第二十三話 「激しくダイエット中」
チリンチリン…。
夕暮れで全体的にぼんやり赤い街並みの中、自転車のベルが軽やかに鳴った。
無情に響くその音を汗まみれの背中で聞きながら、俺は落ち始めてたらしいペースを戻す。
も…、もぉダメだぁっ!
シャツもハーパンもじっとじと。乳の下やら股の間やら脇の下やらはびっちゃびちゃ。
滝のように流れた背中の汗は、ハーパンのゴムを乗り越えてブリーフの中に侵入し、ケツめどまでお漏らししたように濡れ
てる。
体温は上がりまくって喉はからから、全身に無駄な力が入ってるせいでふくらはぎと言わず腿と言わず痙攣してる。
「あと直線いっぽ〜ん」
自転車をチリンチリンさせてるキイチが、俺の後頭部にそんな声を投げつける。
も、もうちょっとか…!?やっとゴールか…!?な、長かったぜ…!
「確か500メートルくら〜い」
マジでっ!?
俺の口からは、もう言葉が出て来ねぇ。喘ぎ声を出すのが精一杯の有様だ。
重い体を引きずってドスドスと角を曲がり、日が沈みそうなのにまだ熱をもってる石畳の上をえっちらおっちら進む。
延々と続く石畳の歩道を、どこがゴールなんだか判らねぇままドテドテと走った俺は、
「はいゴール。お疲れ様〜」
キイチの声を聞いて足を止め、その場でがっくりと項垂れる。
腰を折って前屈みになり、膝に手を当てて体を支え、ぜぇはぁ喘ぐ俺の鼻先からは、汗がポタポタ垂れて石畳に染みを作っ
てく。
俺、阿武隈沙月。星陵高校一年、柔道部所属。
本格的な夏を前にジュースやらアイスやら摂り過ぎて、気が付いたら体重が一割増えてた熊。現在激しくダイエット中だ。
ぐぅうっ…!まさか隣町まで走らされるとは思ってもなかったぜぇ…!
「はいお水」
自転車から降りたキイチが腰を折って、俺の顔を下から覗き込むようにしながらペットボトルを差し出してくれた。
「あ、あひっ…あひが…ほ…」
舌を出しっぱなしにしたまま喋ろうとした俺は相当脳まで来てる。これ走り続けて脳が揺れてんのか?それとも熱で休止中?
喉に流し込んだペットボトルの水は、味なんてねぇのに美味かった。保冷バックに入れてあったおかげできちんと冷えてる。
最近俺が飲む物は、飯の時の味噌汁やお吸い物を除けば、海洋痩身水(海の底から取れた水で作った痩せれる飲み物らしい)
とか、痩せられるお茶ばっかりだ。ジュース類は完全に断ってる。…炭酸飲料一気飲みの爽快感が恋しいけどな…。
稽古後に学校を出発した俺達は、荷物を寮に置いてそのままランニングに出た。時刻はもうじき午後七時になる。
自転車のキイチにルートを提示されるまま走ったんだが…、まさか川を渡ってこっちまで来るとは思ってもなかった…。
…キイチめ、今回はかなり本気だ…。容赦ねぇ…!
まぁ、俺が太ったのが原因ではあるんだが…、定期戦辺りからずっと気温が上がりっぱなしの今年は、アイスの誘惑が強烈
だったんだよ…。だからついついキイチのお袋さんが送ってくれた業務用パックの高級アイスをだな…。
「ところで…、ゴールって何でこんな半端なトコなんだ?」
水を飲んでようやく生き返った心地になり、疑問に思って訊ねると、キイチは「ここが目的地だったから」と、俺の後ろを
指さした。
首を巡らしてみると…、今まで気付かなかったが、俺達が止まってるのは広い駐車場があるでかい銭湯の手前だった。
「ここが?目的地?どういうこった?」
訊ねながらも俺の目は、鳥居みてぇな形のゲートに掲げられた看板に向いてる。
…蓮の湯…?チェーンとかじゃあねぇよな?聞いた事ねぇし…。
「走って汗をかいたら、すっきりしたいでしょ?だから銭湯」
キイチはそう言いながら、寮の自転車の荷台にくくりつけてたスポーツバッグをポンポン叩く。
「着替えと入浴用具一式、持ってきたから」
…部屋に一回戻った時、確かに何かごそごそやってたが…、なるほどこの準備か。
「嬉しいサプライズだけどよ、よく知ってたなぁキイチ?こっちに銭湯があるなんて全然知らなかったぜ」
「オシタリ君が教えてくれたの。お友達に勧められた銭湯なんだって」
「へぇ…。オシタリのダチねぇ…」
と、頷いた俺だったが、一拍おいて首を傾げた。
「…ダチ?」
「うん。お友達から聞いたって…」
聞き返した俺に、キイチは頷きながら付け足す。「誰かは判らないけど…」と。
ちょっと不思議だった。…っつぅのもだな、オシタリはあんま友達っぽい親しい相手が居ねぇし、作ろうともしねぇんだよ。
ダチって呼べそうなヤツは…、俺らを除けばウッチーとシンジョウぐれぇか?まぁユリカともそこそこ喋るが…。
ウシオ団長やマガキ先輩なんかとは、応援団の事以外でもたまにつるんでるし、仲はそこそこ良いみてぇだけど、どっちかっ
て言やぁ先輩後輩って感覚が強ぇ関係で、友達ともちょっと違うしなぁ…。
とにかく、俺らと共通の友達から勧められたんなら、オシタリが誰それから聞いたって言うはずだ。なのに「友達から」っ
て言ったって事は、俺らの知り合いじゃねぇ誰かから教えられたって事だろう。
応援団の仲間か?何にしても、前と比べりゃあいくらかマシになったが、今でもちっと付き合い悪ぃアイツに友達が居たっ
てのは、嬉しいビックリだぜ。
「どんなヤツだろうな?オシタリの友達って」
「ボクもちょっと気になる。詳しくは聞いてなかったし…。もしかしたら今日ばったり会うかもね?」
「ぬははっ!ばったり会っても、どいつがそうなんだか判んねぇけどなぁ」
「あはは!それもそうだねっ!それじゃあ、そろそろ入ろう?汗で気持ち悪いでしょ」
そう言って自転車を押し始めたキイチの労うような笑顔に誘われ、俺はだるくなった足を動かして歩き始めた。
キイチは厳しいだけじゃねぇ。ちゃんと頑張りゃ、こうやってご褒美用意してくれるんだよなぁ…。
そういうトコについても嬉しいけど、もう一つ嬉しい事がある。
今回キイチは、自分から率先して銭湯に来たがった。
ほんの数ヶ月前までは、胸の傷のおかげで裸を見られるのを極端に嫌がってたのに…。
傷自体がパヤパヤのやわっこい被毛で覆われて目立たなくなったって事も、キイチの心境に変化を起こしたんだろうけど…。
色んなヤツと風呂で一緒になる寮生活のおかげで精神的に耐性がついたってのも、きっとあるんだろうなぁ…。
ま、何にしても嬉しいこった!さぁて、久々の銭湯で疲れを取るかぁ!
蓮の湯は、いわゆるスーパー銭湯だった。
物凄ぇ広々した大浴場が売りなジュンペーん家とは、同じ銭湯でも結構違う。色んな種類の風呂があって、雰囲気もハイカ
ラだ。
「き、気持ち良いぃ〜…」
ジャグジーに体を沈めた俺は、弾ける泡と一緒に疲れも消えてくように感じながら、力を抜いてリラックスしてた。
すぐ隣でもキイチが同じ格好をしてて、「はふぅ〜…」と時々ため息をついてる。
銭湯はそこそこ混んでるけど、窮屈さを感じる程でもねぇ。
図体がでかくて目立つ俺は、普段なら視線が気になるから銭湯なんかじゃ股間のガードを固めるんだが…、今日はどういう
訳か物珍しそうな視線があまり向いて来ねぇから、割と気楽に風呂に浸かれてる。
「こうしてると、狸湯を思い出しちゃうねぇ」
「あ〜、やっぱそうか?俺も思い出してた。休みに帰ったらよ、ダイスケも誘ってのんびり浸かりに行こうぜ」
「うん!…勉強進んでるかなぁ、ダイちゃん…」
「まだまだ先だろ受験なんて?今はあいつら、全国目指して猛稽古だろうよ」
「それもそうか…。けど受験勉強のスタートは、早いに越した事は無いよ。サツキ君だってもうちょっと早ければ、あんな過
密スケジュール立てなくて良かったんだから」
「え?そうだったのか?」
「たぶん二割減くらいかな?ちょっぴり緩めのペースでもいけたと思う」
そんな事を話しながらしばしジャグジーを満喫した俺達は、次いで上からどぼぼぼぼぼっと湯が落ちて来る打たせ湯とか、
浴槽の横から勢いよく泡と湯が吹き出てるジェットとか、色んな風呂を見て回っては、どれから味わおうか目移りさせられま
くった。
ここまで来るともうアレだな、風呂っつぅよりちょっとしたアトラクションだ。
「何だろうねこれ?修行僧の気分?」
打たせ湯で、頭の天辺にだばばばばばばっと湯を受けながら、頭の毛がぺったり寝てるキイチが呟いた。
「お湯が当たってる所の血行、良くなってるかも?頭が気持ちよくムズムズする…」
湯の吹き出口と、その下のキイチを見比べて、俺は湯の落差を見ながら考える。
…ちっこいキイチの場合、湯の落差がでけぇ分だけ普通のヤツよりキいてんじゃねぇのかな…?
しばらくしてから代わって貰ったが、俺はキイチが言うようなムズムズ感は覚えなかった。俺、キイチほど肌が敏感じゃねぇ
しなぁ。脂肪も皮も厚いからか?
そのかわり胸とか腹、脂肪が厚いトコに当てると贅肉が揺すられてちょっとくすぐってぇ。まぁ気持ちは良いかもだけど…。
でもって、次に俺達が試したのはジェットだった。浴槽の壁に空いた穴から空気混じりの湯が噴き出して、体をマッサージ
してくれんだけど…。
「ぷくふっ…!くふっ…、くふふふっ…!」
俺の脇で、キイチがずっと笑いを堪えてる。いや、堪えきれなくて含み笑いになってる。
別にジェットがくすぐってぇとか、そういう事じゃねぇ。キイチが笑ってる理由は…、俺の贅肉がジェットでブルブル震わ
されてるからだ。
「さ、サツキ君…!お腹がぷよぷよ波打って…!くふくくくっ…!」
「…自分もよく揺すって来るくせに…。見慣れたもんだろ?何でこんなのがツボだよ?」
「だ、だって…!同じように受けてる僕はそこまで…、ぷひゅっ…!ぷすすすっ!」
両手で口元を覆って肩を震わせるキイチ。…俺にはそのウケ具合のがよっぽど面白ぇんだけど…。
ジェットそのものは気持ち良かった。ジャグジーとはまた違ってピンポイントマッサージなんだが、勢いがある分少し強め。
撫でられるってより揉まれるような感じ。
ジェットも長々と楽しんだ後は、…サウナだ。
あれだけ汗をかいたにも関わらず、俺の体からは再び滝汗…。暑ぃのが苦手な俺は、サウナも当然のように苦手だ…。
舌を出して喘ぐ俺の横で付き合ってくれてるキイチは、そんなに悪環境に強いって訳じゃねぇんだけど、俺よりはいくらか
楽そう。
「あと五分は出ちゃダメだからね」
「お〜う…」
時計を眺めてさくっとキツい宣告をしたキイチに、元気のねぇ返事をした俺は、ふと脇腹にくすぐったさを感じて横を向く。
キイチは真面目な顔をして俺の脇腹に手を当てて、脂肪をムニッと摘んでる。
「…変化は…、出てても判らないかぁ…」
「そりゃそうだろ…」
2リットル汗かいたって体重の1パーセント程度だし…。
それから五分後。バテバテになってサウナルームから出た俺は、キイチと一緒に掛け湯してから水風呂イン。
…こいつがまた体がギュッと締まるような感じがして気持ち良いんだ。…金玉までキュッと縮むんだよな、これ。
俺とは逆に低温が苦手なキイチは、ざっぽり入ってさっさと上がると、また掛け湯して体を温めてる。
俺はというと、芯まで熱くなってる体をじっくり冷やしてから上がり、掛け湯はしねぇ。
こうしとけば少しの間汗が出にくいから、着替えが速効で汗まみれになんねぇで済む。
ちなみに、寮の風呂でも上がる時には洗面器で水をかぶるようにしてる。
俺の場合、下手に体温めると湯涼みする前に汗だくになるからな…。デブで汗っかきだとこういうトコにも気ぃ遣うんだよ。
「…ん?」
ある程度水を切ってから脱衣場に戻った俺は、先に戻ってたキイチがかごに出しててくれた着替えをあさり、眉根を寄せた。
「どうかした?」
「パンツがねぇ…」
俺が応じると、トランクスに半袖シャツの悩殺ルックキイチは、「あれ?」と首を傾げてバッグの中を再確認する。
「持って来たはずなんだけど…。かごの中にはやっぱり無い?」
「ねぇなぁ…。ってか何だ?タオル一本多い…」
…ん?これタオルじゃねぇんじゃ…?生地が違…。
「あっ!?」
思わず大声を上げた俺に、キイチと周りのお客さんの視線が集中した。
「どうしたの?あった?」
「いや…、パンツは、やっぱりねぇ…」
「ええ?困ったなぁ…。ごめんねサツキ君?ブリーフ入れたとばかり思ってたのに…」
…うん。ブリーフはねぇな…。だが下着はある…。
「キイチ…。下着な、入ってる事は入ってんだが…、パンツじゃねぇ…」
キイチは首を傾げ、俺が半分広げたそれを覗き込む。
…褌を…。
「…ごめん…!急いで準備したから…、間違えたみたい…」
キイチはゴクリと唾を飲み込み、神妙な顔で言う。
「いや…。俺も他の下着と一緒に押し込んでたからな…。判り辛かったかもしれねぇ…」
俺はじっと、オジキから送られてきた六尺褌を見つめる。
汗でじっとりしたパンツを改めてまた穿くのも嫌だが、褌もちょっとなぁ…。
実は、甚平はともかく、こっちは貰って以来一回も付けた事ねぇ。だから付け方も判らねぇ。…さてどうすっかな…?
俺がそんな風に迷ってると、
「…付けてみる…?」
キイチが声を潜めてそんな事を言って来た。いや、付けるったってなぁ…。
声を潜めたまま「付け方判んねぇんだよ…」と応じた俺に、キイチは少し身を乗り出しながら囁いて来た。
「ネットで調べたから、六尺褌だけは付け方を知ってるけど…」
「何で調べてんのお前っ!?」
「しーっ!…ちょっと、気になったから…」
気になってたのか。…ってかネット恐るべし!褌の付け方も調べられんのかよ!
それでも迷う俺に、本人より先にこっそり褌装着方法を学習していたキイチは囁いた。
「良い機会だし、試してみる?」
…むぅ…。
一分後。順番に一人ずつ入った脱衣場と繋がってるトイレの個室で、俺とキイチはひっついてた。
何もこんなトコでいちゃいちゃしたくてひっついてる訳じゃねぇ。
俺の体がスペースを取っちまうから、トイレの個室みてぇな狭いトコじゃひっつくのは仕方がねぇんだ。
その、やたらと狭い空間で、キイチは俺の脇腹と壁の間から尻側に上半身をねじ入れて、窮屈さに息を乱しながら褌着用作
業中…。
う〜っ!トイレの個室っていう薄壁一枚に守られた空間で、こんな真似する事になるなんて…!けど濡れたパンツをまた穿
き直して帰んのも嫌だし…。
…しかし、これはこれでなんか興奮すんなぁ…、静かにしねぇとマズイって独特のシチュエーションに…。
中で話せばトイレに来た人にバレるから、キイチは無言だ。付け方の説明は帰ったらしてくれるらしいが…。
無言で腰に布を巻き、股ぐらを通し、キュッキュと締めて来るその作業っぷりは真剣そのもの。
…かなり恥ずかしい…。
股下や股間を布で擦られたり締めたりされてる内に、俺は…、俺は…!
俺の脇腹と壁の間からスボッと体を抜いたキイチが無言で俺の顔を見上げ、困ったような戸惑ってるような微妙な顔をする。
…そう。初めての褌着用によって、俺は…、勃起しちまってた…。
結局、先にキイチを送り出して、チンポが静まるのを待ってから個室を出た。
褌着用姿が若干恥ずかしかった俺は、トイレに入った時と同様、タオルで腰を隠しながら脱衣場に戻り、素早くズボンを穿
いて隠した。
…感触が独特で落ち着かねぇ…。
けど、チンポとキンタマのホールド具合はブリーフよりしっかりしてて、何だか安心できる。おまけに覆われてる部分が少
ねぇせいか、涼しくて良い案配だ。
「帰りはランニング無しにしよう…。僕も初めてだから、途中で解けないとも言い切れないし…」
キイチの提案には勿論頷いた。…俺も何となく不安だしなぁ…。
着替えを終えてロビーに出た俺とキイチは、それぞれ水と茶を飲んで湯涼みした。
サウナでたっぷり汗をかいたせいか、水が異様に美味い。冷房も効いてて気持ち良い。
しばらくベンチで休んだ後、俺はふと思い立って、キイチに一言告げてからロビーの端に寄った。
んで、携帯を開いて短縮ダイヤルをポッポッポッ…と。
コール二回で、まるで待ちかまえてたみてぇに相手が出た。
『お疲れ様です!珍しいですね?先輩からかけてくるなんて』
俺が口を開くより早く、相手の確認もしねぇで開口一番そう言ったのは、銭湯の倅の我が後輩。
「ちっとな。銭湯に来たからお前の顔思い出してよ」
『え?銭湯に?何でまたわざわざ…、寮にでっかいお風呂があるんじゃないんですか?』
「寮の浴場はそんなにでかくもねぇよ。何で銭湯に来たのかっつぅとだな…」
俺がかいつまんで事情を話すと、ジュンペーは電話の向こうで唸った。
『減量って…またですか?何回増量してるんですか?』
「う、うるせぇな!勝手に増えてんだよ!気付くと!」
『それはまぁ意図的に増やしてはないでしょうよぉ。キイチ先輩に嫌われたくないでしょうし…。どうせあれでしょう?アイ
スとか食べまくったんでしょう?今年は暑くなるの早かったし』
…時々ド鋭ぇよなコイツ…。
「と、とにかくだ!お前だってダイスケだって肉が付き易い体質なんだから気をつけろよな。二人揃って全国控えてんだしよ」
『えへへ!まぁ、アベック出場?ですしねぇ!』
この弾んだ声だけで、顔がどれだけニヤケてるか判るぜ…。
『でも、オレはともかくダイスケはそろそろ気を付けた方が良いかもですねぇ…』
「ん?太ったのか?」
『う〜ん、お腹がだいぶ…。あとお尻…』
「そんなに出てんのか?」
『当然先輩程の重症じゃないですけどね?』
「うお!軽くキツいなお前」
『あはははは!まぁとにかく、お互い気をつけようねって、言っておきます』
「だな。…あ、渋るようならこう言っとけ」
『はい?』
「夏休み終わって帰った時、キイチに嫌そうな顔されたかねぇだろ?…ってよ」
『あっは!効果ありそうですね、ソレ!』
ジュンペーはケタケタと楽しそうに笑う。
『オレ的にはムッチリして貰ってた方が良いですけど、中学最後の大会ですからね。万全で挑んで貰いたいし…。星陵進学前
に、二人でハクつけて行きたいからっ!』
「全国出場ってだけで、ハクなら十分だと思うけどなぁ…。ジュンペーなんか去年今年と連続で全国出場じゃねぇか?」
『それなら先輩だってそうでしょう?しかも柔道始めた年に全国とかぁ、化物って表現するのも生ぬるいし』
「そりゃあ先生と先輩と後輩が良かったからな」
『あははっ…!先輩ってば、そうやってぽつっと嬉しい事言ってくれるんだから!』
「…ん?」
『いやこっちの話です。…あ〜あ!星陵も柔道の特待生制度があれば良いのに!そうしたらダイスケの受験勉強の心配なんか
しなくて良いのになぁ〜っ!』
「そいつは俺ら次第ってヤツだな。今年は俺が全国行けた。この調子で来年、再来年も良い成績残して行けりゃあ、もしかし
たら…」
『そうですねっ!オレ達もきちんと星陵に入学して、盛り上げる手伝いしないと!』
「ぬははっ!頼りにしてんぜ?ジュンペー!…なんせ来年一人以上入部して貰わねぇと廃部だからよ、柔道部…」
そんな具合にしばらく後輩と話した俺は、お休みの挨拶を交わしてから携帯をしまって、
「あれ?ずいぶん早かったね?」
そんな声を耳にして「ん?」と、振り返る途中で動きを止めた。
キイチの声は少し離れたトコから…さっきからずっと休んでるベンチの方から聞こえた。…俺まだここに居んだけど?
一回止まった動作を再開し、きちんと首を巡らせた俺の視線の先には、俯いて携帯を弄ってるキイチと…、その傍らで立ち
止まり、首を傾げてる灰色熊の姿。
…でけぇ熊だ。俺も大概だが、背丈から体型から俺と変わらねぇ、でけぇもっさもさのデブ熊。
半袖短パンにサンダル履きで、常連なのか、首には蓮の湯のロゴが入ったオリジナルタオルをかけてる。
「ジュンペー君に電話してたんでしょ?もっとゆっくり話せば良かったのに」
…キイチ…。影の広さかでけぇ気配かで判断してんのかもしんねぇけど、ソレ、俺じゃねぇから。
笑いをかみ殺して歩み寄って、「ただいま」って言ってやったら、キイチは「あれ?」と、不思議そうな表情で顔を上げた。
灰色熊も俺に顔を向け、少し目を大きくする。
そりゃそうだろう。こんなナリのヤツめったに見ねぇもんなぁ、お互いに。
…ひょっとするとアレか?銭湯で俺があんま見られなかったのは、こういう常連が居たからか?
俺もひとの事は言えねぇが…、厳つい仏頂面の灰色熊は、俺とキイチを見比べてから、納得したような顔になる。
キイチは慌てて腰を上げると、灰色熊に頭を下げた。
「す、済みませんっ!友達と勘違いして呼び止めちゃって…!」
自分がツレと間違われた事を察したらしい灰色熊は、詫びたキイチに無言でペコッと会釈してから、のっしのっしと体を揺
らして歩き去る。
やっぱ常連みてぇだなあの熊。カウンターで銭湯のひとに話しかけられてる。
「ビックリしたぁ…。あんなおっきいひとサツキ君の家族以外じゃ滅多に居ないから、横をのそ〜っと通られたらつい…」
キイチは脱衣場に入ってく灰色熊を眺めながら、まだ驚いてる様子でぼそぼそと呟いた。
「まぁ、珍しいって言やぁ珍しいなぁ。陽明か?たぶん俺らと同じぐれぇだと思うけどよ…」
「え?大人のひとじゃない?だってサツキ君と同じようなおじさん顔だし…」
「…おじさん顔…」
「あ。サツキ君みたいな高校生もいるんだから、有り得なくはないか…」
「…俺みてぇな高校生…」
沈んだ声にやっと気付いたのか、振り返ったキイチは慌てて弁解し始めた。
「あ!つ、つまり、サツキ君ぐらい貫禄がある子は珍しいって!そういう事!」
…結構ですよイヌイさん。そんな見え透いたフォローしてくんなくたってよ…。
途中で寄ったハンニバルで晩飯を食ってから寮に帰った俺らが、点呼を終えた後…、
「今日行ってきたんだぁ、この前教えて貰った銭湯」
アイスを食いに来た隣の二人に、キイチは蓮の湯オリジナルタオルを広げて見せながら、いかに気持ちよかったかを説明し
始めた。
「意外だな?こんな愛想も金も脳みそも社交性も協調性も無い、無い無い尽くしで何も無いヤツが、友達から銭湯を紹介され
ているだなんて…。それ本当に友達か?絡んできた不良からケンカついでに聞き出したんじゃないのか?力ずくで」
「ダチだよ。誰かさんと違う常識人のな」
疑うような目つきの狐に、鼻を鳴らして応じるシェパード。…切り返しが鋭くなって来たなぁ、最近のオシタリ…。
「…大丈夫かオシタリ?それは本当に実在するお友達か?空想上のお友達じゃないだろうな?見えないお友達を紹介されても
イヌイやアブクマは困るしボクは引くぞ?非実在友人を拵えるほど友達が欲しいなら、団の連中とつるめば良いじゃないか?」
…やっぱ毒舌についちゃ、ウッチーの方が一枚と言わず上手だ…。
「うるせえな、居んだよ!」
「そうか。仮にソレが実在するとして、一方的に友人だと思っているわけじゃないよな?相手はお前の事なんか判らないとか
そういう事は…。ストーカーは止めておけよオシタリ?友達が欲しかったら、土手近くの公園付近には野良猫がたくさん居る
らしいからそいつらに遊んで貰え。週に一度くらい」
「しつけえな、普通のダチだっつってんだろ!…公園は、週に二回ぐれえだ…!」
…行ってんのかよ…。
歯を剥いていきり立つオシタリに、キイチが興味深そうに訊ねた。
「その友達、あっちの銭湯を紹介してくれるって事は、川向こうに住んでる生徒?」
「ああ。星陵じゃねえが」
この返答を聞いて、俺は勿論ウッチーも意外そうな顔になる。
俺ら以外とはあんまりつるまねぇのに、何で他の学校にダチなんか居るんだろなコイツ?
「どんなひとなの?」
訊ねたキイチに、オシタリは面倒くさそうな顔をしながらも応じた。
「陽明の応援団でな、グレーの熊だ。アブクマ並にでけぇヤツ」
『あ』
俺とキイチは同時に声を漏らし、顔を見合わせた。
…アイツがオシタリの友達だったのか…。偶然だが、本当にばったり会ってたんだなぁ…。
ちょっと驚きながら顔を見合わせてる俺とキイチを、オシタリとウッチーが怪訝そうに眺めてた。
「どうしたブーちゃんにイヌイ?こいつの空想上のお友達の姿でも見えたのか?」
…いや、空想のお友達じゃなかったぞウッチー。たぶん見たら軽くビックリすんぜ?…インパクトあるからよ…。