第二十五話 「待ちに待った林間学校」
太陽がさんさんだぜ!
日の光は強ぇけど、山の空気は涼しくて気持ちいい。
ちょっとぐれぇ汗ばんでも、風に吹かれると、体の湿り気がすぐすーすー抜けてく感じがする。
今日は待ちに待った林間学校!一学期最後のイベントだ!いやー、晴れて良かったぜ!
麓でバスを降りた俺達は、県立公園目指して山登りしてる。
曲がりくねった登山道は、舗装されてねぇから雰囲気ばっちりだ。山登りって感じがするなぁ!
ところがだ。…キイチの活きが悪ぃ…。
普段のランニングと逆で、俺は元気なのにキイチが息も絶え絶えだ。背負ったザックがやたら重そうに見える…。
う〜ん…。これって俺のせいでもあるんだよな?寝不足らしいし…。
おし!ここは責任取って襲う!じゃねぇ、押そう!
「ホレホレ、あとちっとだキイチ!もう一踏ん張りだからな!」
声がけして後ろに回った俺は、キイチの両肩に手を当てて押してやる。
「だ、大丈夫だよぉ…」
って、答える声がもう元気ねぇよキイチ…。
「200キロ近いあの体で…、何でああも元気に登っていられるんだ…?」
「184キロだ!」
ちょっと離れた横側からウッチーの呟きが聞こえて来て、すぐさま訂正する俺。
トレードマークの伊達眼鏡はつけてねぇ。汗かくから邪魔になんだろうなぁ。
しかし、眼鏡ねぇとガラッと雰囲気変わるよなぁコイツの顔。むしろ素のままの方が色男だと思うんだが…、あれか?ちょっ
と目つき鋭ぇから、眼鏡で雰囲気和らげてんのかな?
「…増えたんだな?」
「ちっとだけな」
何だよ、だいたいのトコ判ってて200とか言ったのかコイツ?
オシタリと並んで歩くウッチーは、何だかちっと不満そうだ。…まぁキイチと同じで肉体労働派じゃねぇもんなぁ。あんま
楽しくねぇのかも。
オシタリの方は機嫌良さそうだ。仏頂面がほんの少しばっかり弛んでる。
さて、さっさとキイチを上まで運んで、休ませてやんねぇとな!
俺がペースを上げたら、キイチは「ま…、待ってぇ〜…」と、弱々しい声を漏らす。
予定だと、着いたら清掃、でもってその後は野外炊飯だ。その後はオリエンタル…ん?えぇと…、ああ、オリエンテーリン
グだ。まぁ、簡単に言うと散歩みてぇなもんらしい。山の上の遊歩道をぶらぶら歩くんだと。
俺は野外炊飯での働きを期待されてるらしい。文句はねぇよ。外でカレー作るとか、ちょっとキャンプっぽくってうきうき
してるしな!
「サツキ君…。ご、ごめん…、ちょっと休ませて…!」
うきうきしてる俺とは逆に、いまいち元気がねぇキイチは、しばらく進んだとこで音を上げた。
あ〜…。やっぱ寝不足が響いてんのかな?元々体力ねぇし、一頑張りで上まで行く余裕はねぇか…。
肩を押す手を離すと、キイチは前屈みになって、膝に手をついた。
「ふぅ…ふぅ…」
辛そうなキイチ。見てると申し訳ねぇ気分になって来る…。
「キツいか?…悪ぃなぁ…。俺のせいだよなぁ…」
寝付けねぇ俺がいつまでも寝返り打っててミシミシ煩かったもんだから、キイチは昨夜、早めに寝るのを諦めて、俺に気持
ちいい事してくれた…。
俺はそこからぐっすりだったが、そのせいでキイチは疲れちまった上に寝不足に…。
「うん。さっちゃんのせい」
キイチの返事は鋭ぇ!乱れてた息がこの時だけ落ち着いてた。
「…でも、僕が企んだんだし、自業自得と言えない事も無いんだよねぇ…」
キイチはため息をつく。
「悪ぃ…。昔からこうなんだよなぁ、遠足とか、運動会とかの前の晩は…」
「うん、知ってる。…こんなにでっかく育ったのに、そういう所はまだ子供っぽいんだもんねぇ…」
キイチの言葉に含み笑いが混じった。キツそうだけど、機嫌はそんなに悪くねぇみてぇだから、ちっとだけホッとした…。
「お昼。期待してるからね?元気が出るような美味しいカレー!」
キイチが背筋を伸ばして俺を見る。怒ってねぇ、苦笑いはしてるけど。
「おう!任しとけ!」
胸をドンと拳で叩いて応じる。カレーはそこそこ得意だ。今回はルーを使うから楽ちんだし、味付けに拘ってみるか!
「あれ?オシタリ君、ウツノミヤ君は?」
キイチが俺の後ろを覗いて不思議そうに言う。
振り返れば、一人で歩いて来るシェパードの姿。
「先に行け、だとよ」
言って振り向くオシタリ。視線を追って生徒の列を辿って行ったら…、でっぷり太った虎の姿…。
俺もひとの事言えねぇけど、トラ先生はえらく肥えてるからなぁ…。えっちらおっちら登って来る姿は、誰がどう見てもキ
ツそうだ。
「やっぱり…、って言ったら失礼だけど、トラ先生もキツいんだね…」
呟くキイチ。頷く俺。
トラ先生が大男な上に幅もあるせいで殆ど隠れちまってるけど、ウッチーはどうやらトラ先生の後ろに回って、背中を押し
てるらしい。
首にかけたタオルで時々顔を拭う先生と、たぶんすげぇ形相になってんだろうウッチーには、後ろに続いてたクラスがもう
追いつきそうだ。
先頭はジャイアントパンダの女子だ。ユリカは丸々してんだけど、体もしっかり鍛えられてるから坂道もすいすいだ。ペー
スは速めだし、疲れてる風にも見えねぇ。
そのすぐ後ろに続くのが眼鏡をかけた人間女子。カメラ持ったまま登って来るシンジョウも、坂道が苦にならねぇっぽい。
…まぁ、アイツの脚力って文化部のモンとは思えねぇほどだからな…。中学ん時に追っかけられて確認済みだ…。
カメラ覗いて歩いてんだけど、大丈夫なのかあれ?…段差もきちんと跨いでるみてぇだけど、周りが確認できてんのかあの
状態でも?
トラ先生とウッチーの横に追いついたユリカが並ぶ。顔を覗き込んで何か言ってるみてぇだ。トラ先生が苦笑いした。
次いでシンジョウが二人の脇に回り込んで、距離を調節しながらカメラを向ける。
…そこ撮んのかよお前…。
シンジョウが何か言ってるっぽい。ちょっとだけ見えたウッチーの顔が、鬼気迫る恐ろしい形相になってた。
…写真撮るのに注文つけてんなアイツ?
もしかしてあれ、バッドトリップしてんじゃねぇのか?
「キイチ。行くぞ」
「…うん…」
「?」
俺の言葉に硬い表情で頷くキイチ。雰囲気が変わったのに気付いたのか、オシタリは首を傾げてる。
捕まったら色々と面白くねぇ事になりそうだ。急いで登っちまおう…。
山の天辺に広がる公園に入ったら、揃うのを待って点呼。
一人も脱落者は居ねぇから、そのまま早速作業開始。ここのキャンプ場を掃除すんだ。
手の平にゴムが貼ってある軍手を填めて、せっせとゴミ拾い。
ちなみに俺のは持参品だ。配られる普通のサイズの軍手じゃ入らねぇんだよ。だから自分で買って、レシート持ってって、
先生から金貰った。
ウチは親戚含めて全員そうなんだよなぁ。図体もだけど手も足もでけぇから、普通のサイズの手袋も靴下もキツいんだよ。
ゴミを拾っては、横について追っかけて来るキイチが広げる袋に放り込む。
結構ゴミが多いから、袋はあっというまに満杯になってく。
「一丁上がりぃ!ほい次ぃ!」
「はいっ」
俺がゴミ袋の口を縛る間に、キイチは新しい袋を出して口を広げ、バサバサやって空気を入れる。
体が小せぇキイチは、ゴミ袋も持てあまし気味で、動作からしてもぉ一生懸命感が漂ってる。
くっはー!可愛いなぁおい!ギュッてしてぇ!…けど我慢我慢…!
キイチと俺は、自画自賛になっちまうかもだけど息ピッタリだ。
ゴミを拾い集める俺の周りで、右に左に時々前に、こまめに位置を変えてゴミを放り込みやすいトコに来てくれる。
ふと見れば、ウッチーもオシタリも真面目にやってる。
ウッチーはまぁ元々真面目だけど、「かったりぃ」とか言いそうなオシタリがねぇ…。
嫌がってる風でもなくてきぱきやってんなぁ。ちっとばっかし意外だ。
しばらく続けると、キャンプ場に散らばってたゴミは随分片付いて、雑木の中のビニール袋も、芝生の上に落ちてた小枝も
減って、部分的にさっぱりした風景になる。
気持ち良いなぁおい!労働の喜びってのか?やった成果がこうして見えるからか、疲れもぶっ飛んぢまうぜ!
…っと、ありゃ何だ?こんもりゴミが集まって…。まぁ、片付けなきゃなんねぇ事に変わりはねぇが。
「あとはあそこだな、折れた枝なんかが集まってらぁ。…誰かが纏めてたのかな、ありゃあ?」
俺がそう言うと、キイチもウッチーもオシタリも、そのゴミ山を見遣った。
折れた枝とか葉っぱは判るんだけどよ、板きれがあるのは何でだ?
近寄って改めて見ると、キイチの腰ぐれぇの高さがある。よくもまぁこんなに溜めたもんだぜ…。
「凄い量だねぇ?片付くかなぁ?」
「任せろって。力仕事と大掃除は、大腰並の得意技だ!」
右腕を上げて力瘤を作って、ポンポンと叩いて見せたら、キイチは小さく笑った。
「こういう時、サツキ君が一緒だと本当に心強いよ」
「そっか?ぬははっ!惚れ直したか!?」
「何を言ってるんだか」
おどける俺に、キイチは悪戯っぽく笑って小声で言う。
「これ以上惚れ直せないくらいべた惚れだよ」
………。
俺、今日車に轢かれたっていい…!
感動してる俺の横で、少しの間くすくす笑ってたキイチは、ちょっと照れたように耳を倒してた。
ああ…!俺ぁ幸せだ…!
キイチはコホンと咳払いする。いつの間にかウッチーとオシタリが傍まで来てた。
「さぁて、さっさと片付けちまおうぜ」
俺がゴミ山に手を掛けると、皆も作業に取りかかる。
「キイチ、ゴミ袋足りそうか?」
「ちょっと足りないかも?無くなったら他の班から分けて貰う?」
キイチがウッチーに目で問うと…、
「ノルマ的な事を言えば、ボクらだけそこまで頑張る事は無いと思うんだが…。半端も何となく嫌だし、この際だから徹底的
にやるか?」
…との事だった。
「ぬははっ!そう来なくっちゃな!」
どうせやるならすっかり片付けてすっきりしてぇしな。
ゴミ山は四人がかりで削ってったら、みるみる小さくなってった。気持ちいいなこれ。
でもやっぱゴミ袋は足りねぇ。半分片付いたとこで無くなっちまった。
「ちっと休んでてくれ」
三人は休ませて、俺は他の班に袋を分けて貰いに行く事にする。
「それならボクが行って来る」
班長だからだろう、ウッチーがそう言ったが、体力的に一番余裕あんのは俺だからなぁ。
「皆そろそろ疲れて来てんだろ?良いから休んどけって」
ウッチーは少しばかり考えてたが、俺が返事を待たねぇで歩き出すと、任せる気になったのか、何も言わなかった。
さて、余ってそうな班…、余ってそうな班…、ん〜…、どこももう片付け終盤だからねぇなぁ。仕方ねぇ、先生んトコ行っ
て余りがねぇか訊いてみるか。
ゴミが拾われて広くなったような気がする芝生の広場を、少し早めのペースで歩き抜ける。
トラ先生は何処に居んだろ?作業を見回ってる他のクラスの先生はちらほら見かけんだけど…、目立つあの先生の姿だけ見
えねぇ。
しばらくウロウロした俺は、木立の中で前屈みになってるトラ先生を見つけた。
「トラ先生ー!」
呼びかけながら近付いたら、腰を伸ばしてこっちを見た先生は…、ん?何か持ってんぞ?本?
「どうしたぁ?アブクマ」
応じた先生が持ってるのは、雨か朝霧を吸ってビショビショになった雑誌だ。
表紙が…、えっちぃ格好した姉ちゃんのカラー写真…。
「ああ、これかぁ?」
トラ先生は糸目を細めて苦笑いした。
「こういう所にはあるもんだがなぁ。流石に教え子達にこういうのを片付けさせるのは、ちょっとなぁ」
と、先生は困り笑い。
まぁ判る気がするぜ。俺なんかはともかく、普通の健全な高校生だったら、あんなの見たら平静で居られねぇもんなぁ。
「で、どうしたんだぁ?」
先生に訊かれて、俺は雑誌から目を離した。
「ゴミ袋足んなくなったんすけど、余ってねぇすか?」
「足りなくなった?随分働いたんだなぁ」
トラ先生は顔を普段以上に緩めて笑った。
「一応あの袋がノルマになっているんだが…」
「片付くまでもうちっとなんすよ。半端に終わらせんのもケツの落ち着きが悪ぃし…」
するとトラ先生は腹を揺すって「はっはっはっ」と笑う。
「偉いなぁアブクマは。働き者だ」
「そんなんじゃねぇっすよ。半端だと落ち着かねぇってだけで…。照れくせぇから止めてくれ」
鼻の頭を掻いた後、汚れた手袋を填めたままだった事に気付いた俺は苦笑い。
先生は笑いながら足下に置いてたゴミ袋を掴んだ。そして木立から出て俺に寄って、「動くなよぉ?」と言いながら手袋を
外してハンカチを取り出す。そいつで土汚れがついた俺の鼻を拭ってくれた。
「ども」
「ん」
ちょっと照れくせぇな…。
「なら、袋をやるからついて来なさい。予備がまだあるからなぁ」
そう言った先生は、ハンカチを取り出す時に足下に置いた袋を掴み上げようとして、
「あ…。いたた…。いたたたたたた…!」
ドサッと袋を落っことし、急に体を捻って右脇腹を押さえる。
「ど、どうしたんすか先生!?」
急な腹痛!?かと思ったら、
「わ、脇腹つった…!あいたたたたた…!」
…それ、絶対に運動不足だぜ先生…。
つったのは右腕の付け根から下にかけての筋肉らしい。
先生には腰を引いた状態になって貰って、右腕を掴んでぐっと伸ばしてやる。そのまま脇腹を伸ばし続けて、しばらく経っ
てから離せば…。
「どうすか?」
「ああ、楽になった…」
先生は右の脇の下から脇腹までをさすり、ほっとしたように表情を緩める。
「有り難うなぁアブクマ。こういうのには慣れているのかぁ?随分手際が良いが…」
「俺ぁ一応柔道囓ってるっすから。いつもやってる柔軟の応用っす。筋伸ばしてやれば、つったトコは大概治るからな」
…まぁ、先生の図体だと、場所によっちゃ俺ぐれぇ腕力ねぇと難しいかもなぁ…。引っ張り負けちまう。
「なるほどなぁ。…どっこいしょっと…」
すぐに繰り返すのはやっぱ嫌だったんだろうな。トラ先生はゴミ袋を反対の手で掴み上げた。
よく見たら中身はびしょ濡れの本ばっかだ。ソレ系の雑誌も多いな。ホモ用の雑誌もあったりして?…いや、流石にねぇか。
「何だぁ?気になるのかアブクマ?残念だが私も一応教師だからなぁ。やる訳にはいかんなぁ」
冗談なんだろう。先生はそう言って笑う。
「いや、俺そういうの興味ねぇから」
つられて笑いながら応じた後、俺は気付いた。
こういう時、ホモだってバレねぇように、興味持ってるっぽい答えを返した方が良いんだろうな…。今度から注意するか。
「アブクマは真面目だなぁ」
「真面目って訳じゃねぇっすよ。特に勉強には真面目じゃねぇ」
笑ってそんな事を言い合いながら、俺はトラ先生にくっついてって、野外炊飯なんかの荷物が固めてあるトコまで歩く。
「じゃあこれ、ゴミ袋なぁ」
「うっす」
ビニールに包まれたゴミ袋の束を貰った俺は、早速引き返そうとして、「ああ、アブクマ」と、トラ先生に呼び止められた。
「何すか?」
「うん。頑張ってくれて、有り難うなぁ?」
…照れるっての…!
背中がむず痒くなって来たから、俺は「うす」とだけ答えて足早にそこを離れた。
「ユリカー!何してんだー?」
帰り道で白黒のぶっとい女子が何か抱えて歩いてるのを見かけた俺は、声をかけてみる。
「あー、サツキの方はもう終わりー?」
「いや、もう一踏ん張りだなー!で、何だソイツ?」
寄ってってみたら、ユリカが抱えてたのはブラウン管テレビだった。四角くてでかい、ちょっと古い型のヤツ。
「ふほーとーき!腹立つよねー、こういうの!」
ムスッとした顔になるユリカ。あー、こういうのまで捨てられてんのか…。
「シンジョウは一緒の班じゃねぇのか?」
「撮影係だから、先生方に言われて、いろんなトコで写真撮って回ってるはずだよ?清掃前と後と、記録に残すんだって」
「おー、そういう仕事もあんのか…。足止めさして悪かったな、もうちっとだから、お互い頑張ろうぜ」
「うん!」
でっけぇテレビを抱えて歩き去るユリカを見送り、俺はまた歩き出す。
…ここ、もしかして不法投棄が多いんじゃねぇのか?雑誌とかもあったしよぉ…。
そんな事を考えてた俺は、
「さっちゃぁああああああああああああああああああん!」
聞き馴染んだ最愛の恋人が上げる声に反応して、即座に走り出す。
キイチが大声上げるなんて滅多にねぇ!
蛇でも出たか!?猪か!?それとも熊か!?変質者か!?何が出たって俺が叩きのめしてやる!待ってろキイチ!
斜面を駆け上って芝生の丘を越えにかかった俺は、こっちを向いて手を振ってるキイチと、座り込んでるウッチー、そして
噛み付きそうな顔して板きれを掴んでるオシタリの姿を認めた。
全速力で駆け寄ってく俺に、キイチが叫ぶ。
「ウツノミヤ君が怪我を!釘を踏んで血がいっぱい!」
キイチの言葉で、俺はすぐさま息を吸い込み、胸を膨らます。
「先生ええええっ!怪我人だあああああああっ!誰でも良いから、聞こえたら先生呼んで来おおおおいっ!」
ウッチーのとこで滑り込んで屈んだ俺に、キイチが告げる。
「錆びた釘を踏んじゃったの!どのくらい刺さったのか判らないけど、血は結構出てる!」
ならすぐに足の裏を確認しねぇとな。雨晒しになってるモンは只でさえ厄介なのに、錆びてるとなると…、大抵は剥がれた
錆が傷ん中に残っちまう。
とにかく血が出たままだと傷が確認できねぇ。結構出血してるが、ウッチーは歯を食いしばって呻き声の一つも漏らさねぇ。
大したモンだぜ。
ウッチーの足首を強く掴んで血管を締める。これでちょっとは出血が収まるから、あとは洗い流して確認を…。
「尻ポケットだ!消毒液出してくれ!」
俺の言葉に頷いて背中側に回ったキイチは、尻ポケットに手を突っ込んだ。
屈んでるからきつくなってて、引っ張り出し難いらしい。少し尻を浮かせてみたら、すぽっと抜けた感触があって、キイチ
が横に戻って来る。
「足首締めとくから、静かに傷口の上側から注いでくれ。傷に直接はかけんなよ?ちっと洗って傷の状態だけでも見ときてぇ」
キイチは無言で頷くと、ビニールポーチから消毒液を出す。
「ちっと染みるけど、辛抱なウッチー?」
ウッチーは顰めっ面で頷く、…たぶんかなり染みると思うんだが…。
キイチは俺が言った通りに、傷口に直接かけねぇように気を付けながら消毒液をかける。ウッチーはギシッと歯を食いしばっ
たが、それでも呻き一つ漏らさねぇ。
そして、傷は…。
ひでぇな、畜生…!
俺は釘って聞いたから、ぽつっと穴になった傷をまず思い浮かべた。そして、酷ぇ場合の傷も想像した。
ウッチーの傷は、その悪い方だった。
深ぇ傷が、さらに横に1センチぐれぇ裂けてやがる。
真っ直ぐ刺さって抜けた感じじゃねぇ。錆びた釘だから表面は綺麗じゃねぇ、刺さった後、抜けながら傷口を広げてったん
だろうな。
「どうなんだよ?」
ウッチーが踏んだヤツなんだろう、邪魔になんねぇ位置に控えて、釘付きの板を持ってるオシタリが、苛々した口調で問い
かけて来る。
「傷は小せぇ。刺さったのはその釘か?なら、靴底の分考えて、深さは…」
口に出して考えた俺は、途中で言葉を切った。
傷は絶対に浅くねぇ。すぐにも病院行って手当てして貰って、抗生物質とか、ばい菌に効く注射とか、きっちりやって貰わ
ねぇと…。
けど、今ここでそんな事正直に言っても、不安がらせるだけだろう。
だから俺は、ウッチーに笑いかけた。
「おし!大した事ねぇぞウッチー!」
本当は大した事ねぇ訳じゃねぇが、作り笑いでもいいから、とにかく励ますのが良いと思ったんだ。
「ちっと窮屈な格好になるけどよ、足は少し上げとくぞ?その方が血ぃ止まり易いしな。後ろ側に手ぇつくか、仰向けになっ
とけ」
「ああ…」
ウッチーは歯を食いしばりながら、ちょっと掠れた声で応じる。俺はその足を少し持ち上げて出血を抑える。
そうやって待ってたのは、それほど長ぇ事でもなかった。
ドスッドスッドスッと、重い足音が寄って来る。
いつの間にか人だかりができてたが、その向こうからトラ先生がどしどし走って来るのが見えた。
…珍しい。トラ先生、目ぇ開いてんぞ?
「怪我人はウツノミヤか?」
ぜぇはぁ言いながら走ってきた先生は、ウツノミヤの脇で屈み込んで様子を見る。表情もそうだが、なんかちょっと口調が
変わった感じがする…。
「うす。錆びた釘踏んじまったらしい。オシタリが持ってるアレっす。長さはそうでもねぇし靴越しだけど、出血は結構ある。
消毒液かけて確認したが、傷口そのものは小せぇみてぇだ。ただ、足つかせねぇように運ばねぇとまずいっす。釘から剥がれ
た錆が棘みてぇに中に残ってる。足ついたら奥に入ってっちまうし、相当痛ぇはずだから」
「上出来だ」
説明した俺の肩を叩いたトラ先生は、ポーチから包帯を取り出した俺に手を貸してくれた。
まず足首をしっかり固定。でもって足の裏の傷にガーゼを被せて、圧迫し過ぎねぇように注意しながら、足首に巻いた包帯
の残りをそのまま持ってきて縛る。
教師だからこういうのも練習してんのか、先生のフォローはてきぱきしてて、やりやすかった。
「ウツノミヤ。もう少しだけ我慢してくれなぁ?」
とりあえず傷の保護だけ終わった後に、ウツノミヤへそう言ったトラ先生の顔付きも口調も、普段のもんに戻ってた。なん
かこう、先生がいつも通りだとホッとすんなぁ…。
俺が呼ばったからか、それとも誰かが報告とかしたのか、学年主任とか他の先生とかも遅れてやって来た。
トラ先生は状況を説明すると、ウッチーを病院に連れてくと伝えてから、俺とオシタリに言った。ウッチーを自分の背中に
おぶらせてくれって。
俺とオシタリがそっと持ち上げて、屈んだ虎の背中にウッチーを被せる。
「よっこらぁ…しょっ…とぉ…!」
トラ先生はのそっと立ち上がると、ウッチーを気遣いながら歩き出した。
いつの間にか姿が見えなくなってたキイチは、病院行きを見越してウッチーのリュックを持って来てた。先生は腕を突き出
す感じにして、キイチにリュックをかけて貰う。
「済みませんが、後はお願いします」
学年主任にお辞儀したトラ先生は、俺達を安心させるようにいつもの弛んだ表情で笑いかけ、大きく頷いてから歩き出した。
丘を下ってく先生とウッチーを、俺達は無言で見送る。
途中で二人にシンジョウが駆け寄ってった。心配して励ましに行ったのかと思ったら…、撮ってるぜおい…。やっぱバッド
トリップしてんのかアイツ…?
その姿が見えなくなってから、オシタリがぼそっと言った。
「アイツ、こういうとこにゴミ捨ててく野郎共が許せねぇらしい。汚す連中を。自分がこうなるって判ってて嫌ってた訳じゃ
ねぇだろうが、…何だかな…」
ふぅん…。几帳面だからなぁウッチーは…。不法投棄とかそういうルール違反、許せねぇのかもな…。
「さて、片付けだ!先生に任したんだからもう安心だ!な!」
俺は沈んだ空気を吹っ飛ばそうとして、声を明るくする。
班長のウッチーが居ねぇんだ。後で失敗したとかやらかしたとか言って、責任感じさせねぇように、しっかりこなさねぇと!
「ほらキイチ!片付けしちまおうぜ!オシタリも!」
キイチは少し黙った後に頷いて、ゴミ袋を広げた。そしてオシタリも…、
「…仇討ちって事になんのか?コイツは…」
むすっとした顔で、ゴミ山を睨み付け、袋を広げた。
俺は阿武隈沙月。星陵の一年で柔道部所属。胸に白い三日月がある熊。
料理は得意だ。
だが、この日俺が作ったカレーは、失敗してねぇはずなのに、あんま美味くなかった。