第二話 「いい人ばかり」
「起立!礼!」
「はいお疲れさん。じゃあ、また来週なぁ」
帰りのホームルームが終わり、トラ先生がのそのそと教壇を下りていく。
僕の後ろの席の熊獣人は、先生が教室から出て行かない内に手早く帰り支度を終えて、いそいそと鞄を手にして立ち上がっ
ていた。
「今日も道場直行?」
声をかけた僕に、彼は胸の前で右拳を握り締め、
「おう。今日こそ来る!きっと来る!来るはずだ!来ねぇ訳がねぇ!」
と、「来る」を連呼して応じる。
この飛びぬけて大柄な熊獣人は、阿武隈沙月君。
僕の幼馴染みでルームメイト、そして恋人。
今、彼が所属予定の柔道部は、部員不足のせいで廃部の危機にある…。
最低二人の新入部員を確保できれば、とりあえず廃部は免れる事ができるんだけれど…、実は、仮入部期間が二日過ぎた昨
日までの時点で、サツキ君以外の入部希望者はゼロ…。
主将であるイワクニ先輩と一緒に、あの手この手で新入部員獲得を目指しているけれど、どうにも効果は思わしくないらしい。
まぁ、入部を決めてるサツキ君と、イワクニ先輩で、現在確定している部員数は二人。
部の存続に必要な部員は三人だから、実質、あと一人入ってくれればオーケーなんだけどね。
「そっちは今日も校内探検か?」
「うん。また他の部の様子を見てから道場にお邪魔するね」
「おう!偵察、よろしく頼むぜ!」
サツキ君は肩から背中へぶら下げるように鞄を担ぎ、のっしのっしと教室を出て行く。
「アブクマのとこ、まだ部員が来ないのか?」
声をかけられて振り向くと、黒縁眼鏡の狐君が、サツキ君が出て行ったばかりのドアを見ながら立っていた。
彼は宇都宮充君。昨日からこのクラスの学級委員を務めている。
成績優秀、品行方正で真面目、絵に書いたような優等生。
数日前に知り合ったばかりで、どういう人なのかまだ詳しくは知らないけれど、サツキ君の友達だったんだから、たぶん悪
い人じゃない。僕とも話題も合うし、仲良くやっていけそう。
「予想外に苦戦してるみたい」
「寮監が主将だったよな?寮内で募集すれば良いんじゃないのか?それこそ点呼しながらとか…」
それはもちろん僕も考えた。でも…、
「それが…「ぼくが寮監という立場にある以上、寮内で募集すれば逆らい難く感じる生徒も居るはずだ。そんなプレッシャー
をかけるような真似をして部員募集をするのはフェアか?否!断じて否だ!」…って言ってた…」
「…真面目…っていうか、ほんとお堅いな…」
ウツノミヤ君は感心半分、呆れ半分の様子で呟く。
僕も同感。でも、イワクニ先輩のそういう人柄を、サツキ君はとても気に入っている。
あの二人、フェアで一途な所がちょっと似ているような気がする。
「ウツノミヤ君は部活入らないんだっけ?」
「…の予定だったんだけれど…」
ウツノミヤ君は顎に手を当てて考え込む。
「トラ先生さ、化学部の顧問しているんだよな」
トラ先生って言うのは僕達の担任で、さっき教室を出て行った先生。いつも眠そうな顔をしている太めの虎獣人。
かなり大柄で、ボリュームはサツキ君と良い勝負だ。
サツキ君のお腹を触り慣れてるから判るけれど、きっと、先生のあのお腹も手触り良いだろうなぁ…。
…って、何考えてるんだ僕…。
「…で、特にやる事も無いし、入部してみようかなぁとも思って、少し迷ってる」
「へぇ…。でも、他にやりたい事が無いなら、別に迷うこともないじゃない?早めに決めちゃったら?」
「そうなんだけどさ…」
ウツノミヤ君は言い難そうに顔を顰める。
「柔道部、本当にヤバいようなら名前だけでも入れて幽霊部員になろうかとも思ってるんだけれど…」
え?あ…、気にしててくれたんだ?
「あ、勘違いしないでくれよ?柔道やりたいなんてこれっぽっちも思ってないから。マネージャーとか、そっちの方でな」
ウツノミヤ君は慌てたように早口に付け足した。
ちなみに、彼は時々サツキ君の事をブーちゃんって呼ぶ。小学校低学年の頃のあだ名らしい。
「マネージャーかぁ…。ウツノミヤ君真面目だし、向いてたりして?」
「さぁ、どうだろうな?…さて、先に一応化学部見学しに行ってみるかな…。内容そのものがあまりに酷いなら、もちろんパ
スだし」
ウツノミヤ君はそう言うと、鞄を掴んで席を離れた。
「それじゃあ、また夕食の時にでも」
「うん。また後でね」
っと、自己紹介忘れそうになってた…。
僕は乾樹市(いぬいきいち)。星陵ヶ丘高校一年生で、クリーム色の被毛をした猫獣人。
「う〜ん…。相変わらず凄い人だかり…」
川の脇を通る、上がサイクリングロードにもなっている堤防の上から、星降川の川岸の人だかりを眺め、僕はその人数にた
だただ感心しながら呟いた。
街の中央を流れて、市街地を二分している星降川は、カヌー部とボート部の練習場所でもある。
で、あの物凄い人だかりは、ボート部の見学者。
と言っても、大半は入部希望者じゃない。
集まっているのは、学校一の人気を誇る男子生徒を目当てにやってきた女子だったりする。
そのターゲットは、二年生の狼獣人、水上重善(みなかみしげよし)先輩。
ミナカミ先輩は僕達と同じ第二男子寮の寮生で、寮監であり柔道部主将でもあるイワクニ先輩とは、同郷の幼馴染み。
昨年のインターハイでは、当時一年生だったにもかかわらず、全国五位にまで上り詰めた実力者。
なんと、シンジョウさんの話では、校内にファンクラブまで存在しているらしい。
ルックスは良いし、気さくだし、勉強もスポーツもできる。
僕やサツキ君も、ちょっとした縁でお世話になって、その人柄に触れているから、あの人気にも頷ける。
優しいし、カッコイイんだもん。ミナカミ先輩。
ここからじゃ小さすぎて良く解らないけれど、川に浮かぶいくつものボートのどれか一つに、先輩も乗っているんだろう。
…さてと、そろそろ他の部の様子も覗きに行ってみようか。
くるりと振り返った僕は、堤防に続く坂を上ってくる人影を認め、首を傾げた。
「あれ?先輩?」
「お?イヌイじゃないか」
僕の視線の先には、薄いグレーのフサフサした被毛を風になぶらせ、颯爽と土手の上を歩いてくる狼獣人。
ミナカミ先輩は僕に気付いて、ちょっと意外そうに右の眉を上げていた。
左手に水の入ったペットボトルを持ち、右肩にはマリンブルーに塗装された二本のオールを担いでいる。
先のヘラのような部分に、白いラインが二本、斜めに入っているのが鮮やか。
この青白のカラーリング、星陵の校章やジャージと同じだ。
「何?もしかしてボートに興味ある?それともカヌーの方?」
「あ、いえ…、そういうわけでは無くてですね…」
僕は柔道部への人の入りが極端に悪い事(っていうか僕を除けば訪問者すらゼロ)をかいつまんで話し、比較のために他の
部の様子を見に来ていた事を説明した。
「ふ〜ん…。そういえばサトルさん、去年もゼロだって嘆いてたよなぁ…」
ミナカミ先輩は目を細めて考え込む。と、急に何かを思いついたように、深刻そうな顔になった。
「そうだ。時間があるなら、少しボートに乗ってみないか?」
「え?い、いや僕は…」
「ははは!心配しなさんな、別に入部させようとか、そういった事は考えてないから」
整っている狼の顔に、陽気な笑顔が浮かんだ。
「邪魔の入らないトコでちょっと話をしたいだけさ。ついでに、可愛い後輩におれらがいつも見ている景色も見せてやろうかっ
てトコ」
「でも、練習の邪魔に…」
「邪魔じゃないさ」
ミナカミ先輩はニヤリと笑う。
「二人乗りのヤツにイヌイを乗せて、おれが一人で漕ぐ。こういうのも、良い体力作りになるんでね」
数分後、僕は穏やかな水面の上で、初めて見る世界を目に焼き付けていた。
「どうだ?なかなか良いもんだろ?」
「はい…!凄いです…!」
新鮮過ぎて、上手く言葉にできない。
手を伸ばせば水の中に手を突っ込める水面すれすれを、先輩と僕を乗せたボートが進んで行く。
水面が近いせいか、水があっというまに後方へ流れていって、かなりスピードが出ている感じがする。
実際、自転車のような速度で動いているかもしれない。まるでアメンボウにでもなったような気分だ!
僕は泳げないから、最初こそちょっと怖かったけれど、スマートな形のボートは思ったよりも安定していて、すぐに慣れて
しまった。
僕が乗せて貰っているのはダブルスカルっていう名前の、二人が両手にオールを持って漕ぐボート。
丸底でスマートな形をしていて、左右に張り出したオールを含めたシルエットから、僕はなんとなくアメンボウを連想した。
先輩は僕を乗せたまま、普段漕いでいる一人乗り(シングルスカルって言うらしい)よりも少し大きいボートを器用に操り、
川の上の景色を見せてくれた。
水の上に居るせいか、体を撫でる風は少し冷たい。
乗る前に、厚着をしろと言われて、ボート部のウィンドブレーカーとライフジャケットを着せられたんだけれど、その理由
が実感できた。
ボートは漕ぎ手の背中側へ、後ろ向きに進んでいく。
でも、漕がない僕は本来ならありえない方向、つまり進行方向を向いて座る事ができている。
ちょうど、ミナカミ先輩と正面で向き合う形だね。
上から見ていると、スイスイ動いて実に楽しそうに見えるボートだけれど、実際は結構違っていた。
前のめりになって全身をたわめた状態で、左右のオールを翼のように上げる。
そして進行方向の水面に沈めて、足が固定された板を蹴って、スライドする椅子ごと全身を後ろへ伸ばし、脚、腰、腹筋、
背筋、そして腕、正に体全体を使ってオールを引く。
そしてフィニッシュには、オールが水からすぅっと上げられる。
流れるような途切れ目の無い動きは、間近で見るととても力強い。
そこには、陸から見ている時に連想するような、優雅な水鳥なんかのイメージは無かった。
むしろ、飛び立った直後の猛禽類の、翼を煽るごとにぐんぐん高度を上げていく様子…、力強い羽ばたきを連想させる。
二人乗り前提のこのボートを、僕という重しを乗せてもなお、苦もなく走らせている先輩の体には、全く無駄が無い。
胸は結構厚いけれど、お腹は引き締まっている。
腕や太ももなんかには、動くと筋肉が隆起する様子が見えた。
普段着で見た時はすらっとスマートな印象だったけれど、こうしてみると結構がっちりしてる。
同じスポーツマンでも、サツキ君とは随分印象が違うなぁ…。
ひとしきり川面を走らせた後、ミナカミ先輩はオール止め、慣性に任せてボートを川面に滑らせた。
「一つ、聞きたい事があったんだ」
ミナカミ先輩は後方…、つまりはボートが滑って行く方向を振り返り、他の船がないか確認しながら、少し上がった息を整
えて口を開いた。
「サトルさんは何も言わないし、団長もだんまりだから、イヌイかアブクマに聞こうと思っていたんだが…」
先輩の真っ直ぐな視線を受けて、僕は小さく頷く。
まぁ、口止めされている訳じゃないし、別にミナカミ先輩にまで隠さなければならない事じゃないからね。
「柔道部は、あと一人部員を確保しないと廃部だそうです」
「…やっぱり問題抱えてたのか…。な〜にが「大丈夫、大丈夫」なんだか…」
ミナカミ先輩はため息をついた後、表情を改めて、
「…それにしても、おれが聞きたかったこと、良く解ったな?」
そう、感心したように、微かな笑みを浮かべながら言った。
「イワクニ先輩とミナカミ先輩は幼馴染みだとお聞きしていましたし、イワクニ先輩、最初はウシオ先輩にも隠していたよう
なので、たぶんミナカミ先輩にも黙ってるんじゃないかなぁと思っていました。…って言うのも、心配させたくなかったって、
ウシオ先輩にバレた時も言っていましたから…」
「なるほど、イヌイは頭が良く回る。アブクマの言っていたとおりだな」
「へ?」
首を傾げると、ミナカミ先輩は片方の口の端を吊り上げて、ニヤッと笑った。
「「あいつはすげぇ頭が良い。あいつのおかげで、馬鹿の俺でもなんとかこの学校に来れたんだ」って、昨日言ってたんだ。
我が事のように自慢げだったなぁ」
…一体何を言って回ってるのさっちゃん!?
「しかしまぁ、ここのところのサトルさんに、なんとなく元気無かった理由、やっと解った…」
ミナカミ先輩はそう呟くと、困ったようにため息をついた。
「…部員の確保か…。一人で良いんだよな?」
「はい。そのはずです」
「なんなら、おれが名前だけでも入れて掛け持ちとか…」
「あれ?部の掛け持ちはできないはずじゃ?」
「あ?あ〜、そうだったっけ…!?」
灰色の狼は困ったような顔でガシガシと頭を掻く。
「一人…、一人かぁ…。ぐらいなんとか入部してくれないもんかね…」
「大丈夫ですよ!一人くらいなんとかなります!イワクニ先輩もサツキ君も、ポスターやビラで頑張ってアピールしています
から!」
「…そうだな。あと一人だけだ…。…ま、大丈夫…だろうな…」
「ミナカミ先輩は、先輩の事に集中してくださいよね?こっちは大丈夫ですから」
僕が努めて元気に言うと、ミナカミ先輩はフッと、優しい笑みを浮かべた。
「「こっち」って言うと、イヌイも柔道部みたいに聞こえるなぁ」
「あ、あれ?そうですね…。うっかり…」
「ははは!それだけ、サトルさん達の親身になってくれているって事だろうな。あぁ、そうだ」
笑いながら言ったミナカミ先輩は、思い出したように付け加えた。
「おれの事、シゲで良いよ。皆もそう呼ぶし」
「え?で、でも、馴れ馴れしくないですか?」
「おれにしてみれば、余所余所しいよりよっぽど良い。アブクマだって「シゲさん」って呼んでくれるぞ?」
いつのまにそんなにフレンドリーな仲になってたのさっちゃん!?せめて「先輩」はつけようよ!?
「…それじゃあ…、シゲ先輩?」
「なんならシゲ君でもシゲちゃんでも良いんだぞ?」
「…シゲ先輩とお呼び致します…」
どうやら本気らしいシゲ先輩に、僕は微苦笑で応じた…。
ミナカミ先輩と別れた僕は、昨日までより少し遅くなって道場を訪ねた。
引き戸を開けると、二人は一瞬だけ満面の笑みで迎え、そして、僕だと気付いた途端に項垂れた。
そしてイワクニ先輩は、どよんとした空気を纏いながら、今日も誰も来なかった事を告げた…。
僕らは、道場の戸締りを済ませて、言葉少なく三人で寮に帰った…。
「何が悪ぃのかなぁ…」
頭の後ろで腕を組み、寮の廊下を歩きながらサツキ君が呟く。
夕食時、僕達はいつものように三人揃って食堂へ向かっている。
「柔道そのものが人気無いんじゃないか?もともとこの学校の柔道部は強くなかったから、柔道をするつもりだった生徒は川
向こうに進学しているって話だし…」
「それだよそれ。川向こうの学校って、柔道強ぇのか?」
僕とウツノミヤ君はポカンと口を開けて顔を見合わせる。
「県下三本指だぞ!?」
「なんで知らないの!?」
「いっ?いや…、強ぇらしいって事は、主将からちょこっと聞いて知ってたけどよ…。…やっぱその辺、しっかり覚えとかな
きゃいけねぇかな…」
「まぁ…、キミがノーマークだったその強豪校に持っていかれてるんだよ、柔道をしたい生徒はね」
ウツノミヤ君の意見に、サツキ君は眉間に皺を寄せながら「う〜ん…」と唸った。
「けどよぉ、それじゃあ新入部員確保は絶望的なのか?」
階段を降りながら困り顔で言ったサツキ君に、ウツノミヤ君は首を捻る。
「確率的に低いだけで、ゼロじゃない。…と思いたいが…、こうなったら個別で口説いてみるとかしないと駄目か?」
「個別ったって…、明日明後日は土日で授業ねぇし、仮入部期間は来週の火曜までだぜ?時間がなぁ…。っと、悪ぃ。ちょっ
と行ってくる」
サツキ君は食堂に入るなり話を中断すると、トレイを掴んで足早にセルフカウンターに向かった。
見れば、奥のテーブルで、シェパードが一人ぼっちで黙々と食事をとっている。
今日もオシタリ君とコンタクトを図ってみるつもりらしい。ファイトだよさっちゃん!
「今日で三日目か…、よく続くもんだなぁ…」
感心しているというよりは、呆れているような口調でウツノミヤ君が呟く。
「部屋でもまだ、会話は無いの?」
「それはもうまったく、な」
肩を竦めると、ウツノミヤ君はトレイを手にしてカウンターに向かった。
なかなか打ち解けてくれないなぁ…。オシタリ君…。
結局、その日もオシタリ君は昨日と似たような感じで、手早く食事を終えて寮を出て行った。
毎晩、門限ギリギリまで何処に行っているんだろう?
そして翌日の土曜日。
サツキ君は体力づくりとダイエットを兼ねたジョギングがてら、朝早くに出て行っちゃった。
「絞んねぇとさ…、そろそろやべぇかなぁ、なんて…」
出かける前に、サツキ君はそう言いながら、お腹をポンと叩いて見せた。
「…うん…」
真新しいジャージ越しにでも、お腹がポヨンと揺れるのがはっきり判った…。
僕は目の前に立ったサツキ君のお腹をじっと見つめ、それからそっと指でつついてみた。
…人差し指が…、付け根まで簡単に埋まった…。
次いで手の平を押し当てて軽く握ってみると、もに〜っと、指がめり込んだっけ…。
…フサフサの毛のせいもある…。うん。きっとそう…。
サツキ君は今日もイワクニ先輩と一緒に、道場で新入部員を待つらしい。
僕の方は、部活は午後からだというシゲ先輩と一緒に、近くの食堂、ハンニバルで朝食をとった後、学校へ向かった。
今日も一応探検しながら、他の部活の様子を見て回るつもり。
ドォォオン!
「おおっす!!!」
『おおーっす!!!』
ドアを開けたとたん、太鼓の音に次いで、大声が響き渡った。
一瞬固まった僕は、屋上に整列した、直立不動の制服の一団を見て納得する。
どうやら屋上は、応援団の練習場所だったらしい。
ビシッと着こなした、応援団仕様の長ランに、白い鉢巻と手袋が映える。
…間近で見る機会なんてあまり無かったけれど、改めて見ると格好良いなぁ…。
皆腰の後ろで手を組んで、背筋を伸ばしてビシッと立っている。
整列した団員達と向かい合う形で立っているのは大柄な牛獣人。
第二寮の副寮監にして、応援団長の潮芯一(うしおしんいち)先輩だ。
太鼓の音が響くたびに、ウシオ団長が声を上げ、続いて団員達が唱和する。
物凄い大声!被毛が震わされて、お腹の奥までビリビリ来る!
でも不思議なことに、騒々しいとは全く感じない。
声と太鼓の音の合間に、静謐な空気に満たされた一瞬がある。
ピンと張り詰めた雰囲気の、静寂の合いの手…。
思わずしばらくの間見とれてしまっていたら、ウシオ先輩が片手を挙げ、太鼓を叩いていた虎獣人が動きを止める。
担任のトラ先生と違って、こちらは実に虎獣人らしい、引き締まった顔付きと体付きの、精悍な感じがする先輩だ。
…とか言ったら、先生に失礼だね…。
「十分休憩!ただし、だらけ過ぎん程度に休んでおけよ?」
ウシオ先輩が口の端を吊り上げて言うと、張り詰めていた空気が少し弛んだ。
団員同士が話をしたり、体を動かしてほぐしている中を、僕に気付いていたのか、ウシオ先輩が近付いてきた。
「イヌイ!もしや、応援団に入ってくれる気になったのか?」
笑みを浮かべる先輩に、僕は曖昧な苦笑いで応じる。
僕の何処を見て応援団に欲しいと思うのか、実は昨日まで何度もこうして勧誘を受けている。
その都度体力も根性もないからと、やんわり断っているんだけれどね…。
「今日はたまたま探検の途中で寄っただけなんです。僕には、応援団員は勤まりませんよ」
「そうか?良い声をしているし、逆境に強そうに見えるんだがな?」
…いや、逆境ていうか何ていうか…。まぁ、慣れてはいるかも…。
っていうか、ウシオ先輩には、僕の事がそう見えているのかな?
「まぁ、無理強いはせんが、気が向いたら是非頼む」
大柄なウシオ先輩は、いかつい外見だけれど紳士的。どっしりと落ち着いた感じと威厳がある。
サツキ君よりも少し背が低いぐらいの巨漢だから、見上げて話すのに慣れている僕には違和感はないけれど、他の入寮生は
顔を見て話すのがしんどそうだったっけ…。
「ところで…」
ウシオ先輩は声を潜め、少し腰を折って僕に顔を近づけた。
「イワクニのところ、どんな様子だ?ワシが訊いても「順調だ」としか答えんが…、どうも重苦しい雰囲気があってな、本当
に順調とはとても思えん…」
イワクニ先輩、ルームメイトのウシオ先輩にも、今の状況を話していないんだ…?
ちょっと先走っちゃったな…、もうシゲ先輩にも言っちゃったし…。
でも、もうここまで来たら隠したって仕方ない。僕はウシオ先輩に、柔道部の現状を打ち明けた。
予想はしていたんだろう、僕の話を聞き終えたウシオ先輩は、重々しいため息をつく。
「…サトルのヤツ…。何故ワシには言ってくれんのだ…?」
目を伏せながらそう呟いたウシオ先輩は、なんだかとても、寂しそうだった。
…あれ?今、サトルって言った?いつもはイワクニって呼んでたような…。聞き間違い?
先輩は目を伏せたまま、少しの間黙っていたけれど、やがて僕の顔に視線を戻した。
「いや、済まん。イワクニのヤツ、グチの一つもこぼさんのでな…。心配されたくないからだとは思うが…」
大きな牛は、困り顔でそう言った。
…やっぱりさっきのは聞き間違いだったのかな?今は先輩の事、イワクニって呼んでた…。
「ワシに手出しできる問題ではないが、何とかしてやれんものか…」
「大丈夫ですよ。二人とも頑張っていますから!きっと大丈夫です!」
根拠の無い言葉だと言うのは判っている。
でも、柔道部を、イワクニ先輩を心底心配しているウシオ先輩を、そう声をかけることで励ましてあげたかった。
ウシオ先輩には、僕のそんな考えはお見通しだったらしい。歯を剥いてニカッと笑うと、ボクの頭を大きな手でポンと叩いた。
まるで、僕の方を励ましてくれてるみたいに…。
「さて、そろそろ休憩も終わりだ。ワシは練習に戻る。では、またな」
「はい、お疲れ様です!」
応援団の練習が再開されたのを見届けて、僕は屋上を後にした。
暇を持て余している生徒が、柔道場に顔を出している事を願いながら…。
新生活にはまだあまり慣れていないし、目の前に問題は色々あるけれど、僕が高校で出会った先輩方は、いい人ばかりです。