第三十四話 「おかえりケイゴ君」

「帰りはまた夕方くらいかしら?」

「押忍。たぶん一昨日と同じ頃に…」

 玄関先へ見送りに出たお母さんに、シェパードは会釈して答える。

「気をつけてね、ケイゴ君」

「ああ」

 靴紐をキュッと結んで立ち上がった彼は、なんだか少し活き活きして見える。…表情は前と変わってない感じなのに、不思

議な感じかも…。

「今日も土嚢作り?」

「いや、土俵造りらしい」

 ???どひょー?

 疑問が顔に出たのか、ケイゴ君は「土嚢じゃなくて、土俵。相撲の」と説明してくれた。

「え?相撲の…、あの丸い舞台の土俵?」

「ああ。親父さんの会社で整備とかの依頼受けてる、強ぇ高校があるらしい。珍しいモンだろうからって、手伝いと…、まぁ、

さっぱり判らねぇから殆ど見学になるんだろうな」

「あれも大工さんの仕事なんだ…」

「土木の一種なんだろうな。…じゃあ」

 お母さんと僕に見送られたケイゴ君は、玄関を潜って蝉の声が響く強い日差しの下へ…。

 僕、乾樹市。帰省中の猫。え?名前呼び?…ああ、そうそう!僕もサツキ君も、ケイゴ君のこと苗字呼びから名前呼びに変

えたんだ。

 名前呼びするようにしたのは、この東護滞在で不便が出るから。サツキ君ちだと皆「アブクマ」で何だか呼び難くて、おじ

さんまで反応しちゃうから、相談して名前呼びにしたんだって。ウチでも同じく全員「イヌイ」で、やっぱりウチでもお父さ

んが耳を立てて反応した。だからこっちでもサツキ君と同じように、下の名前で呼び合う事にしたんだ。

 ケイゴ君がウチに来て三日目。そろそろ少しは慣れてきたみたいで、お母さん相手にドギマギしなくなった。紅茶の淹れ方

を教えて貰ったり、庭でミニバーベキューしたり、一緒に過ごす内に打ち解けてきたみたい。

 …まぁ、お父さんにはそうでもないんだけど…。元不良として警官には警戒する習性がついてるそうで、少し苦手意識があ

るらしい。お父さんの方はフレンドリーに接してるんだけど、ケイゴ君曰く「人の好さそうな顔と態度で近付いてくるキレ者

のオマワリが一番やり辛ぇ相手だった」との事…。

 ちなみに、ケイゴ君のお出かけ理由は、こっちに来てからちょくちょくやってる、サツキ君のお父さんのところでのお手伝

い。二、三日に一回ぐらい手伝いに行ってるんだけど、だいたいは半日程度の手伝い。今日は珍しく朝から夕方まで一日コー

スだ。肉体労働は得意っていう話だったけど、黙々と真面目にやってるって、おじさんも褒めてた。サツキ君の話によると、

「手抜きの仕方」が下手くそだって笑ってたらしいけど…。何でも、バテないように要所要所で取らなきゃいけない休憩でも、

ずっと気を張ってる感じなんだって。優等生すぎって、職場の皆さんも言ってるらしい。…優等生扱いかぁ…。

 ちなみに今日は、サツキ君はジュンペー君達と一緒に古巣…つまり柔道部訪問。OBチーム対現役チームで試合するんだっ

て。…あの部のOB、顔ぶれがとことんヤバ過ぎると思うんだけど…、現役チーム大丈夫かな…?

「キイチは今日一日家に居るのよね?お母さん町内会の集まりで出かけるけど、居ない間に書留が届いたらお願いね?」

「はい。ハンコは…」

「いつもの引き出し」

 お母さんと一緒に台所に戻って、レモンのアイスティーを飲みながらしばらく談笑。…長閑だなぁ…。

 お母さんは、町内会の夏祭り活動の収支計算を皆でやるから、近所の集会所に行く。お昼ご飯はちゃんとふたりぶん用意し

てくれてるから、来客の備えもバッチリ!

「あら…。また空き巣だって。怖いわねぇ」

 ニュースキャスターの声と現場の映像に耳と目を向けながら、お母さんがため息をつく。

「同一犯がどうの、絵画の連続窃盗事件、って昨日の夕方にもやってたヤツかな?しばらく続いてるの?」

「ええ。七月の頭くらいからだったかしら…。家には絵なんかないけれど、戸締りには充分気をつけなくちゃいけないわね」

 ニュースを一緒に眺めた後、お母さんは鞄とファイルを持って玄関に出た。

「七時前には帰って来るから。もし帰ってきたケイゴ君がお腹空いたって言ったら、冷凍庫のロールキャベツ解凍してあげて」

「はい。任せて!」

 お母さんを送り出した僕は、一度台所に戻って冷蔵庫を確認した。

 お昼ご飯に用意されたのは、冷製コーンクリームスープに、ゴマダレで食べる冷しゃぶ、デザートのイチゴムース。とても

僕ひとりで食べられる量じゃないけど、お客さんがお客さんだからこれぐらいで丁度良い。

 約束の時間まで一時間半ぐらいある。テレビ見ながら待と…、あ、ピンポン鳴った。お母さんが言ってた書留かな?

「はーい!今行きまーす!」

 ハンコを持って玄関に急いだ僕は…、

「あれ?ダイスケ君、早くない?」

 ドアを開けて、苦笑いしながら頭を掻いてる黒熊の顔を見て、首を傾げた。

「早く目が覚めて暇して…。まずかった?」

「ううん。予定とかもないから大丈夫だけどね」

 随分早く来ちゃったダイスケ君を招き入れて、自室に案内する。

「プリン買ってきた」

「有り難う!…お母さんイチゴムース作ってくれたけど、どうしよう?」

「両方食べよう!」

「僕は胃の容量がそんなに…」

 冷房が利いてる部屋に入って、冷気が逃げないようにすぐドアを閉める。

「…オシタリ先輩もここで寝てんの?」

 痕跡でも探してるのかダイスケ君が床を見回して訊ねてくる。…ちょっと不思議な顔。警戒してるような、羨ましそうな…。

「ううん。ケイゴ君には別の部屋を用意して貰えたから」

「そうなんだ?」

「ケイゴ君苦手?」

「苦手って言うか…」

 ダイスケ君は耳を倒して少し困り顔。

「応援団だし、真面目そうだし、あんま喋らないし、どういう話すれば喜ぶのか判んない感じでさ…。ジュンペーもそう」

 ………へぇ~…。

「ん?オイラ何か変なこと言った?」

「ううん、そういうわけじゃないよ」

 …驚いた。ジュンペー君とダイスケ君から見ると、ケイゴ君は「不良っぽくてとっつき難い」んじゃなく、「お堅い応援団

員」に見えてるんだ…!いや、それは悪い事じゃないっていうか、むしろ応援団っぽく見られるようになってきてるんだから

良い事だと思うんだけど…。

 ダイスケ君が持って来たバッグを下ろして、僕は部屋の隅から畳んである卓袱台を出す。

 持参して貰ったのは参考書とノート類…つまり勉強用具。ジュンペー君が勉強見てくれてるけど、僕も協力しなくちゃね。

…それにしても…、ジュンペー君は成績優秀で、柔道も強くてしっかり者。超文武両道学生だなぁ…。サツキ君もダイスケ君

も柔道突き抜け特化なのに…。

 と、卓袱台の足を起こしてた僕は、後ろからムギュッと抱きすくめられて動きを止める。

「ちょっと、ダイスケ君?まずこれから勉強…」

 前屈みの僕に後ろから抱きついて、背中に軽く重みをかけて来るムッチリ熊に抗議すると…。

「キイチ兄ぃ、帰って来てから結構よそよそしい感じ…!ジュンペーはサツキ先輩といっぱい話してるし、先輩達同士もよく

喋ってるのにさ…!」

 ダイスケ君はちょっとムクれた様子で唸った。

「え?そうだった?」

 自覚が無かったから、ちょっとポカンとしちゃった。…けれど、しばらく会わなかったのもあるし、確かにウツノミヤ君や

ケイゴ君の手前、あんまりくっつかないようにしてたかも…。遠ざけてる気は無かったんだけど、そっけなく見えちゃったの

かな?

「うん。もしかしたら皆の顔を窺って、気を付け過ぎてたかも…、ゴメンねダイちゃん」

 素直に謝ったら、機嫌を直したのかダイスケ君はフスーッと鼻息を吹いた。

「ううん。オイラもヤキモチとか、子供だった…。文句言ってゴメンなキイチ兄ぃ」

 …純心純朴素直過ぎ…。こんなんじゃ口先だけでもコロッと騙されちゃうんじゃ…。いや、すぐに機嫌を直してくれるのは

助かるけども…。

「それじゃあ、今日はたくさん話をしようね?」

 身を離して向き合った僕に、ダイちゃんは「うん!」と小さな子供みたいな輝く笑顔で頷いた。

「勉強が終わってから」

 それでも使命を忘れはしない僕の発言で、ダイちゃんは「…あい…」と小さな子供みたいにしょぼくれた。



 みっちり勉強して、少し早めにお昼を食べて、頭に栄養が回ったところでさらに勉強。

 こんなんだったら早めに来るんじゃなかった、と正直に零す黒熊。

 何をおっしゃいますか、それだけ早くノルマが終わるんですよ?はい、次はさっきの応用です。計算式はもう覚えましたよ

ね?大丈夫君ならできる。もしできなくてもできるようになるまでやる。さあファイトです。

「…うん。じゃあ今日はここまで」

「ぐへぁ~…!」

 終了宣言した途端、ダイちゃんは後ろに引っくり返った。

「頭から湯気出るぅ~…!」

 ダイスケ君の学力は…、まぁ、うん。アレ。率直に言ってジュンペー君の努力が偲ばれる。

 頑張ってジュンペー君…。残り時間あまり無いけど、こっちに居る間は僕も手助けするから…。

「それじゃあ、イチゴムース出してこようか?」

「ゼヒ~…!」

 すっかりグロッキーになってるよ…。

 冷蔵庫からお母さんが作ってくれたイチゴムースを出して、頑張ったご褒美に僕の分も半分追加してあげる。ヒンヤリして

いて甘酸っぱいイチゴムースで息を吹き返したのか、ダイスケ君はすぐに元気になった。…というよりも、勉強しただけで重

病人みたいな状態になるのはどうなんだろう…。

「キイチ兄ぃ、結構スパルタ…」

「え?いやそんな事は無いよ?」

「ジュンペーと良い勝負…」

「ジュンペー君も?」

「トータル四時間勉強とか絶対におかしい…。絶対にだ…」

 二回も絶対って言うほど!?…たぶんそれ客観的に見て普通で、君が勉強嫌いなだけなんじゃないのかな…。学校の授業と

かどうしてるの…。そもそもスパルタって言うのはウツノミヤ君がケイゴ君にやってるような教え方だと思う。だいたい書留

が来た時も休憩したし、トイレ休憩もしたし、飲み物休憩もしたし、学校の授業と同じくらいのペースで休息入れてたのに…。

「じゃあ、ここからはフリータイム?」

「うん。勉強はおしまい。いっぱいお話する?」

 ダイスケ君はニマッと顔を緩ませて、座卓を回り込んできた。そして僕の脇でお腹を上にしてゴロンと横になる。…大きな

ワンコみたい…。

「で、学生寮の話とか聞きたい!飯とか、風呂とか、共同生活でどうしてんのか、詳しく」

 電話でもちょくちょく話した事を、僕はせがまれるまま話す。

 大きな黒熊は大きなワンコみたいに引っくり返ったまま、耳をこまめに動かして、表情豊かに僕の話を聞いてた。

 甘えるようにグイグイ身を寄せてくるダイちゃんは、結局僕が膝枕する格好で落ち着いた。

 大会のために鍛え込んだ体は、前よりズッシリしていて、何処もムチムチと筋肉の弾力が強い。サツキ君とは違って被毛は

寝ていて、黒光りして艶やか。胸やお腹をさすってあげたらエヘヘッて喜んだ。…ホントにワンコみたい…。

「見学楽しみだな~…」

「うん。もうすぐだね」

 そうそう。ジュンペー君とダイスケ君は、夏休み終わりに星陵見学に来る事になったんだけど、ついでに一日体験入寮する

事になった。

 体験入寮制度は、本来ならもっとずっと前から申し込んでおかなきゃいけなかったみたいなんだけど…、申し込み方法と制

度の利用について相談したら、トラ先生が校長先生に掛け合って特別に許可を取ってくれた。他の申し込みと被ってないし、

帰寮していない生徒もまだ多い時期だから、そうそう問題も起こらないだろうっていうのが大きかったみたいで、割とすんな

り進んだみたい。…まぁ、理事長にも話は行っただろうし、後押し貰えたのかもしれないね…、御迷惑ばかりおかけします…。

 勿論、手続きの方はちゃんと正規に進めた。申込書も親の同意書もすぐに用意して、先にファックスで仮送付も済ませて、

トラ先生にもオーケー貰った。

「見て回れる範囲は、時間的にちょっと狭くなるからね。絞って予定立てなくちゃ」

 実際のところ、一泊して翌日昼には帰路につくんだから、寮と学校見学を除いたらそんなに時間的余裕はあまり無いんだよ

ね。近場をちょっと案内するだけになっちゃうかな?そんな事を考える僕に…、

「飯が美味いオススメの店とかある!?」

 いの一番に食事どころの質問をするダイちゃん。う~ん、可愛い…。

「仲良くして貰ってるシラト先輩っていうひとのお家が人気の中華料理屋さん。ボリューム満点で味も良いって、男子生徒中

心に大人気だよ。あとは、近場でいつもお世話になってるお店…、ハンニバルさんは外せないかな…」

「…はんにばる?う~ん…、中華?フランス?何料理屋?」

 まぁ、そんなリアクションになるよね、この店名は…。

 サツキ君も大満足、学生に大人気のボリューム満点な定食屋さんだって事だけ簡単に説明して、あとは行ってのお楽しみっ

て事にしておく。

 喋る事はたくさんあって、あっという間に時間が過ぎて、夕方が近付いてきた。

「もうじきケイゴ君帰って来るかな?」

 窓の外を見て口を開いたら、

「あ。じゃあオイラもうそろそろ…」

 と、ダイちゃんが身を起こす。

「えぇ~!?そこまで苦手!?そんな避けなくても…」

「いや、避けるって言うか…、そんなつもりじゃ…」

 モニョモニョ口ごもったダイちゃんは、「オイラの態度で先輩が気分悪くしたらアレなんだけど…」と上目遣いに僕を見る。

「先輩には、この町も、この家も、住み慣れてないトコだし…」

「うん」

「手伝いで疲れたり、気を使って疲れたりもするだろ?」

「うん」

「だから…、顔あわせる相手は少ない方が気が楽かもなぁ、って…」

「偉い!」

 思わず声を大きくした僕に、ダイちゃんはビックリして毛を逆立てた。

 納得させられる理由だよ。気遣いがちゃんとできる子になってて感心…!

「うん。嫌いで避けてるわけじゃないなら良いんだよ。それで顔をあわせたくないなら、来年以降のためにも慣れておかなく

ちゃって思って、ちょっと心配してたんだけど…」

「嫌いとか思ってないって!…性格とかあんま知らないし、話をする内容とかに困ってるから、愛想良くできてないけど…」

 首をブンブン横に振って否定する黒熊。

「確かに、ケイゴ君は口数多くないからね。話題にし易い趣味とかないし、流行にも乗らないタイプだし…」

「うん、ムッチャ硬派な感じ。格好良いけど、付き合い方が判んないってトコだ」

 …確かに、硬派な印象かぁ…。いよいよ応援団らしくなってきたって言うか…。

 ダイちゃんの、あまり疲れさせたくはない、っていう気遣いには勿論賛成なんだけど…、僕としてはケイゴ君に東護で楽し

い思い出を作って行って欲しい…。

「じゃあさ」

 僕はダイちゃんに提案してみた。疲れない程度に、ちょっとだけ、コミュニケートしてみない?って…。



「…ただいま…」

 ちょっと口ごもったシェパードは、照れてるのか耳を倒した。いいんだよ、泊まってる間はただいまで。

「おかえりケイゴ君、お疲れ様!」

「お疲れ様す…」

 迎えた僕とダイちゃんは、ケイゴ君が上がる前に靴を履く。

「どっか出かけんのか?」

 僕は「うん。ちょっとそこまで」と笑いかけて、ケイゴ君を促した。

「付き合ってよ?すぐだから」

 眉根を寄せたケイゴ君だったけど、何も言わずに向きを変えて、玄関から出た。



 ダイちゃんと僕が先に立ってケイゴ君を案内したのは、近くの公園だった。

 ヒグラシの声が響く中、近くのたい焼き屋さんでダイちゃんが買い物をしている間、僕とケイゴ君はベンチに座って待つ。

 親が迎えに来て、遊んでた子供が帰ってく。また明日ねって手を振って別れる子供達は、僕とケントとサツキ君が、まだ一

緒に遊んでた年頃くらいに見えた。

「ここでね、昔はよくサツキ君達と一緒に遊んでたんだ」

「…そうか」

 ケイゴ君は少し不思議そうな顔をして公園を見回した。

「やっぱり、馴染み無い?公園とか…」

「馴染みか…。遊び場としては全然ねぇな。喧嘩場所には、時々なったが」

 予想の斜め上を行くバイオレンスな回答を、感慨深そうな顔で口にするケイゴ君…。

 僕は、子供の頃の思い出が支えになった。どんな時も、幸せだった記憶に縋って堪える事ができた。

 けれどケイゴ君は違う。サツキ君に気を許して打ち明けた内容からすれば、子供の頃からずっと、満ち足りた幸せな経験を

殆どして来なかったらしい。

 保護者に守られなかった彼にあるのは、生きる事を目的に過ごした日々の記憶だけ。毎日お腹を空かせていた、プラスを得

る為じゃなく、ゼロやマイナスになってしまわないための生活…。楽しい事や嬉しい事を探した経験もなく、ただただ、死な

ないように生きるための毎日…。

「ケイゴ君、何かしたい事ってない?楽しそうって思う事とか、興味ある事とか…」

「は?」

 ケイゴ君は軽く首を捻った。

「…別に、ねぇかもな…。勉強と団の事でいっぱいいっぱいだ」

「「今」は?」

「…今?」

「うん。星陵に帰るまでは、応援団の活動も勉強もないでしょ?」

「ああ…」

 ケイゴ君は少し考えるそぶりを見せてから、「悪くねぇよ、今の生活」って言った。

「サツキとつるんで、親父さんのトコで手伝いして、飯も食えて、話し相手も居るから退屈もしねぇ。…楽しいのかもな、…

ああ、意外と…」

「そっか…」

 ちょっとだけ、満足した。ケイゴ君がこの数日を楽しいと感じてるらしいって判って。

「なんなら、卒業したらこっちに来て、おじさんの所に就職したら?」

「………」

 オシタリ君は目を大きくして僕を見て、それから小さく吹き出した。

「え?何?あ、先走り過ぎだって?」

「…いや…、サツキにもお袋さんにも親父さんにも専務にも、同じ事言われてよ…」

 ほ?そうなんだ?働きぶりを気に入られたのかな?

「お待たせす!」

 話が一区切りしたところで、丁度ダイちゃんが紙袋を手に戻って来た。

「ジュンペーオススメのたい焼き!尻尾の先からはみ出る餡子がチャームポイントす」

「おお。…どうも」

 オシタリ君は、ダイスケ君が差し出したペーパーに巻かれたたい焼きを受け取る。

「金…」

「あ、いいす。キイチ兄ぃの奢り」

 ケイゴ君が僕を見る。

「僕のって言うか、お母さんの奢り。ケイゴ君と一緒におやつ食べられるようにって、お小遣い貰ってるから」

「そうか」

 たぶん、僕の自腹だったら受け付けなかったのかもしれないけど、納得してくれたみたい。

「いただきます…」

 ケイゴ君はたい焼きにかぶりつく。豪快に一口でゴッソリと。

 ダイちゃんもガブッと食いちぎる。一口で半分ぐらい行って、ほっぺを膨らませる。

 僕は尻尾の端っこの餡子がはみ出てるところから、少しずつ食べる。

「…どうすか?」

 ダイちゃんがちょっと不安げに耳を倒しながら、ケイゴ君の顔を覗きこんだ。

「…ああ。美味い…」

 ほんのちょっと、シェパードの目元が笑ってた。くつろいでるように、穏やかに…。

「疲れが吹っ飛ぶな、餡子の味って…」

 ダイちゃんは得意げに「そすか!良かった!」って笑って、僕も一緒になって微笑んで…。

 カナカナカナ…とヒグラシが鳴く公園で、僕らは夕焼け空の下、たい焼きを齧った。

 たい焼きの熱で汗ばむ手も、心地良い焦げの匂いも、夏の一ページ…。



「ダイスケ君ね、気を遣ってたみたい」

 ダイちゃんと別れた後の、家への帰り道。伸びた影法師を引き摺って歩きながら言った僕に、ケイゴ君は不思議そうな目を

向ける。

「疲れてるだろうから、帰ってくる前においとましなきゃ、って」

「別にいいんだけどな。要らねぇ気遣いだ」

「そう言うだろうとは思ってたけどね。そういう物言いと顔があわさって近付き難いんだと思うよ?」

「…そうか。気をつける。サツキにも言われたしな」

 おや。サツキ君もそういうこと話してたんだ…。

「いいヤツだな。アイツも、タヌキも」

「でしょう?」

「ああ」

 口数が少ないケイゴ君は、確かに近寄り難い雰囲気あるし、とっつき難い印象もあるだろう。けれど、不機嫌で黙ってる訳

じゃないって事さえ知ってしまえば、そんなに付き合い難くはないと思う。昔どうだったかはともかく、実際のところ今は根

はイイヒトなんだから。

「そう言えばさ。ケイゴ君、誰かと話す時はどんな事が話題になる?」

「何だそりゃあ?」

「話をする時、どういう話題だったら喋り易いとか、あるのかなぁ、って。サツキ君とは何の話そしてたの?同じ部屋で生活

してたんだから、いろいろ話してたでしょ?」

「お前の話ばっかりだったぜ?昔から頼りになったとかどうとか…」

 …さっちゃんってば…。

「ケイゴ君からは?何か話題とか出さなかったの?」

「………」

 僕の質問に、ケイゴ君はしばらく黙ってから…。

「…もしかして…、まさか…、話題に乏しい男なのか…?」

 …え?立ち止まったケイゴ君は、愕然とした顔で呟いた。

「つまらねぇ男だったのか?オレは…」

 えええええ?ちょ、何でそんなヘコんでるの!?って言うかそういう事でヘコむんだ君!?

 耳を寝せて呆然としてるケイゴ君に、何て言うべきか言葉を探す僕は…。

「あら?イヌイ君、オシタリ君」

 かけられた声で首を巡らせた。

 丁度僕らの進行方向。曲がり角から姿を見せたのは、大きな犬を連れた眼鏡女子…。

「シンジョウさん。お散歩?」

「ええ。涼しい時間でないと厳しいのよ。もうすっかりおじいさんだしね」

 目を細めたシンジョウさんが連れてるのは、歳をとったシェパードだった。

 かなりの御高齢らしくて、もう現役の番犬の座は後輩に譲って、走ったりもしないそうだけど、帰省している間はシンジョ

ウさんが散歩係を買って出てるんだって。ヘッヘッヘッて舌を出して息をしてるシェパードの顔は、嬉しくて笑ってるように

も見えた。

「撫でてもいい?」

「ええ」

 許可を貰った僕は、お座りしてるシェパードと向き合って屈んで、首の横を撫でてあげる。前に聞いたけど、昔はヤンチャ

だったけど今は立派に番犬の鑑で、無闇に吠えたり噛み付いたりしないんだって。ちゃんと怪しい相手かどうかを見極めるら

しい。偉いよね。

 おじいさんシェパードは穏やかな目をしてて、とっても大人しくて行儀がいい。ハカハカ吐き出される熱い息が鼻にかかっ

てくすぐったい…。

「オシタリ君、少しはこっちに慣れた?」

「ああ、おかげさんでな…」

 顎を引いて頷くケイゴ君。シンジョウさんは「そう、良かった」って微笑んだ。

「………」

 オシタリ君はまた少し黙って、視線を彷徨わせて…。あ。話題探してるっぽい。

「良いトコだな、この街」

「そう?それは嬉しいわ」

 シンジョウさんが笑顔で言う。

「なんなら、こっちで就職したら?」

 僕は吹き出しそうになって、ケイゴ君は微妙な顔になった。

 本気で考えてみたらどうかな?皆がこう言ってるんだしさ!



「あら?キイチ出かけていたの?ケイゴ君はまだゲンゴロウさんのお手伝いかしら」

 家に帰った僕は、丁度戻って来たお母さんと門の前ではちあわせた。

「ううん。さっき帰ってきて一緒に外出したんだけど、同級生と会ったからちょっと立ち話中」

 ケイゴ君はシンジョウさんのボディガードって事で、散歩に同行して貰った。番犬が居るだろう?って言われたけど、おじ

いさんだから、って説き伏せた。

 シンジョウさんがどう思ってるかは判らないけど、ケイゴ君は彼女に対してだけ、ちょっと態度が違う。

 恩人として扱ってるだけって本人は言うけど…、他の恩人とも接し方が違う気がするんだよね。女の子だからなのかもしれ

ないけど…。

「同級生って…、こっちに?」

 サツキ君ともウツノミヤ君とも名前を出さなかったから、お母さんが不思議そうな顔をする。

「うん。こっちから星陵に行ってる僕らの同級生」

「もしかして女の子?ケイゴ君モテそうだものね」

 鍵を開けながら、お母さんが冗談めかして微笑んだ。

「え?何で女の子だと思ったの?当たってるけど…」

「こっちから星陵に行った子なんて少ないでしょう?それならキイチが親しくないはずもない。なのに名前を出さないという

事は、お母さんとまだ会った事が無い子だからぼかしたのよね?それなら、前にちょっとだけ話してた女生徒の事かなぁ、っ

て思ったの」

「流石は熱心なタカミアン…!」

「おほほほほ!」

 お母さんの好きな作家を引き合いにしたファンダム名を口にしたら、上品な笑いが嬉しそうに返って来た。

「それに、言ったけれどケイゴ君モテそうじゃない?誠実そうで、真面目で、ちょっと今時の子じゃないみたいな所があるけ

ど、男前な好男児って印象でしょう?お父さんも、寡黙だけどホネがあるのはしっかり判る面構え、って言っているし…」

 うん。言われてみれば、劇画調チックな前時代的硬派男前のヴィジュアルとも思えるかも…。

 世話になってるからって食器洗いとか色々手伝ってくれるし、確かに印象は好青年的かも…。

 不思議だなぁ。ケイゴ君のこと色んな見方ができるんだって、今になって気付かされるよ。