第三話 「やりてぇこと」
…や…、やべぇ…!
俺、阿武隈沙月。星陵ヶ丘高校一年の熊獣人。濃い茶色の被毛に、胸元の白い三日月が特徴。
その俺は今、さすがに本気で焦ってる…。
っつうのもだな、なんと土日を通して、道場には一人も入部希望者が来なかったからだ!
おまけに今日、この月曜日も誰一人来てねぇ!(キイチを除いてな)
イワクニ主将も俺も、来てくれたキイチまでも、毛羽立った畳の上に座り込んで、ただただ項垂れてる。
もう、しばらくの間、誰からも声が出てねぇ…。
「…もう、六時になるのか…」
主将はぼそっと呟くと、そっとため息を吐き出した。
「水曜日には部員名簿を提出する事になっているから…、残るは明日一日…」
「き、きっと来るっすよ!俺、クラスの皆に声かけてみる!他のクラスもちっと回ってみて…、そうすりゃ入ってくれるヤツ
も見付かるかもしれねぇっすから!」
笑みを作って、そう言った俺に、キイチも頷いた。
「そうです!まだ丸一日残ってるんですから!明日には、必ず誰か来ます!」
根拠のねぇ励ましなんだけど、キイチは真剣な顔だった。
「…そうだな…。まだ、諦めるのは早いよな…」
そう言って笑う主将は、元気がねぇ…。疲れ切った笑顔が痛々しい…。
無理もねぇさ…。一年間たった一人で柔道続けてきて、やっと人数増えると思ったら、今んとこ熊一匹入っただけ…。そりゃ
ヘコむよなぁ…。
結局、今日も入部希望者が来ねぇまま、俺達は道場を後にした…。
「はぁ〜…」
野菜スープをかき混ぜながらため息をつくと、向かいで黙々とチャーハンを食ってたシェパードが、ちらりと視線を上げた。
「あ、悪ぃ。何でもねぇんだ」
オシタリは頷くでもなく視線を下げると、福神漬けをスプーンで口に放り込む。
寮の食堂で食う時は、最近はこいつと一緒に飯を食うようにしてる。
いつもなら話しかけて反応を見るんだが…、今日はどうにも気分が乗らねぇな…。
「今日は静かだな…」
オシタリがボソッと呟いた。
滅多に自分から口を開かねぇヤツだから、一瞬誰か別のヤツが喋ったのかと思っちまった…。
「まぁな、なかなか思い通りにゃ行かなくてよ…。それとも、やっぱり話しかけた方が嬉しいか?」
「デブいしウゼぇから黙ってろウザデブ…」
「そんなデブデブゆーなっての…」
しっかし、あいかわらずつれねぇなぁ…。
が、そんでもまぁ、ちっとは喋るようになってきたかな…。…あ、そうだ。ちっと訊いてみるか?
「お前さ、この学校でやりてぇこと、何かあんのか?」
「…部活になんぞ入らねぇぞ…」
ギロリと睨むオシタリに、俺は苦笑いしながら首を横に振ってやった。
「安心しろ。柔道に全然興味ねぇヤツを、無理に入れるつもりはねぇからよ」
まぁ、入ってくれるってんなら有り難ぇけど、たぶんこいつにゃその気はねぇしな…。
「…で、なんか目標とかよ、やりてぇこととか、ねぇのか?」
答えねぇかとも思ったが、オシタリは一言、
「卒業すんのが目的だ」
と、ボソッと言った。
「卒業すんのが…?」
いまいち意味が判んねぇから聞き返してみたが、答えは返ってこなかった。
…卒業が目的?いや、誰だって卒業目指すだろ普通?わざわざ目標に上げるもんか?
オシタリは黙ってトレイを掴むと、席を離れた。
一人残った俺は、ウッチーとキイチがやってきた後も、オシタリが呟いた言葉の意味を、何度も反芻して考えた。
この時ばかりは、部活の事も棚上げにして…。
風呂から上がって点呼も終わった後、俺は自室の床にゴロンと大の字になって、天井を見つめながらぼーっとしてた。
今日は筋トレする気が起きねぇ…。主将、落ち込んでなけりゃいいけど…。
「…ふぅ…」
ここ一週間、やけに多くなったため息を吐き出して、俺は目を閉じた。
「ただいま〜」
ドアを開けて入ってきたキイチは、目を開けた俺を見下ろして動きを止めた。
「あ、ごめん。眠ってた?」
「…いや。おかえりキイチ」
キイチは頷くと、トコトコと歩いてきて、寝転がったままの俺の脇にチョコンと座った。
そしてソファーでくつろぐように、俺の脇腹に背を預ける。
よっかかられたトコで、軽っこいこいつの体重は苦でもねぇ。
むしろ、頼ってくれてる、甘えてくれてるって感じられて、重みが良い塩梅だ。
「何処行ってたんだ?」
「ちょっと用足しにね」
まぁ、門限は過ぎちまってるから寮の中だろうけど…。
「ね。元気出して?大丈夫だから」
「そう言われてもなぁ…」
キイチの励ましにも、俺は苦笑いしかできねぇ。
もちろん、まだ諦めちゃあいねぇけど、見通しは暗いなぁ…。
「…なぁ、キイチ…」
「うん?」
柔道部に入ってくんねぇか?
出かかったその言葉を、俺はギリギリのとこで飲み込んだ。
キイチには「やりてぇこと」がある。
まだ教えて貰えてねぇけど、キイチが星陵に来たのはその為らしい。
俺のせいでそれができねぇんじゃあ、お荷物も良いトコだ。一緒に星陵に来た意味がねぇ。
散々世話になって、なんとか一緒に進学して来れたってのに、そこまでキイチに甘えちまう訳には、いかねぇよ…。
「何?」
聞き返された俺は、少し考えてから、
「…ん〜…。エッチしねぇか?」
「…やだこのスケベ…」
…結局、やっぱりちょっとキイチに甘えちまうのであった…。
「肘を付いて、四つんばいになって」
「こ、こう…?」
俺が両肘と両膝をついて、ベッドの上で四つん這いになると、キイチは俺の尻を後ろから覗き込んだ。
今日は珍しく俺が勝った!
…いや、勝ったってのも変な言い方だけど…、つまり、キイチを先にイかせる事ができた。
そりゃあもう、上からのしかかって身動き取れねぇようにして全身舐めまくってチンポしゃぶり尽くして…。
…自分で言っててなんだが…、強姦したみてぇに聞こえるよなこれ…。
で、今度はキイチが俺を責める番なわけだが…。
「き、きっちゃん…、何か俺、恥かしいよぉ…」
俺は首を巡らせ、後ろに居るキイチを振り返る。
こういう格好させられんの、実は今回が初めてなんだけど…、何か新しい事すんのかな…?
キイチは俺の尻の後ろで、股に下から手を入れて、ぶら下がってる金玉を手に取った。
「…んっ…!」
そしてそのまま手触りを確かめるみてぇにタフタフと揺すると、軽くマッサージしてくれる。
「もうちょっと高い方がいいかな…?さっちゃん、顔を下ろして、お尻を上げる感じにしてくれる?」
「…こ、こう…かな…?」
俺は顎をベッドの上に降ろし、腕組みをした上に乗せた。
つまり、ベッドに突っ伏したまま、膝を立てて尻を上げてる格好だな。
「うん。そんな感じ。それじゃ始めるよ?」
「う、うん…。んひっ!?」
ケツの穴に湿った何かが当たる。恥かしいような、こそばゆいような、気持ち良いような…。キイチの舌が、俺の尻を舐め
てくれてる…。
しばらく舌で弄ぶようにケツの穴をほじくった後、キイチは自分の指を舐めて湿らせる。
そして、肛門の周りを指先でクックッと押して、軽くマッサージし始めた。
これだけで、俺のケツの穴はもうヒクヒク疼き始める…。
マッサージを初めてからそれほど間を置かずに、キイチの指先が、ツプッと、肛門から入って来た。
異物感と、軽い圧迫感があるのはいつも通りだ。
でも、この後気持ち良くなる事を知ってるから、我慢しながら期待を胸の中に溜め込む。
ぬるっと、ゆっくり俺の中に入ってきた指は…、…あ、あれ…?なんか…、なんかいつもとちょっと違う?
ケツの穴が内側に向かってググっと…。入って来る指に引っ張られてくような感覚…。
ずぶ…ずぶぶ…って、いつもより…、おいおい!なんか深い!?
…キイチは、体重をかけて指を押し込んで来てる!?
「ちょ、だ、大丈夫?なんか、いつもより奥…、っん!」
腸壁が内側から背骨側に向かって、キイチの指でくいっと押し上げられた。
「痛い?ちょっと刺激してみるけど、痛くなったら言ってね?」
「んっ…、だ、大丈夫…そう…!」
キイチが膝立ちで姿勢がしっかりしてて、力が込めやすいからなのか?
細い指はいつもよりかなり深く入り込んで、俺の中をまさぐる。
「もうちょっと深く入れてみるね?」
え?うそ?まだ奥まで入んのか!?本当に大丈夫かこれ!?
「あふっ…!」
若干不安になった瞬間、ずぷぷっと、キイチの指がさらに奥まで入ってきた。思わず妙な声が出た!
ケツの穴の周りに、開いたキイチの指の付け根が当たる。
根本まで入れられんのは初めてじゃねぇけど、キイチの体重がかかってケツ自体が押し込まれてるせいか、指先はこれまで
に入った事がねぇほど奥まで届いてる…。
「平気そう?」
「んっ…。大丈夫…、あ、あぁっ!」
初めて触られる腹の奥、キイチの指は腸を内側から外側に、ポイントを変えながらクックッと押してく。
キイチの指に刺激されて…、あ、あっ…!なんか、なんか妙な感じがするぅっ…!
指が触れてきてるのは、いつもの前立腺刺激してる時とは違う、もっともっと、ずっと奥の位置だ。
普通刺激を受けねぇポイントだからなのか、快感とも不安とも異物感ともつかねぇ刺激で、なんか、妙な心地にぃ…!
「んぅっ!あ、あぁっ!うっ、んっ…!」
腸内をまさぐられる感触に、声が出てくんのを止められねぇ!
背に被い被さるように体を預けたキイチは、喘いでる俺の丸尻尾を甘噛みした。
「んひぁっ!」
「さっちゃん。かわいいよ…」
声を上げた俺に囁くと、キイチは腕を伸ばして俺の腹をさする。
重みでぼよっと下に垂れてる腹が、キイチに揉まれてタプタプ揺れた。
…タプタプ…?…や、やべぇ…、マジで体絞んねぇと…!
キイチの指は、俺の中の深いところをしばらくまさぐり続けた後、ずずっと抜けていって、少し浅い位置に戻ってく。
「あっ…はっ…!あふ…!」
ケツの穴が引っ張り出されてくような感覚に、また声が漏れる…!
二本に増やした指を、いつものスポットにあてがったキイチは、俺の腰に覆いかぶさるようにして、左手を脇腹の方から下
に回した。
弛んだ腹の下、だらしなくヨダレを垂らしまくってる俺のチンポが、キイチの手に握られる。
…え?あ、あれ?これって…?
「き、きっちゃん!?待って!待ってぇ!前後同時はダメ…、いはぁぁああああっ!?」
ケツとチンポは同時に弄らねぇ。それが俺とキイチの約束だ。
あんまりにも刺激が強過ぎて、俺がおかしくなっちまいそうだから。そう約束してる。…してるのにぃっ!
ケツに潜り込んだ二本の指が、指の腹でソコを下向きに押す。
チンポを掴んだ方の手は、クチュクチュと音を立ててしごいてる。
その人差し指が、余ってる皮の先っぽから入り込んで、亀頭を刺激し始めた。
「あっ!あっ、あああぁっ!ら、らめ、らめぇ…!お、お願…、きっちゃ、んぅっ!ゆ、ゆるし、てぇ…!せめて、か、片方、
にぃ…!も、もも、もぉらめぇえええっ…!」
前後同時に刺激され、許容範囲を軽く超えた快感で、頭が真っ白になる…!
膝から、脚から、腰から力が抜けて来るっ…!
俺はシーツを握り締めて、半泣きになりながら、それでも必死になって腰を上げ続ける。
「い、いふっ!うぅっ…!んくっ、…うっ!あ、や、やめ…、ゆるし…、んあぁっ!」
「さっちゃん…。かわいいよ…。もっと、声出して…」
上げた尻に覆いかぶさるような格好のキイチが、恥かしいながらも嬉しい言葉を囁いてくれる。
「き、きっちゃあ…ん…!も、もう…、俺…、イ、イっちゃ、う…!」
ヘロヘロになりながら訴えると、キイチは小さく頷いて、
「出しちゃって良いよ、いつでも…」
尻の中に埋めた指で、クチュッと、前立腺を刺激した。
「ひぅっ!?あ、あ、あっ!んあぁぁああああああっ!」
シーツに顔を埋めたまま、俺は堪らずに声を絞り出した。
くっくっと、キイチの指がソコを押してくる度に、痛ぇほど硬くなった俺のチンポがヒクヒク動く。
声を上げ続ける俺のチンポから、精液が溢れ出す。
キイチが皮の先から指を突っ込んでるせいで、行き場がなくて、被ってる皮の中に精液が溜まった。
余った皮が精液で一回膨れて、それからコポコポと、キイチの指との隙間から溢れ出す。
「んあっ、ああっ!あ、あああ、あひっ!あぁあっ!きっちゃ…、きっちゃぁん!んふぁあああっ!」
繰り返し、繰り返し、前立腺を押すキイチの指の動きに合わせるように、押し出されるように、精液が零れる。
精を吐き出し続け、連続で達しながら、俺はあられもねぇ声を上げてよがり狂う。
誰にも見せらんねぇ痴態を曝してる俺のチンポを、キイチはきゅうっと、絞るように強く握った。
頭ん中はもう完璧に真っ白、何も考えられなくなった状態の俺は、溜め込んでたモンを全部吐き出させられた後、
「あ…、あふぅう…!」
力尽きてぐったりと、ベッドの上に潰れた。
「良かった?」
うつ伏せに潰れた俺の背中をさすりながら、笑い混じりに尋ねて来たキイチに、俺は声も出ねぇ状態で、耳を伏せながらこ
くっと、小さく頷く。
…今更だけど、恥かしい…。
前後同時攻撃はナシって、約束してたのにぃ…!
心地良い気だるさに身をまかせて添い寝しながら、俺はキイチの耳を甘噛みした。
俺の首周りをゆっくり、優しくさすりながら、キイチは呟く。
「大丈夫だよ」
その励ましが、気遣い自体が嬉しい。
こいつは柔道部の事を、俺と主将の事を気にかけてくれてる。
事情を深く、良く知ってるから、俺が落ち込みそうなのを察してくれてんだ…。
「…うん…」
俺は、華奢で小さくて、そしてあったけぇキイチの体を、軽く抱き締めた。
…最高の…抱き心地…。
何となく判った。キイチは、俺を元気付けたかったんだ。
こんな事してる間ぐれぇは、心配事も、不安も、何にも考えねぇようにって、いつにも増して強く、愛撫してくれたんだろ…。
不安が完全に消えたわけじゃねぇけど、キイチが傍に居てくれるだけで、気分が落ち着く…。
甘えてばっかは居らんねぇんだけど、キイチが一緒に居てくれれば、自分一人で居る時の何倍も頑張れる…。
キイチの匂いを胸一杯に吸い込みながら、俺はやがて、ゆっくりと、眠りに落ちていった。
この時ばかりは、不安も完全に忘れて…。
俺と主将は道場で、今日も畳の上に座り、無言のまま引き戸を見つめてた。
…仮入部期間最終日が、もうじき終わる…。
クラスメートにも、他のクラスの暇そうなヤツにも声をかけてみた。
…でも、首を縦に振ってくれたヤツは、たったの一人も居なかった…。
「残念だけど…、駄目かな…」
主将の呟きに、俺は答えられなかった…。
…俺はまだ良い、あと二年ある…。最悪の場合は来年の再結成に賭けられるから…。
そりゃ残念は残念だけど、来年の柔道部始動に備えて、一年間自主トレすりゃ良い…。
…けどよ…、主将は…、主将は三年だから…、今年が最後なんだ…。
「締め切り、ちっとだけ伸ばしてもらうとか…、そういうのはできねぇんすか…?」
「できない…。今日の時点で受理できた入部届で、名簿を作らなきゃならないから…」
…本当に…、もう、打つ手がねぇのかよ…?
…いや、まだだ!今日中に一人見つけりゃセーフなんだ。
寮に帰ったら、一部屋ずつ回って土下座してでも、入ってくれるヤツを見つけてやる!
項垂れたまま黙り込んで、そんな事を考えてた時の事だった。俺の丸耳が、微かな声を捉えてピクっと反応したのは…。
「どうしたんだ?」
ガバッと顔を起こした俺を、主将が訝しげに見る。
声は、こっちに近付いてくる…。もしかして…!?
「失礼します」
引き戸を開けて顔を出したのは、見知った三人の顔。
「キイチ…、ウッチー…、シンジョウまで…」
三人は道場を見回し、「やっぱりなぁ」とでも言わんばかりの顔をした。
「たまたまそこで会ってね。あ、寮監、これ差し入れです」
ウッチーは手にした紙袋から缶ジュースを取り出して見せた。
「まさか、同じ事を考えてる人が、他にも居るとは思わなかったわ」
シンジョウはそう言うと、制服のポケットから二枚の紙を取りだし、ひらひらさせた。
ウッチーも同じくポケットから二枚の紙を取りだす。
…あの紙って、もしかして…?
「お前ら、何で…?」
二人が手にしてるのは、俺もついこの前使った用紙…、入部届だった。
…まさか…?
「シンジョウ。お前新聞部に入るんじゃ…」
「そのつもりよ。柔道部が存続できたらね」
そう言って、シンジョウは二枚の入部届をかざして見せた。
一枚は新聞部。もう一枚は…柔道部になってる?
「ウッチーも…」
「…まぁ、ボクも同じだな…」
ウッチーが見せた入部届は、一枚が化学部、もう一枚が柔道部だ…。
そしてキイチは、ポケットから一枚の入部届を取り出す。
「キイチ…、お前…?」
キイチはニッコリ微笑むと、二人に向かって首を横に振った。
そして俺達に向き直ると、主将に歩み寄って入部届けを差し出す。
「乾樹市。柔道部、入部希望です」
「待てよキイチ!お前、他にやりてぇことが…!」
驚いたようにキイチを見つめる主将の横で、俺は反射的に大声を上げた。
「うん。やりたいことはあるよ。色々とね」
キイチは俺の言葉を遮って口を開いた。柔らかく、優しく、穏やかに微笑みながら…。
「これも「やりたいこと」の中の一つ。君が柔道をするのを、見ていたいから」
「きっ…ちゃ…」
微笑んでるその顔を見たら、言葉が出て来なくなった…。
…キイチ…、お前もしかして…、誰も来なかったら自分が入るって、決めてたのか…!?
思い出してみりゃあ、ここ数日のキイチの態度は、どこかおかしかった。
俺を気遣ってくれながら、やけに「大丈夫」を連発してた。
その「大丈夫」って…、こういう意味だったのか…!?
最悪の場合は自分が何とかするから、そういう意味だったのか!?
キイチ…、俺のために…、俺なんかのために…!
…まただ…!俺は…、自分に向けられてる気遣いに、気付けなかった…!
去年何度も悔やんだのに、俺はまた、キイチの思いに全然気付けなくて…!
腹が立って、悔しくて、情けなくて、涙が出そうになった…。
声も出せなくなって、拳を握って肩を震わせてる俺に、キイチは目を細くして、ゆっくりと頷いた。
「大丈夫だよ…」
そう、笑いながら呟いて…。
キイチは主将に向き直ると、
「あ。でも主将?僕は運動からっきしですから、マネージャー希望です。戦力にはなりませんけど、これでも柔道は好きなん
ですよ?これまでは観戦のみでしたけれど」
そう言いながら、主将の手に押し付けるようにして、入部届を手渡した。
「それでも、部員として認めて貰えますか?」
上目遣いに、覗うように言ったキイチに、主将は…、
「ありがとう、イヌイ…。実際に自分でやらなくとも、柔道が好きなら、入部を断る理由なんてない。もちろん、歓迎する!」
そのクリーム色のちっこい手をがしっと掴んで、目を潤ませて笑顔で言った。
キイチは照れ笑いしながら視線を巡らせ、俺の顔を見る。
「そんな顔、しないでよ?これも、自分で決めた、僕の「やりたいこと」なんだから」
「…済まねぇ…!」
情けねぇやら悔しいやら…。俺はただただ、済まなくて、嬉しくて、キイチに頭を下げた。
「さて、一件落着かしら?」
「そうらしいな」
シンジョウとウッチーは顔を見合わせると、入部届をポケットに戻した。
「それじゃあ私は失礼させて貰うわね。入部届出して来なくちゃ。お邪魔しました、先輩」
「ボクも行きます。あ、差し入れここに置いて行きますね?歓迎会に使って下さい」
俺は引き戸を開けた二人に向き直り、居ずまいを正した。
「ありがとよ。二人とも…。恩に着る」
「気にするなよ。ま、借りておきたいなら、貸しにしておいてやるけど…。今回恩に着るのはイヌイに、だろ?」
「そういうこと。期待してるんだから、頑張ってよね?もちろん取材拒否は無しでお願いね?」
ウッチーがニヤリと笑い、シンジョウがウィンクした。
…俺、ホントに良いダチ、持ったよなぁ…。
三人だけが残った道場で、俺達はウッチーが差し入れてくれたジュースで乾杯した。
「これで存続条件は満たせた。あとは顧問の先生を見つけるだけだ!」
主将は嬉しそうな笑みを浮かべてる。
気持ちはよ〜っく解るぜ、俺だって嬉しくて堪んねぇや!
キイチは缶の緑茶を啜りながら、主将に尋ねる。
「来て早々なんですけれど、明日からの予定を教えて貰えますか?僕、マネージャー経験も無いので、やらなきゃいけない事
や、できる事を把握しておきたいんですけれど…」
「ああ。まず明日は、各部の責任者が集まって部員数の報告や、予算の要求なんかの会議を開くからね。結構かかるはずだか
ら部活自体は休みにしよう」
「うす。んじゃ俺は道場修繕用の材料でも見積もって来るかな…」
顎をさすりながら壁の穴や天井の染みを眺め回してると、
「あ!なら、僕も一緒に行くよ。必要な費用の計算、手伝うね?」
キイチがピッと手を上げて同行を申し出てくれた。
「明後日からは活動開始だ。あとは予算が決まったら、相談して使い道を決めよう」
「解りました」
「うっす!ぬははっ!うずうずして来んなぁ!」
「だな。やる事は沢山あるが、それもまた楽しみだよ。それに、今夜はやっと、安心して眠れそうだ…。実は最近寝つきが…」
「あ。それ俺もっす…。もうベッドに入ってもモンモンとしちまって…」
「実は僕もだったり…。あははは!皆同じでしたね?」
それからしばらく、俺達は明るく笑いながら道場で話し込んだ。
柔道部の存続が決まった事で、雰囲気は一気に明るくなった。
最低人数しか居ねぇけど、柔道が続けられるんだ。文句なんてあるはずもねぇよ!
久々に晴れ晴れとした気分で寮に戻った俺は、部屋に戻り次第、キイチの顔にキスの雨を降らせた。
キイチが俺の為を思って決断してくれた事だ。もう、謝ったりはしねぇ。
後はただ、俺のために決断してくれたこいつに後悔させねぇように、そしてかっこいいトコ見せてやれるように、思いっき
り柔道に打ち込むだけだ!