第三十話 「サツキ君とも似てるよ?」
「ふわぁ~…!立派な寮だね!」
門を抜けた所で外観を見上げる僕の感想で、二歩先を行くイイノ君が「でも古いだろう?」と短い首を巡らせて振り返る。
「「古い」じゃなくて、「年季が入った」っていう表現の方がしっくり来る印象。だって、ボロでもないし、ガタも来てない
でしょ?」
「お?判ってんじゃねぇかキイチ!見ろよ、屋上のすぐ下の角の辺りからとか、巡らす格好で丁寧に補修補強してある。大事
にしてんだろうな」
隣のサツキ君が指差しで指摘する箇所は、よく目を凝らすと、所々壁のペンキを塗り直した跡とか、ひび割れを埋めた痕が
見える。でも傷んでるって気はしない。
僕らの寮と違って、ここの部屋は全部個室で、しかもそれが男女それぞれ3棟ずつあるとか…。流石は学園都市、醒山だね。
「建物は確かにマメな手入れがされてるかもね。傷むと早いらしいからな、寒暖の差と雪の重みとかで。…ただ、中の設備は
ちょっと…」
「どっか不味いのか?空調とか、水周りとかか?」
「いや、洗濯機とか乾燥機とか、備え付けの器具の方にガタが来てる」
「あ~…、寮暮らしの人数多いと使う回数も段違いだもんな。ウチの寮のは結構新しいヤツだけどよ、あれって…」
「買い換えたばかりなんじゃないか?羨ましいな、こっちはロートルばっかりで、モノによっては寮監が機嫌取らなきゃ動か
ない。子供にそうするみたいに、抱っこして揺すって…」
「ぬははははっ!なんだそりゃ!」
「いやこれが事実だから困るんだって…」
言葉を交わすイイノ君とサツキ君は、久しぶりに会うはずなのに気心知れたやりとり。付き合い長いからかな?
僕らの後ろにはイワクニ主将とオジマ先輩。ずっと喋ってるけど…全部柔道談義。はっきり言ってビギナーマネージャーの
僕が参加できる内容じゃない…。根っからの柔道好きだからなのかなぁ、すっかり意気投合しちゃってる。
調整の稽古をさせて貰った僕らは、イイノ君とオジマ先輩の寮を見学させて貰える事になった。…最初はふたりとも渋った
んだけどね、何も面白い事なんかないぞ、って。でも結局サツキ君が押し切った。将来の参考に建物の構造を見たい…、って。
イイノ君達が生活してる場としてじゃなく、大工になる将来の為に建築物として勉強したい。…かなり無理矢理な建前だっ
たんだけど、オジマ先輩が「なら仕方ない」って首を縦に振ってくれた。…先輩って意外と単じゅ…いや、純粋なんだね…。
「一応、玄関ロビーで来訪者名簿にサインして貰わなきゃいけないからな?代表で誰かと、他二名って書き方で良かったはず
だけど」
そう説明しながらイイノ君は玄関扉に手を掛けて、目を細くしてちょっと誇らしげに微笑んだ。
「ようこそ!醒山学園男子寮三号棟へ!」
僕、乾樹市。星陵の一年生でクリーム色の猫。マネージャーをしてる柔道部の全国大会参加で、皆と一緒に北街道に出張中。
初めてお邪魔する他校の寮に、実はさっきから興味津々…。
イイノ君が大きく開けた扉の向こうには、まず広く取られたロビー。冬場には大活躍するんだろう暖房の大きな排気口が、
壁面下部にずらっと並んでる。真ん中には年中通してそのままなんだろう、サツキ君ぐらいもある分厚くてごっつい大火力ダ
ルマストーブが備え付けられてる。居座ってるそれを囲むベンチと椅子から北国情緒が感じられた。
何て言うんだろう、内装とか壁の色使いとか、豪雪地帯の北陸にある僕らの寮ともちょっと違う、印象からしてあったかい
デザイン…。
「へぇ~!北欧風かよ、洒落てんな!」
サツキ君が内装を一目見るなり声を大きくした。…流石は大工さんちの息子…。
じっくり見て回りたくなるオシャレで珍しい内装なんだけど、イイノ君やオジマ先輩はこの寮しか知らない上にすっかり慣
れた景色みたいで、いまひとつピンと来てないみたい。
サツキ君は、建てられた年代を訊いたり、大規模改築とかがあったのかどうか気にしたりしてるけど、オジマ先輩もイイノ
君もあんまり詳しくないみたいで、はっきりした事は判らなかった。
「寮監なら知ってますかね?」
「変な事にも詳しいからな」
イイノ君とオジマ先輩が言い交わす。寮監?
「寮監は三年生だが、十年居る先生より詳しい事もある。ひょっとしたら知っているかもしれないが…」
「ここも生徒が監督生をやる制度なのかい?」
口を挟んだのは、階段の手すりとか壁とかストーブとかを珍しそうに見ていたイワクニ主将。
「ええ、寮にひとりずつ居ます。勿論みんなやりたがらないポジションですけど…。え?」
「ああ、当たったら貧乏くじと言える役職だな。…ん?」
僕とサツキ君がイワクニ主将を指差したら、主将で寮監って伝えてた事を思い出したらしいイイノ君とオジマ先輩は、決ま
り悪そうに耳を倒した。
「あ、いやいや!実際そうだから!」
いいひと過ぎる主将は両手を左右に振って笑う。…ひょっとして主将も貧乏くじ引いたクチなのかな…。
「あ!お帰りイイノ」
歓談する僕らは、階段の上から響いた声で視線を上げた。トテトテッと軽快に降りてきて、ピタッと途中で止まったのは、
コロッと小太りな男の子。
…えぇと…、何て言ったっけ?このタイプの猫種…。垂れ耳でキュートな種の…あ!スコティッシュフォールドだ!
雑種の僕からすればちょっとキラキラして見える純粋種の猫は、背丈は平均よりちょっと低いぐらいだけれど、肉厚で手足
は逞しい。イイノ君とかと比べたら小振りに見えちゃうけど、いかにも丈夫そうな体型だった。
そんな彼は、何でか階段の途中で止まったまま、口を半開きにしてじっとこっちを見てる。視線は…、えぇと…、サツキ君?
顔を見上げてみたら、サツキ君もじっと見られて気になったのか、会った事あるっけ?的な顔で少し首を傾げてた。
「ただいま、スゴ」
イイノ君が声をかけたら、スコティッシュ君はハッと目を大きくして、トテトテッと転がるように素早く階段を降りてきた。
「オジマ先輩もお帰りなさい!」
「うむ」
厳めしい虎と挨拶を交わしたスコティッシュ君を、イイノ君は「スゴっていうんだ。寮仲間で同級生」と紹介してくれた。
耳もぺったり下がってるから顔も妙に丸い、愛嬌のある顔と友好的な表情のスゴ君に、イイノ君が僕らの事も紹介してくれ
る。…相変わらず何故かサツキ君を気にしてるけど…。
「こっちは中学の同級生で、アブクマとイヌイ。それからこちらが三年生のイワクニ先輩。三人とも星陵っていう高校の…」
「せーりょー…、星陵!?」
スゴ君はパッと顔を輝かせた。名前を知ってたみたい。野球強いしね。
「あ。知ってるのか」
なら説明し易いな、と顔を綻ばせたジェントル猪の前で、スゴ君はズイッと、何故かサツキ君に詰め寄った。
「星陵ってあの星陵!?」
「おう、たぶんその星陵!」
嬉しそうな興味深そうなスゴ君に、よく確認しないまま答えるいつものさっちゃん。
「北陸の!?」
「そう、北陸の星陵!」
「北陸の大横綱の学校!?」
「北陸…ん?」
サツキ君が僕の顔を見てきた。…いや、僕もちょっと判んないよ?
「もしかして大横綱も来てんの!?」
目をキラキラさせるスゴ君。あれ?話が何か変な方向に…?
「せっかくだから一番おなしゃーっス!あ、稽古場行く!?稽古場行くっ!?勝負勝負!」
「あ~………。何だこれ?」
サツキ君も意味が判らないみたいで、きょとんとしながら僕に問いかけるような視線を向けてくるけど…、やっぱり僕だっ
て判んないよ?ふたりでイワクニ主将を見るけど…、主将もスゴ君が言ってる事が判らないっぽい。首を傾げ気味…。
「スゴ」
「うーっス!」
オジマ先輩が声をかけたら、スゴ君は向き直ってピッと背筋を伸ばし、コミカルな気を付け体勢になった。
「ソイツは柔道部員だ」
「うーっス!……………うっス?」
目を見開くスコティッシュフォールド。オジマ先輩は僕らに目を移して「コイツは相撲部だ」と、スゴ君の肩に手を置いた。
「スゴには、ガタイがいい相手を見ると相撲部員という前提で話しかける習性がある」
習性って…。
「まず確認はしない」
しないんですか…。
「アブクマの体を見て勘違いしたようだ」
それはなんていうか納得です。
「相撲部じゃないんだ…」
垂れ耳をぺったり下ろしてショボンとするスゴ君。
「マネージャーが言ってた、見るだけで「強い!絶対に強い!」ってわかるっていうアレだと思ったのに…」
何だろう?僕達が何かしたわけじゃないのに、ちょっと悪い事したような気になっちゃうショボリぶり…。
「ねぇ、サツキ君」
「ん?」
「相撲勝負してあげたら?できるんでしょ?相撲」
「ええ?」
「えっ!?」
顔を顰めるサツキ君。顔を上げるスゴ君。
「俺ぁド素人だぞ?」
「でも、ケントに言われて出た相撲大会で優勝したんでしょ?」
「ありゃあ子供の、しかも素人の大会で…」
「相撲大会で優勝!?」
跳ね上がった声が、サツキ君の言葉を遮った。目をキラキラさせるスゴ君はサツキ君の顔をじっと見上げてる。
「やばい!テンション上がるぅ~!」
背中を丸めてイエス!なガッツポーズになって、尻尾をフルフルさせるスゴ君。対して困り顔のサツキ君は…。
「お?何か盛り上がってる?お客さんか?」
「え!?」
聞こえてきた声に、急に大きな…そしてちょっと可愛くなった声を漏らしながら反応した。
サツキ君が見上げたのはスゴ君が下りてきた階段。そこの踊り場からノソォッと姿をあらわしたのは、浴衣姿の巨大な羆。
でっぷり…いや恰幅が良くて、丸々と…いや貫禄があるひとだった。涼しげな浴衣の薄い生地を通して、ムッチリタフタフ
な肉付きの良さが判る体型…って…、さ、サツキ君よりおっきい!
「あれ?アブク…え!?」
イワクニ主将が階段の上の熊さんとサツキ君を見比べた。人間の主将からだとサツキ君そっくりに見えちゃうんだろうね。
「寮監です」
イイノ君が傍らのイワクニ主将に説明する。今度は僕が、思わず階段の上の熊さんとイワクニ主将を見比べた。…同じ寮監
なのに全然違う…。
「寮監。こちら、中学の後輩と、世話になっている先輩で…」
オジマ先輩が僕らの事を紹介する間に、大きな羆さんはのっそのっそと、大きな体と浴衣がはちきれそうになっているお腹
を揺すりながら階段を降りてくる。顔の作りはゴツめなんだけど、興味深そうにキョロッとした小さな目も、ちょっと笑って
る口元も、全身真ん丸いフカフカしたフォルムも、愛嬌があるし優しそうだった。
僕らのすぐ前まで歩いて来た寮監さんは、ニッコリ顔を緩ませて歓迎してくれた。
「長旅ご苦労さん。っていうか、大会に来てるんだから本番はこれからなんだな?俺はヤマト、この寮の世話人で雑務担当っ
て所、よろしく!」
…あれ?何となく聞き覚えがある声?…ううん、間違いなく初対面だよね?会ったら忘れられそうにないビジュアルだし…。
目を細くしているヤマト寮監は、「ん?」と目を動かした。視線が向いたのはサツキ君の顔…って、うん?サツキ君、目が
真ん丸。口をパクパクさせてる…。
「どうかしたか?」
気さくに話しかけたヤマト寮監は…、
「お…?なんかデジャヴあると思ったらアイツに似てる…!」
って、目を丸くして笑った。
「あ、あ、あの…、俺…、アブクマ…」
サツキ君は少しつっかえながら自己紹介した。…何だかドギマギしてる?耳はせわしなくピクピクしてるし、緊張気味の顔
だけど、…何だろう?ちょっと様子がおかしい感じ…。
「これから相撲勝負してくれるんス!」
スゴ君がピョコピョコ跳ねて言ったら、ヤマト寮監は「お?良かったなスゴ」と、…何だかちょっと微妙な半笑い?
「ちょ、ちょっと待てよ!」
ちょっと様子がおかしかったサツキ君が、普段の調子に戻って声を上げた。
「勝負するなんて言ってねぇぞ!?それに、ちょこっと齧っただけの俺が、部活でやってるヤツとまともにやれる訳ねぇだろ?
勘弁しろって…」
「いや、そうでもない」
口を開いたのはオジマ先輩。
「確かに、相撲の立ち合いからとなれば難しいだろうが、海外では相撲と似た格闘技で、組み合った状態から開始する形態の
物もあったはずだ。変則マッチだが、そういった形式ならアブクマにもできるだろう?」
そう言われたサツキ君は、「そりゃあまぁ…」って、オジマ先輩と、目をキラキラさせてるスゴ君を交互に見る。
「体当たりしたり頭突きしたりってトコから始めねぇなら、なんとか…」
結局、期待の視線に押し切られたサツキ君は、渋々承諾した。
やったね!実はサツキ君がお相撲さんの真似するところ、前からちょっと見てみたかったんだ。ケントに言われてやってみ
て、変わるきっかけになったっていう子供相撲大会…、僕は当時近くに居なかったから…。
寮の裏手には庭園があった。芝生の庭を植木が区切る遊歩道やベンチつきで、ぐるっと囲む塀の内側には背の高い木が並ん
でる。
その芝生の一角で、サツキ君はスコティッシュフォールドと向き合った。ふたりとも上半身裸で、下はジャージズボン。
「足の裏以外が地面につくか、白線から出たら負けだ。投げは自由だが打撃は無し」
オジマ先輩がルールを確認してる間に、ヤマト寮監が妙に小さく見えちゃうライン引きをコロコロ転がして、綺麗に石灰の
円を引いてく。…寮監なのにホントに雑用してる…。
審判は要らないだろうという事で白線の円から出たオジマ先輩は、ふたりを促して組ませた。ジャージの腰のところを掴み
合う格好だけど…、これはどっちかって言うと相撲のスタイルだね。
サツキ君からすれば、襟が取れないからやり辛いし、寝技もダメで、制限が結構多い。でも、スゴ君からするとマワシじゃ
ないし、スタートの仕方も違うからやっぱりやり難い。不自由はお互い様だ。
「では開始」
サラッと普通の口調で言うオジマ先輩。あんまりにもサラッとし過ぎてて、虚を突かれたサツキ君とスゴ君が『え?』って
先輩を見た。
「始まっているぞ?」
いやあの先輩、盛り上げとかそう言うのは…?
「と…、とりゃー!」
戸惑い気味に声を上げたスゴ君は、自分の倍近いサツキ君のジャージの腰をしっかり掴んで、えぇと、たぶん、投げ?投げ
ようとして?
「っしゃ!」
スパンって、音がした。した直後にスゴ君の右足がポーンって横に飛んで、上半身が横に倒されて…、ドスン!
「みぎゃあっ!」
出足払いから豪快に捻り倒すサツキ君。なす術も無く芝生に叩きつけられるスゴ君。
「…考えてみりゃ襟と袖取らねぇ技で行きゃ良いんだな…。倒れたら敗けって事は、一本取る投げ方に拘んなくてもいいし…」
ポツリと呟くサツキ君。…言われて見れば、変則相撲っていうか…、立った状態で組んだところから始まるそれは、サツキ
君に有利なルールだった。そもそもスタートしたその瞬間には、組み手争いも無くもう足払いの間合いに入ってるし、相撲で
言うところのブチカマシとか、加速をつけた体当たりっぽいのとかが、全部できないんだ…。
「もっかい!もっかい!」
「おお」
ダメージ皆無、元気に跳ね起きたスゴ君と再び組んだサツキ君は、今度はスゴ君がモゴモゴッと押したところで、素早く体
を入れ替えて得意の大腰。
形式に加えて体格差もあって、完璧にサツキ君有利な勝負だけど、もしかしてオジマ先輩は、わざと不利な状況を用意して
スゴ君を鍛えようとし…、
「しまった。これではスゴが不利か」
ボソッと虎が漏らした声で、僕はただの予測ミスだった事を悟った。…でも黙っとく…。
一瞬で勝負がつくこと5回。まだまだぁっ!と勝負を挑むスゴ君を、サツキ君が沈めることさらに5回。見ている僕とイワ
クニ主将が顔を顰めることさらにさらに5回。
…さっちゃん、もうちょっとこう、手加減って言うか何て言うか…。
「すごいな」
感心の声を漏らしたのは、ヤマト寮監だった。
「あの体であれだけ機敏に動けるもんなのか?」
『お目が高い!』
イワクニ主将とオジマ先輩が即座に食いついた。
「アブクマは見た目のインパクトもあって、パワーとウェイトに目が行きがちになるところだけど…」
「同等に怖いのは、あの図体に見合わない機敏さと柔軟性、一回り小さい選手と同等の身ごなしの軽さ…総合的運動性能です」
…ちょっと鼻息が荒くなってる後輩ダイスキーズ…。いえ、あの、できれば誰かスゴ君のフォローをですね…。
「も、もっか…えふえっふお!」
また投げられて起き上がったスゴ君は、喋ろうとしたところで気管に唾が入ったのか、激しく咳をした。
「タンマ」
片手を上げて制したサツキ君は、息が上がってるスゴ君とは逆に、肩の上下が少し大きくなったぐらいでまだまだ余裕。だ
けど…、
「ちょい休憩しようぜ。あーキッツぅ!」
スゴ君の返事をきかないで、その場でドスンと座り込んじゃう。雑に見えるそれとない気遣いだ。
「ラジャー!」
ピッと軍人みたいに敬礼したスゴ君も、サツキ君と向き合う格好でペタンと胡坐をかいて、息を整えて休憩した。
「なぁ?お前さ」
額の汗を拭うスゴ君は、サツキ君が話しかけると「うん?」って、素朴に首を傾げた。
「何かこう…、チグハグっぽいんだけど、練習中か何かか?」
「え?」
スゴ君が首をさらに傾げる。フクロウみたいな首の角度になっちゃってるけど、大丈夫それ?
「チグハグ?」
「ん?いや、だからよ…。手足が」
「え?」
顔中疑問符だらけのスゴ君に、サツキ君は困り顔で頭を掻きながら、いろいろと確認し始めて…。
「アブクマも同意見か」
「これ、やっぱり完璧にそうなんじゃないですか?」
オジマ先輩とイイノ君が顔を見合わせる。
「ああ、ふたりが前に言ってたヤツか?」
僕はイワクニ主将を見る。主将も何か気になるみたいで眉根を寄せてたけど、僕の視線に気付いたら説明してくれた。
「彼、腕力もあるし、脚力だってかなりあると思う。けれど、それぞれの動きが噛み合ってない感じが…」
イワクニ主将と、オジマ先輩、イイノ君が言うには、体はしっかり鍛えられてるのに、それを全体で見ると動きがかみ合わ
なくなってるとかで…。
「つまり、体の使い方がヘタクソと言える。前へ出てぶつかる…というような単純な一つの動作なら問題ないが、組み合わせ
た運動になると、途端に歯車が空転し始める具合と言えばいいか…」
「複雑さが増すと処理エラー起こしてもったり重くなるPCみたいな感じ」
オジマ先輩の言葉を引き取ったイイノ君が、物凄く判り易いけど容赦ない表現で説明してくれた。
「部の先輩とかからは、注意貰わないのかい?」
「スゴは相撲部主将のお気に入りだ。すぐには難しくとも、きっとその内に何とかなる」
「へぇ、指導力ある主将?」
「いや、教えるというか…」
興味がある風で聞いたイワクニ主将に、オジマ先輩は一瞬黙ってから…。
「暴力的に揉まれる内に、生存のため、嫌でも最適解に辿り着くだろう」
…その、適応進化を強いられて改善される的な言い方が何か怖いんですけど…。
休憩を挟みながら少し話した後、サツキ君とスゴ君はまた立ち上がって組み合った。
「寮監も参加してはどうでしょうか?」
オジマ先輩がヤマト寮監に話しかける。
「よく誘われているでしょう?クロガ…もがっ」
「名前を呼んではいけないアイツの名をうかつに口にするな!壁に耳ありそこらにハルオミって言うだろ!?」
両手で顔の下半分を覆うように掴んでオジマ先輩を黙らせるヤマト寮監。大慌てだけど、どうしたんだろう?
「あれ?スゴ君、調子が良くなったかな?」
イワクニ主将の声で、僕は目をふたりに戻した。
素人だからよく判らないけど…、でも、何だか少しだけ、スゴ君の動きが良くなった?
スゴ君が投げられる。立つ。サツキ君が投げる。立つ。スゴ君がまた投げられる。立つ。サツキ君がまた投げる…。
繰り返すうちに、スゴ君はだんだん疲れてきてるけど…。不思議、逆に動きがスムーズになってきてる?
「評定射撃に時間がかかるというか、エンジンが温まるまで遅いというか、そういう性質なのかもしれないな」
イワクニ主将がそう評したら、「まったくその通り」とオジマ先輩が顎を引いた。
「何にせよ、調整稽古では準備運動が足りていなかったアブクマの発散と、スゴの変則練習としてはそれなりの効果があった
はずだ」
…あ!
僕とイワクニ主将が向けた目に、オジマ先輩は気付いてない。
…先輩、サツキ君の準備運動の延長で、この対戦を勧めたんだ…。
目を戻すとスゴ君の得意な方向で付き合う事にしたのか、サツキ君はスゴ君を抱え込むようにして踏ん張って、押し合い勝
負をしてた。前のめりになって足を後ろに踏ん張るスゴ君は、腰を抱えるタックルみたいな格好だから、顔がサツキ君のお腹
にめり込んでフガフガ言ってる。
お腹にめり込んだ口と鼻から吐かれる息がくすぐったいのか、サツキ君が唐突に笑って、変に力が入って引き付けられたス
ゴ君がピッコピッコと尻尾を立ててる。
なんだか楽しそう…!伸び伸び運動するふたりを見てたら、変化球じみてるけど、こういう準備運動もありかなって思った。
勝負はかなり長いこと繰り返されて、ふたりともすっかり汗だくになったところでオジマ先輩が終了を言い渡した。
ヤマト寮監が差し入れに持って来てくれたスポーツ飲料をがぶ飲みして、一息ついて笑い合ったサツキ君とスゴ君は、ずっ
と前から友達だったみたいな顔をしてる。肉体言語コミュニケーション、効果ばっちり過ぎるよ…。もしかして外国のひとと
も言葉が通じないまま打ち解け合えるんじゃ…?
「お疲れ様」
「おう、サンキュー」
冷たく湿らせたタオルを差し出したら、サツキ君は耳を倒して喜んだ。
「休憩中、スゴ君と色々話してたよね?どんなこと喋ってたの?」
「ああ、簡単なアドバイスみてぇなモン…かな?」
「アドバイス?」
「おう。大腰ってよ、腕で投げんじゃなく位置で投げる技なんだよ」
サツキ君はスゴ君に、自分の十八番を引き合いに出して、相手との位置関係、腰の重心、動作が一致すると綺麗に決まるん
だって、説明したらしい。
「で、投げるなり何なりする時、動かさねぇ点を一箇所決めてやってみたらどうだ?って言ってみた。キダ先生にも似たよう
なこと習ったしな」
「へぇ~。役に立つよ、きっと」
「だったらいいな。ぬははっ!」
笑ったサツキ君は、けれどすぐに笑顔を引っ込めた。少し緊張しているような顔で目を向ける先には、近付いて来るヤマト
寮監の姿。
「悪いな、付き合って貰っちゃって」
「…いえ…」
歯切れ悪く応じたサツキ君は、ヤマト先輩の顔をチラチラ窺う。…珍しいけど、苦手意識があるタイプだったとか?ヤマト
寮監、話し易そうなひとに見えるけど…。
「あの…」
サツキ君は少し躊躇いながら口を開く。
「「アイツに似てる」って…、さっき言ってたっすけど…。あれって…」
「ん?ああ…」
ヤマト寮監はポリポリ頬を掻いて苦笑いした。
「俺の弟と似てる気がして!細かいトコは違うけど、男らしい顔つきとか目鼻立ちとか、似てるんだよな~ちょっと」
「…そっすか…」
「ん?あ、もしかして気分悪くしたか?確かに、誰かに似てる…っていうの、褒め言葉じゃないもんなぁ」
「あ!そ、そういうんじゃなくてっ!」
慌てたサツキ君の声が、またちょっと可愛くなってた。
「…俺も、似てると思って…」
背中を丸めて首を縮めて顎を引いて、縮みながら上目遣いにヤマト先輩を見上げ、ポソポソ声を小さくする…、ちょっと昔
のサツキ君にも似た仕草を珍しがって見てた僕は…。
「兄貴と…」
!!!!!!!!
一瞬、時間が止まった気がした。
玄関口に立って、ニィッて笑って、居間に居るぜ、って肩越しに親指で後ろを示す、大きくて体格がいい熊の姿を、声を、
厳めしい顔なのに優しかった目を、僕は唐突に思い出した。
聞き覚えがあるような気がしたけど、そういう事だったのか…。
ヤマト寮監の声…、ミヅキさんにそっくりだったんだ…!
「へぇ~、そうなのか?弟に似てて、兄貴に似てる、ねぇ」
面白がっているような顔のヤマト寮監。
その顔で気付いたけど、ヤマト寮監はニィッて笑うと、何処となくサツキ君ちのおじさんにも似てた…。
それから時間ギリギリまで、僕らは寮の中を案内されたり、談話室で話を聞いたり、ゆっくり過ごさせて貰えた。
汗をかいたサツキ君はスゴ君と一緒にお風呂に行って、裸の付き合いまでしてきた。
イワクニ主将の苦労人な所にシンパシーを覚えたとかで、ヤマト寮監はディープな寮監トークを交わしてた。
そんな中、ちょっとの間だけオジマ先輩もイイノ君も話の矛先を向けていなかったタイミングで、僕はサツキ君に小声で話
しかける。
「…ひょっとして、ヤマト寮監とサツキ君って、遠い血縁だったりして…」
「ん?」
きょとんとするサツキ君。…でも珍しく積極的に電話番号交換持ちかけたりするぐらいだから、かなり好いてるんだと思う。
「サツキ君、前に言ったよね?ずっと昔に北街道に移住した親類も居たらしい、って」
大きな熊は目をまん丸にして、口をパクパクさせて、「あ、ああ…!そうか!」と掠れた声を漏らした。
「だ、だったらミヅキと声がそっくりなのも、判んねぇでもねぇやな…!」
「僕からしたらサツキ君とも似てるよ?」
「マジでか?何処が?」
「毛色とか眉毛とかがそっくり」
「…すげぇ部分的じゃねぇかソレ?」
「あと、自分の声だから気付いてないと思うけど、ミヅキさんと声が似てるって事はね、サツキ君とも似てるんだよ?」
「………」
サツキ君は少し黙った後…。
「あー、あー、あー…、ラ~♪ラ~♪」
おもむろに発声練習して耳を澄ませた。
「そこは録音とかして聞かないと無理じゃないかな…」
苦笑いした僕は、ヤマト寮監に対するサツキ君の態度がおかしかった理由に納得してた。
無理もないよ。大好きだったお兄さんと、そっくりな声だったんだもん…。
「…ミヅキさん居なくて寂しい?」
「そんなこと全然ないちっとも寂しくない」
焦ってるみたいに早口で応じたサツキ君は、また口調がちょっと可愛くなってた。
「連絡とか無いの?」
「ねぇよ。雷龍の国だかに居るんじゃねぇか?今も…」
つっけんどんな口調で言うサツキ君の耳が寂しそうに倒れてる事に、その目がヤマト寮監を見てる事に、僕は気付いてたけ
ど…、言わないでおいた。