第二十話 「おはようのキス」
薄く目を開けた僕の耳には、可愛らしくて活発な雀の声が届いていた。
時計を見れば午前九時二十分。一瞬ドキッとしたけど、今日は休みだったっけ…。
身を起こしてベッドの上で座り、背伸びした僕は、欠伸と同時に涙が滲んだ目をグシグシ擦る。
僕、乾樹市。星陵の一年生で、柔道部のマネージャーを務めるクリーム色のチビ猫。
ちなみに極めて朝に弱い。低血圧って訳でもないみたいだけど、いつまでも布団でウトウトヌクヌクしていたくて、なかな
か起き上がれないタイプ。
半寝ぼけ状態でいつまでも布団の中でぐずついてるのって、幸せだよね?
二段ベッドの上段の寝床から這い出し、ベッドの端に寄って後ろ向きになり、踏み外さないように気をつけて梯子を降り始
めた僕は…、
「くこかー…すぴー…」
寝息を耳にして途中で止まる。
梯子に掴まったままそっと下の段を覗くと、ベッドの上で大の字になってる、大きな熊のこの上なく無防備な寝姿。
おや珍しい…。僕が起きたのに、サツキ君はまだぐっすりだなんて。
そっと梯子を降りた僕は、ルームメイトの寝床を覗き込んだ。
暑がりのサツキ君は、六月に入った頃から掛け布団無しの生活を送っている。
基本、寝るときは下着一枚だ。今もブリーフ一枚という超軽装。
…もっとも、気持ち良い事をしてあげた後なんかは、そのまま力尽きてすっぽんぽんのまま寝ちゃう事が多いから、今日は
ある意味露出が少ないとも言える…。
全身を覆うモッフモフの濃い茶色に映える、真っ白なブリーフと胸の三日月が眩しい。
ついに180キロを越えてしまった巨体は完全に脱力していて、ぽこんと盛り上がったお腹が寝息に合わせてゆるやかに上
下を繰り返す。
どんな夢を見ているんだろう?目はしっかりと閉じられて、ポカンと開けられた口の端からはちょっとヨダレが垂れてる。
起きる気配が全くないサツキ君の横で、床に跪いた僕は、ベッドの柵に両腕を乗せてもたれかかる。
休日の朝に、愛しい恋人の寝顔をのんびり眺めるのも、悪くないものだねぇ…。
おもむろに閉じた口を、何か食べているようにムニャムニャと動かすサツキ君を眺めていたら、僕の口から勝手に含み笑い
が漏れた。
そのクスッという微かな音に反応したのか、サツキ君はちょっと眉根を寄せて、ゴロリと寝返りを打って横臥する。
こっち向きになったサツキ君は、まだしっかりと目を閉じていた。
太い腕は肘を曲げて顔の前に投げ出されて、横向きになったお腹がシーツの上にてふっと乗っている。
水の入った袋みたいに重力に引かれて形を変えたそのお腹を、僕は笑いを噛み殺しながら指先でつついた。
奥には筋肉が詰め込まれているけれど、それを覆う分厚い皮下脂肪はプニプニだ。
くすぐったいのか、ちょっと顔を顰めたサツキ君が「ん〜…」と唸る。けど起きない。
昨夜は遅くまで予習復習に時間を費やしたから、疲れちゃったんだねぇきっと。
今から勉強に割く時間を大きく取り始めたのには、ちょっとした理由がある。
関門となる期末テストまで時間的余裕はかなりあるんだけれど、一学期末には全国大会に備えて練習試合をたっぷり組んで
いる。完全に予定を開けたテスト直前一週間を除けば、期末辺りは他流試合や遠征のラッシュだから、前もっていくらか土台
作りをしておかなくちゃいけない。
予定表を見ればはっきり判るとおり、大会が近づくほど練習試合の頻度は上がっている。
これはサツキ君の希望でもあり、主将も同意見らしい。
体が忘れないように…との理由からだって。より体と勘が切れる状態で臨みたいから、直前でがっちり実戦形式の稽古を積
んで、自分を煮詰めておきたいそうだ。
そんな訳で、サツキ君の仕上がりにとってかなり重要なその期間は柔道に集中させてあげたい。その時期は期末テストに備
える予習も少し抑えておきたいんだ。
かといって、当然テストもおろそかにはできない。だから早めの備えをしておくわけ。
…大丈夫だとは思うけれど、後で補習や再テストを受ける事になったら、かえって時間を食っちゃうしね…。
昨年の夏、でっち上げだったとはいえ補習によって大会出場を阻まれそうになったサツキ君は、さすがにあれで懲りたらし
く、この時期からのテスト準備にも文句は言わない。
今回は、優秀な結果を残せとは言わないよ。滞りなくクリアさえできればそれで良い…。
僕としては当然、サツキ君にも良い成績を取って欲しいけれど…、今の優先順位はテストより全国大会の方が上だもん。
そんな風に考え事をしながらサツキ君のお腹をつついていた僕の指が、ツポンッとくぼみにはまる。…あ。おへそ…。
「んうぅっ?」
僕が反射的に指を引っ込めると、ぶるるっと身震いしたサツキ君の手がお腹に降りて下腹部を押さえる。
弱点の一つに指をねじ込まれて、さすがに目が覚めたらしい。
ちょっと顔を顰めながら薄く目を開けたサツキ君は、間近に顔を寄せた僕をぼんやりと眺めながら「…おは…ふぁあ…」と、
お目覚めの挨拶と欠伸を同時に漏らした。
胃の中まで覗けそうな大欠伸!ベッドの中で窮屈そうに伸びをした大きな熊がのそ〜っとおっくうそうに身を起こし、あぐ
らをかく。
「おはよう。ごめんね?起こしちゃって」
まだ眠気が強く残っているのか、ベッドの上であぐらをかいたサツキ君は、瞼が重そうな半眼で僕を眺め、しきりに右の足
の裏を掻きながら、「珍しいなぁ…」と口の端をゆるませた。
「キイチに起こされるっての、なかなか無ぇ」
「具合が悪くて真夜中に起こしちゃったぐらい?」
「かもな」
耳を倒してニンマリしたサツキ君に、僕は身を乗り出してそっと顔を近づけた。
…チュッ…。
鼻に軽く口づけしたら、サツキ君の目がまん丸になる。
「珍しく僕の方が早起きだった記念。おはようのキス」
照れ笑いした僕は、しかしすぐさま眉根を寄せた。
「サツキ君?…あ、あれ?何で涙ぐんでるの?」
「…俺、王子様のキスで目が覚める昔話のヒロインの気持ちが判った…。今日から毎日キイチより遅く起きる…!目が覚めて
もチューが来るまで寝たふりする!」
何故か目尻に涙が堪った目をきつく閉じ、拳を握りしめてふるふると震わせるサツキ君。
なに力一杯ダメな事言ってるのさっちゃんっ!?
そんな呆れ混じりの僕の視線は、ふとある一点に向かって動く。
あぐらをかいた大きな熊の股間を覆うブリーフは、こんもりと、小さくテントを張っていた…。
「い、いや違うぞ!?こ、これはホレ朝のアレだよ!ヤラシー事考えたとかそういうんじゃねぇからホント!なっ!?」
僕の視線に気付いたサツキ君は、胸の前に上げた両手を広げ、首をブンブン横に振り、慌てた様子で弁解し始めた。
…ほう…。それならそのテントの上部にじわっと染みが浮いて来てるのはどうしてなんだろうね…?本物のお漏らし?なわ
けないよね?だったら何?
「…やだこのスケベ…」
「ちょっ!?そんな目で見んなよ!そもそもキイチが刺激するから…そのぉ…」
反論の勢いを急に弱め、突然もじもじし始めたサツキ君は、少し顔を俯けて、上目遣いに僕を見る。
「…き…、きっちゃん…。その…、今から…ダメ…?」
僕は口をぽかんと開ける。朝から元気なのは息子さんだけじゃなく、本人の欲求もだった。
疲れて目が覚めないのかと思っていたら…、つくづく呆れるなぁ…。でも…、
「良いよ。軽くなら」
結局僕は、大きな体を小さく縮めて恐る恐るといった様子で訊ねて来たサツキ君が、あまりにも可愛過ぎて…、結局無下に
断る事はできなかった。
…おはようのキスで火をつけちゃったの、僕だしね…。
左右に広げたブリーフの窓からピコッと顔を出した、体とは不釣り合いに小さなそれを口に含み、舌先で入念に愛撫する。
「ふぐっ…!」
ドリル状のおちんちんの先端から舌を入れ、亀頭の先端をほじるように嘗めると、サツキ君はビクビクッと体を震わせた。
その拍子に山になっているお腹が揺れて、上に乗っている僕も揺れる。
今僕は、仰向けになっているサツキ君の上に、逆向きで俯せに乗っかり、股間に顔を埋めた格好だ。
シックスナインに近いけれど…、実は、僕の身長が無さ過ぎ、サツキ君の身長が有り過ぎるせいで、僕らは本物のシックス
ナインができない。何せ座高だけでも四十センチ以上違うんだから。
無理矢理やればまぁそれなりの体勢にはなれるけれど…、それには酷く窮屈な姿勢を要求される。
つまり、サツキ君がぐっと背中を丸め、お腹がつかえて苦しい姿勢で頑張ってくれれば可能。
僕が仰向けになり、サツキ君が僕の顔の上で股を広げて、背中を思い切り丸めて僕の股間に顔を埋めるという格好で何度か
試したけれど…、実はこれ、酷く危険。
と言うのも、イッた直後に脱力し、ぐったりしたサツキ君からは、当然足の力も抜けてる訳で…、つまりサツキ君の腰がス
トンと落ちて僕の顔を直撃する格好になったりする。
一度なんか、腰が落ちた拍子に口からはずれたおちんちんが眉間に乗っかる格好で、その上の三角コーナーが僕のマズルを
埋める形で完全密封、さらに超重量のたっぷりお腹がのしかかるようにして僕の胸を圧迫するという完璧なホールド体勢に持
ち込まれた。
…精液で口の中を一杯にさせられたまま窒息死するかと思ったね、あれは…。
繰り返すけれど、そんな訳で僕らはシックスナインができない。より正確に言うならやらない。
僕の身長が急激に伸びるかサツキ君の背が縮むかしないと、シックスナインを自然にやるのは難しいねぇ…。
僕の両脚を腕で抱えるサツキ君が、はかはかと浅い息を吐く。
「きっ…ちゃ…、きっちゃぁん…!」
鼻にかかった切なそうな喘ぎ声が、か細く吐き出される。…あれ?なんかもうイッちゃいそう?
僕は肉棒を口に含んだまま、指を這わせた睾丸を軽く揉みしだき始めた。
より深く、根本まで咥え込むと、僕のマズルは股間の被毛に完全に潜り、こんなところにまでたっぷりついている三角コー
ナーのお肉に下あごがぷにゅっと埋まる。
「ひんっ…!ひ…、いぃ…、気持ち…、いぃ…よぉ…!」
だいぶ追いつめられて来たのか、サツキ君は抱いた僕の脚に頬ずりし、そのまま僕のお尻の方へと手を移動させる。
ちょっと恥ずかしくてこそばゆい感触に耐える僕は、しかし尻尾の先を太い指がそっと掠めて身震…、
「フシャーッ!!!」
「ぎゃー!ごごごゴメン!ゴメンってきっちゃん!」
おちんちんから口を離し、全身の毛を逆立てて反射的に振り返りつつ威嚇音を発した僕に、サツキ君がビックリして謝る。
と同時に熱い物にでも触ったように手が引っ込んで行った。
脅かしたくはないけれど、こればっかりは体と心に刷り込まれているからどうしようもない。考えるより先に威嚇しちゃう。
…それだけ僕の幼少時のトラウマは根深い物なんだろうね…。
握られないように尻尾を巻き上げるようにして背中側に反らし、僕は顔を前に戻して奉仕を続行する。
…それにしても…、サツキ君、部活で疲れても勉強で疲れても、こっちの方はとにかく元気だ。…すぐイッちゃうくせに回
復は早いし…。
たまたま同じ寮の同じ部屋だからこうして頻繁に性処理してあげられてるけれど…、もしも部屋が違っていたらこうは行か
なかった。
実際にはあり得ない事だけれど、寮に入らないような進学をして、自宅から通うような事になっていても、こんな風にはし
てあげられなかった。
同じ部屋で過ごせなかったら、大変だったろうなぁさっちゃん…。
そんな事を考えていたら、唐突に口の中で温かい液体が弾けた。
僕が考え事をしている間もしきりにうーうー唸っていたサツキ君は、早くも登り詰めてブルルッと身震いしてる。
口をすぼめて吸い出すようにすると同時に、指を絡めた男根を、付け根から先端に向かって押し、絞るように撫でる。
濃厚な液体をピュクッ、ピュクッと吐き出すかわいいおちんちんを刺激し、最後の一滴まで気持ちよく出させてあげた後、
僕はそっと口を離して、口の中一杯の精液をごくんと飲み下した。
僕の唾液と自分の精液でぬらぬら光るサツキ君のおちんちんは、見ている間にもちょっとずつ、被毛の中に引っ込むように
して縮み、やがて通常時のドリル形態へと移行する。
精液の喉にからむような独特の感触と苦じょっぱさを味わいつつ身を起こした僕は、荒い呼吸で大きく上下している大きな
お腹に跨って、気が抜けたようになっている恋人の可愛い顔を振り返った。
「満足した?」
「う…ん…」
顎を引いて頷いたサツキ君の、乱れた息で激しく上下する胸に片手を置いて半身になった僕は、
「んじゃ…、次きっちゃんの番…」
余韻に浸るのもそこそこに、今度は自分が奉仕すると言い出した恋人に微笑みかけ、その分厚くて柔らかい胸の上に体を重
ねた。
「ちょっと休んでからで良いよ?」
たっぷりした胸の三日月に頬ずりし、肩から首にかけて撫でてあげながら、僕はそう囁く。
が、口調が可愛くなっているサツキ君は、
「いい、すぐやらせて…。やりたいから…」
と呟くなり、僕を一旦ギュッと抱きしめてから身を起こした。
こういう時のサツキ君の口調、ケントに性格矯正される前のちっちゃい頃の物に近いけど、一点だけ大きく違う。
あの頃は「ぼく」だったのが、今は「俺」、一人称だけが違ってる。
あぐらを掻いた格好になったサツキ君は、脚の上に僕を座らせると、上から被さるようにしてキスをする。
左手を僕の背中に回し、舌を絡ませてクチュクチュと音を立てながら濃厚な口づけをくれたサツキ君は、僕の股間にそっと
手を伸ばして来た。
「んっ…!」
股間への刺激でピクンと体を跳ねさせた僕は、興奮が冷めていないらしいサツキ君の荒い鼻息を顔に浴びつつ、口づけの快
感と、股間への刺激と、背中を撫でられる心地よさを噛みしめる。
サツキ君の大きな手は僕のソレをそっと包むと、親指で亀頭上部をぐりぐり押すようにして刺激し始めた。
僕のおちんちんは大きい。サツキ君とは逆の意味で体に不釣り合いに。おまけに皮もちゃんと剥けてる。
背が伸び悩んだ分こっちが伸びたんだろうかと、時々首を傾げたりもするんだけどね…。
事あるごとに、自分のおちんちんにコンプレックスを持っているサツキ君には羨ましがられる。
サイズの点でもそうだけれど、今も包茎改善の為に日々ズルムケローションをつけて頑張っているサツキ君には、露茎であ
る事も羨ましいポイントらしい。
…僕的にはサツキ君のドリチン可愛くて好きなんだけどなぁ…。
あの凛々しくも美しいダビデ像とかを見るに、そもそも包茎っていうスタイルは、実は人類本来の姿なんじゃないかとも思
えるし…。
なるべく余所事を考えるように努めていながらも、僕は主に舌への刺激で登り詰めて行く。
サツキ君のキスは凄い。っていうか舌が凄い。
舐めるのが好きなサツキ君は、口が疲れないのか、放っておくと僕の全身を舐め尽くして唾液まみれにしてしまう。
好きこそ物の上手なれ。それを体現するサツキ君の舌技は、ディープキスにも物凄い破壊力を与える。
唇と歯茎の間をほじるようにして舌先で刺激し、舌裏に滑り込んでは下顎と舌の間の柔らかな部位を容赦なく蹂躙する。
舌同士の絡ませあいになろうものなら、ここぞとばかりに口の中で暴れてめろめろにしてくれる。
口を犯されている気分になりながら、僕はいつも身を震わせて必死に反撃する。
サツキ君は下同様に口の中も敏感だ。どっちも粘膜だし。
だから僕は、サツキ君ほど上手には行かないけれど、ちゃんとキスでも気持ちよくしてあげられる。
お互いの口の中に申し合わせたように交互に舌を潜り込ませ、散々刺激し合った後、サツキ君は手のピストン運動を始めた。
キスで興奮して、既に先走りでぬるぬるになった僕のおちんちんは、サツキ君の手の平を汚しながらも、申し訳なくて縮ま
るどころか快感で膨張して行く。
喘ぐ僕の吐息は、重ねられたサツキ君の唇で逃げ場を制限されて、一部はそのままサツキ君の口の中に入っていく。
一体感を覚え、陶酔に近い感覚に囚われながら、僕は口を塞いでいるサツキ君の唇を強く吸った。
入り込んだサツキ君の舌が僕の舌に絡み、執拗に愛撫する…。
さっちゃん…。さっちゃん…!さっ…ちゃん…!
背中に回った太い腕が、くぐもった声を漏らす僕を強く抱きしめる。
絶頂まで登り詰めるほんの少し手前。寸前の至福の時…。
快楽と幸福を噛みしめる僕の股間で、我慢し切れなくなったおちんちんが、白濁した液体を漏らした。
勢い良く飛んだ精液は、サツキ君のぽっこりお腹を汚して、真っ白な三日月にまで達していた…。
「今日さ、昼過ぎぐれぇにちっと出かけて来るからよ。買い出しとか色々」
キッチンの壁に寄りかかって携帯を弄っている僕に、サツキ君はパスタを茹でながらそんな事を言った。
情事から二十分も経てば口調もすっかり元通り。さっきまでラブリーでキュートだったでっかい熊は、普段通りの男らしさ
を取り戻してる。
…ただ…、ブリーフにエプロンという背面の露出がやけに高い姿が、いまだにラブリーでキュート。かつセクシー。
足が痒むのか、右足を上げて、筋肉が発達して横に大きくせり出している左足のふくらはぎに、足の裏をゴシゴシとしきり
にこすりつけている。
携帯でチェックしてみたところ、今日の予報は午後から傘マーク。しかも60パーセント。あまりお出かけ日和とは言えな
いかも?
「一緒に行く?」
あまり戦力にはならないけど、一応荷物持ちとして同行するべきか訊ねると、
「うんにゃ、調味料だけだからそんなに荷物になんねぇだろうし、一人で大丈夫だよ。ありがとな」
サツキ君はそう言って、ブリーフの後ろでワンポイントになっている短い尻尾を、モソモソと嬉しそうに揺らした。
サツキ君はこの丸尻尾を弄られると悦ぶ。…僕と違って尻尾に心理的外傷を抱えてないもんね、君は…。
朝食のタイミングを逃した僕とサツキ君は、明太子パスタで朝食と昼食の中間を埋めた。
せっかくだからウツノミヤ君とオシタリ君も呼んだけれど、二人とも既に朝食は済んでいたそうだ。…それでもオシタリ君
は食べたけど。
なお、悩殺ルックだったサツキ君は、二人が来る前にちゃんとハーフパンツを穿き、半袖シャツを被っている。
お腹が減っていないと遠慮したウツノミヤ君は麦茶を飲むだけだったけれど、食欲旺盛なシェパードは普通にペロリと大盛
りを平らげていた。
これだけ食べても太らないのは体質なんだろうか?元々筋肉質なオシタリ君は、かなり食べるのに太る気配が全然ない。
運動量そのものは、応援団の彼よりサツキ君の方が多いはずなんだけど…。
シェパードって、過剰な栄養も贅肉じゃなく筋肉に変わってくのかな?それともオシタリ君だけ?
僕らは食事が済むと車座になり、思い思いにくつろぎ始めた。
普段から学校の話題が多いけれど、ここ最近は渦中のシンジョウさんの事や、来る期末テスト…後の林間学校、そして夏休
みの事が良く話に出る。
「夏休みに里帰りしたら、プールで特訓だなキイチは」
サツキ君はニヤニヤしながら僕を横目で見る。
そう、僕は泳げない。プールの授業ではビート板を使い、先生の監視の下でバタ足から練習中。
中学時代は傷跡の事もあって先生公認で体育を休んでいたけれど、春から梅雨入り時期にかけて毛も生え変わり、傷跡の毛
も周りと揃うほど伸びて、もうすっかり見えなくなったから…、同様の言い訳は使えない…。
おまけに、傷を負ってから去年までろくに泳いだ事がなかったから、小学校低学年の頃にはできていたはずのバタ足や平泳
ぎまでが全くできなくなっている。…ツケは大きいね…。
「泳ぐ機会なんてそうそう無いもん…。水泳なんてできなくたって困らないもん…」
「一緒に海行って泳ぎてぇじゃねぇか?…そういやユウト姉ちゃんも泳げねぇんだっけ…。ほっといても浮きそうに見えんだ
けどなぁ…」
親戚の金熊の顔を思い出すように視線を上に向けたサツキ君の向かいで、オシタリ君がぼそぼそと呟く。
「…ビート板に掴まってパシャパシャやってんのも…、あれはあれで可愛いけどな…」
「そこは否定しねぇ」
「確かに愛らしい」
すかさず頷くサツキ君とウツノミヤ君。
…周りにどう見えているのかは良く判らないけれど…、本人は必死なんだからね?あれでも。
「って、どうしたんだブーちゃん、さっきからもぞもぞもぞもぞ…」
「いや…、足の裏を蚊に食われてよ…」
「よりによって足の裏か…。それはキツいな」
顔を顰めたウツノミヤ君に、同じく顔を顰めながら頷いたサツキ君は、
「俺、昔から蚊に好かれるんだけどよ、キイチには蚊が寄らねぇんだよなぁ。今年刺されてねぇだろ?」
と、少し羨ましげに僕をチラ見した。
…そう言えば、起きた時からしきりに足の裏をこすったりしていたっけ…。
「サツキ君が好かれるのは、見るからに栄養ありそうだからじゃない?」
「…栄養か…。まぁブーちゃんの血は栄養満点だろうな。特にカロリーは凄そうだ。…なんか色々混じっていてドロドロして
そうで体にはすこぶる悪そうなイメージはあるが…」
僕の意見に頷いたウツノミヤ君がしみじみと言う。…辛辣…。
「まぁ、刺されやすいという点については、発汗量や体積や衣類の問題もあるだろうな。ブーちゃんの体表面積は驚異的だ。
計らなくても判る。おまけに寝るときはやたらと薄着だ。しかも汗の匂いを漂わせているときたら…、蚊から見れば、被毛が
長くてもイヌイより遥かに狙いやすいだろう」
すらすらと言ったウツノミヤ君に、オシタリ君は真顔で尋ねる。
「つまり…、薄着でデブで汗っかきだから刺されやすいって事か?」
「珍しく賢いなオシタリ。その通りだ」
…ちょっと酷いな二人とも…。言われっ放しのサツキ君は、足の裏をゴシゴシ擦りながらムスッと黙り込んでる。
「イヌイが刺されねえのは、蚊が遠慮するからかもな」
オシタリ君がそう呟くと、サツキ君が「あぁ、それはありそうだ」と頷く。
「何で遠慮?細くておいしそうじゃないから?」
「いや、可愛いから遠慮すんだよきっと」
サツキ君がにんまり笑う。…ちょっと恥ずかしい…。
「その点、可愛くないアブクマは遠慮無く刺してボコボコに出来る、と…」
「体中刺されまくっても何処が腫れてんだかよく分からねえだろうからな。蚊の方も加減いらねえんだろ」
狐とシェパードが遠慮無くそう言い、サツキ君はぶすーっと膨れる。
「ユリカも結構刺されるらしいぜ?」
「それはパンダだからな」
「ああ、珍しいからか」
同類を挙げたサツキ君に、即座に応じる狐とシェパード。…何でサツキ君弄りにはこんなに息ピッタリなのこの二人?
サツキ君はいよいよ反論を諦める。たぶん二、三倍になって返って来るのが身にしみて判ったからだろうね…。
少しの間むくれたまま黙っていたサツキ君は不意に首を巡らせると、僕の顔を見て口を開いた。
「…見た目で言や、デブの俺よりキイチのが絶対美味そうだと思うけどな。蚊にはどう見えてんだ?」
サツキ君が不思議そうに首を捻ると、にわかにオシタリ君の顔が曇った。
「…食うなよ?非常食じゃねえぞ?」
オシタリ君は僕の肩を掴んで自分の方に引き寄せ、サツキ君から遠ざける。
「食わねぇよ。ってか返せ、俺んだ」
ムッとしたように応じたサツキ君は、両手を伸ばして僕の脇の下に入れ、ひょいっと抱き上げてあぐらをかいた足の上に座
らせる。
…「非常食」とか「俺んだ」とか…、物扱い…?
しばし歓談した後、オシタリ君は応援団の活動…サッカー部の練習試合の応援に、ウツノミヤ君は書店巡りに、それぞれ出
かけた。
食器を片付けるなりサツキ君も財布を持って出かけちゃったから、予定の無い僕はぽつんと部屋に取り残される。
「俺が居ねぇ時ぐれぇ、のびのび本でも読んでりゃ良いんだよ。何でもかんでも俺に付き合ってると、自分のやりてぇ事もで
きねぇだろ?」
…とは我がルームメイトの弁。
まぁ確かにそうなんだけど、今丁度読みかけの本も無いんだよねぇ…。
ウシオ団長にマッサージを教えて貰いに行こうかとも思ったけど、練習試合の応援じゃあ、夜まで帰って来ないだろうし…。
イワクニ主将は部屋に居るかもしれないけれど…、サツキ君同様、昨日までの稽古の疲れもあるはず。のんびり休ませてあ
げたい。
困ったね。部屋に居てもやる事がないぞ?こんな事ならウツノミヤ君と一緒に書店巡りに行けばよかったかも…。
しばし考えた僕は、結局ふらふらっと寮を出た。
目的があった訳じゃないけれど、散歩も良いかなぁって思って。
起きた時は良いお天気だったのに、いつの間にか空は薄い雲に覆われていた。むしっと湿気が強くて、潮風混じりの空気は
磯の香りが濃い。…これは天気予報的中かなぁ…?
突然降りだしてもおかしくない空模様だから、僕は折りたたみの傘を片手にぶら下げている。…もう皆にあんな迷惑かけた
くないからね…、油断大敵慢心撲滅。
ぶらぶら無目的に歩いた僕は、結局、商店街近くの小ぢんまりした書店に足を運んだ。
ウツノミヤ君を見かけたら、合流しようかなぁなんて思って…。
けれど、店内に見慣れた狐の姿は無かった。まぁ、ウツノミヤ君が出かけてから時間も経ってるし、あんまり期待してもな
かったけどね…。
とりあえず文芸雑誌の方を確認。それと、毎月の新刊発売予定のチェックは欠かせない。
作家さんが〆切落として発売延期になる場合もあるから、完全にこの通りって訳でもないけど、各出版社のホームページを
巡るっていう手を除けば堅実な確認手段だ。
今は趣味が合うウツノミヤ君が居るから、情報交換で知識が手に入りやすくなったし、進学に合わせてお父さんがプレゼン
トしてくれたパソコンもあるから、ネット上での情報収集もできるようになった。
今まで興味がなかった作家作品にも、多方面からの情報で食指が動くようになったしねぇ…。出費には気をつけなくちゃ。
しばらく店内を物色した僕は、結局何も買わずに、店頭に置いてあった夏の図書フェアパンフレットだけ貰って外に出た。
そして、見慣れた姿を見つけて足を止める。
道路を挟んだ向こう側、書店向かいのコンビニの駐車場。そこに停まった白いライトバンの横に、サツキ君が立っていた。
小脇にダンボール箱を抱えてるけど…、何だろうあれ?買い物ってアレの事かな?
サツキ君は一人じゃなかった。見慣れない人と向き合って、何か話し込んでる。
大きな熊と向き合っているのは、背が低くてぽってりした太め体型の獣人。
ネイビーブルーの半袖ティーシャツに水色のホットパンツ。体を覆う栗色の毛には、所々に黒いアクセント。尻尾は太くて
長くて縞模様…いや、輪がある。
手足にはソックスと長い手袋をはめたような黒が、それぞれ指先から肘上と膝上までを染めていて…。
わ!レッサーパンダじゃないのあのひと!?
東護の方じゃかなりレア…っていうか住んでないと思うんだけど、この辺には普通に居るのかなぁ?
そう言えば東護では全く見ないパンダ…つまりササハラさんも地元は比較的こっち寄りって話だったし、日本海側は獣人分
布がまた違ってるのかも?
あんまり目立たないけれど、太っているのとはまた別の胸の出かたをしていて、良く見たらレッサーパンダさんは女性だと
判った。顔立ちからいってまだ若いと思う。
向き合うサツキ君とレッサーパンダさんを真横から見る形になっている僕は、まだ二人に気付かれてない。
レッサーパンダさんの声は殆ど聞こえなくて、何を言っているのか判らない。
サツキ君の声は時々聞こえるけれど、やっぱり内容までは…。
ただ、サツキ君の声の調子と時折混じる笑い声から、何やら楽しげなのは判る。
対してレッサーパンダさんの方は、表情に乏しいし笑い声もあげてないけれど…。
声をかければ良いのに、黙ったままその光景をしばし眺めていた僕は、咄嗟に看板が立てかけられた電信柱の後ろに隠れた。
レッサーパンダさんが、急に首を巡らせたから。
って、何で隠れたんだろう僕?堂々と挨拶しながら近づけばいいのに…。
そんな事も考えたけれど、結局そのまま電柱と看板の陰に隠れておく。
レッサーパンダさんに何か訊ねているのか、サツキ君の声にちょっと訝しげな響きが混じる。けどこっちに来る気配は無い。
…ちょっとドキドキした。ひょっとして僕今探偵っぽくない?あるいは刑事?お父さんが容疑者を尾行する時もこんな感じ
なんだろうか?
不快じゃないドキドキ感と軽い興奮。その気になり始めて耳をそばだてる。
気分的には名作、人狼探偵の主役の一方、探偵助手、丙斗一六八(ひのえといろは)氏の尾行シーン。
気分だけでもなりきりながら二人の会話に耳をそばだてた僕は、突然エンジンがスタートした車の排気音にも負けないよう、
神経をピンと張りつめさせる。…隠れたまま様子を窺うのって結構難しいね…。
車の音はそのまま道路に出て走り去って行く。よし!これでいくらかはっきり聞こえるはず!
猫のくせに灰銀の狼になりきり、耳に意識を集中させる僕は、ついに二人の会話の内容を…、…あれ…?車はいなくなった
のに、さっきより聞こえない?っていうか全然聞こえない?
そのまましばらく耳を澄ませていたけれど、会話はちっとも聞こえて来ない。
そろっと看板の端っこから覗くと、向かいの駐車場からは二人の姿が消えていた。ライトバンも無い。…あれ?あれれ?
慌てて通りの左右を見遣れば、段ボールを小脇に抱えてのっしのっしと歩き去って行くサツキ君の姿。レッサーパンダさん
はどこにも居ない。
…ひょっとして、あのライトバンはレッサーパンダさんのだった?
さっきのエンジン音って、レッサーパンダさんが乗って帰って行くライトバンの物!?
僕の探偵ごっこはごくごく短時間で終わった。…特に得る物も無く…。調査失敗!
「おう、おかえり」
部屋に戻った僕を、床にあぐらをかいたサツキ君が荷物を広げながら迎えた。
「ただいま。あれ?買い物って、ソレ?」
サツキ君の前には封を開けた段ボール箱と、そこから引っ張り出された…服?
「いや、こいつはオジキから届いた贈り物だ。買い物はそっち」
顎をしゃくった先には、テーブルの上に置かれたスーパーの袋。覗いている頭から見るに、ポン酢とかドレッシングみたい。
「オジキ?贈り物って何?服?」
一度に訊ねた僕に、サツキ君は「おう」と頷く。
「俺のおばさん…つまりお袋の妹が嫁いだ先のひとでよ、ユウト姉ちゃんの兄貴。んで、年末年始からいろいろ立て込んでて
進学祝渡しそびれてたからって、夏用の部屋着に甚平と六尺送ってくれたんだ。…六尺って何だ?」
訊ねた僕に、サツキ君は何かが書かれた紙を見ながら頷く。
手にしている山折り谷折りの紙片は、どうやら手紙らしい。筆ペンか何かで書かれたのか、黒墨の文字は達筆だ。
「六尺って…、六尺褌の事かな?」
「へぇ。…え?ふんどしぃ?あ、これか」
サツキ君は畳まれた白い布を箱から取り上げ、しげしげと見つめながら首を傾げた。
「どう…かなぁ…?」
「いや、どうって…」
…まぁ、褌姿もちょっと興味をそそられるけど、ブリーフも捨て難いかな…。
試しに付けてみれば?と思ったけれど、サツキ君は何やらお悩みの様子。うーうー唸ってる。
「ま、後で考えるとして…、まずは…」
やがてサツキ君は褌の処遇については後回しにして、とりあえず段ボールの中に戻す。
そして代わりに甚平を手に取ると、シャツの上からさっと羽織った。
「どうだ?」
「うん。似合うと思うよ」
紺色の甚平は、サツキ君に良く似合っていた。
さらさらの薄い生地でできていて、肩の所にスリットが入ってたり、胸元が大きく開くようになっていたりと、通気性も良
さそうで涼しげ。
…そういえば、あのレッサーパンダさんは誰だったんだろう?たまたま話をしていただけで、知らないひと?
覗き見なんてするんじゃなかった。堂々と声をかければ良かったのに、ちょっと後ろめたくて訊き辛くなっちゃったなぁ…。
まぁ、サツキ君が特に話をしない以上、通りすがりで言葉を交わしただけなのかも?
親切だから、道とか訊かれれば気さくに応じるだろうし。
なお、後でちょっと貸して貰ったら、サツキ君でもゆったり着られるギガント甚平は、僕には「薄い生地で出来た通気性の
良いロングコートのような何か」という用途不明の衣類になった…。