第十五話 「俺にとっての一番は」
キイチが熱を出した。
物凄ぇ苦しそうで、辛そうで、弱り切ってるキイチを前にした俺は、ただただ動転するばっかで、何も出来なかった…。
…大切なキイチが、あんなになっちまってんのに…。
助けてくれたのは、騒ぎに気付いたウッチーやオシタリ。駆けつけてくれた主将や団長、そして警備の人…。
急患センターに行って診断を受けたら、キイチは風邪って事だった。
…ホッとはしたけど、落ち込むぜ…。
キイチはきっと、もっと前から体調が悪かったんだ。
前の晩も、眠くなったって言って早めにベッドに入ってたし、昨日の稽古中もクシャミをしてた。
今なら解る。雨にビッショリ濡れて帰って来た、アレが原因だ。
大丈夫って言葉を真に受けちまったけど、それじゃあダメなんだよ…。
アイツはすぐ「大丈夫」って言う。前からそうだ。…けど、本当に大丈夫な事はあんまりねぇ…。
無理しての大丈夫…。キイチの「大丈夫」はいつもそんなんばっかだった…。
俺がまだキイチがきっちゃんだって気付いてやれてなかった頃から、ずっと…。
キイチは遠慮する。
せめて俺にぐれぇは気ぃ遣って欲しくねぇのに…。思う存分ワガママ言って欲しいのに…。
俺が頼りにならねぇから遠慮してる?
…いいや、そうじゃねぇと思う。
キイチは俺の事をちゃんと信用してくれてるし、必要なら頼ってくれる。こいつはしっかり実感してる。勘違いなんかじゃ
ねぇ。
…思うに、あいつは甘え方が下手なんだ。
俺が辛い時には精一杯優しくして、甘えさせてくれるキイチは、でも自分は相手にどう甘えたらいいか判んねぇんだ…。
…けどやっぱ、いざって時にあれだけ取り乱しちまうようじゃ、遠慮しねぇで甘えて来いよとは…、とても言えねぇよな…。
強くなりてぇ。
ケントにしごかれてだいぶマシにはなったけど、俺の根っこには、まだ小せぇ頃のまま弱っちい部分が残ってる。
今になって思い返してみりゃあ、はっきり判る。
さっきの俺は、キイチが心配だってだけで取り乱してた訳じゃねぇ。
苦しそうにしてるキイチを見てるのが辛くて、怖くて、パニクっちまってたんだ。
…あんなんじゃ話になんねぇ!大切なヤツが苦しんでる時に、自分の事なんか二の次だろ?なのに俺は…!
強くなりてぇ。体だけじゃねぇ、心を強くしてぇ…!
周りに頼るばっかで何もできねぇなんて情けねぇのは、もうゴメンだ…!
「アブクマ?」
後ろからかけられた声で、廊下を歩きながら考え事に没頭してた俺は足を止める。
振り向くと、ドアを開けて顔だけこっちに向けてる大柄な牛の姿があった。
「何処まで行くつもりだ?ワシらの部屋はここだぞ」
「あ…。そ、そうっすね。すんません…」
「イヌイの事は気になるだろうが…、イワクニに任せておけ」
「うす…」
頭を掻きながら引き返した俺は、ウシオ団長に続いてドアを潜る。
今夜は、イワクニ主将がキイチについててくれてる。県大会を控えた俺に風邪がうつったらまずいからって…。
静かにドアを閉めた俺は、
「さっきは、済まなかったな」
と、いきなりウシオ団長に謝られて、目を丸くした。
「へ?」
「いや、さっきのほれ、怒鳴ったの…な…」
団長は顔を顰めて、頭を掻きながら続けた。
「あぁ…。謝んねぇでくれよ団長。俺、あん時団長が怒鳴りつけてくれたおかげで、なんぼか落ち着けたんすから」
そう苦笑いしながら応じたものの、大柄な牛はそれでも気まずそうに顔を顰めてた。
まったく、情けねぇざま見せちまったよなぁ…。
「まぁ、とりあえずは休め。一時に色々あって疲れただろう?繰り返すが、イヌイの事はイワクニに任せて、な」
「うす…」
と、返事はしたものの…、すっかり目が冴えちまってる。
もう外は明るんで来てるけど、すぐには寝れそうにねぇな…。
カーテンが引かれた窓を眺めてると、
「…ふむ…。まぁ、目が醒めてしまっただろうな…」
俺の考えてる事を見透かしたように、ウシオ団長はそんな事を言い出した。
「確か、出発は夕方だったか」
「うす。って、良く知ってるっすね?」
「イワクニと同室だぞワシは?外泊予定ぐらいは聞いている」
…それもそうか。主将が居ねぇ日はウシオ団長が一人で点呼するんだしな。
「まぁ、午前中ゆっくりできるなら、無理に寝なくとも良いか…」
団長はそう呟くと、テーブルに向かって顎をしゃくった。
「少し話でもするか。せっかくだから、話をしておきたい事もある」
牛乳を注いだコップを乗せた、俺達の部屋と同じ型のテーブルを挟んで座り、俺と団長は向き合った。
団長は、牛のパジャマだった。
いや、団長自身牛だけどよ…。えぇっと、アレだ…、何つったかなあの牛?
あ!そうだ乳牛!乳牛の模様だ!白と黒のヤツ!
半袖短パンのモーモーパジャマを着た団長は、俺の視線に気付いて自分の体を見下ろした。
「む?気になるか?」
「え?いや、気になるっつぅか、珍しいと思って…。そういうの、俺らが着れるサイズのもあるんすね?」
「うむ。まぁこれは通販だがな。さすがに普通の売り場では売っとらんようだ。…ちなみに同じ柄のスリッパもあるぞ?」
「へぇ…」
今度キイチのパソコンで調べて貰おう。こういうの、キイチに着せたら…、…良いかもしれねぇっ!かなり!
「ところで、イヌイとは幼馴染みだったな?昔から仲が良かったのか?」
「まぁ、そうっすね。もっとも、あいつ小学に上がる前に一回越してって、地元に帰って来たのが中学になってからだから…、
ちょっと離れてた期間もあるっすけど」
団長は「ふむ…」と頷くと、俺の目を真っ直ぐに見つめて来た。
「いつからだ?」
団長の質問の意味が判んなくて、俺は「ん?」と首を傾げた。
「お前とイヌイは、いつから今の仲になった?」
あんまりな質問で、心臓が、ドクッと飛び跳ねた。
「…仲は…、小せぇ頃からずっと良かったっすけど…」
そう答えながら、俺は「違う」と悟った。
団長は、そんな事を訊こうとしてるわけじゃねぇ。
俺の目を真っ直ぐに見つめて来る牛の目は、俺の内心を見透かしてるみてぇだった。
確信した。…気付かれたんだ…。俺とキイチの関係…。
「…いつ、気付いたんすか…?」
「もしかしたらそうかもしれんと、少し前から思っとった。が、確信したのは今日の騒ぎでだな」
俯いて、団長の視線を避けた俺は、「はは…」と、力無く笑いながら、鼻の頭を掻いた。
「…主将は…?」
「ついさっき、ワシから憶測を伝えた。…というよりも、あいつ自身は無自覚に、ワシより早くに何となく察していたように
も思える。「ただの幼馴染みとも少し違う感じがする」と、以前そう言っていた」
…参ったな…。
「…気持ち悪ぃっすよね?」
俺は上目遣いに団長の顔を見た。
そこに浮かんでるはずの、嫌悪の表情を見る事を、覚悟しながら…。
が、団長は表情も特に変える事無く、腕組みして俺を見つめてる。
…なんつぅか、妙な感じの目をしてた。
興味深そうな、それでいて…、何だ…?
上手く言えねぇけど、なんか、優しくてあったけぇ、そんな眼差し…。
「まぁ、普通ではないのだろうが、お前達の関係について何も言うべき事は無い。ワシも、もちろんイワクニもな」
団長は、落ち着いた低い声でそう言った。
顔にも、声にも、気味悪がってるような感じは本当にねぇ。
どうやら、嘘や慰めなんかじゃなく、俺達みてぇな仲の存在を容認してくれてるみてぇだ。
「ワシが、何故お前とイヌイの関係に気付いたか、判るか?」
ほっとして息を吐き出した俺に、団長はそう尋ねて来た。
「え?いや…、何でっすかね?一応、外じゃあそんなベタベタしねぇようには、気ぃつけてたつもりなんすけど…」
俺が首を傾げてると、団長は目を細くして、ニーッと歯を見せて笑った。
「ワシらも、同じだからだ」
「はぁ…。…へ?」
頷きかけた俺は、間抜けな声を漏らしてウシオ団長の顔を見つめた。
「…ワシって…、だ、団長がっ!?」
…いや。いやいやちょっと待て?今、ワシらって言ったか?ら?らって…、まさか…!?
「も、もしかして…、しゅ、主将…も…?」
「うむ。ワシとイワクニも付き合っている。正式な付き合いは、ついこの間からだが…」
団長は少し照れ臭そうに、そしてどこか誇らしげに大きく頷いた。
ポカンと口を開けて、呆けた表情でその顔を見つめてる俺に、大牛は笑みを深くした。
「まぁ、ワシが一方的に惚れて、イワクニを拝み倒して交際に持ち込んだんだが…」
「…俺も…、俺の方からキイチに告って…、付き合い始めたんす…」
頭はまだ軽く混乱してるが、気付いたら、俺は団長にぼそぼそとそう言ってた。
やっと判った。団長が俺に向けたさっきの妙な視線、あれが何だったのか。
ウシオ団長は共感してたんだ。俺達が同類だって知って…。
「アブクマがイヌイに向ける目がな、気付くきっかけになった。…伊達に二年も片想いしとらんなぁ、ワシ」
ウシオ団長は苦笑いして、俺もついついつられて苦笑する。
「実はな、イワクニ自身は元々ノンケだ。…まぁ、今もそうだな。だから、付き合い始めたとは言っても、普通の恋人同士の
ような事は何もしとらん。イワクニが抵抗を感じるなら、無理強いするつもりもない。…気持ちを受け入れて貰えただけでも、
十分幸せで、勿体無い…」
団長は照れ臭そうにガリガリと頭を掻いた。
主将と団長が、か…。
団長がイワクニ主将に惚れる気持ちは、良く判る。
俺だってキイチって恋人が居なかったら、真面目で優しくて後輩想いで真っ直ぐな主将に、一つ間違えばコロっと参っちまっ
てたかもしれねぇ。
主将は良い男だ。団長のひとを見る目は確かだぜ。とびっきりよ。
「まぁそういう訳でだ。ワシも、好みをおおっぴらに出来ん気苦労や、特有の悩みや困り事もそれなりに察する事ができる」
低い声で、優しくそう言われたら、目の奥が熱くなった…。
思えばこれまで、この変わった好みの事で相談に乗ってくれる年上の相手なんて居なかった。
悩んで考え込んで、手探りでおっかなびっくりキイチと付き合い始めて、気が付けば周りにも同類が何人か居たけど…。
オジマ先輩も同類だって知ったが、そりゃ先輩が卒業しちまった後の事だった。
この事まで話せる身近な先達が出来たのは、初めての事だった…。
「ありがてぇっす。団長…!」
嬉しくって涙が出そうになった俺は、テーブルに鼻先がつくぐれぇに、深々と頭を下げた。
「そうかしこまるな。実はワシも、おそらくは希少な同類が身近に居る事は嬉しい。イワクニもきっと喜ぶだろう。隠し事を
しないで済む相手が増えるのは、何かと頼もしい」
ウシオ団長はそう言って、「がはははは!」と気持ち良く笑った後、「あ」と、何か思い出したみてぇに声を上げた。
「もっとも、シゲだけは知っとるがな」
「へ?知ってるんすか?シゲさんが?」
目を丸くした俺に、団長は「うむ」と大きく頷く。
「まぁ、言い触らしたりするような男でも、他人の好みを認められんような狭量な男でもない。知られても困りはせんだろう
が、もちろんお前達の事もわざわざ言う必要はないぞ?」
団長の話を聞きながら、俺の中で、ある疑問がムクムクと膨れあがって来た。
「…団長?も、もしかして…、シゲさんも?」
「いや、シゲはノンケだ。本人の話だと、恋愛経験自体が無いらしいがな」
ん?恋愛経験ねぇ?シゲさんが?
「シゲさんモテんのに、彼女居ねぇんすか?」
「うむ。曰く、「彼女とか作るの、めんどくさいでしょう?」だそうだ」
団長はニヤリと笑って付け加える。
「ああ見えて、シゲもそっち方面では、まだまだ子供だな」
そうなのか…。シゲさんモテるし、進んでそうに見えてたけどなぁ。意外…。
それから、主将のベッドを借りて昼近くまで休んだ後、俺は団長と一緒に、自分の部屋に戻った。
夜は色々あったってのに、キイチを見てくれてたはずの主将は、いつも通りにしゃっきりしてた。
「申し訳ねぇっす…。色々迷惑かけちまって…」
深々と頭を下げたら、主将は困ったような照れたような、微妙な苦笑を浮かべた。
「困った時はお互い様だよ、アブクマ。それに、謝るような事じゃない」
「そうだ。こういう時は詫びではなく、まず礼だろう」
「ウシオ!そういう事を言ってるんじゃなくてだな…!」
ウンウン頷いた団長を、主将は困り顔でたしなめた。
「いや、団長の言うとおりっす。ありがとうございます。主将」
もう一回頭を下げた俺に、主将は慌てた様子で言った。
「いやいや、良いんだアブクマ!そんなにかしこまらないで良いんだから!…ウシオ!余計な事は言わない!」
「む?また何か間違ったのか?ワシ…」
「もう良い…。何だか疲れた…」
困り顔で首を傾げる団長に、主将は呆れたようにため息をついてみせた。
いつもと変わんねぇのに、団長から恋人同士だって聞かされた後のせいか、今じゃあ二人のやりとりが、恋人のそれっぽく
も見える…。
俺とキイチの事、もう主将にも黙っとく訳に行かねぇ。
何て切り出そうか迷ってたら、
「それはそうと、イヌイももう起きているよ。顔を見せてやるかい?」
主将は俺に向き直って、そう声をかけてきた。
「あ…。い、行っても大丈夫なんすか?」
「ああ。気分も良いみたいだから、話をするぐらいは良いだろう。でも、あまり長くはダメだぞ?イヌイが疲れない程度にな。
それと、風邪がうつったら困るし、イヌイだって哀しむ」
「うっす!」
キイチ、起きれてんのか!?良かった…!
いそいそと寝室のドアを開け、中に入ると、
「あ。サツキ君…!」
だいぶ具合が良くなったのか、俺の姿を見たキイチは、身を起こして、ちょっと気まずそうに微笑んだ。
「無理すんなキイチ、寝たままで良いからよ!…具合、どうだ?」
下の段、つまり俺のベッドに寝てたキイチは、耳を寝かして顔を曇らせた。
「ん。だいぶ良いよ。…ごめんね?心配かけちゃって…」
「もう気にすんなよ。な?」
ベッドの横に屈み込んだ俺は、キイチを横にならせた。
こっちに顔を向けて横向きに寝たキイチの顎の下に指を入れて、ポヤポヤの柔らけぇ喉を撫でてやると、キイチは気持ち良
さそうに目を瞑った。
…ん?何だこの人形?
枕元に置いてあった、柔道着姿の熊の縫いぐるみを見つめると、目を開けたキイチは、
「それ、主将が御守り代わりにって…。サツキ君に似てるよね?」
「…そうかな?俺と似てるかコレ?」
熊の縫いぐるみは、手足がずんぐり太くてちょっと腹が出てる。
顔もその…、かわいいとかかっこいいとか、そういうんじゃねぇ。いかつくて不細工だ。
…俺、こういう風に見えてんのか…?まぁ確かに色男じゃあねぇけどよ…。
俺は軽く頭を振って気を取り直し、大事なことを伝える為に、キイチの顔を見つめて口を開いた。
「あのな…。落ち着いて聞いてくれな?」
俺はキイチの喉をさすりながら、言葉を選んだ。
「団長に、俺とお前の関係…、バレてた…」
キイチは細くしてた目を少し大きく開けて、俺の目を見つめ返す。
「…そう…」
あんまり驚いてる風でもなくて、ちょっと意外に思ったら、キイチは穏やかに微笑んだ。
「…主将にも、気付かれちゃってた…」
…あ…?そうか、もう話をしてたのか…。
「主将と話、したんだな?」
「うん。少し前に…」
「主将と団長の事も、聞いたのか?」
「うん。先に自分の事から、みんな話してくれた…」
「そか…」
たぶん、俺と同じ気持ちになってるんだろう。キイチは穏やかな顔で微笑んでる。
「俺も、主将にきちんと話しとく」
「うん」
「俺、団長にいきなりこの話を切り出された時は、正直ビビったけど…、今は凄ぇ嬉しい…」
「ふふ…。実は僕も…!」
安心したせいか、抱き締めてチューしてぇ衝動に駆られたけど、今そんな事言ったらキイチを困らせちまう。
俺は疼く気持ちをどうにか抑え込んで、キイチの頭を撫でた。
「主将と話をしてくる。また来るからよ。ちゃんと休んどけな?」
「うん。お休み、さっちゃん」
キイチを一人にするのは辛かったけど、俺は静かに立ち上がってベッドから離れる。
ドアの前で振り返って軽く手を振ったら、キイチは毛布の襟元から手を出して、微笑みながら小さく振り返してくれた。
俺が戻ったリビングには、主将だけが居た。
「ウシオは部屋に戻ったよ」
俺の疑問を見透かしたように、テーブルについてる主将はそう言った。
テーブルには、俺の分も用意してくれたんだろう、冷えた茶が入ったコップが二つ置いてあった。
「…残念だけど、イヌイは休ませるべきだろう。出発まであと数時間だ。無理をさせても良い事は無い…」
「そっすね…。俺も、それが良いと思う…」
主将と向き合う形でテーブルについた俺は、ガリガリ頭を掻きながら、言葉を探した。
…えぇと…、こんな時、どう切り出しゃ良いのかな…?「隠してて済んませんでした」とかか?
「ウシオから、簡単に聞いたよ」
俺が迷ってる内に、主将はさらっと、そう言った。
「あいつから聞いただろう?ぼくらの事も」
「え?あ、うん…。聞いたっす…」
主将はコップを取って、冷えてる茶を啜る。
「驚いただろう?まさか寮監と副寮監が恋人同士…、それも男のカップルだったなんて…」
気負うでも、恥ずかしがるでもなく、主将はいつも通りの口調で言った。
…堂々としたもんだ…。うじうじ迷ってる自分が恥ずかしくなるぜ…。
「主将こそ、びっくりしたんじゃねぇっすか?こんなナリしてる俺が、ホモだったなんて知って…」
俺がそう言うと、主将は可笑しそうに笑って見せた。
「びっくりはしたけれど、そう有り得ない事でもないだろう?本人の見た目と好みは無関係だ。そもそもぼくにはウシオって
いう例が身近に居るからな」
心底、ほっとした。
主将の態度は、俺達の事を知った今でも、これまでと全然変わりがねぇ。
正直なトコ、主将の態度がどう変わっちまうか…、俺にはそれが恐かったんだ…。
「こっちも、イヌイから色々聞けた。無理に喋るなって言っても、なかなか聞かなくてね…。こんな時に切り出すべきじゃな
かったと、心底後悔したよ…」
そう言った後、主将は苦笑いした。
「やっと、胸のつかえが取れた気分だ。本当はずっと隠しておこうと思っていたんだけれど、ウシオの意見を聞いて、きみら
二人ももしかしたら…、と思ったら、言わなくちゃいけないような気がして…」
「俺も、ほっとしたっす…。キイチも安心してたし…」
「はは…。これで、お互いにすっきりできた。かな?」
「ぬはは…!そうっすね、すっきりした!」
俺と主将は声を上げて笑った。
大好きな主将に、隠し事をしなくて良くなった事が嬉しい。
そして、主将達も同類だった事が嬉しい。
本当にすっきりした。すっきりして、とにかく嬉しかった…。
俺はちょっと恥ずかしくなりながら、主将を上目遣いに見つめた。
「柔道部の主将を前にこんな事言っちまうのもなんだけど…。俺にとっての一番は、柔道でも、勉強でも、他の何かでもねぇ。
キイチなんだ…。なもんで…、昨夜は取り乱して、みっともねぇトコ見せちまって…、すんませんした…」
そして、深々頭を下げて、改めて礼を口にする。
「ウッチーやオシタリが来てくれて、団長と主将が面倒見てくんなかったら…、俺、情けねぇけど何もできなかった…。ほん
とに…、本当に、ありがとうございました…!」
「や、やめてくれよ、そんな改まって…!寮監として、先輩として、当たり前の事をしただけなんだから…」
「でも、本当に有り難かったんす。我ながら情けねぇけど、俺ときたらいざって時にあんな有様になっちまって…。なのに、
主将達はキビキビ対応してくれて、キイチの面倒まで見てくれた上に、俺の事まで気ぃ回してくれて…」
俺はテーブルに鼻がつくまで頭を下げて、腹の底からの感謝を主将に伝えた。
「何べん言っても足りねぇけど、ありがとうございます…!」
「解った!解ったからもう顔を上げてくれアブクマ!」
主将は困ったように言って、それから咳払いする。
「感謝の気持ちは、よ〜く解った。さっきも言ったけれど、困ったときはお互い様。そして、寮生の面倒を見るのが寮監の勤
めなんだ」
そして、いがぐり頭を掻きながら、顔を赤くしながら続けた。
「だから、そんなにかしこまらないでくれ…。こそばゆくって落ち着かないよ」
俺は照れまくってる主将に、これまで以上の親しみを感じながら、
「…うす…!」
最後に一回、額を机に擦りつけてから顔を上げて、笑いかけた。
「…って訳だ。悪ぃけど、置いてくな…」
「…うん…」
俺から説明を聞いたキイチは、ベッドの中で毛布にくるまりながら、小さく頷いた。
俺は主将と理事長と相談して、キイチは大会に連れてかねぇ事に決めた。
口にはしねぇけど、キイチはもちろん残念がってる。…当然、俺だって残念だ…。
でも、無理に連れて行って体調が悪くなっても困るし、キイチ自身、もうそんな事で周りに心配かけんのは嫌だろう。
「悪ぃな、キイチ…」
「謝らないでよ…。僕が軽率だったんだから。僕の方こそ、大事な大会なのに、マネージャーとしての仕事ができなくて…、
ごめんね?」
頭をそっと撫でながら詫びたら、キイチは耳を寝せて、むしろ申し訳なさそうに応じた。
「必ず勝って帰ってくる。目指すは全国行きだ!まだまだ主将も引退させねぇし、キイチにもいいトコ見せなきゃなんねぇし
な!」
「うん。期待してる…。次は必ず、間近で応援するから…!」
柄でもなく、まだ先までの意気込みを口にした俺に、キイチは満足げに微笑んだ。
俺、阿武隈沙月。濃い茶の被毛と胸元の三日月マークが特徴の、星陵ヶ丘高校一年。
明日、県大会に挑む柔道部員だ。
さぁて、ますます簡単には負けられねぇな…!
キイチと主将を、全国大会まで引っ張ってってやらねぇとよ!