。
「いっつつつつ…!何だってんだいきなり…?」
サツキ君が鼻を押さえながら身を起こすと、仔猫はババッと離れる。そして、…あっ!
「おい!逃げるぞ!」
ウツノミヤ君の言うとおり、仔猫は物凄いスピードでドアに向かい、少し空いていた戸の隙間から廊下に出てく!
「あぁっ!?待て二号っ!」
サツキ君が慌てて腰を上げ、オシタリ君もドアに走って行く。…っていうか二号って呼ぶのやめて!
飛び出していったサツキ君とオシタリ君の後を追って、僕とウツノミヤ君も廊下へまろび出た。
仔猫は…、あ!階段の方向に向かってる!
サツキ君とオシタリ君が並んで前を、僕とウツノミヤ君がすぐ後ろを走って、仔猫を追いかける。
「…どうしちゃったんだろう急に!?」
「たぶん、ブーちゃんを警戒したんだろうな」
走りながら呟いた僕に、ウツノミヤ君が真面目な顔で答えた。
「俺を!?何でだ?…や、やっぱ、顔が怖ぇから…?」
強面な事を微妙に気にしているのか、サツキ君が耳を伏せながら振り返る。
「いや、あいつはイヌイに似ていたろう?だから、ブーちゃんが抱いた劣情を野性の鋭い嗅覚で嗅ぎ取って、身の危険を感じ
た二号君は…」
「おい!?俺をどんな目で見てんだウッチー!?」
「二号って呼ぶのやめてっ!」
「うるせえぞ!黙って追っかけろ!」
廊下ですれ違う寮生達は、皆一様に、床すれすれを猛スピードで駆け抜ける白くて小さいフワフワの生き物を不思議そうに
見遣り、次いで一丸となって廊下を駆ける僕らに気付いて慌てて壁際によって道を空ける。
…無理ないよ…。ダンプカーみたいな熊とスポーツカーみたいなシェパードが並んで走ってるんだ、どっちにだって撥ねら
れたらただじゃ済まない…。
仔猫は四肢をバタつかせながら少し外側に流れつつ、階段への角を曲がる。
「…スリップ動作も可愛いじゃねえか…」
オシタリ君の呟きに、僕らはウンウン頷く。…って和んでる場合じゃないっ!
角を曲がった僕らは、仔猫の姿を探して…、
「上に行ったぞ!」
ウツノミヤ君の声に顔を上げ、上への階段の踊り場を曲がって、さらに駆け上って行く仔猫の姿を確認する。
まずぅ〜いっ!上の階には二、三年生の部屋があるのにっ!
「やべえ…!」
オシタリ君が顔を顰めて呟いた。
「マガキ先輩、猫アレルギーだって聞いた…」
『虎なのにっ!?』
応援団の鼓手を務める二年生の虎獣人の顔を思い浮かべた僕とサツキ君とウツノミヤ君の声が、綺麗にハモった。
「獣人はアレルギーとは関係ねえだろ。自分や猫獣人には反応しねえ。普通の猫だけだ」
「いやまぁそうだろうけど…」
「僕とイヌイは下で待ち伏せる。オシタリは追いかけて捕まえてくれ。ブーちゃんは…、顔見たらたぶん必死になって逃げる
だろうから、上手く下に向かって追い立ててくれ」
「なんかヘコむなぁ…」
サツキ君はぼやきながら、オシタリ君は無言で頷き、階段を駆け上って行った。
「イヌイ、ちょっとここ見張っててくれ。すぐ戻る」
「え?う、うん…」
ウツノミヤ君は何か上手い事を考え付いたのか、駆け足で廊下を引き返して行った。
僕は階段の上を見上げ、次いで廊下の角まで戻って向こう側を見遣る。
廊下の反対側には、二階から四階までの階段がある。
一階にはこっち側からしか降りられないけれど、上から降りて来るのはどっち側からか判らない。両方とも気をつけておか
なくちゃ…。
待つことしばし、上から仔猫や二人が戻って来るよりも早く、ウツノミヤ君が駆け足で戻って来た。
「猫にはこれだろう?」
彼が両手一杯に抱えて来たのは、水が入った500ミリペットボトル。
「どうしたのコレ?」
「回収ボックスの中から頂いてきたのさ」
応じながら床にボトルを配置していくウツノミヤ君。
回収ボックスに入っていただけあって、ラベルなんかもみんな剥がされて、中身がスケスケ。
キャップは適当に見繕って締めて来たらしいけど、どれでも合うものなんだね。
僕も手伝って配置を終えると、直後にドスドスドスッと、床が震動するほどの足音が…。
「あっちからか!?」
僕とウツノミヤ君が曲がり角から向こうを除くと、シパタタタっと走って来る仔猫と、その後方からぜぇひぃ言いながら走っ
て来るサツキ君の姿。
…あの顔に発汗…、どうやらさっちゃんは走行限界距離を越えちゃったらしい…。
「捕まえるぞイヌイ!」
「う、うんっ!」
僕とウツノミヤ君は両手を左右に広げて、仔猫を迎え入れる。
けど、やっぱり興奮してるのか、僕らを避けて壁際ギリギリを素早くしゅるっと抜けてく。仔猫って思ってたより素早いっ!
「しまった!でもまだペットボトルが…」
振り向いたウツノミヤ君と僕は目を丸くした。ペットボトルの脇を普通に駆け抜けて行く仔猫の後姿を見て。
「こ、効果無し!?」
「えぇ〜っ!?」
信頼を寄せていた防壁をさらりと突破…っていうか無視した仔猫は、一階への階段へダッシュ!まずいまずいまずいぃっ!
「うわっ!?」
聞き馴染んだ声が聞こえたのは、仔猫が階段に到達する直前の事だった。
階段を登って来たイワクニ主将が、仔猫と鉢合わせて仰け反る。
仔猫もビックリしたみたいで、急ブレーキをかけて方向転換、また三階に駆け上って行った。
「わ、わわわわーっ!?」
ビックリした主将は両手を振り回しながら後ろに…って、あ、あぶなぁ〜い!
「…っと!どうしたイワクニ?」
バランスを崩して後ろ向きに階段を落ちそうになった主将は、すぐ後ろから登って来た大きな牛に抱き止められる。
「あ、有り難う。助かったよウシオ…」
イワクニ主将は真っ青になりながら、ウシオ団長にお礼を言う。
「何だ今のは?猫のように見えたが…」
ウシオ団長が訝しげに眉根を寄せて天井…階段の裏を見上げる。…寮監二人にバレちゃった…。
何て言い訳しようかと、僕とウツノミヤ君が視線を交わしていると、後ろから荒い呼吸音が聞こえてきた。
「ぜへぇ…!はひぃ…!」
舌を出して苦しげに喘ぎながら、角を曲がってサツキ君が姿を現す。
「に、二号…は…、どうした…?」
「だから二号やめて!って、さっちゃん!足元!」
僕が注意を促した次の瞬間、「んあ?」と下を見たサツキ君が、今の騒動で倒れて転がっていたペットボトルを踏ん付けた。
180キロ弱の体重を受けたボトルは、ブシャッとキャップを飛ばして水をぶちまけつつ、サツキ君の足を滑らせた。
「うおっ!?」
たたらを踏んだサツキ君は、その前のペットボトルを避けようとして足をもつれさせ、突き出たお腹から床にダイブ。…ん?
ヅムッ!
「えぶぉっ!?」
サツキ君の苦鳴と同時に、僕らは揃って目を硬く閉じた。
サツキ君が倒れ込んだ先には、直立したペットボトルがあった。…それが…、サツキ君のふくよかなお腹に…!
「え…!ぐほっ…!かふっ…!えおぉおおおおっ…!」
鳩尾にペットボトルがヅムッと行って、お腹を押さえてのた打ち回るサツキ君。
「だ、大丈夫かいアブクマ?…というより、何の騒ぎだいこれは?」
ちょっと顔を引き攣らせながら、困惑している様子で尋ねてくる主将。…えぇと、何と申しましょうか…。
僕がどう説明しようか迷っていると、ウツノミヤ君が僕に目配せした。任せておけって言うみたいに。
「これはですね、実は…」
「そうか。迷子の仔猫を…。それは良い事をしたね」
雨に打たれて死に瀕していた仔猫を連れ帰り、力を合わせて必死の介抱で救ったものの、警戒して飛び出してしまったとい
う、ウツノミヤ君から細部がかなり緊迫&脚色&美化した一連の説明を受けて、主将が目を細くして微笑んだ。
その横ではウシオ団長が、感動したかのようにウンウン頷いてる。
「心優しい後輩を持って、ワシは鼻が高いぞ…!」
…そんな風に大げさに喜ばれたら、何だかちょっと罪悪感が…。
お腹を押さえて蹲りながらえずいてるサツキ君を慰めながら、僕は足音を耳にして階段の上に顔を向ける。
「捕まえたぜ」
見れば、仔猫を胸に抱いたシェパードが階段を下りてくる所だった。
「良くやったオシタリ。さすがはネコマニアだな」
「誰がネコマニアだ。…でもって何だぁ?このペットボトル…?」
「いや、足止めにと思ったんだが…」
「んな広いトコに置いても意味ねえだろが…」
オシタリ君はペットボトルを足先でつつく。
「勘違いしてねえか?猫はペットボトルあんまり怖がらねえぞ?」
『えっ?』
僕とウツノミヤ君、主将と団長の声が重なった。
「でも、よく塀の上に猫避けで置いたり…」
「塀の上を猫が通れねえようにな。つまりただのバリケードだ。置いとくのは別に何でも良い。落ちて壊れても問題ねえから
ペットボトルを置くんだよ」
「…ペットボトル自体を怖がるのかと思ってた…。キラキラしてるから警戒するとかして…」
呟いた僕に、オシタリ君は首を横に振る。
「性格にもよるんだろうが、普通はすぐ慣れちまうな。飼い猫ならなおさら怖がらねえ」
オシタリ君の腕の中の仔猫は、ちょっと落ち着いたようだけど、まだサツキ君を見てる。
サツキ君も近付いてまた暴れられたらかなわないと考えてるのか、ちょっと寂しげな表情を浮かべながらも間合いをキープ
してる。
「可愛いなぁ。…何だかイヌイにちょっと似てないか?」
微笑みながら歩み寄り、オシタリ君が抱いている仔猫の頭を撫でる主将。
仔猫は警戒するでもなく撫でられるがままで、喉の奥でコロコロ唸ってる。
「なので二号と呼んでいます」
呼ばないでよ…。っていうかその呼び方広めないでよウツノミヤ君…。
「…何だよこの扱いの差…」
サツキ君がちょっと寂しそうに呟き、羨むような目で主将達を見てる。…撫でたいんだ、たぶん。
「どれどれ?おぉ、本当にイヌイっぽい!どれワシも…」
ウシオ団長が破顔して手を伸ばした次の瞬間、
「フシャーッ!」
「いてっ!?」
仔猫が牛の指に牙を剥いたっ!
再びオシタリ君の腕の中から飛び降り、シタッと床に着地する仔猫。
「ああっ、また!」
捕まえようとしたウツノミヤ君の手をすり抜け、仔猫はまた階段を駆け上る!
追いかけなきゃいけないんだけど、やっと捕まえた直後の出来事で、みんなガッカリ感から動けなかった…。
「大丈夫かウシオ?」
「問題無い。甘噛みされたようなものだ」
手をプラプラ振って主将に応じる団長を見遣ったウツノミヤ君は、何かに気付いたようにサツキ君を振り返った。
「…ひょっとして、単純にデカいから怖がってるんじゃないのか?」
それを聞いた僕とオシタリ君は、目を丸くして二人を交互に見る。
「…考えてみりゃ、アブクマも団長も並の倍以上だ。アイツからすりゃあバケモンみてえなデカさに見えるよな…」
「そ、それじゃあ…、別に俺の顔が恐ぇからとか、汗臭くて鼻が曲がりそうだからとか、そういう事で嫌われてんじゃねぇん
だな!?」
顔を輝かせて問い返すサツキ君。…それを気にしてたの…?
「素の団長が怖がられてんだから、そっちじゃねえだろうな」
オシタリ君が応じると、サツキ君は拳を握ってガッツポーズ。…喜び過ぎだから…。
「おしっ!こうしちゃいられねぇ!追っかけて優しく捕まえるぞ!俺達はきっと解り合える!」
何だか急に元気になったサツキ君は、階段をドタドタと駆け上って行く。
「また考え無しに…。追いかけても逃げるだけだっていうのに…」
ウツノミヤ君がぼやきながら後を追い、オシタリ君は反対の階段に向かった。
「すぐに捕まえますから…。ご迷惑をおかけして済みません」
ペコッと頭を下げた僕に、主将と団長は首を横に振る。
「いや、気にしないで良い。それより、怪我だけさせないように気を付けて。ぼくとウシオはちょっと用事があるから…」
「寮監会議があってな、これから第一男子寮に行かんとならんのだ、手伝えなくて済まんな」
「いいえ、僕らが原因の事ですから。お騒がせしました」
最後にもう一回お辞儀して、僕は階段を駆け上った。
オシタリ君が反対側から行ったから、たぶん挟み撃ちを狙ってる。僕も参加しなくちゃ!